名前を呼ばれた気がした。
私はぼんやりとした頭でそう思った。
「――もう2日ですよ! いつになったらイリスは目を覚ますのですか?」
「本人次第だと何度も言っているだろう。誤飲した薬の治療は済んでいる。目覚めないのは、睡眠不足と栄養失調で体が休眠を欲しているからだ」
「でも、もう2日ですよ!」
「くどい。そろそろ寮に戻りたまえ」
「スネイプ先生!」
あまりのうるささに目を開ければ、スネイプ教授のローブをシワになりそうなくらいに引っ掴んでいるサリーがいた。
「サリー、うるさい……」
目を擦りながら体を起こし、固まっていた体をほぐすように伸びをする。
涙で霞む視界に、二人がぐりんと顔を私に向けるのが見えた。
「イリス! 起きたんですね! 体は痛くないですか? 私の声、ちゃんと聞こえてます?」
バタバタとベッドに駆け寄ってきたサリーに質問責めにされるが、そんな大きな声を出さなくても聞こえている。
私はサリーの口を手で塞いだ。
「サリー、本当にうるさい。聞こえてるって」
「――ぷはっ! ホント!? 良かった!」
一瞬で私の手を外したサリーは、私にぎゅっと抱きついてきた。
思わず、ぐぇっと声が漏れるほどの力強い抱擁が息を詰まらせる。
「なに? なんなの? 離して、ってそこで泣かないでよ」
「セネット、中々君が目覚めないからだ。自分が何故ここにいるか理解しているか?」
グスグスと泣き出したサリーの代わりに答えたのはスネイプ教授だ。
いつも通りのしかめ面だが、今日はいつもより一本多く眉間の皺が刻まれている。
「教授も、若干うるさ――いえ、何でもないです。
ええっと……ここ、医務室?」
薬の香り、消毒薬の香り。 何より目の前のベッドに横たわる石になった人たちが、ここを医務室だと教えてくれた。
自分でやってきた記憶はないので誰かが運んだのだろうが、それは誰なのだろう?
「……2日前。君が研究室で倒れていたのを、そこにいるパークスが見つけてくれたのだ」
「倒れた? 私が?」
「そうだ。君の近くに転がっていた飲みかけのマグカップを見て、パークスは君が継承者に毒殺されたと騒ぎ立ててな。一時、全校生徒が寮からの外出禁止とまでなったのだ」
「あら、まぁ」
「夕食時だったため、大広間に大人数が集まっていたのが
ある者はカトラリーを取り落として真っ青で震え出し、別の者は大慌てでトイレに駆け込む。
医務室には嘔吐剤と解毒薬を取りに来た者で溢れた。
その時の光景を思い出したのか教授の眉間に皺が増えた。
「幸い、君は毒殺されかかったのではない事がすぐに判明したのだが、君は自分が倒れた理由に心当たりはあるかね?」
「……あるかと問われれば、まぁ。……実験中のポリジュース薬、飲んじゃいました?」
コーヒーと間違えて飲んだソレ。
意識が飛ぶほど、めちゃくちゃ苦かった記憶がある。
薬は苦いものだが、あれは苦いの基準を軽快に飛び越えた苦さだ。まだ舌がピリピリしている気がする。
味の改善は必要だな。
「分かっているのなら話は早い。吾輩の薬戸棚からハナハッカ・エキスを1瓶投与してある。ソレも直に治るだろう」
「ソレ?」
私の頭の上をチラリと見た教授の視線を追って手を伸ばすと、髪以外の柔らかな物が触れた。
ぶにょっとしていて細かな毛が生えているソレ。
神経が通っているのか若干くすぐったいソレを一通り弄り尽くすと、私はスネイプ教授に手鏡を要求した。
「教授、手鏡持ってません?」
スネイプ教授が杖を一振り。
引き出しから飛んできた手鏡をキャッチした私は鏡を覗き込んだ。
「やっぱり猫耳、生えてる……。あれ? どこでミスった?
