ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第四十三話

 12月の25日。呂名英一は生まれた。

 『ガンダムシリーズ』を始めとしたさまざまなSF作品が、ネットワーク社会に新時代への憧憬をかき立てる一方、世界は対テロ戦争に苦しみ、アメリカでは中東へ派遣した軍隊の後遺症が物心両面において、はっきりとし始めており、日本ではGPデュエルを統括する協会の資金横領事件の余韻も冷めやらず、ネットワーク高度経済成長によりフルダイブ型オンラインゲーム、GBNへの移行に従い、GPデュエルの終焉しようという時が合流した頃だった。

 当時、兄の正彦は中学を卒業しようと言う歳で、両親ともに40を目前とした時に生まれた英一は、いわゆる恥かきっ子の類いに違いなかった。遅くに、予定外に授かった次男が、よりにもよってクリスマス当日に誕生したという話は出来過ぎている。

 まだ存命中であった『A金貨』宗主・呂名哲郎を含め、呂名家の人々はこの天からの授かり物に喜び、十二分に慈しんでいたが、当のエーイチは、彼らの笑顔の裏に潜む隠微な空気を早くに感じ取っていた。

「僕が生まれたその年に、父の弟が亡くなっていたんです。ご存じでしょう? GBNの開発事件で、不審死を遂げた関係者のひとり。『A金貨』事件史において、呂名の名が表に出た最初のケースです。それで家中が沈んでいる時に、母は僕を身ごもった。不謹慎な話じゃないか、と思春期のころは思いましたけどね。自分も大人になってみると、その時はそれが自然だったんだろうってわかる。叔父の死については、父がいちばん感じるところがあったはずですから……。何かにすがらずにいられなくて、その結果だったんだと思います。

 でも叔父の生まれ変わりみたいなタイミングでしたからね。祖父の手前、みんな表立って、口にはしなかったけど、叔父の怨念を身ごもったんじゃないかとか、陰ではいろいろ……。母はそういう空気にも動じないっていうか、跳ねのける強さをもってる人でしたけど、父の方はダメでした。父親がするべきことはみんなしてくれたし、疎まれていたとも思ってませんが、僕はあんまり父の目を見た記憶がない。時々、じっとこっちを見てたりするんですけど、目が合うと、なんか気おくれしたみたいに背を向けてしまって……。女性に較べて、男は愚かですね。強がって、傷なんかないように振る舞って、どうしようもなくこじらせてしまう。怖いんでしょう、きっと。それが癒しようがない、一生つきあっていくしかない傷なんだって認めるのが」

 そう言い、寂しげに笑ったエーイチの顔は、夕陽と、片膝をついて駐機しているエイジの<ガンダム>の装甲が生み出す逆光で半ば陰に埋もれていた。

 英一の叔父、呂名博司――GBNの優秀なダイバー『ハロシ』にして、資金横領事件で挙げられた元総理の派閥に属する若手議員。

 事件の発端とも言える博司の引退劇。『A金貨』の名を一躍世に知らしめた架空資金詐欺への関与が噂されるも、噂以上の確証はないまま、交通事故で死亡。前年に相次いだ関係者の不審死に加えるには、やや時機を逸した感がある末期で、ニュースにはほとんど報道されなかった。

 享年はたしか、32だったか……?

 ほぼ暗記している『A金貨』の資料を記憶の中でまさぐり、ハンターという言葉ひとつを重ね合わせながら、エイジはエーイチの横顔を見つめた。

 ミカヅキと、彼女に拝礼していた村長らの姿はなく、公民館前の広場には、エイジとエーイチと<ガンダム>が落とす影の身のみとなった。

「そんな空気は、兄の方が力強く感じ取っていたんだと思います。不在になりがちな父を補うように、兄はよく僕の面倒を見てくれた。祖父も…・・・当時は伊豆高原に別荘があって、祖父は半ばそっちに隠居したようなものだったんですけど、夏休みになると僕らを呼び寄せて、いろんな話を聞かせてくれました。大量の金塊を日本に運び込んだ話とか、それが銀行から盗まれそうになった時、政府の誰と誰を味方につけて、その金塊を〝財団〟の管理下に置いていった話とか、『A金貨』にまつわる国造りの神話ってやつです。

