クリスマス休暇も始まり、同室のダフネとサリーが実家に帰ってしまうと、途端に私の生活習慣は乱れた。
授業がない事をいい事に昼前までベッドで過ごし、朝昼兼用の食事を済ますと、私に充てがわれた研究室でダラダラと図書室で借りてきた本を読んで過ごす。
スネイプ教授の授業用の調合を強引に手伝わされたのち、夕食をとり、長風呂を楽しんで就寝。
これが昨日の私の1日だ。
この誰もが羨む休日スタイルを今日も続けて行くため、二度寝しようと思っていた矢先、パーキンソンに布団から引きずり起こされて談話室にいるスネイプ教授の前に連れてこられた私は、憮然とした表情で教授を睨んだ。
「……なんか用ですか」
「……取り敢えず顔を洗い、髪と服を整える様に」
私の支度が完了して談話室に再度入った時、スネイプ教授の眉間の皺が3本増え、冷え冷えとした空気の蔓延した談話室からは誰も居なくなっていた。
「遅い!」
「女の子の支度には時間がかかるんですよ」
遠目にも分かるほど眉を吊り上げたスネイプ教授だったが、本当に時間がないのか、それ以上詰める事もなく、ついてくる様に私に告げると足早に歩き出す。
「教授ー、何処行くんですか?」
「医務室だ」
「……私、怪我してないですよ?」
「誰も貴様の治療の為とは言っておらん」
「じゃあ何しに行くんですか?」
「それを説明する時間も含めて、一限目開始の時間には迎えに行くので準備しておくようにと、昨日説明したと思うが?」
「そうでしたっけ?」
そこから始まった長ったらしいスネイプ教授の嫌味を除き、説明を要約するとこういう事らしい。
毎年、クリスマス休みの間に医務室の常備薬から使用されたものを纏めて補充したり、新たに必要になりそうな魔法薬をマダム、ポンフリーをはじめ各教師から聞き出しては調合して渡しているそうで、今日はその為に医務室へ向かっているそうだ。
だが、一人で行うとクリスマス休暇がほぼ潰れる為、居残りの監督生に命じて簡単な調合などは手伝ってもらっているが、所詮は学生。実際、実務で使えるレベルの薬品を作るには足りないらしく、8割はスネイプ教授の仕事になるらしい。
「だが今年は貴様がいる。未だ暇のようだからな」
「テーマ、考えてはいるんですよ? でもねぇ」
「興味を引くものがないと?」
こくりと頷けばスネイプ教授は、微かに笑ったようだった。
「好きなテーマを研究できるのは今の内だけだ。成人すれば特殊な環境に身を置かない限りは、やりたくも無い仕事に忙殺される事になる。存分に考えたまえ」
「……なんか優しいですね。何か企んでます?」
「いや? さて、着いたぞ」
スネイプ教授が医務室の扉を開けると、テーブルの上に置かれた大量の瓶と、軟膏容器が二人を出迎えた。
さらには幾つかのベッドが剥き出しにされ、其方にも薬瓶や軟膏容器が幾つも重ねられているのが見える。
まるで薬棚の中身を全てぶちまけたような光景に驚いていると、何本もの薬瓶を手にマダム、ポンフリーが現れた。
「あら、遅かったですね。スネイプ教授。もう始めてますよ」
「ああ、すまない。すぐに取り掛かろう」
「その子が、……今日の手伝いですか?」
「ああ。薬学に関しては我々とほぼ同等の知識があると考えてもらって良い。技術に関しても、監督生をゆうに超える。手伝わせて申し分無いだろう」
「……そうなのですね」
口調こそ好意的だが、ジロリと懐疑的な目線で私を見下ろすマダムだったが、ハッと何かに気づいたような顔つきになった。
「もしかして。この子が、あのイベリス・セネットですか?」
「そう――「そうです。はじめまして、マダム。私があのイベリス・セネット。貴方が考えている通り、あのセネット家の長女です。今日は薬の棚卸しだと聞きましたが、随分と魔法外傷や普通の外傷に効く薬の数が多いですね」
答えかけたスネイプ教授の言葉に被せるようにずずいと前に出て握手を求めると、マダムは少し面食らったようだったが、薬瓶を置いてテーブルに置いて握手に応じてくれた。
これぞダフネ式社交術。先手をとって友好的な様子を見せれば大抵はいける……らしい。
