ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第七十六話

 殺気。

 そうとしか言えない何かが全身を貫き、大広間の空気を揺らした。

 脅しだ。

 人ひとり殺して死体を始末するのは言うほど簡単ではない。反射的に予防線を張りつつも、手が震え出すのも止められず、「この場合、50億は50億のまま終わります」と出した声も無様に震えた。クロサワは札束を放り捨て、どうでもいいとばかりに小指で耳をほじる。

「お話したのは、これを元手としてGBNを、このフォースの未来のための計画です。現金を用意したのは、皆様に本気の話だと信じて――」

「それが詐欺師の口上やっちゅうねん。ワレの話信じて、アメリカさんに喧嘩ふっかけるくらいなら、この場で見せ金総取りにした方が現実的やっちゅうもんやないか」

 凄むでもなく、せやろ? と顔を覗き込んでくるような声が心底恐ろしかった。幹部たちの目がすっと据わり、何人かがすぐに立ち上がれるよう身じろぎする。あわせて身構え、今にも畳を蹴りそうなミカヅキの気配も感じ取ったエイジは、「聞いてください」と咄嗟に大声を張り上げた。

「おっしゃる通り、わたしは詐欺師です。それで何年も食ってきました。適当な言い方かどうかわかりませんが、プロのつもりです。そのプロとして、相手の前では絶対に口にしないと決めている言葉があります。どうか私を信じてください、という言葉です」

 ほとんどひと息で浴びせかけた声に、クロサワはわずかに目を細めてエイジを直視した。じわりと脇の下に滲んだ汗の冷たさを感じる余裕もなく、エイジはその目に食らいついて口を動かし続けた。

「むしろ突き放して、信じるかどうかは相手に委ねる。それで切れる相手なら、それまでのこと。無理を通せばボロが出るし、しっぺ返しが来た時には1巻の終わりになるのがこの商売です。でも今度は違う。わたしはどうしてもヲチカタを、ヲチカタで起こりつつある奇跡をこの世界に知らしめたい。その奇跡を生んだ男を助け出したい。皆様の力が必要なんです。だから身ひとつで飛び込みました。手持ちの札もすべて切りました。これで信じていただけないなら、わたしという男がそれまでということです。もとより退路はありません。身から出た錆と受け止めるだけです」

 事前の想定はない。これは追い詰められた体から事前にこぼれ落ちた言葉、嘘偽りのない本心というやつだ。自分にも言い聞かせてクロサワの目を見返す一方、身から出た錆、という無意識に出た言葉にのしかかられ、エイジは爪の先が食い込むほど膝頭を握りしめた。

 なんてことだ。

 本心から発したはずの言葉が、我ながら詐欺師の口上に聞こえる。

 長年の背徳づくめの生活で、どうやら俺は自分自身の信頼を失っているらしい。

 そんなことはとっくにわかりきって……いや、自覚しているようでしていなかった。流れる世間を狭め、自分で自分を信じられなくなる。『A金貨』の真実を追い求める代償と受け流して、その結果失われるものの重みから目を背けてきた。

 言葉は虚しい。信じてもらえなければただの音だ。

 いま口にした言葉で、確実に胸に響いたのはたった一語だった。

 わたしは詐欺師です――それだけは偽りがない。そしてその言葉が、他のすべての言葉から真実を拭い去ってしまう。なんとくだらない仕事に手を染めてきたものか。

 そういう時ではないし、自分でも信じられないが、俺はいま恥じている。

 詐欺師と名乗るしかない自分を、それゆえに他者に心を伝える術を失った自分を、心の底から恥じている。

「そんな資格がないことは、承知しております。でも、1度だけ……1度だけ、言わせていただきます」

 情けない。その実感に押され、エイジは我知らず畳に両手をついていた。

「信じてください」

 目を閉じ、額も畳に押しつける。なにも見えず、なにも聞こえなかった。

 息が詰まり、目と鼻がじんと熱を帯びたが、詐欺師の涙がなんの足しになる。もはや情けないという感情もなく、きつく閉じた瞼で滲んだ雫を押し留めたエイジは、「どうも、あかんなぁ」とため息混じりに呟いた倉沢の声を聞いた。