 聞く人が聞けば天地がひっくり返るような内容だったんでしょうけど、僕はただ祖父の話が面白くて、兄も、よく遊びに来ていた福田兄さんも、最初は祖父の冒険譚くらいに聞いていたはずです。見かねた父が何度注意しても、祖父は馬耳東風だし、僕らも聞いちゃいけないとなるとますます……。子供の頃は、夏が来るのが本当に待ち遠しかった。昔は盆暮れのたびに一族が集まっていた別荘も、博司叔父が死んでからは閑古鳥がなくようになってましたから。祖父とお手伝いのお姉さんがいるだけでの別荘は、僕らにとって解放区だったんです。息苦しい家を離れて、このネットワークという世界の成り立ちを祖父から学ぶ秘密の学校……。父が危惧していたのも間違いありません。どう言いつくろったところで、あれは呂名家の呪縛を受け継ぐ儀式に他ならなかった。祖父も、僕らも、それを承知でのめり込んでいったんです。

 でも、当時ようやく小学生になったばかりの僕はともかく、兄たちは卒業間近の大学生です。同じ話を聞いていても、受け取る重さは全然違っていた。特に、兄は……。もし博司叔父の呪いなんてものが本当にあるのなら、取り憑かれたのは兄の方だったのかもしれない。大学を出て、アメリカに留学して、帰国すると叔父の盟友だった議員を頼って政界入り。父は金融方面に進ませたかったみたいだけど、政治家を目指すのなら、それもいい。〝財団〟の運営には政界との連携が必要不可欠で、博司叔父の一件以来、呂名一族は政界との直通パイプを失ってしまった。その穴を埋めるために、本家の長男が進んで政治の道に歩むというなら、それも……って。でも兄にはそんなつもりはなかった。博司叔父がそうであったかのように、兄も答えを見つけたんです。昔、『A金貨』とともに託された問いかけ……そのために〝財団を築きながら、祖父自身はついに答えられなかった問いかけに対する答を。アメリカに留学して、有名ダイバーになるのも、政界に身を投じたのも、すべて答を実現するための準備でしかなかった。何もかもかも覚悟の上で、兄は走り始めて……あの事件が起こった」

 バンダム事件。

 国内屈指のガンプラメーカーに架空の融資を持ちかけ、手数料を騙し取ろうとした『A金貨』詐欺事件。

 首謀者の汚名を着せられ、自らの命をもって事件に幕を引いた呂名正彦だが、それは『A金貨』をあるべき目的のために使うという大望をもって引き起こされたものだった。〝財団〟の了解がとれない中、独自に内密に事を進めるには、外部の力を借りる他ない。それも、GBNダイバーとしての実力を高く持っていたのが――。

「黒須修二さんを殺害したのが、〝対策室〟かフェアチャイルドのハンターか……。今となってはわかりません。エイジさんの前では推測は避けますが、兄が自殺であっただけは間違いないと信じてい動こうとしなかった動こうとしなかった祖父への絶望、非難することしかしなかった父への反発……。なにより黒須さんという第3者が犠牲になるのを目の当たりにして、平気でいられる兄ではなかった。苦しみ抜いて、出した結論だと思います。たったひとりで、ネットワークという世界を敵にまわして……僕が、あと10年早く生まれていたら……」

 拳を握りしめ、最後に絞り出すようにエーイチは言った。

 その前後の敬意こそ、もっとも聞きたい『A金貨』の真実に繋がる話には違いなかったが、今は質問のタイミングではないとわかっていた。公民館から漏れ聞こえる子供たちのの歓声を遠くに聞きながら、エイジは無言で栄一の背中を見つめた。

