第四十話
日本でプライベート・ジェットを乗り捨て沖縄へ、着いた先の安アパートでインターネット回線の準備を済ませ、GBNへログイン。次第に手入れのいきとどいていない転送ゲートを各々の機体で横断した先に、ヲチカタ・コロニーエリアはあった。
正直、知らないコロニーだった。
ネット内ニュースかなにかで耳にして覚えているが、どこにあるのか、なにがあるのか知らないし、興味を持った覚えもない。GBNに存在するコロニーエリアは一国単位だけでも100もあるのだから、知らないエリアがあるのは当然だとしても、この完全情報化社会にここまで目に入らないエリアも珍しい。
(話題になるようなものが何もないんですよ。たとえば、エリア単位の売り上げが乏しいエリアだとか、めずらしいレイドボスがいるとか、そういう話題でもこのGBNで1位になれば、Gチューバーのニュース種にはなる。でもこの、コロニーはたいてい僅差で2位か3位なんです。だから、Gチューバ―も気にしないし、運営も気にしないし、アップデートもしようとしない。運営が規定する後発するコロニー325エリアのひとつ。このGBNに存在するコロニーエリアのひとつ、それだけです。人気の定義なんて、ただの目安のひとつ。先進エリアで算定された数字基準でしかない。2位だからどうだったわけでもないのに……)
ロシアからの道すがら、そんな風に説明した〝A〟――呂名英一、ダイバーネームではエーイチと名乗っている――は、今はミカヅキの操縦する<モビルドール・ミカヅキ>の操縦席にこしつらえた補助席に収まっている。その隣で<ガンダム>を歩かせるエイジはその先に歩く白い機体をモニター越しに捉えつつ、周囲を見回してみた。
見渡す限りの大草原……などではない。険しい山脈が折り重なる壮大な光景もなく、乾いて白茶けた地面がどこまでも続く。緑がないわけでもないが、概して、木は普通のものより低く、道端に映える草も乾ききっている。
広大な採石場か、施工途中の工事現場を想起させる荒れた大地は、確かに宣伝向きではないなとエイジは認めた。手つかずの雄大な自然でもあれば話は別だが、険しい山脈が縦横に拡がるばかりの国土に面白みもなく、観光資源になりそうな特産品もない。
フォースバトルや商売に適していないもっとも場所で、2位。GBNが調査する失敗コロニーエリアでも2位で発展の兆しはまったくないという。物好きな旅好きダイバーが訪れるも、劣悪な環境だけあって、ワーストランキング常連のコロニーエリア……。
(ヲチカタって名前は、ここを開発したフランス人のエンジニアがつけた。なんでもアフリカの少数民族の言葉で、向こう岸って言葉なんだそうだ。たしかに川は多いけど、それが理由じゃない。未開のエリアの奥の奥。決して文明化できない、その不毛の地……。彼からすれば、向こう岸という言葉がこんな形で似合うとは思わなかっただろう。それならそれで、余計なスクラップを持ち込まずによかったのに)
モビルドールを自動歩行モードに変え、ミカヅキが饒舌に言う。
瞬間、それまで意識もしてなかった断片がひとつに繋がり、まったく予想外の光景が頭の中にひらけるのが感じられたが、突き詰めて考える暇はなかった。ほとんど同時に、2機の片足が小川に突っ込んだからだ。
泥まみれの水が機体に盛大に飛び散り、すでに土埃で汚れきっている装甲をまだらに濡らす。咄嗟につんのめた体に、エイジは軽く舌打ちをした。容赦ない陽光に炙られ通しの装甲をつかのま冷やしたが、ありがたがる気にはなれなかった。
幅5メートルほどの川は地面と同色の泥水で、根腐れした倒木と橋の残骸が吹き溜まり、すえた臭いまで漂ってきそうだった。はるか向こうに何かがあったので、<ガンダム>のデュアル・アイの倍率をあげてみると、象と人間を思わせるモビルスーツ、<アンフ>の残骸が頭から突っ込んでおり、それが汚染させた結果だろう。荒涼とした大地をより殺伐とした、これら大地を汚す『余計なゴミ』だ。しかもそれは残骸に留まらず、いまだ機能してこのエリアを汚染させてもいた。
岩石を積んだだけの粗末な壁で、門番代わりに立たされた<ザクⅡ>と思しき緑色の機体がマシンガンを構えたまま立っている。運営がELダイバー向けに配布した、作業用にしつらえた機体のひとつだ。
そして、いまやどこにどれほど埋まっているのか判ぜんとした大量の地雷。ここを訪れたダイバーたちによる貸し機体を使った紛争は常態化して久しく、この一帯も地雷原に数えられるという。舗装されているかもわからないひび割れた道路を少しでも外れると、とうに耐用年月が切れたはずの地雷が――
ドカン。
紛争の終結から何年も経とうとしているのに、ここの住民の被害はあとが絶たないらしい。
モビルスーツ……。
マシンガンを持った、錆びだらけの<ザクⅡ>も、そういえば片腕がなく、半ば固定砲台になっていたような気がする。
いつからああして、立たせているのだろう?
