ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第三十六話

「木城深雪。所属とID、GBNにおけるダイバーネームを明らかにせよ」

 うっすら湿った冷気を裂いて、かさにかかった男の声が全身にのしかかってくる。

 気のせいか。否、違う。部屋のつくりのせいだ。

 録音スタジオさながら、反響防止剤が室内の各所に配置され、尋問者の声が部屋の中央に集中する構造になっている。

 逆に、こちらの声は不気味なほど届かない。

 叫ぼうがわめこうが残響を打ち消してしまい、気づかぬうちに徒労感を溜め込んだ末、しまいには平衡感覚を失ってしまう。頭から布団をかぶって独白しているような、夢の中で告解させられているような錯覚に陥り、天の声にも似た尋問者に対して嘘がつけなくなる……。

「GBN情報局内事部、特別資産管理局所属ケースオフィサー。IDは4112353-A-302。ダイバーネーム、ミーユ」

 顔を上げ、正面のモニターに映る尋問者たちをまっすぐに見返す。

 距離は3メートル程度。そのはずだがダウンライトの光線がこちらにのみ集中しているため、尋問者の顔かたちはろくに判別できない。しかし、中央のモニターに映るのが運営の桂木ゲームマスターであることはわかる。

 右隣のモニターに収まるのが直接の上司である特別資産管理室長。

 左隣が特資を含む国内におけるGBN案件を手中する内事本部長であることも判別がつく。

「その任務とは何か」

 そう重ねられた内事本部長のものに違いなく、深雪は影法師にしか見えないその顔にひたと視線を捉えた。

 すべては天の声を演出するカラクリ。無用に圧迫を感じる必要はない。

 白日の下にさらせば、そこらのゲームコーナーと変わりない茶番劇だ。

「GBN特別防衛秘密に指定された特別資産、いわゆる『A金貨』に関する秘密の防護、および非常時の対処です」

「非常時とは?」

「特別資産、およびその管理委託団体の情報が外部に漏洩、もしくは漏洩の危機にさらされた場合、情報活動監視委員会の定める権限の定める権限に基づき関係各所に協力を要請。情報統制などの必要な対処行動を実施します。また特別資産、およびひの管理委託団体が直接の――」

 不意に喉が詰まったようになり、先の声が出せなくなった。

 3つの影法師がそろって身じろぎし、眼鏡の輪郭を浮きだたせた特資室長が左耳に手を添える。彼らは片耳にイヤホンを仕込んでおり、隣のモニタールームからの報告を随時受け取っている。指先の皮膚電気反応を測定するガルバノメーター、胸と手首にテープで固定された心拍測定コード、脳はと瞳孔反応を測定するヘッドギアに加えて、声の緊張をリアルタイムでチャート化する集音マイク、緊張度測定テストを構成するすべての測定機器がパルスの振れ幅を検知し、被験者の動揺を影法師たちに伝えたことは考えるまでもなく、深雪は内心舌打ちをしていた。

 GBNの〝対策室〟の俗称が示す通り、情報局対策室はGBN全般の対策を考える部署である。現実世界での場所は、東京都に存在しているが、どこの高層ビルを探しても、対策室の名は見つけられない。情報局、という名は見出せるものの、それは根を異にする関係機関にすぎず、〝対策室〟の根城は東京都の地下にあった。

 施設そのものは、随時アップデートされているが、この場所特有の湿った冷気は変わっていない。どれほど、空調管理が徹底しても、床や壁のそこここのかびの黒ずみが浮き出てくる。志半ばで倒れたハッカーの怨念だの、いろいろなオカルト話には枚挙に暇がないが、中でも原因が〝対策室〟という組織全体にあるとする説――始終日の目を見ることもなく、地下に押し込められた局員から滲み出す毒気が結露し、かびの養分になっているとすれば、その一端に加わった身には否応なくしっくり来る。

