ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第七十二話

(……福田さんが、命がけで手に入れたネタがある。そいつを使えば、あいつを助け出せるかもしれない。あんたの協力が必要なんだ)

 ガン、と鳴り響いた破裂音が男の声を遮り、画面にブロックノイズを走らせる。この時から車外で銃撃戦が始まったため、ここより先の音声はほとんど聞き取れなくなっている。早送りのボタンが押され、画面右上のタイムコードが5倍速で進み始めると、30秒ほど経過したところで通常再生に戻された。

 先刻までと同様、ミーユ……木城深雪は薄暗い荷室に座り込んでいる。90度横倒しの映像なのは、彼女の乗る護送車輛が横転し、荷室後方に設置された車載カメラともども真横に向いているためだ。と、画面上では左側に見えるスライディングドアの戸口から男の手がのび、身じろぎした深雪がそれをつかんだ。彼女からすれば頭上から垂れてきた手と手をしっかり繋ぎ、自らの足で立ち上がって車の外へ。

 そこで一時停止がかけられた。

 宙を泳ぐように見える深雪の肢体がぴたりと静止した。同時に、「何度見ても同じだ」と苦々しい声音が画面の外で吐き捨てられる。

「木城は自発的に賊と同行している。ごまかしは聞かないよ」

「機械の故障で音声は撮れていなかったことにしたらどうでしょう? 相手は映っていないんですから、銃で脅されて無理に連れ出されたんだと言えば、否定する材料はない」

「肯定材料もない。彼女の顔を見てみろ。脅されている人間の顔じゃない。救いの手に飛びついたって顔だ」

 苦り切った内事本部長の言いように、手元のリモコンで映像を操作する特別資産管理室長がしおしおと小さくなる。

 室内備え付けの液晶モニターに映し出された映像は静止して動かず、半ば車外に出た深雪の表情はうかがえなかったが、巻き戻してもう1度食い下がる気力は特資室長にはもうないらしい。

 内事本部長は押し出しの強い男。

 ならば。

 特使室長は影に咲く隠花植物だと言っていい。

 国内事案を所掌する内事部の長と、GBNを管理もしている1部局でしかない特資の長という絶対的な上下関係もあれば、両者の議論は端から議論にならず、また巻き戻すまでもなく映像の内容は全員の頭に焼きついている。

 がっしりとした大柄の内事本部長。

 そして。

 痩身総区の特使室長。

 見た目的には対照的な2人をよそに桂木ゲームマスターは36インチ大のモニターを注視した。いま映し出されている静止画像ではなく、もう何度も見たその瞬間の深雪……ミーユの横顔を脳裏に呼び出し、彼女の瞳に宿っていた強い光に心の焦点を合わせた。

 確かに脅されている者の目ではない。が、救いの手に飛びついたという言い方は違うと思う。頭上から手を差し伸べるエイジ……金家栄治の言葉が、萎えきっていた深雪の精神を揺り動かし、火をつけたのだ。

 私たちは人間です。自分で自分の生き方を定める権利を待っています――孤立無援の聴取室で、上官らを相手に決然と言い放って見せたのが木城深雪であり、〝対策室〟に拘束されて以来、死人の面持ちで任務に従事していた彼女は本来の彼女ではなかった。

 脅されたのでも、そそのかれたのでもない。

 彼女は、出口を見つけて走り出したのだろう。ノイズまみれの断片的な音声から聞き取れる金家の声、『自分の〝システム〟に従え』という言葉に触発されて。

「しかし、向こうは外交ルートで資料の提供を要求してきます。なんなりとこちらの見解を用意しておきませんと」

 そんな感傷的な結論は、いまこの場ではなんの役にも立たない。木城深雪の危険性を認めると言う点において、いっそ害毒ですらある。特資室長の声に現実的な思考を呼び覚まされ、桂木は応接用の小卓を挟んで向き合う部下たちの方に顔を戻した。寝不足の顔をごしりとなで、手元の資料を取り上げた内事本部長が、「木城が拉致されたという線で争うのは無理だ」と投げやりに言う。

「襲撃に使われたモビルドールが、あの金家の関係者なら、木城がロシアGBNで事を起こしたのも金家の関係者。その関係者……も失踪中とくれば、誰が見ても彼女は純然たる被害者じゃない。ここは素直に非を認めて、他のところでこちらの正当性を主張するしかない」

