サーバー運営を営む木城コーポの業務は至極まっとうなものだが、役員の大半は〝対策室〟を含む陸海空自衛隊のОBで、かつ〝対策室〟の活動予算を防衛費の中から捻出するシステムの一環も担っているとなれば、関係者と顔を合わせる機会も少なくない。はっきりそうと紹介されたことはなくても、深雪には彼らが漂わせる独特の臭気が感じ取れた。
見た目はそこいらの勤め人と代わりがない。自衛官出身の者、内局あがりの者、警察を始めとする他組織からの出向者と、それぞれに付いた色がないわけではないが、外部の人間には判別できず、できたとしても彼らの内面を探るのは不可能に近い。
彼らの業務は多岐にわたる。が、もっとも重要なのは嘘を売る仕事だ。
日本に非公開情報機関など存在しないという嘘。
報道以上に人が殺されている現実はないという嘘。
『A金貨』によってガンプラバトル・ネクサス・オンラインが作られ、潤っていること、〝財団〟は詐欺師の口上でしかないという嘘。
万一それが露見しそうになった場合、実力をもって真実をもみ消すアフターサービスにも手抜かりはない。
ないものをあるように見せかけるのが詐欺師なら。
〝対策室〟はあるものをないように見せかける。
必然、その職員からは存在感が抜け落ち、目立たぬことを美徳とする無名の公務員の面ができあがるのだが、深雪には彼らの目の奥に潜む本音が見て取れた。
その一部、紛争反対を金科玉条とし、秘密保護法案が成立する素地など皆無であった当時の日本にあって、存在しないことになっている我々こそが真の防人の役を担っている。その歪んだプライド、無知な国民に対する蔑視と表裏一体の疎外感を、無表情な面ごしに読み取ることができた。
それは幼いころから心に壁を作り、両親とさえ本音で向き合う事のなかった自分の鏡像だったからだ。
アメリカへの留学を挟み、結局はその〝対策室〟に職を求めることになったのは、だから英一のためというだけではない。彼の側面援助を続けるには、自らの呂名一族の闇に深く分け入る必要がある。呂名正彦が改革を断行して以降、外様の木城家が理事職を世襲させることはできなくなっていたから、恒常的に〝財団〟の情報を得るにはその番犬役を買って出るのが手っ取り早い。
そういう計算が働いたことは事実だが、それよりなにより、〝対策室〟という場所の空気が自分には合っていた。秘密を抱えて生きる、その作り出した嘘によって人心を制御し、依頼主を――〝対策室〟にとっては国家であり、〝財団〟――を守る。自分の生き方を拡大させたかのような〝対策室〟の在り方に、ここなら自然体でいられるのではないかと期待を抱き、吸い寄せられるまま門戸をくぐってしまったと言った方が正しい。その期待は、裏切られることはなかった。
常に秘密保全を第一義とし、職員すら全容把握を困難にさせるために、〝対策室〟では徹底した分業体制が構築されている。
例えば、ある対象の抹殺を企図されたとして、実際に手を下す者はその対象の素性を知らない。彼に任務を下した者にも、なぜ対象を抹殺する必要がある必要があるのかは知らされない。
知る必要のないことは知らなくていい、というのが鉄則で、これには責任の所在を曖昧にし、個々の職員が道義上の罪悪感を覚えずに済むという効能もある。当然、その一員になってもすべてが明らかになるということはなく、相応の理由がない限り、過去の記録や資料の閲覧も不可能だったが、絶えず機会をうかがっていれば得られる情報はある。
頼まれた資料調べのついでに電算化前の保管記録を漁ったり、上官の思い出話を聞く振りで欲しい情報を引き出したりで、深雪は『A金貨』の保秘に関わる過去の記録、為された〝処理〟の実態を少しずつ調べあげていった。
英一に請われてしたことではなかった。〝対策室〟に勤務して以降、彼が自分から局の部外秘を探ってくれと言ったことは1度もない。呂名博司や黒須修二の名も含まれる〝処理〟の記録を確認したのは、もっぱら自戒のためだった。
