10月11日、午前6時10分。金家栄治――エイジを載せた輸送機は、定刻通りGBN日本の空港エリアに到着した。
輸送機というやつは、着陸してからが長い。延々と滑走路を回り、ようやく所定のサテライトに到着してからも、入国審査のロビーまで長い距離を歩かされる。他人のデータを買って生きてきた都合上、この10年近く国際線ののコンコースは歩いていなかったが、その辺の不便は特に改善していないらしい。ボストンバックひとつの手荷物を抱え、エイジは黙々と歩いていた。
普段なら動く歩道の上も大股で歩き、進路を塞ぐものは舌打ちで追い散らすぐらいのことはするのだが、今はそんな気になれない。さすがに立ち止まりこそしないものの、お喋りに夢中な女子ダイバーのグループを追い抜きもせず、せかせかと傍らを行き過ぎるビジネスマン風の男女ダイバーを見るともなく眺めている。疲労のせいではなかった。久々に故国に足を着けて、心身が弛緩したと言うのと違う。確かに自己記録最長の海外遠征ではあったが――いや、その感覚からしてすでに怪しい。
あれからまだ1か月も経っていないとは到底信じられない。もう10年もGBNにダイブしていたように感じられる。このダイバールックが維持できているということは、自分は生きている、そういうことらしい。
〝真実〟。
それのせいだ、とエイジは胸中に断じた。
長いフライトの間、現実へ退出するのも忘れて読み漁り続けた『A金貨』の〝真実〟。
英一から託されたそれは読む者をGPデュエルの始原まで立ち返らされ、現在に至るまでを追体験させる異次元の扉だった。この身にのしかかる時間間隔の断絶は、だからひと月に満たない海外遠征がもたらしたものではない。〝真実〟に導かれて旅をした数十年間の歴史、その膨大の積層であり、自分のそれとも決して無関係ではないある一族の途方もない旅路だ。
そうして立ち返った現在は、すべてが自明の結果としてそこにある。無機質なコンコースも、壁を埋める広告看板も、会話の最中も各々のウインドウから目を離さないビジネスマンの女たちも。自らの選択を生きているようでいて、実はなにひとつ選べずにここにいたった違和感。
見えない〝システム〟に囲われ、その外側にあるものを想像すらできない閉塞感。
仕事を終えるたびに胸を洗う不快の波は、その正体が見定められたいま、明確な実体をもって周囲を取り巻いている。
これからどこへ行き、なにを為すべきか。
ふつふつとたぎる熱を内奥に抱え、長いコンコースを歩ききったエイジは、入国審査を済ませたところで、待ち人の出迎えを受けた。
到着ゲートを抜け、ロビーに足を踏み入れた矢先だった。予想していたことだったので、エイジは無言で相手の顔を見返した。向こうも表情を動かすことなく、ただ早足で歩み寄ると硬く張り詰めた瞳をひたとエイジに据えた。
「なぜ、戻ってきたの?」
低く、刺すような一声を放った木城深雪――ミーユの背後で、背広を着た2人の男がわずかに身じろぎする。いきなり〝対象〟に近付いた指揮官を前に、自分たちもそうするべきかどうか戸惑っているというところか。互いに目配せし、通行人の間を縫って近づき始めた2人の挙動を見ながら、「やっぱ日本の方が居心地いいんでね」とエイジは答えた。「ふざけないで」とする鋭さを増した声で一蹴するや、急に動いたミーユの手がエイジの手首を袖口ごとつかんだ。
「こうなるってわかってたんでしょ。本当にひとり? ミカヅキは連れてないの?」
「知らねぇよ。あんな薄情な奴」
「言うなら今しかないわよ。私はもう――」
背後に立った部下たちの気配を感じ取ったのか、ミーユは口をつぐんだ。
その態度。
そして、自分とミーユの双方に警戒を向ける男たちの様子。
それを見れば、なにを言いかけたのかも想像はついた。
『A金貨』の番犬でありながら、〝財団〟の敵に肩入れしていた裏切り者の女が、事ここに無傷でいられる道理はない。彼らは、ミーユも〝対象〟と含んだうえで彼女に付き従っているのだろう。
その彼らに聞かれぬよう、早口でミカヅキの安否をただしたミーユ。なぜ戻ってきたのか――答はきっとあんたが知っている。殺気を孕んだ男たちの視線をよそに、エイジはミーユだけを見つめた。かすかに目を伏せ、エイジの手首をぎゅっと握りしめたミーユは、それを最後に手を離し、硬く装い直した瞳をこちらに向けた。
「本事案において、首謀者と同行、およびGBN背任行為を補助した疑いにより、あなたの身柄および身体を拘束します」
そう言い、一歩退いたミーユと入れ替わりに、ずいと前に出た2人の男がエイジの両脇に立つ。ひとりが強引にボストンバックをもぎとり、感じわりぃなぁ、とその顔を睨みつけてやったエイジは、次の瞬間には左右の腕をもぎ取られ、半ば引きずられるようにその場から移動させられた。
新聞を読んでいた50がらみの男が立ち上がり、こちらと同じ歩調で歩きはじめる。
カウンター付近でモップを動かす清掃員がウインドウを開き、こちらを注視しつつなにかを手短に報告する。
柱の陰からするりと現れ、エイジの両脇につく男たちと目で頷きあった背広は、たしか輸送機で整備員をしていた男ではなかったか?
