ブレイク・デカール事件に代表されるダイバーによるサイバー犯罪と、物価高騰など社会基盤に直面させられた二千年代が終わり、誰もがシラケた空気の中で迎えた翌年。その一年間は、のちに始まる紛争への第一歩へとなった。中でも大きな火種となったのが、有志警備合意だろう。
ブレイク・デカール事件以降、GBNの世界支部は恒常的なトラブルに見舞われており、二千五年初頭に誕生した新運営は、これを抑圧させるためにダイバーへ厳しい引き締め対策を行った。
結果、違法ツールの裏取引を目当てに、世界中の資金がGBNへ集中。おかげでGBNはサービス停止から免れたが、高水準になったGBNの機器は、GBNに参入してきた企業の資金圧迫を招き、日米摩擦に代表される企業危機を招いた。
サービス停止脱出以後、資金の締め付けを緩ませによって各国のビルドコイン相場はアメリカから引き下げられたこともあって、「安全な暗号通貨」と呼ばれたビルドコイン相場は次第に低下し始めるのだが、このような状況に対し、協調的なビルドコインの価値を引き下げることによってマスダイバーの増加を防ごうとした。ディメンションでも一部のダイバーへ警備活動の権利を与え、GBN世界の安定を目指していったのが、GBN新運営の間で締結された有志連合同意――アメイジ合意であった。
全体を平静化し、世界をガンプラでひとつにせんとするフェアチャイルド筋の意向も作用していたのだろうアメイジ合意は、筆頭国であったアメリカと日本の摩擦にひとまず沈静化したものの、以後、恒久的にマスダイバーを生み出す温床となってしまった。マスダイバーはマスダイバーを生み出し、これを新運営は鎮圧に乗り出していったのだが、その鼻薬の価値は半減し始め、もう元々の力を戻すことができなくなっていた。
その反面、「人為的に強化されたツール」は、世界中で威力を発揮し、実質的に安売りセールと化した違法ツールの買いあさり、それによるモビルアーマーと呼ばれる大型兵器のブーム、人件費の安い国へ工場を映して、ダイバーが購入できるガンプラは程度の低いものが多くなっていた。それによるGBNの不況を懸念した運営部はサービス継続し、その結果、企業のみならず、スポンサーとなったダイバーたちも違法ツールに手を染め始め、違法ツールをもったダイバーがいがみ合い、「戦国時代」と呼ばれる空前の紛争が始まってしまった。
GBNのツールもまた高騰化し、金を担保にビルドコインに換金し、土地のあるものは、戦国時代に協力しろという。ほぼ同時に国際的ハッカー組織、ヤクザやマフィアによるシノギの許可と、運営の断末魔が聞こえ始めたのは偶然ではあるまい。時のアメリカ政権下は「GBNは世界平和の象徴。戦いあうべきではない」と唱え、平和をアピールする一方、日本はGBNにおいて、急速に力を衰えさせ、ガンプラ実力主義で二分してきた日本とアメリカの摩擦は終局に迎えつつあった。この頃から、ガンプラは世界に君臨する〝神〟として暴威を振るうようになったのだ。
違法ツール売買による詐欺行為、ガンプラの転売行為、ガンプラバトル実力主義の高圧化は、戦国時代の激しさを増したとしか言いようがない。ガンプラバトル主義という〝神〟が倒れれば、戦国時代は果てしなく続く――呂名哲郎の予言は正しく、フェアチャイルド側にもGBN所属国の暴走を懸念する声があったが当時の呂名正彦には関係のない話だった。
もはや発展の熱は片鱗もなく、国ぐるみでオンライン産業に狂奔する日本。事実上、『A金貨』はその役目を終えたのだ。これまだに培った莫大な資金をいかにGBNに投資し、その価値を維持していくか。博司の死後、伊豆の別荘に半ば隠居した呂名哲郎に代わって、GBN、そして〝財団〟の新たなシステム作りは正彦の仕事となっていた。
企業へのヤミ支援は継続して行われているものの、業務としては傍流に過ぎず、〝財団〟の主な仕事はGBNの発展事業へとスライドさせると宣言。そのためのスポンサー企業のCEОを〝財団〟に引き入れ、GBN経営を株や外資、GBN商品の売買に乗り出した正彦を指して、古株の理事連は「『A金貨』の性質を力ずくで捻じ曲げようとしている」とは批判したものだったが、言い得て妙ではあったろう。論理も同義も麻痺させられたネットワーク国家であるがゆえに、ネットの暴走にいち早く順応した日本。それが真実なら、〝神〟を失った正彦もまたいち早く〝財団〟の申し子であり、ワンマン・ゲームに没入することができたのだから。