機体は錆びだらけでボロボロでも、同じダイバーに違いない人が動かしているモビルスーツの顔を瞼の裏に思い出し、エイジは考えるともなく考えた。住民の小競り合いが続くうえ、山賊と化した別の村の襲撃にも備える必要があれば、武装したモビルスーツは欠かせない。
ゴミに乗りながら、身を守るためにゴミを手にして、<ザクⅡ>はいつまであそこに立ち続けるのだろう? 昏い目にエリアの荒んだ大地を映し、自らも朽ち果てる日をただ待つかのように――。
ロシアを発って、3日。
今頃はグランプラスに10兆円分の請求書が届き、〝財団〟は上へ下への大騒ぎになっているはずだが、そんな事々がまるで現実感を伴わないほど、向こう岸……ヲチカタの光景はどこまでも貧しく、虚しい。
隣接するエリアに較べても、木材や鉱物などの天然資源が乏しく、なにより住民の識字率がエリアのもっとも低いコロニー。あげく、交通が未整備のエリアであり、補給船を使おうにもコロニーの外は岩石だらけで遡上は不可能……とくれば、GBNのアップデートを重ねても、中国GBNの工場群もヲチカタにだけは建つ気配がなかった。アジア最後のフロンティアと呼ばれた日本が最新技術の拠点と期待されるようになったのをよそに、ヲチカタ・コロニーは依然として無明の中にある。
最近、中国GBNが前にでるようにアップデートを行って利益をあげる計画があがり、アップデートの拠点としてヲチカタをエリアごと買収する動きがそうだが、コロニーに富を与えるアップデートは結局、ヲチカタを拠点とする計画は頓挫してしまった。
紛争で機能していない自治を相手に土地買収を進める不毛さと、文字も読めない住民たちを1から教育して働かせる労力を比すれば、アップデートに分配する資金には使わない方がいい。名うての中国企業にそんな判断を下らせるくらい、この国の覆う闇は深い。
<ガンダム>のモニターに気温が表示された。
現在、28度を示していた。
気候も年間を通じて、平均気温は29.8度。初雪が舞うロシアから連れてこられた事情はおくとしても、おそらくコクピットの向こうは人を消耗させる熱気と湿気のオンパレードだろう。ロシアでも僻地エリアは見かけたが、人と共生できる穏やかな自然の存在が感じられた。
ヲチカタの何も無さは、飛行機から見下ろしたツンドラ地帯の氷河にも匹敵する。それでいて、人が居住できる最低限の環境は整っているために、人が生じてしまった不幸が……そう、不幸だ、とエイジは胸中に吐き捨てた。
向こう岸とはよく言った。
人が渡れないほどの川が深いわけではなく、橋がかけられないほど遠いわけではない。ただそうする意味がないから留め置かれたコロニー。各国の経済活動が、GBNに昇華される時代となった今、きっと向こう岸までの距離はまだまだ遠く、キーボードで機体の接地率を調整してもなお、モビルスーツの足を抜いた川も深度を増している。
GBNが押し広げる文明圏の森林限界、それがヲチカタ・コロニーだ。
これからも、
これからも……、
向こう岸であり続ける不毛の地だ。
こんなところに、いったい何があるというのか。
エーイチとミカヅキは何も語ろうとらず、これまでの道程同様だんまりを決め込んでいる。ゲートに入り、3時間、宇宙を一直線に移動しているのに、教えられるのは、ヲチカタに関する基礎情報と、ここが最終目的地であるという一事のみ。
コロニーの事情を引き映してと言うべきか、ヲチカタ・コロニーの入口には、くたびれたゲートがあるだけで、その気になれば簡単に侵入できそうなものだったが、エーイチとミカヅキは正規の手順を踏んで入国し、エイジも偽造とはいえ、パスポートを提出させられた。
