ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第二十五話

 どん、背中を突き飛ばされた衝撃で我に返った。

 眠っていた……と気づくまでに、窓外に見える雲海が後方に流れ、その下の大地に広がる小振りな家が寝ぼけ眼に像を残してゆく。

 木造の三角屋根に煙突を生やした、童話に出てくるような質素な家だ。

 同様な家が寄り集まる集落は、数秒と経たずに唐突に途切れ、次いで原野という他に表現のしようのない光景が視界を埋めるようになる。はるか地平線を縁取る山まで、延々と続く野原。この空に漂う雲のほかに、動くものは何も見えない。都会育ちの目には、ほとんど異界といってもいい未開の大地――。

 目頭を揉み、視線を前に向ける。ジェット機の中の光景は、どこの国もそう変わることはない。特に、高速と名の付くジェット機は、密閉性が高いせいか、機内の匂いまで同じに感じる。

 サンクトペテルブルクから、目的地まで4時間弱。谷沼の知古が用意してくれたジェット機にしても、例外ではなく、天井にはガンプラバトルのアーカイブが流れていたり、と日本のジェット機よりも凝ったつくりとなっていた。

 はやぶさ号、と名付けられているこのジェット機は、その名に相応しく、先端が鳥のくちばし状に長くとがっている構造が同じなら、フットレストなどを備えた座席の作りも同じである。

 目的地のエリアにいくには、ダイバーが、乗り物をフルスクラッチするか、運営から定期便のジェット機に乗らなければならず、まず徒歩では到達できない。徒歩で渡ろうものなら、手つかずの氷原を渡らなければならないから恐ろしいものだ。事前情報から漏れていたもので、朝、ホテルから乗ったタクシーの運転手にひとしきり笑われる羽目になった。ひと通り知ったつもりでも、現地に来ないとわからない基礎情報というものはある。勤勉なミカヅキでも知らなかったのだから、まさに百聞は一見にしかずだ。

 それに、この雲の下に流れる広漠たる大地。

 先刻、寝入る前に見た池の水面は、暗い緑色を敷き詰めた湿原の只中で静まり返り、空を行く雲を鏡のように映し出さていた。見下ろしたツンドラ地帯、手つかずの氷原に国土の何分の1かを覆われてもなお、ロシアの大地は圧倒的に広い。その大半が起伏もなく、町もなく、かつての集団農場の名残らしい村落が点々と存在するのみの原野だ。

 いまだ開墾も開発もされていない大地に囲まれて、点在する村落の人々はどんな暮らしをしているのだろう。多くはその土地に離れることさえなく、その村で生きて死んでゆくのだろうか。それが当たり前の世界で生まれ育ったなら、この俺もそうしていたのかもしれない。『A金貨』に関わることもなければ、人をペテンにかけることもなく、得体の知れない気配に怯えながら、異国の大地をさまようことも……。

「いい時に目覚めましたね。もうじき、この地が目覚めますよ」

 通路側の席に収まるサトシ――グランプラスの玄関先で、握手をしたリアルの谷沼悟志が不意に口を開き、加納は頭を小突かれた思いで窓から顔を離した。

「目覚める……?」

 聞き返した声に答えることなく、谷沼はにやと笑った顔を正面にむける。腕時計を見て、2、3時間以上も眠ってしまったことを確認してから、加納は道路を挟んだ向こうのサイドアームに座るミカヅキを見た。ミカヅキはちらと横目を流しただけで、窓の向こうの風景に顔を向けたままだった。

 結局、昨日は一睡もできなかった。ミカヅキもろくに寝ていないはずだが、姿勢よく風景を見る横顔に疲れの色は見えない。谷沼が寄越した見張りは朝まで動かず、こちらがホテルを出ると同時にどこかへ消えたが、知らぬ間に後退した人員がこのシャトルに乗り込んでいないという保証はない。

 谷沼自身、昨夜のうちになにか聞かされた可能性は否定できず、真相を知ったうえで自然に振る舞っていると考えられたが、それこそこの仕事で陥りがちな疑心暗鬼の穴という奴だった。