私は異常な場所にいる。呂名一族に滞留する〝死〟その黒い闇を司る組織の一員になっている。ともすれば周囲の空気に染まり、異常を異常とも感じなくなる神経の麻痺で、そう自戒し続けることとが深雪には重要だったのだ。
両親は、娘が血なまぐさい世界に取り込まれるのを嘆いた。せっかくの才媛がなぜあんな穴蔵に、と親類たちも惜しんだが、今も当時も自分に他の選択肢があったとは思えない。
自分には〝対策室〟の水が合っていた。いつか〝システム〟という巨大な敵と戦うためにと思いながら、気がつけば〝システム〟の守り人のように考え、振る舞っている自分がいた。
誰もがその中で生きている。私達だって生きていけないはずがない。簡単なことだ。呂名家の宿願を果たすなどという妄言を引っ込め、普通に年をとっていけばいいのだから。
〝対策室〟という居場所を得たことで、そりまで傍らにあった疎外感、世界に感じていた据わりの悪さが解消されたせいかもしれない。ふとそんなことを感じている自分に気づき、深雪はりつ然とした。
これも〝システム〟の魔力だろう。
気を抜くと骨身を溶かしにかかり、思考も精神も日々の積み重ねの中に埋没させようとする。その圧倒的な質量に抗うべく、深雪は過去に〝死〟を与えられた者たちの名を胸に刻み、英一に〝対策室〟の内情を漏らした。
来るべき〝システム〟との戦いに備え、巨大な組織の機構、手口、非公開機関であるがゆえの弱点と限界を、可能な限り詳細に伝えた。そうすることが正気を――英一との絆を維持する唯一の縁だった。
無理はするな、と英一は何度となく言った。
あなたのためにしていることじゃない、と深雪も何度となく返した。
あの病室で手を握りあって以来……それ以前、互いの体温で葬儀場の冷気を退けた時から、呂名英一は深雪の中で大きな位置を占めている。
彼の前で笑うことができた。
嫌な仕事で身も心も疲れ切った時、待ち合わせの場所でその顔を見ると、泣き出したいような安息感を覚えた。それはもう幼いころの憧れの延長ではなく、まして初恋の対象でもない。この闇の臭気漂う世界のただひとり、心を通わせられる同志だ。その真摯なまなざし、未知のエネルギーをはらんで震える生硬い瞳は、他のなにものにも替えられない私の光だ。
彼が本当に頼れるのは、自分しかいない。〝システム〟と戦う大望を手伝えるのは私だけだ。
一人勝手な信心で己を振るい立たせつつ、深雪は同化を呼びかける〝システム〟に背を向け、局の部外秘を英一に流し続けた。言うなれば背信の日々だが、かまいはしないと思える論拠がひとつだけあった。
創設に携わった〝大おじ様〟――呂名哲郎の意思を尊重するなら、〝対策室〟はもともと呂名家の大望を果たすために設置された者であると言う事実だ。
が、その志は失われて久しい。
ELダイバーと呼ばれる電子生命体の出現によって、世界が封じ込められてきた民族、宗教、国家のエゴがとりはらわれようとしていた新時代。既存の枠組みの変更を余儀なくされたのは、どこの国も一緒だが、GBNバブルと、ひとつの崩壊と新生が併せて押し寄せた日本のそれは、特に激しかった。
ブレイク・デカール事件から続いて、各国で行われている紛争はGBNのダイバーを兵士とした代理戦争へと変わり、そして異星人の襲来という未曽有の大惨事は、日本とアメリカ、いやGBN全体を揺るがした大惨事は、安全な戦い、平和な戦いというアイアンティティを容赦なく引き剥がした。
異星人の襲来、増えすぎたELダイバーたちによる反乱、そしてその彼らを祭ったフォースが行ったサイバーテロ事件ともども、この続く危機にもっとも振り回されたのが〝対策室〟でGBNの財政難や何やらで、一度は解体された組織は、数年後に再編。独立部局として残された特別資産管理室を吸収し直し、対サイバーテロ能力を拡充した新しい情報機関として再スタートを切ったが、かつての気概はもはや残されていなかった。
