第七話
GBN。エリア11。
居住エリア公園
(……結論から申せば、アルスター・フレイヤ社は実在します。ホームページに記された通りの場所に本社事務所があり、リストにある取締役たちもちゃんと実在する。従業員は67名。インターネット・ベンチャー企業としてはなかなかの大所帯ではありますが、やっていることの壮大さに比べたらかわいいものです。来たるべき新型ヴァーチャルММОに使用される、新型ネットワークと、その専用端末を開発するっていうんだから)
初心者用のサーバーに造られた公園の、その一角のベンチに座り、通信ウィンドウごしに聞く、ドレルの表情は相変わらず感情を削ぎ落した精密機械の響きだった。タワーのオフィスで聞いたミカヅキの口ぶりを思い出しつつ、
「例のなんとか理論ってやつか」
とエイジはつぶやいた。ついでに4年の禁煙を保護にしたタバコを――あくまで、ネットワーク上のし好物なので問題ない――を地面に投げつけ、缶コーヒーをひと口すする。すでに10本近くの吸い殻が地面にたまって、その場に煙が滞留し続け、その場につかのま曇らせた。
(IFX理論。インデックス・ファブリックの略だそうですが、わたしはコンピュータのことはどうも……。半構造データを独自ツリー化して、検索エンジンの柔軟性と高速化を実現する理論っておわかりになりますか?)
「いや……次、頼みます」
(社長のウーリ・フレイヤは、もともと大学の研究室にいた学者肌の人物です。専門は音声認識ソフトの開発。かつては現地の携帯電話会社、ベリーモバイルのひも付きでしたが、途中で打ち切られて資金難に陥った)
「なんで切られたんだろう?」
(費用対効果の問題でしょう。スマートフォンの登場で状況は変わりましたが、あちらの携帯はあくまで電話で、通話とメールができればいいという感覚です。日本みたいにごしゃごしゃいろんな機能はついてないし、必要とされていなかった。障がい者や難読者でもネットを使えるようにするというウーリ社長の研究理念は、当時の携帯電話会社とはそもそも相いれなかったということです。パソコン会社なら需要もあったでしょうが、大手は自社で開発してましたし、ウーリ社長の理念はあくまで障がい者用の携帯端末開発ですから。市場規模を鑑みて、システムの小型化にともなうコストを支払える必然が企業がない)
調査を依頼したのは一昨日だというのに、通信ウィンドウの向こうで資料を手繰る気配もなく、完全に頭を入れたうえで話しているのがわかる。これが、いつも世話になっているベテランの力か、と震撼させられるが、もっと恐ろしいのはあとで突きつけられる請求額の方だった。
2000万人、年月を経て早や5000万人は存在するGBNダイバーのなかでも、腕利きの情報屋に『急ぎで』と注文してしまったのだから、お友達価格というわけにもいかない。よくても現ナマで50……いや100は覚悟しておくべきかと算用する傍ら、
「それで、自分のベンチャーを立ち上げたってわけか」
とエイジは相槌代わりの声をだした。
(はい)
とドレルは慇懃そのものの声で答える。
(自分が開発した理論の一部をインターネットにあげて、出資者に募ったうえで)
「出資者ってのが――」
(複数います。企業、個人、財団法人。アジアからヨーロッパまで20口あまり。変わり種では、途上国支援のNPO団体や、テルアビブ大学を主幹とするイスラエル学芸連合なんてのもある)
「イスラエル?」
(IFX理論の先駆者がテルアビブ大の教授で、社外取締役の席に収まっています。イスラエル出資は、おそらくこの線から来たものでしょうが……どうもうさんくさい。他の出資団体もそうですが、アルスターが進めている事業を支えるほど、潤沢に資金があるとは思えんのです)
「真の出資者はほかにいる。表に出ているのは、ダミー、か」
育ちのいいおぼっちゃんの表皮の下には、得体のしれない何かを飼っている男の顏を思い浮かんだ。
(断定はできません)
とドレルは慎重に応じる。
(ここから先は、現地にいっての調査が必要になります。期間も1週間以上かかるでしょう)