国を挙げてのガンプラ……GBNブームがそんな正彦に追い風になった。博司の一件以来、呂名一族と距離を置いていた権利者たちは、〝財団〟のネットワーク事業を歓迎し、正彦に会見を申し込む人の数は日増しに増えていった。彼らにしてみれば、旧理事連は時代遅れのロートルであり、年の半分以上を伊豆で過ごす呂名哲郎は過去の伝説でしかなかった。GBN界隈でも、新世代ダイバーの台頭が目立ち始め、時勢の変わり目と世代がまさか一致する中、呂名正彦は〝財団〟の亜谷しい顔になった。
ひっそりとした父に当てつけることがのごとく、『A金貨』システムの効率化と収益強化に取り組む日々は、正彦にしてみれば弟の亡霊を払拭し、父という〝神〟を葬るためのの儀式でもあった。
歪んではいても、ある意味、人生においてもっとも充実していた日々――それはしかし、思いもよらぬ魔を正彦の身辺に忍び寄らせていた。数年前、GBN景気がその最盛期を迎えていた時に、長男の邦彦が〝システム〟に触れた。〝財団〟の認可を受けることなく、自分で雇ったダイバーを介して、陸天の社長に接触し、『A金貨』援護資金の話をまとめてしまっていたのだ。まるで亡き叔父のあとを追うかのように……。
『なにが問題なのだ?』
『邦彦の奉公先ですよ。なぜこの事務所なんです? 博司の地盤を継ぐ気があるなら、地元の静岡で顔を売っておくのが筋でしょう? お父さんが声をかければ、昔の後援会筋の連中だって動員できるんだし、修行なら向こうでさせた方がいい』
『まだ24だ。地元周りは30を過ぎてからでも間に合う。中央の空気を吸っておいて悪いことはない。あの政治筋のあの事務所なら、武者修行には打ってつけだ』
『あの事務所は博司の盟友だった男がやっていたところですよ。気にならないんですか?』
『政界とのパイプは必要だ。邦彦にどういう腹積もりがあるのか知らんが、その気があるならやらせておけばいい。〝財団〟のためにもなることだ』
『わたしは何の相談もうけていないんですがね……』
『遠慮があるんだよ。父親の期待を裏切って、政治の道へ進もうというのだからな。〝財団〟の跡目は英一に継がせればいいだろう。あれも利発な子だ』
『そうでしょうが……』
『向き不向きという言葉がある。邦彦にゲーム屋は似合わん』
『遠回しの批判に聞こえますね。わたしは時代に対応してみせているだけですが』
『ゲームで戦うことがか?』
『ご時世ですよ。いまや、そこらの少年がアルバイト感覚でビルドコインを稼いでいる。大手の企業もダイバーを集めて、その方が本業の儲けより多いって言うんですから』
『子供らしく、餓鬼の所業だ。ビルドコインの換金に規制をかければ泡になって消える』
『あなたたち先人の苦労を経て、この国は世界でいちばん豊かな国になったんです。日本の発展を素直に喜んだらどうですか』
『〝財団〟の次期理事長ともあろう者が、この状況を発展と呼ぶか。わしには、終わりの始まりにしか見えんがな』
『GPデュエルの喪失ですか……』
『GBNだってつぶれるかもしれん』
『GBNが潰れる? まさか、少なくとも日本とアメリカではそれはありませんよ。ブレイク・デカール事件で痛い目を見て、備えはばっちりしているんですから』
『GBNそのものが潰れたら、備えがあっても維持はできまい。支援資金の神話もしかりだ。どうも日本人は疑うということを知らなくていかん。しょせんは、人の造った〝システム〟を、自然の摂理のように信じすぎている。その一途さが、ガンプラバトル主義をこの速度で成し遂げたとも言えるが……。壊れる時は一瞬だ。日本のGBNの利益があがればあがるほど、反動も大きくなる』
『その利益で日本はアメリカを圧倒してるんです。これはわたしたちの世代が始めた事じゃない。あなた達GPデュエル派が、意趣返しにやったことだ。いつか暴走する〝システム〟からの脱出……日本がGBNのイニシアチブを取れば、お父さんの理想にとっても願ったりでしょう。創業者が始めた事を、2代目が拡大するのは世の習いごとですよ』
『そもそもガンプラにガンプラで勝ってもなにも変わらんし、始まりもせん。それで叶う願いなら、博司が死ぬこともなかった』
『それは……』
『重要なのは人間と人間の戦いだ。力押しでは勝てん。力で打って出た者は、力で滅ぼされる。それが私が十数年前にとれた唯一の教訓だよ。にもかかわらず、おまえまでそういう言い方をする……。傷が深くなる前に、こんな状況は早々に終わらせた方がいいのかもしれんな』