そして、ようやく迎えた新世紀とともに起こったGBN支部で起きた同時多発テロ。あれは〝システム〟という人工の神、抑圧された古き神の復讐であったのかもしれない。
アメリカGBNにコンピュータウイルスを流し、GBN世界全体を〝征服〟を敢行した過激なダイバーたちが、アメリカGBNの本拠地エリアに襲撃をしたのは偶然ではないだろう。
以後、アメリカGBNはサイバー犯罪組織撲滅をかかげ、対サイバーテロという泥沼にはまり込み、同盟国たる日本のGBN支部もその死の行進に巻き込まれていった。
とばっちりを恐れた中国の企業は日本とアメリカに会談に応じ、外交ラインを開こうとしたところ、明るみに出た新型化学兵器が日本のナショナリズムをも燃え上がらせてしまった皮肉。
自分探しの延長で犯罪グループの舌三寸に巻き込まれ、テロリストの人質にされた若者を見殺しにした代わりに、自己責任という責任回避の個人主義が国内に蔓延するようになった皮肉。
ロシアGBNのネットワーク侵攻を食い止めるために育成したELダイバーたちの兵士たちが、その時に学んだモビルスーツ操縦をはじめとしたさまざまな戦術がアメリカGBNに挑んできた皮肉をこめて、このあまりにも性悪な展開を誰が予測しただろう。
アメリカGBNに有志連合を派遣、国内に潜伏する過激派ダイバーの調査、対サイバーテロ法と有事法制の成立と、日本のネットワーク防衛事情も、その間にめまぐるしく変転し、深雪は〝対策室〟に入局してからの数年を激務のなかで過ごした。
国内では『痛みの伴う改革』が進み、真ガンプラバトル実力主義とセットで導入された拝金主義がヒルズ族を創り出して、金に飽かせて造らせた造形師のガンプラと金で、持つ者と持たざる者の格差を着々と押し広げていたが、気にする余裕も持てない忙しさだった。
2000年代のころだったろうか?
客観的に見れば、勤め始めの数年間をさまざまな部局のサポートに費やし、情報局員としての経験値を高められたのは僥倖だったと言える。〝対策室〟の機構を実地で理解し、その対処能力の実際を推し量ることができたからだが、主観的にはなんの意味もない、途方もない喪失になったのがこの時の数年間だった。
いくら〝対策室〟の内情を手に入れても、伝える相手がいなくなってはどうにもならない。異星人の襲来以来の激動が収束するのを待たず、英一は深雪を残してひとり旅立ってしまったからだ。
いつ帰るか予定も立たない、長い旅。
『A金貨』という魔物の正体を見極め、立ち向かう術を見出す旅に赴くために、すでにGBN運営部にも辞表を提出したという。
話を聞いたのは有志連合が過激派ダイバーのリーダー格を拘束した日で、ホテルのテレビはその一報を流し、マナーモードに設定した携帯電話がテーブルの上で振動を続けていたが、その瞬間には耳にも入らなかった。
確かにこの1年近くは仕事に追われ、ろくに会う時間も作れなかったとはいえ、こんな勝手を突きつけられるほど自分が英一に不誠実だった覚えはない。ひと言の相談もなかったことに深雪は怒り、どういうつもりかと問いただした。英一の覚悟が変わらないとわかったあとは、自分も一緒に行くと言い張りもした。〝対策室〟の一員になったいま、そんな自由が許される道理はなかったが、失いかけているものに比すればどうでもいいことだった。
ここで見送ったら、英一はもう帰らない。日本に戻ることはあっても、私の腕の中にはもう2度と――。
根拠のない、しかし間違いないと確信できる直感に従い、深雪はあらゆる言葉を使って英一を引き留めようとした。
いつもなら、言葉は要らない。用心のために、会うたびに場所を変えている都内のホテルの一室。どこでもそう作りの変わらないベッドに倒れ込み、互いの体温を確かめ合えれば事は済む。多少の行き違い、意見の相違は意味をなくし、この世で最も安心できる時間を過ごせるはずなのに、今の2人にベッドはあまりにも遠い。
ほんの少しの距離が、無限の長さに感じられる。
なにを間違えたのだろう?
どこでしくじったのだろう?