「祖父からいろいろ聞かされていても、まだ中学生にもなっていなかった頃の事です。当時の状況はろくに理解できなかったけれど、家の空気がいよいよ重苦しくなるのはわかっていたし、兄の死が一族のタブーになってゆく気配も感じ取れました。祖父は伊豆の別荘にこもりきりになり、父はそんな祖父にあてつけるように『A金貨』をGBNに投入させて……。

 葬儀の時、誰かが言っていました。正彦は〝システム〟に触れたんだって。『A金貨』を運用する〝システム〟……いや、『A金貨』を触媒にして、GBNの深いところまで根付いた〝システム〟。その手伝いをしてきた祖父の願いは、『A金貨』の真の存在価値は、〝システム〟の外にこそある。兄はそこに飛び出そうとして、死んだ。誰にも相談できず、ひとり暮らしのマンションで首を吊った。父は泣きませんでした。祖父も泣かなかった。他の親族たちがそうするように、それが〝システム〟であるかのように押し黙って、兄の遺体を見送った。ただひとり、違っていたのは福田さんです。すまない、正彦。俺は臆病者だ。どうしようもない臆病者だ。そう言って棺に泣きすがる福田兄さんを見て、僕は初めて泣いていいのだと知った。人の感情まで支配する〝システム〟、それを唯々諾々と従うしかない大人たちに対して、怒って良いのだと知った。誰が忘れても、僕だけは忘れない。兄が示そうとしたもの、〝システム〟に触れてでも手に入れようとしたなにかを、いつかきって……」

 唇を噛み締め、エーイチは続く言葉をしばし呑み込んだ。おそらく、その瞬間に〝A〟は目覚めた。

 『A金貨』の呪縛と真摯に向き合い、それを解くためなら世界を敵に回すこともいとわない。呂名家の歴史が必然的に生み出した鬼子、〝財団〟の反逆児が産声をあげたのに違いなかったが、以後、GBNでキャリアを重ねてゆく福田ともども、エーイチが〝A〟として行動を起こすにはそれから5年以上の歳月が必要とされた。

 叔父や兄の失敗を繰り返さぬためには、彼らのそれを上回る答えを見つけなければならず、人並み以上の知識と経験を自らに蓄える必要がある。その方策としてエーイチが選んだのは、呂名家に残された最後の種として、〝財団〟を相続する道を選んでみせることだった。

 東大卒、アメリカ留学、モビルスーツ対戦会優勝と、周囲に勧められるまま兄と同じコースをたどったあと、大人になったエーイチはGBN極東部に就職する。『A金貨』の運用元であるGBNへの就職は、彼の父も歩んだ〝財団〟理事長への最短コースでもあった。

「〝システム〟を覆すために、自らが〝システム〟になってみせる……なんて、祖父ほどの覚悟があったわけじゃありません。ただ、兄が死んだ理由、祖父が語った『A金貨』の意味を本当に理解するには、まずGBNの中へ、〝財団〟に飛び込んでみせなければって考えただけで。でも、その筋の訓練を受けた祖父みたいな人間でなければ、自分や周囲を騙し続けるなんて無理ですね。学校を出るまではなんとかなりましたけど、いざGBNに入って、情報屋の身の処し方や物の見方を覚えるうちに、怖くなったんです」

「怖い……?」

「僕がGBNに就職したころには、Elダイバーって言葉が世間でも聞こえるようになって、グローバル化とGBNが、この時代の不況を救うって誰もが信じていました。ELダイバー保護が活発に流行るのはもっと先のことですけど、情報工学の発達がマネーを膨れ上がらせて、世界規模のネットワーク・ショックを引き起こす気配はすでに漂っていた。〝財団〟と二人三脚でネットワーク企業を育ててきたGBNも、そんな風潮にあわせるように、銀行もその名を日本政策銀行と名を変えて、マネー投機合戦になって……。国も企業もネットワークも、将来的に現在以上の価値が出ると言う合意の下に投機が繰り返され、担保となるGBNの未来を食いつぶす暴走。祖父の予言通りのことが始まっていたわけですが、そういうことじゃない。怖かったのは、そんな中でもやっていけそうな自分自身です。