『〝神〟には、そうする権利があると?』
『義務だよ。それはおまえにも受け継がれている。わかっておろうな。「A金貨」は――』
『増やさず減らさず、そのままの価値のままに。わかっているから、GBN事業へのスライドも遠慮しいしいやっているんでしょう? その気になれば、10倍にも100倍にも増やせるものを……』
そんな会話を父と交わしたのが、事件が起こる3年前。言葉は辛らつでも、互いに苦笑混じりで話していたのだから、傍目にはそこそこ良好な親子関係と言える。実際、〝財団〟ネットワーク事業化を進めながらも、当時の邦彦まだ本気で父という〝神〟を殺そうとしていたわけじゃなかった。人の力で内装を塗り替え、その権威を後退させる一方、どこかで共存を望んでもいた。自分なりにその理念を尊重し、象徴としておんぞんする気分がないではなかった。
今にして思えば、自分も十分に浮かれていたのだろう。小さなディメンションの地価でアメリカの大きなディメンションが買い占められる。そんな異常を異常とも思わず、膨れ上がる泡の中で酩酊していられたあの時期。いつまでも続きはしないと自戒しつつも、一方ではこれがGPデュエルが到達した頂と同じ、そこから長い下り坂が始まるとは想像もしていなかった。〝財団〟でネットワーク社会の裏側を覗いてきた自分ですらそうだったのだから、普通の国民にとっては如何ばかりのことであったか。そこにはもう運営腐敗への憤りもシラケもなく、考えること自体がネクラと断罪される狂った光のみがあったのだ。
そういう時代に、まさに青天の霹靂として起こったのが陸天事件だった。その衝撃と困惑は正彦には無論のこと、父にも等しく襲いかかったに違いない。『A金貨』の理念や経緯を含め、父はアメリカに潜入していたころの体験談を甥達に語り聞かれたようですが、事件にいたる邦彦の行動こそ、陸軍学校のスパイもかくやと思わせる周到なものだった。何しろ、議員事務所に入ったのも……否、政界入りを目指したこと自体、計画を進めるための一環だったというのだから、その行動力と意思の強さは尋常なものではない。
陸天の代表取締役の社長と事務所の議員は大学時代からの知古であり、定期的に会合も持っている。その秘書になれば、陸天社長と接触する機会ができるし、内密の話を持ちこむこともできようというのが邦彦の考えで、これは結果的には図に当たった。正彦たちが一方を聞いた時、邦彦はすでに陸天社長に『A金貨』の援護を持ちかけ、援護資金依頼書に署名と捺印までさせていたのだ。
仲介で動いたのは、外部のGBNダイバーとはいえ、中心にいるのは本物の空気を知る邦彦なのだから、これは詐欺師の三文芝居とは根本が異なる。議員事務所で修行中の身であり、かつ議員の盟友であった呂名博司の甥であるという背景。政財界を手繰ればすぐに耳にするだろう呂名の名前と、資金話とセットで持ち込まれたことの内容。そのすべてが陸天社長の疑念を払う様に働き、彼はそれを〝財団〟からの正規の資金と信じ込んで依頼書に署名捺印した。そうして話を進めしまえば、〝財団〟も後追いで働かざるを得なくなねというのが邦彦の読みだった。
全部を単独で計画、実行した熱意はともかく、性急にして不確実性に傾いた行為であることは論をまたない。本気で陸天を取り込む気なら、10年かけて博司の地盤を継ぎ、議員になってからの方がより確実であったろうし、政府銀行を経て資金のイロハを学び、さらに10年かけて〝財団〟の理事長になってみせる手だってある。無論、それで『A金貨』を自由に動かせるものではないが、邦彦の立場ならそういう計画も立てられた。にもかかわらず、叔父の盟友をダシにしてまで早速に、見切り発車の乱暴さで事を進めた邦彦には、そうしなければならない理由があった。事件の発覚後、目白の自宅で父値ととみに邦彦と向き合った正彦は、当の本人からやむにやまれぬひの訳を聞かされた。
いま、アメリカでは複数のネットワーク同士を結び、情報交換を行う新たなネットワークの研究開発が進められていて、日本の大学でも試験的な導入が開始されている。アメリカではこの学術ネットワークの商業利用を目指し、近々商用の新インターネットがスタートするが、日本はこの分野の研究が立ち遅れているのが現実だ。
そこで日本のパソコン開発の雄である陸天に『A金貨』を入れ、インターネット関連の研究費に開発費用にあてさせたい。