苦しげに目を伏せながらも、すでに別の宇宙にいると思える英一を見つめ、深雪はいったん口を閉じた。
せめて納得のいく説明が欲しい。
どうしても引き留められないのなら、自分を置き去りにしていくというのなら、仕方がないとあきらめられるだけの理由が――。
ぼくは、祖父のようにはなれない。
固く引き結ばれた唇を動かし、英一は呻くように告げた。
自分や周囲を騙して、獅子身中の虫で居続けるなんてできない。時々、忘れてしまいそうに……忘れてしまえればいいって思うんだ。このまま生きていければそれでいい。この世界の暴走が続いて、世界の半分が生きていけなくなったとしても、きっとその時は他の誰かがなんとかしてくれる。いや、なんとかならなくても、生き残る半分の方にいられればいいんだ。世界がどうなったって、ぼくらが生きていければ……。
そういった英一の瞳が揺れ、恥じるように伏せられる。そうか、あなたもそうだったのか。得心した胸にふわりと熱が宿り、深雪は顔を見上げた。〝システム〟を受け入れて普通に生きる、その抗いがたい誘惑に身悶えしていた体が自分を抱きすくめ、自分もまた抱き返すさまを幻視した。
いいよ、しょうがないよ。世界を救わなきゃならない義務なんて誰にもない。誰もあなたを責めないし、軽蔑もしない。むしろ私は安心している。あなたも弱い、当たり前の人間なんだとわかって、ほっとしている。あなたは私を救ってくれたんだから、それでもう十分。一緒に生きていこう。生きられるところまで、2人で一緒に生きていこう――。
どこよりも温かい胸に顔を埋め、その背中に腕を回す。互いの体温が行き違いを溶かし、深雪はここからやり直す幻の中に迫ったが、現実の英一はそこに突っ立ったきり、深雪に触れようともしなかった。
このままじゃ、ぼくは溺れてしまう。
低く絞り出し、ポケットから差し出されたものを見て、深雪はなにも考えなくなった。
ひよこの刺繍が施されたハンカチが、そこにあった。遠い昔に深雪が手渡し、いつでも英一とともにあったハンカチ。おかげで救われたと言い、彼が持ち続けることを希望した私の――。
ここまでに、したい。ここから先は、自分ひとりで行く。君を巻き添えにしたくない。
目の前に差し出されたハンカチが、小刻みに震えていた。英一に寄り添い、共に発熱していた胸がすっと冷め、深雪はひどくしらけた気分で眼前にたつ男の顔を見上げた。
裏切りと呼ぶのもバカらしい陳腐な言葉、行為。彼は私をなんだと思っていただろう? 自分の想いを押しつけた1度もない。叶うかどうかもわからない大望を捨てて、一緒に平穏を築いてほしいと願いはしても、態度や言葉に表すことは決してなかった。
互いに心を許せる唯一の同志として、暗黙の了解の下にやれることをやってきたのに、あなたはそんなありきたりな言葉で私を切り捨てようとする。あなたにとって、私はなんだったのか? その背中を支えているつもりで、私はいつの間にかあなたの重荷になっていたのか……?
そうなのだろう。唯一無二の同志であるからこそ、口に態度に表さなくとも心の中は伝わってしまう。私はずっと英一を引き留める機会をうかがっていた。同化を誘う〝システム〟を退ける一方、現実という言葉と同義のその強固さに打ちのめされ、英一の大望が実現するとは信じられなくなっていた。仮に実現できたとしても、その時は確実に英一は死ぬ。それだけは防ぎたいと願う私は、英一にとっては〝システム〟の一部に見えていたのかもしれい。あれほど嫌悪していた呂名一族の闇に染まり、私はとうの昔に彼の同志ではあり得なくなっていた――。
でも、それでも私は、あなたを。
冷え固まった胸の奥で爆ぜた最後の熱は、言葉になることはなかった。
深雪はハンカチを受け取り、英一は去った。
テレビはGBNのクラッキング襲撃のニュースを流し、携帯は相変わらず振動を続けていたが、遠い背中のこだまだった。十数年ぶりに返ってきたハンカチを握りしめ、意思とは関わりなく滴り落ちる雫を染み込ませながら、深雪は、身じろぎもせずその場に立ち尽くした。
対極的にGBNの勢力争い。具体的にはアメリカと日本に対する過激派ダイバーだが、その争いの根はもっと生々しいところにある。
GBNの所有権だ。
そこにいくつものサイバーテロ組織があるという嘘を大義名分として、それによって集められた有志たちがアメリカGBNに雪崩れ込んだのは、新型ネットワークを過激派ダイバーのものとするため。アメリカが法をねじ曲げてでもGBNを守らざるをえなかったのは、アメリカと日本統治下に張られたネットワークを守らざるために他ならない。