「やっぱり詐欺師の口上にしか聞こえんわ」

 砕けた口調とは裏腹に、断を下す重い響きがその声音にはあった。

 幹部らの視線がいっそう険を帯び、張り詰めた殺気が広間に充満する。もはやこれまで――詐欺師の口上を真に受けるバカはいないし、積まれた現金を黙って持ち帰らせるほど彼らはお人よしでもない。顔を上げ、こちらの生殺与奪権を完全に掌握した男の目を視線に入れたエイジは、熱した頭が旧劇に冷めてゆくのを感じた。

 仕方がない。

 これこそ身から出た錆だが、それは金家栄治――エイジの都合であって、英一やミカヅキ、深雪には関りがない。この金と命も、すべて英一の命と引き換えに預かったものであり、自分には返済の義務がある。自業自得とあきらめて、自分には返済の義務がある。自業自得とあきらめて、勝手に処分していいという話はないのだ。

 せいぜい抵抗してやる。

 そういう思いが恐怖を押し退けて立ち上がり、エイジは周囲に素早く目を走らせた。

 運営の摘発を警戒して、幹部クラスのダイバーはモビルスーツはおろか、武器を持ち歩かない。この総本部にもおそらくドス1本置いていないだろう。なにをされるにしても、ここから連れ出した先でのことなら勝算はある。広間にいるのは、モビルスーツに乗っていないとはいえ百戦錬磨のダイバーばかり。

 廊下で待機している下足番が飛びかかるのに、数秒。

 その間にクロサワに飛びかかるのに、数秒。

 ミカヅキにうしろを取らせれば、クロサワを人質にして逃げるのも不可能ではない。

 〝対策室〟仕込みの格闘術をマスターしているミカヅキなら、素手で無力化するくらいのことはできるだろう。近づけはフォースマスターをどうなるかわかってるなと牽制しつつ、まずはここから逃げ出して……じこまで行けるかわからないが、ここは賭けるしかない。

 正気じゃない、と考えたのは一瞬に過ぎなかった。

 ここでは死ねない。

 それだけを胸にエイジはクロサワに視線を戻した。

 表情。

 目の動き。

 息遣い。

 飛びかかる間合いをはかろうとして、その顔に予想外の表情が浮かび上がるのを見た。

 瞼をびくりと震わせ、さも意外なもの見つけたというふうに片方の眉を吊り下げると、まじまじとこちらの顔をのぞきこんでにやりと笑う。なんだ? と思う間に刹那の笑みはかき消え、「リンさん、どないします?」という大声がクロサワの口から噴き出していた。

 上座に近い方のふすまが勢いよく開き、ひどく小柄な少女……? かどうかわからない女性が広間に入ってくる。思わずぎょっとしたのは、GBNでも見ない派手な出で立ちのせいだった。フリル付きのブラウスに黒のフレアスカート、くるくると巻いた黒髪に花飾りのヘッドドレスという組み合わせは、年齢不詳な少女の姿に相まって不思議な存在感を醸し出している。他の幹部らも気圧された体で見守る中、少女はずかずかと広間を横切り、恐れる様子もなくクロサワの横に並び立った。

 勝気な眼がひたとこちらを睨み据える。エイジは、前後の状況を忘れて腰に手をやる少女の立ち姿を見上げた。

「あたしの名前は大山リン。あんたが呂名のボンボンの仲間ね」

 クロサワの幹部……にしてはいくらなんでも幼すぎるし、この場に顔を出す通りもない。呂名のボンボン、という言葉もすぐには頭に入ってこず、妖怪……という他ない顔を呆然と見返した時だった。少女のてのひらが素早く動き、張られた頬がぴしゃりといい音を立てた。

