(なぜ、彼らは『アファーマティブ・システム』の施策を危険視するのでしょう。こんな数字があります。現在、後発国のGBNの普及率は21パーセント。これを約3倍に、60パーセントまで引き上げるとして、かかるコストは約1兆3000億ドル。先進国の国家予算に匹敵する莫大な額ですが、そうすることでGBNへのアクセスないしはインターネットにアクセスできる人は約30億人増え、22兆ドルの経済成長が見込めます。つまり、1ドルの投入に対して、17ドル相当の利益。
もっと利益率の高い事業もあります。たとえば廃棄コロニーに住むELダイバーの子供の栄養不足の解消などは、1ドルの投入に対して45ドルもの利益が見込める。。しかしこの事業の成功と継続に密接に関連する他の事業、上水道の普及や公衆衛生の改善は、1ドル当たりの利益が3ドルから5ドル。電子ウイルス感染者の治療は1ドル当たり2.5ドルとかなり低い。また多くの廃棄コロニーを悩ませる紛争、政治腐敗といった問題は、これらの事業を頓挫させる可能性が極めて高い上、そもそも政治の範疇で解決できる事柄ではありません。
つまり、どんなに利益率が高くても、これらは試算結果は机上のものでしかない。格付け最下位の国に大金をつぎ込むのと同じで、よくてギャンブル行為、金をドブに捨てるようなものと言われればそれまでです。総合的なリスクに鑑みて、コロニーへの支援事業は決して利益率が高いとは言えない。彼らと向き合う時は見返りを期待してはならず、人道的支援の範囲に留めるのが賢明だ。そうでなければ、アウトソーシングの場と割り切り、業務に必要なだけの教育を施して、安いビルドコインで使い捨てにしてゆくか……。
それで救われるものもあります。人道的支援で命を失わずに済んだ子供もいますし、成長した彼らが運営の管理している仕事の管理を任され、地検に触れることだってあるでしょう。でもそれはほんの一部の事例であって、貴官も範囲も限定された救いでしかない。善意によって賄われた物資の多くが届くべきところに届かず、それこそ捨て金になってしまっている現実。部分的に持ち込まれた文化や文明が現地のダイバーを退廃させ、ウイルスなどをはびこらせる原因にもなっている現実。こうした惨めに過ぎる現実を前に、救おうとする者も、救われんとする者も、とうの昔に根負けしてしまっていることは事実です。
でもそういうことではない。私たちELダイバーとみなさんを隔てているのは、もっと別の要因なのです。確かに、廃棄コロニーがここに抱えている政治問題、文化や教育レベルの違いは乗り越えがたい壁です。しかし私たちELダイバー、そして人類は、資金が政治を動かし、人やGBNのありようさえ変えるさまを何度となく目撃しています。そこに金鉱が存在すると証明されれば、資金はあらゆる制約を乗り越えて彼の地を目指す。いや、証明される必要すらないのでしょう。優秀なELダイバーの保護権が得られるという噂だけで、名もなきコロニーに世界中の支部の支援資金が集中する。そういうバカげた事例を、私たちはいま目の当たりにしている最中なのですから)
別の話に気を取られるところに振り下ろされた、それは強烈な一撃に違いなかった。画面が切り替わり、三々五々、自分の席に戻りつつあった各国フォース代表の表情をカメラが捉える。
息を呑んで凍りつく者。
気まずそうに演壇から目を逸らす者。
真剣な面持ちで聞き入る後発国の代表らをよそに、大国の支部連中が見せたこのバツの悪そうな反応はどうだろう。谷沼は思わず拳を握りしめ、胸の前でぐっと力を込めていた。
やった。
やってやった。
これでヲチカタを取り囲む謀議は白日の下にさらされた。証拠を提示し、その証明を明らかにしてゆくのはあとの話だ。謀議が存在すると世界中に知らしめられれば、目的の半分は達成されたも同然。残りの半分、『アファーマティブ・システム』の理念を世に紹介するためにも、例の会話記録をこの場で開封しないのは政界だった。その瞬間に事はスキャンダル一色に塗り込められ、他の中身は消し飛んでしまっていたのだろう。
<マークス・センチュリー>が入港した港の発端、海運ターミナルより東に約15メートル。大統領の名で知られる国際空港に谷沼はいた。
