ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第四十二話

 目的地の村に到着した時には、陽は山の稜線に下端を触れさせ、昼間の酷暑が嘘のように消え、片膝を座らせた降着させ、<ガンダム>の開いたコクピットの中に風が流れ込むようになっていた。エーイチが着いたことを知らせると、タダシの事で頭がいっぱいの考えから醒めたエイジは、ザジーブと呼ばれる村の風景を見渡した。

 寒村、という一語で大半が説明できる村だった。

 家屋は痩せた木材に廃材と思しきトタンを組み合わせた平屋ばかりで、周囲に立つ高木より背の高い家は一軒もない。

 唯一、ゲリラを警戒するために見張り台がわりに立っている<ザクⅡ>が、三階分の高さを確保しているが、あの機体も昼間通った<ザクⅡ>と同様に、装甲各所に錆びだらけな情けない姿をさらしており、モビルスーツ戦ともなれば簡単に倒壊してしまいそうな有様だった。それを警戒してか、積み上げられた土嚢がモビルスーツの前面に置かれていたが、これはゲリラ除けではなく、洪水に備えてのものだという。

 付近を流れる川が氾濫し、村を水浸しになるのは年に1度や2度のことではないらしく、同様の土嚢は村の敷地を覆う囲いの前にも積まれてあった。家屋がすべて高床式の造りになっているのも、同じ理由かもしれない。

 村の人口は200人ほどで、井戸の周りでは女たちが洗濯物を棒で叩き、その傍らで子供らが遊ぶ牧歌的な光景も見られたが、泥遊びをする子供らの中には肘から先のない者もいる。その他、稲作やトウモロコシの栽培が主な収入源とはいえ、肥ような土地柄でないことは素人目に明らかだった。

 ヲチカタ・コロニー……。

 その特有の地力のなさに加え、このあたりは近くの山から冷たい風が吹き下ろしてくる。ちょっとした気候の揺らぎでも冷害に見舞われるため、村内の野菜畑には保温用のほろが欠かせず、収穫量も安定しない。生活を維持するには出稼ぎに頼るしかなく、毎年何人もの男が当てもなく村を出奔し、3分の1はそれきり消息を絶ってしまう。

 ゲリラに殺されたか、

 あるいはゲリラとなって、マスダイバーの駒となったか。

 いっそ、ELバースセンターの保護下に志願すればよさそうものなら、その枠は読み書きのできるELダイバーの間で埋まっているという事情の他に、この村の成り立ちに関わる固有の問題もあって、ザジーブの出身者が保護下に入ることはあり得なかった。

「このコロニーが独立して間もないころ、自分たち北方のELダイバーたちだけが独立支配する体制に、異を唱えて、全体の融和を進めようとした者たちがいたんです。彼はELダイバー同士の結婚を奨励して、自分の子供や家臣たちにも各地の地区のELダイバーとも結婚を勧めたんですけど、そういう態度は右と左の双方に敵を作ってしまうものなんでしょう。ヲチカタの独立政府が共和制に移行して、紛争が激化するようになると、彼はELダイバーたちの結束を乱す裏切り者として暗殺されてしまった。残された彼の一族や家臣は、都市部を追われてここに辿りついたそうです。ヲチカタの中でもいっとう不毛な土地……でも、同族から裏切り者と呼ばれ、他のELダイバーたちには裏切り者の一党として、彼らにはほかに居場所がなかった。血のにじむような努力を重ねて、彼らはここに新しい村を造り上げました。この村の人たちは、

みんな追放された、いわば、仲間たちの末裔なんです」

 <ガンダム>から降りたエイジの隣で、<モビルドール・ミカヅキ>から降りたエーイチが説明した。その通り、このザジーブの村人たちは他のELダイバーたちとは違う。

 あの少し右にいるELダイバーは浅黒く、ぎょろりとしているのが特徴的。

 が、ザジーブの村の人々はそれよりも白く、鼻筋もちんまりとしていて、どこかアジア系には見えない。どちらかといえば、日本人に近しい顔立ちと言えた。

 さまざまな電子データ……いや、血の混合がたまさか作り出した容姿なのたろうが、日本人と見間違う人々が自国にあって、公務にもつけず、貧窮の底の底を舐めざるをえない現実は、集団意識など持ったためしがない詐欺師にも得体の知れない疼きを感じさせる。

