エイジはレバーとフットペダルを組み合わせて、アタックを試みた。<ガンダム>のビーム・サーベルの光刃を横に振る。<グフ>はヒート・サーベルを撃ちあげるように切り上げて防ぐ。
仮借ない<グフ>の連撃。
容赦ない<ガンダム>の連撃。
攻防に次ぐ攻防。<ガンダム>は左右に動けば、<グフ>も追うように動く。
アタックに次ぐアタック。機体の動きが突風を生み、雪が舞い散ちらせた。
「計画が潰れたら、分け前なんて無くなるぞ! いいのか!」
(やかましいわ!)
タダシの叫び声が無線を震わせた。
<グフ>の勢いはさっきよりかは単純化しているものの、攻撃の苛烈さは変わっていない。
「組長自らご出陣なさっているんだ、どっちかだよな。観光か、兄弟分に借金してきたか!」
エイジは、フットペダルを瞬間的に思いきり踏む。瞬間的な荷重。どうにかそれを無視。<ガンダム>はステップを踏みこんで、後退。
(誰のせいや――)
回し蹴りが死角から飛び込んで、<ガンダム>を襲った。今度も踏み込んで、後退して避けようと思ったが、たたみかけるような荷重に体がついていかず、踏み込む足裏がフットペダルからずれた。
(ワレの知ったことではないわ!)
がなりかけるスクリーンに、ガーガーピーピーとやかましいアラーム音が鳴った。回し蹴りが<ガンダム>の頭部に直に当たる。スクリーンの隅に内部の機器に損害報告がながれていく。頭部の右側装甲にヒビが入ったらしい。
「組長様自らご出陣なさってるんだ……。どっちかだよな。観光ついでに取り立てにきたか、兄弟分に借金してきたか」
<ガンダム>が右に動く。動いた機体にしては速すぎる反応に、ぐっとエイジは腹に力をこめて我慢した。
「ワレのせいじゃ!」
タダシの怒声が無線に流れ込んできた。怒らせて判断を鈍らせるのがベストな選択だとしても、頭が回らない。
<ガンダム>の性能に、体がついていかない。こんな奴、どうとでもなるというのに……。
<グフ>が、ヒート・サーベルを地面に突き刺し、<ガンダム>の両肩をつかんだ。
(うちはワレに泥おっかぶらせされた時から、うちは災難続きじゃ。貸しは利子つけてたっぷり払うてもらうからな。覚悟せぇよ)
「あれはそっちのせいだろ!」
(アホ言うな!)
「おとなしくしてりゃいいものを、現場にしゃしゃり出てきやがって」
(盃もらいに来たんやで? 現場責任っちゅうもんがあるやろが。それをワレ……」
<グフ>の重い膝蹴りが、<ガンダム>の腹部にめり込んで衝撃がコクピットの中に響いた。
(途中で逃げ出しおって!)
容赦ない左平手打ち。
(兄貴分にどつかれるわ!)
