ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第二十一話

「宇宙世紀が開闢して以来、連邦政府は地球の民に向け、次々と宇宙移民へと始めました。その何千年後、月の女王は帰還命令を出したそうです。なぜだか、ご存じですか?」

 ロシアGBN。商業エリア。

 社交辞令の余韻も冷めぬうちの問いかけに、目前のソファに収まるロシア人ダイバーの夫婦が困惑の表情を浮かべる。

 旦那の方がアレクセイバー。

 女房の方が、エルドリアーナ。

 リアルの名前が異様に長いのも、ダイバーネームが長いのもロシア人ダイバーの特徴だ。まったく名前の覚えにくさには辟易するが、仕方がない。目の前にいる顧客を落とすことに重要なのは、いかに相手の懐に飛び込むか、

 いかに自分がためされているか、

 わからせるか、だ。

 見た目はロシア人らしい若者、と表現して差し支えない夫婦の顔を交互に見つめ、質問の意味が伝わるのに十分な間を取ってから、GBN事業部リーダー、谷沼悟志もとい――ダイバーネームであるサトシはおもむろに日本語で継いだ。GBNは、異国の言語を国の言葉に直す機能がある……が、サトシはあえて、それを使わなかった。

「忘れ去られた大地の記憶を呼び覚ますためです。なんだかんだ、地球のことが好きだからですよ、人類は。宇宙根性が身に着いたままでは、宇宙人のまんまですからね。人類の新生には、地球の土が必要ということでしょう。では、このロシアでは、どうか」

 オーダーメイドのロシア軍服に身を固めたアレクセイバーが、聞こうというふうに足を組む。

 一見、地味に見えるエルドリアーナの服もオーダーメイドのロシアの女性用軍服で、腕時計はほぼカスタムモデル、指輪とネックレスは上級ミッションの報酬品。

 2人合わせた金額は、リアルで言うなら5000万ルーブル。ビルドコインで言うなら、400万超といったところか。

 サトシはといえば、顧客になめられず反感を持たれず、かつ30代に見合う中庸策で、既成のスーツに甘んじているが、このリーダー室の調度はどこのGBN支部にも引けを取らない自信があった。

 どれもこれもリアルでは手に入らないブランド物で取り揃えてある。

 ソファはハーマンミラーの本革張り。執務机はモビリアのエグゼクティブ・デスクを使い、無機質になりがちな空間には、ルイスポースセンの照明が遊び心をさえている。

 壁には現代美術の大家、ロスコやステラの作品が無造作に飾られ、スラブ系セレブに好まれるヤッピー趣味を演出する中、応接室のセンターテーブルだけは敢えて、趣向を変え、木目が美しい日本ブランドのマスターウォールを取り入れていた。

 トータルコーディネートを崩してでもオリエンタル趣味を一点、という構図は俗物セレブの浅い知的センスに訴えかけるものがあるし、日本開発の世界的オンラインゲームとしては名刺代わりにもなる。

 母国への愛着を――たとえそんなものを持ち合わせていたことがなくても――さりげなくアピールしておくのも、白人の信用を勝ち取るのに必須の要素だ。家族写真をデスクに飾るのと同じ、とでも言おうか。

が、ロシア人のダイバー、しかもこの金持ちたちを、アメリカやヨーロッパのそれと同一視するのは危険だ。

 灰色がかったアレクセイバーの瞳を正面に捉えつつ、サトシは自戒半分の思いで内心に呟いた。

 無論、彼らとて成金には違いない。

 見栄っ張りで、富に対する執着が強く、その象徴が一堂に会したこの部屋に来ると、つい気が大きくなって言われるがまま張り込んでしまう。

 違うのは、彼らが一様にネットワーク崩壊の激動を体験したものである点だ。

 多くはGPデュエルがサービス開始する時代からGBNへと変わってもガンプラ同士の戦いに明け暮れ、往時のコネと権限を駆使して成り上がった連中だが、中には目前の夫婦のように、優勝商品である現実で得ただっ広い土地が天然ガスパイプラインの通り道になり、土地の役人と組んで儲けた庶民上がりの者もいる。

