振り向いて、最初に目に留まったのは、<ジェスタ>がこちらに向けられた銃口の黒い穴だった。量産型モビルスーツのライフルでしかないのに、その存在感はすさまじい。それを構えるモビルスーツの視線より強く、視界に穿たれた穴が体の奥深くに突き通り、神経という神経を硬化させてゆく。抵抗の気力を吸い取り、魂そのものまで呑み込んでしまうような、死という異界に直結する昏い穴――。
<ターンX>の性能で簡単に倒せるはずなのに、それを恐ろしいと感じる自分がいる。すべてを失って生き続ける事こそ苦痛、そう断じて疑わなかった身を竦ませ、心底怯えている自分がいる。一瞬前の覚悟はもちろん、先刻までライフルを向ける側だったことすら頭から消し飛び、マイケルはコクピットの中で考える間もなく両手を挙げた。
銃口と一体化させた視線を左右に振り、日本のエンブレムを胸につけた<ジェスタ>が2機、互いの死角をカバーしながらビルの影へと隠れてくる。同じ<ジェスタ>らが3機、4機とあとに降下していく。向こうでは警備主任の乗る<GBN-ガードフレーム>が、<ジェスタ>の持つ大振りのナイフにコクピットを突きつけられている光景があった。
抵抗する素振りもなく、護衛対象である<ターンX>にちらと顔を向けもしない。手段を選ぶなと命じたのに、抵抗せずに降伏したのか。鎮圧部隊が相手では仕方ないと……いや、このエリアに侵入を企て、実際に土足で踏み込んできた者はかつていなかった。それぞれ従軍経験があるダイバーでも、彼らはここを守るために本気で戦ったことは一度もない。
所詮は張り子の虎――金で買える忠誠の強度はこんなものか。
夢から醒めた思いで実感するうち、安全確認を終えた<ジェスタ>たちが次々とライフルを腰の兵装ラックに収め始め、マイケルはまた拍子抜けさせられる羽目になった。
突撃と同時に、偶発事故を装って全員を撃破。鎮圧部隊の<ジェスタ>に乗ったハンターなら、それがいちばん妥当なやり方であるはずだ。この自分を殺すな、などという達しが上から出ているとも思えないが、どうするつもりだ? どだい、これから捕まえようとという相手をあらためようともせず、早々にライフルを収めるというのは、普通の隊員にしてもうかつではないか? 恐怖で硬直した頭にそれらの疑問が滲み出し、マイケルは目だけ動かして、モニターの向こうの<ジェスタ>たちの動向をうかがった。
なにかやりとりをしているのか、<ジェスタ>たちはろくに見ようとしない。試しに挙げていた手をゆっくりと下ろすと、1機の<ジェスタ>が素早く頭部を動かしてきたが、それだけだった。咎める者も、こちらに注意を振り向ける者もいない。端からリスクを度外視している彼らの態度に、マイケルは戸惑い、コクピットのレバーがじわりと重みを増す錯覚にとらわれた。
今なら、こいつらを片っ端から倒すことができる。無論、倍のビームを喰らう結果になるだろうが、この油断のしようはそういうことだ。いったいなんだ? と再三の口中に結んだ途端、レーダーに複数の反応があった
<ジェスタ>とは違う、何の変哲もない<ジェガン>でしかないが、エリアを見渡すそのバイザーアイには妙な威厳と圧力がある。モビルスーツの機種も<ジェガン>だけでない、風体はどれも大同小異だ。特にこうした場では、その圧力は役所のような存在感を際立たせる。この<ジェガン>が指揮官かと思い、マイケルは<ターンX>の機体をそちらにむけた。