手加減なしの右平手打ち。
(わしがどんだけエライ目に遭うたか――)
右拳が<ガンダム>の顔面を打ち、機体は吹き飛ばされた。
(話は終わりや)
低い怒声と同時に<グフ>のモノ・アイが揺らめく。容赦ない連撃に、身も世もなくエイジはうめき声をもらした。
(わしの忍耐にも限度がある。その舌引っこ抜かれたくなかったら、耳そろえて借金返せや)
「そのためにシャトルに戻らせろって……」
(かまへんで、行けや。代わりに、そのヒコーキを降りてもらおうか)
<グフ>の全身から殺気が吹き出し、身構える気配が伝わる。
そう来たか。
時間を稼ぎ、シャトルが空港につくと同時に運営に押しつけて逃げるつもりでいたのに。シャトルごと人質に取られてしまってはまずい。
ミカヅキなら、サトシを連れて自力で脱出できるだろうが、ここでハイジャックまがいのことをされれば、こちらも身動きがとれなくなる。「ダメだ」と即座に言い返した。
「ちゃんとシャトルがいかないと、カモが怪しむ」
(なんとかせぇや。その達者な口で)
「どうせ逃げ道はない。あいつらは必要ないだろ」
(その手は食わん。そう思わせておいて、裏かくのがワレの手や。あの時も……」
タダシの声に震えが見えた。
まずい。
やりすぎた。
特にならない暴力を振るわないのがヤクザだが、メンツをつぶされれば前後の見境をなくすのも彼らの習性だ。わかったよ、と絞り出すように声を出そうとした時、言葉を失ったのは、<グフ>がいきなり横から吹き飛ばされたからで、その原因の源がシャトルから猛スピードで飛び出してきた<モビルドール・ミカヅキ>の飛び蹴りによるものだからだった。
「バカ野郎! シャトルにいろって言ったろうが!」
低姿勢で着地した<モビルドール・ミカヅキ>の背中が、オールビュー・モニター越しに見えた時、エイジは叫んだ。
(その必要があるとは思えない)
と反して、ミカヅキは冷たく言い放った。
「こっちの事情だ! お前は知らないかもしれないけど、こいつらはあれだ、フォースっつても任侠団体ってやつなんだぞ!」
言いつつ、吹っ飛ばされた<グフ>をうかがう。鋭林組の威光をあずかる雑魚であることはミカヅキだって察していようが、ここはまず親分のタダシを落ち着かせねばシャトルを助けられない。わかってくれ、と念押ししながら、先に立つ<モビルドール・ミカヅキ>に、エイジは言葉を継いだ。
「いいか、世界中に進出してて、多分、こっちのマフィアともつながりがある。敵に回したら、それこそ計画はおじゃんだ。ほら、前にお前が感じた気配も、この人たちだったかも――」
(違う)
言下に否定した一声に、<グフ>の動きがカタカタと小刻みに揺れる。ミカヅキは臆することなくその<グフ>の顔を睨み据え、(あの〝気配〟には、命令ひとつでなんでも実行する機械のような冷たさがあった)と静かに重ねた。
(こいつは違う。ただ脅すだけだ)
一歩踏み込んで、ガトリング砲を構えた<グフ>。コクピットの中で紅潮しているのが丸わかりの声で、(ミカヅキ言うたな、このガキ!)と怒声を張り上げる。
このバカ、なんてことを。
もはや収める言葉も思いつかず、絶望的な気分で瞼を閉じた刹那、接近警報と外部スピーカーのロシア語がエイジの耳朶を打った。
どんよりとした空の向こうから、パラシュートパックと手にマシンガンを持った<GBN-ガードフレーム>が降下してくる。一機ではない。何機もだ。それらが降下してきており、こちらの様子をうかがっている。
誰か、通報でもしたのか?
続くロシア語の注意勧告のアナウンスを聞くまでもなく、<ガンダム>は<グフ>を見た。マシンガンを構え、じりじりと距離を詰め始めた<GBN-ガードフレーム>たちの様子をレーダーで確かめ、<グフ>も戸惑った動きを見せて<ガンダム>を見る。
ほどなく、向こうの部下たちの機体も回収され、訳アリのジオン軍はここを逃げざるを得なくなる。なりゆき任せの単細胞に、この手を思いついたわけでも、想定があろうこともなく、タダシは無為無策の舌打ちの音が無線から聞こえるばかりだ。
チャンス。
その一語を噛み締める間もなく、<モビルドール・ミカヅキ>の抜き手がタダシの<グフ>の顔面に突き立てようとしていた。それに続いて、<グフ>はステップしてヒートサーベルの切っ先で、<モビルドール・ミカヅキ>の手を弾く。
