(おまえたちの方舟に乗るつもりはない)
閃光。
<ターンX>が分離した手足から放たれたビームが<ガンダム>へと降り注ぐ。コクピットモニターが何回も振動し、エイジはうめき声をあげた。
<ガンダム>の右腕はビームで吹き飛ぶ。その次に立て続けにビームが命中し、<ガンダム>の全身の装甲へ命中し、ぼろぼろにしていく。
その間にも機体からの損害報告がモニターの隅に速い勢いで流れていく。
離脱しようにもブースターもスラスターもまともに動こうとも動けず、「お構いなしだな……!」と呻いたエイジは、もう取り繕う余裕もなく腕時計を覗き込んだ。
午後5時17分。
ここでマイケルと戦ってからすでに1時間近くが経つ。
そろそろ一報が飛び込んでいい頃合いなのに、なにをぐずぐずしてやがるんだ。
ひとり焦れるエイジをよそに、英一は(僕たちを倒しても無駄だ)と声がした。<ターンX>の分離攻撃がしても、英一からの声が聞こえる。なんともなく、エイジは安堵の息を吐いた。
(何度でも言う。ぼくはなにもしていない。『アファーマティブ・システム』が目覚めたのは、それ自体の意思だ。僕たちが消えても、人類という全体の意思に従って方舟は動き出す。あなたが否定したところで、古き人類の神々もその一部だ)
英一は続けた。(エイジさんの見解は正しい。こうしている間にも、彼らはよい席をとろうと動き出している。あなたのことなど気にせず――)
(黙ってもらおうか)
無線からマイケルの声が降りかかる。
<ターンX>はゆっくりと分離した四肢を五体に戻して、<ガンダム>の面前に降り立った。<ターンX>は背中のバックパックからビームライフルを取り出し、引き金そのものに触れる。機体の指先がほんの少し力を加えただけで、発射されたビームが、<ガンダム>のコクピットを貫いてしまう。
クソ、まだか。
無駄を承知で腕時計を見やり、頭上に浮かぶ<ターンX>に飛びかかるタイミングをうかがった。だが、損害がひどく、ボロボロになった<ガンダム>がどこまでやれるか。
と、その挙動を察したらしい<ターンX>のツインアイが光った。画面のマイケルも、併せて動いた唇が笑みの形に歪んだ。
あなたにはすっかり騙されたが、これは互いに命を質にした一戦だ。私に勝てなかった時点で、あなたは最初カら敗けている――。ほとんど常軌を逸した顔が無言のうちに言い、エイジはレバーを握ったまま、完全に動けなくなった。
悔しいが、間違ってはいない。
『アファーマティブ・システム』が目覚めようが目覚めまいが、この戦いに負け、英一を失えばエイジの敗北は確定する。見境をなくしているようで、こいつはしっかり勝ち負けの計算だけは働かせているのだ。無益な行為とわかっていても、他に収支を取る術はないと断定する頑迷な精神とともに。
もはや脅しではない。コクピットから這いつくばって許しを乞いても、マイケルは自分を敗北させるためだけに引き金を引く。話せば通じ合えると手前勝手に期待して、是が非でも<ターンX>を止めようとしなかったこちらのミスだ。
エイジは無意識に腕時計に手をやり、左の手首をわしづかみにした。
まだか、まだなのか。
何かのまじないのように腕時計を握りしめ、無機質な<ターンX>の顔と睨み合った刹那、通信音が場違いに軽い着信音を鳴り響かせた。
びくりと瞼を震わせると、ウインドウの向こうのマイケルはモニター前部を手で動かし、通信ボタンを押したようだった。議事堂中継で上を下への騒ぎになっているはずなのに、マイケルへの通信は一度も鳴っていない。たぶん、外部からの通信は一切絶っているようになっているのだろう。今この瞬間に、恐らくは緊急時にのみ使用された通信が鳴る。
逸る胸を押さえ、エイジは注意深く映像の中のマイケルの表情をうかがった。ひどく乱れた画像のマイケルは、(……なんだと?)と低い声がその喉から絞り出され、こちらをにらみ据えていた碧眼が右側に向いた。
(どこのバカだ。帰らせろ。何機来ようと関係ない。聞かないなら、うちの運営に連絡させろ。ジャニーンに伝えて通信を……なに? 強硬案件?)