 ここになにがあるにせよ、村内にはさらに悲惨な光景と対面させられるに違いなく、エイジは覚悟してその時を待った。

 先に村の内奥に歩き出していったエーイチとミカヅキの後を追い、ついたその先にエイジはやがて公民館と思しき大きな平屋建ての家屋の前で止まり――

 そこでエイジは、予想を裏切る意外な光景を目にすることになった。

 井戸のある広場から公民館に至る道のりに、銀色に光り輝く鉄塔が何本も立っている。

 各々の鉄塔は架空電線で結ばれ、電信柱そのものの見てくれを呈しており、電線の始点となる場所には黒光りするパネルが土台と共に設置されていた。

 太陽光発電パネル……。

 それらが20枚以上、公民館の脇で黄身がかった陽光を浴びている。

 電気はおろか、水道も通っていない村には異質すぎる代物で、我知らず真新しいパネル群に近づいたエイジは公民館の前に1台のトラックが駐車しているのに気づいて足を止めた。

 2トン積みのトラックで、荷台には大量の木箱がぎっしり詰め込まれ、数人の男女がそれを運び出している。軍服や洗いざらしのTシャツに七分ズボンや、いろいろな出で立ちなダイバーたちがいて、どこかのダイバーたちと差支えなかったが、木箱を受け取る男女には活気がある。疲労と感嘆、無気力が染みついたヲチカタについては、ちょっと気おくれさせられるほどの活気だ。

「あのトラックの連中は?」

「運営の所属の有志連合の人たちだ」

 答えるや否や、エイジの隣にいたミカヅキがトラックの方に駆け寄ってゆく。知り合いなのか、笑顔でなにか話しかけた男に軽くてを挙げて応じ、荷台に飛び乗ると木箱を運び出す手伝いを始める。

 いつしか子供たちも寄り集まり、興味深げに荷台を覗き込んでいたが、彼らの様子からミカヅキの来訪が初めてではないことが見て取れる。

 ミカ、ミカ、とあがる歓声に、ミカヅキはいつもの仏頂面をほんの少し緩め、まとわりつく子供の頭を仕方ないというふうに、撫でたりしている。

 あいつにあんな顔ができるとは。

 長い旅路のなかでは決して見せなかった表情を見て、先刻から感じ続けているなにかと向き合いかけたエイジは、村人のひとりがポケットからなにかを取り出すのを見て息を呑んだ。

 自分と同年代の……いや、このコロニーの人間は普通のELダイバーより老けて見えるから、まだ30そこそこかもしれない。なんであれ、彼の手に握られているのが、携帯端末であるのには間違いはなく、エイジは誰かと通話し始めた男の姿を凝視した。

 ヲチカタ・コロニーに入国して以来、自分のウインドウは圏外になっているから、おそらく直通で独自の電波を引っ張っている携帯端末であろう。あのアイテムはひどく高価な物のはずだが、こんなコロニーでも都市部の人間には経済的に余裕があるということか?

 よく見れば、他の住民のポケットにも同様の携帯端末が収まっている。

 白、

 青、

 黄色。

 カバーの色はさまざまだが、手持ち式の旧式だし、公用で使われているシステムウインドウでもない。各国語の翻訳デバイスを搭載したためにこのような代物になってしまった、とミカヅキは言っていた。あれは――。

「ELダイバーの半分以上の人々が、いまだネットワーク機能を使ったことがないって知ってますか?」

 いつからか背後に立っていたエーイチが、小石のような声を投げつけてくる。「インターネットの接続は世界を一周しているというのに」と続いた言葉に「どういうことだ?」とエイジは振り返った。

「他のコロニー国家では、情報統制を兼ねて、接続を制限しているみたいな例がありますけどね。途上コロニー国家で需要が伸びているのは、基本的にプリペイド式の安価なインターネット端末。違法ツールとか人身売買とか、ブラックマーケットの連中の必需品ですよ。日替わりでインターネット機能を使い捨てている連中が、インターネットを知らない人たちを食い物にしている……」

 山の稜線越しに差し込む陽の光を受け、その瞳が昏く燃えているように見えた。

「でもこれからは違う」

 そう重ねたエーイチが懐から取り出したものを見て、エイジはここでなにが行われているのか半ば理解した。

 運営直属のダイバーが手にしているのと同じ、携帯端末のタッチパネルに指を走らせ、電波の受信を確認したらしいエーイチの表情がほっとしたように緩む。

 と、その視線が不意にエーイチの背後に向けられ、大音声の自国語がエーイチの口から噴き出した。

 公民館に梯子をかけ、トタン張りの屋根に上っていたダイバーが、万事OKというふうに頭の上で丸を作る。彼の傍らには多重無線用のパラボラアンテナがあり、直系1メートルほどの皿が山の方に向いている。山の頂上にそれよりもずっと大きなアンテナがそびえ、土台の鉄塔ともども、遠目にはこけしのように見えるシルエットを逆光に浮かび上がらていた。