「よろしく、セネット。学校ですからね。通常の病気でここに掛かるよりは、やんちゃして怪我で掛かる学生の方が多いのですよ。ついこの前もクィディッチの対抗戦がありましたからね。まぁ、あの時は思った程怪我人が出ませんでしたが――」
「この薬は足が早いですからね」
マダムが先ほどテーブルに置いた薬瓶を手に取って蓋を開けると薬液の香りの他に微かに香る発酵臭。薬効成分はまだ半分以上残っているだろうが、そろそろ入替が必要なサインだ。
私はそれを剥き出しのベッドの上に蓋を閉めて置き直した。
「――なるほど。任せて大丈夫そうですね」
「ああ、去年の監督生よりはマシに使えるだろう」
去年はどんな風だったのか聞いてみたいと興味が湧いたが、思い出させてくれるなとばかりに頭痛を堪えるような表情をしたマダムと眉間の皺を増やした教授をみる限りは散々だったのだろう。
「さて、先程貴方が仕分けた通り、こちらのテーブル上の物はまだ未選別。こちらのテーブルの上の薬品はまだ使用可能な物。ベッドの上の薬品は、入れ替えが必要な物です。
ひとまずは全て仕分けた後、必要な分だけ補充用のリストを作成し、調合をお願いする事になります。何か質問は?」
マダムがトントンとテーブルを叩いて説明してくれたのを反芻して私は首を横に振った。
「ありません」
「では、私はまだ薬棚に残っている未仕分けの分を持ってきます。セネットは、ここでスネイプ教授と仕分けをお願いします」
「いや、仕分けはミス、セネット。君だけで行いたまえ。私は他の教職員の所を回る。補充用の調合リストができたら、地下牢の魔法薬学の教室に来るように」
スネイプ教授の言葉にマダムは少し驚いたように眦を上げた後、私に尋ねてきた。
「貴方はそれで良いですか? セネット」
「はい。良いですよ」
終わったら不足分を教室で調合するということだろう。
あそこならば予備として置かれている大釜のサイズも数も大量にある。
私が頷くのを見たスネイプ教授はマントを翻して足早に医務室を後にした。
途中からはマダムも手伝ってくれたおかげで調合リスト作成も含めて昼ごはん前には完了した。
これ幸いと他の生徒がまだ来ていない中、ゆっくりと昼食をとり、食後の紅茶を優雅に楽しんだ後、地下牢へと向かうと、そこにはスネイプ教授が大鍋をかき混ぜていた。
「思いの外、早かったですな」
「最後はマダムと二人がかりでしたから。スネイプ教授、昼食は?」
「取った」
食堂の教員卓に教授の姿は終ぞ見えなかったはずだが?
疑問に思ってスネイプ教授へ近づくと、ローブからはいつもの薬草の香りに混じり、焦げたバターとチーズの香り。
どうやら食堂へ寄らずに昼食をハウスエルフに言いつけて取り寄せたようだ。
「サンドイッチですか?」
「はしたない。犬のような真似はやめたまえ」
すんすんと匂いを嗅ぐ私を教授は嫌そうな顔で押し退けると、左手は大鍋をかき混ぜたまま右手を出してきた。
「何ですか? お手でもすればいいですか?」
犬らしく。と手で犬耳を作り、鼻をすんすん鳴らせば呆れた様子のスネイプ教授が、私の額をパシリと打った。
「いった……。単なるジョークなのに」
「さっさと調合リストをよこしたまえ」
痛くは無いが気分の問題で頭を撫でて労わりつつ、リストを記した羊皮紙をスネイプ教授に渡せば、教授が眉根を寄せた。
「いささか数が多いな」
「傷薬系統の減りが多いのは、闇の魔術の防衛術の関連で負った傷が多いから。らしいですよ。大怪我は無いけど、細かい怪我が毎日のようにあるとマダム、ポンフリーが愚痴こぼしてました」
「……先ほどと言い、どこまでも迷惑をかける男だ」
私が首を傾げれば、スネイプ教授は無言で教卓の上に置かれた数枚の羊皮紙を顎で指し示した。
「見ていいんですか?」
許可を取って表紙に目を通せば、植物用高級栄養剤2ダースに、香り無し虫除け薬、精製水2ガロン。
丸々とした字で記載されているのは、いづれもマンドレイクの栽培に必要な薬剤だ。