その時の国境警備隊員の応対、彼となにごとか話していたエーイチとミカヅキの態度から、以前にもこのコロニーに来たことがある2人の様子が発せられたものの、訪ねて返ってくるのは、曖昧な言葉ばかり。
いい加減にしろという所だが、ゲリラが出没する地雷原を移動中という時に、これまでよと啖呵をきって飛び出すわけにはいかない。
通信画面で見たエーイチのダイバールックをあらためて見れば、サファリベストを着込んだガイド然となっており、顔つきも涼やかなエーイチの顔つきのままだ。空調のきいたコクピットのおかげで汗はかいていないが、ポロシャツ姿で<ガンダム>を動かしているエイジの見てくれは物見高い観光客か、世間知らずのGBN運営職員か。
冗談じゃない。そんなのはゲリラのいいカモだ。
ゆすりたかりのカモになるのは、お上り満載の無警戒な奴と相場が決まっている。ガキの頃、ヤクザが経営していた闇GPデュエルで、たかる側にまわっていた俺が言うんだから、間違いは……。
ふと、意識が遠のきかけた。
あの時のタダシの言葉が意識をよぎった。
あんさんはモビルスーツに気を使っている。
いや、強行軍のとどめに悪路を長時間モビルスーツで移動して、気分がめいってきたか。コクピット席の脇に置いていた水筒の水をあおり、息をついたエイジは100メートルほど向こうを歩く人の一団に目を留めた。
モビルスーツが踏み固めた安全ルートより遠く離れ、現地人と思しき、人の列がまばらに平原を歩いている。全員が女に見えるが、あれが現実か、めいった頭に浮かんだ幻か。考える気力もなく、「ちょっと、止まってくれ」とエイジはあわてて言った。ちらと<モビルドール・ミカヅキ>の頭部をちらとうごかしたミカヅキが(なんで)と即座に返す。
気分が悪くなったなどといって、こいつらに弱みは見せたくない。「ちょっと休憩しようぜ、休憩」と言いながら、エイジは水筒の水をあおり、少しはすっきりした頭で女たちがいる方を見やった。
やはり、いる。
子供から老人まで、4、5人ほど。全員、重そうな瓶を両手で持ち、こちらと並進する形で一列縦隊を作っている。
(ダメだ。このあたりは地雷原だと言ったろう。モビルスーツでも迂闊に歩き回ると危ない。もう少し、行けば――)
「あそこに歩いている連中、いるじゃんか」
見る間に後方に遠ざかっていく一団を、<ガンダム>が右指をさして、エイジは口をとがらせた。通信画面を表示させたミカヅキは、表情に眉間を曇らせ、
(彼女たちは毎日ここを行き来している。何人も犠牲を出して、ようやく探り出した安全なルートを歩いているんだ)
そう言い、通信画面越しに交わした視線を逸らしたミカヅキは、(それでも、年に2、3人は犠牲がでる)と付け加えた。
軍隊さながらの一列行進は、そうして見出だされた獣道をあるくためのものか。次第に小さくなる女性たちに目を凝らしつつ、「なんでこっちを歩かないんだ?」とエイジは問うた。(ゲリラ避けだ)とミカヅキのモビルドールがこちらに頭部を向ける。
(あそこを歩いている限り、ゲリラの連中は襲ってこない)
「襲うったって、あの人たちたいしたもん持ってないだろ」
(持ってるさ。ここにいる住民はみんなELダイバーなんだ)
ELダイバー。この人たちがみんな……?
(ELダイバーの新鮮な生体データは貴重だ。だから闇ルートで裁かれている。特に新鮮な子供のELダイバーの生体データは重宝される。用途が豊富だからな。誘拐を目的としたフォースもいるほどにな)
ミカヅキが淡々と言う。ぞくりと走った悪寒に気分の悪さを吹き散らされ、あらためて、進んでいる女性たちを見つめた。
あの人たちがELダイバーたち?
その大人たちに混じって、ひと回り小さい瓶をもった少女もまた、ELダイバーなのだろうか?
