GBNセーフハウス。
アローンは語る。
セーフハウスのモニターに初めて画面に映した〝財団〟の理事長執務室は、広かった。
午後の陽光が差し込む室内を見渡す。呂名信彦理事長の姿はなかった。どっしりと大きい執務室には、彼の代わりに白人の男が座っており、部屋の主然としたその碧眼が無言でこちらを注視していた。
これまで幾度となく電話越しの主従関係を結んできたが、互いに顔を合わせるのは初めての事となる。PCモニター越しにマイケル・プログマンの目と目をあわせ、アローンは会議室に通じるドアに画面をずらした。扉1枚向こうに呂名信彦がいるなら、マイケルと直に言葉を交わすのは適当ではない。ハンターとなったELダイバーは呼吸と変わらぬレベルの身体反応だが、この場では無用な配慮だった。「呂名理事長には暇を出したよ」と発せられたマイケルの声に、アローンはモニターに顔を戻した。
「取り巻きにも更迭して、フェアチャイルドの選出理事だけを残した。事態が収拾するまでの一時的な措置と伝えてはいるがね。なにをもって収拾されたかと見なすかは、こちらの裁量しだいだ。そう簡単なことじゃあるまい。前回のアメリカ大会では、日本側の勝利だったそうじゃないか」
通信機能ごしに何度も聞いたのと同じ、東部訛りの英語が言う。アローンは椅子に深く座り、マイケルの顔を見返し続けた。なにがしかの反応を求める声音に聞こえなくもないが、ハンターはマスターに意見するために存在しているのではない。しばらく視線を合わせたあと、マイケルはふと顔をうつむけた。「思った以上に社交的な男だな」と苦笑しつつ、ゆったりとした所作で席を立つ。
「呂名英一の様子は?」
「監視カメラをハックして観察しておりますが、健康状態に問題はありません。与えられた食事はほぼ残さず摂っています」
「〝対策室〟は」
「こちらの方はすべて片付けていますが、そちらのリアルはわかりません。ここのセーフハウスはむしろ監視外です。ですが、そのビルは張られているかと」
マイケルが向き合う窓にモニターを動かし、アローンは言った。
付近に同じ高さの建物はなく、青山墓地の緑をはさんで渋谷のビル街が遠望されるばかりだが、安心はできない。5キロ離れた場所からでも、唇の動きを読み取れるだけの装備と技術が彼らにはある。
ビル周辺を車で巡回する監視要員もひとりならず配置されているだろう。となれば、自分の詰問はすでに周知のことと見て間違いなく、セーフハウスに戻る際には尾行かく乱の余分な手間も必要になる。もしかしたら、処分する必要があるかもしれない。
おそらくそれは承知で、わざわざ〝財団〟本部ビルのサーバーを自分にハックさせたマイケル・プログマン。
なぜと考えず、見慣れた日本の風景とその背中の取りあわせに奇妙な違和感を覚える間に、「いまだ抗戦の構えを崩さず、か」と独りごちたマイケルがモニター正面を向いた。
アメリカとのガンプラバトルに屈し、ノータッチを確約された日本政府に因果を含まされながら、密かに監視行動を続ける〝対策室〟のことをいっているのか。
あるいは……。
囚われの身になってもエネルギー補給を怠らず、いざという時に備えているように見える呂名英一を指しての言葉なのか。
少し気になっていたが、自分の仕事に関わる情報とは思えず、アローンは無言を通した。窓外の逆光を背負い、じっと観察の視線を寄越したマイケルは、微笑みを張りつけた顔のまま窓際から離れた。来客用のソファに腰をおろし、
「今頃、呂名理事長には息子との対面を果たしているはずだ」
言いつつ、マイケルはテーブルのポットを取り上げ、紅茶用と思しきティーカップにどす黒いコーヒーを注いだ。
「最後の説得というやつだ。期待はしていないがね。それが済み次第、あのセーフハウスは放棄する」
なるほど、そういうことか。
放棄する予定なら、セーフハウスの保秘に拘泥する必要はない。セーフハウスにいるにもかからわず、自分を呼び出しても問題はないというわけだ。あの場には、コーヒーの香りの残り香をじわじわ消していっていることだろう。それを知覚しながら、アローンはマイケルの顔を見た。手にしたコーヒーに口もつけず、じっと見返す目をこちらの画面にうつしたマイケルは、「怒らないのか?」と不思議そうに言った。
「〝A〟の仮面をかぶっていた頃から、おまえは呂名英一を追っていた。ヲチカタで身柄を押さえてからは、現場部隊の実質的なリーダーだ。そのお前にひと言の相談もなく、彼と父親との面会をセッティングしたんだぞ。怒る権利があると思うが?}
