「ねぇ、本当にコレ。大丈夫? 見えてない?」
先ほどから何度も不安げな表情で尋ねるのは、頭から黒いローブをすっぽり被ったハーマイオニーだ。
肝心の猫耳や手足はローブの中にすっかり収まっており外からは見えないが、そのまま歩く様子は首無しのお化けにしか見えない。
どう見ても不審人物だ。
「見えてない、見えてない。それに今は夕食時で大抵の人は大広間にいるから大丈夫」
少し強引に連れ出したハーマイオニーに案内してもらったのは、3階の女子トイレ。通称、嘆きのマートルのトイレだ。
「……人が来ないからって、大胆よね。本当にここで調合してたの?」
「ええ。……ハリー達、まだ片付けてなかったのね。昨日お願いした筈だったけど」
床に広がる割れたグラスに、三脚台に乗せられたままの鍋。
まず人が入ってくる事が無いとはいえ、誰かが入ってきたら驚くだろう惨状がここにはあった。
「片付けられてない方がちょうどいいけどね」
スポイトで鍋の底に残ったポリジュース薬を吸い取り、手持ちの試験管に入れるとキッチリ蓋を閉める。
「調合の参考にした本は? もう図書室に返したの?」
「いいえ。確か、ここに……あったわ」
トイレの個室から引っ張り出されたのはボロボロの黒革装丁の本だ。
「『最も強力な魔法薬』、か。ポリジュース薬のページは……これね。……ああ、やっぱり。ハーマイオニー、これ100年以上も前のレシピよ? よく作れたね」
「確かに難しかったわ。でも、一つ一つ丁寧に進めていけば出来ない事はなかったわよ?」
「それはすごいね。大昔のレシピはワザと不要な素材を入れて、その反作用を持つ素材で効果を打ち消したりしているの。そのため、素材の投入タイミングがシビアだったり、規定量をピッタリを入れないと直ぐにダメになってしまうのよね。
最近のレシピは、もう少し手順が簡単になっているわ。もちろん、難易度が低いという訳では無いけど、反作用の素材で打ち消すような事はして無いし、素材からの抽出方法も変わってる。何より各素材の投入タイミングが当時よりシビアでは無いの。最近のレシピが載った本もあるけれど読む?」
「いいの? ぜひ読みたいわ! でも、何で昔はそんな面倒な手順になっているのかしら」
「昔は今より派閥同士の溝が深かったからね」
首を傾げたハーマイオニーに、私は本を閉じると裏表紙に金で箔押しされた著者の部分を掲げてみせた。
「魔法薬界には、昔から派閥がある事は知っている?」
「ええ。魔法史の授業でビンズ先生が話していたわ」
「……よく覚えてるね。魔法史の授業よ?」
睡眠導入にしか使えないと噂の授業を聞いている人がいたのか。
「知っているのなら、話は早い。昔はとにかく派閥が乱立していたの。小さい派閥を含めれば、イギリス国内だけでも100派いくけど、そのうち大規模な派閥は7つ。そのどれもが排他的よ。それゆえに昔の魔法薬は基本的に派閥の外にレシピが公開される事が無いの。
だけど自分の派閥内だけの知見だと、偏りが生まれて別分野の研究に行き詰まることも多い。
そうなってくると他派閥が持っている知見だったり、レシピの情報が欲しい。という事があるの。
そういう時、よく使われた方法の一つは、この本みたいに他派閥との共著として発表するの。
この『最も強力な魔法薬』は、5つの派閥の共著ね。
共著として発表する事で、他派閥を牽制したり、発表前の原稿を回し読みして情報を抜いていたりしたのね。
でも情報が抜かれると分かっていて、自分が開発した効率の良い最新の魔法薬の作り方なんて他の派閥に教えたくはないでしょう?
だけど誰にでもできるような簡単な魔法薬のレシピを寄稿しようものなら共著相手に馬鹿にされるわ。
だからワザと難しい手順にしたり、材料を配分をいじって薬の効果を落とすの。
そうして派閥のプライドと本物のレシピの秘密を守ったのね。
そんなプライドと秘密の塊で出来た、必要以上に高度なレシピの塊がコレ」
ポンと『最も強力な魔法薬』を叩いて見せるとハーマイオニーは唖然とした表情になった。
だが、そんな事は魔法薬学界ではよくある事だ。
何なら嘘しか書いていないレシピをワザと盗ませたり、自分の所の門弟を他派閥へスパイとして送り込んだり。なんて事もよくあったらしい。(当時は何処の派閥の本拠地もスパイ対策のトラップを仕掛けまくりで、要塞のようになっていたらしいが、今はただの古い観光名所だ。……表向きは)
「でも聞いて良かった。もしハーマイオニー今のレシピで制作したものだと思い込んでいたら再現できなかったかも知れないもの。この本は少し借りるね。レシピを写し終えたら返すから」
「分かったわ。ココはもう片付けてしまっていいの?」
「必要なのは取り終わったから、大丈夫よ。ああ、でも待って。片付けはポッター達にお願いすべきよ」
私はハーマイオニーが呪文を唱えようとするのを慌てて止めた。
「どうして?」
「既に一度はポッター達に頼んでいるんでしょう? なのにハーマイオニーが今片付けをすると、ポッター達に医務室を抜け出した事がバレるわ。
ハーマイオニーは普段、先生達の言いつけは守るタイプでしょう?