 ロシアGBNサービス開始直後、ロシアはスーパーインフレと物資困窮の二重苦に見舞われた。

 配給は滞り、店頭からは商品が消え、彼ら庶民は食うや食わずの過酷な機関を過ごさねばならなかった。個人農園でとれた野菜を売り買いしたり、コネを頼って卸業者から直買いしたり、生き延びるための知恵はさまざまだが、もっとも重要な知恵はそれを他人に悟られぬようにすることだったという。

 例えば、生産業者から横流ししてもらうと、小ロットでは譲ってもらえないから、バターなどは一斗缶で手に入ってしまう。当然、一家庭では使いきれず、大半を腐らせる羽目になるのだが、だからといって近隣の家庭に分け与えるのは絶対にタブーだった。無論、ガンプラもだ。

 あの家は物持ちだ、あそこに行けば食料が手に入るという噂が一人歩きして、暴徒に襲われる結果になりかねないからだ。

 飢え苦しむ隣人を横目にしながら、闇で仕入れた大量のバターや卵を腐らせる数年間を過ごした人々が、そこらの先進国の成金たちと同じである道理はない。ガンプラを転売して、金にし、生きるためにはなんでも正当化する一方、ロシア正教伝来の宗教観ですべては神の思し召しと割り切り、自己矛盾を無駄にしない強かさが彼らロシア人の根底にはある。

 国ぐるみの刻苦を経験した分、名より実の精神が染みついている。再生直後の日本を生きぬいた人々も、あるいはこんな目をしていたのかもしれない……とサトシは不意に思いついた。

 そういえば、6年ほど前に他界した祖父は、ふとした折にこんな冷たい目をしていたっけか……。

「GBNによるガンプラバトルの導入から、わずか10年あまり。無論、すべてが忘れられたわけではないでしょう。ご老人の中では、激動時代への郷愁を語る向きもあるかもしれない。しかし多くのロシア人ダイバーたちは、進取の気性に富んでいる。現在の世界において、ロシアが主要なダイバーを輩出してあることに疑いをもつ者はいない。その事実こそが私がロシアに拠点を置いている最大の理由のひとつなのです」

 そんな思考は、脳の片隅で交錯した一瞬の電気信号に過ぎない。次の瞬間には何を考えていたのかも忘れ、サトシは舌に馴染んで久しいロシア語の発音に意識を集中した。

「この10年で中国もすっかり開放されましたが、共産党の一党独占が続いていて、まだ民間のポテンシャルが発揮される土壌は整っていない。その点、自ら民主党への改革をやり遂げたロシアは違います。ほかの先進国がもたもたしている間に、いち早くグローパリズム経済を実践して、大国ロシアの新生を世界中に印象付けた。月の女王が数年かけねば、地球の国家を築けなかったことを、あなた方は少しの時間で成し遂げたのです」

 切れ長の頬が目立つ、エルドリアーナが頷き、そうよね? というふうに傍らの夫を見る。こちらを注ぐ目をじっと動かさずとも、アレクセイバーも満更でもない表情を浮かべている。

 ロシア人の金持ち、しかもダイバーといえば、寡占資本家が代名詞で、長者番付にも載る大物も少なくないが、この夫婦はその足元にも及ばない。

 インターネット事業では世界最大規模を持つサーバー産業、ネットのおこぼれにあずかり、ガンプラを安く仕入れ、高く売る転売商法でちょっとした財をなしただけのしょせんはネット成金である。こういう手合いは、ナショナリズム精神をくすぐってやると大抵、胸襟を開く。

「実際、今世紀に入ってから数年間のロシアの成長はすさまじかった。1900年代末には1880億ドルに過ぎなかった国内総売上が、GPデュエルの導入から2000年代初頭には1兆1850億ドル。外貨準備高も250億ドルが6000億ドルに急増して、国民一人換算では世界最大のドル保有国の誕生です。98年のデフォルト同時から比べれば、株式市場の成長率は1000パーセント。まったく化け物ですよ。ICT企業が殺到してきたのも当然です。我が国のICT企業や若いベンチャー企業もロシアに相次いで進出しましたっけね。日本では2000年代の頭にバブルがはじけて以来、ずっと不景気が続いてしまして、わたしなんかも就職では苦労した口ですが、高度経済時代とはかくあったのだろうという勢いが、当時のロシアにはありました」

