ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第三十五話

 東京空港の税関をくぐるのに、手荷物がショルダーバックひとつというのはどうにも手持ち無沙汰だった。現地で買ったものと言えば替えの下着くらい、それも着替えた分はすべて捨ててきてしまったので、後送される荷物もありはしない。数日遅れで帰国する松音組の一行と、別便で空輸される若頭の遺体が荷物と言えなくないが、目前で奇異の目をむける税関職員には知る由のない事だろう。

 バッグの底まで探った税関職員と機械的に目を合わせ、無言の入国の芯さを済ませた木城深雪は、手にキャリーバックを引きずった乗客らを紛れて到着ゲートへ向かった。あらゆる伝手を駆使してロシア行きの算段を整え、文字通り身ひとつで出発ゲートをくぐってから3日あまり。その時とは別人のような緩慢さで歩き、スモークガラスの自動ドアを抜けたところで、予想外の待ち人を対面させられた。

「おじ様……」

 久々に発した声がかすれ、ろくに音にならずに霧散した。棒立ちになった深雪の傍らを乗客らが行き過ぎ、昼時の喧噪に包まれた到着ロビーに忙しない足音を相乗させてゆく。彼らの背に見え隠れしながら、呂名信人は手すりの向こうで動かなかった。

 目を合わせると、照れくさそうに微笑みを浮かべ、ちらと後方に流した視線をすぐにこちらに戻す。その1瞬の所作の意味を察した深雪は、どうして……と出かけた言葉を呑み込み、覚悟して次の1歩を踏み出した。

 どうもこうもない。

 事はすでに為されてしまったのだ。

 呂名までが自分のロシア行きを知っているなら、彼ひとりである道理はない。ぽつねんと立つ呂名の背中に目を走らせ……

 ベンチに2人。

 手続きカウンターの前に1人。

 伏せての気配を捉えた深雪は、それらすべてを意識の外にして呂名の前に立った。

 あれから3日が経ち、世界でもいち早く週明けを迎えた日本では、為されたことの結果がもう始まっている。〝財団〟の長として、ひとりの父親として、あらゆる意味で矢面に立たされているだろう男の顔は、しかし拍子抜けするほどやさしく、子供の頃に仰ぎ見ていた時と変わらぬ穏やかさを保っていて、深雪は出しかけたひと声をまた呑み込まねばなった。

 最後に会ったのは、大伯父たる呂名哲郎の葬儀の時……だとすれば、こうして顔を合わせるのは6年振りということになる。

 それ以前の空白期間も含め、もはや親戚と呼ぶには遠い存在であったはずなのに、なぜだか疎遠という気はしない。むしろ今は誰より身近のような、その3日間の痛恨と悲憤さえ共通できるような――否、あらかじめ共有するからこそ彼はここにいるのだと、無条件に理解させる何かがその見つめられるとしんと心が静まり返る、青ざめた月の光にも似た瞳。呂名家に集う大人たちの中で、ひとり異彩を放っていた。

 あの頃、すでにたくさんのものを失っていた呂名信人は、あるいは今日という日のことを予見していたのだろうか?

 長男に続いて次男までもが〝財団〟に反旗を翻し、『A金貨』の原資分を盗み出したあげく、あろうことか自ら首謀者であると名乗りをあげた。

 その結果をまるごと受け止め、喪失に喪失を重ねる今日という日を、このあきらめきった瞳に映していたのだろうか――。

 呂名は何も言わず、大変だったね、とでも言いたげな目をこちらに注いでいる。3日がかりで押し固めた胸に亀裂が入り、漏れ出た感情が喉元を突き上げるのを感じた深雪は「すみませんでした」と咄嗟に頭を垂れていた。

「私は、彼を……」

 止められなかった。

 救えなかった。

 いや、むしろ蹴つまずかせて、谷底に突き落としてしまった。

 松音を使って計画を妨害したりしなければ、あの詐欺師が意地になることはなく、彼を救うことために英一が顔をさらす必要はなく、すべてを知った呂名とここでこうして向き合うこともなかった。

 それ以前、〝A〟が活動を開始した時点でその正体を〝財団〟に告げ、小火のうちに消し止める選択肢を放棄したことも含め、すべての責任は自分にある。

 あの詐欺師に罪はない。

 この私が呂名英一を死刑台に送ったのだと再確認し、深雪はショルダーバックの紐をきつく握りしめた。

 監視網をすり抜ける手間も惜しみ、急ぎロシアに飛んだ英一の目的は考えるまでもなかった。自分の計画に犠牲者が出ることを何より恐れる彼としては、若頭という無関係の人間が巻き添えになった事実も耐えがたく、これ以上の犠牲を防ぐには自ら乗り出すほかないと結論したのだろう。追いかけて間に合うタイミングではなかったし、翻意を促せる相手ではないこともわかっていたのに、松音たちを無事に脱出させるためと己に言い訳をし、自滅覚悟でサンクトペテルブルクに向かった自分。

 ここで動けば芋づる式に自分の関与も露見すると承知の上で、私はいまさら何を期待していたのだろう。

 万分かの一でもいい、英一を引き留められる可能性にかけて?

 行動に合うなんらかの言葉、互いの想いを確かめ合えるなにかを求めて?