「……どっかに働きにいってんのか」
(水汲みだ。運営フォースがとりつけた井戸が、5年前に壊れた。以来、ああやってる。12キロ離れた湖から水を持ち帰るために)
「12キロ……」
想像を絶する距離だった。どこかの町に行商にいくのかと思いきや、ただ水をくむためだけに往復24キロの道程とは。
いまは往路だろうか、帰路だろうか。
帰路なら、彼女たちの手には10リットルはくだらない水が載っている。
幼児の手を引く二十歳くらいの母親も、顔じゅうの皴に長年の労苦を忍ばせる老婆も、全員、一刻も早くこの苦役を終わらせたいにちがいないが、バランスを崩せばこぼれてしまう水と、道を踏み外せば炸裂するかもしれない地雷が、早足であるくことすら許してくれない。急ぐに急げない苛酷な道行きを、誰もが地獄に落とされた亡者のように――。
「子供だっているぜ……」
生まれた場所が場所なら、日々を楽しみで埋めることだけ考えていればいいELダイバーの子供が、不意に息苦しさを覚え、エイジは視線を正面に戻した。一向に速度を緩める気配のない<モビルドール・ミカヅキ>に「なぁ、俺たちで乗せてやったらどうだ?」と通信を吹き込んだ。行く先が村であれ湖であれ、モビルスーツだったら大した寄り道では……と続くはずの弁を遮り、(危険だ)とミカヅキの声が通信で吹き込まれた。
(少しでもルートを外れたら、地雷に引っかかる。いくらモビルスーツだとしてもただでは済まない)
(それに)
通信画面がもうひとつ現れ、エーイチの声が、あとを引き取るように口を開く。(誰かひとりを救えばいいってものじゃない。この状況そのものを変えない限り、誰も本質的に救われないんです)
常になく硬い声を断じ、先に川から脱した<モビルドール・ミカヅキ>の視線は女たちを追っている。機体のふとした目が〝A〟の目がそこに重なり、エイジは内心ひやりとしたものを感じた。すっかりぬるくなった水筒の水を口に含み、不快感の名残のと一緒に飲下してから、コクピットシートを座り直す。「まさかとは思うけどよ――」と出した声にエーイチの口が止まった。
「あの10兆円をビルドコインに変えて、ELダイバーの住むマンションでも作りましょうって話じゃねぇだろうな」
(いけませんか?)
「おまえ、俺に何を見せるっつてここに連れてきたんだよ」
GBNが変わる。その瞬間を――。
ぬけぬけと、しかし得体の知れない真摯な返事をこころ待ち伏せ、エーイチの小さな笑い声が通信画面から聞こえたようだった。エイジは右の操縦桿を握りしめ、
「建設事業は結構だが、そのあとはどうする? 新しいマンション建てたって、運営のメンテナンスをしない限り、5年と持たない。保全目的のお抱えフォースに委託して、面倒を見させようとしても無駄だ。預けた金はフォース内で山分けされて、レアアイテムやらパーツを買う資金にされて、保全維持には一銭も回ってこない。やたら豪奢なガンプラができて、はい終わりだ」
(詳しいんですね)
「こういう稼業やってるといろいろ勉強しなきゃいけなくなる」
GBNの運営は毎年、政府から1兆円前後の開発保全予算を計上しているが、その全部が全体に行きとおるわけではない。2割程度は差し引かれ、運営お抱えの有志連合の人件費や利権屋の懐に収まっており、その一部は運営維持の資金に回されている。
それが資金繰りで、協力していただければ、報酬としてさしあげますよ……という詐欺も存在する。
『A金貨』一本鎗の身に関わる話ではなく、同業者の動向を知るために軽く調べた程度だったが、その際に聞きかじったELダイバー援助の実態はまったく惨々たるものだった。
そう。
惨々たる……。
例えば、そのディメンションに出現するマスダイバーを対処する根本的な対策として、そのマスダイバーに対応した<NP-D>モビルスーツを大量に配備するとする。この時、現ディメンションの責任者に購入代金を渡すのは問題外で、その金は間違いなく、運営のポケットマネーや拡大したディメンションの修繕費と化す。
では、現物を送り届ければいいかというと、これも必要にしている下位フォースなどのダイバーたちには届かず、多くの機体は解体され、闇市場に吸収されてしまう。そして、無人機の効能も必要性も理解していないダイバーたちの手で、メンバーの乗るネビルスーツの追加パーツに転用されたり、場合によってはフォースの新たな機体となったりするのだ。
