ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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ひとを騙してお金をとるのは良くないことです!

エイジさんとの約束だぞ!


第二十二話

「言ったはずです。すべての業務を中止してパソコン機器から離れてください。例外はありません」

 ネイティブではないわかるロシア語が、廊下とオフィスを隔てるドアの向こうから聞こえてくる。この数年、悪夢で聞き続けた何者かの声――おそらくは〝財団〟から派遣された実務調査員の声。萎えそうな膝を律し、腹を括ったつもりには、サトシは、意を決してドアをあけた。

 グランプラスがフロアごと借りきった5階にあって、最大の広さを誇るオフィスは30畳ばかりのスペースを確保している。20人あまりの現地採用員に、人数分のパソコン機器を置くにはいささか手狭だが、通りに面した複数の窓から明るい光が差し込むようになっているため、さほど狭い印象は受けない。

 いつもなら電話にかじりついてる社員たちの声が聞こえない。

 天井の開放型ウインドウがヨーロッパGBNおよびロシアGBNの運営状況を垂れ流し、誰も取らない電話が虚しく鳴り続けている。わけがわからないといった顔で机を離れ、所在なく立ち尽くす社員の傍らで、経理担当のナイトウが泣きそうな表情でこちらにむけており、サトシは痺れた拳をきつく握りしめた。

 ひとつ鼻から息を吸い込み、オフィス内に足を踏み知れる。オフィスの中央に立ち、社員らの動向を監視していた女の――姿から見て、ELダイバーだ――がすかさず振り向き、鋭い一瞥をサトシに投げかけてきた。

 まだ20代と思しき顔に眼鏡をかけ、すらりとした均整のとれた細身をかっちりとした背広で固めている。

 東洋人。

 それも〝財団〟から直に送り込まれてきたからには特別なELダイバーのはずだが、隙のない顔つきと目つきはよく見るものとは思えなかった。無理もない。この若さで〝財団〟の仕事を任されている女が、当たり前の若い女である道理はない。とっさに自分を納得させる一方、しかし本部直轄の監査役としてはあまりにも若すぎないか? と当然の疑念を抱き直した時だった。

 経理のデスクに座っていた男がのそりと立ち上がり、サトシに鈍い眼光を閃かせてみせた。

 グレーのトレンチコート姿が、妙に長身に見える25過ぎの男だった。こちらが責任者かと思い、生唾を飲み下した谷沼をよそに、女はあっさり視線を外すと内藤の方に見遣った。

 横柄な仕草で手招きし、おずおずと近づいた彼に何事か耳打ちする。顔面蒼白になった彼が席につき、出現させたウインドウのタップ操作を動かし始めるのを見たサトシは、「ちょっとなんですか、あなたたち」と怒鳴った勢いで床を蹴った。

 裏帳簿のデータは社長室で管理し、GBNの社内ネットワークには乗せていないから、経理のパソコン機器を洗っても露見する心配はない。が、その辺の事情を知り抜いているナイトウが、生来の気の弱さで喋ってしまう可能性は十分にある。

 サトシはほとんど小走りで経理のデスクに近寄り、ウィンドゥを動かすナイトウの手を鷲掴みにした。ぎょっと顔をあげたナイトウを睨み据え、そのままの強面を維持して男を詰め寄ろうとしたが、「〝財団〟の監査役です。ダイバーネームはキノシタといいます」と言った男がずいと前に出る方が早かった。

「本部命令でグランプラスの財務状況を調査します。ご協力のほど、よろしく」

 慇懃無礼に言いつつ、添付データと身分データを呼び出したウインドウを指ではじいて、サトシに寄越す。アルスター・フレイヤの社員証も、理事長のサインが書かれた実務調査許可証も、無視して突き返すにはあまりにも重く、〝財団〟中枢のほの暗い権威を放って目に焼き付いてくる。ファイルを受け取った手が振るえだすのを感じながら、サトシは、