日本は半導体技術での優位性があるから、現時点で研究に力を入れれば将来の市場をリードできる。
いまはまだ高性能のネットワーク・システムでしかなく、家庭での利用はマニア・ユースに限られているが、近い将来、新ネットワークは1人になっても使う時代が必ず来る。
それはすでに新しいインターネットであり、電話に代わる通信手段であり、新たな通販手段であり、ビジネスにおいても必要不可欠なコミュニケーション・ツールになるだろう。
そして、最もは、この新しいインターネットを世界中に張り巡らすことで、すべての人間が偏りのないGBNをプレイできる点だ。
商業ベースである以上、スポンサーの意向で情報がねじ曲げられる危険性が絶えず伴うマスコミと違って、GBNは自由な情報交換の場になり、動画配信の場になる。そこには〝システム〟の統制も及ばない。現時点でインターネット市場をリードできれば、その利益は消費者に還元し、安価なインターネット・ツールを世界中に供給することも不可能ではない。いまは、一世代前の専用回線しか使うしかないが、新型の光ファイバーを使った大容量回線の研究は進んでいるし、無線でだってGBNはプレイすることが可能なのだ。その発達次第によってはインフラのない未開地でもインターネットが利用できるようになるかもしれない。
これが成し遂げられた時、全人類はGBNを付加したも同然となる。国家やマスコミ操作に惑わされることなく、誰もが自分の言葉で仕事をし、ガンプラバトルをも打ち込むことができる。それこそ人類の解放であり、ガンプラバトルの魔力、〝システム〟と戦う最大の武器になる。『A金貨』が『アファーマティブ・システム』であるなら、いまこそ使う時だ。自分を信じて、力を貸してほしい――。
小一時間に及んだ邦彦の説明を要約すると、そういうことになる。
GBNの経理部ではようやく必需品になったものの、まだVRオンラインゲームという言葉が並列で生き残っていた当時、パソコンもろくに使いこなせなくなった自分が邦彦の話を正確に理解できていたは怪しい。父も同様だったに違いないが、邦彦の理論が的を射たものであることは直感できたであろうし、その先見性に感銘を受けたのも正彦ひとりではなかったと思う。
オンラインゲームなどの事業外収益で潤う一方、ブレイク・デカールのトラウマで長期的な研究分野への支援は敬遠されがちな時勢にあって、『A金貨』でもなければ企業の重い腰を動かすのは難しい。一刻も早く着手せねば意味がない時間的な制約を含め、邦彦が性急に事と進めたわけでも十二分に理解できたが、だたから容認してもいいと言う話ではまったくなかった。
その熱意と先見性の確かさを認めれば認めれば認めるほど、肝が冷える思いを味わっていたというのが正直なところで、これは博司の一件からこっち、〝システム〟に触れることの恐ろしさを染み込ませた身の率直な条件反射だった。世界に変革を促し得る技術の根幹が、いち国家に握られることをフェアチャイルドはよしとしない。たとえ日本側の理事が支援を続けても、フェアチャイルド側の理事がこれを潰しにかかってくる。
それだけならまだいい。
ガンプラブームの熱による日本GBN本部の一歩踏み込むことに懸念を表明するアメリカ=フェアチャイルド財閥は、傘下のマスコミを使ってジャパン・バッシングの先鞭を切り始めている。ここでさらに彼らの機嫌を損なうようなことになれば、日米関係はGPデュエルアメリカ大会の頃まで戻り、〝財団〟そのものが空中分解する結果にもなりかねない。
正彦もそれは承知死している。だから理事長たる呂名哲郎にも自分にも話を通さず、独断で動いた上で認可を迫ってきたのだろう。すでに陸天社長から手数料は受け取っている。ここで退けば、本物の『A金貨』が詐欺の汚名を着せることになる。
我々は何十年も待ったのだ、いまこそ『A金貨』に真の目覚めを――。
そう言い、結団を迫る邦彦の姿は、『あなたのためだ』と言った先の博司の再現だった。すぐには返す言葉を見つけられず、正彦は黙して語らぬ父を見遣った。
金に金で戦いを挑もうとした博司よりは、発想と先見性を武器にしているぶん不毛ではない――が、やはり戦略性がなさすぎる、か? 父の理念を学び、父のように考えるくせのついた顔でその内面を推し量り、正彦は呂名哲郎が口の開くのを待った。仮にごり押しで支援が実現したとしても、その先はどうなる?