 隣に併設された太陽光に併設された太陽光パネルとともに、無線通信用の基地局となるパラボラアンテナ。

 GBNスタッフが常時使っているウインドウ式の通信機能などではない。

 情報ネットワークから隔絶された向こう岸の僻地に、彼らは自前の通信ネットを構築しようとしており、この村ではすでにそれが機能しているのだ。

 資材の調達から人員の手配まで、いったいどれだけの手間と金が費やされたものか。控えめに言っても正気の沙汰とは思えず、エイジは唖然とした面持ちでエーイチを見返した。

「プロバイダの設置も兼ねて、もう別の村で実証実験はすんでいます」

 そう、静かに続けたエーイチは、トラックの方に顔を向けた。おそらくは彼自身が雇い入れたフォースに混じり、村の子供たちが木箱の搬出を手伝っているのが見えた。

「今頃は30の村で同じことが始まっている。明日以降はもっと……。入金が確認できたので、工場で差し止められていた分も出荷が始まりましたからね。生産ラインも再開しました。みんな、エイジさん――いえ、金家さんのお陰です」

「俺の……?」

「我が社の資金繰りに協力してもらいたいって、言ったでしょ?」

 アルスター・フレイヤ社製の携帯端末を掲げ、エーイチは笑った。

 1か月前、無人のオフィスで向き合った時の顔がそこに重なり、エイジはめくらましされた思いでその顔を見つめた。笑みを消し、空恐ろしくなるほどの強い光を瞳に宿したエーイチは、「行きましょう」とすぐに視線を逸らしつつ言った。

 エーイチは、トラックの荷下ろしが続く公民館の方へ歩いてゆく。

 世界が変わる。その始まりの――。

 反すうした言葉にかつてない重みを感じながら、エイジも公民館に足を向けた。

 

「約束のものをお見せしますよ」

 

差し込まれたバールがめりめりと木箱を軋ませ、釘打ちされた蓋を開いてゆく。

 公民館前の広場に集まり、じっと様子を見守る村人たちの数は、50人を下らない。   

 大きく見開いた目を爛々と輝かせる少女。

 赤ん坊を抱いた母親。

 野良仕事を終えたばかりの農夫。

 松葉づえで片足のない体を支える少年。

 息を殺して見つめる彼らの面前で、蓋は開ききり――箱の中に収まる4個の球体が露わになった。

 バレーボールをひと回り小さくした大きさの球体は、青く塗られた上に大陸の形がプリントされ、ひとつひとつが地球を模している。ひとつの箱に、発泡スチロールに包まれて4つ……2段詰めのようだから8個か。エイジが思う間に地球のひとつを取り出し、ケースになっているらしい球体を2つに割ってみせた。

 赤道を境に地球形ケースが割れ、中に収められた携帯端末が姿を現す。真新しいそれをひとつに手を取り、エーイチは人垣の最前列にする子供たちの顔を順々にながめてゆく。

「HA、RO」と口を開き、子供たちは少し困惑した様子で顔を見合わせる。「……ハロ?」とエイジが喋る間もなく、エーイチは「HA、RO」ともう一度繰り返すと、耳に手を添えて、子供たちの方に身体を傾けてむけた。

 滑稽な仕草にくすくすと笑い、子供たちは「HA、RO!」と元気に唱和する。

 エーイチはにっこりと相好をくずし、箱から取り出した地球形ケースをひとりひとりに手渡し始めた。他のフォースのメンバーたちも、その手で箱が次々と開けられ、広場のあちこちで同様の光景が繰り広げられる。

 男も女も。

 青年と老人も。

 ひとりにひとつずつ小さな〝世界〟が手渡され、夕暮れの迫る広場は興奮する村人たちで沸き立った。

 その喧噪を割って、頭上に地球形ケースを掲げたエーイチが公民館の方に歩き出す。それぞれの〝世界〟の手に、子供たちが小走りであとを追いかける。

 松葉杖の少年が気になり、エイジは彼の姿を人垣の中に探した。松葉杖では地球形ケースを持ち運ぶのもおぼつかろうと思ったが、杞憂だった。彼はミカヅキに背負われ、すでに公民館に向かい始めていた。早く! 早く!とはしゃぐ少年の馬になり、子供らをごぼう抜きにするミカヅキの横顔も、少年と同じくらい笑みで輝いているように見えた。