 そんな思考は、脳の片隅で交錯した一瞬の電気信号に過ぎない。次の瞬間には何を考えていたのかも忘れ、サトシは舌に馴染んで久しいロシア語の発音に意識を集中した。

「この10年でユーラシアGBN……中国もすっかり開放されましたが、共産党の一党独占が続いていて、まだ民間のポテンシャルが発揮される土壌は整っていない。その点、自ら民主党への改革をやり遂げたロシアは違います。ほかの先進国がもたもたしている間に、いち早くグローパリズム経済を実践して、大国ロシアの新生を世界中に印象付けた。月の女王が数年かけねば地球の国家を築けなかったことを、あなた方は少しの時間で成し遂げたのです」

 アレクセイバーが深く頷き、

「あの頃はよかった」

 そう、低く頷く。

 ロシアGBN―-商業エリア郊外にあるフォースネストに日参し、ぜひオフィスを見てみたいと言わせるまでの関係をようやく構築して、今日、このリーダー室に招き入れてから初めて口にした言葉だった。

 〝財団〟傘下のグループにあって、ロシアGBNの西半分を任された企業、グランプラスのリーダーとしてはここが腕の見せ所にちがいない。

 にっ、と追従した笑みをすぐに引っ込めたサトシは、

「しかしそれも、ブレイク・デカール騒動で吹き飛びました」

 と、一転して重い声で告げた。

「我がGBNの株価は、世界のどの市場よりも急激に下落した。1週間で50パーセントの資産が吹き飛び、市場はストップ安。ブレイク・デカールの影響で、欧米の投資家が一斉に資本を引き揚げたせいです。結局、ロシアGBNの爆発的成長は欧米資本に依存したものでしかなかった。我が世の春を謳歌したダイバーたちの凋落は、痛々しい限りです。それまではルーブル高を背景に、ダイバーが稼ぐビルドコインを介して外国資金を調達できていたのですが、為替市場の混乱でできなくなり、一転して債務超過と資金調達難に直面してしまった」

 微かに唇を噛み締めた後、アレクセイバーは太い息をついて視線を逸らした。そう、あんたも現状に参っている、と谷沼は胸中に呟いた。留学中の息子と娘だったろうか? バカ高い仕送りにも窮していることは調べがついている。そうでなければ、日本人企業、それも投資先のところへ、足をむけることはなかっただろう。

 株主が転がり込んだところで、金が引き出せるわけでもなく、リーダー自らが食らいつく価値はないかもしれない。しかしこの際、贅沢をいってられないのは、谷沼も同じだった。

 一進一退を続ける世界的不況で、〝財団〟の締め付けは日々きつくなってきている。

 つい数週間前にも、GBNの本部を通じて、〝財団〟から本部通達が出され、照合(リコンサイル)事務の徹底が申し送られてきたばかりだ。

 リコンサイルとは帳簿上の記録と、社外資産の動きや残高が一致するかを調べるもので、ゲーム内のビルドコインの保管状況もこれに含まれる。あちこちの株主から簿外取引で金を引っ張っているグランプラスにしてみれば、死刑宣告に等しい業務通達と言えた。

 どうにか粉飾する算段は整えたものの、GBN運営部の検査が入ったらひとたまりもない。先月、久々に帰国して理事長の顔色を窺った限りでは、まだ怪しまれているふうではなかったが、その直後にリコンサイルの徹底が通達されたのだから油断は禁物だった。

 来るときは何の気配も感じさせずに来るのが査察、実務調査だ。今更、巨額の損失を補填できるものではないが、まずは自転車操業に徹し、経営が回っているように見せ続けなければならない。週単位で到来する株主への返済期限さえやりすごせば、何とかなる。