多国籍化したスポンサー企業とはいえ、いち通販会社を潰す方法などいくらでもある。抗戦しようにも、その時は謀反の罪で呂名家は〝財団〟から排除され、『A金貨』に触れることはできなくなっているだろう。すべてを賭けるには、あまりにも不確定でリスクがありすぎる――。
70を目前にしながら、いまだ衰えを知らぬ眼光がそんな言葉で邦彦をやりこめるのを待ったが、いつまでも父の口が開かれる事はなかった。
なにかを言いかけた唇を震わせ、常にない振ればを湛えた瞳をこちらに向ける。身命を賭した甥にノーと言えず、年相応の脆さを露呈した呂名哲郎の目と目を正彦はひとり絶望した。
今度は自分の番――そういうことか。
あなたが博司に否と答えたと言う様に、今度はわたしに邦彦を否定しろと言うか。
目を見ればわかる。すがるような眼差しを向けておきながら、あなたはそれを自覚していない。これから邦彦を叱りつけ、勝手な行動をなじるわたしを、きっとこう見ているのだろう。
英一は、亡き弟の面影を息子に中を感じている。
自分にはない行動力と決断力に対する憧憬と妬み、変革より維持を宿命づけられた己の人格に対するプライドとともに……と。
否定はすまい。
これがわたしに対するあなたの評価だ。家族としては見つめても、同志としては見つめては認めていない。平凡とした長男にはそれなりの生き方があると断じ、立ち入りも立ち入らせもせずに高みを見下ろしているのだ。
苦難は、それを背負うに足りる資質のある者が背負えばいい。そう思い、実践し、わたしに『A金貨』の番人以上の役割を追わせようとしなかった。それはあなたのやさしさだろう。確かにわたしには博司のように強靭な指向性はない。邦彦のようなひらめきもない。呂名家にあるまじき凡人、すでにあるものを点検し、維持し、改良を加えるのがせいぜいの凡人だ。
あなたは、そのようにしか生きられない大多数の人間の痛みをご存じか?
強い自分が実現不可能な理想を垂れ流し、若者を惑わせ、自ら自覚がおありか?
そんな人間が実現不可能な理想を垂れ流し、若者を惑わせ、自らの血筋を破滅に追いやる。それこそが最大の罪であるということに、あなたは気づいているのか?
気づいているのなら、その口で邦彦を止めてくれ。もしくは彼の言うとおりに『アファーマティブ・システム』を解放して、世界は変えられるのだと実証してくれてもいい。
老いたなどといわせない。
博司の時もあなたはなにもできなかった。結局、すべてはまやかしなのだ。だったら、もういい、なにも言うな。答のない問いかけで凡人を惑わすのはやめにしてくれ。無力な〝神〟に踊らされ、道理のない敗北感に打ちひしがれているのは自分だけで十分なのだから。
長く見つめ合った後、呂名哲郎は正彦からかに視線を逸らした。〝神〟は死んだ――これでもう、一本の疑いもなく。
正彦は何も知らずに返答を待ち我が子と毛きあい、自分の役割を果たすためだけに口を開いた。
おまえはわたしたちを破滅させる気か。こんなやり方で運営で承認されるとでも思っているのか。金との戦い、『アファーマティブ・システム』、あれはまじないのようなものだ。『A金貨』の性格上、欲に駆られて儲け主義に走れば、我々は信用失くして管理人たる資格も失う。そのための自戒であり、指針……いや、指針ですらないキリスト教徒にとっての聖書と同じだ。寓意に満ちてはいても、実態は根拠のないファンタジーなんだ。それを真に受けて、本気で実現しようとするバカがどこにいる。挙句、議員さんまで巻き込んで……。事が表ざたになったら、あの人は失脚するぞ。どう責任を取るつもりだ。おまえのような若造が、死んで見せたって責任は取れんぞ。博司叔父の一件で呂名一族がどれほどのダメージを被ったか、おまえも少しは知っているだろう。今度は一族だけじゃない。日本自体……いや、GBN全体に迷惑がかかる結果にもなりかねん。後始末の手は貸してやるから、すぐにこんなバカな真似はやめろ。嫌なら出ていけ。夢物語と玄室を取り違えるような愚か者を、わたしは子とは思わない……。