 疑念は絶えず保持しておくとしても、谷沼はそんな腹芸のできる人間ではない、という見立ては往々にして、正しい。人は見かけによらぬという常套句をよそに、大抵の人間は見かけ通りのものだ。

 木城深雪は谷沼に接触していない。こちらの居場所を特定し、狙いはわかっていると豪語したにも関わらず。それはそれで、不可解な経緯に悶々と思いをめぐらせるうち、仕掛かり中のカモの隣で居眠りする愚を犯してしまった。

 またミカヅキに居眠りを言われるなと辟易しつつ、加納はしょぼついた目を窓外に戻した。遠く地平線まで連なる原野はいつしか途絶え、低い丘陵や森林の緑が眼下を流れると、団地と思しき巨大な建物群が視界に広がってきた。

 それが始まりだった。

 同様の建物や、古びた工場などがぽつぽつと窓外を流れ、景観が急速に町らしくなってきた。谷沼が言った通り、この世界が〝始まった〟のだとわかり、加納は我知らず窓に手を当てた。気配を察したのか、「おもしろいでしょ」と谷沼がしたり顔で言う。

「ここいらはロシアの郊外のベッドタウンを再現したところで、もう中心地の一部といったところです。日本だと都市と都市の間にグラデーション状に人口が分布してる感じだけど、ロシアはほとんど白と黒の2色。中心エリアと郊外エリアの間は真空地帯と同然で、昔ながらのご長寿アニメの家さながらですよ」

「ご長寿……?」

「ほら、夕方の6時半くらいに入っていた、あの。あれにそっくりじゃないですか」

 谷沼はさも可笑しそうに笑う。こいつには真空地帯に暮らす人の思いに馳せる神経はなく、冗談のネタにするのがせいぜいということらしい。苦笑する気にもならず、「若者は立ち直りが早いな」と加納は言ってやった。

「昨日はこの世の終わりみたいな顔してたくせに」

「あ、心外だな、そういう言い方。ぼくなりに精いっぱい気分を盛り上げているんすよ。でなきゃやってられないでしょ、こんなこと」

「裏はとったんだろ?」

「知人の伝手で、エフゲニーという名前でここにインしてる人がFSОにいるってことはわかりました」

 その時だけは表情を引き締め、谷沼は探る目をこちらに向けた。

「でも総務局の方の事務方で、肩書もないとか」

「ダミーだよ。天下のロシアンシークレットサービスが、役付きじゃ動きづらいだろ」

「そうでしょうがね。問題は、エフゲニー氏が提供してくれた情報の中身ですよ。あちこち探りをいれてみたけど、コンプラテック社がGBNに資金と株を提供してくれるなんて話、聞いてないですよ」

「ちょいと突けば漏れてくるような話には価値はない。エフゲニーでなければ手に入れられないネタだから、彼はそれを君への〝プレゼント〟にしたんだ」

 コンプラテック・インターナショナル社は、1900年代末に立ち上げられた最大手のインターネット企業だ。コンプラテック社そのものは、検索システムを開発しており、いくつもの検索システムを抜いて、ロシアでは最大手を走っている。

 ロシア政府としては、この企業を取り込みたがっており、コンプラテック側に何度となく合併の打診をしてきたが、コンプラテック側は経営権を主張してこれを受け容れようとしない。今後のインターネット事業に限らず、電気事業やサイバー攻撃などの対策にもこの技術は必須であり、コンプラテック側は自分たちに強力なカードがあることを知っているのだ。現に彼らは各国のインターネット企業に技術協力を行っており、国の予算に勝るとも劣らない収入をそこから得ている。

 このまま放置していけば、金に飽かした中国あたりにまるごと買収される可能性も皆無ではなく、業を煮やしたロシア政府がついに買収に動き出した……というのがエフゲニーの〝プレゼント〟の中身で、これは嘘で塗り固められた計画の中、谷沼に伝える情報としての唯一の〝本当の話〟でもあった。