 ここでこの、成金ダイバーらを落とせば何とか……。

 負けてたまるか。

 サトシは息を吸い込み、ソファから立ち上がった。コーヒーを手にしたアレクセイバーに背を向け、執務机の脇を通って窓際を歩み寄る。

「その後、ロシアGBNは政府介入による統制色が強まりましたが、危機を完全に脱するには至っていない。こうなると、ダイバーたちは現金なもので、お歴々の方々はGPD時代を懐かしみ、若者は悪いのはすべて世の中のせいという短絡思考でデモ三昧。まぁそこらへんでデモが起こっているのは、リアルに限ったことではありませんが」

 アレクセイバーの反応は見ず、5階の高さからの大通りを見る。階下は、ロシアのネフスキー大通りを再現しており、今日も、人と車がひっきりなしに往来する賑やかさだった。日本でもすっかり見なくなった路面電車が運ぶ乗客の半分は、ロシアGBN随一の美術館に向かう観光客だろう。

 このGBNロシアの10月は、ヴァーチャルといっても日本の感覚では真冬並みに冷え込むよう再現されている。10月以降は客足が減ってもおかしくないのだが、昨今はシーズンオフを狙った安手の観光パックや低級ミッションが主流になっているため、1年を通じて緩慢な混雑が継続する。ここ、サンクトペテルブルクでは初雪が観測される時期のため、家にこもる人間も多くなるのだが。

 サンクトペテルブルクに居を構える、グランプラスが入居する建物は、貴族屋敷を改装したもので、これは現在のGBNに位置する建造物と変わりはない。ヴァーチャルオンラインゲームの頂点に君臨する、頂点としては似つかわしくないことこの上ないが、ここでは珍しくない話だった。

 インターネット導入後、朽ちるに任せた灰色から本来のパステルカラーに塗り直されたものの、貴族屋敷の中身はほとんどが会社のオフィスかアパートで、いわゆるテナントビルと変わらない使われ方をしている。

 違うのは、用途ごとの区画整理が全くなされていない点で、たとえばグランプラスの階下には普通の家族が暮らすアパートになっており、そのさらに下は貿易商社が入居中と、ひとつの建物の中にオフィスと住居、店舗がモザイク状に入り組んでいる。

 これはロシア革命が起こった際、すべての貴族屋敷が共産党に接収され、人民の住居に解放された名残りであるらしく、ここでは未だに用途に応じた建物が新築されるのは稀だった。建築規制が厳しいからではなく、新築するという発想がそもそも希薄なのだろう。革命後の画一化と、その後のばらばらな間借り生活が体質として染みつき、結果的に古都然とした景観を保っている――サンクトペテルブルクとは、そんな街だ。

 ここに来て、すでに5年。

 市内の不動産物件は慢性的に空きがなく、多くの新興企業が間借りしたホテルの一室をオフィスにする中、グランプラスは〝財団〟の財力とGBNの力を通じて目抜き通りの一等地にオフィスを構えることができた。

 そのこと自体に文句はなく、今更川向こうの金融センターに移る気もないが、谷沼はここが嫌いだった。

この建物が骨董品なら、水道管も骨董品で、蛇口をひねると赤茶けた水が流れてくるからではない。

 安物買いの観光客どもが、1年を通じて押し掛けてくるのも我慢できる。

 GBNというブランドを見学しにくる、現地住民も我慢できる。

 我慢ならないのは、この地にリーダーとして赴任した途端、ブレイク・デカール事件が起こったこと。以来、急減速していた経済が5年経った今も回復する見込みはなく、ロシアが日本と同等の〝終わった〟国になってしまったこと。

 否、その潮の変わり目に立ち合い、巻き込まれ、抜き差しならなくなってしまった己の不運――就職以来の運の悪さが、ここでも発揮されたこと。

 この一点に尽きた。

 サトシ――谷沼が社会に出た時、日本は不況が常態になって久しかった。日本にいては先がないとばかりに、電子通貨取引を志す同窓生たちの多くが上海や香港に飛び立っていくのをよそに、谷沼は、国内で随一のバーチャルオンラインゲーム業界に職を求めた。

 当時は、VR機器を使用したオンラインゲームの黎明期で、ゲーム内通貨を換金して爆発的に利益を生む動きが、頻繁にみられていたし、他にも構造改革の恩恵を期待できる要素は多分にあった。