 何度かあった公的機関化のチャンスはことごとく潰え、その定義も定かではない。時々の情勢で変転する『国益』の防護を命じられ、モラルも人間性もない世界で心身をすり減らしてきた局員らの徒労と悔恨は……否、彼ら近衛兵が政府巨大銀行から盗み出したもの、それ自体がGBNを臭気で包み、この組織を〝対策室〟と根付かせた皮肉もこめて、すべて身から出たかびなのだ、と。

 その深奥、ハイセキュリティ・エリアに区分されている地下7階に連行されてから、1時間あまり。測定機器の実施にはまず被験者をリラックスさせ、無緊張のゼロポイントを割り出す必要があり、種々の測定器をとの付けつけられた上で約30分間、この薄暗い部屋に放置された。

 その間に……いや、連行中の車内にいる時から自己暗示をかけ、いかなる尋問にも平常心で対せるように備えてきたのに、しょっぱなでつまづくなんてどうかしている。

 なにが問題だったのだ? と考え、「どうした。続けたまえ」と発した声に急き立てられた深雪は、いつの間にか伏せていた目を正面に向け直した。

 父親譲りの優しい顔、でもあきらめていない強い瞳――脳裏をよぎった男の顔を脇に押し退け、モニターの向こうの影法師たちの顔を視線に据える。

「……直接の悪意ある攻撃、暴露、窃盗などの危機にさらされた場合、前記権限に基づき対処活動を実施。脅威の速やかななる排除を目指します」

 親指大のガルバノメーターにくわえこまれた指先で、椅子の肘掛けをきつく握りしめる。

 瞳孔拡大。

 心拍、上昇。

 声の緊張、大。

 被験者は局の服務規定に、表向きは服しているが、深奥では反抗、大の可能性あり。再検査の要を含む――。

 定例のメンタル・チェックならすでに結論がでているところだが、これは尋問であってテストではなく、すでに結論が出ているところだが、今さら何を繕っても始まらないし、自分はこんな茶番に付き合うために帰国したわけでもない。

 ――では、なんのために?

 そう思考をつなげ、答の重さょ噛み締め直した深雪は、開き直ったつもりで椅子の背もたれに身を預けた。その表情と、モニター結果の双方の2文字を読み取ったか、「よろしい、それを踏まえて問う」と重ねた内事本部長の声が硬さを増す。

「10月2日、君はGBN外部領事局に勤務する叔父、木城陽平に連絡を取り、外部任務を踏まえて渡航許可を取得。翌3日にはロシアGBNにログインしているが、本局はそのような指示は出していない。ロシアに向かった目的は?」

「私用です」

「私用で、職務権限を乱用したと認めるのか?」

「はい」

「君の叔父さんの名誉にも関わることだ。正直に答えたまえ」

 他の2人と比すれば数段立場の劣る特資室長が、露骨に苛立ちを滲ませた声を差し挟む。

 特資の仕事を閉職と断じ、定年までの腰掛けぐらいに考えていた男にすれば、今日は老後のプランをご破算にしかねない悪夢の1日に違いない。深雪は「叔父は正規の手続きに従っただけです」と鉄面皮で答えた。

「GBNロシア駐在スタッフの補佐などで、こちら日本局の職員が緊急渡航するのは珍しいことでは――」

「ロシアで誰と会った?」

 刹那、それまで一言も発さなかった桂木ゲームマスターが口を開き、深雪は心臓が跳ねる音を聞いた。

「重ねて問う。ロシアで誰と接触した?」

 影に埋もれてもなお、強い眼光がこちらを射るのがはっきり感じ取れる。地歩を固めてゆく常道を踏み外し、3段飛びで核心をついてくる鋭さは、役人根性が染みついた内事本部長とは本質的に異なる。GBNでの戦乱の荒波にも負けず、ゲームマスターの座に居続けた『GBN最後の大物』の面目躍如で、敵に回せばこれほど厄介な相手も他にいなかった。薄く閃く目と目を合わせ、観念の息を吐き出した深雪は、心持ち伏せて、