 ロシア政府は、コンプラテック社の買収を目論んでおり、すでに複数の名義で流動株を押さえつつある。意図的に情報開示を拒み、提携金融機関すら明らかにしない国家プロジェクトならではの強みで、押さえる時は一気呵成に動く……という谷沼の読みを信じるなら、現在の支援の話は、もうけ話もいいところだ。

「事実なら、極上のネタだけど……」

 呟いた谷沼の表情をうかがい、加納はすぐに視線を逸らした。〝財団〟監査役、木下らしい含みを持たせた声音を意識しつつ、「君次第だ」と窓外を見ながら言う。

「お国柄、ロシアの国家プロジェクトの情報管理関係は鉄板だ。このネタを知っている事業家は、当のお役人を除けは君だけという事になる。グランプラスがコンプラテック社と契約を結べば、連中はさぞ驚くだろうな。情報非開示が原則だと言っても、なにせ向こうは国家のプライドが背負っている。買収に失敗して、これまでの投資分を焦げ付かせてるなんて真似ができるはずがない。たぶんロシアの荒熊が真っ赤な顔して君のところに押しかけてくるぞ」

 なにか言いかけて果たせず、谷沼は不安げな、それでいて怒っているような顔を正面に戻した。なるほど、恐怖と欲がせめぎあう顔というやつか。〝A〟の口ぶりを思い出す一方、ここで臆病風に吹かれてしまっては元も子もないという焦りもあり、加納もしばし沈黙の時間を漂った。

 事を先に進めるために、彼にはここで良い目を見てもらう必要がある。すべて連動している計画のディティールを反芻し、ふとよぎった言葉に促されるまま、

「君、神様って見たことある?」

 と口を開く。

 は? と呆気にとられた様子の谷沼の向こうで、ミカヅキがちらと横目を流すのを感じられた。

「ありませんけど……無宗教だし」

「わたしもだ。でも、こんな機会は滅多にあるもんじゃない」

 言わんとしていることを察したのか、谷沼は落胆気味の顔で加納を視界の外にした。

「君が抱えている焦げ付きも多少は補填できる。素敵な誕生日プレゼントだと思わないか?」

 重ねた声に、少しむっとした目をこちらに向け直す。

「神様からの? 悪魔からかもしれない」

 そう言い、谷沼はもう話をしてもしょうがないとばかりにスマホをポケットから出して、いじり始めた。

 それでいい。

 怒りは恐怖に対する特効薬だ。微かに唇の端を吊り上げ、加納は再び窓外に視線を飛ばした。原野一色だった光景は、すでに日本の地方都市に似た佇まいを見せており、ロシア中心部が近いことを教えていた。

 

 

 

 ロシアGBNの中心地、モスクワ・エリア。

 約1300万のダイバーが集まるこの仮想空間は、ヨーロッパ諸都市の中でも最多を数え、ロシアGBNの利益の85パーセントを生み出しているとも言われている。無論、その大部分は、このモスクワに拠点を置く廃課金ダイバーや、上級フォースが所有しているものであって、都市部にネストを置くロシアのダイバーが飛びぬけて強かったり、豊かというわけでもない。かつて1位だったノース・アメリカGBNを抜いて、今やこのエリアは世界でもっとも富豪のダイバーが住まうエリアだ。

 街の造りはいたって単純で、国家の中枢たるクレムリン宮殿を中心に放射線状に幹線道路が伸び、その幹線道路を3つの環状道路が結ぶ蜘蛛の巣構造を呈している。皇居を中心とする東京の造りに似ていないこともないが、このロシアの中心都市を再現した、景観はかなり異質だ。

 まず、武骨なコンクリで押し固めたような赤の革命家めいた様式と、ヨーロッパ調の華美なアンピール様式がブロックごとに混在し、その間に間に近代的なオフィスビルやショッピングセンター、数年変わらぬ佇まいの教会が並ぶ。ことに複数の高層ビルが林立する国際ビジネスセンターはモスクワ・シティの通称に表される通り、都市の中に造られた都市であり、かつての共産圏国家に突き付けられた資本主義の剣と見えなくもない。