「聞いてないんですけど」

 と精いっぱいの抗弁をした。キノシタを名乗った男はふっと笑い、

「事前に連絡すると思う?」

 酷薄な笑みだった。

 身なりはビジネスマンの典型だが、その醸す空気と目つきはやはり堅気の人間のそれではない。人にどう見られるかを計算する一方で、どう思われようと毛ほども感じぬ冷酷さがその全身からにじみ出ている。まるで死神……と感じた体が凍り付き、谷沼はなにも言えなくなった口を閉じた。キノシタは笑みを吹き消し、

「ロシアGBNの代表として、運用報告を怠ってますね」

 と事務的な声を出し直した。

「4年前、ロシア政府がブレイク・デカールによるサーバー被害であらゆるネットワークを一時凍結したために、多額の損失を負った。以来、埋め合わせに経理操作で難を逃れている」

「それは……」

「なぁ、ネタはあがってんだよ、シャッチョさん」

 一転して砕けた口調になると、キノシタはサトシの方に手を回し、酷薄な笑みを息が吹きかかるほどの距離に近づけてきた。

「イタリアのガンプラオタクもゲロッたよ。簿外取引で先月も何本か引っ張ってるって。週単位の利息分払うだけで、かつかつなんじゃないの? ダイバーからの出資金も、本部からの引き出した証拠品も、右から左にさ。やばいよ、あんた」

 耳元に吹き込まれている声が冷気になり、金縛りにあった全身を凍結させてゆく。すべてつかまれている。何事かという顔で様子で窺う社員たちの姿が揺れ、サトシは机に手をついて体を支えようとしたが、がっしり肩を抱え込んだキノシタがそれを許さなかった。

 その場にくずおれそうな体を無理やり立たせ、ぐいと正面に引き寄せる。拳ひとつ高いところにあるキノシタの目が、鈍い光を宿して谷沼の面前にあった。

「運用を誤り、GBNに損害を与えた者には経営から……〝財団〟から外れてもらう。外れてもらうだけじゃない」

「……裏切り者ですか」

 乾ききった喉から、どうにかその一語を絞り出す。以前にもこんなこともあった。VRオンラインゲーム企業の監査部に無断取引と損失隠しがバレた時、引責の泥をかぶる羽目になった上司はサトシを口汚く罵り、もう2度とこの業界で働けると思うなと言ったものだった。

 風向き次第では実刑判決を食らい、まともな職にさえ就けなかったかもしれない。本来、自分のキャリアはあの時に終わっていた。祖父の口利きで〝財団〟が手を回してくれたからこそ、自分はこのロシアで一からやり直す機会に恵まれたのだ。

 その〝財団〟は、当たり前の事業団とは違う。ごまかしは裏切りと断罪され、裏切り者には厳格な処罰が下される。すべて自分たちの手で解決する。『A金貨』という闇金を管理運営してきたスキルをもって、迅速に容赦なく、誰にも知られずに。失うのは、無論のこと、キャリアだけではない。

 あらゆる運営スタッフにとって、〝財団〟派遣の監査役は死神と同意義の存在だが、この男の場合は比喩では済まない。あらためて実感した体から血の気が引き、手足が急速に冷たくなるのを谷沼は感じた。

 胃が破けたように痛みだし、あふれた胃液が喉元までこみ上げてくるの。もはや吐き気を堪える以外の神経は働かず、肩で息をするうちに、

「いい時計してんね」

 キノシタの声が耳朶を打った。谷沼の腕に巻かれた腕時計に視線を落とし、その顔は苦笑しているように見えた。

「その歳で、一生分の楽しい思いしてきたんだ。もういいだろ、なぁ?」

 笑った口元のうえで、目は冷たい光を宿したまま微動だにしない。

 終わった――なにもかも。

 首筋に当てられた死神の鎌を幻視しながら、谷沼は糸の切れた人形さながら、その場に座り込んだ。

 30分後。

 サトシは、愛車の電気自動車に揺られて大通りを走っていた。

 ハンドルはエレナと名乗ったキノシタの部下が握り、後部座席に収まったサトシの傍らにはキノシタの姿がある。ロシアでは車をきれいにしておくという感覚が薄く、このGBNの世界の車においても、ワイパーの形に切り取られた埃の膜を窓に張り付けているが、サトシの乗用車はその限りではない。客を満載した路面電車を追い越し、エカテリーナ2世ならぬ<キングガンダム2世>の像が立像された公園の前を横切った乗用車は、このあたりでは新車のように見える車体を一路東に走らせていた。