(慌てるんやないで)
(お前のほうこそな)
と2人の声が無線に吹きこまれる。
バカなことを……。こいつら、こんな時にも、戦いを楽しむ気だ。
全速力で迅速に逃げるプランは完全に潰えた。
逃げようにも逃げたいところだが、タダシの<グフ>とミカヅキのモビルドールが目をつけられていては逃げることもできない。(威勢のいい嬢ちゃんやないか)とそう、呻くように言う。
(おとなしゅうさせとけよ。わしが脅しだけやないとこ、見せなあかんようになるからな)
戦いを繰り広げながらも、<モビルドール・ミカヅキ>だけを見据え、タダシは無線越しに爆発寸前の憤怒を滲み出ている。黙ってうなずいたついでに、黙々と戦闘を続けている<モビルドール・ミカヅキ>をオールビュー越しに睨みつけた。「このバカ」と無線を送った声にも反応せず、ミカヅキは――<モビルドール・ミカヅキ>は<グフ>と戦闘を繰り広げていた。
「人がせっかく収めようとしてんのに、余計なこと……」
(暴力を売り物にする連中は好きじゃない)
「好き嫌い多すぎなんだよ、おまえは。どうすんだ。もう話し合いができる空気じゃ――」
(誰が喋ってええ言うた)
<グフ>がこちらに動き、タダシの低い声がふきかけられた。思わずうめき声をもらしたエイジに、すばやく<モビルドール・ミカヅキ>が<ガンダム>の前に立ち、ハイキックで攻撃を受け止める。
さすがにこれは……。
やばいか? もう軽口を叩く気力を持てず、エイジは冷たい汗が背中を濡らすのを術なく感じ続けた。
タダシは<グフ>を操縦し続けながらも、こちらをにらんでいるし、ロシアGBNの指揮する<GBN-ガードフレーム>の部隊も周りを塞いでいるので逃げることもできない、今の状態でそんなことをしたら、規定通りに、速やかに自分たちを捕縛するだろう。
当面は従うよりないが、逃げるチャンスがあるものかどうか。仮に逃げられたとしても、サトシ――谷沼にこちらの正体をばらされたら計画はオジャンだ。
八方塞がり――こんな手で足元をすくいにくるとは。深雪もやってくれる。
ぎり、と奥歯を噛み鳴らすうちにガードフレームたちの歩く速度は減速し、マシンガン下部のライトがこちらを照らし始めた。
ロシア軍の<GBN-ガードフレーム>の性能は、数ある国で配備されている同機体より簡素な作りで、日本の感覚では1にも2にも型落ちという印象しかない。GBNサービス初期時代の名残というべきか、簡素な印象で旧式1点張りの機体は、さすがロシアというべきだったが、周囲を固められている状態では、そのディティールに浸れるものではなかった。
(そこのダイバー、コクピットから降りて投降しろ)
ロシア語を日本語で翻訳された電子音声が<ガンダム>の無線を流れる。サトシの様子が知りたかったが、彼の声を聞くことはできなかった。
「どう、するんだ」
聞いてみても、ロシア語で吹き込まれるばかりで何もわからない。
視界に入った<グフ>も、事態の重さがわかってしまったのか、武器を下ろして黙した。<モビルドール・ミカヅキ>もだ。お喋りのタダシも、無口になっている。
このままロシア軍に拿捕されてしまったら、運営から半殺しでもすまないかもしれない。モビルドールの――ミカヅキの様子を確かめることも敵わず、エイジは脱出の機会を求めて周囲に目を走らせた。
場所が場所なだけにダイバーの姿もなければ、モビルスーツの姿もない。外部スピーカーで大声を張り上げたところで、ここはエリアの僻地だし、そうであっても、ダイバーが違反した類いと黙殺され――いや、そうであったとわかればなおのこと、声を聞き流してしまう。
みんな、独りだ。
〝システム〟は人を独りにする。
はるか以前に聞いた言葉がふと脳裏によぎり、なんてザマだい、と嗤う亡霊の声をコクピットに滞留させる。
やかましい、俺は……と口中に返した時、空を飛んでくる〝何か〟がエイジの視界に入った。ロシアの風を無視して空を飛ぶ〝何か〟を不審げに眉をひそめ、こちらに向かってきている。モビルスーツにしては小さすぎるような……その物体はあまりに人の形をしすぎる。
なんだ?