 神社の鳥居越しに高層ビルを見上げるのが東京のワンダーなら、ワシーリー寺院のカラフルなタマネギドームごしにモスクワ・シティを望むのがモスクワのワンダー……否、国家の変節の歴史と言った方がより正確か。

 午前6時発の始発電車に乗り、駅に降り立って、手配された車内の中でインしたのが午前9時50分。

 サンクトペテルブルクより南に位置する、このモスクワ・エリアだが、肌に刺す空気は例え架空の世界であっても厳しく、分厚い雲に覆われて陽が差す気配がない。初雪を降らすかもしれない、と谷沼――サトシは言っていた。計画のことをしばし忘れて、そうなればいいとエイジは思った。

 架空の世界とはいえ、石造りの街並みも、旧時代を今に伝える白亜の尖塔も、モスクワという街はきっと陰鬱な雪空がよく似合う。

 渋滞していない時がないと言われる環状道路を突っ切り、市の中心部へ向かう。

 30分以内に到着する条件で運賃を決めたらしく――ロシアのタクシー運賃は、GBNでも乗る前に交渉するのは変わらない――、サトシは渋滞に引っかかるたびに運転手をせっついていたが、はいはいと上の空で応じる運転手は一向に慌てる気配がない。何事も神の思し召し、と言わんばかりの声音を聞きながら、エイジ――今はキノシタだが――は赤いクレムリン宮殿の壁を見て、天辺に赤い星を抱いた時計塔を見て、広場に連なるダイバーたちの列を見た。

 鉄の砦に閉ざされた灰色の都も今や昔、ガンダムのコンテンツに塗り固められた旧国家の形骸――ここにはもう、灰色の雪空は似合いそうにない。地球連邦軍の軍服を身に着けた女性が闊歩して、ダイバー相手に愛想を振りまく天然のワンダーランドには、何の含みもない青空がお似合いだ。

 徒然に思う間に、タクシーは広場を抜けて通りに入り、ボリジョイ神殿の前に到着した。

 堅物の国にしては、あまりにも楽し気な名前の建物は、GBN運営がロシア人向けに広める際、各地で造られた〝アーリヤナ〟のひとつとして生まれた。

 ボリジョイ神殿はその中のひとつで、ロシアGBNの収益とロシアでのガンダムシリーズの認識拡大を旗印に、2000年代に設立。GPDとほぼ似た操縦システムで、1対1で戦うという〝アーリヤナ〟のシステムは外国人にはわかりやすく、人気を博した。GBN黎明期から、ロシアGBNの利益を支えているライフサインだ。

 このモスクワ行きは当初の予定にはなく、この〝アーリヤナ〟に行くことだって予定の半中外だ。一応、ガンダペディアでいろいろな知識は仕入れてきたものの、いざ目前にしたボリジョイ神殿のデカさは、驚かせるような面構えだった。

 ロシアGBNの中心地に相応しく、サンクトペテルブルクで見かけるのと同様な、帝政時代を思わせる石造りの建物。サッカースタジアムか、野球場、といえばわかりやすいが、それよりも貴族屋敷を思わせる豪奢な作り。壁面には、バトルフィールドで戦う2機のモビルスーツが戦う画面を映し出す電光掲示板が、張り付けられていた。

 このボリジョイ神殿のある、大通り自体、ボリジョイ(大通り)の名の付く接頭語が付く通り、ここに足を運ぶダイバーは多い。

 資本金60億ドル超、世界シェアでも20位以内に入るロシアGBNの本拠地がこれとは。

 よもや、当時のものをそのままを再現しているのかと思いたくなるほど、質素を通り越したインチキな作りで、エイジはタクシーを降りるなり、足を止めてしまった。

 続いて助手席から降り立ったサトシが、

「これでも、少しはマシになったんすよ」

 と言う。

「回線が駄目で昔のトーナメントなんか、ホント限られたとこしかできなくて。2組合同とか、当たり前だのなんの。それに比べりゃ、こっちはまだ安心できる面構えなんですよ。ロシア人ってなにげに保守的ですからね。世界一のフォースを結成するはずだった計画も、結局はおじゃんになっちゃったし……。ロシア自体、旧体制から変わってるようで変わってないし。革命とかに熱狂しやすい割には、迷信深くて変化を嫌う連中なんですよ。西洋的合理的思想と、西洋的神秘的主義を足して2で割らない国って言いますか」

