ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第三十四話

 手荷物のひとつもなく、空港の玄関をくぐるのはなにやら心許なかった。金家とミカヅキは、ガンプラを除いた一切の荷物をホテルに残し、英一も取るものもとりあえずロシアに飛んできたありさまだから、ほとんど手ぶらであることに変わりはない。ロシアGBNをリムジンからログアウトし、迷うことなく、VIP税関に向かった英一とミカヅキに従い、金家は古い様式の面影を残す国際線ロビーを歩いていた。打ちっぱなしのコンクリで覆われた実用一点張りの壁にカラフルなポスターやガンプラの看板が並ぶちぐはぐさは、現在のロシアを象徴する光景に見えた。

 例によってなんの説明もせず、英一はミカヅキを肩にのせて観光客でにぎわうロビーを歩いていく。これからどこへ向かうのか、そこは暑いのか寒いのか。もはや質す気にもならず、金家は両替所や交通案内の窓口が並ぶロビーに目を走らせた。なんにせよ、着のみ着ままというわけにはいかない。せめて下着と洗面用具くらいは用意せねばと思い、手ごろな売店の軒先に足を向けかけた時、先を行く英一が不意に立ち止まった。

 その向こう側に立つ人影を見て、最初に感じたのは引け目だった。そんな義理はないし、むしろ責めを負うべきは向こうのはずなのに、彼女の大事なものを奪ってしまったという無条件の理解がある。金家は棒立ちになり、英一だけを見つめる強い瞳をうかがった。相手が相手なら、まずは他にも伏せ手がいないか警戒するべきだったが、その必要はないと思わせる関係がすでに彼女との間に出来上がっている気がした。

「とうとうやったわね」

 木城深雪が英一に告げたのは、その一言のみだった。

 やってしまったのね……という悔恨を含んだ苦い響きに、英一が無言で顔を伏せる。

 やはり、彼女は知っていた。

 〝A〟の正体も目的も知ったうえで、ただ阻止するためだけに行動してきた。〝財団〟を守る番犬としてではなく、1個の女として英一を守るために。その理解が、一気に押し寄せ、英一は言葉をなくした。

 思えば徹底している。

 あの時、捕えようとしたのも、ロシアGBNにタダシを送りこみ捕えようとしてきたのも、すべて〝A〟の計画を妨害するべくしたことで、彼女が〝A〟自身を捕えようとしてきたことは1度もない。捕えればどんな結果になるか、誰よりも知る〝対策室〟の人間であればこそ、彼女は彼女なりのやり方で〝A〟を……呂名英一を守ってきたのだろう。おそらくは誰にも告げず、露見すれば同等の罪を追う事を承知の上で。

 詐欺師が一匹。そいつは密かな努力を踏みにじり、最悪の状況を呼び込んでしまった……。

 得体の知れない引け目が輪郭を持ち、金山は深雪から目を逸らしてしまった。フォーマルなスーツ姿とは裏腹に、スポーツシューズを履いた足がこちらに歩み寄り、金山の靴の前で止まる。

 覚悟して顔をあげた途端、鋭い衝撃が頬に走り、目の前の光景が残像の尾を引いて流れた。

「あなたが、呂名英一を死刑台に送った」

 憎悪と悲哀が半々の瞳を潤ませ、深雪は言った。張られた頬よりも鋭い痛みが胸を走り、金山は無言でその顔を見返した。

 そっちがタダシ――松音正を送りこんだりしなければ……という言い訳もないわけではないが、無意味だろう。計画を強行し、英一に行動を促してしまったのはこちらだし、自身がそのきっかけを作ってしまったことは彼女は十分に承知している。旅行鞄のひとつも持たない、おそらくは待つ間もなく飛行機に飛び乗ったのだろう立ち姿を見下ろし、もし彼女が英一に追いついていたら……と考えたのは一瞬だった。

 次の瞬間には、踵を返し、深雪は立ち尽くすばかりの男ふたりを背にその場を離れていった。

 前に出かけた足を止め、英一は両の拳を握りしめた。

 呼び止めたい。

 その衝動を辛うじて押さえ込んだらしい横顔が歪み、ひとつ大きな息を吸ったかと思うと、平静を装い直した声が「行きましょう」と告げる。

 そのまま歩き出した背中にかける言葉はなく、金家はあとに続いて足を動かした。振り向かずに歩き続ける深雪の背中は、大柄な白人たちが往来する中ですぐには見えなくなってしまった。

 ロビーの奥。

 滑走路に直結するVIP税関の入口で、ブロンドのアテンダントが待ち構えている。チャーター機の飛行計画はすでに提出済みなのだろう。やはり振り向かずにそちらに向かう英一と肩の上に座るミカヅキを見て、つきあうしかないのだろうかと口中に独りごちた金家は、そちらに向かって歩く足を速めた。

 無事にロシアから離れられる安堵も、50億の報酬を手に入れたらしい高揚と困惑も、不思議なほど頭になかった。

 そんなことより、張られた頬が痛い。

 返せる当てのない借りを作り、のうのうと生き長らえている自分が辛い。なにより、ここで英一たちちと離れたが最後、以前よりひどい不快の波にさらわれるという予感に疑いはなく、金家は英一の背中に追いついた。

 とんだお笑い種だ。他人は信じず、関わらずを信条としてきた自分が、まだこいつらの肩ごしになにかが見える事を期待している。50億という途方もない報酬より、その方が価値があると思っているだなんて。まだそんな自分が嗤える余裕はもてず、金家は呂名英一の背中に睨む目を据えた。

 

 世界が変わる。その始まりの瞬間――。

 

 それがなんであれ、ここまで来たらとことんつきあってやろうじゃないか。

 強がりともつかない言葉は口の中で溶け、張られた痛みが残る頬を微かに痙攣させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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