なるほど。これらは、教授が集めてきたホグワーツの教職員達からの必要な薬品リストか。
それぞれの教職員らしい字が書かれた羊皮紙をパラパラめくっていると、ある1枚で目が止まった。
躍動感あふれる字で書かれた薬品名は「アモルテンシア」つまるところ最も強力な愛の妙薬だ。
普通の授業では使うことはまず無いであろう薬品名に見間違えたかと何度か目を擦ってみるが文字は変わらない。
その上、同じ羊皮紙に書かれた「名声喧伝薬」などと言う聞いたことも無い薬品名を見つけて、私は誰がこれを書いたのか理解すると、ため息をついた。
「……これ、作るんですか?」
抜き出したその羊皮紙をぴらぴらと教授の目の前で揺らして見せれば、教授は心底嫌そうに頭を振った。
「作るわけがなかろう」
「ですよねー。あ、ちなみに名声喧伝薬ってあるんですか?」
「吾輩の知る限りでは無い」
やはり目立ちたがり(ギルデロイ・ロックハートの事だ)の想像の産物だったか。羊皮紙を炎の中に投げ入れたい気分になっていると、ふと教授が大鍋をかき混ぜる手を止めて私を見た。
「その薬。ミス、セネットならどう作成する?」
「え?」
教授を見上げると、その瞳は私を観察するかのように細められていた。
「名声喧伝薬ですか?」
「そうだ。既存には存在しない魔法薬だ。ミス、セネットがあの愚か者から依頼を受けた場合、新たに新薬を開発する必要があるが、どうやって作る? 何をベースとする? どこまで効果を発揮させる? ミス、セネットにはそのロードマップが少しでも想像出来ているか?」
教授は教育者の目で私に問いかけていた。
私は、顎に手を当てると羊皮紙を睨みつけると、考え始めた。
「そうですね……。まず、薬の名前からして、飲んだ人が特定の話を誰彼構わず喋りだす感じの薬効が出れば良いと思います。
なので、口を軽くする系の効能と、特定の話に対して執着を見せるような効能があれば良い、から……。
ああ、そうだ。陶酔薬だ。あれで口を軽くさせて、さらに執着させる方向を指定できれば良い。
特定の話。話す内容、いや、内容は重要じゃ無い。短いワードの印象付けを行えば、後は服用者が勝手にワードを持ちうる語彙から着飾って話すだろうから――」
呟きながら思考の渦に飲み込まれていく私を教授が興味深そうに観察しながら、私の手に持っていた羊皮紙をそっと抜き取り、暖炉に焚べた事を私は全く気付いていなかった。(この教授、人には考えさせたくせに自分は目立ちたがりの依頼など無かったことにしたのだ!)
「――つまり陶酔薬をベースに、アイリスの抽出液とアルメリア、紫スミレ辺りを調合して、グランバンブルの糖蜜を少量加えればおそらく用途に沿った薬ができると思う。どう?――ですか? 教授」
「なるほど。幻獣由来の材料を使わないのは何故ですかな?」
「使うとすればドクシーの爪や、フウーパーの声帯辺りかな。でも、効果が強すぎる可能性が高いのと、陶酔薬のベースが薬草系だから、幻獣系の材料は陶酔薬の方が変質する可能性が高い。その時の効果の予測が難しいから、先に薬草系材料を試してみてからでも遅くは無いと思う――います」
教授はピクリと片眉を上げると、ニヤリと微笑んだ。
「よろしい。スリザリンに20点」
その後、私がすっぽり入るようなサイズの大鍋で精製水や水薬をはじめとした調合を大量に行った私は、出来たばかりの水薬瓶が入った木箱を5箱も抱えて医務室を目指していた。
移動呪文や浮遊呪文が使えたら楽なのだが、一部の水薬は呪文の魔力に触れると変質するため、特殊な箱にでも入れない限り魔法を使って運ぶことは厳禁なのだ。(これがあるから教授は私に運ばせたに違いない)
1回で終わらそうと積み上げた箱のせいで前が見えないため、よたよたと歩いてようやく医務室に到着した私は、扉を開けると声を張り上げた。(扉をどうやって開けたか? マクゴナガル教授に見つかれば怒られる方法だ)
「マダムー。マダムー。水薬出来ましたよー。……マダムー?」
室内からは何の返事もない。
マダム、ポンフリーは何処かに出かけているのだろうか?
