(彼らの怖れは理解できます。かつての共産主義が一党独裁の権力闘争についやしていったように、どう再構築しても社会は必ず支配構造を作る。数において劣るELダイバーたち、それも既存の価値観に与しない者たちが市場に流入した時、どのような混乱が引き起こされるか。効率より全体の底上げが優先された結果、世界の進歩が停滞するという意見も無視はできないでしょう。確かに私たちは貧しく、教育レベルも低い。益のない代理戦争に投入され、まともな政治体系を持ったことがない未明の民です。でもだからといって、国際サイバーテロの巣窟という濡れ衣を黙って着続けるつもりはありません。
ガンプラバトル・ネクサス・オンラインでネットワーク革命が実現しても……いや、そのような時代だからこそ、情報操作はより巧妙に為されるようになっています。以前の私たちなら、何もできなかったでしょう。謀略にさらされても、現実世界に訴える手段がなかった。それ以前に、世界が自分たちをどう見ているかなんて知りようがないし、自分たちの世界の外に世界が広がっているすら実感できない。無知を無知と恥じる知識もないまま、〝向こう岸〟の地に縛りつけられていたのですから。
でも、いまは違う。私たちひとりひとりの手に、世界と渡り合うための道具が行き渡りつつある。もう誰もそれを止めることはできない。私たちの声を封じることはできないのです。それを拒絶することは、ELダイバーの進歩を妨げ、自分で自分を檻に閉じ込めるのに等しい。人も、世界も、そしてELダイバーも絶えず変化し続けるものです。ひとつの考え方、ひとつの〝システム〟を絶対視して、己を、世界を規定してしまうのはもったいないことです)
マイクに吹き込まれた自分の声が拡大され、ドーム型の天井に蓋をされた広い議場に反響する。額を流れ落ちる汗を拭いたかったが、余計な挙動で聴衆の気を逸らすわけにはいかなかった。ミカヅキは右手を振り上げ、故国の息吹きを頭上のスクリーンを指し示した。
「もう一度、これらの写真をよくご覧になってください。コロニーの外に出たこともない私たちと、先進国エリアの方々との距離は遠い。ELダイバーと捉えるのも困難な壁に阻まれ、いまは別の世界を生きている。でも『自分にとって大切なもの』は変わらないはずです。国も、民族も、肌の色も、宗教も、そして私たちも関係ない。自分が自分であるかぎり、そこに区別はありません」
微かにエコーがかかった声音が、張り詰めた議場の空気を震わせ、じっと動かない聴衆たちに吸い込まれていく。まだ態度を決めかねているのか、出入口付近で立ち尽くすばかりの者もいるが、大方の代表たちは自分たちの席に戻り、真剣な面持ちをこちらに向けている。去る者は去り、残る者は残って、議場にいる人の数は先刻の7割強といったところか。彼らだけでなく、この声は報道機関を介して世界中に届いている。先進国の支部にも、後発国の支部にも。満足な教育も栄養も与えられず、闇の底で這いずり回る10年前の自分にも。その重圧を真正面に受け止め、ミカヅキは壇上にしっかと足を踏ん張った。
「知を持たされてこの惑星に生まれた、ひとつの種。愛することの歓び、失うことの悲しみを知り、哀しみを遠ざけるために社会を、歴史を紡いできた。理想を描き、理想に向かって歩き続けようとする〝心〟を……己の内に〝神〟を持たされた唯一の種です。でも誰もが同じ種と認識するには、人間は広範に散らばりすぎたのかもしれません。この五感に比して、外の世界はあまりに広い。人間ひとりひとりの存在はちっぽけでありすぎる。こうしてみなさんも向き合っていても、私は不自由を感じています。言葉は、この〝心〟から生じる想いを半分も伝えてくれない……」
踏ん張ったはずの足がふらつき、声がかすれた。演壇に両手をついていなければ、倒れてしまいそうだった。
みんながこちらを見ている。聞いている――でも、何人に伝わっているものか。
こんなに重ねても、言葉が足らない。
ここに至るまでの経緯。
犠牲になった者たち。
命がけで戦ってきた者たちの想い。
すべてを伝えきる言葉なんてない。自分ひとりで世界と対決するなど、どだい不遜な話ではないか。
限界だった。心も体も、いまに擦り切れそうなのがわかる。水を飲んでひと呼吸入れるという知恵も働かず、ミカヅキはしばし壇上で棒立ちになった。
頭が空白になってゆく。
次の言葉がでてこない。
もはや焦るだけの気力もなく、その場に膝をつきそうになった刹那、背後からのびた手がふわりと腰を支えた。
〝A〟に近しい匂いと体温が傍らをよぎり、冷えきった心身にとろ火のような熱を灯す。
会ったことのない、しかし懐かしい温もり――〝A〟の兄さんか?