見えない、アンダーラインを引かれていくようだった。暗に、ここからは教えられないというアンダーライン。アンダーラインを消したいなら、消しゴムで消す必要があるが、その消しゴムはゆうに100万をこえる。
「わかった、ありがとう」
と言い、とりあえずここまでと暗に伝えたエイジは、ひとつ息をついてベンチに深くよりかかった。GBNスタッフが、端正にプログラム、デザインをして、幾人ものダイバーたちが利用しているだけあって、座り心地だけはいい。わいて出たあくびをかみ殺した途端、一昨日から働き通しの頭が不意に重くなるのを感じたが、
(それと、もうひとつ)
そう続いたドレルの声は変わらぬ精密機械の響きだった。
(ミカヅキなる人物のELダイバー保護名簿は存在しません。ためしに、労働組合や保護申請のデータベースにも潜ってみましたが、該当はありませんでした)
これは案の定だった。最初に聞いた時から、偽名臭い感じはしていた。眠気を飛ばすほどのネタではなく、内心肩をすくめたエイジは、
(ただ、気になることがありまして)
と継がれた言葉に眉をひそめた。
(ミカヅキという名前のELダイバーは存在しない。しかし、一部の公安筋には、ミカヅキの動向に注目している節がある)
心臓がひとつ大きな脈を打ち、嫌な重みを異に押しひろげた。
「それってどういう……」
と漏らしたエイジに、
(あの世界ではままあることです)
とドレルは抑揚なく告げた。
(ガストさんの昔の同僚、いつも小遣い銭を渡して情報を流してもらっている相手ですが、その方が、GBN専用回線にミカヅキと打ち込んだところ、警察公安部の人間がすっとんできたそうです。ミカヅキの名前で照会をかけたのはどこの誰か、と。その同僚氏はなかなか用心深く、常時ログオンされている庶務のパソコンを使っていたので、特定されずに済んだようですが。いまだに犯人捜しが続いているとかで、割増料金を請求されたってガストさんご立腹でした)
GBN専用回線に、ミカヅキの名前が入力されるや即座に動いた公安部。
それはすなわち、ミカヅキという保護名簿にも載っていない何者かの名前が、公安のブラックリストに載せられていることを意味する。
公安のブラックリストといえば、ひと昔のかつての左翼活動家、ここ10年は違法ツール作成者やクラッキングの常習者、といったところだが、"財団〟に関与するミカヅキのカテゴライズはそんなわかりやすいものではあるまい。『A金貨』に関しては触れず触らず身の上が公安が、ミカヅキの動向に神経をとがらせているのか何故か。
生硬い瞳の印象を脳裏に浮かべ、
「あいつがねぇ……」
独り言ちたエイジは、(エイジさん)とあらたまった調子で発せられたドレルの声を聞いた。
(ひょっとして、"本筋〟に接触したんじゃありませんか?)
またしても心臓が跳ね、だらしなくベンチに寄りかかっていた体が無意識に起き上がった。
「……どうして?」
平静を装って出したエイジの声に、(あの時と同じ臭いがするからです)とドレルも静かに答えた。
(15年前、クロウさん……黒須さんが亡くなられた時と)
この2日間、ずっと頭を離れなかった事柄であっても、他人から聞かされる重みは別物だった。
ドレルには事の経緯はいっさい話さず、調べてもらいたい物件の名を告げたに過ぎないが、地下社会の臭気を長年嗅いできた鼻には感じる部分があるのだろう。
咄嗟には返す言葉が見つからず、エイジは沈黙を返事にした。
そういえばあの時、誰もが黒須を見放し、悪し様に罵る中で、ドレルだけは何かを押し殺した顔で事態の推移を見守っていた――。
(もしそうなら、悪いことは言いません。この件からは手を引いたほうがいい)
「……黒須の親父と、同じことになるって?」
(修三さんだけじゃありません。他にも同様の目に遭った人間を何人か知っています)
威しでもはったりてもない、事実を淡々と述べる声が耳に冷たく、腹の底に滞留する冷気の温度を1段と低くした。
「珍しいね。ドレルさんが他人の心配なんて」
混ぜっ返したエイジを尻目に、
(滅多にあることじゃありませんから)
ドレルの落ち着き払った声音が続いた。