「……〝A〟。呂名英一と」

 内事本部長の肩がかすかに揺れ、額に手をやった特資室長が机に片肘をつく。最悪の予想が的中がした絶望を噛み締め、各々が概嘆の吐息を漏らす中、ひとり揺らがぬ桂木が「それで?」と問う。「逃げられました」と答えた深雪の視線を逃さず、桂木は「なぜだ」と質問を重ねた。

「GBNにおける特別資産管理室は、海外GBN支部及び運営部門での活動権限を認められていません。必要な追跡措置を取ることはできませんでした」

「そうではない。なぜ、一緒に逃げなかった?」

 内事本部長たちがはっとした様子で桂木を見て、こちらを見る。痛烈な一撃を喰らった心身に電流が走り、肌という肌が羞恥に震えるのを感じながら、「……質問の意味がわかりません」と深雪はどうにか返した。

「帰国すればわかっていたはずだ。今回の事件が発覚するまで、我々は君がロシア支部に行ったことも知らなかった。逃亡のチャンスは十分にあったと思うが?」

 わずかに身を乗り出した桂木が、底まで見通す視線を注ぐ。

 心拍上昇。

 皮膚電気反応過大。

 機械的にも見通されている我が身の無様を呪ううちに、「捨てられた、か」と内事本部長が嘲笑う声を重ね、深雪はまたガルバノメーターに過大なパルスが流れるのを自覚した。

 その手に乗るな。

 そう、言い聞かせつつ、「誤解されているようです」と極力冷静な声を出す。

「私と〝A〟……呂名英一との間に、追う者と追われる者という以外の関係はありません」

「それは特資の一員としてか? それとも個人としてか?」

 イヤホンにモニター結果を確かめ、内事本部長がさらなる質問を押し被せる。下卑た物言いに呆れる間に、「聞くまでもないでしょう。彼女は私用でロシアに行ったんだから」と特資室長が尻馬に乗り、深雪は本心からこの2人を嫌いになろうと思った。

「知っての通り、事態は切迫している」

 皮肉めいた声で本題を切り出し、内事本部長は持っていたタブレット端末に目を落とした。

「グランプラスから提出された緊急融資願いは、200通コピーされて各国の銀行に出回った。現在、我々が把握している被害総額は10兆と500億。このうち、500億はグランプラスの口座に振り込まれたが、残りは複数の口座に入金され、すでに引き出されたり証券化されたりしている。事実上、回収は不可能だ」

 GBNの有する企業、グランプラスが発動した特別措置が認証され、各国の取引銀行が融資を実行したのは先週の金曜日、現地時間午後12時5分。

 サンクトペテルブルクはサマータイム期間だから、日本時間に換算すると午後5時5分。

 ロシアはもちろん、ロンドンやニューヨークの銀行もそれから数時間は稼働していたのだから、先週松野うちに大半の金が処理されたと見て違いない。昨今は24時間の銀行も増えているし、東京より4時間早く目覚めるニュージーランド銀行もある。土日を挟んで2日半、日本がなにも知らずに惰眠をむさぼる間に、10兆円は世界中に拡散して消えた――。

 現在の時刻は午後2時27分。

 サンクトペテルブルクはこのGBNの業務を開始して間もないころだが、各国銀行から融資確認は担保元の政府巨大銀行にも届くので、〝財団〟と〝対策室〟が事態を把握したのは今朝の9時過ぎだろう。以後の5時間あまりで、どれほどの人間が動き、どれほどの情報が収集できたものか。

 空港でひとり自分を待っていた、呂名信人の姿を思い出し、こんな時によく……と胸苦しい思いに駆られた深雪は、唐突に発したまばゆい光に目を細めた。

「10月3日、グランプラス社長室の防犯映像だ。これを見る限り、事件を主張したのが〝A〟……呂名英一であることは間違いないと思われる」

 居並ぶモニターたちの背後で、プロジェクター投映された映像が50インチ大の光を放っていた。グランプラス社長室を斜め上から捉えた映像では、応接ソファに座って話し込む英一と谷沼、その傍らに立つ金家栄治の姿が映し出されている。彼らの背後には谷沼の執務机と、その上に鎮座する〝財団〟のイントラ端末があるが、こちらには別にカメラがキーボードに至るまで鮮明に捉えているだろう。この場合の防犯とは、もっぱらイントラの不正使用の監視を意味する。