 緊張のせいか、常以上に饒舌にサトシに従って建物の中へ。

 門の中には、守衛が詰める受付があり、空港さながら金属探知機が設えられている。待ち構えられていた職員と握手をし、そのまま招き入れられたサトシに続こうとしたエイジは、ミカヅキともども、パーソナルデータの表示を求められ、金属探知機もくぐらされた。クラシカルな外面とは裏腹に、セキュリティは結構厳しい。

「キノシタさんも、〝財団〟に属しているからにはやるんでしょう? GBN。バトルってやったことってあります?」

 職員に案内されてエレベーターに乗る道すがら、サトシが饒舌の続きといった感じで訪ねてくる。ボロが出るとまずいので、ダイバーとしての経歴はいっさい口にしていない。「いや」とエイジは目をあわさずに応じた。

「ぼくが業界に入ったころは、各地のGPDとGBNの人口がまだ半々といった感じで、各々がわいわいやってましたけどね。ロシアのダイバーが作るガンプラは、世界的に見てもパワーや装甲に特化する傾向があるんですよ。それを操るダイバーの顔つきは、他のやつらとは違う」

 エレベーターを出ると、賑わっている通路の先で観音開きのドアがあった。

 内装はいわゆるホールの外装のそれだが、エイジたちの他に人けはなく、時折聞こえる轟音と声援のほかに聞こえる音もない。先頭を立って歩く職員に従い、カーペット敷きの通路を10メートルほど歩いた加納は、不意に立ち止まったサトシにつられて足をとめた。観音開きのドアを開け、さっさと中に入ってゆく職員をよそにサトシはにたりと笑った顔をこちらに振り向けてみせた。

「ロシアGBNの中心地へようこそ」

 言うや、職員に続いてドアをくぐる。ミカヅキと視線を交らわせたのも一瞬、扉の向こうに足を踏み入れたエイジは、いきなり開けた視界に軽い立ち眩みを覚えた。

 数百メートルはあろうかという、スタジアムだった。

 エイジが踏み出したのは、その観客席に繋がる、直線で3メートルあまりの渡り廊下で、廊下の向こうにはオレンジ色の観客席が広がり、そこで座り応援するダイバーたちを見ることができた。

 内部のつくりは、まるでスタジアムそのものだが、中心部はスポーツは行われてはいない。代わりに巨大なウィンドウが4面で表示しており、見下ろす形で占められている。その誰もが、ウィンドゥに表示されているガンプラの試合を眺め、声援を送っている。思い思いのアバターをした人々、それも20代、30代と思しき風体の男女が電光掲示板の試合模様に熱をあげているさまは、コンサートでの観客、と表現するのが一番近い。

「昔は、ガンプラが闘技場で走り回って試合をしていましたが、今は別エリアに転送して、戦闘をできるようになりました。おかげで、選手は色々なエリアで戦う事ができるようになったんですよ」

 淡々と説明したサトシが、電光掲示板の向こうに手を振る。熱をあげた顔で手を振り返したのは中年の女性ダイバーで、傍らでは長髪の若者がウインドウにかじりつき、やはり学生にしか見えない男がなにやら講釈をたれている。

 まだ午前中だというのに、サウナにも似た熱気が立ち込める空気は、たまにGBNで行われるガンプラトーナメントの空気と同じだとエイジは思った。かつてはダイバーがせめぎあい、そのガンプラをぶつけあった戦いの時間……あの戦国の光景は、ロシアでも同じなのだろう。