とにかく何処かに木箱を下ろしたいと、私は室内をテーブルがあっただろう方向へ向かって歩き出した。
「あれ? この辺にあったと思ったけど……」
そっと脚で探るも、昼に置いてあったであろう位置には何も無い。
もうこの場に一度置いてしまおうかと、腰をかがめようとした時、誰かの声が私の耳に響いた。
「テーブルはあっちよ、もし――」
「わっ! っとと――」
思いがけない程近くから聞こえた声に驚いた拍子にバランスが崩れて腕の中の箱が前方へ傾いていくのが分かる。
「――やば、おちるっ」
1歩踏み出してバランスを取ろうとするも、それだけで崩落を止めることは出来ない。オマケにその足がローブを踏んづけてしまったようで、ピンと張ったローブが2歩目を踏み出す事を許しはしない。悲惨な光景は待ったなしだ。
「あぶないっ!」誰かの声と共に、ドンっと木箱越しに誰かに当たるような感触。
数秒経って目を開けると、目の前には変わらず木箱の山。どうやら向こう側で誰かが支えてくれたらしい。
「大丈夫?」
「なんとか」
「テーブルはあっちよ。手伝うわね」
優しく木箱が引っ張られ、案内された場所に下ろすと、私は、大きく息を吐いた。
「ありがとう、さっきは助かった」
貴方のせいで転びそうになったけどね。という一言を飲み込み、木箱のせいで汚れてしまったローブを叩いて汚れを落としながら、木箱の向こう側へ顔を出すと私は言葉に詰まった。
「あ、ええと……」
そこに居たのは猫だ。
いや、違う。猫っぽい人だ。
それも違う。猫の皮を被ったような人間だ。
バツの悪いような顔をして意味のない言葉を吐いてはいるが、人間のような骨格を持ち、猫のような体表を待つその姿はまるで……。
「ケット・シー?」
いや、あれは単に2足歩行し、喋る猫だったはず。
浮かび上がった推察を否定し、私は彼女を観察する。
フワフワな猫耳に、爛々と光り縦に裂けた緑の目、顔全体は茶色の短い体毛が生えているが、口元だけが白い毛で覆われており、顎を撫でたら気持ちよさそうだ。
「あの、これは……その……」
首から襟元にかけても体毛が生え、制服の袖から見える手も体毛に覆われている。
キラリと光に反射するそれは、人ではなく鋭さを持った猫の爪だ。
彼女の背後で、所在なさげに揺れているのは猫の尻尾だろう。思わず手を伸ばせばするりと避けられてしまった。
「……スリザリン? 何年生?」
「え?」
私がセーターの胸元に刺繍された銀の蛇を指差せば、彼女は慌てたように頷いた。
「そ、そうよ。私は1年の、えっと、1年生なの」
「そう。2年のセネットよ。それで、これはどうしたの?」
「あー、えっと、これは……」
「見たところ、中途半端に猫になっているみたいだけど、誰かに呪いでもかけられた?」
彼女の手首を取ってみると、セーターの中にもゴワゴワとした感触があり、体毛が全身に生えていることが容易に想像出来る。
そして驚いたことに、彼女の手は人の形を保っていた。指の腹にはプニプニとした肉球ぽいものがあるが、指が猫の手のように極端に短くなってはいなかった。
「――そう、そうなの。誰かは分からないけど、急に後ろから呪文が聞こえて来て、そしたらいきなり姿が変わってこうなってたの」
「そう、それは大変だったね。それで、マダムは?」
「さっき、スネイプ先生の所へ行くって行ってしまったわ」
「スネイプ教授の所に?」
「ええ」
「ふーん。……まぁ、座ったら? 手伝ってくれたお礼に紅茶でも淹れるわ」
「ええ、ありがとう」
彼女の言葉の半分は嘘だろう。
第一に人を中途半端に変身させるような高度な呪いを学生が使えるはずもない。
第二に症例を診たマダムが魔法薬学の教授であるスネイプ教授の元に行ったこと。
そして何より、彼女からはある幻獣特有の匂いが漂ってきているのだから。
医務室に備え付けのティーセットを拝借し、数ある茶葉の中から渋みの強い茶葉を選ぶと時間をかけて紅茶を濃いめに蒸らす。