 少女のことだから、さして力はない。が、太い指輪をいくつものはめた手のひらの質感は想像以上に重く、その感触も柔らかいと思ったら、ひどく硬くて、エイジはバカみたいに頬を押さえて目をしばたたいてしまった。リンと名乗った少女みたいな存在はそれでも気が収まらないらしく、上まぶたに塗った濃いアイシャドウの目をいっぱいに見開き、

「あんたのせいで〝財団〟はめちゃくちゃ。GBNもこれからどうなるか、わからないったらありゃしない。あんたの首を〝向こう〟に渡して、命乞いしなくちゃいけないのがうちの立場。わかる?」

 〝財団〟。

 そういう一語が突き抜けるまでに「わかってる? 図が高いのよアンタ」と怒鳴ったリンに頭を押さえつけられ、エイジは再び怒鳴ったリンに頭を押さえつけられ、エイジは再び畳に額をこすりつける羽目になった。〝財団〟に所縁があって、永琳組のフォースリーダーとも知古の仲の大山リン……あのオーヤマ・コンツェルンの創業者夫人か。ようやくがばと体を起こしかけて、まだ早いとばかりにまた頭を押さえつけられた。

 間違いない。

 関西最大手のサーバー会社にして、京都のフィクサーと恐れられた大山高志。闇の中を動いていた〝財団〟の歴史にあって、その名は絶えず常任理事の名簿に記されており、1990年初頭から妻のリンの名が変わりに記されるようになった。〝財団〟の常任理事にも名を連ねているということは、この少女……じゃない、ばあさんは現役の〝財団〟理事。

 いまや解体の危機に陥っているだろう〝財団〟の理事が、なぜこの場に?

 永琳組との関係は想像がつかないでもないが、ここがリンが無防備に〝財団〟の名を口にしたからには、クロサワは端からその存在を知って――?

「クロサワさん、あんたの目からみてどう見てる?」

 次には足で頭を踏みつけにしそうな勢いを崩さず、エイジの前で仁王立ちになったリンが言う。まるで詰問口調だったが、幹部たちは押し黙ったきりなにも言おうとしない。京都のフィクサーの全権を受け継いだこの未亡人には、本家フォースリーダーと対等に話すだけの権威が認められているということか。クロサワは「さあ」とうろんに答え、「わしには斬った張ったの世界しかわかりまへん。プロの詐欺師が本気で騙そ思て来たら、見抜ける自信はようありませんわ。せやけどこの詐欺師、命捨ててまっせ。そっちの小娘もや。鉄火場何度も見てきた目ぇしとる」

 ミカヅキの方を見やり、「あのなんちゃらとかいうコロニーのELダイバーか」と言ったリンの声が頭上を流れる。ミカヅキの反応はうかがいようがなかったが、無遠慮に相手を見返し、敵意の有無を確認しているだろう姿は容易に想像がつく。「ただのELダイバーでないことは確かや思います。そんな目したガキ、いまのGBNやとよう育たん」とクロサワの声が続き、エイジはあらためて冷たい汗が脇腹を濡らすのを感じた。

 ミカヅキだけではない。

 こちらの殺気もクロサワは感じ取っていた。あと少しで自分に飛びかかり、取り返しのつかない事態に陥っていた詐欺師の殺気を感知したからこそ、クロサワは笑い、すんでのところでリンを呼び寄せたのだろう。

 つまり、すべて最初から予定されていた筋書き。

「そうかもしれないわねぇ……」

 応じたリンの声にもやわらかな響きが差し、エイジはすこしだけ顔をあげてその顔色を盗み見た。いつからかこちらに視線を戻していたリンとまともに目が合い、そらすこともできずに眼を凝視した。

 冷たく、厳しい。

 こんなふうに這いつくばるダイバーを何人も見下ろし、また自身も何度となく這いつくばったことのある目――。その人生の重みが、眼の奥から滲み出したように思い、エイジは彼女がここにいる理由を直感的に理解した。

