そう、呂名家の歴史を語るうえで、欠くことができないもうひとりの人物がいる。
〝隊長〟こと呂名博司。
福田たちが誰よりも慕っていた呂名哲郎の次男だ。
太陽の明るさと、月の孤独の両方を持ち合わせる叔父こそが、あの伊豆での夏の日々を輝かせ、また永遠に奪い去ったのだ。
――代議士になったそうよ。でもあいかわらず、自由人ね、あの人は。
――放蕩息子よ、ただの。一昨年だかも、ヤクザみたいな人を別荘に連れてきて、勝手に写真撮らせたりして。ほら、フーテンみたいな女も一緒で。
――ああ、お義父さん、すごい剣幕だったよなぁ。またあの人も謝らないもんだから……。
――笑いごとじゃないでしょ。あれ以来でしょ。議員先生にお願いして、若い衆を門番に立たせるようにしたのは。ヤクザの寄り合いじゃあるまいし、みっともないったらあしゃしない。あれじゃ知り合いも呼べないわ。
伊豆に向かう車中、福田の両親が会話の続きだ。
言葉は辛らつでも、どこか苦笑混じりの彼らの声音が、呂名博司に対する当時の大人たちの心証を良く表している。
実際、彼は呂名家の異端児だった。
ここで少し整理しておくと、呂名哲郎には三人の子供がいる。
長男の正彦は政府巨大銀行に入行する傍ら、将来の〝財団を背負って立つべく理事見習いの立場で修行中の身。
長女の薫は政府銀行の要職者を輩出してきた福田家に嫁ぎ、呂名家の形成に寄与していて、この頃は哲郎の妻の遠縁にあたる平楽家もその輪に加わり、防衛産業方面で急速に頭角を現しつつあった。他にも旧華族やら旧財閥やら、政略結婚による血族の拡張が着々と推し進める中、本家の末子たる博司はどうしていたか。
〝財閥〟理事を務める議員の秘書を経て政界入りし、三十代前半にして若手議員のホープと見なられるところまではよかったが、〝財団〟に関与する意思はまったくなく、用意された縁談も断り続けていまだ独身。実直に父の跡を継ごうとしている兄を引き合いに出されると、
――俺も、名女優を口説けたら身を固めるよ。
そう、煙にまく始末で、演壇を奔走した親戚連を激怒させたことも一度や二度ではない。兄や姉が努力型の秀才なら、こちらは勝手気ままな天才型と評された天才型と評された博司にとっては、伊豆の集まりや我慢ならない血族主義の押し付けと見えていたのだろう。
本家の次男。
それも一族と政治界隈の結束点を任じられた身としては、すっぽかすにも行かず、渋々の体で毎夏の集まりに加わっていた博司から、福田はこんな本音を聞かされたことがある。
『腐肉に群がるハイエナども、とは言うまいよ。ああやって顔を合わせて、酒を呑み交わすうちにできてくる人間関係、そこから生まれてくる仕事ってものがある。俺が苦手なのは、建て前とおべんちゃらの席を心底楽しいって思ってる連中さ。そこでなにをするってことより、そこに参加できてることがうれしい。権威とか権力にたかるのを人生にしてる連中だ。
多いよ、そういう中身のない連中は。呂名の家に生まれりゃ、背負ってかなきゃなんないものは山ほどあるが、いちばん厄介なのはそう感じちまう頭の中身だな。見かけによらずデリケートなもんだから、そういう連中とつきあうのが苦痛になる。親父も、兄貴も、それに隠れてよくやるよって思うけど、まぁしょうがないわな。お互い、腹を割って話すには歳を食いすぎてる。家族水入らずになったって、気詰まりになるだけだろうし……。でも、な。いつまで続けるつもりなんだって思うよ。自分を騙しもせずに耐えて耐えて耐え抜いて、いつまで〝システム
〟に通りにやってみせるつもりなんだって。アメリカ大会が終わって、もう十数年だ。このままじゃ壊れちまうよ。俺たちも、ガンプラって日本文化も――』
GBNがサービス開始を記念した大阪大会で、日本中が浮き立っている頃だった。
その時、博司はすでに〝システム〟に反逆する行為に手を染めており、沈黙の重圧がそんな愚痴になってこぼれ落ちたのだろうが、小学生の福田になにか推し量れるものでもなかった。
ただ、今という時が永続はしない。
幻のような時間であると仄めかされたような気がして、そんなに嫌なら別荘にこなければいいのに、と言ったのを憶えている。
幻であれ欺瞞であれ、、いつまでも浸っていたいと感じる心が咄嗟にぶつけた言葉で、この厚顔に恥じ入る神経も当時は持ち合わせていなかった。
博司は何も言わず、福田の顔をくしゃくしゃと撫でた。
おれが来なかったら、おまえらは退屈して死んじゃうだろ?