「……〝財団〟の中枢にいる方なら知ってんでしょ。ケチのつき始めはあれですよ。ほら、ジョンブレイズの若殿さまからの直々のお達し」

 走り始めて5分が経とうという頃、サトシは縮こまらせた首を少しだけめぐらして口を開いた。キノシタは相槌ひとつ寄越さず、物見雄山ともとれる視線を窓外に流したきりだが、耳に入っているのだろうことは気配でわかる。30分前は、よもやこんな風に話ができるとは思わなかった。まだ悪夢を見ている気分を捨てきれぬまま、サトシはぼやき混じりの言葉を継いだ。

「マイケル・プログマン。『A金貨』創設に関わった将軍の血筋かなにか知りませんけど、いけ好かない奴ですよ。中央アジアの全体会議とかで、ニューヨークに各国の運営リーダー呼びつけて。『数十年の長きにわたって運営されてきたGBNが、いまや存亡の危機に瀕している。各リーダーはより一層奮起し、1年以内に結果を出すこと。できないものは〝財団〟の経営から外れてもらう』って、こうですよ」

「たしか、アフリカGBNが巨額の損失を出して、閉鎖の危機になった直後だったな」

 窓外に捉えた線を動かさずに、キノシタが相手をする。ちょうど広い運河にかかる橋を渡っている時で、運河沿いの宮殿群が絵葉書のように完成された構図を見せていたが、今のサトシにはエリア11の駅ビルほどの目も引かないほどの石の塊だった。

「そう。ブレイク・デカール騒動から半年も経ってなくて、どこも投資家離れも止められなくて、泡喰っていたころです」

 と、即座に返したサトシは、即座に手をついてキノシタに身を乗り出すようにした。

「そんな時に『1年以内に結果を出せ』をでしょ。焦って、無駄な経営に走ったのはぼくだけじゃ……」

「焦っていたのは〝財団〟も同じだ。日本で社団・財団法が改正されて、従来の〝財団〟集約型の資金管理が難しくなった。そこで日米の他の中国、ロシア、ドバイの3カ国に管理窓口が設けられて、新しい管理体制が発足した矢先にブレイク・デカール騒動だ。肝いりの新体制が出だしでつまずけば、組織も安寧としちゃいられない」

「それですよ。政府にぶっといコネっていうか、決定権持ってる人間を何人も抱えてる〝財団〟が、なんで社団・財団法の改正を防げなかったんです? 旧法はザルで、エセ公共財団が脱税の温床になってたって話は知ってますけど、税収アップのために〝財団〟の屋台骨が揺さぶられるなんてこと――」

「新体制の目玉は、従来の集約型から分散型への転換だ」

 じろりと動かした目でサトシの接近を封じつつ、キノシタは続けた。

「いくら太いファンドをもっていても、デカい図体でのそのそしていたのではICT時代の取引に対応しきれない。だから各地区のリーダーに独立した権限を与えて、個別の案件を迅速に処理できるようにした。ようは流行のホールディング体制だが、これは反対意見もあって、責任の分散は組織の統制を乱すと異論を唱えたのが日本側、つまり呂名信人理事長。対して新体制の推進役となったのがアメリカ側、つまり……」

「マイケル・プログマン。奴は日本の理事たちをデモさせて、〝財団〟集約型の体制にひびを……そのために法改正までさせたってことですか?」

 宗主たる呂名哲郎の没後、呂名信人の求心力が低下しているのは周知の事実で、日和見の理事たちが裏でジョンブレイズ筋に飼われていたとしても驚くにはあたらない。

 新自由主義を信奉し、『A金貨』を投資資金化した張本人である呂名信人にしてみれば、効率主義に流れた理事たちの造反は自業自得、わかっていても処分には踏み切れなかった……というところか。