はっと息を呑んだ英一が、こちらを見る。
どうにか間に合ったようだが、まだどう転ぶかわからない。何を……と目で問うた英一には答えず、エイジはマイケルのみを注視し続けた。(わかった。とにかくこのエリアには入れるな)と硬い声で言い、マイケルは怒気を孕んだ瞳をこちらに据え直した。
(運営専用であろうとここの兵士たちには、ここのエリアには入れないよう警備させてある。自分たちには権限がないと押し通せ。モビルスーツ隊主任はそこにいるな? ジャニーンにも伝えて、すぐに警告を……なんだって? どうして彼らがこちらに降下してくるんだ。部隊は――)
そこまで言って、マイケルは不意に表情を凍りつかせた。なにか思い立ったのか、殺気を新たにしたマイケルの目が再びこちらに向けられる。無言で肯定したエイジと視線を絡ませ、しばし沈黙したマイケルは、(命令は変わらない。ここには入れるな)と落ち着いた声を発した。
(手段は問わない。少しでも多く時間を稼げ。すべての責任はわたしが負う)
通信を切り、低く長い息を吐く。なにか言おうとした英一をエイジは制した。エイジひとりに直視したマイケルは(つくづく食えない人だな、あなたは)と唸るように言った。
(日本の運営の治安部隊が大挙して降下してきたそうだ。周辺エリアは大変な騒ぎになっているよ。どういうわけか、ここへ向かっているらしい)
英一の顔が微かにこわ張る。<ターンX>のビームライフルの銃口をそよと動かさず、(妙だとは思っていたんだ)とひきつった笑みを頬に刻んだ。
(さっきのスピーチで、例の会話記録にまるで触れなかったのはなぜか。最後の最後に、自分たちの命を守る保険に使ったというわけだ)
いつでも引ける引き金に<ターンX>の指が乗せ、認めろと言外に伝えたマイケルの視線が険しさを増す。すでに部隊が展開しているなら、ここに到着するまで2分弱。それまで真相を悟らせず、刺激もせずに。汗ばんだ手のひらを握りしめ、エイジは慎重にマイケルの目を見返した。
(外交に抵触する案件につき、緊急の鎮圧を行う……下の連中は、そんなような事を言っているそうだ。どういうわけか、ここに部隊が移動してきているらしい。アメリカ運営も謀議に与したと証明する例の記録は、確かに立派な外交案件だ。ここで禊ぎをしておかなければ、国の権威が失墜する。あのスピーチを世界中のダイバーが聞いた後では、特にな。スピーチを終えると同時にミカヅキが会話記録を運営に提出する。運営の後押し付きで、当局が動かざるを得ない条件を整えて……。まったく大した頭だ。まったく敵対するのは、実に惜しいな、エイジさん)
「ゲームオーバーだ」
これ以上の沈黙は、逆に相手を激させてしまう。エイジはとっさに口を動かし、薄氷の上に飛び降りた思いでマイケルを凝視した。ぐっと目を細めたのも一瞬、マイケルはひきつれた笑みを白い顔に浮かべ直し、(そうは思わない)と冷静な声を返す。
(わからないか? 日本の感覚ではどうだか知らないが、早すぎるんだよ、日本の運営部隊がここに到着するタイミングが。仲間が協力したにしても、不自然なほどに……。英一くんも言っていただろう。ここに住まう古き神々も、すでに新しい方舟で椅子取りゲームを始めている、と。彼らは承知しているんだよ。承知した上で、部隊を寄越させた。自分たちの不利になる証拠を消し去るために」
わずかに肩を震わせた英一がこちらを見る。エイジはマイケルを見つめる目を動かさなかった。
(議事事務総長から治安部隊へ、治安部隊から、場合によってはFBI、CIAへ。その連絡網のなかにフェアチャイルドの人間はいると、なぜ考えなかった? 彼らの承知なくして、ここのエリアへ来れるモビルスーツはいない。いたとしたら、モビルスーツに乗ったハンターだ」
不完全なセンサーが飛行音を拾ってくる。やっと到着――だが、マイケルが止めを刺すのに1秒とはかからない。こちらを見た英一の蒼白な顔を視界の片隅に捉えたエイジは、意識してマイケルと視線を絡ませ続けた。「自分で死神を呼び寄せるとはな……」と呟き、マイケルはこわ張った顔をふっと弛緩させた。
(まぁいい。これで何もかもさっぱりする。それとも先に、あなたたちを始末しておけば、私ひとりぐらいは助かるかな?)
気が抜けたように見えたのもつかのま、下がり気味だったビーム・ライフルの銃口がぐいと持ち上がり、殺気をみなぎらせて<ガンダム>を直視する。
遠くで飛行音がだんだんと強まり、発砲音がぶつかる音、ビームの発射する音が錯綜し、森閑とした場の空気を不穏に共振させる。永遠にも思える数秒が過ぎたあと、(あり得んな)と苦笑した顔をうつむけ、マイケルは<ターンX>が手にしているビーム・ライフルをゆっくり下げていった。
「何十年分の膿を清算するのに、わたしだけ落伍者の汚名を着るというのも癪だ。ゲームオーバー……認めるよ)
ビーム・ライフルを、バックパックに戻すよう<ターンX>を操作する。最後の一矢を報いられた喜悦と、自らも処分される側になった皮肉。両方を受け止め、その顔には自嘲ともつかない笑みがあった。
火線が向こうのビルの向こう側を貫通し、溶けたビルの鉄骨が横に折れて崩れ落ちた。
飛行音がますます強まる。
マイケルは諦念した体でその場に立ち尽くし、エイジもひとつ諦念の息を吐いた。
やっぱり、こうなるか。
そのまま座り込んでしまいそうな徒労感を抱えながら、「あんた、本当になにもわかっていないな」と乾ききった喉から絞り出す。
「終わったのはあんたとのガンプラバトルじゃない。俺のガンプラバトルさ」
自嘲を吹き消し、マイケルはすがめた目をこちらに向ける。もう説明するのも億劫だったし、その暇もなかった。次の瞬間、ライフルを構えた黒いモビルスーツ<ジェスタ>の部隊が降下してきて、「全員、その場から動くな!」という怒声が外部スピーカーから響き渡った。