 公民館には、数台のデスクトップ・パソコンが運び込まれ、フォースの人たちらがサーバーの調整に取りかかる一方、村人に携帯端末……HAROの使い方を教える簡素な図解が張り出されるなど、ちょっとした学校の雰囲気を漂わせるようになっていた。

 HAROの本体には文字表記がなく、カメラや電話などのアイコンで各種ボタンの役割が示されているが、図解はそれをさらに噛み砕き、HAROでできることをすべて絵で説明したものだ。

 電話で誰かと話す事、

 写真を撮ること、

 なにか調べものをすること。

 簡単な絵が対応するボタンの脇に描かれ、文字はいっさいない。

 分厚いマニュアルが必須の日本とはえらい違いだが、思えば人が端末に求める機能はこの3つで事足りるのかもしれない。

 寄りかかれば壊れてしまいそうなすだれ作りの壁を背に、エイジは即席教室が始まるのをまった。

 身振り手振りを交えて村人たちに座るように伝えたエーイチが、新任教師よろしくHAROの図解の前に立つ。

 と。

 腰の曲がった老婆が教壇の方に進み出て、自分の〝世界〟をおずおずとエーイチに返そうとするハプニングが起こった。

 せっかくだけど、あたしゃいらないよ。機械なんて使えっこないんだから。

 そんな風に言っているのだろう老婆に〝世界〟をやんわりと押し返し、エーイチは自分のHAROを老婆の顔に近付ける。耳元でささやかれた声に、老婆はしぶしぶHAROを手に取り、なにごとか小さな声で呟いた。

 音声認識デバイスが吹き込まれた声を検索ワードに置き換え、サーバーのデータベースにアクセスするのに1秒とかからない。

 HAROのディスプレイに無数の鳥の画像が表示され、驚いた老婆がエーイチを見る。

 見せて見せてと子供らが周囲を取り巻く中、エーイチはディスプレイに触れてみるよう身振りで示し、老婆は恐る恐る画像のひとつに指を触れた。

 鮮やかな南国カラーの鳥の画像が拡大され、動画の再生が始まるとともに、その鳴き声がHAROのスピーカーからから再生させる。続いて始まった解説音声は、ろくに聞き取りなかった。おお、と村人たちがどよめきの声をあげ、マシンボイスをかき消してしまったからだ。

 それがきっかけになった。

 村人たちは勝手に自分のHAROをいじり始め、もうエーイチの説明も図解もほとんど必要なかった。

 アルスター携帯端末のユーザビリティの高さは尋常ではなく、電源さえ入れればマニュアルの助けはいらない。極めて理解力に優れた音声認識デバイスがユーザーの声を聞き取り、音声ガイダンスで手取り足取り使い方を教授してくれる。

 アルスター社が独自に開発した検索エンジンは、まず専用のサーバーに保管されたデータベースにアクセスしたあと、ネット上の複数の該当項目も並列に表示させる優れもので、例えば検索ワードに関連するGチューブの動画しつつ、ガンダペディアの該当項目を音読させるなどということもできる。

 隣のコロニーがコロニー内の全ELダイバーにタブレットパソコンを配布し、ネット社会への将来的な全対応を目指すのに対して、このHAROはネット社会を現実の世界に―その大半がウィンドゥの使い方も知らない人々が住まう世界へ―引き寄せようと試みる。人がルールに合わせるのではなく、ルールが人に合わせるための方策が徹底されているのだ。

 エーイチが日本からやってきたと聞いて、ある子供がジャポンとHAROに吹き込む。

 ヨーロッパGBNが所有していた頃の名残で、ヲチカタでは外国名のほとんどがフランス語に翻訳されているが、HAROでここの現地語が選択されているため、検索結果までフランス語読みになるということはない。

 世界遺産に認定された富士山を始め、日本に関連する画像がずらりと表示され、子供の指がその中のひとつに触れる。カブキ、とマシンボイスが読み上げると同時に、カブキの動画再生が始まり、ヲチカタでは聞いた試しがないだろう、三味線の音、歌謡いの声音がHAROから流れ出す。他方では飛行機の轟音、象の鳴き声、古いシャンソンの声音。