「たとえば?」

「ヲチカタの件で目隠しをされていたから、我々はミカヅキなるELダイバーの動向をつかめなかった。だから不意をつかれたとかなんとか、言いようはあるだろう」

「それでは、我々は無能だと言っているようなものだと思いますが……」

「だから、言いようだよ。ヲチカタに触れないよう遠慮した結果だと思えば、向こうも強くは出られない」

「しかし、木城の処分を保留にして、任務に就かせていた責任は問われます。我々の主観的には、それはやむを得ない措置でした。内勤で茶を濁させていては、ほとぼり冷ましの意図が内外に伝わってしまう。外部の批判を躱し、部内の士気を維持するために、木城は現任措置に留め置く必要があった。金家の護送は、そんな彼女にあてがうのはちょうどいい任務だった。でもこうなってしまっては、すべてが裏目です。謀反の疑いがあったにもかかわらず、任務に就かせてまんまと逃げられてしまった。だからわたしがあれほど――」

「反対した、というのは主観的事実で、客観的には室長も同罪だ。直属の上官でありながら、これまで木城の謀反に気づけなかったという意味では、責任の重さも鼻ひとつリードしている」

「ですが、彼女は呂名家の……!」

「ゲームマスターの御前だ。水掛け論はやめよう。善後策を協議するのがいまの我々に課せられた責任だ」

 冷然と言い放った内事本部長に、特資室長は今度こそ萎え果てた体で押し黙る。

 東京のGBN高層ビルにある運営らの部屋とさして変わることがない。10畳ほどの空間に執務室と応接セットが配置され、執務室の背後にはGBNを象徴するエンブレムかかれた旗と日本国旗が飾られている。自衛隊内局出身でゲームマスターでもあるGBNの桂木の場合、出身部隊旗は当然なく、代わりに5つの桜星が編み込まれた旗が飾ってあるが、これは部屋の美観的バランスのための窮余の策と言えた。

 最初は冗談かと思った。

 公的には存在しないことになっている組織の長が、自衛隊出身者だったとは。退官後に運営に出馬するОBもいないではないが、自分にはおよそ政治的な野心はなく、旗をありがたがる心理もない。にもかかわらず、慣例ですからと旗を押しつけてくる運営部門の思考回路には、違和感を通り越して薄ら寒さを覚えるが、だが、そうしたお役所根性が〝対策室〟の一方の体質であり、その拉致のない非公式対策会議の正体なのだった。

 先刻、電話で話したマイケル・プログマンに釘を刺されるまでもない。木城深雪の失踪は重大事だ。事案関係者を占有するべく、すべて〝対策室〟が策した狂言と疑われても仕方がなく、嘘でも反証材料をかき集めねばならないというのがこちらの立場だが、特資に詰め腹を切らせればよしと考えている内事本部長といい、それを感じ取って自己防衛に終始している特資室長といい、およそ非公開情報機関の要職に就く者の態度とは思えない。

 『A金貨』の保全という大義名分の下に、呂名哲郎はかつての〝対策室〟を復活させようとした。GBNの深層を見渡せる目と、身を守る牙を持たせるために――。

 深雪の言いようを思い出し、目前の2人の言い合いに心底うんざりした桂木は、床を蹴って液晶モニターの電源を切った。

 護送車輛の記録映像がかき消え、内事本部長と特資室長がぎょっとした顔をこちらに振り向ける。

 犬なら水をぶっかければ済む。だが、人間相手となるとそうはいかない。

 頭を冷やし、益のない議論を前向きにさせるには、手段とタイミングが重要になる。この2人が年下でよかった、と桂木は思った。

 8年前にゲームマスターが就任した時……いや以前、40代で内事本部長を拝命した時は、10歳年上の部下たちに対してこれをやらなければならなかったから。結果、手に入れたのは、都度の対策を話し合う幾ばくかの時間と、スタンドプレイが鼻につく若僧という陰口の両方だ。

「気にならないか?」

 あと2年で還暦を迎える歳になれば、もうその手の陰口に煩わされることもない。桂木は両者の目を見て静かに言った。2人は身じろぎもせず、先の言葉を待っている。

「福田が命がけで手に入れたネタとは何か。〝財団〟から解放されて以後の福田の足取りはつかんでいる。彼の死後に帰還した金家はもちろん、ミカヅキと接触した気配もない。となるとネタとは文字通りの情報で、電話やメールなどで送信可能なものか、あるいはその隠し場所を知らせるものか。なんであれ、それが金家の行動を支える原動力には間違いない」

