もう見るまでもないと思い、空中に浮かんでいる幾多のスクリーンを消そうとした時だった。ニュースを読み上げていたアナウンサーの声が中断すると(え、なに?)と放送中にあるまじき声から聞こえ、マイケルは背後を振り返った。
(……お待ちください。議事堂でなにか動きがあったようです。中継を戻します)
慌てた様子で取り繕ったアナウンサーのバストショットが消え、画面の片隅で小さく担っていた総会議場の光景が映し出される。壇上でスピーチをしているミカヅキの姿がクローズアップされたかと思うと、画面は上方に流れ、演壇に流れ、演壇の背後に設置された2面のスクリーンがマイケルの視界に飛び込んできた。
画像ビューワーのスライドショーだろう。さまざまな写真が次から次へと映し出されて、それを見上げる各国フォース代表の姿が合間に挿入される。
牛の顔のアップ。
肩を寄せ合って笑う粗末な服の子供たち。
食い入るように真摯な眼差しを向ける青年……。
どれもばらばらで意味が見いだせない。構図もライティングもつたなく、素人が撮ったにしてもひどい写真ばかりだ。にもかかわらず、各国のフォース代表たちはスクリーンから目を離せずにいる。無意味と退きながら、得体の知れない痛みを胸に覚えている自分がいる。
いったい……これはなんだ?
(……お詫びします。しかし、こうする以外、私たちには自分の存在を世界に伝える方法がなかったのです)とミカヅキの声が流れ始め、マイケルははっと息を呑んだ拍子に<ガンダム>を見やった。
<ガンダム>はアスファルトに仰向けに倒れたっきり、動かない。が、なにごとか日本語でつぶやいたきり、エイジの声もなかった。
あきらめるな。
信じろ。
ぞくりと肌を粟立てる一方、マイケルはビルの窓越しに観ている英一に視線を転じた。反射光に照らされた顔に驚きの表情を張りつかせ、英一はこちらの視線にも気づかずスクリーンに見入っている。
誰も知らないこと――となれば、これもこの詐欺師が段取ったことか。ようやくこれだけの考えがまとまり、マイケルは「なにをした?」と<ガンダム>を睨み据えた。
言ってから、先刻の立場が逆転したと気づかされたが、だからどうと考える余裕はなかった。汗ばんだ手にレバーを置き、答えない<ガンダム>の側面に回り込む。「答えろ、いったいなにを――」と、不意にこちらに吹き込まれたエイジの声に遮られた。
「……黙って、聞けよ」
<ガンダム>のデュアル・アイが、いやエイジの瞳が鈍く閃き、立ち上がった。
それ以上の言葉と接近を封じるマイケルは気圧され、我知らずあとずさった〈ターンX〉は、目前のスクリーンをなす術なく見つめた。
ミカヅキの演説がスクリーンに映していた。事前の取り決めも虚しく、ニュースはライブでその声を流しており、いまやGBN……いや、世界中に流れるようになった声音が会議場にあふれ返っている。いまからニュース理事にねじこんだところで、通達が現場に届くころにはスピーチは終わっている……か。理性の声は片隅に追いやられ、僻地のコロニーを代表する少女の声がマイケルを圧倒していた。
(これらの写真は、すべて私のコロニー。ヲチカタの民が撮影したものです。今日この日、みなさんに私たちの存在を知ってもらうために、私が故国の同胞たちにひとつのお願いをしました。『自分にとっていちばん大切なもの』、それをこの携帯機器で撮影してもらい、こちらのアドレスに送ってくれるよう頼んだのです。
ご覧の通り、どれも拙い。ほとんどが、生まれて初めて撮った写真でしょう。でも私には彼らの思いが感じ取れます。ほんの少し前までカメラはおろか、何の電化製品も触ったこともなかった。世界から取り残された人々、総人口全てがを占める層に分類された人々が、初めて自分の想いを形にできた歓びが。技術に触れ、世界の大きさを知ったヲチカタの民の興奮が、GBNを通じてここに流れ込んでくるのがわかります。かつての私もそうだったからです。学校も知らず、字も読めず、ELダイバー売買組織に売られるのを待つばかりだった子供が、ひとりの外国人に、命を救われ、故国の外側にある世界の大きさを知らされた。私にとっては〝神〟にも等しいその人がいなければ、私も今ここにはいませんでした。人類が数千年培ってきた知識に触れることも、こうしてみなさんにお会いにすることもなく……そんな自分を憐れむ言葉も待てないまま、ゴミのようにように死んでいたに違いありません)
その声はタイムズスクエアでも一等目立つ高層ビル、ワン・タイムズスクエアの壁面を飾るオーロラビジョンを通じて、タダシの耳にも届いていた。