どういうことだ、と詰め寄りかけて、<ジェガン>のコクピットが開く。装甲板の上に小さい体が素早くエリアを見渡し、ある一点に視線をとどめて立ちすくんだように足を止める。それきり動かなくなった女のこわ張った顔を見て、その視線を一身に受け止める者の横顔をも見たマイケルは、ひとつ疑問の回答を得て脱力する気分を味わった。
そう、ここに部隊を誘導したのはあの<ジェガン>の女ダイバーだった。そう、こんなことができるのは〝対策室〟しか思い当たらない。この中のどのモビルスーツであれ、ハンターはそう理解した上で行動しており、今この場で手を下すつもりは端からないのだろう。まずは<ジェスタ>のダイバーの皮を被ったまま対象を収監し、その上で手を下す。あらかじめ作られた筋書きに従って、自分たちは意図的に放置されているというわけだ。
そうとも知らず、〝対策室〟の女は微かに潤んだ目をフェアチャイルドタワーへ向けている。あふれ出しそうな感情を押しとどめ、呂名英一も熱を帯びた視線を女に返す。
駆け寄りたいのを堪え、互いに頷きあった顔に再会の喜びを確かめる男女……なんだ、これは。
まったくもって、嫌になる。
これぞ茶番という以上の感想はなく、マイケルは見つめ合う両者を視界の外にしたが、思えばこの2人の間に働く磁力こそ、今回の騒動に火をつけた最大の要員なのかもしれなかった。
〝財団〟の御曹司と、〝対策室〟を長年務めてきた女――転じて〝財団〟の敵たる〝A〟と、その守護者たる番犬。両者の関係は結果から憶測するよりなく、いまだその詳細は明らかになっていないが、あの女の協力なくして〝A〟の神出鬼没な行動はあり得ず、事態がここまで拡大することもなかった。呂名理事長の謀反も、〝対策室〟の利敵行為も、煎じ詰めればこの2人に端を発していたと言えなくもない。〝財団〟の理事選出、〝対策室〟の人事、どちらも完全に把握していたはずなのに、なぜこれを防げなかったのか。どこで間違えたのか……と考えかけ、詮無いことと苦笑したマイケルは、茶番という言葉ひとつを抱え直してコクピットのシートに体を深く沈み込んだ。
もうどうでもいい。<ジェスタ>のダイバーのひとりか、それとも、この多種多様のモビルスーツのなかの1機か。特定はできないが、部隊員の皮をかぶったハンターは確実に存在する。
ここに来ていないのだとしたら、どこかでこちらが連行されるのを手ぐすね祖いて待ち受けていることだろう。でなければ、たとえ女の誘導があったにせよ、モビルスーツ隊ごときがこのエリアの中枢に踏み込んでくるなどあり得ない。
〝対策室〟が行動を起こすには令状が不可欠で、その令状を発行するGBN司法長官はフェアチャイルドの身内だ。どんな訴状があろうと、フェアチャイルドの名を汚すような令状が発行されるはずはない。
自分やエイジと同様、じきに英一もこの世から消える。〝対策室〟の女も無事では済まないだろう。長き年月にわたるゲームの終焉が、男女の色恋沙汰によって引き起こされ、その悲恋をもって収束するというなら、いっそあきらめもつく。自分ひとりが敗北したわけではなく、ここにいる全員が敗者になるという話なのだから。
が、そうであればなおのこと、無様な幕引きにはしたくない。胸中に疑った一念に衝き動かされ、マイケルは苦笑を拭い去った顔を上げた。一向にこちらを見ようとせず、近づいてこない女に焦れ、<ターンX>を動かして足を踏み出し、近づかせた。