「ここでオンラインで生中継されて観戦していますから、選手はここには来ません。中継もリポーターもすべてコンピュータ任せで、我々システム屋の仕事は不正監視と情報収集のみです。ほら、ブレイク・デカールとかいう不正ツールが流行っているでしょう。ああいうツールが発動すると、我々の出番ってわけですよ」

「システム屋の出番ってわけだ。不正を正して、修正パッチを当てていくっていう」

「えぇ。昔はエンジニアの十八番でしたけど、今の部署でもやってます。コンピュータでパパッとって感じで。でも、ブレイク・デカールの修正パッチは特別だから、人間の手で造らなきゃいけない。機械任せにはできないんですよ」

 そこで言葉をきったサトシは、案内の職員とロシア語で言葉を交わし始めた。この辺にいるのはロシア人スタッフのみで、他は観客くらいしか見当たらない。サトシが特別なコネで入り込んだことは間違いなく、どんな鼻薬をきかせているのやら……と思った途端、不意に踵を返した職員が戸口の向こうに消え、サトシの目がこちらに注がれた。心中を察したような顔でにやと笑い、

「ご心配なく、試合はまだ午後にもあります」

 と涼やかに言う。

「試合ったって、オンラインでいろんな所で生中継されているんだろう? ここにいて何の意味があるんだ」

「意味はないです。試合情報は、動画情報で見れるし、パンフレットでダイバーの機体の情報も見れる。でも、ここに来なければ感じられないものもあるんだな」

 観客席の手前に設けられた手すりにもたれかかり、どこか遠い感じで中央の巨大スクリーンを見下ろす。

「そのうち、GBNスタッフ抜きで全自動のコンピューターシステムができるかもしれない。何百パターンとかのプログラムを用意して、顧客のニーズに合わせて組み合わせていけば、あとは求められる〝システム〟にのっとって行使していけばいいはずですから」

 〝システム〟の一語に、ぴくりと反応したミカヅキの気配が背中に伝わる。サトシはホールに据えた目を動かさず、

「でも、それが全部じゃない」

 と続けた。

「なんて言うか、熱気みたいなもんです。このロシアGBNにインしてる何万、何百万の連中……そいつらのリアルの顔は見えないし、昔のGPDみたいに顔つきあわせてギャーギャー叫んで、技の名前叫ぶってわけでもないんだけど、ふとした瞬間にぶわっと風が吹くときがある。俺もここにいるぞって、ダイバーの一員なんだぞって、欲望剥き出しの連中の熱気が上昇気流になって、運営を駆け抜けるみたいな。不思議なもんで、運営ブロックにいてパソコンを前にしてるだけじゃそれは感じられない。闘技場にいなくちゃダメなんです……ってひいてます?」

「いや、言わんとしてることはわかるよ」

 ダイバーたちのデジタル音声が、欲望剥き出しの人間の声に聞こえる。長くこの仕事をしていれば、そう感じることはあるかもしれない。谷沼は少し笑みを浮かべ、

「全部、機械任せになったら、きっとGBNは停滞するでしょうね」

 と肩をすくめる。

「人間と人間だから、戦いのダイナニズムが生まれる。だから、何をするってわけじゃないんだけど、ぼくは願掛けの時はここに来るようにしてるんです。モスクワ・エリアにも似たような闘技場はあるんだけど、ここの方が活気がある。このところ、負けがこんでいるのは、GBNの風を感じなかったんじゃないかって……」

 そう言ったサトシの横顔に亀裂が生じ、見たことのない人間味がにじみ出したと思えたのは刹那の間だった。

「始まりますよ」

 呟いた顔が異生物のそれになりに、もう他になにも映さなくなった目が中央のスクリーンを凝視する。加納が思わず後ずさった瞬間、アナウンサーの声が響き、ホール内の空気をひと揺れさせた。

 メインイベントの始まりを告げる鐘の音だった。

 始まりと同時に倦怠した空気は吹き飛び、そこいらから観客の声援が飛び交い始める。スクリーンには「ルガールVSアシュウィッサ」とでかでかとエフェクトつきで表示された。