 〝システム〟の中で仕事をして、それなりに満足して、それだけで人生が埋まってしまいそうな……。これで家庭でも持ったら、僕はなにもわからないまま、なにも終わってしまうんじゃないかって。それで、ほとんど発作的にGBNにハマりこんで、ガンプラひとつで、エリアを歩く旅に出ました。傍から見れば安っぽい、現実逃避と言われても仕方のない自分探しの旅です。猛反対されるだろうって覚悟してましたけど、父は何も言いませんでした。兄のこともあるし、ガス抜きくらいに考えて……いや、違うな。あの人は、僕が、〝財団〟を継ぐことを期待していなかった。むしろ、祖父に念押しされたのをよく覚えています。引き返せない道だ、いいのかって。昔、『A金貨』の話を聞いたのと同じ伊豆の別荘で。隠居して以来、会いに行ったのは10年振りくらいのものでしたけど、祖父は言わずとも僕の決心を見抜いていた。それでも念押ししたのは、僕の脆さも見抜いてのことだったんだと思います。叔父や兄と違って、僕は一族の中から抜け出さなければ最初の1歩を踏み出さなかった。あのまま〝財団〟の一員になっていたら、流されるに任せて――」

「そういう奴じゃなかったら、てめえの身を危険にさらして雇われ詐欺師を助けたりしないわな」

 ようやく言えた皮肉。エーイチは力のない笑みを返した。

 もうひとつ。

 彼をぎりぎりまで、その場に踏みとどまらせたのは、おさらく木城深雪の存在だろうとエイジは想像した。

 確かに情に流されやすい部分はあるが、その実行力、いざと言う時の決断力は、初代で『A金貨』の管理システムを立ち上げた呂名哲郎の血筋に違いない。その気になれば〝財団〟のトップに昇りつめ、内から食い破ることくらいならできただろうが、深雪という重石がエーイチにそれをためらわせた。己の野心を隠し、彼女を道連れに自爆するような真似はエーイチにはできなかった。

 彼が何より恐れるのは、この計画で犠牲者が出ることなのだから。

 が、その脆さと表裏一体のやさしさが、エーイチに叔父や兄にはたどり着けなかった地平を見せることになる。

 〝財団〟から抜け出した彼は、ひとりGBNを旅してまわった。

 ビルドコインや金もろくに持たず、現地でガンプラを購入しては作り、その国のディメンションを見て回っては、次の国のGBNに移動する予定のない旅。さまざまな国々のダイバーと、そしてELダイバーたちと触れあい、時に、ろくに手をとどいていないエリアをさまよい、そこにあるGBN世界のなんたるかをしかりと身にしみ込ませる……などという穏やかな自分探しの旅は、祖父からあらかじめ世界の見方を学んでいるエーイチには用意されていなかった。

 GBNには、いろいろな仕事というものが存在する。飲食店、服飾店、そこここの風土に合ったダイバー、ELダイバーたちの暮らしに感銘を受けることが多々ある。しかしそれらは運営に与えられた仕事-もしくは、その手が行き届いていない〝向こう岸〟に取り残されたエリアの整備限界-であって、もとより、〝システム〟を跳ね返す強度が備わっているわけではない。そこから何かが始まるということはなく、またネットワークと金が垂れ流すとも無縁ではいられなくなっている。

 南エリアの離れた小島エリアで、貧しくとも暮らすELダイバーたちは、無秩序な企業進出と情報化の波にされされて、インターネットとガンプラのせいで格差というものが生まれ始めた。またダイバーたちの中には、快楽をもたらす違法ツールやELダイバーを狙った人身売買といった犯罪が運びらせるようになった。