それなのに無断で抜け出したなんて、面倒なことになりかねないわ」
「……それも、そうね」
来た道をコソコソと戻り、医務室のベッドに戻ると、既にテーブルの上にはハーマイオニーの夕食と、薬が準備されていた。
物理的にも猫舌になってしまったハーマイオニーに配慮したのか、冷めても美味しく食べられるような献立だ。(ここのハウスエルフは本当にレベルが高い)
「……この薬の味、何とかならないかしら。吐き気を抑えるのが大変なの」
「あー、……薬は苦いものだよ。諦めて」
ハーマイオニーは嫌そうに首ふると、諦めたようにため息をついた。
「でも今日は薬を飲む前にちょっと検証したい事があるから夕食食べたらちょっと待ってて」
「何の検証なの?」
「猫とどこまで意思疎通ができるのかどうか。猫以外の動物とはどうなのかって所。早めに検証しておかないと治療が進んで、ある程度治っちゃうと、もう検証できなくなるからね」
足早に医務室を出ると、大広間でサンドウィッチを1切れつまんで寮に戻るが、飼い猫のミリーの姿は見当たらなかった。
夕方以降は寮の部屋に居るようにと言いつけておいたのだが猫だし、ミリーは本当に気ままなところがあるから仕方ない。
先に別の動物の検証から始めるべきかと、フクロウ小屋で豆フクロウを1羽。寮の暖炉前でくつろいでいた誰かの犬を大広間で失敬してきた肉で釣って医務室に連れて行くと、既にミリーは医務室の中にいて、ハーマイオニーの夕食を強請っているようだった。
「ミリー、ここに居たの」
ミリーは振り向きもせずに、なぁ。と鳴いてハーマイオニーの皿のチキンを物欲しそうに見つめた。
「ごめんね。これは多分貴方には辛すぎるから――」
「にゃあ」
「うう、そんな目をしてもダメよ」
「なぁぁ」
「ダメ、ダメったら。ああ、そんな哀しげな顔しないで……」
「衣を外せば大丈夫よ。ハーマイオニー」
「……本当? じゃあ少しだけね、少しだけ」
切り分けられたチキンをハグハグと食べるミリーを愛おしそうに撫でるハーマイオニーの顔はそこらの猫飼いのようにデレデレだ。
「ハーマイオニーは猫は飼わないの?」
「うちは歯医者だからペットはちょっとね」
「? 別に殆どホグワーツで一緒にいるんだから、いいんじゃ無いの?」
ハーマイオニーの目が大きく見開かれた。
「イリス……」
「んー?」
「その通りよ。ありがとう。私、来年は猫を飼うことにするわ」
「そ、そう。良かったね」
「さて、もう既に始めていたようなものだけど、改めて検証を始めるね。はい、ミリーはこっち。チキン食べた分は協力してよね」
夕食も食べ終わり、ハーマイオニーのお腹の上でゴロゴロと寛ぐミリーを抱き上げると、テーブルの上に座らせる。
「……イリス、そのことなんだけどね。私、ミリーの言ってること、何となくしか分からないの」
「ん? 何となくって?」
「さっきだってミリーがチキンを欲しそうに見つめてたり、鳴いていたから欲しいのかなって思っただけで、ミリーの声が聞こえてたり、絶対にそうだって分かった訳じゃないの」
「んー。うん。まぁ想定どおりよ」
しゅんと、猫耳を垂らせて落ち込んだ様子のハーマイオニーだが、寧ろその状態で動物の声が聞き取れているとは考えていない。
「大体、前回の時とは条件が違うわ。前の時、ハーマイオニーはポリジュース薬を摂取してからそんなに時間も経っていなかったし、何より紅茶とお酒を飲んでいた。もしかしたら月の満ち欠けや、その日の精神状態が影響しているかもしれない。
寧ろ、今の状態では聞こえないと言うのが分かっただけでも収穫はあったわ」
「そうなの」
「ようは、どの状態ならば動物の声が聞こえるのか。時間が問題なのか、酔いか、カフェインか。それとも他の要素か。
今回の検証の目的はそれよ。だからまずは、今のままでフクロウと犬とも意思疎通できるのか試してみましょうか」
消灯時間も過ぎて夜遅くまで続いた検証は、遂に痺れを切らせたマダム、ポンフリーに動物達と一緒に私が叩き出されるまで続いた。
結果、分かった事は動物の声を聞くには、お酒が重要な要因である事と、意外と猫の言葉と犬の言葉は近いらしいという事だった。
全く分からなかったフクロウの言葉に比べ、犬は6割。猫はほぼ全ての言い回しが通じている。
「もしかしたら、哺乳類ならある程度共通で通じるのかも。スリザリンでネズミかフェレットを飼ってた人は居たっけ? 後は、お酒の種類ね。あのリキュールでないとダメなのか、それともアルコールさえあれば良いのか……。まぁ、明日検証してみましょう」
今日の結果を書き記した真新しいノートを閉じた私は、枕元の明かりを消して布団に潜り込んだ。