そう思った瞬間。
いちばん遠くにいた<GBN-ガードフレーム>の上半身が吹き飛んだ。こそぎ落とされた、というには似合わず砕かれた上半身は、瓦礫となって雪原に落ちていった。
(どうした!)
(大丈夫か!)
と、ガードフレームに搭乗するロシア軍のダイバーの声があとに続く。
考える間もなく、その<GBN-ガードフレーム>にとっさにハンドガンの照準をあわせたエイジは、喪失した上半身を支える下半身がぐらりとくずおれるのを見た。とっさにコクピットの中で身を引いたのは、その人物がモビルスーツを使わずに生身でその機体を破壊したからであった。
なにかのバグか?
そう思いはしたものの、それ以上の思考が働かないエイジをよそに、他のモビルドールたちはマシンガンを右往左往に構え始める。
(なんやて! メダシが!?)
タダシのうろたえた声がした。いったいどうなってる……! と周囲の状況をコンソールのキーボードでたしかめたエイジは、向こうの部下もあの人物に被害にあっており、しかも部下になにかされたらしい。
ガードフレームの部隊の行動が一時的に滞る。<GBN-ガードフレーム>の下半身に雪片がかかる。その機体はすでに雪より白く、漏電も次第に弱まりつつあり、素人目にもバグでもイベントでもないことは明らかだったが、なにができるものでもなかった。
「なにがおこっとるんや……」
低くうめいたタダシが、<GBN-ガードフレーム>を見てから、こちらを見る。どういうことや、と問う目に答える言葉はなく、脱出のチャンスと考える頭も回らずに、<ガンダム>も棒立ちの体で<グフ>
を見返した。
ミカヅキの方に視線を移すと、彼女は呆然とするガードフレーム隊に囲まれたまま、ここではないどこかに視線を凝らしている。ひやりとしたものを感じた直後、(あいつだ……)とその口が動き、エイジは思わずミカヅキの視線の先を追った。
異変に気づき、その場に立ち止まったモビルスーツの足元に、ひとり背を向けて歩き続ける人影が見え隠れ続ける。
黒髪頭で、どちらかといえばスリムな体型。背は高くないようだが、ダイバーか? 目を凝らそうとした刹那、ベージュのコートを羽織ったその背中が不意にかき消え、エイジは息を呑んだ。
雪原に紛れた……のではない。
一瞬、モビルスーツの影に入って見えなくなった背中が、それきりフィルムのコマ落としのように消失したのだ。なぜだか背筋が冷たくなり、エイジは再びミカヅキを見やった。と、ミカヅキはいきなりコクピットから飛び出し、脱兎のごとく走り出し、あっという間に視界の中から消えていった。
主人のいなくなった<モビルドール・ミカヅキ>が自動的に片膝立ちになる。ロシア軍の隊員のモビルスーツの足跡を抜けて、ミカヅキの走り抜けた痕跡を伝える。(こっ、ガキ……)と怒鳴ったタダシのモビルスーツは見なかった。
エイジもレバーを倒し、<ガンダム>でミカヅキのあとを追おうと操縦レバーを握った。
どよめいているロシア軍、こちらに接近する一部の<GBN-ガードフレーム>。
さらに駆けつけてきたロシア軍の<GBN-ガードフレーム>に逆行して、ミカヅキの方にペダルを踏み、もっていたビームライフルをかなぐり捨て、<ガンダム>は正面にいる<GBN-ガードフレーム>を飛び越そうと地を蹴った。
まずはこいつらをなんとかしなくちゃいけない。
ハンドガンを、敵ガードフレームめがけて射撃。頭部を撃ち抜かれ、その場で膝をつく。
すばやく着地し、<ガンダム>はミカヅキを追った。
何度もガードフレームのメインカメラにビームを打ち込み、ロシア語の悪態をつかれながら、ようやくミカヅキに追いつくことが出来た。山のふもとで立ち止まり、左右を見渡すミカヅキを見て、コクピットを開くボタンを押したエイジはいきなり入り込んできた雪に目を細めた。
「なんだってんだ!」
ウィンドゥを開いて、ミカヅキに通信で荒い声で怒鳴りつけた。ミカヅキは一言も話さず、「あいつだ、あの冷気。あいつがやったんだ」と早口で応じると、再び走り始めた。
獲物を狙う猟犬さながら、姿勢を低くした背中が敏捷に雪原を走ってゆく。タダシたちのいる方に戻る恰好だが、ミカヅキは眼中にないらしく、エイジにしてもそれは同じだった。あの冷気――昨日から自分たちをつけ回している何者かが、このすぐ近くにいる。
モビルスーツ隊とタダシの<グフ>の影に隠れようとしている。飛行機もないのに、いったいどこに行くつもりだ。
あのガードフレームを破壊したのも、そいつのせいなのか? どうやって……いや、それ以前に――。
なぜ?