姿まで影響しないように、かなり抑えたから姿の変化なんて発現しないと思ったけど……」
「飲んだ量では無いのか? スニーコスコープの映像から推察する限り、コップ半分は飲んでいたようだ。その生えた耳の他に影響は無いのか?」
「コップの半分としてもラットの体重から計算して許容量の大体20倍。実際にはそこまで飲んでないだろうけど完全に許容量オーバー。そりゃ耳も生えるわね。
むしろ耳だけの変化で抑えられたって事はかなり優秀。
他の変化は? 変化は……ないかな。体毛も生えてない。骨格も大丈夫。目の色も元のまま。尻尾は……生えてない。
ブチッと何かが切れた音がした。
「セネット。今回の事故で医務室に寝ているの事が、ただ運が良かっただけという事は理解しているのか? パークスが見つけるのが遅ければ中毒症状で死んでいた可能性もある。
そもそも薬棚に緊急事用のハナハッカ・エキスも用意していないとはどういう事だ? 答えたまえ」
「あれ? 無かったですか? ……ああ、そうだ。ウィーズリーに使った分で最後の1瓶だっけ。そろそろ実家から取り寄せようと思ってたんですよね」
「何故残り2瓶となった時点で、動かないのだ。そもそもあの部屋は汚いと――」
ぐちぐちと続く教授のお小言と嫌味に適当に相槌を打ちつつ、私は今後の方針について考えを巡らせた。
図らずも人体実験は成功した。今後は動物実験よりも人体を使っての実験の方がメインとなるだろう。
だが今の薬の効果が発現している間は、わたし自身を使っての実験は行えない。
薬が抜けるまで1週間? いや、1月だろうか。
どちらにせよ、そんなに待てるほど私の気は長くはない。
早急に実験に付き合ってくれる人を探さなくてはならないだろう。
はてさて、そんな人物がいるだろうか?
ハーマイオニーは石化中。
ダフネは家に帰ってしまった。
サリーは言えば付き合ってくれるだろうが、彼女は貴族の令嬢だ。(あまりそうは見えないが)彼女が良くても実験中の薬を飲ませたなどバレたら、彼女の親に殺されかねない。
後は、後は……誰がいるだろう。
「こういうの、実家なら楽なのにねぇ」
「何か言ったか? セネット」
「いえ、何でもありませーん」
翌日、久しぶりに大広間で朝食をとっていると周りの席に座る人達がざわついた。
恐る恐ると言った様子で私の方を窺ったり、何やらヒソヒソと小声で喋る癖に私と目が合うとすぐに目を逸らす。
その輪は周りの人から寮のテーブル全体に広がり、さらには他所の寮の生徒もテーブル越しに覗き込んでくる始末。
「何?」
「……いや、何でも」
横の男子生徒に話しかけて見るも、すぐにそっぽを向かれてしまった。
いささか気分の悪い朝食を終えると、ミリーを話し相手に散らかった研究室の片付けをしつつ今後の予定を考える。
本当なら直ぐに次の実験に取り掛かりたいのだが、スネイプ教授に早急に片付けないと今後この部屋を貸し出さないとまで言われては仕方がない。
午前一杯を片付けに費やし、実家から特急のフクロウ便で届いたハナハッカ・エキスを薬棚に仕舞い込めば掃除は完了だ。
心なしか明るくなった研究室を後にして昼食のために大広間に向かえば、またもや周囲がざわついた。
気にせず席に着くと、ふと目に止まった普段は食べないツナのサンドイッチに手を伸ばす。
意外とイケる味だ。
実家から届いた手紙に目を通しつつ黙々と食べていると、ふとテーブルに影がさした。
「食事中に悪いね。なぁ――」
「悪いと思っているなら後にしてくれない? 見下ろされたまま食事するのは気分が悪いわ」
「ふむ。なら俺らも席に着こうか」「そうだな兄弟。ちょうど腹も減った」
てっきり強めに言えば退散すると思ったのだが、彼らはふてぶてしくも椅子を引いてテーブルに着いた。
「ここはスリザリンのテーブルよ?」