ひと言ひと言が相手の肉を抉り、自分の肉を抉り取ってゆく。これは邦彦に対して言っていることではない。己の中に住まえ父の幻、それを理念ごとに放逐するための言葉だ。わかっていても言葉の奔流は止まらず、苦渋を呑んだ目で通過し続けたという点では、呂名哲郎もまた同罪だった。
黙して語らぬ祖父を見、失望で青白くなった顔を伏せた正彦は、邦彦に視線を戻すことなく背を向けた。あなたには、最初からなにも期待していなかった……そう言っている背中が、正彦のが見た邦彦の最後の姿になった。
その五の経緯は、果てしないボタンの掛け違えだった。
邦彦は即座に各所に手を回し、陸天の資金依頼を帳消しにする算段を揃えたが、一方で正彦は親戚筋や知古の〝財団〟理事に片っ端から会い、なんとか『A金貨』を動かそうと奔走していたらしい。古株の理事は現在の〝財団〟の方針を快く思わない者も多く、彼らはみな正彦を子供の頃から知ってもいるから、話せば同調する向きもあると期待したのだろう。
が。
それこそ世間知らずの甘い見立てで、耳を貸しこそすれ、力を貸してくれる理事がひとりとしていようはずはなかった。彼らは日本の復興とGBNの発展を一途に願った愛国者だが、同時に理念と利益を追求する実用主義者でもあるのだ。
刻々と支援期日が迫る中、幼馴染の福田にも協力にも協力を断られ、当てもなく金策に駆け回る邦彦が悲嘆と是棒の底にあったことは想像に難くない。最初は自業自得と突き放していた正彦もそま焦燥ぶりを聞くだに居ても立ってもいられなくなり、何度となく連絡をとろうと試みたのだが、携帯電話のふきゅが想像できなかったこの頃、自宅にも金家先にも寄りつかない人間をつかまえるのは不可能に近かった。
陸天にはもう手を回した、金の心配はしなくていい。
たったそれだけの言葉を伝えられぬまま、時間だけが虚しく過ぎてゆき、、ついに融資期日が再来した翌日、思わぬ爆弾が爆発した。
正彦が外部の資金ブローカーが、仲介料の不払いを理由に陸天に怒鳴りこんだのだ。
仲介料は資金の中から支払われるものであって、取引そのものが白紙撤回された以上、陸天に支払いの義務はない。陸天の社長はその旨を説明し、1000万単位の慰謝料を提示したそうだが、ブローカーは断固として聞き入れなかった。
取引が為された否かはそちらの問題であって、自分には関係ない。自分は仲介人としての義務は果たしたのだから、今度はあなた方が義務を履行するべきだ……と先方の理屈で、夜討ち朝駆けで社長宅に押しかけたり、大量のファックスで社長室に流したり、その執着ぶりは尋常なものではなかった。
通例ならこの時点で『A金貨』の防衛機構が作動し、件のブローカーは闇から闇へということになるのだが、〝財団〟の御曹司が関わっているという一点において、これは通例の事態ではない。それゆえ、問題のブローカーを完全に黙らせ、かつ〝財団〟のお家騒動の決着を内外に印象づけるために、陸天にブローカーを告訴させる搦め手が案出され、実装される運びとなった。
8000億資金支援をでっち上げ、陸天へ斡旋したと大詐欺師――首謀者たる呂名邦彦の名は伏せられたまま、マスコミ紙面にそんな文字が躍り、ブローカーは詐欺未遂などの容疑で警察に逮捕された。そのあとで処分保留にし、警察さえ意のままにする〝財団〟の力を思い知らせ、次は本気で噛むと因果を含ませる搦め手は、しかし件のブローカーには通用しなかった。
彼は釈放後も騒ぎ続けた。
これは詐欺ではない、『A金貨』は実在する。
ゴシップ誌を皮切りに自らマスコミを呼び寄せ、邦彦の名もリークするという暴挙に出た。
これまで『A金貨』を騙る詐欺事件は枚挙に暇がないとはいえ、現職の議員秘書が首謀者となればマスコミの注目度も違ってくる。しかも相手は正真正銘の〝本筋〟で、手繰れば引き寄せられる泥がそこここに散在しているのだ。ついには大手新聞やテレビ局も事件を取り上げ始め、一日限りの報道で終息するはずだった陸天事件は再燃した。〝財団〟は火消しに奔走し、邦彦の実名報道だけは阻止したが、陸天と『A金貨』の文字を各誌面から拭い去るには一カ月近い時間が必要とされた。
黒須修三というそのブローカーが、真実をどの程度把握していたかは定かでない。しかし当時のインタビューを読む限り、単なる金目当てではなかったようにも受け取れる。