なにひとつ整理のつかない頭で、エイジはひたすら<ガンダム>で、ガードフレーム隊の中に戻っていった。雪原だというのに、モビルドールを超える速さで走るミカヅキを追って、ジグザグに移動するミカヅキを間に挟み、ひとり雪原を走る黒髪頭がちらりと<ガンダム>のレーダーに反応する。
やっぱりいた、あいつだ。
特に早足にも見えないが、いつの間にあんな遠くまで戻ったんだ? <ガンダム>の速度を速めようとした直後、立ちはだかったロシア軍の<GBN-ガードフレーム>の陰に隠れ、再び見えなくなった。
ミカヅキも見失ったのか、走るのをやめて周囲に目を走らせる。
地上には、針葉樹の類いしか視界をさえぎるものがないのに、黒髪頭はどこにも見つからない。雪に紛れてまた山の方に向かったのか、まさかサトシのいる飛行機まで飛んだのか、どちらにせよ、追跡者の正体に気づいていることは間違いはなく、エイジはあらためて肝が冷えるのを感じた。
その筋のプロにしても、あまりにも気配がなさすぎる。
〝対策室〟の連中でさえ、その挙動の端々に独特の臭気を漂わせていたが、あの黒髪頭はまったくの無味無臭。それゆえ、周囲の気配を己に引き寄せ、その場に埋没しているかもしれない。
まるでカメレオンのような――。
<GBN-ガードフレーム>の何か怒鳴った声で、遊離しかけていた意識を引き戻された。
『日本に連絡するぞ』か。
『何が起こっている』か。
後者なら、間違いなく第2陣が急行してくる。
まだ息のあるガードフレームの群を縫うように、再び走り出したミカヅキの背中を見やったエイジは、舌打ちした勢いでタダシの<グフ>の方に<ガンダム>を向けた。
なんであれ、ここにタダシを放っておくのはまずい。
いきなり立ちはだかった<GBN-ガードフレーム>の両足をビーム・サーベルで切り裂いて、動きを止めると一気にブースターでモビルスーツ隊の中心に立ちはだかると、
(いったい何が起こうとるんや! おこっとるんや!)