むしろそちらが怒っていると思える声音に、多少戸惑いを覚えた。
マイケルが面子の話をしているのは理解できるし、なるほどと思いもするが、だから腹を立てるという感覚は自分にはない。事の経緯を経緯を数式よろしく脳裏に並べ、普通の人間はこういう時に怒る、と頭のメモに付け足すのがせいぜいだ。
次からは留意すると伝えたつもりで、アローンは続きを促す目をマイケルに向け直した。気味悪そうに眉をひそめ、「まあ、いい」と呟いたマイケルは、笑うに笑えないという苦い顔をテーブルを戻していた。
「呂名英一は、拘束される前にNPOの代表権を人に譲っていた。アルスター・フレイヤの株も売却済みで、買い戻す手立てもない。もはや、ヲチカタ・コロニーの事業を中止する権限は彼にもなく、福田らを人質に取っての強制は無効。彼自身が叛意すれば、ミカヅキという子飼いのELダイバーを介して現地に働きかけることもできるだろうが、可能性は低いな。英一自身を人質に取って、ミカヅキを操る手段も無効だ。彼女は英一が連行されるのを黙って見過ごしたんだろう?」
答を聞かず、マイケルはコーヒーを口にふくんだ。ミカヅキ、という名前に神経の1部が反応するのを感じつつ、アローンはマイケルが続きの口を開くのを待った。
「呂名英一の命より、故郷の未来をミカヅキは選んだ。英一もそれを望んだ。正直、分が悪い。情報戦で封殺したとしても、限界はある。紳士的な手段では彼らの計画を留めるのは難しい。また、お前に働いてもらうことになりそうだ」
疲労の滲んだ声だった。
通信ごしに的確な指示を送り続けてきた声の主、機械のごとくいっさいの無駄を削ぎ落してきた声の主が、いまは人間のそれと同じように疲れと迷いを含んでいる。
指揮官の乱れは現場に悪影響を与えるのが常だが、これは一時的な疲れか、それとも自分の与りしらぬところで彼に何かあったのか。考えて、情報不足と結論を得たアローンは、マイケルの観察を中断して仕事の手順を脳内に列挙した。
関係者全員の殺害、マイケルが求めているのはそういうことだ。
当面の対象は〝A〟の計画を主導した4名だろう。彼らと接触した人間も、状況によっては殺害対象になり得るから、結構な大仕事になる。
〝A〟こと呂名英一はすでに確保済みだから問題なし。
沖縄のアパートから離れたとの一報があったエイジーー金家栄治も、尾行中のハンターに命じれば苦も無く片づけられる。
留意すべきは、いまだヲチカタに留まっているミカヅキだ。彼の始末はなまじのハンターでは難しい。場合によっては自分が再びヲチカタに飛ぶ必要があるが、彼女の処理はマイケルが策した情報戦の結果をみてからの方がいいだろう。ヲチカタの救済を一義とする彼女なら、今後の情勢次第でフェアチャイルドと折り合う可能性がないではない。となると、まず取りかかるべき仕事はーー。
「……恐ろしい男だ、おまえは」
ぼそりと呟いたマイケルの視線がこちらに向けられ、アローンは思考を中断した。
「強化し過ぎて神経が麻痺したELダイバーはざらにいるが、お前は違う。最初から何も感じないんだ。お前の主は『A金貨』の毒が凝ってできたような生命だと言っていたようだが……。どれだけ手を入れても変わらない。心が汚れるということを知らないお前は、確かに『A金貨』の申し子かもしれないな」
そういうマイケルの目は、昔見た主のそれに似ている。時代の流転で魂を切り売りしてきた男が、端からそれを持たない我が子に向ける目。そこに己の因果を見出したかのような、畏怖と羨望、憎悪が混じった昏い眼差し――。
そんな思いがよぎったものの、だからどうと感じる神経は一向に働かず、アローンはまた当惑の時間を漂った。
これはマスターの独白か、なにかの反応を期待しての言葉か。考えても結論は出ず、何も感じていないという言葉のみを脳裏の片隅で反すうした。
あの男から生まれ落ちた時から、そうだった。
残虐な行為、特に他者を陥れることに快感を見出す病んだ精神の持ち主もいるが、アローンは違う。
ただ、感じないのだ。
感じるとはどういうことか、それを知るために子供の時分はさまざまな試行錯誤に手を染めた。
自分を見ると必ず金目当てに近付いてくる男ダイバーを棒で何度も殴った。
容姿目当てでホテルに誘ってきた女ダイバーの目をドライバーでくりぬいた。
倒した敵機のコクピットからダイバーを引き抜いて、自機の手で体を五体バラバラにした。