 この人は知っている。

 『A金貨』とともに歩んだ〝財団〟の歴史。GBNのすべてを。その地下深くを脈々と流れ続けた呂名哲郎の思惟と、それゆえに引き起こされた現状を、なにもかも。

 思った途端、リンは思いきり目をすがめ、「あんたはアホか」と鋭い一声を浴びせかけてきた。

「永琳組くらいの大所帯だったら、どっかで〝財団〟と繋がってるってわからなかったわけ? フェアチャイルドの若殿さんは、あんたとその子の首を欲しがってるのよ? 差しださなきゃ〝財団〟も日本のGBNも終わりなの。そんなところに飛び込んできて、ようもまぁ……」

 本当に呆れたという声に出しつつも、この目には苦々しさ以外のなにかがある。わずかに見出したそれを逃すまいと、エイジはリンの瞳を見つめ続けた。オーヤマ・コンツェルンという特殊右翼、すなわち政治結社を隠れ蓑とする反社会的勢力との関わりは過去に何度か囁かれたが、大山リンと永琳組の関係については深雪からの情報にもなかった。どこかで繋がっていようとは思っても、よもやこの場に〝財団〟の理事が出てくるとは思いもしなかったし、運営も〝対策室〟も両者の関係については把握していないかもしれない。

 エリア11の廃駅から川に繋がっていた、あの地下の秘密通路と同じことだろう。積み重ねられた紛争も戦後もすっかり忘れた顔をしていながら、すべてその頃のしがらみの上に成り立っているGBN日本支部。ディメンションの隅から隅まで把握したつもりでも、地下深くに張り巡らされた秘密は当事者以外に知る術がない……。

 この数十年という時間には、それだけの質量がある。実際にその時を生きた者でなければわからぬ重み、データ化しきれない複雑さがある。英一も深雪も、その巨大なコネクションの中にあっては、毛も生えそろっていない幼子に等しい。エイジに至っては、周りをちょろちょろする虫けらのようなものだろうが、その虫けらの首をフェアチャイルドは欲しがっている。福田が自分たちに託したあの会話記録には、彼らをかくも慌てさせるほどの価値があり、それを活かすか殺すかの瀬戸際にいま自分は立っている。その理解がさざ波のように押し寄せ、エイジはゆっくりと身を起こした。

 そうアホだ。アホでいい。借りた命を返すまで、俺はアホになりきると決めた。無言で返した言葉が伝わったものか、リンは忌々しげに顔をしかめ、「詐欺師風情が、なんちゅう目や」と罵り声をあげた。

「それで本当に助かるんだったら、現実の体引き出して首たたっ斬ってしまいたいとこだけどね。もうあんたの首くらいでもどうにもならないわ。うちらも腹括らなきゃだめよ」

 自分自身に聞かせるように言い、リンはエイジの正面に腰を下ろした。「戦うしかない、ということ」と目の高さにきた顔に告げられ、エイジは無意識に拳を握りしめた。

「勝てるかしら?」

 合わせた視線を動かさず、リンは問うた。

 〝財団〟の重み。

 数十年を生きてきた人間の重み。

 しわひとつない顔に穿たれた2つの眼からこちらの奥底に流れ込み、勝ってくれるか、と問う複数の声をエイジは聞いた。

 私たちが守ってきたものを守るために。

 GBNの維持に費やしたいくつもの人生。

 このGBNが積み重ねてきた歴史が無駄ではなかったと証明し、手に入れるべきはずだったものを手に入れるために。

 福田。

 呂名一族。

 黒須修二。

 それらの目がリンの目に重なり、エイジは、

「はい」

 はっきり頷いた。

 じっと見返し、かすかに笑ったリンは、

「やっぱりアホやな」

 そう言って、よいしょと立ち上がった。

「アホの目しとる。たしかにそこいらの『A金貨』詐欺師とは違うようや。取り憑かれた人間の目……そうでしたな、中山はん?」

 最後は高く張り上げた声に、上座の方のふすまが再び開く。誰もいない……と思ったのは、そこにいる者が正座をして深々と頭を垂れ、副リーダー補佐たちの陰に入っていたからだった。正座したまま首をのばし、一様に振り返った幹部らの肩ごしにその者の姿を捉えたエイジは、今度こそ息ができなくなった。