その間に簡単にお茶請けを皿に盛り、ミルクを温めてミルク入れに注ぐと、ティー戸棚の奥から小瓶を取り出してラベルを取り去りカートに乗せる。これで準備は整った。
「お待たせ」
診療室に戻ると彼女はベットに腰掛け、お行儀よく待っていてくれた。
ベッドの傍にカートを寄せると、備え付けのテーブルにティーセットを置き、カップに紅茶を注ぐと立ち昇る湯気と共にウバの濃厚な香りが辺りに漂って行く。
彼女は鼻をすんすんと鳴らして香りを嗅いだ。
「ウバの紅茶ね」
「正解。ミルクもあるよ。砂糖は1つ?2つ?」
「ふた、あー、待って。1つでいいわ」
「1つ、……じゃあスプーン2杯くらいかな」
そう言って盆の上に置いてあった小瓶を手に取ると、彼女は訝しげな目を向けてきた。
「それは何?」
「最近マグルの間で流行ってる太らない砂糖らしいよ。昼にマダムとお茶を飲んだ時に使ったけど、すっごい甘いの。舐めてみる?」
スプーンに垂らして彼女に手渡せば、おぼつかない手つきで口元に運んでいき、チロリと舐めた瞬間、彼女の毛が総立ちになり、耳と尻尾がピンと勢いよく天を突いたのが分かった。
「――っ、けほっ、けほっ、何これ。甘すぎない?」
「そうよー。だからたくさん淹れるのは厳禁」
彼女のカップに2杯、自分のカップにも1杯垂らすと、ミルクを淹れるか問いかける。
「今はいいわ。口の中が甘すぎるもの」
「そう」
自分のカップにたっぷりとミルクを注げば準備は完了だ。
隣のベッドにぼふんと腰掛けると、彼女に紅茶を勧めつつ、私も一口のみ、クッキーを口に放り込む。
「あちっ」
「あれ? これでも? 結構冷ましたと思ったけど」
「まるで本当に猫舌になったみたい」
ふー、ふーと冷ましつつ、両手でカップを抱えて飲む彼女の姿は私に一つの物語を想起し、くすりと笑った。
「何?」
「まるで、アリスのお茶会みたいだと思って」
「アリス? ルイス・キャロルの? お茶会なんてあったかしら?」
少し考え込んだ様子の彼女だったが、思い出したのか、軽く目を張ると、すぐに不満そうな顔になった。
「私は気が狂ってなんかないわよ」
「誰も貴方が三月うさぎだなんて言ってないよ」
「言ってる様なものよ」
「そう? まぁ、貴方は兎じゃなくて猫になってるものね」
「好きで猫になったわけじゃ無いわ」
「そうなの?」
「そうよ! 決闘クラブでミリセントの……なんでも無いわ」
激昂した様子で立ち上がった彼女は、途中で思いとどまったかのようにストンとベッドに腰を落として、グイッと紅茶を煽った。
「おかわり、いる?」
「ちょうだい」
突き出されたカップを受け取り、紅茶を注いでいると彼女が横から手を伸ばして、小瓶をカップに傾ける。
「ちょっ、そんなに入れたら――」
「いいのよ。太らないんでしょ」
「だとしても入れすぎは体に悪いですー」
慌てて小瓶をひったくれば、見ただけで中身が目減りしたのが分かる。
このままテーブルに置いていたら更に入れかねないと、ローブのポケットに隠せば、盛大に彼女はむくれた。
「なんで隠すの!」
「置いてたら入れるでしょ、入れすぎだってば」
「大丈夫よ!」
まるで水でも煽るかのようにグイッと飲み干したカップを再度突きつけてくる彼女に失敗したかなと、考えがよぎる。
少し、いや結構クスリが効きすぎだ。
彼女の爛々とした肉食獣の目が少し怖い。爪に引っかかれないよう彼女の手首を取って再度座らせると、カップにミルクを注ぎ手渡した。
「なにこれ?」
「ミルク」
「あの小瓶の砂糖は?」
「入ってないよ。ミルクに砂糖は入れないでしょ? ね?」
「……アクシオ! 小瓶よ来い!」
「あ!」
一瞬で杖を抜いた彼女に動揺した瞬間、既に小瓶は彼女の手の中にあった。
小瓶の蓋を開け、上機嫌でトポトポとカップに注ぐ姿に私は頭を抱えた。
「ハーマイオニー、明日どうなっても私は知らないからね」