「肩に乗っているのは、同行者で先から〝A〟の一党と目されていた電子生命体、ミカヅキ。右側に映っているのは金家栄治。例の1件で君が取り逃がした手配中の詐欺師だ。この防犯映像の記憶、およびグランプラスの社員の聴取結果からして、当初から谷沼社長に接触していたのは金家の方であり、〝A〟こと呂名英一は3日当日まで姿を現していなかった。事実、彼は2日に日本を出国したことが確認されている。無論、パスポートもビザも偽造したものだ」

 映像が切り替わり、どこかの空港の玄関口に降り立った呂名英一のスチールが映し出される。アルスター・フレイヤ社所有のビジネスジェットで渡航したからには、24時間の態勢の発着を請け負っている東京空港に違いない。「今回、ようやく素性が判明したので、各地の防犯カメラを洗って動きをつかむことができた」と続いた内耳本部長の声を半ば聞き流し、深雪は防犯映像から切り出した白黒のスチールに目を凝らした。

 民間のものも含めて、日本国内では300万台をくだらない防犯カメラが稼働している。日進月歩の顔認証システムもあれば、素性の明らかな人間が隠れ続けるのは不可能に近い。

 最初から分かっていたことだ。

 〝A〟という匿名の何者かであったればこそ、彼は5年にわたって〝対策室〟の追跡からのがれてこられた……。

「洗い出しは現在も続いている。彼がいつ、どこで、誰と会っていたか、今後追々明らかになっていくだろう。すでに1名、彼の協力者と目される人物を確保している」

 再び画面が切り替わり、どこかの雑踏の俯瞰映像が深雪の目に飛び込んできた。

 外灯か何かに設置された防犯カメラの映像らしい。通行人が行き来する中、顔認証システムのグリッドで顔を囲まれた英一がフレームに入り、並んで歩いてきた大柄な男が立ち止まる。英一の肩をぽんと叩き、フレームの外に去っていく男を見るに堪えず、深雪は画面から目を背けた。「同じ呂名一族の人間として、君も知っているはずだな。福田和義だ」と内事本部長の声が響く。

「今朝、東京港付近で身柄を押さえた。やはり偽造パスポートで国外逃亡を図っていたらしいが、しょせん素人のやることだ。運営のエリートが、なにを考えてこんな真似をしでかしたのか……。君なら思い当たる節があるんじゃないか?」

 同じ一族の離反者として。

 言外につけたした内事本部長の相手はせず、義兄さん、深雪姫と詫び合っていた福田の面影も脳裏から消し去った深雪は「谷沼の身柄は?」と無表情に質した。

「すでにハンターが動き出しています。消される前に、領事館経由で身柄の保護を。外事部だってこの事態を――」

「君からの質問は許されない」

 特資室長が横から口を出す。部下の不始末を看過した以上、ここで忠犬ぶりをアピールせねば明日がないのが彼の立場だが、無駄な努力と感じているのは深雪だけではないらしい。いいから、と内事本部長はうるさそうに手で制し、

「逃げられたそうだ。ロシアの捜査員が迎えに行ったのだが、ひと足違いで、呂名英一と連絡は取れなくなって、事が発覚する前から感じるところはあったんだろう。現地の〝コングロマリット〟とのコネはあるし、会社から相当額の逃走資金は引き出しているしで、発見には時間がかかるかもしれん」

 不満げに腕を組んだ特資室長を一瞥だにせず、内事本部長は他人事の気楽さで言う。

『A金貨』に関わる国外事案は、すべてアメリカの領分だから、この無関心は予測の範疇。それより、谷沼に逃亡の機会があったという事実の方が深雪には重要だった。

 ハンターの目を欺いて逃げおおせたとは考えにくい。ということは、ハンターは谷沼についておらず、すでにサンクトペテルブルクにいない可能性がある。10兆円抜かれた事実に気づいたのは5時間ほど前でも、アメリカはハンターの目を通して呂名英一が〝A〟である事実を先週末の段階でつかんでいた。なら、グランプラス監視の任を解かれたハンターが今追っているのは――。