 ここ数年、本部に立ちこめていた不透明な空気の正体がわかり、サトシはあらためてキノシタの横顔を注視した。キノシタは窓外に視線をむけたまま、

「要点はこうだ」

 と言った。

 「日米合意原則は原則に過ぎない。GBNの管理運営権をめぐっては、以前から〝財団〟とジョンブレイズの綱引きが続いていた。今度の新体制発足もその一環で、これは〝財団〟の一極管理を嫌うジョンブレイズ筋の意向が強く関わっている。君はそれに泥を塗った……ということは、日本側からすればそれ見たことかというところだが、だからと言って君をかばうような真似はしない。むしろ〝財団〟ぐるみの共謀を疑われるのを恐れて、厳罰をもって対処するのが筋だ」

 そこでようやくこちらを顔を向けたキノシタは、

「君には、なんの後ろ盾もない。手柄を焦って無謀な経営に走ったのも、それが一番の理由だろ?」

 と無表情に続けて口を閉じた。

 死神の目に図星を指され、また滲みだした胃液が腹を重くするのを感じながら、

「……どこへ行くんです」

 とサトシは絞り出した。

「……この状況で、なにをどうできるって言うんです?」

 お互いをまるく収めるために、ある提案をしたい。

 死神と一時の世間話ができたのも、そんな予想外の言葉をかけられたからだ。蜘蛛の外にすがる思いで車に乗り込み、戸惑う社員たちを背にオフィスをあとにしてきたが、目的地も理由もまだ聞かされていない。通りの行く手に横たわる広場に視線を流し、青空にそびえる戦勝記念のモニュメントに目をやったキノシタは、しばしの沈黙を返事替わりにした。

 広場の向かいにはホテルがあり、その屋根は今でも『英雄都市レニングラード』の文字が掲げられている。エレナの運転する乗用車がそこを通り過ぎ、大通りと交差点に差し掛かった時、

「実はわたしも、君ほどじゃないが問題をかかえていてね」

 と、思いきったようにキノシタの口が開かれた。

「君ほどじゃないが、ブレイク・デカール騒動でのリカバリーでの損切り時を見誤って、結構な額を焦げ付かせてしまった。〝財団〟に報告したら、ただしゃすまない。わたしも裏切り者というわけだ」

 薄く笑った横顔の向こうを、並走するバスの車体がゆるゆると流れていく。突然、まったく別の視界が開けたように思い、

「監査じゃないんですか……?」

 とサトシは問うた。

「監査役だが、監査はしない」

 とキノシタは目を合わせずに答えた。

「監査役に任命されて、わたしは首の皮1枚繋がった。これを逃せば、もうチャンスはない」

「……提案、というのは?」

「ロシアで有望な取引先を見つけた。だが、こちらが求められる条件がある」

「条件?」

 指を5本とも立て、サトシにかざす。

「10?」

 と尋ねると、笑みを吹き飛ばした顔が、

「100。円で出さなくてはいけない」

「500億……! そんな資金、うちにはありませんって。あればとっくに損失を補填できてる」

 キノシタは正面を見据えている。出せるものなら出したいが、週払いの利息だけでかつかつだろうと、グランプラスの財務状況を看破してみせたのは他ならぬキノシタだ。からかわれているのかと思い、

「だいたいなんなんです、その出資元ってのは。資源関係ですか? それとも誰か有望なダイバーが?」

 とサトシはつっかかるような声を出した。キノシタは何も言わず、目も動かさなかった。

「ダイバーを支援して、金儲け……とかなら、やめた方がいいですよ。有望なダイバーは国のスポンサーに抑えられているし、今は新世代と旧世代の入れ替わりも進んで、相場が不安定だ。そこらの田舎ダイバーと繋がったスタッフのいう事なんか当てにできないんです。どうせバカを見るだけだ」