 なにを言い出すかと思えば……言わんばかりに目を見交わした2人にかまわず、桂木は言葉を継いだ。

「福田の携帯電話からはそれらしいデータは抽出できなかった。以前から福田だけが知り得る重大な情報があって、死を予測した彼がそれを金家たちに送ったとも考えられるが、もしそうなら福田には別の戦い方があった。我々に拘束された時点で、そのネタを交渉材料に延命工作をすることだってできたはずだ。だが、彼はそうしなかった。敢えてしなかったのか、できなかったのか。後者であるなら、それは拘束中の身では動かしようのない何かだったのか、もしくは拘束中に入手したなにかだったのか。〝財団〟に引き渡して以後の彼の動向がわからない以上、推測に推測を重ねることになるが、福田が命がけで手に入れたという金家の言葉を信じるなら――」

「お言葉ですが」

 冷たく遮った内事本部長が、姿勢を正してこちらを見る。「それ以前に、その言葉の信憑性を疑う必要があるのではないかと」

「なぜかな?」

「それは……」本当に言わせる気か? と鼻白んだ表情を見せたあと、開き直った体で内事本部長は続けた。「我々がその発言を聞いているからです」

「と言うと?」

「金家は車載カメラの存在に気づいていた。何度かレンズの方を気にする素振りを見せていたから、これは確実です。そのくせ、襲撃が始まってからはカメラを破壊しようともせず、記録に残るのを承知でああいう発言をしている。これまでの金家の行動からして、偶発的なミスとは考えにくい。彼は、この発言を我々に聞かせようとしているのです。おそらくは捜査をかく乱するために」

 これまで金家の言葉が検証されてこなかったのも、そういう自明の共通認識があったからに他ならない。子供に教えるような顔の内事本部長を見て、内心ほくそ笑んだ桂木は、「わたしも同感だ」と応じて机の縁に尻を預けた。

「金家栄治は、我々に聞かせるためにあの発言を残した。が、それをかく乱のための嘘と決めつけるのは早計だと思う。もし、彼らが本当になんらかの隠し球を持っているのだとしたら……」

 2人に考える間を与えてから、桂木はおもむろに言った。「彼らを探す必要はない。近日中に向こうから接触してくる」

 再び目を見交わし、内事本部長と特資室長はそろって思案顔になった。2人とも決して愚かな男たちではない。試行ををそちらに向ける余裕がなかっただけで、いったん前提を変えれば金家の思惑がすぐに読み取れるはずだ。言ってくれ、と桂木は胸中に呟いた。当然の推測を、君たちの口から聞かせてくれ。スタンドプレイが染みついた局長の思い付きより、君たちが思いついてくれた方が内外を説得しやすくなる。

「我々に、取引を持ちかけてくるために」

 数秒後、疑問符がつくかつかないかの微妙な声で、内事本部長が言った。「その材料はあると伝えるために、記録に残るのを承知で喋った……」

 ご名答。

「その可能性はある。だとしたら、我々には彼らの捜索の他にもすることがあるとは思わないか?」

「その、隠し球の中身を調べろと?」

 ただでさえ内事長が全方面本部が総がかりになっているのに、手掛かりのひとつもない情報の中身を調べろとは。無理だ、と内事本部長が口を開くより早く、「今はそれほどの人的余裕がない」と桂木は先回りの言葉を並べた。

「だが、手の付けようがないわけじゃない。フェアチャイルドを揺さぶって、呂名英一を救出するのが彼らの目的なら、隠し球は当然フェアチャイルド絡みのものだ。無論、我々の知っている『A金貨』の内情に関するものではないだろう。本事案において、フェアチャイルド側だけを黙らせるに足りるなにか……」

「……ヲチカタだ」

 それまで黙っていた室長が、天啓を受けたという顔で呟く。「ヲチカタ・コロニーに対する封殺作戦。その謀議を立証する情報を福田は入手したのでは?」

 これもご名答。当て推量ではあるが、金家の言葉をメッセージと捉えるなら、時期的に見ても福田が入手し得た情報はヲチカタ絡みである可能性が高い。先刻、マイケルと電話で話した時にヲチカタの話題を持ち出したのも、そばで聞いていたこの2人に可能性を示唆するためだ。桂木は無言で肯定し、「もしそうなら、えらいことだ……」と内事本部長が呻くのを聞いた。

