ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

38 / 91
第三十七話

 その時に触れた肌の温もり、すでに彼岸を見据えていたまなざしが、冷えきった体に一抹の熱を宿す。

 失えない。

 この身がどうなろうと、あなただけは絶対に。

 深雪は瞼を押し開け、答を待つ桂木の視線を真正面に受け止めた。

「ひとつ、条件があります」

 そろって呆気に取られた素振りを見せたあと、内事本部長と特資室長が怒りも露わに机に身を乗り出す。「自分の立場が――」と言いかけた特資室長を制し、「聞こう」と桂木が口を開いた。

「ただちに外事部を動かし、ハンターの手が及ぶ前に呂名英一の保護を。ハンターはすでに彼の所在を把握しているものと推量されます。このままフェアチャイルド筋に彼の処断を任せれば、すべての真相は闇に葬られます」

「君の立場で言及することではない」

 内事本部長が、机に載せた拳をきつく握りしめて言う。桂木は身じろぎもせず、「特資の案件と外事部の活動は別にされている」と冷静に応じた。

「こと『A金貨』に関しては、我々は海外の活動を許されていない。呂名英一の追跡はアメリカの領分だ」

「方法はあるはずです。在外公館で活動中のオフィサーに別件で確保を命令してください。対象の安全が確認できた時点で、私も情報を公開します」

「彼の身柄を確保してどうする。向こうに知れたら、どのみち引き渡しを要求されるぞ」

「相手は日本人です。法的にも人道的にも、引き渡しを拒む権利がこちらにあります」

「それはつまり、彼の行為を追認して、フェアチャイルドとの交渉材料に使えということか?」

 予想外に早く核心をつく桂木の鋭さは、先刻すでに経験している。驚くことではない。

 深雪は無言を返事にした。

 内事本部長が苦笑の息を漏らし、「話にならん。そんなの」と特資室長が吐き捨てるように言う。深雪は桂木だけを見つめ、「事はもう起こっているんです」と静かに続けた。

「一方的に監督責任を問われて、日本は『A金貨』の管理権を失うことになりかねない。しかし、呂名英一の身柄を確保しておけば、10兆円を人質に妥協点を探ることができる。彼の行為を追認しろとは言いませんが、この際、〝対策室〟が独自に対抗手段を取るのも選択のうちかと」

「冗談じゃない! そんなこと許されるものか」

 机に平手を叩きつけ、特資室長が我慢の限界とばかりに声を荒げる。「こちらの覚悟次第です」と深雪も語気を強めて押し被せた。

「私達はGBNにおいて主権国家の一員だと申し上げました。政治は借りものではないと仰るなら、今こそご決断を」

「日米関係ドブに捨てて、呂名英一を保護する決断をか? そんなことが――」

「彼は『A金貨』をあるべき役割のために使おうとしているのです!」

 反響を打ち消されていても、その大声は室内の空気を波立たせ、3つのモニターを絶句させる程度には響いた。この腹のどこからそんな言葉が出てきたのか、深雪は小さく深呼吸をし、「呂名哲郎が、どんな思いでGBNを造り上げたのか、〝対策室〟に『A金貨』の守り人を任せたのか」と落ち着いた声を出し直した。

「『A金貨』の保秘作業をアメリカに選任させるわけにはいかない。体のいい番犬は必要だったのでしょう。でもそれをサービス間もないゲームに……他に選択肢がなかったからじゃない。『A金貨』の保全という大義名分を武器に、呂名哲郎はGPデュエルを進化させようとした。仮初めの主権を与えられたこの国に、イニシアチブを取らせるために……身を守る牙をもたせるために」

 わずかに揺らいだ桂木の目が、ゆっくりと伏せられてゆく。わかるはずだ、深雪はその瞳に呼びかけた。

 旧華族の血を引き、代々官僚を輩出してきた家に生まれながら、閉塞した官僚主義を嫌って、あえてゲームマスターという職に飛び込んできた男。

 家の重力に抗い、それをバネにしてゲームマスターというGBNの表の職務にのめり込み、実力でその長の座に収まったあなたは、ある意味私や英一の同類だ。既成の〝システム〟を鵜呑みにすることしかできない役人連中とは違う。呂名哲郎が求めたのは、まさにそういう人材なのだと――。

「ある程度、それはうまくいった。本業の特資の任務が傍流になるくらい、〝対策室〟はこのGBN唯一の実践的な情報機関として機能してきた。だが、ブレイク・デカール事件が終わって、数々の戦乱が繰り返されるうちに、当初の目的は失っていった。いまの〝対策室〟は自分では何も決められない。なにもしようとしない。番犬は番犬でも、牙を抜かれた番犬。本来の飼い主の大計を忘れて、アメリカの飼い犬に成り下がった哀れな番犬です」