 これも移民時代の流れで、年寄の中には昔の歌を覚えている者が少ない。

 アコーディオンの音楽を耳にし、また聴けるとは思わなかったと涙する老婆の傍らでは、同じくらい歳をとった白髪の老人が村の民謡かなにかをHAROに吹き込んでいた。データベースにない言葉が入力された場合、逆にHAROの方がそれはどのようなものか聞き返してきて、ユーザーの返答はそのままデータベースに共有される。次に誰かが同じ言葉を検索したら、きっとこの老人の歌声が再生されるようになるだろう。

 複数のHAROから溢れるさまざまな音、村人たちの興奮と熱気が混然一体となり、向こう岸の一画に情報という名の滋養を浸透させてゆく。

 いきなりこれでは刺激が強すぎる、情報に溺れてしまうのではないかと不安になったが、村人たちの目に溺れる気配はなかった。それぞれが手にした〝世界〟を食い入るように見つめ、その広さと多様さに目をみはりながら、そこにどう加わっていけばいいのか、この広大な世界にあって自分はどこに位置するのかと本格的に考え始めているのかもしれない。

 全体と対置されることによって、初めて認識できる個、我という存在――もう彼らは向こう岸に縛りつけられた無力な人々ではない、とエイジは気づかされた。まだ川は渡る方法は見つけられずとも、少なくとも向こう岸ととらえ、そこに留め置かれた自らのありようを自覚しつつある。

 その知性の閃きが子供たちがの目にはある。

 大人たちも手にしたHAROに真剣な眼差しを注いでおり、その内奥でなにがしかの化学変化が起こっていることが傍目にもわかる。今、この瞬間、彼らは生まれて初めて世界に触れ、その一部である己に触れたのだろう。向こう岸の風景しか知らず、己を嘆く言葉も持てなかった命が、ここではどこかに目を向けることを覚えたのだろう。

 じわりとした熱が胸を宿り、急に血の通った全身が痺れるのが感じられた。

 世界は行き詰ったと絶望し、GBNに潜って、虚構の強さで紛らわせるしかない人間たちをよそに、ここには歩むことを知らない人々がいる。行き詰まるどころか、まだ始まってもいない人々が、今日とは異なる明日の予感に目を輝かせている。その実感が熱を放ち、感じたことのないふり幅に揺さぶられる一方、だから? と冷めた声で問う自分もいて、エイジはひとり当惑の時間を漂った。

 あの10兆円がHAROに化け、ヲチカタ・コロニーの全国民の手に渡る。それはそれで違いないが、これで世界のなにが変わり、救われるというのか。

 ヲチカタ・コロニーが情報化社会に適応したからと言って、世間の大勢になんの影響があろうはずもない。このザジーブ村の人々にしても、諸手を挙げてエーイチの施策を歓迎しているかは怪しい。こんなオモチャより、水道の一本も引いてくれた方にありがたいと思う者が必ずいるのではないか。

 4、5歳の幼児たちにHAROの使い方を教えているはずが、エーイチはいつの間にか鬼ごっこの鬼をやらされている。キャッキャッとエーイチを追いかける子供たちには目もくれず、片足のない少年はHAROのディスプレイをスクロールさせるのに余念がない。

 〝A〟と名を変えて、〝財団〟に反旗を翻したことも『A金貨』を盗み出すために命をすり減らした日々も、すべてはこのために――そういうことなのか?

 出口のない思考をめぐらせ、徒労の息を吐き出したエイジは、ミカヅキの姿が見当たらないことに気づいて辺りを見回した。

 つい先刻までいたはずなのに。

 熱気と人いきれが溢れ返る公民館内にその姿はない。

 走り回る幼児らをかき分け、戸口の方に足を向けたエイジは、公民館前の広場にミカヅキの背中を見つけた。

 すっかりあかね色に染まった広場に長い影を落としつつ、数人の老人たちを前に立ち尽くしている。老人たちは一様にスカートのような民族衣装を腰に巻いており、村長とその一団と察せられたが、奇妙なのはミカヅキに対する彼らの態度だった。

 村長らしき老人を先頭に、全員で三角形の列を作ってミカヅキと向き合い、深々と一礼しながら地面に膝をついてゆく。村に恩恵をしめして……ではない。それならミカヅキよりエーイチにするのが筋だし、なにより老人たちの所作とあまりにも大仰に過ぎる。