という、狼狽した声のタダシの声が無線から飛び込んできたことに、予想外の痛みを覚えたのは一瞬だった。
<ガンダム>は<グフ>の肩をつかみ、
「親父さん。ここはGBNにまかせて、ログアウトするんだ。ここにいたら、あんたらも引っ張られるぞ」
(せやけど、メダシの反応が消えて……)
「どうせまともなビザは持っちゃいないんだろう? 事情聴取でもされたら、大変なことになる。ログアウトしたら、若のパスポートもあずかっとけ)
たたみかけた声に、タダシは少し落ち着きを取り戻した顔で向こうのメダシ機に目を戻した。ぐっと息を潜め、(堪忍やで)と短く呟く。
タダシにとっては、フォースを切り盛りしてきた大事な女房役だったのだろう。クロウを失った時の自分の姿をそこに重ね合わせ、すぐに振り払ったエイジは「あんたのアカウントを送ってくれ」とタダシに硬い声をぶつけた。
今後のことを考えれば、タダシの動向はつかんでおく必要がある。「なんで……」と返したタダシは「あとでこっちから連絡する。いまはとにかくアウトしろ」と応じたエイジは、不審げなガードフレームたちの視線を無視して手を差し出した。真意を重ねかねるモノ・アイでこちらを見る<グフ>に「早く! こっちはこのままフケちまってもいいんだぞ」と怒声を重ねると、電子音がなり、青い機体は消失していった。
タダシのアカウントが入力されたことを確認すると、<ガンダム>のレバーを大きく引いて、後方にスラスターを焚いた。<GBN-ガードフレーム>隊の数は、さっきの大立ち回りで数は減っている。ミカヅキを見釣れるのはさほど難しくなく、ロシア軍のガードフレーム隊の東に走る姿がレーダーに示していた。
こちらも追いかけたいところだが、ミカヅキの後ろにはロシア軍の<GBN-ガードフレーム>が何機か立ちはだかっている。ブースターを点火し、強引に追いかけたいところだが、今はできない。とにかく当たりをつけたミカヅキの目を信用する他ない。
誰が、何のために雇った相手なのかはわからず――否、そもそもあの男がメダシに何をしたのかどうかもわからず、この間にサトシのフォローに回った方がいいとも思えたが、ここで逃がしたら大きな禍根を残すと言う直感だけは本物だった。
エイジはハンドガンの照準を<GBN-ガードフレーム>に目を走らせ、腰のハンドガンを敵ガードフレームのいくつかをメインカメラを撃ち抜く。ロシア語の怒声が無線をがなり立てるもかまわず、<ガンダム>は真っすぐ走りながら、ロシア軍機のメインカメラを撃ち抜き続けて2分あまり、6機目の<GBN-ガードフレーム>のメインカメラを撃ち抜いたところで、ミカヅキに追いつき、互いに収穫無しと見合わせることになった。
「こっちには誰もいないぞ」
(また山の方に戻ったとは思えない。いったいどこに……)
そこまで、はっと息を呑んだミカヅキの顔が、東の方向に向けられる。こちらの方向は、雪中登山用の小屋があり、小屋の向こうにはログアウト用の出口がある。小屋を抜けていけば、ログアウト用の出口を移動するのも不可能ではない。
見上げた一瞬のあと、すかさず出口に向かおうとしたエイジをよそに、ミカヅキは、そちらに向かって走り始めていた。「おい……!」と無線で止めようとした時には遅く、ミカヅキは躊躇なく、小屋へと向かっていた。
後ろから警報。気配を感じ取ったエイジは<GBN-ガードフレーム>を振り向きざまにハンドガンでメインカメラを破壊すると、止める間もなく、ミカヅキは走っていた。
異変を察知したのか、「まったくよぉ……」と呻いた声で<ガンダム>で歩き出した。
そびえたつ針葉樹林に視界を遮られながら、雪原を歩く。
ここから先は気配を殺し、いっさい無音に……と決意した端から、パキと枝を折りながら、積んである木材を踏みつぶす羽目になった。今更、冷気を感じ始めた感覚がざわざわと立ち昇り始め、頬を伝う汗ともつかない雫を伝いながら、エイジは足もともおぼつかない闇とセンサーを頼りに目を凝らした。
黒髪頭はおろか、ミカヅキの所在もまるでつかめない。逆におびき出されているのではないか?
不穏な想像を膨れ上がりつつ、踏み出しかけた時だった。不意に前方から襲ってきた衝撃に、全身が総毛だった。
倒れる<ガンダム>の巨体。エイジは夢中でキーボードを叩き、急いで損害を確かめようとした。いつのまにか右腕が赤く表示されており、喪失しているという真実を突きつけ、総毛だった神経にさらなる追い打ちをかけた。
微かに差し込むオレンジがかった光は、ログアウトの入口を示す灯のあかりだろう。
今朝、出発していたサンクトペテルブルクでは、めずらしい近代的な建物に見えたが、明かりの届き具合から判じて、ログアウト場所からはそう遠くはない距離だろう。
突然、右腕が喪失してきた事実に、無条件に不安を煽り立てる暗さがある。ここでやることは、急いで今いるところから離脱することだが、ここで機体を破棄することは自殺行為だと思えるが、なんで機体もなく、なんで黒髪頭はセンサーに引っかからない?