そう言い、少し寂しげに笑った顔をあらぬ方に向けた。
それは事実だった。
寄ると触ると商売や政治の話をする灰色の大人たちから距離を置き、正彦の小言にも辟易していた博司にとって子供たちの相手役は一族のしがらみから抜け出せる格好ののポジションだったのだろう。子供の目に大人げないと思える自由奔放な博司を〝隊長〟と呼び始めたのは福田だったか、正彦だったか。当時、GBNが製作したガンプラアニメが流行り始めていて、博司も一生懸命ガンプラも作っていたのだから、案外、自分で名乗り始めていたのかもしれない。なんであれ、その〝隊長〟のおかげで、福田も正彦はよそでは味わえない極上の夏休みを過ごすことができたのだった。
作ったガンプラを用いて、無断で〝財団〟の金を使って家庭用のダイバーギアを購入。作ったガンプラを用いて、ディメンションの端から端まで遊びつくしたり。当時の理事が所有するモーターボートを無断で拝借、無免許の運転で沖合まで爆走したり。珍しい蝶をおいかけて、他人の別荘の敷地に入り込んだ挙句、番犬に追いかけられたり。
秘密基地をを造る方法を教えてくれたのが博司を作る方法を教えてくれたのが博司なら、必要な材木を調達してきたのも、博司で、いったいどこからもってくるのかと不思議と思っていたところ、近所の建設現場から勝手に持ち出してきたことがわかり、正彦が大慌てで謝りにいったこともあった。
普段は物静かな伯母がさすがに怒り、仮にも代議士である者が……と説教を垂れても蛙の面になんとやらで、基地のことを密告したのも、よその叔母らしい。
仕返ししてやろうと、その日のうちに作戦会議を招集。
正彦とふたり、苦労して捕まえてきた蛇を浴室に投げ入れた瞬間、天地を揺るがすの勢いで響き渡った伯母の悲鳴は今でも忘れていない。
これは大問題になり三人そろって座らされることになったが、議長足る呂名哲郎は思わず吹き出してしまい、有耶無耶に事なきに得た。無論、あの伯母は翌年から二度と伊豆の集まりに加わることはなかったが。
一事が万事、ではあった。
異端児、問題児と罵られながら、呂名博司は愛されてもいた。特に呂名哲郎は、表立って口にはしなかったものの、次男の自由な気性を好み、長男以上に期待するところがあったように見える。
連日の来客で人疲れすると、哲郎もこっそり別荘へ抜け出し、福田たちと一緒に釣りをしたりプラモ作りをしていた。〝隊長〟の指示に横から口を出すこともしばしばで、金属製の特製パーツを使って、特大のモビルアーマーを使ってGBNのチャンプと戦おうとした時には、チャンプになんと失礼な真似をするのかと怒鳴る一方、自衛隊仕込みの手並みで見事な大立ち回りをしてみせた。
この時、パーツが不正なものとみなされて運営からお叱りを受けたのだが、その時の哲郎の態度こそ、この親にしてこの子ありの典型だったのを憶えている。
お父さんまで一緒になって、なんですか。
あきれ果てた長男に頭を垂れつつ、哲郎は福田たちの方を見やり、またやろうなと言いたげににたりと笑ったのだ。
その日から、呂名哲郎はおじいちゃんであると共に〝大隊長〟になった。
それまでもやさしい祖父であったが、男同士というスイッチが入ったことで、秘密を共有する素地が知らず知らずできあがったというか。
哲郎が夜ごとにガンプラバトル創成期の四方山話をし始めたのは、この頃からだったと記憶する。
GPデュエルのシステムを造りながら、中国のスパイに追われていた話から、アメリカの秘密資金を奪うために、表向きはアメリカで初のガンプラバトル大会を開いていた話。
今にして思えば巧みに脚色され、楽しいだけの冒険譚になっていた話の数々――必然的に『A金貨』や〝財団〟の創成にたどり着く物語を、呂名哲郎はどの程度意識して子供たちに語り聞かせていたのだろう?
一度、福田がその話を母親にすると、彼女は顔色を変えて哲郎のもとに赴き、なにごとか抗議の言葉を並べてきたようだが、哲郎が本心から聞いた様子はなかった。
自分から話すことはしなくなったものの、続きをせがむ子供たちに仕方ないという顔を見せ、みんなには内緒だぞ、と前置きした上で彼にしか語れない物語を聞かせてくれた。秘密というスパイスが振りかけられた上で、福田と正彦のの興味がより高まったことは言うまでもない。
時には博司を交えながら、他の大人たちには内緒で祖父の書斎に入り浸り、秘められた歴史の闇に直結した冒険譚に耳を傾ける。伊豆での一日を締めくくる密かなたのしみの中で、福田たちはこの世界の構造を学び、その一部であるガンプラバトルという主義の成り立ちと輪郭も朧に理解して、呂名家の人間として在ることの覚悟と矜持を養っていった。
やがて英一が加わり、深雪も加わることになる〝秘密の教室〟は、それから数年以上は続いたはずだが、伊豆の別荘に対する英一たちの印象は、福田たちのそれとはまるで異なったものであったろう。伊豆高原の奥にひっそりと建つ、時間が止まったかのような屋敷。
そこには哲郎とお手伝いさんの姿しかなく、使われる当てのない客室が並ぶ……とそんなところか。そして、二人が物心ついたころを境に、伊豆高原の集まりは自然と消滅していた。
かつて夜の匂いを漂わらせる大人たちが参集し、そここで国の行方を左右する密談を交わしていた、あの華麗で隠微な喧騒はもうない。呂名家の権勢は依然として各所に及んでいたが、もう〝財団〟の関係者が一堂に会し、盃を交わす空気は絶えて久しかった。
なにかの必要に迫られ、半ば印象した呂名哲郎に会いに行く以外、誰も寄りつこうともしない場所。あの輝かしい日々の反動のごとく、廃墟にも等しい静けさが伊豆の別荘を包んでいた。
原因は、博司の死だった。19××年の半ばのその年、GBN……世界ガンプラバトル界に大きな汚点を残す事件が起こった。
ブレイク・デカール事件である。