「そういう状況だから、君に対する内外の注目度は高い」

 桂木が再び口を開き、深雪はワレに返りきらぬままそのモニターを見返した。

「もう一度訊く。なぜ帰ってきた? ロシアで呂名英一と落ちあい、そのまま逃亡する計画だったのでは?」

「いいえ」

「〝A〟の調査に専従して以来、君には他部局との情報共有を拒み、独力で事を進める傾向があった。呂名一族の御令嬢が、親の七光りを嫌って爪先立っているのだと思っていたが……。こうなると、我々としても見方を変えざるを得ない」

 内事本部長、特資室長が立て続けに重ねる。バカでもできる推測だと思い、無言を通すのに専念した深雪は「だが、君は帰ってきた」と発せられた桂木の声にびくりと瞼を震わせた。

「話したくないのであれば、その理由はいまは問わない。だが呂名英一が向かった先、今後の予定についてしっている事を教えてもらいたい」

「何も知りません」

 半分は本当だった。

 計画の大筋は知っていても、場所や日時など具体的な情報はほとんど知らない。

 秘密保全の観点から故意に聞かぬようにしていた部分もあるし、妨害を予期した英一が途中から話さなくなったということもある。どだい、知っていたらもっと効率的に動き、こうなる前に計画を潰えたに決まっているではないか。

 内心に吐き捨てた深雪を睨み据え、「木城捜査員、このままでは局務法廷への送致は免れんぞ」と内事本部長が叱責の声を飛ばす。

「嘘は言っておりません」

「手練れの局員なら、薬物なしで装置を欺瞞できる」

「だったら、こんなものは無意味ですね」

 言うや、指先のガルバノメーターを引きちぎるように外し、ヘッドギアを脱ぎ捨てる。

「木城くん……!」

 と中腰になった特資室長にかまわず、深雪は心拍測定コードも剝ぎ取り、いっさいの機器から解放された体を椅子から立たせた。

「私が帰ってきたのは、GBN……〝対策室〟には何もできないとわかっているからです。〝A〟を捉えることも、私を裁くことも」

 凍りついたように動かない3つのモニターの人物を見上げ、両の拳を軽く握って直立不動の姿勢を取る。下手に動けば警衛を呼ばれ、つまみ出される羽目になる。「御父上の威光を笠に着ているなら――」と言いかけた特資室長を「そんなことじゃありません」と言下に遮った深雪は、桂木の顔だけを視界に捉えた。

 呂名一族の係累にして、GBN周辺企業や、内局との縁も深いネットワーク産業・木城コーポの社主、そしてかつては〝財団〟の理事でもあった父。その娘を訴追するのは、確かに骨の折れることに違いない。GPデュエル終結以来、何かと言っては廃絶の危機に見舞われ、それをやり過ごすのがGBN運営になってしまっている。

 〝対策室〟に、敢えて骨を折る気概がないことも確かだが、その際、それがなんの保証もならないのはわかっていた。実刑を食らい込む覚悟で拘束されたのは、こうして桂木ゲームマスターと直談判の機会を得るためにならない。

 プロジェクター画面の逆光も背負い、より濃くなった桂木のモニターと向き合った深雪は、「『A金貨』がなぜ特別防秘に区分されているのか考えたことがおありですか」と最初の一声をなげかけた。

「通常の防秘が日本国憲法に規定されるものであるのに対して、特別防秘は日米相互防衛援助規定によって規定される。すなわち、アメリカから供与された装備品などの秘密保全に適用されるのが特別防秘であって、通常の防秘とは性格も対象もまったく異なる」