「ドレルさん……?」

 我知らず呟いた声に、ミカヅキとタダシもそちらを注視する。頭をあげ、音もなく立ち上がったドレル・中山……ドレルと呼ばれたダイバーネームを持った男は、誰とも目を合わせずに広間の敷居をまたいだ。甚平をまとった体が、脂ぎった幹部たちの背後をすり抜け、下座からエイジのそばに近付いてくる。

 幾度となく一緒に仕事をしたベテランの情報屋――今回の件でも〝A〟の調査で世話になったが、そのドレルがなぜここに、このタイミングで姿を現す? それも〝財団〟理事の大山リンに呼ばれて……いや、そうではなく、もしかしたらーー。

 混乱した頭がそこまで紡いだ時、「誰や、知り合いか?」とタダシが小声でミカヅキに問い、エイジは我に返った思いでミカヅキの隣に正座したドレルを見た。無言で見下ろすクロサワに一礼し、リンにも頭を下げてから、ドレルはようやくエイジと視線を合わせた。

「とうとうここまで来てしまいましたね。黒須さんがあれほど止めていたのに」

 微かに笑ったドレルの禿げ頭が、曇りガラスから差し込む陽光をぼんやりと映していた。すぐには返す言葉が見つからず、エイジは口を半開きにしてその顔を見返した。

「こうならないよう頼まれていたのに、これではわたしも黒須さんに顔向けができない。アルスター・フレイヤの調査依頼を受けてから、ずっと気にしておったんです。そこに今回の動き……。お節介とは思いましたが、こちらのリンさんにお頼み申し上げて、仲介役を務めさせていただきました」

「中村さん……いえ、ドレルさんは、わたしの人の昔からの知り合いでね。会社がハッキングされてしんどなった時に、助けてもらったことがあります。このくらいの口利きだったら恩返しにもならないわ」

 いえいえ、と恐縮するドレルに親しみのこもった視線を注ぎつつ、リンも膝をそろえて正座する。クロサワも上座に戻り、新しく火をつけたタバコの煙ごしに両者を見つめている。

 やはり、そういうことだ。

 この会談を成立させたのは、クロサワでもリンでもなく、リンを通してクロサワに働きかけたドレルだった。この底の知れない情報屋は、こんなことになる以前から〝財団〟の存在を知り、その理事にコネクションまで持っていたのだ。ずっと昔の昔、自分がGPデュエルの闇試合で暴れていた頃から……いや、そのはるか以前から『A金貨』が産声をあげて間もない頃から、ずっと……。

 そうだとすると、別の疑問が頭をもたげてくる。

 そんな人間が、なぜ自分なんかと組んで詐欺で日銭を稼いでいたのか。

 問おうにも言葉が出てこず、萎びた禿げ頭を見つめるしかないエイジに、ドレルは笑みを消して向き直った。「驚くのは当然です。今までなにも言わずに失礼しました」と丁重に言い、指をそろえて頭を下げる。

「ご不審をお持ちでしょうが、今ここでわたしの来歴を披露しても仕方がない。ただ、ひとつだけ申しておきますと、今あなたが戦っているものと、わたしもかつて戦ったことがありました。個人としてではなく、ある国に使えての事ですが」