 先進国で運営するGBNにしても、それら後発のGBNを犠牲にしてグローバリズムの春をうたっていたわけではなく、身を切ってでも成長できない運営維持に陥り、ゲームの暴走に足を取られつつある。中国GBNなどの新興GBNに商圏の拡大を夢見つつも、もはや経営運営だけでは自国のGBNも維持も回しきれず、欠陥だらけの資金にすがって不毛な資金戦争を繰り返すばかり……。

 ネットワーク、そしてGBNという魔物に食い尽くされつつある世界は、これからどこに向かうのか。

 『A金貨』という呪われた資産の継承者として、自分にできることはなにか。

 叔父や兄が彼らなりに手に入れた答を手掛かりに、エーイチはGBNというGBNを渡り歩き、魔物に遮断された土地を見て回った。誰に教えを請うでもなく、自分にしか見いだせない答をさまよう旅は、ダイバーという客ではなく、求道者のそれにも似た過酷な道のりであった。

「このヲチカタ・コロニーに流れ着いたのは偶然でした。祖父が『A金貨』を銀行に運び込んだルートを追体験するつもりで、東南アジアGBNに足を向けたのがきっかけで――。そんな思いつきにすがって行き先を決めたぐらいだから、僕も疲れていたんでしょうね。日本を発って1年が過ぎようというのに、答を一向に見つけられない。捕まえかけてはいたんです。兄が見出した答を補強して、もっと確実に新しい〝システム〟を走らせる方策が、それを可能にする技術が今ならある。でも、それを実現するには、僕自身が確信できる何か……自分で自分に証明できる何かを見つけなければならない。それがなんなのかもわからないまま、ネットワークの垢ばかり溜め込んでいって……。ヲチカタに流れ着いた時は、その日かぎりの傭兵なんかやっていて、現地で作った<ジェガン>もぼろぼろの有様でした。それまでの1年間で現地の熱病でうなされたり、強盗のフォースに金を奪われたりって経験もいくらでもしてましたからね。心も荒んで、かなり自棄になっていたんだと思います。

 だから……っていうと、そんなことはないってミカヅキに怒られるんですけど、そうなんですよ。慣れない傭兵プレイなんかやって、疲れきって、もうどうにでもなれって心境でなかったら、彼女を助けていたかどうか……。双眼鏡で遠くを見ると、相手は武装したモビルスーツで構成されたフォース、それも一番タチの悪いELダイバーの人身売買を生業にしている連中でしたからね。これも偶然の成り行きで、連中がひと仕事終えて帰る途中だったんです。山間のほとりで、周囲には村も何もない。そこで何をしていたと思います? 最初は、意味がわかりませんでした。でも、見てしまったんです。拘束したELダイバーたちを逃がしていたのを。その人たちはバラバラに逃げていった。ちょうど1機のモビルスーツがマシンガンをかまえて、ELダイバーたちを追い回していました。マシンガンを地上に向けて、まるで子供が羽虫を追い立てるように……。その時、目が合ったんです。距離は双眼鏡越しでも、100メートルは離れていたと思います。その彼女がまっすぐに僕を見つめてきた。

 ひやりとしました。血反吐にまみれて、右腕から血を流しているのに、その目の光はとんでもなく強い。助けを求めてるんじゃない、なにかを一心に問いかける目だって、すぐにわかりました。おまえは誰だ、なぜ俺を見る。私より長く生きているお前は、私より賢い人間か? そうなら、教えてくれ。なぜ世界がこんななんだ。なにか意味があるのか? 私が生きてきたこと、これから殺されることに、なにか意味があるのか……?