「何を言っている……」

 内事本部長が呻く。深雪は桂木に捉えた視線を動かさず、「『A金貨』は、その特別防秘の所管になっています」と押し被せた。

「政府巨大銀行から、日米合意の下に形成された巨大地下資金。であるなら、日米協定の管理下に置かれるのは当然のこと。『A金貨』なくして、〝対策室〟は存在しなかった。その母体たるGBNも、一党独裁に等しい上位ダイバーの隆盛も、いまのような形ではあり得なかった。だから『A金貨』のことは日本運営部だけでは決められない。『A金貨』だけじゃなく、そこから派生したすべて……政治も、経済も、ELダイバーも、日本が決められたことなんかなにひとつなかった。すべてアメリカから供与されたものだったからです。戦闘機や対艦ミサイルと同じ、日米協定で裁量される供与品でしかなかったからです」

 困惑し、苦りきった身じろぎする内事本部長らをよそに、桂木は微動だにせず、深雪の目を見返している。プロジェクターの反射光を受けて閃く瞳が、なにがしかの共感を宿して先を促しているのがわかる。こま仕事をしていれば、誰でも同じ壁に突き当たる。意志ある人間なら、こんな状況を容認できるはずがない。内事本部長が反論の口を開きかけるのを察した深雪は、「私たちは人間です」と言葉を継いだ。

「主権を持つ国家の一員、自分で自分の生き方を定める権利をもっています。始まりがどうであれ、GBNの歴史を生きてきたのは私達自身です。ブレイク・デカール事件は終わった。日本はマスダイバーの防波堤としての役割を終えた。このツケはもう払い終えたはずなのに、私たちは未だに古い〝システム〟に縛られている。そう命じられたからではなく、変わる勇気を持てずに自分で自分を縛りつけて――」

「呂名英一は、そんな現状に一矢を報いようとした」

 遮り、桂木が言う。

 先を読んで……というより、先回りして道を塞ぐかのような声音が胸に突き通り、深雪が口が動かなくなるのを感じた。「そういうことか?」と確かめた桂木の瞳に一瞬前の共感はなく、非公開情報機関の首魁らしい怜悧な光のみがある。なんとか口を開こうとした深雪に反撃の隙を与えず、桂木は手元のタブレットを操ってなにかの資料を呼び出した。

「福田和義が共犯と聞いて、ひとつ思い出したことがある。かのブレイク・デカール事件は日本人が引き起こしたという説だ。アジアGBNの拡大事業以来、海外のウイルスツールを我々は監視していた。すなわち、日本に入ってくるウイルスツールを監視し、GBNへの浸入を防いでいた。そして、とあるプログラマーに接触した」

 ウイルスツールの入手が用意で、それによる利益追求の戦略も立てられるとなれば、その使い道は自ずとこのGBNの破壊に繋げることができる。結果、残ったデータを再構成し、自分のネットワーク・システムを作ることが可能となる――。いつか福田自身が口にしていた言葉が思い起こされ、深雪は小刻みに震えあがった拳を握りしめた。

「しかし2000年代、GBNが利益追求政策の解除に踏み切ってから、状況は変わった。ELダイバーと呼ばれる電子生命体の出現だ。それ以後、段階的にGBNのサーバー・システムのレベルを段階的に下げられていくことを警戒して、運営はサーバー空間の向こうにサイバー本部を立てることとなった。今なお、深刻な打撃をうけている項目はブレイク・デカールだ。それにより大企業は撤退をし始め、その周辺企業が26ものサーバー企業が倒産した。つまり、ブレイク・デカールの裏には福田が糸を引いていた」

 タブレットからこちらに転じられた桂木の視線が、承知のことだな? と無言の圧を立ててくる。膝の力が抜け、深雪はゆるゆると椅子に座りこんだ。

 知っていた。

 聞いていた。

 もう10年も前に、自分は今日という日のことを聞かされていた。

『まずは流れを止める』

 あの日、ELダイバーの存在が貴重だったころ、ミカヅキを初めて自分に合わせた英一は、なにをするつもりなのかと問うた声に答えてそう言ったのだった。その傍らには福田の姿もあり、なにごとかと含んだ視線を英一と見交わしていて――。