俺を襲ったのはあいつなのか?
遠く離れた異国の地で、人殺しかみしれない何者かを追って―あるいは追われて―、あでとなく鞍山の中に倒れている機体。これが悪夢でなかったらなんだと思い、狼狽を振り切って、エイジは我知らず明かりの方に目を向けた。
オールビューモニターに、ちらちらと雪片が見える。
暗い。
だが、暗い場所はいまなおある。
黒須が死んだ公園の裏手。
あそこには真実の夜が残っていた。
もしかしたら、俺はまだ闇の中に――。
突然、視野に一塊の影が蠢くのを見た。レーダーは機能していないが、人間の形をしていることはわかったし、コートの裾がひるがえるのも見えたような気がした。エイジはその目で確かめようと、<ガンダム>のコクピットから這い出すように地上に出た。
雪原と針葉樹林があるばかりで、走り去った陰の痕跡はどこにもない。
どこにいる?
双方の位置関係がわからない限り、下手に照らせば敵に利する結果になりかねない。やはり相手は、間違いなくプロ。足音を忍ばせるのが至難と分かれば静止して動かないほうがいい。
震撼とする一方、噴き出したアドレナリンのせいで頭が働くようになり、エイジは<ガンダム>の脇腹の装甲の上に腰を落とした。
この風音に紛れて逃げるつもりでなるなら、ここまでだ。コクピットに戻ろうとして、唐突に冷たい空気が背中に吹きかけられるのを知覚した。
振り向く。それよりも早く、「動くな」という若い声が耳元でささやかれた。どくんと跳ねた心臓がそれきり動かなくなり、エイジは床に膝をついた格好で凍りついた。
「追うのはよせ。追えばおまえたちも死ぬ」
明瞭な日本語。
若さを帯びた、男の声。
それだけは理解したつもりの頭が、すさまじい冷気と殺気にさらされて空白になってゆく。武器を突きつけられている感覚はなく、振り向こうと思えばできるはずなのに、
体が、
動かない。
そうすれば死ぬという無条件の了解が全身の神経が断線させている。その必要があれば、<ガンダム>だけでなく、自分にもためらいなく実行する機械のような冷気――。もはや疑いようはなく、「おまえは、なんだ……?」とエイジはかすれた声を出していた。
「誰に頼まれて、俺たちを――」
「〝システム〟に触れるな」
抑揚もない声根がエイジは目を見開いた。
同時にがん、という音がうなじに走り、思わず首筋に手をやる。するどい痛みを感じ、手を後ろにやると、首筋に痛みがあった。肌という肌が音を立てて粟立ち、息を呑み込んだ体が後ろによろめく。瞬間、いつからか正面に移動していた男の顔が視界に入り、エイジは今度こそ絶句した。
なんの特徴もない、細身の若い男の顔が、コーティングされた装甲の色に浮かび上がっていた。
その冷たい目と目を合わせた刹那、待機音の音が途絶え、<ガンダム>のデュアル・アイから光が消えた。
『A金貨』がまとう闇――黒須の死後、この身を取り込んで離さなかった闇が網膜に焼きつき、エイジは尻もちをついた。男はすでに消えており、周囲には濃厚な闇と静寂のみがあった。
あぁ、<ガンダム>から降りなきゃよかったな、と刹那に感じた直後、ほどなく雪を踏み鳴らす音が近づき、「エイジ、どうした……!?」とミカヅキの押し殺した声が響いたが、反応する神経が働かなかった。
闇。
闇というには白すぎる闇の底で立ちすくみ、エイジは力の失った身体を雪原に埋めた。