自分の仕業と露見すれば、必ず運営か有志連合かが動きなんらかの施設に入れられ、自由を奪われることはわかっていた。だから、子供なりに慎重に期したつもりだった。だが、普通の人間にはそうでない者を嗅ぎ分ける嗅覚が備わっているらしい。笑わず、泣かず、必要最低限の言葉しか発しないELダイバーは周囲の仲間たちから疎まれた。
だが、その一方でそんなアローンに声をかけてくる奇特なELダイバーの少女もいた。
歌が好きで成績優秀、その上、容姿も端麗とくれば、嫌われ者に手を差し伸べるのも優等生の務めとばかり、当たり前のお恵みになりそうなものだが、彼女がアローンに差し伸べる眼差しは自己愛の裏返しに等しいお仕着せではなかった。
きっと、あなたは何かの病気なのよ。生まれつき手足が動かせない人がいるみたいに、心を動かす神経がどこかで切れている。それが繋がるようになれば、普通に笑ったりできるようになる。心のない人なんて、いるはずがないのよ。
なんの含みもない顔でそう言い、彼女が感銘を受けた本や音楽データを貸してくれた。読もうが聞こうが感じるところはないので、代わりに自分なりの分析を伝えると、あなたの物の見方はおもしろい、と笑顔を見せた。ELバースセンターの行事の班分けでアローンが爪弾きにされた時には、それを黙認する教師まで敵に回す弁舌を振るい、クラスから孤立しそうになったこともあった。アローンは傍観者の面持ちで彼の行為を見つめ、やがて究極の試行錯誤をしてみる気になった。
修学旅行の旅先で彼女を人けのない湖に誘い出し、喪に足がからまっているように見せかけて湖に沈めたのだ。
もがき、
苦しみ、
アローンの手から逃れようとした彼女。
彼女は信じられないという顔で水面ごしに目を見開き、そのうち動かなくなった。
アローンは何も感じなかった。
葬儀の際、彼女の主の女ダイバーが半狂乱で墓の十字架に取りすがるのを見ても、断線した神経が働く兆しはついぞなかった。
今度もダメか、という鈍い失望だげがあった。
彼女の死に不審を抱いた有志連合が動き出し、事情聴取を受けた時も、用意した嘘を並べる心中は静まり返ったままだった。
が、アローンにとっても、ダイバーの大怪我とELダイバーの不審死とでは、世間の扱いはまるで異なる。通り一遍の聴取で茶を濁す一方、有志連合たちは執拗の捜査を続け、しょせんの素人考えの欺瞞は呆気なく見破られた。十二分に容疑が固まった時点でアローンは任意同意を求められ、いよいよ手が後ろにまわりそうになったところ、意外な人物に助けられた。
当時、〝財団〟の顧問に名をはせた主の男が、そのコネクションを用いて事件をもみ消してくれたのだ。
すでに40を超えた身でありながら、日本とアメリカを忙しなく行き来し、〝財団〟とフェアチャイルドとの結節点を務めていた主の男。
彼の主である男は、国籍はアメリカに残したまま、日本の別宅に居続けた日系二世の男だ。その男はアローンにとって、たまに接するだけの男でしかなかった。
およそ、保護人という関係だけで量れる関係ではなく、向き合った記憶の質を見抜いていたらしい。事件の処理が終わった後、男はアローンの体を<シャイニングガンダム>の手で無茶苦茶につかみ、なにも言わずに無茶苦茶に握り続けた。
腕が折れ、肋骨にヒビが入っても握りつけるのはやまず、これで死ぬのかとアローンは思ったが、やはり心はびくりとも反応する兆しがなかった。男はそれを感じ取ったものか、<シャイニングガンダム>の手を下ろし、アローンを放して、言った。
おまえの犯した罪はこの程度であがなえるものじゃない。が、いくら痛い思いをさせても無駄だろうな。おまえは自分の死にすら何も感じていないのだから。
哀れな奴よ。その病が治らん限り、ELダイバー……GBNにおまえの居場所はない。だがな、たったひとつ、おまえの病を才能に変えられる場所がある。アローンよ、俺と来い。昨日までの自分はすべて捨てろ。明日からは俺が父となろう。他にお前の生きていく道はない――。
ぼろ布になって立ち尽くした体を、丹念に拭ってくれた主――父の目は、遠い街灯の光を受けてうっすら滲んでいた。その瞬間、未知の振れ幅が肌を粟立て、焼けつくような痛みが胸の底に走る感覚があったのだが、つかまえる前に消えてしまい、常以上にしんと静まり返った心身があとに残された。その日を境に、アローンは主を父とすることにした。主……父に命ぜられるまま、GBN内に浸透していたマスダイバーのツールによる強化を受け、病が才能に転じられる職――フェアチャイルドのハンターとして1歩を踏み出した。
最初の仕事を任されたのは、それから何年後だったろう?