7つのターミナルに、年間4600万人もの利用者を引き受けるニューヨークの空の玄関口は、今日も手に手にスーツケースを携えた人々でごった返している。そのひとりに紛れ、偽造パスポートで出国手続きを済ませた対沼は、いまは待合ロビーで南米行きの飛行機が飛ぶのを待っているところだった。
すでに目的は半ば以上達成されたが、油断はできない。なりふりかまわなくなったフェアチャイルドに捕まれば、人質として利用される可能性もある。しばらくは人目を忍んで生きればならず、また逃亡の身に逆戻りだが、スラムでつたないプラモデルをすすっていた時とはわけが違う。まだ現金化はしていないが、谷沼の懐には今回の仕事で得た1000万ドル近い金があるのだ。複数の口座に小分けした上、偽の身分証に合わせたキャッシュカードも作ってあるから、当分金に困ることはない。あまり派手に使って目立つわけにはいかないとはいえ、滞在先で高級ホテルに連泊するぐらいは造作もなかった。無論、取引用の口座も確保済みなので、新規に事業を立ち上げることもできるだろう。その際は互いに連携してやっていこうと、岩戸たちに約束を取り付けてもあるのだ。
おかしなものだ。ロシアに足かけ8年もいたのに、逃げるときはほとんど無一文。むしりにくる奴はいても、心から頼るような相手はひとりもいなかった。それがたった数週間で、今度はやり直すのに十分な金と生涯の仲間を手に入れられただなんて。人生とはそうしたもの……と達観するには遠く、谷沼はロビーのインターネットテレビに映るミカヅキの姿を見つめた。
かなり専門的な単語も出ているスピーチだが、彼女の言葉には力がある。その強い目の光も、画面越しにしっかり伝わってくる。全部は理解できずとも、なにかを受け取ったと言う印象はすべての聴衆の中に残るだろう。欲深で自分勝手だけど、それだけじゃ満足できない。
面倒臭いんだよ、人間ってやつは――。
別れ際に聞いた金家の言葉を反すうし、谷沼はテレビに見入る人々の様子を眺めた。
全員が食い入るように、ということはない。中には化粧直しに余念のない中年女性もいるし、興味なさそうにスマホをいじる若者もいるが、そんな彼らの目も時折りテレビの方に注がれ、しばし動かなくなる瞬間がある。じきに終結する永琳組とフェアチャイルドとの戦いを観戦し、大慌てで金の算段をする実業家連中にしても、議事堂中継の声にふと気を取られる瞬間があるだろう。
ミカヅキが伝えようとするしているのは、そういうことだ。
この世界を支配する資金と言う秩序、いまや誰もが行き詰まりを感じている〝システム〟に対して異議を唱え、新しい〝システム〟のありようを提案しようとしている。それはヲチカタ・コロニーだけの問題でなければ後発国全体の問題でもない。今を生きるすべての人間が無関係ではいられないことだ。
自分はどうだろう。
もし金家と出会っておらず、グランプラスのCEОを続けていたら、ミカヅキの言葉を受け止められただろうか。かつて祖父は、谷沼のなかにあるGBNに惹かれる魔物を見出し、それと折り合いをつける方法を見つけろと言った。資本原理主義はそのまま、利益の捉え方を変える新しい〝システム〟こそがそれだと感じ入り、賛同の声をあげていただろうか。詮無い自問をもてあそび、自然と浮き出た苦笑を答にした谷沼は、夕闇が迫る空を壁一面のガラス越しに遠望した。
たしかなことは、自分は金家に出会ってしまった。それまでのすべてを奪い、これからのすべてを与えてくれたあの人と。
一度は騙した相手に仕返しをさせてやるなどとうそぶき、自らの経歴を〝保険〟に仕立てあげた変わり者の詐欺師と。
神か悪魔か、どちらにせよ時間はもとには戻らない。
賽は投げられた。自分も金家も引き返せない一歩を踏み出したのだ。
『アファーマティブ・システム』の理念が公に語られたいま、これからのことを予測するのは困難だが、今日明日で世界が変わるということもあるまい。
まずは身の安全を確保し、当面の落ち着き先を見つける。岩戸たちと組めば、そこそこ大きい事業も始められるだろう。狙い目はどこか――それを決めるのは、新しい〝システム〟の先行きを見極めてからでも遅くはない。
そう、いまの自分は変化の最前線に立っている。日本でもロシアでも、上の世代の後始末をさせられてきた自分に、今度こそ大波に乗れるチャンスがめぐってきたのだ。その道筋を照らす議事堂中継の声を背に、谷沼は空港の広い空を飽かず眺めた。ひっきりなしに離発着する旅客機の向こうで、一番星が遠い光を投げかけるのが見えた。