「いい加減にしないか! 問題をすり替えるな。ここは君の審問の場だぞ」

 内事本部長が怒声を張り上げる。その声で我に返ったのか、桂木も目を上げ、

「『A金貨』保全のために発足したことは事実だが、我々は非公開とはいえ、GBNの情報機関だ。呂名哲郎の私兵ではないし、政治介入も許されない。日米関係の根幹に根差す問題を、独自裁量する権限など端から持ち合わせていない」

「いいえ、あります。少なくとも、呂名哲郎はそのつもりで、GBNを創った。単に『A金貨』の秘密を守らせるためではなく、いつか『A金貨』が本来の目的に供された時、日本がフェアチャイルドの妨害に対抗できるように。〝対策室〟にはその力がある。ブレイク・デカール事件も、宇宙人のごたごたも私たちは日本に有利に進められるだけの情報を得ていた。それが活かされなかったのは、数々の戦乱の始末で機能しなくなっていたからじゃないでしょう? GBN越しにアメリカの顔色をうかがい、上層部がノーと言えば重要な作戦もキャンセルされる。保身に凝り固まった私たちの思考が自分で自分を縛りつけているからです」

 内事本部長が腕を組み、うんざりだと言わんばかりに椅子に寄りかかる。特資室長も頭も抱える傍らで、桂木だけは深雪に捉えた視線を動かさなかった。伝わっている、その信じる心を唯一のよりどころにして、深雪は「呂名英一の行為をすべて肯定するつもりはありません」と続けた。

「でも、賽は投げられた。時は不可逆です。『A金貨』は本来の目的に目覚めてしまった。これまでの犠牲、『A金貨』の掟にふれて死んでいった者たちの血はすべて今日という日のためにあったとは考えられませんか? いま決断しなくて、いつするのです。ここにいる皆さんは知っているはずです。『A金貨』のAは――」

「だが、君は彼と共にいかなかった」

 断ち切る声音が桂木の口から噴き出し、深雪は先の言葉をなくした。

「それだけではない。私的に妨害もしている。我々に忠義を尽くしてのことではあるまい」

 言いたいことはわかるが、それはそれ。

 他者に道義精神を説くには、君はあまりにも自分の都合で動きすぎている。松音たち外部の人間をロシアに送り込んだこと然り、国から与えられた権限と職能を利用して――。

 なにもかも見透かし、把握もしている目に言外に詰責され、深雪は応じることなく顔を伏せた。

 期待外れ……ではない。

 自分には、他人に期待をかけるだけの資格がそもそもなかった。

 この数年、背信に背信を重ねてきた女がすべてをなくした腹いせに他人に当たり散らし、私が期待するあなたであれとまくし立てる。

 これが恥の上塗りでなくてなんだ?

 そういう思いが全身を満たし、なぜ、という再三の問いが胸の底で渦を巻いた。

 なぜ、彼とともにいかなかったのか。

 その答えは簡単だ。

 彼がそれを望まなかったからにすぎない。あらゆる手をつくし、その背中に追いつこうとしていた自分を尻目に、呂名英一は容赦なく一線を引いた。この先はついてくるな、と。君を巻き込みたくないという、男の身勝手な論理に基づいて、それで救われるのは自分の良心のみで、置き去りにされた方はなにひとつ救われはしないのに。

 もし、一緒に行こうと誘われていたら……取り返しがつかなくなったあとでもいい。あのサンクトペテルブルクの空港ででもそう言ってくれたなら、自分は迷うことなくその手を握っていたと思う。あるいは自分はそれを夢想としてロシアに飛んだのかもしれなかったが、夢想はどこまでも夢想だった。

 英一は私に背を向け、ひとり歩き始めた。

 別離の言葉もかけてくれなかった。

 もう、なにもできない。

 隠すことも、かばうことも、止めることも。

 周囲のすべてを裏切り続けてきた数年間は呆気なく幕切れを迎え、私にはなにもなくなった。

 これから何をすればいい?

 どうすればいい?

 呂名哲郎のもうひとつの遺産、GBNに望みを託す最後の夢想も夢想に終わりつつあるいま、私はこれからなにを――。

 桂木は無言で答を待っている。

 出まかせの言葉ひとつ繰り出せず、深雪は室内に充満する薄闇に目を泳がせた。

 答はない。

 最初からそんなものは存在しなかった。承知の上でここに来た自分は、きっとこの薄闇に倒錯した安寧を求めただけなのだ。湿った冷気に身を浸しながら、そんな理解が空になった頭を満たしていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。