 その頃のミカヅキは、字の読み方も知らない。知っていることと言えば、畑の耕しと機関銃の撃ち方くらい。自分を憐れむ言葉すら持ち合わせていなかった。でも、僕は彼女の声がしっかりと聞こえた。持って生まれた知性の光……5年たった今も変わらない、ミカヅキの目がそこにあった。その世の地獄を経験して、子供なのに大人びている。現にあのフォースのダイバーたちの目は濁りに濁っていた。どんな先進国GBNに生まれていたって、同じように目を濁らせてしまう者は当然いる。環境、血筋、教育、そういうことじゃないんです。1000人にひとり、10000人にひとりかもしれないけれど、彼女のような目の持ち主はいる。どんな現実を見ても濁ることなく、なぜ世界はこうなのか問い続けられる目。理不尽に抗い、常識の外、〝システム〟の外にあることの本質を追い求め、必要なら〝システム〟そのものを変えてゆこうとする天性の資質……才能と呼ばれるなにか。それは、この荒みきったヲチカタの他にも確かに存在する。当たり前かもしれないけれど、これはすごい事です。まだ携帯も使ったこともない整備不全のエリアに住む人々、GBNに存在するELダイバーたちのなかに、先進国GBNのそれと同じ割合で才能が存在するのだとしたら。異なる環境で育ち、異なる発想を持っている彼女らの才能を、行き詰っている我々の世界に取り込んでゆくことができたら。それだけで、世界の風景は劇的に違ってくると思いませんか?

 だから僕はミカヅキを助けたんじゃない、自分自身を、自分が出した答を完成させるために、ミカヅキを連れ出したんです。この目と出会うために自分は旅をしてきたんだって、ほとんど熱に浮かされたみたいに……。捨て鉢になってなきゃできない、今思い出しても冷や汗ものの暴挙でした。

 夜になるのを待ち、ぼろぼろの<ジェガン>を呼び出して接近。ぼろ布ののように横たわるミカヅキの衰弱しきった身体をその手に乗せて、夢中で走った。幸運だったのは、夜ごと守りをしていた<ザクⅡ>や<グフ>の足がおぼつかなかったことだが、それでもすぐに脱走を気づかれ、マシンガンの銃声にひと晩追い立てられた。ストロボ光のような銃火が閃く中、その夜に彼の〝神〟と出会ったのだろうか。とまれ、ミカヅキの暴力に対する嫌悪は、この頃の経験で培われたものらしい。

「お察しの通り、ミカヅキはこの村の開祖、ヲチカタで生まれたELダイバーの血を引く者の末裔です。でも、他種の一党支配を嫌って野をくだったような一族ですから、このザジーブ村にはおおよそ血縁主義みたいなものはない。村長も最長老の男がなる習わしで、ミカヅキはあくまで村の娘ひとり、特別な扱いを受けてきたわけじゃなかった。フォースを振り切って、どうにかここにたどり着いた時には、さすがは俺たちの村の子だ、村の御加護だって、村長は泣いてましたけどね。むしろあいつらが逆恨みをして、この村に襲ってくるんじゃないって、なんとも言えない微妙な空気で……。前にも同じことがあって、その時の襲撃で村の何人かが殺されたそうですから、村人が心配するのは当然でした。先の見通しもないのに、僕がミカヅキを連れていくと決めたのはそれが理由でもあります。

 実際、ミカヅキの学習能力は驚異的でした。ミカヅキ用のドールを作って、すぐにそれからドイツGBNに渡ったんですけど、滞在中の3カ月でアルファベットを完全に読みこなせるようになって、半年後には英語の基礎をマスター。何年かしてドイツGBNに戻った時には、アルスターのELダイバーたちとモビルスーツのОSシステムについて議論していた。もちろん、ドイツ語でね。その間に、日本語も覚えて……。スポンジが水を吸うようにって例えは、この5年間のミカヅキにこそ相応しい。もちろん、彼女みたいなELダイバーはそう多くはいないでしょう。だけど、ELダイバーの大半はまだ未開なのだとしたら、同じような才能は無数に――」