なんの抵抗もなくそう思い、傍らに顔を向けようとした時には、反対側から伸びた別の手がミカヅキの背中をぽんと叩いていた。
聞いている。聞こえている。
福田の体温を感じさせるなにかが耳元で囁き、大きな手のひらでしっかりと背中を支える。伊豆の別荘で1度だけ会った呂名哲郎の体温、他にも会ったことのない無数の体温が背中から腰に行き渡り、ミカヅキは両足をぐっと床に着け直した。
彼らも聞いている。
伝わっている。
エイジやミーユ、〝A〟の声が自分のそれと一緒くたになって喉元にこみ上げ、「だからです」というひと声になってほとばしった。
「だから人はそれぞれの国、民族を拠り所にして社会を造ってきた。同じ言葉、同じ文化を共有できる同胞にと寄り添い、根を張り、共通の目的に向かって団結することを覚えた。そして、それぞれの〝神〟が命じるままに文明を育み、法を作り、他の集団に対しては警戒心を持つようになったのでしょう。もとはひとつの種であることを忘れ、そこが自分のたったひとつの居場所だと信じて。
しかし、100年前と違って、いまの人間には世界を共有する技術があります。適切な支援とツールさえあれば、私たちELダイバーと呼ばれる者たちも自分の想いを世界に伝えられるのです。それはあなたの家族と、隣人と、あなた自身ともさして変わらぬ想いのはずです」
それでいい、と言うふうに背中を支える複数の温もりがゆらめき、遠ざかっていく。
もう支えてもらう必要はなかった。彼らの1部である身を壇上に立たせ、ミカヅキは世界と向き直した。
(未来に行き詰まりを感じている先進国の方々、成長の鈍化を恐れる新興国の方々、世界の大半はいまだ無明の中にあると知ってください。そこにもあなた方と変わらない人間が、ELダイバーたちがいる。新たな可能性が眠っているのです。
独りで絶望する必要はありません。人間の脳がそうであるように、この惑星にはまだ使われていない力が……〝才能〟がたくさん滞在している。従来の考え方では解決しなかった地球上の諸問題は、その〝才能〟たちと共有することで解決の糸口が見つかるかもしれません)
己の力を言葉にして出しきろうとする少女の頭上で、遠い国から届けられた『いちばん大切なもの』たちが星のように輝く。
伊豆高原の別荘の一室。亡き父の書斎でテレビ越しにその光景を見つめながら、呂名正彦も『いちばん大切なもの』を膝に載せていた。
膝にかけられた写真のひとつ、古い時代に撮られたものだろう。博司の死後、事実上消滅した夏の宴だが、どういう事情で集まったものか、この写真には一族の主だった者たちがそろって写っている。自分も、瀬奈も、まだ深雪を授かる木城社長も。少年だった頃の信彦と福田、そして生まれて間もない英一も。彼らに望みを託し、世界を生きてきた呂名哲郎も。
「あなたの孤独は終わったよ。お父さん……」
呟いた声が震え、写真の中の父が滲んだ。あなたをまた父を呼べる日が来るとは、少し前までは想像をしていなかった。人も世界も、絶えず変化している。予測してしきれるものなどなにもないし、絶対不変の〝システム〟も存在しない。
そう、これでひとつの時代は終わった。
そしてここから始まるのだ。各々の〝神〟に促され、真実の理想郷を目指す人々の長い旅が――。
その行き交う先を、この目が見ることはない。だが英一が見てくれる。それでも足りなければ、彼の子が、その孫が、はるかに遠い約束の地をきっと見届けてくれる。いま、父の代わりに時代の終わりに立ち会っている自分のように……。その瞬間には英一の無事を確信しはっている己を不思議とも思わず、呂名は無条件にそう信じ、味わったことのない解放感に身を委ねた。スピーチはいよいよ終盤の気配を漂わせており、壇上のミカヅキが懐から1枚の紙幣を取り出すと、一同にかざす姿が滲んだ視界に映った。