マスダイバー撲滅を声高に叫ぶ上位フォースの人々―その多くが有志連合に参加し、善意を持てる者の義務として、困っている人を救わんとする人々-が、実はトラブルのなんたるかを知らず、トラブルがもたらす無知とさもしさを理解しようとしていない。
寄付を集めて送りつければ、保護も出来ず、野垂れ死をするELダイバーの何百人かは救えたと信じ、そうはならなかった現実を意識的にも無意識的にも無視する。この上位フォースからの援助と、現地の個々のニーズをすり合わせるために、エリア密着型のフォースが東奔西走していることがあるが、ベテランのダイバーにたどり着く心理は常にひとつ。曰く、
『援助で立ち直った国はなく、自ら変わろうとしない者を変えることはできない』。
その不毛ぶりは、寄付で義務を果たしたつもりになっている上位フォースの人々も変わらず、そのディメンションに寄付した運営の<NP-D>モビルスーツで、世界中の下位ダイバーの勝利とビルドコインを削り取っては持てる者のみに還元して、間接的にそのディメンションの利益を悪化させている自らを省みもしない。
地球外生命体の襲来直後、世界中から義援金が集まる一方、GBNの対応がさんざん叩かれて、苦境に陥った状況もその一例といえる。
善人。
悪人。
この2つの人種が存在するのが問題なのではない。
1個の人格に、善と悪が互いを意識もせずに共存しているのが問題なのだ。その大元を見つめ直さない限り、援助というものは、上位フォースのマッチポンプに終始する。10兆円をまるまる投下したとしても、救われるものはなにもない。
「有志連合を立ちあげて、維持のサポート体制を作ったとしてもだ。エリアの体制が機能してないんじゃ、消耗戦にしかならない。学校建てて字を教えるとして、ああやって水運んでいる子に通うし時間があるか? そりゃ救われる奴だっているだろうさ。でも目の届く何人かを期間限定で救ったって、結局は自己満足にしかなんねぇだろ。そんなことで世界を救うだの変えるだの言ってんなら俺は……」
突然、黒ずんだモビルスーツの影があらわれ、エイジはぎょっと口を閉じた。
巨大な戦車かなにかと注視するうち、バカでかいハンマーのような掘削装置と、それを支える<ザク・タンク>が見えてきて、作業用に改修された機体だと判別がついた。掘削用の外管を土中深く突き刺したまま、壊れた水飲み鳥さながら動かなくなった<ザク・タンク>は、このあたりでは最大の人工物に違いない。「ゴミのひとつだ」とミカヅキは硬い声で言う。
(GBNの運営が、このコロニーを整備しようとして撤退した。その残骸だ)
近づくと、<ザク・タンク>のポンプユニットを中心とする敷地が鉄柵で囲われ、周囲の砂利道も多少警備されているのが見て取れたが、ここにダイバーやフォースが出入りしていたのは何年も昔の話だろう。<ザク・タンク>の両腕に取り付けられたであろう、ポンプユニットは錆ついており、朽ちるに任せていて、半ば腐り落ちた鉄柵は雑草に埋もれてほとんど判別できない。
勝手な思惑で干渉してきたフォースの連中が、失望と一緒に置き去りにしていった粗大ゴミ。機体の側面に印された〈このヲチカタに未来を〉の文字を読みながら、「ひでぇな」とエイジは呟いた。(なにも進展しなかったからな。機体を回収する金も惜しかったんだろう)とミカヅキは無表情に言う。
(別にかまわない。他のゴミと違って、あれは人を殺さない)
<ザク・タンク>が後方に遠ざかってゆく。その言いようにまたぞろ胸の奥がざわめき、見ていたのに見えなかったなにかが像を結ぶ感触があったが、今はエーイチの真意を探る方が先決だった。「そういうことさ」と聞こえよがしに独りごちたエイジは、コクピット・シートに座り直した。
「エリア拡大が成功してりゃ、学校もほっといてもできてた。人助けの〝システム〟に従ってな」
〝システム〟を強調した声音に、<モビルドール・ミカヅキ>の歩が一瞬だけ止まった。エーイチの声はなかった。