ニューヨーク中の兵士に追われている男が、よりにもよって市内最大の繁華街に来てしまったのは、不案内な街をでたらめに逃げ回った結果でしかない。100メートルを超える高さの壁面に、複数のオーロラビジョンを掲げたワン・タイムズスクエアを始め、ビルというビルがネオンや電飾看板に彩られた〝世界の交差点〟は、大阪は十三あたりで燻ぶる地場ヤクザにとって異星の光景に等しい。タダシはその極彩色の洪水に溺れ、オーロラビジョンから発する声などろくに耳に入らなかったのだが、
「なんやぁ……?」
兵士たちが足を止め、交差点のど真ん中に建つ高層ビルの壁面を見上げている。他にも無数のオーロラビジョンがきらびやかな映像を流し、色と光の洪水を渦巻かせる中、人々の注目を集めるそれはひどく地味な映像だった。どこかのホールで、演壇に立って喋る背広のお偉いさん、おもしろくもおかしくもない、毎日見かけるありふれたニュース映像の類いだ。どだい、英語のスピーチが理解できるはずもなく、タダシはすぐに視線を外し、立ち止まる兵士の間を縫って小走りに走り始めた。
ここはどうにもきらびやかすぎる。2つの通りに挟まれた歩道はやたらに広いし、でかいにもほどがあるハンバーガー屋の看板も、ちかちかと派手な映像を瞬かせるブロードウェイの看板も、まるで道頓堀のグリコサインが1個中隊分も集められたかの賑やかさだ。逃亡中の人間がいていい場所ではないと思い、極彩色のネオンに囲まれた三角地帯から離脱しようとした時だった。「親分、あれ!」と子分に肩をつかまれ、タダシは再び高層ビルの壁面に目を向けさせられた。
なんや、と出しかけた怒声が口の中で溶けた。兵士らが見上げるつまらないニュース映像、壇上で喋るお偉いさん――それは、つい1時間ほど前には横を歩いていた少女だった。いや、人間でもない。ミカヅキとかいうELダイバーで、本当はヲチカタとかいう国で生まれ育ったELダイバーだ。なんであれ、無口で生意気ないいけ好かないガキ。しかし、永琳組組長も言った通り、その目には人の心に訴えかける強い光があり――。
「ホンマにやりよったで、あいつ……」
「英語ペラペラやん」
2人の子分が口々に言う。彼らとて、英語のスピーチが聞き取れる道理はない。驚きが収まれば、思い出したようにあたりを見回し、早くここから立ち去ろうと言う気配を漂わせるようになったが、タダシは違った。オーロラビジョンの向こうで喋る小僧の気迫、その目に宿る熱気にあてられたのか、画面から目を離す気になれない、決して、声を荒げてはおらず、むしろ静かに語りかけているのに、有無を言わせず人を振り向かせる何かがあの小僧にはある。棒立ちに画面を見上げながら、タダシは周囲で同じように立ち尽くす人々に目を走らせた。
白人。
黒人。
アジア人。
みんないる。
〝世界の交差点〟に集まった世界中の人間があの小僧の話を聞いている――聞かされてしまっている。
「親分、はよ行きましょ。こんなとこ突ったとったら運営に目ぇつけられますわ」
「エイジさんが行く言うとったなんとかっちゅうビル。えーと、なんやったかな。ナンチャラセンター……ヘア…ヘア……」
「ヘアセンター? あの人、わしらをほっといて床屋行っとるんか」
「んなわけあるかい! とにかくそこ言ったらエイジの兄貴らと落ち合えるかもしれんのや。そこ行こ。あの人やったら、きっとうまいことしてわしら逃がしてくれるはずや」
子分たちが耳元で騒ぎ、「親分、はよ……」と袖を引っ張るようにする。タダシはそれを振りほどき、「見てみぃ」と画面の中のミカヅキに顎をしゃくった。
「あの子、世界を動かしとるで」
ぽかんとなった子分たちは見ず、あらためて周囲の様子を見渡す。
ある者は一心に画面を眺めている。
ある者は手元のスマホに慌ただしく指を走らせ、なにが起こっているのか探るのに余念がない。
極彩色のネオン群はその色をなくし、ミカヅキの声と顔だけがこのタイムズスクエアを占拠しているのだ。
今、何か重大なことが起こりつつあり、自分はその渦中にいるのだとタダシは知った。
わしはあいつを知っとる。
世界中のダイバーと一緒に見とる。
大阪でねちょもちょやっとる地場周りの反社が、このニューヨークの目抜き通りで、や。これまで感じたことのない高揚感に突き上げられ、タダシはほとんど酩酊したような顔つきでその場にとどまり続けたが、子分たちには理解のない心境であったらしい。
「こんなん聞いてもわからんでしょ。ほら、行きまっせ」
言うや、返事を待たずに両脇から肘をつかむ。2人の子分に引きずらせ、タダシは無理やりタイムズスクエアから連れ出されていった。