もう驚く気にもなれず、エイジは次々に合流する〝対策室〟の面々を目の端で数えた。早朝とはいえ、到着ロビーを行き交う人の数は少なくない。騒げば逃げ出すチャンスも作れそうだが、一時の時間稼ぎにしかならないだろうし、なにより逃げるつもりでGBNに帰ってきたわけじゃない。いまは辛抱……と胸中に念じ、気を抜けばもつれそうな足に力をこめた時だった。不意に耳慣れた言葉が鼓膜に引っかかり、勝手に反応した体が急ブレーキをかけていた。
複数の足音、飛行機の発着状況を告げるアナウンスの声に混じって、その言葉を発した女の声が聞こえてくる。強引に歩かされながらも周囲を見回し、すぎに声の出元を見つけたエイジは足を踏ん張って再度立ち止まった。搦め取った腕をぐいと締め付け、男たちは歩調を崩さずに前進を続けようとする。「ちょっと待て、待ってくれ」と訴えても歩みは一向に止まらず、エイジは右手を固める男の肩ごしに声の出元を見やり、続く言葉に意識を凝らした。
(……GBN運営は先ほど、ヲチカタ・コロニーは現在、国際サイバーテロ組織の拠点になっていて、このテロ組織が現地反政府ゲリラと連帯を強化した上、頻繁に共同訓練を繰り返していると報じました)
大型の液晶パネルに映る女性ニュースキャスターの映像が切り替わり、粗末な掘っ立て小屋と、その前にマシンガンを手にする片腕の<ザクⅡ>の姿が映し出される。画面の端には『ヲチカタ・コロニー 国境付近』のテロップと、その隣に『米GBNニュース、国際サイバーテロ組織の拠点か』のテロップ。
それは見る間に遠ざかり、キャスターの声も聞き取りづらくなったが、そみで男たちの歩みは出し抜けに止まった。見せてやって、というふうに男たちに目で告げたミーユと顔を合わせたのも一瞬、エイジは液晶パネルに映る『ヲチカタ・コロニー』と『テロ組織』の文字を目に焼き付けた。
(この情報を受け、GBN運営は今朝の会見で、GBNの新たな脅威と位置づけ、引き続き情報収集を行うよう関係機関に命令したことを――)
関係に臨む3人の運営委員とともに女性キャスターの声は続く。なるほど、さすがに手は早い。自分が移動する間にも、奴らは強引に事をねじ伏せる方策が進めていたというわけだ。じよりと汗ばんだ手のひらを握りしめ、エイジはミーユを見やった。眉間に微かな険を覗かせつつも、その顔は平然とニュースを受け止めるように見える。「知ってたのか?」と言うと、ミーユはちらと合わせた視線をすぐに逸らし、「同盟国だもの」と吐き捨てるように返した。
ロビーを行き交う人々は、ニュース映像を一顧だにせず通り過ぎてゆく。液晶パネル前のベンチに腰掛けたサラリーマンも、ウインドウをいじるのに夢中で顔をあげようともしない。年中もめ事に介入している警察たる有志連合、日本にとっては唯一無二の同盟国から発せられた、ありふれたニュースーーそれが自分たちの将来にどんな影響を与えるか、想像する材料すら与えられることなく。内奥の熱が一段と上昇するのを感じながら、エイジはミーユに視線を戻した。「だよな」と出した声に、ミーユはぴくりと瞼を震わせた。
「それが〝システム〟だもんな」
ミーユは何も言わなかった。男たちに目配せすると、心持ち速めた足で駐車場のほうに向かう。男たちも前進を再開し、エイジは促されるまま足を動かした。
自分で歩くよ、と言っても男たちは絡みつかせた腕を離そうとしない。押しても引いてもびくともしない剛力に締めつけられる一方、先刻つかまれた左手首もまだじんじんと疼いており、エイジは少し細くした目を先を歩くミーユの背中に注いだ。寄るべし物を残らず失い、すがねかのように巻きついてきた手のひら――いまは何も言わなくていい。あれであんたの気持ちは十二分に伝わった。どうやら帰ってきた甲斐はありそうだと胸中に結び、あとは足を動かすことにのみ専念した。
ニュースは新しいモデルのガンプラの話題に切り替わり、もうヲチカタの名が聞こえてくることはなかった。到着ロビーの玄関から差し込む陽光は眩しくも柔らかく、この仮想の日本の空にいる我が身を否応なく実感させた。