この頃、すでに邦彦と黒須は〝対策室〟のみならず、フェアチャイルド財閥のハンターにも目をつけられていて、邦彦は都内のホテルを転々としては雲隠れの日々を送っていた。その動向いかんによっては、〝財団〟の騒ぎようは、それを承知の上でマスコミの耳目を集め、自身と邦彦の暗殺を困難にしてていたと取れなくもないのだ。
邦彦の計画。
『A金貨』の真相について、彼はかなりのことを知っていたのかもしれない。もしそうなら、黒須は邦彦の同志として、身の危険を冒してでも彼を救おうとしていたとも考えられるが、当時はそんな想像を働かせる余裕はなかった。日本本部に能力がないとわかれば、フェアチャイルドは容赦なくハンターを動かす。呂名一族の直系だからといって、いつまでも延命はできない。フェアチャイルド筋との交渉を父に任せる傍ら、邦彦はマスコミ対策に全力を挙げ、その一環として黒須の処理を〝対策室〟に依頼した。
邦彦と黒須の関係性に着目する頭がなければ、さしたる抵抗はなかった。
〝財団〟と〝対策室〟。
その歴史の中で培ってきた不文律に照らし合わせても、黒須は禁忌に触れすぎている。
日本の事は日本で解決できると示しておかない限り、フェアチャイルドの介入は防げないという差し迫った問題もあり、通例の手順に則って黒須の処理は決定された。
いつ。
どこで。
どのような方法で。
どうような処理が為されるかは、正彦の知るところではない。すべてが完了した時点で報告が届くのが常で、こま時は事件の発覚から2か月あまり、8月の最終日に〝対策室〟の特使室長から連絡が入った。すでに陸天事件は風化が始まっており、黒須の事故死を事件と結びつけて報道するマスコミはなかったが、これは〝財団〟の火消しが功を奏したというより、ブレイク・デカールを販売していた犯人が逮捕される偶然が重なったからと言った方が正しい。
日本中の目が壊滅的な事件に釘付けになる中、黒須の志望事故はありふれたベタ記事になって新聞紙面を行き過ぎ、陸天事件は事実上終息した。それから数日が経った悪、正彦はあの日以来初めて邦彦と電話越しに話す機会を得た。
それは事件以来の潜伏先から、黒須が死んだ翌日のこと――。
なにもかもぶちまけるつもりで警察に駆け込んだ行為に至るまで、邦彦の動向は〝対策室〟を通じてすべて把握している。こちらから電話をかけたのは、黒須の処理によって〝財団〟のみそぎが済み、邦彦をフェアチャイルドの歯牙から遠ざける目途がついたからで、そのあたりの事情は邦彦自身も心得ていたようだった。
事前の手回しで警察への告発も無為に終わり、誰とも会わず、電話もかけず、1週間近く自宅のマンションにこもり続けた邦彦は、存外落ち着いた様子で電話をとった。
飯は食べているのか。
こもりっきりで不自由はないか。
差し障りのない会話のあと、正彦は本題を切り出した。
ほとぼりが冷めるまで海外に言っていろ。生活の面倒は見る。
要点を抜き出せばそれだけのことでしかない父の言葉を、邦彦は無言で――あらかじめ拒絶を含んだ寒々しい沈黙で――受け止めた。
無論、あらん限りの説得を重ねた。
母さんも心配していると言い、この間は言い過ぎたと謝りもした。お前はまだ若い、やり直せると知った風な口しか聞けない父の声を、邦彦はどんな思いで聞いていたのだろう。
長い沈黙。
邦彦は言った。
父さん、黒須さんは死んだね。議員先生も大蔵委員会から外されて、もう大臣の目はなくなった。ぼくのせいでたくさんの人が人が人生を失ったんだ。いまさら、ぼくだけ何もなかったってわけにはいかないよ。
ねぇ、父さん。昔、伊豆の別荘にいった時に、みんなでガンプラバトルをしに、静岡ガンダムベースへ出かけたことがあったね。父さんは客の対応に忙しかったのに、いつもは僕とフクと〝隊長〟……博司叔父さんだけだったのに、あの日はどういうわけかみんなで出かけることになったんだよね。母さんもいた。伯父さんも……。あの日は父さんがガンプラバトルでいちばん活躍をして、フクと博司叔父さんは悔しがったんだ。ぼくも悔しい振りをしたけれど、本当はうれしかった。ぼくの父さんがいちばんだって、みんなに自慢したかったよ。楽しかったよなぁ。あの時は。なんだか、普通の家族みたいだった。いつもこんなふうにしていられればいいのにって思って、ぼくは何度も言ったんだ。父さんは笑って、そうだなって言った。でも、それきりだった。伊豆の別荘に集まりはしても、家族みんなで出かけるってことは2度となかった。そのうち、博司叔父さんの事件があって……みんな伊豆に集まることさえしなくなった。