外交案件のなんのと屁理屈をつけ、〝対策室〟の誘導に乗る恰好で鎮圧部隊を差し向けたのは、こちらに逃亡の危険性があると踏んでのことだろう。保身を人生にしている本家の連中らしい発想だが、逃げ回って追い詰めているような真似をするつもりはない。どの段階で毒を盛られるにせよ、こちらから部隊の懐に飛び込み、知る限りのことを吹聴するぐらいのことはしてやる。できはしない、と囁く弱気を噛み潰し、マイケルは自分を意識の外にしている<ジェスタ>の1機に近づいた。なんの御用ですか、と皮肉交じりの口を開きかけて、不意に間に入った別のモビルスーツに行く手を遮られた。
青くカラーリングにされた<ハイザック>だった。こちらを見上げるモノ・アイを見返してから、マイケルは傍らに立つ女に視線を移した。こいつも〝対策室〟のダイバーか? と目で問う間もなく、「マイケル・プログマンさんですね?」と外部スピーカーで丁重な声がかけられ、裏腹に鋭くなったモノ・アイがマイケルを射た。
「お騒がせして申し訳ありません。わたくし、インターポールの……あ、ダイバーネームはツカモトと申します」
がん、と頭を殴られたような衝撃が走り、足のペダルが脱力するのが感じた。自分でもひの衝撃の意味が判ぜられるまま、「インターポール……?」とマイケルはおうむ返しにした。<ハイザック>の胸部のコクピット・ハッチが降り、ツカモトと名乗った背広男が懐から身分証を提示し、
「日本当局が出した逮捕状に基づき、GBNアメリカで公務を執行していただいております。事案の緊急性をかんがみ、このような強硬策を取らざるを得ませんでした。事前に連絡できればよかったのですが、なにせ急な通報なもので……」
「え?」
「いや、戸惑われるのはもっともです。大方、日本の商社か財界人を名乗って接触してきたのでしょう。6年ほど前に日本国内で指名手配されていながら、これまで尻尾を出さずにのうのうと犯行を重ねてきたんですから、相当に狡猾な手合いです。被害に遭われる前で幸いでした」
ペダルが片足からずれ落ち、ずるりと滑った体が奈落の底へと落ちてゆく――気がした。先刻の衝撃の意味がようようわかり、マイケルはりつ然と周囲を見回した。
まるで<ジェスタ>らはこちらを見ていない。他のダイバーともども、<ターンX>の前にいるガラクタ同然の<ガンダム>を凝視している。振り向けば、しっかりと<ジェスタ>らに囲まれて、その者はコクピットから降りていた。
「エイジ。いや、金家栄治だな?」
投げつけられた言葉に、その者――金家栄治が無言でうなずく。
「日本の警察より、詐欺の容疑で逮捕状が出ている。国家逮捕手配書に則り、我々GBNアメリカ支部があなたを逮捕する」
<ジェスタ>が片膝をついた降着姿勢を取る。そのダイバーがコクピットから降りると、エイジの背中に回り、ベルトから手錠を取り出す。金属がかみ合う硬い音が小さく音がした。同時に<ガンダム>のそばに近づく男をマイケルは見た。
英一だった。彼にも予想外のことであったらしく驚きと戸惑いを滲ませた目がエイジを見て、次いで〝対策室〟の女を見る。その時だけは英一から視線を外し、女は怒ったような顔でエイジを注視する。
ふて腐れた顔を両手を塞がれていたエイジは、その視線に気づいたのだろう。顔を上げると、女と英一を順々に見つめ、決まり悪そうな笑みを口もとに刻んだ。次いでマイケルの方を見るや、笑みは笑みでも不敵と呼ぶべき表情がその顔に立ち現れ、ひたと据えられた視線が声なき声をマイケルにだけ聞かせた。