 実際、2000年の最初の数年間、日本は規制緩和の波に乗って好況を享受し、大物株主に体現される拝金主義に国ぐるみで浸かったのだが、一般就業者には還元されない――というより、還元しないがゆえの好況だった――数字だけの好況は長く続かず、換金ブームは終了。

 サトシも、どうにもならない案件で火傷を負った挙句、失地回復の焦りに駆られて、どうにもならない多額の取引に手を染めることになってしまった。結果、同様の行為に及んだ多くの先人たちと同じ穴にハマり、さらなる負債をつくった。そのついでに手が後ろに回りそうになったところ、祖父が理事を務める〝財団〟に拾われたのだった。

 かつては通産庁で辣腕をふるっていたという祖父が、いかなる経緯で〝財団〟に参入していたのかは知らない。〝財団〟はおろか、『A金貨』という言葉自体それまで耳にしたこともなかったのだから、その一端に組み込まれた当初の驚きと困惑は、カルチャーショックどころの騒ぎではなかった。

 できれば、〝財団〟との関わりは自分の代で終わらせたかった、と祖父は言っていた。だが、お前のなかには金にひかれる魔物が棲んでいる。おまえの父や、兄の中には育たなかったものだ。幸い、今の〝財団〟はお前のような人材を欲している。ここで1からやり直して、魔物と折り合う方法を身に着けるのもよかろう、と。

 誉め言葉ではないにしても、頭から否定する言葉ない。むしろ深い部分で自分を認めてくれている言葉に容器づけられ、谷沼はそれからの数年間をがむしゃらに、文字通り生まれ変わったつもりで働き詰めに働いた。

 既存のオンラインゲーム市場では顔を知られてしまっているので、ほとぼり冷ましの因果を含めて、当時、〝財団〟で開発を進めていた『機動戦士ガンダム』シリーズを軸とした新規開発オンラインゲーム『ガンプラバトル・ネクサス・オンライン』の、海外支部へ。派遣された先が、モスクワに拠点を置いたことで、サトシには幸運にもなった。

 当時のロシアはGBNのアイテム換金導入による高度成長の真っ只中で、通貨取引の難度が低下しており、財を築いた金持ちたちはカネの栽培に余念がなく、寝ていても大口の顧客が転がり込んでくる状態だったからだ。

 サトシはその中で頭角を現し、ロシアでGBN産業拡大に伴って新しい支部が開設される際には、最年少の若さでリーダーに推挙されるまでになった。そしてこのサンクトペテルブルクにオフィスを開き、東のヴァイロン、西のグランプラスからなる二頭体制がスタートした矢先、ブレイク・デカール騒動が起こって、すべてが覆されたのだ。

 いつもそうだった。

 先達が成功へと導いてきた線路が、自分が載った途端になぜか切れてしまう。あと10年、いや5年でも早く生まれてきていたら、稼ぐだけ稼いで勝ち逃げを決められたはずなのに。ここで終わるわけにはいかない。

 どんな手を使ってでも這い上がり、最終的な成功をこの手に収めなくては。

 〝財団〟に組み入れられたのは、祖父の手引きがあってのことだが、一理事の七光りでロシアの半分を任せられたりはしない。自分には才能があるのだ。官僚畑に進み、実直に祖父の跡を継いだ父や兄にはない才能。儲けたい、という本能に裏付けられた才能――祖父に言わせれば、カネに惹かれる魔物がこの体の奥には棲みついている。

 官僚の仕事は仕事しているし、物事を裁量できる権力も魅力的ではあるが、国の窮屈なシステムに縛られ通しというのはいただけない世の中を動かすのはやはり、資本だ。政治も行政も、その従属物でしかないことを、自分は米つきバッタの醜態をさらす父の姿から学んだ。それを得られるのは歪んだ人間性と、派閥を維持するためのお仕着せの縁談、当然の帰結としての冷えきった家庭のみ。

 そんなものは成功とはいえない。

 この身に巣くう魔物とともに、自分は腕一本でのし上がって見せる。今は旗色は悪いが、これまでに似たような苦境はあった。見つける意欲さえ失わなければ、チャンスは残っているはずだ。