 ある予感を抱いて、エイジはミカヅキの背中を凝視した。こちらの視線に気づく様子もなく、跪く老人たちをじっと見下ろしていたミカヅキは、村長が何ごとか喋り降りるのを待って微かに顔を上に向けた。

 両手を顔の前に掲げ、合掌したかと思うと、両の親指で鼻を挟むようにして天を振り仰ぐ。

 老人たちもそれに倣って合掌し、跪いたまま瞑目した顔を空に向ける。

 五指を開いての合掌は、仏教のそれとは異なる。おそらくは自然崇拝の一種なのだろうが、老人たちの敬意は明らかにミカヅキという人間に向けられており、ミカヅキもそれを当然のことと受け止めて儀式の一端を担っているように見える。

 ヲチカタ、という声が風に乗って聞こえた。

 私に祈る必要はない。私もまた祈る者だ。

 ともに祈ろう。ヲチカタのために。

 広場に突き立つミカヅキの背中が、そんな祝詞にも似た言葉の意味を言外に伝え、エイジは予感が的中したしたことを――このコロニーに来た時から抱き続けてきた感覚が正しかったことを確信した。

 日本語を始め、少なくともGBNによる言語補正がなくとも三カ国以上の言葉を喋れるミカヅキ。でも日本人なら誰でも理解できる皮肉に反応しなかった。

 ジュースも知らなかった。

 思い返せば他にもたくさん……だが、そうであるならすべて説明がつく。

 ミカヅキは――。

「彼女は、ここで生まれた」

 不意にかけられた声に、エイジはぎょっと背後を振り返った。いつからかそこにいたエーイチが、穏やかな目を戸口の外に注いでいた。

「名前はミカヅキ。彼女がそう名乗っていた。なんかそれっぽく見えませんか? 空から光り輝いて、満月になったかと思ったら、すぐに半分隠れてしまう。そのくせ、夜に輝くと言う月の役目を忘れない」

 隠していたことを悪びれもせず……というより、目前の人影ひとつに無条件の信頼を寄せている声に毒気を抜かれ、

「だな」

 と、エイジは苦笑した。

 まとわりつく幼児の頭を撫で、外に送り出してから、「もう10年になります」とエーイチは述懐を続けた。

「GBNのスタッフをやめて、当てもなくGBNの色々なところで戦って……。ここに流れ着いたのは偶然だった」

 一抹の陰りが、夕陽を浴びる横顔に宿ったようだった。真実に触れる恐れに胸を突き上げながら、エイジは無言で先を通した。

「彼女と出会わなかったら、僕はいまだに何もしていなかったかもしれない」

「え……?」

「僕は、ここで答えを見つけた」

 呟き、エーイチは1歩を踏み出した。あとを追いつつ、

「答えって何の?」

 エイジは問うた。エーイチは丸太の階段を下りきったところで立ち止まり、

「僕の祖父、呂名哲郎から出された問いかけ……。叔父も、兄も、それを手に入れようとして死んでいった。この長い間、常に『A金貨』と共にあった問いかけに対する答えを……」

 夕陽の逆光で塗りつぶされた顔に、一対の目が光っていた。〝システム〟の外に踏み出した獣の目と目ほ合わせ、エイジは金縛りにあったかのごとくその場に立ち尽くした。

 

 

 

 フェアチャイルド銀行が所有するビジネスジェット機は、定刻通り東京空港に着陸した。

 発着ダイヤに煩わせずに済むジェット機も、着陸後の導線は普通の着陸機と変わらない。地上走行する機体が指定された駐機場に向かう間、マイケル・プログマンはその間に指定したGBNの場所でログインしてハンターと連絡を取り、彼が追いかけている目標の動向把握に努めた。

 仕事に取りかかって1カ月、並みの人間なら疲れが溜まっているはずだが、向かい合っている彼の声にはいささか揺らぎもない。抑揚のない声も常と変わらず、彼が全ての報告を終えるまでに30秒とかからなかった。

「わかった。引き続き監視を続けろ。そう長い時間じゃない。奴を支援している支援先の動きを監視している連中が、そっちに合流する。そうしたら店じまいだ」

「はい」

「今、ELダイバーの国に着いたようだ。また連絡する」

「……はい」

 精緻な機械人形が、その時だけはわずかに反応を遅らせたのが興味深かった。情緒の欠落した機械人形も、さすがにELダイバーという言葉には思う所があるらしい。

 思えば奴、ドレル・中村もそうだった。

 そう思い出し、マイケルはGBNからログアウトした。現実に戻り、政界での窓外に流れる夜の空港を眺めた。数年前に拡張され、国際線を広く受け入れるようになった東京都の空港施設は思ったより大きく、午後9時にも関わらず離発着する旅客機があとを絶たなかった。