「同年当時、福田和義はGBNの、ネットワークツールに口を出せる立場があった。その2年前に実施された史上最大のウイルス被害において、実質的に音頭をとったのは運営担当の福田だ。このGBNと〝財団〟の双方にコネをもつ彼なら、ブレイク・デカールを製作した主要メンバーとも口がきける。各個に働きかけて、意図通りのGBNを操るのも不可能ではなかったろう。GBNを動かし、ウイルスツールを隠匿して、ハッカーの介入を実現した彼なら」

 そう、そしてその時に福田も現行の〝システム〟の限界に達したのだ。ELダイバーの影響から、大幅な仕様変更に傾きつつあった、GBN。世界中から資金を集め、戦略的に昇りつめるためにGBNのシステムを短時間で跳ね上がらせた。

 このまま進めばこのオンラインゲームがサービス終了をするのは時間の問題であり、これを防ぐには日米政府が大規模の資金注入をするほかない。〝財団〟の知古を通じ、――彼がいうところのお公家さん連中――の首を外圧の真綿で締め上げ、ネットワーク史に残るあの悪魔のシステムツールの介入に持ち込んだ。

 製作したハッカーのブレイク・デカールによる直接サーバーの集団攻撃を実施し、GBNダイバーから金銭を調達。連日、資金を投入してのサイバー攻撃……いわゆるブレイク・デカール事件をもって、ついにはGBNの損傷を完全に成立させたのだった。

 ネットワーク・ツールによるハッカー攻撃によって、資金を食い物にされ、運用資金が破綻寸前に追い込まれた例は過去にもある。数々の争乱の教訓を学んでいても、GBNに猛然と立ち向かったブレイク・デカールの逸話は広く世に知られることになったが、当のハッカーには達成感とはほど遠い、しくじたる思いだけが残された。

『違法ツールでGBNから金を調達って言ってもな、あいつに直受けするってことは、ようするにダイバーから新しい金をばんばん吸い取りましょうって話だ。そこらのチラシじゃあるまいし、ビルドコインをどんどん吸い取って……。突き詰めれば、破損したデータだのって言う事にきてる。恐ろしかったよ。ビルドコイン目当てに、ダイバーが互いを互いに食い合って、誰も返せない借金をどんどん積み増ししている。伊豆の初代が言ってたのは、このことなんだって。正彦も、きっと――』

「加えて、福田には89年に自殺した呂名正彦との個人的な関係があった。現時点で彼らの目的を復讐と断定できる材料はないが、金家栄治も同事案に関係していた事実は無視できない」

 桂木の声が続いていた。記憶の中の声に意識を持っていかれたまま、深雪は半ばぼんやりと顔をあげた。

「この20年、金家の監視要度はDに固定されたまま、ほとんどノーマークと言っていい状態にあった。理由は複数あるが、これは部内の人間でなければわからないことだ。特資の監視下にある人間を、仲間に引き入れるのはリスクが伴う。こちらの監視体制に関する正確な情報がない限り」

 その情報を流したのは……と桂木の目がこちらを注視する。踏み込んだつもりが、逆に踏み込まれて身動きが取れなくなった。無様ななりゆきを笑う気力もなく、深雪は物質のように固い桂木の視線から目を逸らした。

「我々がここで明らかにせねばならない問題だ。君がいつ、どのように、どこまで呂名英一の計画に関与していたか。ブレイク・デカール事件を誘発したのも彼の計画の内なのだとしたら、その行動は恐ろしく戦略的と評さざるを得ない。人為的にGBN崩壊を引き起こし、その内部に環流していた『A金貨』の動きを止める。サービスの継続が困難になった〝財団〟にハッキング攻撃を仕掛け、緩みを誘発。十分に揺さぶりをかけたところで、本命の計画を発動し、詐欺師を使った直接攻撃で海外の関連企業から10兆円をせしめた。しかも実行前にミスを装ってウソの情報をばらまき、〝財団〟が防備を固めるのも計算に入れて逆手にとる……。実に見事だ。情報機関が他国の政府させる手を思い出す。その道の教育を受けた者でなければ、これだけのプランは立てられない。福田という運営部のプロのほかに、戦略上のアドバイザーがいたと見るのが自然だ」