GBNのサービス開始以降、ガンプラ・ビジネスはアメリカと日本の専制ビジネスだった。
いくつも企業を連ねたそのガンプラメジャーは、ほとんどがアメリカ、日本資本であり、フェアチャイルド財閥もそのダイバーたちとは親密な関係を築いている。新アメリカ大統領政権以来、新型ネットワーク、サーバー市場への新規参入は認められておらず、この閉じられた市場はアメリカの歴代政権の息のかかった者たちの支配下にあった。
その見返りにネットワーク業界から支払われた資金は、選挙のたびに200万ドルを超えるとも言われる。すなわち、ことネットワークに関しては、アメリカとフェアチャイルド財閥の間に持ちつ持たれつの取り決めがあり、そのフェアチャイルド財閥はアメリカの軍事力を背景にGBNの独立を支援し、寡占的なネットワーク開発を行う素地を守ってきた。他方、アメリカはネットワークのコントロール権を獲得し、基軸通貨としてのドル、そして円の価値を守ってきたわけだ。
ところが、新世紀になってこの独占体制に陰りが出てきた。過激派ダイバーたが所有する資金の総量は、世界の全体の10パーセント程度にまで落ち込み、ロシア、イラン、サウジ、中国などに潜伏しているダイバーたちが台頭しつつある。国策をもってネットワーク開発に乗り出した彼らは、GBNの支部国に対して資金援助や軍事援助を行い、その見返りにネットワーク開発の権利を得ている。支部国にしてみれば、人権問題や民主化などの注文を付けられない分、GBNに属している国々は付き合いやすい相手なのだろう。
結果、ネットワーク市場に対するフェアチャイルド筋の資金の力は低下し、真過激派とも言うべき者たちが相対的に力を強めるようになった。
国はバラバラでも、反米、反日という部分では共通する彼らは、反米となった過激派国家には安くネットワークを引き、親米国家には標準価格で売りつけるような真似をしている。事実上、現在の過激派と穏健派のネットワーク価格は二重価格になっているのだ。
つまり、GBNというオンラインゲームの所掌は、アメリカ=フェアチャイルド財閥にとっては死活問題だった。反米、反日が限りなく、ニア・イコールである実情であれば、この機にサイバーテロ組織は各地に拠点を置き、古き神の信者を封じ込める必要もあった。
その結果が、世界のGBNの支部サーバーで行われている、終わりなき対サーバーテロ戦争であり、生まれ続けるELダイバーたちとの泥沼の紛争を招いたのだったが、そこには当のフェアチャイルドにも予期しきれない誤算があった。
ネットワークとはいえ、戦争には金がかかる。しかし大きな力を持つアメリカでは、これまでの軍事費の支出が国内の支出がアメリカの経済を大きく脅かすことはなかった。なぜなら、戦争に使われるネットワークを引く企業も、GBNを構成するブログラムを開発する会社も、支援してくれるスポンサー会社もアメリカ企業に協力するのが、いちばん安全で利回りがいいからだ。こうした〝循環〟が起こることで、GBNは紛争が起きても大丈夫で、国力も疲弊せず――いや、このGBNという場での代理戦争がなければ、経済がまわっていかない特殊な環境となっていた。
が、ELダイバーを保護しようとする世論とGBNの有する新型ネットワーク革命による世界の変容を感じなかったのが、フェアチャイルドの誤算だった。変容した世界を見渡せば、常に紛争赤字を抱えてしまったアメリカは安全な協力先とは言えない。代理戦争で先行きが不透明な時はなおさらで、GBNから流れ出した3兆ドルもの金は、アメリカを出ていったまま帰ってはこなかった。〝循環〟の流れが止まり、借金に姿を変えたビルドコインは世界中に拡散してしまったのだ。
これも人間の皮肉だろう。ひとつの世界、ワン・ワールドというフェアチャイルドの理想がほぼ達成された結果、彼ら自身にも制御できない巨大な戦国時代が誕生した。すべてが世界原理に委ねられた変容した社会――だが、統制なき世界はバブルを生む。
バブルを生みつづける本能に従い、その原資たる未来まで食いつぶしながら拡大する世界の暴走――呂名哲郎の予言がいよいよと現実化しようとしていた。2000年代の半ば、〝彼〟は帰ってきた。旅の途中で拾ったELダイバーの少女、ミカヅキと呂名家の大望を実現する周到な計画と共に。
『A金貨』奪取を目論む者、〝A〟として。