 呂名哲郎と通じ、『A金貨』をアメリカに紹介した―この言い方には語弊があるが―ドレル・中村は、その交渉窓口を務めた祖父に言わせるなら、〝切れ過ぎた男〟だった。

 日本とアメリカ。

 2つの祖国の橋渡し役となり、そして『A金貨』の守り人として生涯を終えた工作員。いわば、初代のハンターであった男が日本側で出会った奴に引き継がせたのは己の職種か、道義なき世界を虫のように生き延びる生存本能か。それを効率よく発揮するための麻痺した精神か。

 たぶん、全部だと思った時には、駐機場に入った機体が停止し、内蔵式の昇降機を稼働させるモーター音が機内に響き始めた。到着を告げに来た金髪のアデンタントに儀礼的な笑みを返し、それ以上の接近と干渉を無言のうちにはねつけたマイケルは、アタッシェケースひとつを手に席を立った。

 これから一般の乗客に混じり、税関をくぐらねばならないのかと思うとうんざりするが、仕方がない。

 東京ではようやく24時間態勢の受け入れが始まったとはいえ、日本ではビジネスジェットを運用する気風が長く育たなかった。

 フライトに関する各種許可証がひどく難しく、施設利用料もトップレベルに高い。狭い日本では新幹線が十分だからだと言うが、それだけではない。航空法が大手航空会社を基準に設定されたため、柔軟な運航ができないのが普及を阻む最大の理由だ。

 実に日本的な理由ではないか。そう、マイケルは思った。

 ネットワークの国、ガンプラの国、規制緩和だと騒ぎながら、新規産業の参入を阻む古い因習。既得権益優先の非効率主義がごろごろしている。この国には、時勢に応じて臨機応変に働く回路があらかじめ封殺しているのだ。

 縦割りの官僚主義、己の職分のみに忠良たれと説くセクショナリズムは、江戸の昔から続く日本の国民性だと捉えがちだが、現実は違う。自分で決める事、考えることを封じられた傀儡国家が、意識的にも無意識的にも養ってきた体質―すなわち我々が与えたものだ。

 それでも不自由のないシステムを与えてやったのに、下手な考えで〝システム〟の根幹に戦いを挑んできた愚かな日本人がひとり。その相手が、我々と盟約を結んでシステムを造り上げた張本人、呂名哲郎の血筋とはまったく泣けてくる。

 GBNが始まる前、巻き返しを図り、経済戦争を仕掛けてきた連中どもはとうに息絶えたこの時代に、まったく別のアプローチで挑まんとする鬼子が身内の中から現れる。

 たばかられたな……。

 誰にともなく呟き、マイケルは開放された昇降機の前に立った。

 報せを聞いて、慌てて飛んできたのだろう。駐機場には〝財団〟に参与する外務官僚が並び、明滅する航空灯がその緊張した面持ちを浮かび上がらせていた。機上から手を振る一方、マイケルは昇降機につけた足をしばし止め、ОBの老人も混ざっているこの国の官僚たちをじっくりと見回した。

 メルボルンから東京まで……思えば長かった。かのアメリカの偉人は、初めて日本の土を踏んだ際にそう漏らしたという。

 異国で財宝を奪われた我々の管財人が、盗人の足を踏み入れて最初に口にした言葉にしては、そこそこウイットに富んだおとなしめの発言というところか。

 自分はなんと言おう?

 盗まれた財宝に『A金貨』と名をつけ、呂名英一とともに、GBNというシステムを造り上げた祖父。

 その功績をもらって、フェアチャイルドの係累となった祖父の血を継ぎ、一族の外様として『A金貨』を――それを養分にして育った実験国家の管理を引き継がれた自分はいま、ここで、なんと。少し考え、無為なことと苦笑したマイケルは一気に昇降機を駆け下りた。進み出た官僚ひとりと握手を交わし、「状況はお聞き及びでしょうね?」とジェットエンジンの爆音に負けぬ声で言う。

 

 

「過ちは速やかに正しましょう。我々の未来のために」

 

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