「内事部だけで対処できることじゃない。外事部にも応援を要請しませんと」

「そうだな。外交に抵触する可能性があるから、特資案件では括りきれない。あらためてGBN運営の了解を取る必要がある」

「取れますか、この状況下で?」

「難しいな」桂木の独断では。「しかし、やってみる価値はある。フェアチャイルドを黙らせるネタが手に入るなら」

 頷き、内事本部長は立ち上がる挙動を見せた。やることが決まってしまえば、自衛隊上がりのは反応は早い。さっそくGBN運営部に上げる文書の起案にとりかかるつもりだろう。これで少しは事態が動くと思い、自分の椅子に座りかけた桂木は、「まってください」と発した声に足を止められた。

「GBNにうかがいを立てれば、こちらの……GBN日本の動きはどうしたってフェアチャイルド側に漏れます。いまの推測が当たっていたら、我々は木城の謀反を追認したことになる。共同謀議だったと認めるようなものです」

 テーブルから身を乗り出していった特使室長の勢いに、持ち上がりかけた内事本部長の腰が再びソファに戻る。

 余計な事を。

 桂木が口中に舌打ちする間に、「木城らと共闘するわけじゃない」と困惑気味の声が内事本部長の口から漏れていた。

「ただなんらかの取引を持ちかけられた時に備えて、向こうの手の内を知っておこうと――」

「それも主観的事実です。客観的には、〝対策室〟は最初から謀議に与していたように見える。本気でフェアチャイルドと事を構えるつもりですか……!」

 目を血走らせ、噛みつかんばかりの勢いで特使室長は押し被せる。日頃はろくに人の目を見て話せない隠花植物が、この時は絶対に視線を外さない強硬ぶりで、内事本部長も気圧された様子で黙り込んでしまっている。

 もうダメだ。

 桂木は嘆息を堪えて椅子に座り込み、執務机に片肘をついた。

「サービス開始した数年前ならいざ知らず、いまはGBNのおかげで反米だ嫌米だって空気はない。ブレイク・デカール事件に代理戦争問題と続いて、やっぱり頼りになるのはアメリカだって誰もが思っている。こっちの頭越しに中国を見ていようが、他に当てにできる他人はいないってわかっているんです。国民がそういう気分なら、フェアチャイルドとやりあうつもりは毛頭ない。先日の聴取で木城が言ったこと、あれはとんでもない時代錯誤です。あんな口車に乗せられて事を起こしたら、〝対策室〟は完全に孤立する。次の再編で骨抜きにされて、公安主導の情報機関に吸収され尽くしますよ」

「そのことと、ヲチカタの件は別の問題だろう。日米の関係の悪化が避けられないなら、それを見越してカードを作っておくのも我々の役場だ」

「今のGBNに、それを認める気骨のある人間がいますか? Gチューバ―やガンスタグラムの書き込みを世論と勘違いして、尊大な言動で外交関係を呆気させるような連中ですよ。納得するかと思えばSNSを監視するような真似をして、GBNの保護は2の次だ。親米保守って言ったって、彼らの前の……旧世代の運営はもう少しデリカシーがあった。土台の部分はアメリカ任せにしてるって後ろめたさがあるから、曖昧にできるものはしておこうって計算深さがあった。それを能天気な新世代の運営どもは、ELダイバー保護法やら軍事利用からだの『普通のGBN』を金科玉条にしてドブ板を剥がそうとする。根っこのところじゃアメリカのGBNに頼り切っているくせになにが普通だっていうんです!」

 どんと拳を机を叩いた拍子に、モニターのリモコンが床に落ちる。気づきもしない特資室長を見るのが辛く、桂木は額にてのひらを押し当てた。

「普通じゃないし、普通にしたって得することはなにもない。それでも普通にできると思ったら、そいつは物を知らんだけです。普通じゃないから、わたしらみたいな人間が帳尻を合わせてきた。〝財団〟も『A金貨』も、そういうことでしょう? それを全部清算して、まっとうに組み直そうなんて都合がよすぎる。過去に飛んで、歴史を、日本とアメリカでGBNを造り出したって歴史を変えない限り無理ですよ。新運営どもも腹の底ではそれがわかってる。もとより欠落しているリーダーシップを、威勢のいいかけ声でごまかしているだけなんです。フェアチャイルドにケンカを売るなんて、連中が認めるわけがない。これを機会に『A金貨』はアメリカに返上、〝財団〟に解体して、次は〝対策室〟。『普通のGBN』にするために、もうそういう話し合いがもたれてるでしょうよ。それこそ身動きが取れなくなって、あとでとんでもない面倒を抱え込むことになるでしょうがね……」