「別に寮のテーブルで食事しなくてはならないなんて校則はないぜ?」
「それに俺たちはさっき君に招待された身だからな。全く問題はないな」
「私は暗に帰れと言ったつもりだったのだけど?」
「それは気づかなかった。次回は気をつけてくれ」
そのまま対面に座ったグリフィンドールの2人は目の前のサンドイッチを摘み始めた。
「それで? グリフィンドールの2人が何か用?」
「ああ、その前に自己紹介といこう。俺はジョージ・ウィーズリー。そしてこっちが――」
「フレッド・ウィーズリー。見ての通りグリフィンドールの4年だ。俺たちのこと知っているか?」
チラリと目線を上げれば、まるで鏡合わせのように同じ顔をした二人が並んで座っていた。
「グリフィンドールの人間ブラッジャー」
「その通りだ」「だが、俺たちにはもう一つの名がある」
「「2代目、悪戯仕掛け人だ!」」
息ぴったりとはこういうことを言うのだろう。
2人は声どころか、打ち合わせもなしにパシンと手を打った。
「イベリス・セネットよ。スリザリン2年生」
「いい名前だな。ところで、ベス。あんたの頭の上のソレ。本物かい?」
「ベスって……」
いきなり名前呼びどころか愛称まで付けてくるとは馴れ馴れしい。
私は2人を警戒しつつ頭に手をやると、マンチカン種のように垂れた猫耳が指先に触れた。
意識を向ければ小さくぴこぴこと動く。
双子が、おおっと声を上げた。
「グリフィンドールでも朝からベスの噂で持ちきりだ。継承者に毒殺されかかったベスは、果敢にも闘うが姿を変える呪いを受けて継承者を逃してしまう。……何処まで本当なんだ?」
「全部ウソね」
「やっぱりそうか。最近の継承者関連の噂はデタラメが多い。じゃあ、ベスがうちのロニー坊やを一発でノックアウトしたってのは?」
「本当よ。何? 弟の敵討ちにでも来たのかしら?」
「いや。アレは早とちりして突撃したうちのロニー坊やが悪い」
「そうだな。何事にも真っ直ぐなのが我が弟の良いところだが、周りが見えなくなるところが欠点だ」
「じゃあ何しにきたの?」
双子の1人が二マリと笑った。
「その猫耳の事だ。ソレ、どうやって生やしたんだ?」
「魔法薬よ」
「アニメーガス(動物もどき)でも、呪文でも無かったか。俺達の予想はハズレだな」
「なぁ、どんな魔法薬ならそんな事出来るんだ?」
ずい、と身を乗り出してくる双子に私は顔を顰めた。
「あなた達、スパイ? 何故そんな事を聞きたがるの?」
「言ったろう? 俺たちは悪戯仕掛け人だ。そんな面白そうな格好になる魔法薬があるとしたら、悪戯に使いたいのさ」
「悪戯ねぇ……」
グリフィンドールの双子の悪戯はとにかく派手だ。
ある時は花火を打ち上げたり、校庭に噴水を造り出したり。
去年は何処かのトイレの便座が吹き飛んだ。
そんな派手な悪戯を行う事で有名な彼らが、ただ猫耳が生えるだけの悪戯を行うだろうか?
……怪しすぎる。
「悪いけど、話す気は無いわ」
ナプキンで口元を拭き、さっと席を立つと何故か彼らもついて来た。
「まぁ、話くらい聞いてくれ。ベス」
「そうだぞ。俺たちは何も只で教えてくれなんか言ってない」
「あなた達、ウィーズリーでしょう? お金なんか持っているとは思えないわ」
貴族達の間でウィーズリーの貧乏っぷりは有名だ。
「ところがどっこい。ホグワーツには、色々金策の方法があってな。そこらの学生よりかは遥かに稼いでるぜ」
「そこらの学生を基準にしているようじゃ無理よ」
「ふーん、じゃあ幾らなら教えて貰えるんだ?」
「1000ガリオン。無理でしょう? 分かったら、とっとと失せて。その扉から一歩でも入ってきたら、ラットの代わりに実験体にしてあげるわ」
唖然とした2人の目の前で研究室の扉をバタンと閉めると扉に顔でもぶつけたのだろう。
ジョージかフレッドの悲鳴が聞こえてきた。