言ったろ、終わったのは俺のゲームだって。
一瞬、鋭く閃いた眼光がそう言い、すぐになにごともなかった顔で逸らされる。頭の奥でなにかが連鎖的に断ち切れ、マイケルは今度こそ本当に体を傾かせた。
やられた。またしてもハメられた。これこそが、エイジの隠し持っていた最後の手札。詐欺師という自らのキャリアを利用して、この男はまんまと――。
「少々、複雑な事情のある事案でしてね」
<ハイザック>からの通信で、ツカモトがマイケルにのみ聞こえる声で言う。身が崩れないようにするのが精一杯で、マイケルはその声を聞き返すこともできなかった。
(告訴人は日本人、逮捕状を発行したのも日本なんですが、告訴事由そのものはロシアで起こった事件なのです。あの被疑者……本名は金家という男ですが、彼がロシア政府の関係者を名乗って、日本企業に詐欺を仕掛けましてね。まぁ天文学的な額の金を詐取したわけですが、その告訴人、被害に遭った企業の経営者の話によりますと、どうも金家ひとりの犯行ではないようで……。いや、こういう大型詐欺では、背後に大掛かりなグループが通例なんですがね。告訴人の話と、事件の経緯から判断して、本物のロシア政府高官が関与している可能性が浮上してきたのです。それも、かなり地位の高い人物が)
嘘だ。
空白になった頭にその一語が滲み出し、マイケルは呆然とツカモトの顔を見直した。
告訴人は谷沼悟志。グランプラスのCEОに違いないが、告訴内容は実際の事件とは異なる。事件後、姿をくらませたかと思いきや、いったん日本に帰国し、ハワイで再び消息を絶つという奇異な行動を取った谷沼。1度はカモにした相手を、エイジがどんな手腕で仲間に引き込んだのかは定かでないが、谷沼は明らかに虚偽の証言をしている。あの事件に、本物のロシア政府高官が関与したなどという話は金輪際ない。にもかかわらず、真に受けた日米当局が目の色を変えるのを計算に入れ、エイジは谷沼に自らを告訴させた――。
(ご存じの通り、米露関係は冷え込んでいる。そこにこの事件……。金家を捉えて、ロシア政府高官の関与を吐かせれば、アメリカ政府にとってはロシアに対する有効な外交カードになります。それで、日頃はそれぞれの国の事情であまり機能していない犯人が……まぁ、それで国際逮捕手配書を、即時発想することとなりまして。金家がニューヨークに滞在中との情報を受け、鎮圧部隊の方で網を張っていたところ、今日ここであなたと会談するとの通報がもたらされたのです」
言いつつ、ちらと傍らに注がれたツカモトの目が、その通報者を暗黙の裡に指し示す。マイケルはその者の顔を見つめ、「……なるほど。確かに重大な外交案件だ」と返しておいた。女は合わせた視線をそよとも揺るがさず、「ご理解いただければ幸いです」とツカモトが慇懃に応じる。
(会談が終わってからでは逃亡される逃亡される危険性がありますし、下手に連絡をして、我々が踏み込む気配を金家に感づかれるわけにもいきません。はだはだ不躾ではありましたが、GBN委員長と緊急協議のもと、長官に令状を出してもらい、今回の立ち入り捜査に踏み切りました。ご無礼をあらためてお詫びします。今回の執行に対する異議申し立て、執行の際に破損した建造物の弁償などに関しましては――)
「その告訴人の経営する企業が、うちと関りがあることはご存じないのでしょうね」
(は?)