「アルスター。この携帯端末――HAROの出元だな」

 また熱を帯びそうになった言を遮り、エイジはエーイチの手に握られた携帯端末を顎で指し示した。IT関連の企業と才能が集まり、ドイツのシリコンバレーとも言われるアルスター。エーイチが実質的なオーナーを務めるベンチャー企業、HAROの筐体に箱舟を模した社章が刻印されているアルスター・フレイヤの本社所在地――エーイチは手にしたHAROを目を落とし、「あの頃は、まだELダイバーなんて言葉そのものはなかった」と薄く笑った。

「ELダイバーも登場前なら、GBNに使われる音声認識デバイス、言語翻訳システムもまだまだ開発段階。それらが普及したいま、携帯なんて言葉は今更、死語なんですけどね。僕の答を実現するには、いまも当時のこの大きさの筐体が必要だった。どんなネットワークウイルスやエラーでも壊れない頑丈さと、ストリスフリーで動作する音声認識機能。すべての端末を、より有機的に結合させる新しいコンピュータ・システム……新理論の実装」

「インターネットに成り代わる次期ネットワーク技術ってやつか。その提唱者がアルスターにいたのか?」

 いつかドレルから聞いた話と符合する。ようやく核心に近づいた興奮を皮一枚下に押し留め、エイジはエーイチの顔を凝視した。エーイチは無言でHAROを掲げ、その筐体の裏面に埋め込まれたカメラのレンズをエイジに向けた。

「さすが、予習はバッチリですね。でも少し違う。新理論の提唱者はテルピアブ大の研究者で、アルスターの天才児が開発したのは新しい音声認識ソフト。どちらもインターネットで一般公開されていた理論でしたから、秘密でもなんでもない。僕がやったことと言えば、この2つを結びつけて、どこの企業も二の足を踏んでいた青田買いをしただけのことで……」

 言いつつ、カメラの撮影ボタンを押す。シャッター音を模した電子音が風音に混ざり、エイジは目をしばたたいた。エーイチは目をしばたたいた。エーイチはにんまりと唇の端を吊り上げ゛、エイジの上半身と――遠くの<ガンダム>が映ったディスプレイをこちらに向けてみせた。

「なかなかよく撮れてますけど、ここはGBN。厳密には0と1のデジタル信号、無数のドットが光と影を再現して、写真らしく見せているデータです。従来のネットワーク理論では、これは一連の数列としてしか扱えない。この画像データに金家栄治って名前をつけて、属性を与えてやることで、初めてインターネットの検索に引っかかる情報になる」

 仕事柄、写真には本能的な拒絶反応がある。見たくもない自分の顔をディスプレイに眺め、エイジは怪訝な目をエーイチに向け直し、「その属性化で、どれだけ金家栄治という人間の実像に迫れるか」と独り言のように続けた。

「性別、年齢、国籍、職業。趣味や年収を加えれば、婚活データくらいには使えるかもしれない。でも今あなたが感じていること、どこにいて、どんな気分で、なにを考えているかは、属性化してやらない限りコンピュータには伝わらない。カテゴライズってやつです。人相、表情、ダイバールック。例えばこの画像にタグをつけるとしたら、見知らぬエリアに連れてこられてモビルスーツごと途方にくれている男。あるいは疲れきった顔に夕陽を浴びている男。そろそろ腹が減ってきたうえに、遠回りの話を聞かされていらいらしている男。<ガンダム>に疑問を抱いて難しい顔をしている男」

 思わず苦笑が漏れた。「笑うと、少年のような顔になる男」と付け加え、エーイチはディスプレイを待機画面に戻した。

「写真を見て全部がわかるなんてことはない。でもELダイバーたちが見れば瞭然なことが、コンピュータには理解できない。理解させようとすれば、膨大な属性を説明して、入力して、検索を煩雑にさせる結果になる。もともとこいつは計算機でしかないんです。文字や画像をデジタル信号に変えて流通させているだけで、複雑な世の事象を自ら関連付けて提示する能力はない。人と人、個人と世界の間に取り持つコミュニケーション・ツールとしては、まだまだ不完全な代物です。