 気力も体力も使い切ったのか、最後は消え入るような声で言い、特資室長は疲れた体をソファに沈めた。気圧されている自分に気づいたのか、内事本部長は鼻息を漏らし、重い沈黙を室内に呼び込む。深雪のそれとは似て非なる主張だが、〝対策室〟に流れる思潮の一部を的確に切り取った言葉には違いない。今回の事件で定年後の天下りプランは完膚なきまでに潰え、長い忍従の日々が組織ごと水泡に帰すかもしれないとなれば、日和見の室長のひとつもしたくなるか。普通のGBN……と口中に繰り返し、桂木もしばし無言で机に目を落とした。

 やりづらい時代になった、とは思う。ELダイバーという十字架を背負い、外交も運営もがんじがらめにされながら、各国の代理戦争の道具になってきたGBN。もとより普通のVRオンラインゲームではあり得ない。それゆえに起こるさまざまな問題を人知れず処理してきた身としては、この遊戯が整備されるのは望むところでもあったし、ダイバーはもっと真実と向き合うべきだと思うことも度々あったが、現実は国民を堕落させてしまった。これまで曖昧にごまかしてきたことが、白黒つけよと優等生的な正論に押し切られ、受け流すと言う手を封じられたまま無用な戦いを頻発させるようになった。

 ブレイク・デカール問題しかり、国の代理戦争問題しかり。

 答を出さないことが最良の問題を出そうとし、踏まないでいい地雷を踏んでは、ここに地雷があることがおかしいと叫んでまた地雷を踏む。

 国民人気を得たい、ダイバー。

 特使室長が言う所の『物を知らない大人たち』が釣られたのか、アンチGBNのネット世論が彼らに釣られたのか。とまれ、マスコミもこの相乗りして、もはや出自の定かではないやまびこのように響きあい、会社の利益より指摘、感情論を優先した無数の答がそこらじゅうに溢れきっている。それがアメリカに言質を与える悪循環を目の当たりにしても、いったん焚きつけられた主権意識は留まることを知らない。普通でないガンプラブーム、すべてを曖昧にごまかしてきたGBNの反動のように。我の正義と彼の正義が相容れる事はなく、答に固執した先には衝突しかないことを。

 自身がないのだろう。世界一のガンプラ大国であれ、国威を語る肩書によって充当される自信が日本から失われて久しい。だから自らの肯定する言葉、情報を得ようとする電脳空間、否定的であったり肯定派であったりする言葉は無視するか、場合によっては攻撃さえする。ネットの普及により、そうした右に傾いた世相は世代を横断して広く分布しており、自信喪失と日夜のストレスから着々と積み増してきたのだが、これがリーダーシップを発揮したいGBN側の思惑と奇妙に呼応し合い、ひやりとさせられる瞬間が何度となくあったのがここ数年のGBN日本の状況であった。

 このたびにアメリカGBNに〝懸念〟を示され、不承不承に尻尾を巻く体たらくは、青臭い自我に振り回される思春期の少年さながらの無様とはいえ、思えば〝対策室〟を創設した呂名哲郎の意思然り、ダイバーに転身してGBNで一旗揚げようとした部下たちしかり、日本が失った権利を密かに誘導する動きは昔からあったと言える。当時と今が違うのは、密なるをもって良しとされてきた謀を政策課題にしてしまう野放しの有無と、それをリーダーシップとはき違える破廉恥さの有無。つまりは特資室長の言う通り、デリカシーの有無でしかない。

『私たちは人間です。日本という国家の一員。自分で自分の生き方を定める権利を持っています。GBNにはELダイバーという存在も確認された。日本はただのGBNの一部ではなくなっていった。ですが、私たちはいまだに古い〝システム〟に縛られている。そう命じられたのではなく、物事を受け入れる勇気を持てずに自分で自分を縛りつけて――』

 深雪の言葉が思い出される。

 正論だ。

 桂木は認めた。

 物を知らない大人の言葉ではない、この現実を受け止め、戦ってきた者だけが血を吐くような正論だ。

 だが――今は時期が悪い。

 事を起こすには最悪のタイミングだと言える。

 ここ数年の〝デリカシーのない異変〟の代償として、日本とアジアのGBN外交は、サービス開始のレベルに立ち返ってしまった。マイケルに言われるまでもなく、いま日本とアメリカの関係に亀裂が入ったら、いくらGBN創成の国だとしても完全に孤立する。ここぞとばかりに中国にGBNの利権が奪い取られて、あとさき考えずに暴発してしまいそうな雰囲気が、ここ日本にはある。