 今と同じ、あくまでも淡々とした声音だった。その図抜けた調査能力と決して情報元を割らせない用心深さから、どこかの国のスパイだったのではないかという噂まであったドレル。そう考えればすべての辻褄があう男に正面から見据えられ、正座した足の痺れとは異なる別の痺れとは異なる、別の痺れが心身に拡がってゆくのをエイジは感じた。「言葉通りの、戦争でした」と続け、ドレルはふと逸らした視線をどこか遠くに投じた。

「それで大勢の仲間を失った。わたしも殺されました。いまここにあるのはその抜け殻です。主義も目的も失って、もうなにかを信じるのが億劫になった。信じる者を嗤ってやろうという意気もなく、昔取った杵柄の片棒を担いできた哀れな抜け殻です」

 落ちくぼんだ眼窩の奥に一縷の光を宿らせ、ドレルは言った。これで抜け殻なら、身が入ってきたころはいったいどれだけの光を込めた男だったのか。想像してしきれず、ただその虚無と悲哀に漠然と共鳴している自分を発見して、エイジは口もとを引き締めた。

「エイジさん、これはそういう類いの戦いです。いっぺん始めたら、もう引き返せない。ガンプラバトルが強いとかそういう次元とは違う。敗けて死んだら幸い、生き残ったら世界のどこにも居場所はなくなる。恐ろしく分の悪い戦いですが、勝つしかないんです。それでもやり通す覚悟はおありか?」

 さして張りがあるわけではないのに、この声が静まり返った部屋全体に拡がり、居合せたすべての人に受け止められてゆくのがわかる。

 リンが見ている。

 クロサワも動かぬ瞳をこちらから外そうとしない。

 エイジは居住まいを正し、ドレルとのみ向き合った。「ドレルさん」と出した声に、ドレルも姿勢を正す。

「覚悟があるなんて、言えないよ。でも俺がいまここど言ったことは、全部本当の気持ちだ。親父の仇を討とうってんじゃない。ドレルさんみたいに、主義のためにやるんでもない。ただ、俺はあいつを助けなきゃならないんだ」

 身の内に眠るなにかを共振させ、進むべき道を気づかせてくれる何者か――きっと人の数だけある〝神〟を見殺しにはできないから。それは自分の魂を殺すことと同じだから。

 覚悟……そんなものなんてない。

 その間もなく、俺はとっくにこの戦争に足を突っ込んでしまっている。考える必要もなくこぼれ落ちた言葉を、ドレルは黙って受け取め、一縷の光を宿す薄暗い瞳をこちらに据え続けた。そして不意に目を伏せると、正座した体を上座の方に向き直らせ、産毛のような白髪が散見される禿げ頭を深々と下げた。

「親分さん、わたしからもお願い申し上げます。なにとぞお力をお貸しください。もしなにかあれば、わたしが責任をもってけじめをつけさせていただきます」

 ドレルの言うけじめとは、きっと堅気の世界でも言い慣らされているそれとは根本的に違う。反社の世界と同じか、それ以上に厳しく血なまぐさい掟を指したものに違いなく、クロサワもさすがに瞼をひくと震わせたようだった。全員の目がクロサワに注がれ「私からもお願いします」とリンも三つ指をつく。クロサワの顔色が、今度ははっきりと変わるのがエイジにも見て取れた。

「〝財団〟のことは聞いたことがあるでしょう。このままでは日本は、文化も、そしてこのGBNもすべて失います。お金の問題だけじゃない。旦那や、あなたの先代が守ってきたもの……日本が日本でいられる権利みたいなものが、なくなってしまう。こんなことになる前から、私たちはもうたくさんのものを失ってきた。全部なくしたまんまだと……旦那に顔向けできないわ。どうか……」

 小柄な体が、小さな石になってしまったかのように頭を畳に押しつける。じんと熱を帯びた胸に衝きあげられ、エイジはその場に這いつくばった。タダシもあとに続こうとして、すぐに身を起こしたかと思うと、正座したまま動かないミカヅキの頭を押さえてもういちど腰を折り曲げる。「いや、あかんあかん、リンさん、頭上げてぇな」と狼狽を露にした声が一同の頭上を行き過ぎ、こちらに歩み寄ってくるクロサワの足音が間近に響いた。