 この新理論は、その解決の糸口になるかもしれない新時代のコア・テクノロジーです。データを画一的に構造化するのではなく、独自のツリー構造で複数の属性を与え、半構造化することでそのものの本質を効率よく提示する。インデックス・ファブリック、すなわち複数の属性で織られた繊維のようなデータです。この方式を応用すれば、データの属性は自動的に差し引きされるようになって、検索機能はより柔軟に、格段に向上するようになる。画像データなら、タグやデジタル信号の同一性ではなく、そこに映っているものの類似性で検索結果を表示できる」

「つまり、今の画像で検索をかけりゃ、笑うガキみたいおっさんの画像が複数ヒットするってわけか」

「理論上は」目を細めて言い、エーイチは再びHAROのディスプレイに視線を落とした。

「このヲチカタのネットワークで試験的に走らせてはいますが、まだ未完成の代物です。スーパーコンピュータが光の速度で情報を処理しているのに対して、ELダイバーの神経の伝達速度はわずか秒速2メートル。それでも、スパコンよりよほど高度な情報処理を行うことが出来る。新理論などの次期コア・テクノロジーを総称して、ネオ・アナログ技術なんて呼び方をしている人もいます。デジタル革命の次に到来する、新しい情報革命……これに最新の音声認識デバイスを組み合わせれば、こいつは本当の意味で、現実世界とELダイバーとを繋ぐツールになる。なんの予備知識も、文字を読む必要さえない。電子世界に生きる人々……無数の才能が存在するELダイバーの人々と、僕たち先進国の人間が世界を共有できるツールに」

 自らにも聞かせるように言い、エーイチは半ば夕闇に埋もれかけていた公民館の方を見やった。夕飯の準備でもしているのか、周囲の家々から白い煙の筋が立ち昇り始めていたが、公民館に集った村人たちにはほとんど帰る気配がない。

 子供たちの歓声。

 HAROから流れる飛行機の音や動物の鳴き声。

 古いシャンソンの音色。

 それらが混然一体となり、初めて世界に触れた熱気を屋外にも滲み出させている。ふと胸苦しさに駆られ、エイジはエーイチに視線を据え直した。

「それが答えか?」

 そう投げかけた声を、エーイチは静かな瞳で受け止めた。

「このコロニーを手始めに、世界中のGBNにそのHAROをばらまく。それが10兆円の使い道ってわけか? 民間レベルの援助としては確かにありえない規模だけど、正直、俺にはよくわからない。それでELダイバーたちがネットにアクセスできるようになったとして、なにが変わる? いや、〝財団〟とかフェアチャイルドの連中に隠れて、それをやらなきゃならない理由ってなんだ? ELダイバーの文明化されるってことは、GBNが拡大されるってことだろ? 〝システム〟から外れる話でもないだろうに、なにを警戒する必要があるんだ」

 すぐには答えず、エーイチは消えかけた残照に薄い笑みを浮かび上がらせた。

 エイジは笑わなかった。

 呂名哲郎が出した問いかけに対する、これが答?

 そうは思えない。

 どんな問いかけだったかは知らないが、エーイチから兄を奪い、自分から黒須を奪った答えにしてはおとなしすぎる。

 世界が変わる、その始まりの瞬間――〝システム〟の外で生まれるべきそれは、〝システム〟の範疇に留まるものではないはずだ。こいつはまだ全部を話していない。

 エーイチは無言で立っている。

 見込み違い、か?

 詰めよる言葉を投げかけかけた刹那、その顔から笑みが消え、予想外の、しかし耳慣れた言葉をエイジは聞いた。

 

「援助ではなく――」 

 

 

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