 この事案はすべてこちらに非があるのだから、向こうにあわせて穏便に。

 政府方面からそんな声が聞こえてくるのも、彼らもまた現状に危機感を募らせているからに他ならない。呂名哲郎が存命していたとしても、今という時の行動はさすがにためらうのではないか。ためらい続けた結果が自らの血筋を逸らせ、この事態を知っていても、なお。

『データに基づいた決定なら、誰でも下せる。長たる者が心がけるべきは、合理と情理をすり合わせた人間的回答だが、GBNの道を歩んできた者でこれができる者は少ない。君はどうかな……?』

 〝対策室〟のドアを開け、そしてこのGBNのゲームマスターに任命されて間もないころ、1度だけ会ったことのある呂名哲郎は、笑みの中でも鋭い眼光を湛えてそう桂木に問うた。GBNという派閥の維持に尽くしてきた身には胸に響く問いかけではあったが、問うた方も問われた方も、それを実践してこられたとは言い難い。

 そのように決断したことはあるし、それで得られたものもあるが、それ以上に失ったものも多いと自覚する。大抵の物事はデータ通りに処した方が正しく、組織がその歴史の中で培ってきた慣習や慣例の重みは歳をとればとるほど痛感されるようになる。前例のない事態に対しても、〝前例のない事態への対処〟がマニュアル化されているのが組織というものであり、その行き着く先が事なかれ主義の蔓延する役所化なのだろう。組織である以上、〝対策室〟の変節は必然で、そこに人間的応答が介入する余地は端からなかった。ゲームマスターになってからの数年間は、それを悟るための歳月でしかなかったと言っても過言ではない。

 いかにも役人らしい暴発の仕方をして、特資室長は抜け殻になった。もうこちらの行動する気力はあるまいが、その言葉で我に返ったのか、内耳本部長もソファに腰を落ち着けてしまっている。フェアチャイルドと直にやり合わぬまでも、せめて金家たちが持っているカードの中身は知っておきたかったが、こうなってしまっては遠隔操縦もきくまい。

 局長発のスタンドプレイをごり押しするか。

 それとも、おとなしく木城深雪の捜索に徹するか。

 それぞれの選択で得られるものと失われるものを頭に列挙し、自明の結論にたどり着いた桂木は、壁に掲げられた数枚の額装写真に目をやった。

 サービス開始から数十人を数えるELダイバーや強豪たるフォースらが、無言のうちに見返してくる。誰もが頂点を目指して、現実のなかに妥協を繰り返し、いつしかなにを妥協したのかもわすれてしまった顔、顔、顔。順当にいけば、来年度には頂点たるフォースのリーダーが額縁に納まるが、次に続く者が――否、来年度まで〝対策室〟という組織が存続できるかどうか。

「……確かに、現時点でヲチカタの件にアプローチする作戦が認可されるとは思いません。既存のデータの洗い出しは進めますが、ここはやはり、木城の身柄確保に専念した方が賢明かと」

 重い沈黙を破って、内事本部長が言う。この場合の身柄確保には、〝生死を問わず〟の決まり文句が暗黙のうちに付随する。嘆息を堪え、内事本部長と目を合わせかけた桂木は、不意に鳴りだした内線電話の呼び出し音を聞いた。

 理屈はない。

 ただ事が動くという無条件の予感があった。

 桂木はすかさず受話器を取り、電話の声に神経を集中した。隣室に控える秘書官からではなく、同じGBN運営に勤務する副長からの一報だった。

 前後して内事本部長と特資室長の携帯も騒ぎ出し、応答した両者の顔がみるみる青ざめてゆく。自分の顔色も似たようなものだろうと思いつつ、まずは報告に耳を傾け、ひと通りの状況を理解した桂木は、こちらを見た内事本部長と今度こそ目を合わせた。

 噂をすれば……とはよく言った。その思いを相手の目の底にも確かめてから、受話器を握りなおす。ロートルが雁首を並べてぐじぐじ思い悩む間に、向こうはとっくに行動を開始していたというわけだ。完全に後手に回ってしまった恨みを噛み殺し、歳は取りたくないなと内心にぼやいた桂木は、それらすべての感情を拭い去って短い指示を電話に吹き込んだ。

「通せ。今すぐにだ」

 

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