「上級フォースに安く買いたたかれたって、売るもんがなんにもないよりかはいい。エリア購入万歳、〝システム〟万歳だ。10兆円ありゃ、その〝システム〟と同等のエリアを造れるだろうよ。問題は10年後だ。手取り足取りやったって、自力でやれる産業が育たなきゃ、このエリアは維持できない。あっという間に錆びついて、あのタンクみたいなゴミになるだけだ」
<ガンダム>と視線を合わせていたモビルドールは、すぐに視線を逸らし、モビルドールは聞こえていない顔で、歩き続ける。
エイジはふんと鼻息をつき、
「ここに武器を持ち込んだ連中と変わんねぇよ、そんなの。〝システム〟と張り合うために、この国を実験場にしようってもんなら――」
(確かに、エリア強化が成功していればここはにぎわう事でしょう。世界中のスポンサーから投資金が集まって、ここの整備は一気に進む。それば地場産業ができていれば、高度成長だって見込めるかもしれない。GBNのように)
エーイチの声が吹き込まれる。わかっているでしょう、と言い含める口調を押し返す気力はなく、エイジは唇を閉じたままわずかに動かした。
(貧困から抜け出すために、きっとこのコロニーの人たちはがむしゃらになって働く。自分たちの手で築き上げた繁栄……10年、20年後のELダイバーの人たちは、近代化されたコロニーを見てそう思う。でも現実は、国の基幹産業はここGBNに握られている。このコロニーの政府、このコロニーの産業と信じていたものも、ひと皮むけばすべてGBNの介入が入っている。
最初期に参入したスポンサーや周辺企業が、そのようなシステムをこのコロニーの根幹に埋め込んだからです。その時になって気づいたって、もう遅い。先進エリアとは名ばかり、ヲチカタは外資と、その後ろ盾になっているGBNの傀儡でしかなくなる。自分の意思では何も変えられないし、なにかを止めることもできない。〝システム〟に基づいて導入された繁栄を維持するために、死ぬまで成長を強いられるでしょうね。命綱のなにかが枯渇したら、自分の命を切り売りしても)
ふと、ひとりのELダイバーが引き起こしたGBNの崩壊が脳裏に浮かび、事故の絶望的な経過をニュースで見続けた日々が思い起こされた。
事故の直後は、親の仇のごとくELダイバーを忌み嫌い、デモだ反対運動だと騒いでいたはずが、いまやELダイバー排他を口にすると『空気の読めない奴』と眉をひそめられる。
GBNごと死線をさまよった悲憤も今は昔、ネットワーク大国たる我が身を十二分に認識しながらELダイバーを保護し、増え続けるELダイバーの上にあぐらをかき直したGBN――そうしなければ経済が立ちいかなくなる。成長し続けよと命じる〝システム〟に従って。(同じ過ちを繰り返させるわけにはいかない)と続けたエーイチの声は重く、エイジは我知らず、地雷原の向こう側に目をやった。水汲みの女たちの姿はとうに見えず、白く乾ききった大地がモニターに流れるばかりだった。
(自分の未来は、自分の手で築き上げなければ……。そのための『A金貨』です)。
「だから、具体的にはどうすんだよ」
ふっと緩めた口調で、(じきにわかります)とエーイチは言った。<モビルドール・ミカヅキ>の顔を小突いてやりたい衝動に駆られたが、「なんなんだよ」とエイジは顔をしかめた。
「もったいぶりやがって。さっさと見せろよ、世界がかわるその瞬間ってのを」
ふふふ、とうすい笑い声が聞こえただけで、エーイチはもう応えなかった。
岩と木が点在する荒野を点在する荒野に遠い眼差しを注ぎ、その不毛さをまるごと引き受けたかのように表情に引き締めると、前に向かって<ガンダム>を歩かせる。土壇場で踏みとどまれた安堵の両方を受け止め、切れ切れに雲が浮かぶ青空に視線を飛ばす。
これから行く先がどこであれ、そこはきっと長い旅路の終点になる。
ロシアからの3日間ではなく、エーイチやミカヅキと会って以来の旅を締めくくる……いや、『A金貨』の真実もまたそこで明かされるかもしれないとなれば、この旅路を締めくくる終着点に違いない。
一刻も早くと焦る一方、もう少しこの状態でいたいとも感じている自分はいったいなにを期待しているのだろう。
逸る頭で考え、わき出したあくびを噛み殺したエイジは、それだけはどのディメンションも変わらない空をただ見つめた。
大きなワシが一羽、はるかな高みを音もなく横切り、瞼の裏にも一点の染みを残した。