「あんたにそんなことされたら、わしこそ先代にどやされるわ。ささ、顔上げて」

 本当に慌てきった様子のクロサワに肩を抱かれ、その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。同じく顔を上げたドレルが無言でハンカチを差し出し、受け取ったリンの瞳からまた新たな雫がこぼれ落ちる。畳からわすがに顔を離し、2人の様子を盗み見たエイジは、「顔、あげんかい」と発した低い声にひやりとなった。

 片膝をつき、こちらを睥睨するクロサワの顔が目の前にあった。相も変わらず刃物の切っ先のごとは視線だが、もうびびってはいられない。エイジは意を決して上体を起こし、永琳組フォースリーダーの顔を正面に見返した。合わせた目を寸分たりと動かさず、底まで見通す光を双眸に宿したクロサワは、「詐欺師が、たいした徳やな」と吐き捨てて眉間に怒気を刻んだ。

「このお2人に感謝せえよ。リンさんのお口添えがなかったら、50億で人の頭はたくようなサンピン、とっくにいてもうたるわ」

 言葉だけではない。それを十二分に目で伝えて、クロサワはぴしゃりと言い放った。確かにそういう気分はあった。〝システム〟と戦うはずが、知らず〝システム〟に取り込まれていた己を自覚し、エイジは「はい」とかすれた声を絞り出した。

「細かい話はあとで聞くとして、や。ワレがやろうとしとることは、日本のGBNのどんなダイバーもしたことがないことや。そういうことはわかっとるな?」

「はい」

 ふんと息をつき、クロサワは立ち上がった。事実上のゴーサインと受け取ってよさそうだが、最後まで油断はできない。息を詰めて見上げるエイジに背を向け、着物の袖に腕をしまい込んだクロサワは「モビルスーツ手をつけるんやろ?」と肩ごしの視線を寄越した。

「兵隊は用意できても、長がおらな話にならん。こっちで造形師用意したかて、あいつらにここでの話は通用せぇへんで。鉄火場のモビルスーツに仕立てんのがあいつらの仕事や。ワレの目的が別にあるっちゅぅてもあいつらは切り時だと見たら、容赦なく裏切る。ワレの目的が果たされんうちに、勝手にしっぽ巻いて逃げる事かてあるやろ。そうなったら、わしらにもようコントロールでけへん。結果が出るまでわからんことやし、攻めあぐねて報酬をパーになる方が大問題だ。あいつらはそれがわかっとるし、わしらもそこには口出しせぇへん。そういう連中を、ワレひとりで束ねられるんか? プロの詐欺師かて、畑違いやろ。あの亡者どもをどないしてまとめ上げる気なんや?」

 それは、この計画を練り上げた時からの懸案事項だった。ディメンションを巨大な海に例えるなら、造形師連中は違法な網を使って漁場を荒らす密猟者のようなものだ。昨日も明日もなく、今日の稼ぎをしのぐことだけを優先する彼らを、思惑通りに動かすことは難しい。運営の大本のフェアチャイルド財閥と戦争すると言う目的を実現するには、こちらの思惑に対して、忠実な人材が必要になる。勝手に鉄火場からトンズラしようとする兵隊の抜け駆けを監視し、団結して事に当たらせるための存在が不可欠なのだ。

 さすがは永琳組フォースリーダーの慧眼だが、この問題についてはすでに手を打ってある。先刻、この問題についてはすでに手は打ってある。先刻、深雪に結果を聞くのを忘れたが、なにも言わなかったということはОKだったということだ。あとは〝本人〟に当たってみるのみ――。エイジは、クロサワの顔を見上げて応えた。

「ひとり、当てがあります」

 まずいと思いつつも、口もとがにやりと動くのを止められなかった。クロサワは片方も吊り上げてみせた。

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