 小さく鼻で笑っただけで、キノシタは無言を通した。サトシはむきになり、

「ロシアはね、日本に並ぶ1大ガンプラバトル大国って言ってもバカでっかい田舎なんです」

 と押しかぶせた。

「モスクワとサンクトペテルブルク、それにハバロフスクのガンダムベースは優秀だから足していいかな。それ以外は、どうにもなんない田舎のガンダムベースくらいしかない。GBN出店の営業で、そこらじゅうを回ったぼくが言うんだから、間違いないです。サンクトとモスクワの間だって、まだ日本人が言ったことのない町や村がごまんとある。初めてこの村に日本人が来たって、ぼくも地元の新聞の取材受けたことがありますよ。そこではまだ日本はエレクトロニクス大国、日露戦争で帝政ロシアを降した国だって情報が生きていて、最近のことは誰も知らない。なんたって、生まれてこの方インターネットに触ったことはおろか、ガンダムはおろか、村の外に出たことがないって人間が少なからずいるんです。GBNやネット社会なんか、どこ吹く風でまだ都市部で、反政権デモが起こってるって話も知らないんじゃないかな」

「なるほど」

「旧ソ連では一党独裁の指導者が絶対視それていて、地方に住む連中はまだその頃の感覚が抜けきっていませんからね。ネットワーク関係はグローバリズムに対応しましたけど、本当の意味での民主化は中国より立ち遅れてると思いますよ。なにせ、中国の倍近い国土に、日本に毛が生えた程度の人口しかいないですから。今の大統領みたいな強権を発動すれば、情報統制で田舎の連中を飼いならすのは難しいことじゃない」

「傘下の企業複合体……いわゆる〝コングロマリット〟を使って、公共放送も支配下に収めているんだったな」

「ええ。このサンクトでも毎日放送してますよ、『今日の大統領』って太鼓持ち番組。我が国はすばらしい大統領のもと、確実に発展してますって。実際には格差が拡がる一方で、いまの政権にはそれを是正しようって意思もない。大統領も金持ちも、平等な社会とかってファンタジーを端から信じてないんです。共有しているのはロシアってプライドだけで、そのためなら多少の犠牲はやむなしって富国強兵論がまだ生き残ってる。その意味じゃ、いまや希少価値の前向きな資本主義国と言えるし、やりようによってはまだ伸びしろもあると思うんですけど」

 ふと、オフィスに置き去りにしてきた夫婦ダイバーの姿が脳裏をよぎり、サトシは口を閉じた。サブマネージャーのオガワがフォローしてくれているはずだが、もう脈はあるまい。数少ない金脈をふいにして、来週以降の出資者への支払いはどうしたらいいだろう。それもこれも……とキノシタは目をやり、取りつく島のない横顔に弾き出された谷沼は、

「まぁ、その取引相手が誰かは知りませんけど」

 と決まり悪く付け足した。

「あなたと接触できたくらいだから、それなりに回線は持ってる相手なんでしょうけど。田舎の木っ端官僚とかだったら、いう事を鵜呑みにしない方が……。あ、それとも、マフィア関係とか?」

「つきあいはあるのか?」

「そりゃ、この国で金を扱っていれば、多少は……。でも、あいつらこそ信用なりませんよ。うちは〝財団〟経由で組織のトップに口きいてもらっているから、連中も無茶なことは言ってこないですけど。うまくいったら骨までしゃぶられるし、うまくいかなかった日にはなにをされるか――」

 そこで言葉を切ったのは、じろとこちらを見たキノシタの目が死神の光を宿したからであった。「敵が多いな」と発せられた声にダメ押しされ、サトシは今度こそ口を閉じた。

 代償の取り方はマフィアも〝財団〟も変わらない。すでに死体も同然の男が身の危険を感じてどうする。そう宣告する一方、こちらに据えられた瞳の奥には試すような光もちらついており、サトシは泣きたい気分で頭を抱えた。

 鋭利な鎌を片手にしながら、もう一方の手からは蜘蛛の糸を垂らし続ける死神。他に生き残る道はない。それはわかっている。でも、どうやって……?