聞き返したツカモトの目が思い切りすがめられる。無理もない。〝財団〟傘下の企業は、いずれも公的にはフェアチャイルド財閥とは関わりなく運営されており、金融関係の捜査官のプロでもなければ両者の関係を立証するのは難しい。詐欺の被害を申し立ててきただけのいち企業を相手に、そこまで裏を取る必要はないし、捜査陣はロシア政府高官という架空の事件関係者にすっかり気を取られている。そうでなければ、GBN委員長は最初から協議に応じることはなく、長官も令状を出すような真似はしなかっただろう。
フェアチャイルド財閥との関わりをまったく想像できなかったからこそ、彼らはこの立ち入り捜査を認めた。合衆国政府にとっては有益な外交カードを入手し、かつフェアチャイルド財閥が詐欺被害に遭うのを未然に防ぐために。詐欺師の会談相手が本家の人間だったら、彼らの対応もまた違ったものになっていただろうが、所詮は外様のプログマンが関わっているだけのことだ。彼の面子と、ロシアをやり込める外交カードのどちらが重要かは考えるまでもない。むしろ彼は感謝するだろう。インターポールが踏み込んできたおかげで、詐欺被害に遭わずに済んだのだから……と、忠臣なりの計算を働かせて。
ハワイで姿を消す前、日本に立ち寄った谷沼の不可解な行動もこれで説明がつく。おそらくは日本の巨大フォース、永琳組との戦いを始めて間もなく、谷沼を告発させ、国際逮捕手配書というチケットを入手していたエイジ。その時から彼を追い続け、ニューヨークまで誘導されてきたインターポールのツカモトは言うに及ばず、しっこえに当たるアメリカの関係当局にとっても、数分前に議事堂総会で起こった出来事は意識の外であるには違いない。今、この場に踏み込むことがどんな結果をもたらすのか、国際手配犯の確保だけが任務の彼らには想像が及ばず、また政府中枢から守備隊にまで根を張るフェアチャイルド財閥のネットワークにしても、件の手配犯と進行中の事態を繋げて考える情報を持ち合わせていなかった。
エイジや谷沼といった個人名まで把握し、事態に対応していたのはマイケルに連なる人脈のみであって、国際手配犯たる金家の捜索はそれとは別のところで進行していた。今現在、フェアチャイルドが組織として認識する事項は、その悪らつな手配犯がフェアチャイルド財閥をカモにしつつあるという一事でしかない。ロシアに対して有効な外交カードを入手できるという政府の期待――詐欺師の〝嘘〟に誘発された関係者の功名心が、働くべきチェック機能を無効化されたということもあるだろう。
まさに認識のズレ。大きな音を立ててカモの注意を引き、その隙にカードをすり替える。イカサマの基本に忠実に則り、エイジはあらかじめ脱出のチケットを用意した上で戦いを挑んできた。捨て身で虎穴に入った顔をしておきながら、虎をからめ取るための網をしっかりと仕掛けていたというわけだ。
ようやく全てが腑に落ち、マイケルは笑った。
苦笑というのでは済まない、声をあげての哄笑になった。完璧な敗北があるとしたら、まさにこの事かもしれない。〝対策室〟の女やツカモトはもとより、周囲の<ジェスタ>らも驚いてこちらを振り向けてきたが、気にする神経も働かなかった。マイケルは笑い続け、いや、完敗とは言い切れない、と囁く胸中の声を聞いた。
最後の切り札を手に入れるために、エイジは自分の〝自由〟を差し出した。ロシア高官うんぬんの与太が与太でしかないと証明され、日本に送還されたあとも、彼には決して短くはない懲役が待っている。
相打ち?