そりゃ、みんな忙しい人たちだったけど、そういうことじゃない。あの日だけが特別で、ぼくらにはみえないなにかが張りついていたんだ。『A金貨』……みんな、それを背負わされている。そいつを疎み、憎みさえしながら、そのおかげで今の生活があるんだってわかってる。だから会いたくないんだ。相手の背中に張り付いているそいつが、自分を見返してくるから。うしろめたくて、うっとうしくて、顔を合わせると気詰まりになるんだ。
お互い、嫌いあっているわけではない。『A金貨』の呪縛がぼくら家族を遠ざけて、みんなを独りにしている。ぼくはそれをなんとかしなかった。『A金貨』を……『アファーマティブ・システム』を解放すれば、みんな自由になれるんじゃないかって思った。世界を変えるなんて、途方もないよ。ぼくは家族しか見えていなかった。このままじゃ、英一だって可哀想だって。あいつはまだ、1度もみんな家族でガンプラで遊んだことがないんだから。
それだけなんだ。きっと、本当にそれだけなんだよ。父さん、ぼくはまたガンプラバトルをしたかった。すべてから自由になって、もう一度……あのGBNで。
電話は一方的に切れた。いつからか頬を濡らしていた雫を拭う間もなく、正彦は受話器を握ったまま別の番号を回し、邦彦を監視している〝対策室〟の担当官に連絡を取った。
邦彦を、邦彦を止めてくれ。取り返しがつかなくなる前に、早く――。
喪失の予感に胸を潰され、ほとんど悲鳴のような声をほとばしらせたのだったが、その時には遅く、邦彦は天井から垂らしたロープに首をかけ、踏み台代わりの椅子を蹴っていた。
一報を聞いて駆けつけた時、その体はすでに床に下ろされており、透き通るような白い顔が無言のうちに正彦を出迎えた。
現場には〝財団〟の息がかかった警察官僚もかけつけ、その場でマスコミ対策に関する協議が行われていたはずだが、正彦はろくに覚えていない。
記憶にあるのは、初めて足を踏み入れた長男の自宅が、哀しいほどに片付けられていたこと。物言わぬ我が子を見るなり正彦を突き飛ばして駆け寄った瀬奈が、幼子を抱くように邦彦の上体をかき抱いたことで、その間、正彦はだらりと垂れ下がった邦彦の手を見つめ、なにかの間違いで動きはしないかと半ば本気で考えた。
なんでこんなことになったの。なんで助けてあげられなかったの……!
冷えきった邦彦の体を抱きしめ、吐くように叫んだ瀬奈の声音は、いまもこの耳にこびりついて離れない。
帰ろうね、邦彦。お母さんといっしょに帰ろうね。
無言の息子に語りかける母親の背中を前に、この身のなんと無力で置き場のなかったことか。終始、なにもできなかった悔恨を感じる神経も働かず、正彦はこの場の後にした。
涙は出なかった。
悲しみも、
怒りも、
不思議なほどにわいてこなかった。ごっそりと抉り取られた胸の穴を、風がひゅうひゅうと吹き抜ける心もとない感覚だけがあった。
下火になっていたとはいえ、陸天事件の首謀者と目される邦彦の自殺は大々的に報じられ、すぐに忘れられていった。ここでも〝財団〟のマスコミ対策が、功を奏し、『A金貨』そのものに対する疑惑を追及する報道が皆無に近かったことは事実だが、そういう問題ではなかったろう。GPデュエル創成から十数年が経とうとしていた時、『A金貨』はすでに歴史の皮膜に埋もれ、どのみち多くの日本人ダイバーの耳目を集めるものではなかった。
詐欺行為に手を染めた議員秘書の哀れな顛末――表向きにはそれだけのことでしかない、呂名邦彦の死。
以後、妻の心身を永遠に蝕み、英一自身からも心の安寧を奪い去ったという意味では、ひとつの世界の終焉にも等しい息子の死をもって、陸天事件は今度こそ終息したのだった。