「……無理だよ。まるく収められるんならなんだってやるけど、逆さに振ったってないものはないんだ。もうそれだけの金を引っ張る当てもうちにはない。知ってるでしょ」

「そうかな。東京にいるわたしと違って、君には特権があるじゃないか。海外支部のリーダーには〝財団〟の一部権限を担保にして、金融機関から借り入れをする特別措置が認められている。それこそ新体制の目玉というやつだ」

 考えもつかなかった……というより、意識して考えから除外していたことだった。本部の裁量を待たず、現地のマネージャー権限で〝財団〟の権限を担保に金を動かせる特別措置。海外に管理窓口を分散した新体制は、その制度に機動性を支えられている面が確かにある。絶句し、そろそろと手を下ろしたサトシを横目で見遣ったキノシタは、

「時差があるからな。一刻を争う時は、いちいち本部に伺いを立てている暇はない」

 と続けて不敵な笑みを浮かべた。

「〝財団〟の源、すなわち『A金貨』の原資はGBNのスポンサー銀行、日本投資政策銀行に保障されているから、それを担保にした融資願いは取引のあるどの金融機関でも受理される。銀行取引と一緒で、面倒な審査もない。つまり、どこの国の銀行でもいい。特別措置に基づいて融資願いを出せば、君は即日、金を引き出すことができる。〝財団〟に報告が届くのは、金を右から左へと移したあとだ。確実に結果を出せる投資と証明できれば、事後承諾が取れる」

「確実に結果を出せるって……。そんな証明ができるなら、苦労はないでしょ」

「できるんだよ。だから、君に話してる。本部に話したら、確実に横取りされるネタだ。そうなったら、こっちの焦げ付きをこっそり穴埋めすることもできなくなる。君の分も」

 その時は目と目を併せ、キノシタははっきりと言い切った。強い視線に耐え切れず、目を伏せたサトシは、「特別措置か……」

 とため息混じりに呟いた。

「怖くて、ぼくはまだ使ったことがない。穴埋めに使おうものなら、数時間でバレてしまうし」

「週末を利用すれば2日やそこらは稼げる。よそじゃみんなやってるよ」

「簡単に言わないでください。システム監査はどうするんです。あれは24時間態勢ですよ。怪しいって思われたら、それこそ夜中だって担当理事のところに報告が――」

「だから、500億なんだよ。それ以上の額だと監査にひっかかる。だがそれ未満なら、理事に通報されることはない。銀行のATMといっしょだ。一度に引き出せる額は500万円まで。それ以上のお引き出しの場合は、窓口へどうぞ」

 小さく喉を鳴らし、キノシタは「豪気なもんじゃないか」と言った。意味がわからず、谷沼は、眉をひそめた。

「コンピュータ管理には事故が付き物だ。だから、いざって時の被害を抑えるために、その手の限度額が設定されている。そこらの銀行は500万までしか面倒を観ないが、〝財団〟は500億まで面倒を見ると言っているんだ。君のようなマネージャーに対しては、な。ジョンブレイズの若殿様に感謝だ。せっかくの権限を使わない手はない」

 ひどく気楽な声に聞こえた。命に係わる、と怒鳴りつけて、すでに断頭台に首を載せている我が身に思い至ったサトシは、結局なにも言えずにキノシタから視線を逸らした。うかがう目を寄越したのも一瞬、キノシタも視線を逸らし、「ま、自分の目で確かめて、判断することだ」と窓外に顔を向けた。

「少し遅れている。急げよ」

「はい」

 そう応じて、運転席のエレナが車の速度を上げる。誰かを待たせているらしいと思いはしても、それ以上の思考は働かず、サトシはゆめうつつの気分で微かな加速に身をおいた。

「それとアンタには言ってなかった」

 わずかにサトシは視線を動かした。

 

 

「――タバコ、持ってる?」

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