 なんであれ、いざ目の前にした英一は、ひとことも発さず、深雪にも何も言えなかった。

 今ならまだ間に合う、盗んだ金を返して〝財団〟に詫びを入れよう。

 言葉にすれば簡単なことを口にできず、その顔をただ見つめるのに終始した。言えば英一は自分に失望し、関係を繋ぐ最後の一線が絶ち切れてしまう。煎じ詰めれば利己的な思い、意地とも打算とも取れない感情に支配されて、彼が立ち去るのも待たず背を向けてしまった。

 代わりとばかり、頬を張られたあの詐欺師は良い面の皮だ。あいつが片意地を張りさえしなければ、という考え方もあるが、それは結果であって原因ではない。本当に殴られるべきは自分、殴りたかったのは自分自身――。その時の感触を残す手のひらを握りしめ、深雪は合わせようのない顔を伏せ続けた。向き合った体を動かさず、しばらく無言の間を漂った呂名は「ひと月前だったかな」と静かに口を開いた。

「あいつ、家に来たんだよ。わたしが留守の間に。もう何年も寄りつかなかったくせに」

 思わず顔を上げた深雪から目を逸らし、呂名は自嘲ともつかない笑みを浮かべた。

「見舞いの花を残して……。妻は黙っていたがね。たぶん、別れを言いにきたんだろう。親不孝な奴だ」

 最後の一言に一抹の苦みを滲ませ、呂名はまた口を閉じた。

 まだ10歳にもならなかった頃、父に連れられて何度も訪れた目白の屋敷が像を結び、もう何年も療養生活を強いられている呂名の妻が脳裏によぎって、深雪もまたしばし言葉をなくした。

 屋敷には洋風の庭園があって、遅く生まれた英一のために小さなブランコが設えていた。そこで英一と遊んでいると、いつも冷たいレモネードを運んでくれたやしいおば様。歳の離れていた信彦兄さんにからかわれているのが嫌で、英一はいつもそっけない態度を取っていたけれど、誰よりも母親を愛していることは傍目にも――。

 なるほど、そうか。

 深雪がなにをしようとしまいと、英一はあらかじめ生還を期してはいなかった。事を始める前に母親に会い、今生の別離まで済ませていたわけだ。いかにも英一らしい、まっすぐで身勝手な感傷……残るたったひとりの息子に別離を告げられ、悲嘆の底に取り残される母親の心情を省みることなく。来訪の意味を濁したとしても、聡明なおば様は息子の内心に気づかない道理はないのに。

 あのバカ、と胸中に呻いたのも一瞬、もうこの怒りをぶつける当てもない、そうなる手伝いをしていたのは自分だ。

 そういう思いがあらためて這い上がってきて、「おじ様……」と絞り出した声が無様に震えた。その時だけは微笑みを消し、深雪の顔を正面に捉えた呂名は「君の責任じゃない」と子供に言い聞かせる声音で言った。

「むしろ感謝しているよ。かばってくれていたんだろう? 君がいなかったら、きっとあいつはもっと早くに破滅していた」

「だめなんですか、もう」

 仮にも〝財団〟のトップであるなら、なにか手が。身びいきとそしられてもいい、この世の信用残らずなくしてもかまわない。すべてを失う覚悟で事に当たれば……と詰め寄りかけて、ふと動いて呂名の手に遮られた。

 肩までのばした深雪の髪に触れようとして、ためらった指先が頬に沿って中空を撫でる。「あんなに小さかったのに……。時は、取り返しがつかんな」が独りごちた声は重く、深雪はその場に膝をつきたい衝動にかられた。

「昔は、夢想したもんだよ。いつか、君と英一が初孫を抱かせてくれたら……。その時、わたしと妻は、もう一度生きられるんじゃないかって」

 それを唯一の恨み言にして、呂名は深雪から離れる足を踏み出した。

 そう、死んでいた。

 信彦兄さんが死んで以来、呂名家の人々は誰ひとり生きているとは言えない状態にあった。そこから抜け出そうとした英一を、あなたは見捨てるのか? 父たる呂名哲郎に背を向け、他人から押しつけられた〝システム〟に従って。

 底に諦念を敷き詰めたその瞳で、己の半身が引きちぎられるさまを二度も座視するつもりなのか――?

 胸中に溢れ出た声は声にならず、深雪は咄嗟に呂名の背に追いすがろうとした。呂名は予期していたように立ち止まり、肩ごしの視線でそれ以上の接近を封じると、「君はまだやり直せる」と対話を打ち切る声で言った。

「忘れてやってくれ。あいつのことは」

 目を逸らして付け加え、再び歩き出す。畢竟、それだけを言いに来たのだろう背中が遠ざかり、深雪はその場に立ち尽くした。

 ひと時も留まらない人の波が無数の足音を響かせ、影を背負った背中ひとつを埋もれさせてゆく。代わりに複数の気配が一斉に立ち上がり、到着ロビーの喧騒に紛れてじわりと包囲の輪を縮めるのが知覚された。

 ベンチから2人、手続きカウンターの前からひとり。

 両替カウンターの前にも2人いたようだ。

 場所柄、武装はしていないようだが、それなりに動ける人間が配置され、いざと言う時の実力行使に備えているのが感じられる。

 無駄なことだ。

 抵抗する気があるなら、もとより日本に帰ってきたりはしない。

 深雪はひっそりと息を吐き、彼らがやりやすいように両手を下げ、手のひらを表に向けてやった。肩からずり落ちたショルダーバックが床に触れるまでに、見た目はサラリーマン然とした男の体躯が視界を塞ぎ、〝対策室〟の人間特有の臭気を周囲に押し広げた。

 

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