 祖父亡き今、後ろ盾になるものは何もない。ここで退いたら地獄に堕ちるだけだ。念じた腹に力をこめ、谷沼は窓外を見るのをやめた。「しかし、わたしは絶望しておりません」と振り向きざまに言い放ち、若い夫婦の顔を交互に直視する。

「ロシアに、このGBNという強い聖剣がついに渡ったのです。あなた方、ロシア人には日本人にはない強かさとプライドを持ち合わせている。そして、プライドも持ち合わせている」

 面を食らった様子で、アレクセイバーが目をしばたたく。上げて落とし、また上げる。場の主導権をしっかりと握り直した谷沼は、今度は間を置かずに言葉を継いだ。

「ご存じの通り、ロシアGBNの原動力は、スポンサー企業や新興財閥です。しかしそれら金持ちの躍進は、我らグランプラス……つまりGBNの存在なくしてあり得なかった。お渡しした資料に記されていることですから、ここでは数字を口にするのはやめにしましょう。着任以来、嵐の連続ではありましたが、わたしはまだここにいる。このサンクトペテルブルクの地で、日本にいては見られない夢を見ています。それは年老いてしまった先進国たちが失ってしまった夢、我々はこれからも成長し、より明るい未来を手にするのだという揺るがぬ希望、広大な国土に裏打ちされた確固たる夢です」

 膝上に置いた拳を握り合わせ、エルドリアーナは身じろぎせずに聞いている。アレクセイバーもソファの肘掛けを握りしめ、こちらを据えた視線を動かそうとしない。

 あと一押し。谷沼は息を吸い込み、

「このところの問題や騒動で、GBNのダイバーが非難の的になっている節がありますが、とんでもないことです。あなた方GPD層が苦労してきたことで、現在のGBNがある。現在のロシアGBNがある。マスダイバーに興じている若者たちには、君らは誰もお陰で大きくなれたのかを問いたい。いや、しょせんは風潮に踊らされているだけの彼らですから、なにも言う必要はないでしょう。こちらが優遇すれば、彼らは黙る。その牽引役となるのがあなた方です。大衆は常に力強い象徴を求めている。あなた方の成功と躍進は、そのまま、大国ロシアでの勢力復活の象徴なのです」

 一気に距離を詰め、2人が収まるソファの前で床に跪く。

 慌てた素振りをエルドリアーナにはかまわず、谷沼は王に忠誠を誓う騎士の体でアレクセイバーの目を見上げた。

「及ばずながら、我がグランプラスも未来の躍進を信じ、ロシアを前進させ続ける車輪でありたいと考えております。決して後悔はさせません。我がGBNに出資していただければ、必ずや――」

 出し抜けに響き渡ったノックの音が、先の言葉を封じた。こちらに吸い寄せられていたアレクセイバーの瞳が揺れ、我に返った面持ちでドアの方に振り返るのを見た谷沼は、クソ、と内心で罵った。

 もう一息で落とせるところだったのに、いったい誰だと思う間もなく、勢いよくドアが開き、背広姿の東洋人が慌てた姿で室内に入ってきた。

 2人いる日本人社員のひとり、サブリーダーのオガワだ。

「なに、来客中だよ」

 このバカ、と怒鳴りたいのを堪え、日本語で言う。

 つまらない用件ならただでは済まさないところだが、小川には取り合う余裕はないようだった。アレクセイバーらには会釈すらせず、膝をついたままの谷沼に歩み寄って耳元にささやく。

「それが日本から〝財団〟の方が……」

 なにを言われたのか、すぐにはわからなかった。「え?」と返した自分の声がひどく遠くに聞こえ、目の前の光景がぐらりと揺れる。よろけそうになったところをオガワに支えられ、尻もちをつくのだけはなんとかこらえながら、サトシは意味もなくオガワの顔を見、次いでエルドリアーナの困惑した顔を見た。

「大丈夫ですか?」

 と言ったアレクセイバーに応じた余裕もなく、躓いた体を機械的に立ち上がらせ、真っ白になった頭にじわじわ言葉の意味が浸透するのを感じ続けた。

 ついに来た。

 運営部の、〝財団〟の査察が――。

 

 

 

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