そういう見方もできよう。
だが彼の背負っているものと、自分が背負っているものは違う。
家族も、なんの後ろ盾も持たない詐欺師と、家族もあれば地位もある自分……それも、望みもしない職質に縛られ続けてきた男の失うものが、等価である道理はない。痛み分けなどという言葉が成立する関係ではないはずだ。
むら、とどす黒い衝動が頭をもたげ、自分のものとは思えない笑い声がぴたりと収まった。ならばバランスを取らねばならない。これまでの努力を無に帰するほどの損失を、喪失の痛みを奴に与えてやらなければならない。もはやこちらに失うものはないが、奴にはある。
このまま行かせるわけにはいかない――断じて。
断じて。
断じて。
<ジェスタ>に促されたエイジは、手のひらの上に乗るよう歩き出す。その目がなにかを察したようにこちらのモニターを見て、足を止めた刹那、マイケルは<ターンX>の右手の三つ又のクローを開かせた。
目も口もいっぱいに開き、押されたように<ハイザック>のコクピットに後ずさったツカモトの顔はろくに見ていなかった。動き出したぞ! と叫んだ誰かの声も遠い世界のこだまだった。マイケルは開いた右手にエネルギーを集中させ、見下ろしているその手を英一に捉えた。
とっさに駆け寄ろうとした<ジェスタ>の1機を<ターンX>は首をわずかに動かして目で制し、マイケルはレバーのボタンに手をかける。その場にとどまった女の形相が悲痛と悔恨に歪む。右斜めのビルの所にいた<ジェスタ>がすかさずライフルを抜くのを横目にしながら、マイケルは棒立ちになった英一とモニター越しに視線を交らわせた。
<ジェスタ>らが自分に狙いを定め、引き金を引くまでに2、3秒。それまでに英一の体を吹き飛ばすことができる。エイジがどんな顔をしているか、拝めなかったのは残念だが、まぁ仕方がない。これでゲームは私の逆転勝ち……否、いずれなくなる命と引き換えに、奴の〝神〟を奪えるのだから、いっそ勝ちと言えなくもないか。
ひどく静かな英一の目と目をモニター越しに合わせ、マイケルはもう一度嗤った。その体に自機のそれを合わせ、硬直した指先を無理にでも動かそうとして、(マイケル)と穏やかな声音に頭蓋を打たれた。
(もうやめよう。あなたは、ここで落ちゆく人じゃない)
昔と変わらぬ笑みを浮かべ、右手の先の英一が語りかける。ひくと震えたまぶたから一筋の雫がこぼれ落ち、マイケルは泣いていた自分に気づいた。
(あなたにもまだ仕事が残っている。僕たちが間違えないように、したたかな敵であり続けてほしい。古き神々のひとりとして……)
その言葉が一条の光になり、胸を貫いて背中に抜けた。ぐらと視界が傾いたマイケルは、あの会議室に飾られた肖像画の列を思い出した。
宗主ニコラスを始め、アルバート曾祖父やエドモンド祖父らが無言でこちらを見つめている。死してなおフェアチャイルド財閥に影響を残す者たち、揺るぎない自信と誇りをもって世界を牽引してきた神々が、この時はひどく寄る辺ない目を彼らに注いでいた。
あんた、神様を見たことがあるか?
先刻のエイジの問いを反すうし、マイケルはあの肖像画たちを思い出し続けた。
ある。
幼い頃の私に、彼らは〝神〟のように見えた。自分の中にある、形にならない思いを言葉にしてくれるなにか。なぜここにいるのか。これからどうしたらいいのかを暗黙のうちに示し、暗闇の中に一点の光を灯してくれる何か。外様の身分に生まれた男にも、育てるべき野心があってもいいと、彼らはその立ち居をもって教えてくれた。
そのために費やされる努力は決して無駄にならず、お前をさらなる高みに押し上げるだろう。我ら一族は、民族は、そのようにして過酷な世界を生き延びてきたのだから、と。
でも今は違う。彼らは死んだ。とうの昔に死んでいた。ここにいるのは、民族の鎖で繋ぎ留められた亡霊たちだ。繋がりあい、ひとつになりながら、なお孤独な亡霊たちだ。
これからは……これからは――。
先の言葉を紡ぐ時間はなかった。次の瞬間、横合いから飛びだしてきた〝対策室〟の女が英一に体当たりし、その体を覆い被さったまま地面に転がった。あわせて横合いからのびた<ジェスタ>の手が右手を押さえ、続いた2機が<ターンX>の体を押さえつけた。
屈辱も、恐れもなかった。両手をあげ、頭の右側のコクピット・ハッチから降りていくと、雫で縁取られた目を閉じた。
生きている。
亡霊たちと違って、自分はまだ生きている。
これから、なんだってできる。
どこにだって行ける。
この場を抜け出し、自分の神殿を造り上げることだって、きっと。
ひどく心地よい外気の中、歓喜にも似たその思いが全身に拡がり、凍えきった神経をじわりと温めてゆくのが感じられた。