 挟む口もないという体で、内事本部長たちも桂木の弁に聞き入っている。付け加えることがあるとすれば、初手のアクションから3年以内に、〝財団〟のセキュリティの強度を確かめ、本命のプランであったこと。その最終局面で宇宙人が攻め込んできて、計画の見直しを含めてさらに3年の時間を有してしまったことだが、いまさら益になる話でもあるまい。

 しょせんは知識だけ吸われ、計画には関われなかった戦略アドバイザーの証言だ。深雪は小さく息を吸い込み、無理にでも桂木の目を見返した。

「もうひとつ、グランプラスの端末から〝財団〟のイントラにウィルスは、宇宙人が攻めこんできたサイバー攻撃兵器の改良型だと思われる。知っての通り、我々のGBNに宇宙人が攻め込み、サイバー攻撃を仕掛けてきた。過去のデータが出回っているのなら、部内の人間が持ち出したと即断はできない。が、技術情報局の見解によると、これほどオリジナルに近いソースコードが使われた事例は過去にないそうだ」

 膝上に押しつけた拳の震えが止まらなかった。「まだ調査は始まったばかりだが、現時点で状況証拠としては十分だ」と断じた桂木は、微かに険しくした目を深雪のそれを交わらせた。

「正直に答えてもらいたい。呂名英一の真の目的と行き先を。事は君個人の進退に留まらない。我々〝対策室〟の……いや、事と次第によっては、日米GBNの根本を揺るがす事態にもなりかねん」

 奥底まで見通す光を放ちながら、桂木の瞳も震えていた。無理もない。事もあろうに〝財団〟の御曹司が『A金貨』を盗み出し、その番犬たる〝対策室〟の人間に共犯の疑いがかけられている。〝対策室〟の存続に関わる問題になることは必至で、フェアチャイルド筋の出方によっては日米のGBN友好関係にも亀裂が生じ、政治にどんな悪影響を及ぼすかわからない。外交と対米関係を同義にしている日本にとって、それは世界で孤立させられるのに等しい。もはや一情報機関の存否など問題にもならない。国家レベルで対処せねばならない重大な危機だ。

 その前代未聞の事態に、自分が関与していたか否か?答はイエスであり、ノーだ、と深雪は胸中に答えた。

 呂名英一が〝A〟であると知りながら、意図的に報告しなかったのは明らかなほう助行為。

 それだけではない。

 ミカヅキの使う、モビルドールを製作をしたのも自分。

 諜報や格闘術を教えたのは自分。

 NP-Dモビルスーツに似せたウイルスのデータを横流ししたのも自分。そして、計画の概要に諜報のプロの観点からアドバイスをしたのも自分だ。

 そうすることでしか、英一と一緒にいられなかった。破滅に突き進む彼の重石になるには、途中まで計画に協力する必要があった。

 今更、事の重大さを説かれるまでもない。彼の計画を誰より止めたかったのは――。

 自分なのだ。

 なぜなら、それを為した瞬間に呂名英一は命を失う。たとえ、〝財団〟の御曹司であってでも……いや、そうであるからこそ『A金貨』の一方の管理者であるフェアチャイルド財団は、謀反人と断固とした処罰を処す。

 わかっていながら、英一は行ってしまった。

 しまいには自らの正体にまでさらし、進んでそうするかのように断頭台に頭を垂れた。上手くいくはずがないことのために、なぜ?

 あなたの叔父が、兄が、その命をもってすでに証明したことではないか。

 〝システム〟を変える事なんてできない。

 世界が、完全であった試しもない。

 手の届く範囲の幸せに目を向けようとせず、あなたは、なぜ――。

 

『命を賭けるに値することだと思っている』

 

 桂木の瞳が薄闇に溶け、寝物語に聞いた英一の声がよみがえってくる。深雪は目を閉じ、記憶の中の瞳を見つめた。

 

『GBNとともに生まれた時から、『A金貨』はずっとこの日を待っていた。知ってるだろう? 『A金貨』のAは――』

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