 ロシア人ダイバー、ルガール。ロシアGBNにこの人ありと言われたダイバーだ。ロシア人特有のパワーや火力に傾倒するイメージは彼に引かれたといってもよく、パワー戦法や火力押しによる戦法が多い。

 ルガールか、と少し考えたところで彼は扉の端っこに移動し、矢継ぎ早に電話をかけ始めていた。

 

「コンプラテック社が資金を提供してくれることが決まった。さっそく、修正パッチのアップデートに着手しよう。資金はまだなるべく抑えめにして」

 

「おはよう、コニー。ロンドンは今8時前だっけ? 良いニュースが入ったんだよ。コンプラテック。あそこが金をだしてくれることに決まった。出社したら、停滞中のプロジェクトをがんがん提出してくれ。ニューヨークの連中が寝てる間に一儲け……。ああ、保証する」

 

「おいおいミーシャ、こないだの記事、ありゃなんだ? 新しいアップデートの案があるなら、まずはぼくに知らせてくれないと……。それはそうと、吉報だぜ。コンプラテックが協力してくれることに決まった。調査部に調べさせてみろよ。大量の資金が動くぜ」

 

 現状のもうけ話。

 そのうえでコンプラテック社の資金提供話を押さえ、現状のプロジェクトを進める。ある程度、進んでいるプロジェクトは資金が潤えば、グランプラスは万事良い結果に進む。コンプラテック社にとっても、利益が生まれて大助かりだ。そして、煽り立てるだけ煽り立て、こちら側に行くよう仕向けていけば、ロシア政府が気づいたところで、どうにもならない。

 ロシア政府がコンプラテック社の買収を進める背景は、他国への技術流出を防ぐという切迫した事情がある。すでに相当量の国家予算を動かしている以上、撤退という選択肢はない。必ずロシアは、ロシアは必ず、コンプラテック社を買収しに来る。

 もちろん、立派な詐欺行為だ。

 時には高圧的に、時に猫なで声で。複数の言語で、口調も人格も変幻自在にウィンドゥの通信で応答を続けている谷沼は、仕事の進め方を心得ているのだろう。詐欺師も顔負け……と自虐混じりの思いで眺めるうち、谷沼は中国語でまくし立てたのを最後にウインドウを切り、せかせかとドアへ手をかけた。

加納たちの存在はもはや目の端にない様子だった。あとに続こうとした加納たちだったが、さっさと消えてどこかへ行ってしまった。カモと離れるのはおもしろくないが、わたわた騒ぐのもあまりよくない。

 エイジは仕方なく手すりに寄りかかり、焦燥感漂うホールを見るともなく眺めた。

「すごい熱狂だな」

 久しぶりに出した声が喉にひっかかり、かすれた。ミカヅキは、ホール中央のスクリーンの2機のモビルスーツを目で追っていた。

「感じるか? 風。GBNの熱風ってやつ」

「いや……。でも、ここでいくつもの感情が渦巻いてる。誰にも理解しがたい、渦巻くような感情が」

 スクリーンを流れるバトルフィールドの宇宙に視線を移し、ミカヅキの声には畏怖とも怒りともつかない硬さがあった。

「だな……」

 と応じ、エイジはどこにいるとも知らないサトシを案じた。対する観客らは目を輝かせ、時には目を血走らせ、手を振って応援するばかりだ。

 実機を戦わせるGPDとは違い、風はおろか、熱も高揚も感じられない現代のガンプラバトルの光景――。だが、今、この瞬間にもGBNでの国内ランキングは動いており、刻々と変動する戦況に身を投じて一喜一憂するダイバーたちは何百万といる。

 現実世界での自分の価値も将来性も関係なく、オンライン変動するランキング。下がるなら守り抜け、上がるならどんな手でも使って戦い抜け。伸るか反るか。サトシの言う人間的ダイナニズム、煎じて詰めれば、ギャンブル的判断で己を動かし、戦いに講じる彼らには戦況を見る力はあっても、世界全体を見る力はないだろう。

 

 ルガール?

 

 どっかで聞いたような……。

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