ろくに覚えていないのも、仲間の少女を池に沈めた時ほどの新鮮味はなく、淡々とこなした印象しか残っていないからだろう。
それを才能と呼ぶなら、アローンには確かに才能はあった。己の天分を活かせる職を得て、評価を得ているのだから、客観的には幸福な人生と言ってもよい。
が、それこそ感じる心を持たぬ身には知覚しようのないことで、少なくともこの数年間、仕事に個人的な動機を持ち込んだことは1度たりともなかった。与えられた任務を忠実にこなしてきたのは、スイッチを入れられた機械の反復動作に過ぎず、功績を挙げて父や他人に認められたいという欲もついぞ持ち合わせたことがなかった。
どだい、父がどのような人間だったのかも満足に知らない。アメリカの密偵として、十数年、日本に潜伏していたドレル・中村。数々の有志連合戦の司令の参謀の第2部にてモビルスーツ部隊を率い、秘密工作を始めとするさまざまな物事に関わってきたとされる。
彼が呂名哲郎に協力するようになったのは不明だが、政府にしっぽをつかまれ、否応なく協力させられた……というような単純な話ではあるまい。聞くところによると、父は十数年前から日本に潜入していながら、GPデュエルに欺瞞した日本の動きを察知できず、出世は望めぬ状態にあったという。そうであるなら、奪われたニューヨークの地下財宝――『A金貨』の奪還に固執するアメリカ政府を向こうに回し、呂名哲郎と組んで〝財団〟に設立に付与した父の腹も、自ずと読めてくる。
アメリカ政府の傘下にいたとはいえ、もとより非正規雇用の工作員のことだ。生きてきた中で、情報や人脈を手土産に、よりよい待遇を求めて鞍替えをしても驚くには当たらない。
大会後の日本はアメリカとロシアがGPデュエルによる代理戦争の場と化しており、アメリカの諜報機関が雇った強豪選手だけではなく、ロシア諜報機関が雇った選手も多数来日していた。アメリカ、ロシア。両者の縄張り争いは必然となれば、一方の内情を知る者はもう一方で重宝される。国から三行半を突きつけられながら、なお国に奉公し、失地挽回を狙う殊勝さが父にあったと思えない。
呂名哲郎と通じ、『A金貨』というアメリカの心臓部に食い込んだ父は、その情報とバーターで幹部の席を手に入れたのだろう。
すなわち、父は父なりの戦略をもって呂名哲郎を利用したということになるが、そう言いきれない部分もある。日本とアメリカを等分に生活の場とし、〝財団〟の運営にのめりこんでいったその後の行動を鑑みれば、黄色いサルは決して出世できないアメリカに見切りをつけ、呂名哲郎を新しいボスに選んだという見方も的外れではない。
本当のところは本人にもわからなかったのではないか。
自身の不実が凝ったかのような自分を前にして、涙を流した父。
その子がハンターとして完成され、汚れ仕事も苦も無くこなすさまを見れば、主と少年、父と子と知られるのもおぞましいという顔で身を置くようになった父――そう、その時の父の目つきは、いまモニター越しにいるマイケル同様、近親憎悪の昏い光を隠しもしなかった。どちらも真実の姿であるなら、引き裂かれた男という父の風評にも頷けるが、そんな分裂気味の精神は彼ひとりのものではあるまい。
世界中が発狂したGPデュエルブームも陰りを見せ、その後続く新体制が確立されつつあった当時、節操なく趣旨替えをした者たちだけが生き残ることができた。そうして己を押し殺すうち、いつしか己という形を見失っていったという意味では、ドレル・中村もまたGPデュエルの、ガンプラ実力主義の被害者のひとりでしかなかったのだろうから。
なんであれ、そんな父はすでに亡い。
呂名哲郎もこの世にはいない。
彼らの途方もない計画を受け入れ、子供の代まで続く『A金貨』システムを構築したマイケルの祖父、ウィリアム・プログマンも没して久しい。
彼らは、今日という日を予測していただろうか?
呂名哲郎の盟友として計画に与したドレル・中村とカロッゾ・プログマンは、自分たちの子供たちまでが〝システム〟に搦め取られ、血を流し合う未来を予想し得ただろうか?
なんの感慨もなく、ただ疑問に思ったアローンはマイケルを見るのをやめて、窓外に視線を飛ばした。
雲の目立たない秋晴れのGBN。が、どこかかすんで見えるエリア11の空がガラス越しに広がっている。
十数年前、同じ子の空の下で3人の男たちは出会い、今日に至る源流を生じさせた。
長い歴史のなかで、初めて他者による戦争という日本の汚点。
そこには勝者の傲慢と敗者の卑屈、欲望と狡猾と打算が入り混じって沸騰する混沌の鍋だったという――。