「ん? 何が?」
若干赤みを帯びた顔に、上機嫌に左右に揺れる尻尾と体。口から漏れる息は若干酒の香りがするその姿はどこから見ても酔っぱらいだ。
図らずもクスリ(百薬にも勝るクスリそれは酒だ)で酔わせて口を軽くさせたあと、なぜこんな姿になっているのか聞き出す。と言う当初の目的は達成したものの、これはちょっと予想外だ。
テーブルの上に転がる小瓶の中身は空になっており、まだ隠しているのでは無いかと、探し回られた私のローブは引っ掻き傷でほつれている。
マダム、ポンフリーにどう言い訳したものかと悩むが、当の本人はニコニコとお酒入りミルクをちびちび飲んでいる有り様。どうやら相当気に入ったらしい。
「ハーマイオニー、貴方。……いや、まぁいいや。どうせ覚えてないだろうし」
疲れ切った体をベッドに預けてハーマイオニーを眺めていれば、否応なしにピコピコ動く耳が目に入ってくる。
「ポリジュース薬の失敗かぁ。猫の毛で、耳と尻尾、後体毛が生えたと。……ポリジュース薬なんてよく作れたわね」
「大変だったわ。でも、きっちり材料の分量も時間も測ったから失敗しないとは思っていたのよ。実際、ハリーとロンの二人の分は成功したし。あぁ、なんで猫の毛と間違えたのかしら」
「万全を期すなら、寝てる間に寮にでも忍び入って髪の毛を切り取るべきだったね」
「そこまでは無理よ。第一寮の場所を知らないし、合言葉も知らない。それに誰かに見つかれば終わりよ?」
「間違いなく減点の上、罰則だろうね」
「目的も果たせずにただ減点されるなんて最悪よ!」
「そうねー」
きぃっと小さくドアが開く音がしてそちらに目を向けると、私の飼い猫であるミリーがその姿を見せた。
どうやら、就寝時間になっても戻ってこない私を探しにきたようだった。
「ああ、ミリー。ごめん、すぐ戻るよ」
近寄ってきたミリーを抱き上げてあやしてあげると、満足そうにんなぅ、と鳴いた。
「可愛いわね。イリスのペットなの?」
「そ。名前はミリー。ミリー、こっちはハーマイオニー」
ミリーの首筋を掻いてやりながら紹介すると、ミリーは小さく唸った。
「何よ! 私は化け物じゃないわよ!」
「は、ハーマイオニー?」
「これはポリジュース薬の失敗でこうなっただけで――はぁ? これでも私は学年一の秀才なのよ? ――こ、こいつ! ちょっと、イリス! その猫貸しなさい! 」
「ハーマイオニー、ちょっと落ち着いて」
「落ち着いてられないわよ! この子、私のこと化け物って言ったのよ! それにアホ呼ばわりするなんて!」
「ハーマイオニー! えっと、まずはゴメン。ミリーの飼い主として謝る」
「イリスは悪く無いわ。元は言えばこの子が――何ですって! もう一度言ってみなさい!」
埒が開かない。私はミリーを背後のベッドに下ろして布団をかけて見えなくすると、ハーマイオニーの肩に手を掛けてベッドに座らせた。
「ハーマイオニー、落ち着いて。まずは深呼吸しよう? ね?」
「え、ええ」
何度か繰り返してハーマイオニーが落ち着いてきた事を確認すると私はハーマイオニーの目を覗き込んだ。
「ハーマイオニー。貴方、猫の言葉が分かるの?」
「え? いいえ。そんなの分かるわけないわ」
「本当? ホグワーツに入る前は? 猫と喋ったりした事ない?」
「ないわ。ホグワーツに入った後も無いわよ」
「……じゃあ、さっきミリーはなんて言ってた?」
「え? 『まるで化け物』とか、『失敗して化け物になるなんてアホだ』とか、よ、『酔っぱらいの癇癪持ち』とか……グスッ」
「あー、そっか。そっか。ミリーがごめんね」
泣き出したハーマイオニーの肩を抱いて慰めていると、布団の中から鳴き声一つ。ハーマイオニーの肩がびくりと震えた。
「ミリー! 黙ってて!」
これはもう、間違い無いだろう。ハーマイオニーは猫の言葉が分かるようになったのだ。
それも、ポリジュース薬の失敗作で。