(これだけは覚えておいてください。彼らが外部の人間が雇う時、それはその人間を使い捨てにする時だけです。本筋の仲間入りができる話はない。まして、あなたは長いこと彼らと敵対してきた身だ)
「敵対って……」
(知ろうとすること。それだけで、彼らにとっては十分な敵対行動になります。他人のわたしが知っていることを、彼らが知らないわけはない)
なにもかも見透かした声は、『A金貨』にこだわり続けるこちらの心中はもちろん"財団〟の実態についてもある程度正確なところをつかんでいる。この際、なんでもいいから聞き出したい、憶測でもいいから教えてもらいたいという思いが頭をよぎったが、ここでそれをするのはルール違反だとわかっていた。
「わかってる。ドレルさん達には迷惑はかけないよ」
と言うのに留めて、エイジはそれ以上先の話をするのは避けた。
顧客にこんな話をしている時点で、ドレルはすでに己に課したルールをひとつ破っている。しばしの沈黙のあと、(出過ぎたことを申しました)と返ってきたドレルの声は、いつもよりくぐもって聞こえた。
(ですが、聞き流してくれとは言いません。これは修三さんからの伝言だと思ってください)
「オヤっさんの……?」
(あいつがおれのあとを追いそうになったら、止めてやってくれ。……わたしが最後に聞いた修三さんの言葉です)
さすがに言葉がなかった。
黒須の言伝も。
律儀に約束を守ったドレルの言葉も。
さもありなんと片付けるには重く、こんな場末に造られた公園で聞くには場違いでありすぎる。戸惑い半分、痛恨半分の気分を味わううちに、(では、この次もよろしゅうに)と告げた電話が一方的に切れ、エイジは脂臭さ漂う公園に取り残された。
ガンプラ対戦会発表の張り紙。
偽アイテム注意。
偽ミッション注意。
ご利用案内の板にべたべたと張られた案内を見るともなく眺め、なんともなく深々とベンチに身をしずめる。思いも寄らず胸に血が通った分、かえって生ぬるくなってしまった空気を感じながら、15年を経てまだこの場所にいる自分につくづく辟易した。
かつてここは、詐欺師のたまり場だった場所――つとめ疲れのサラリーマンやベンチに寝そべってだらしなく寝ているダイバーなど、今、ここにいる者はだれひとり知らないだろう。
昼はミッションにつかれたダイバーやら、脱退させられたフォースメンバーやら行き場をなくした連中がどこからともなく集まり、いびきの音とタバコの硝煙を漂わせるのは夜も更けてのことだった。
夕方から夜も更けてくると、この公園に出入りするダイバーは段々と多くなってくる。全三つの露天式の屋台が並び、20席あまりの責が用意されている店ができるのだが、今は、3分の1も埋まっていないありさまだ。
先刻、掲示板脇の自動販売機にいくついでに確認したところ、向こうにいるダイバーは2人。ひとりはウインドウでキーボード機能を呼び出し、かたかたと鳴らしては、誰かと通信機能で誰かと話し込んでいる。もうひとりは昨夜の酒でも残っているのか、ベンチをベッド代わりにして高いびきの体だった。
大空にGBN専用警護用の可変モビルスーツ<フラッグ>の飛行音が密やかに流れる中、在庫がどう、仕様がどう、と話す電話の声が微かに聞こえ、低いいびきの声が通奏低音のごとく相乗する。
だが、そんな場所でも――いやそんな場所だからこそ、一人暮らしのマンションにいるより落ち着くと感じている自分がいる。仕事の連絡にここの公園を使うのはいつものこととはいえ、すでに立ち寄り先と特定されているのを承知でここにこもり、開き直ったにだらけていられる心理は度胸というのと違う。
かわせる他人はかわすに限ると決めてきた男が、追い詰められれば他人の目があるところに居場所を求める。
それもホームグラウンドといえば聞こえはいいが、ようは青春の尻尾が腐れ落ち、いまや化石になっているような因縁の場所に、だ。
まったく情けねぇと自分を罵りながら、エイジはソファから身を起こし、目前にシステムウインドウを呼び出した。
9月10日、午後4時12分。
サンライズタワーの空きオフィスでの掛け合いから、すでにまる2日の時間が流れている。
これまで手を尽くしてわかったことといえば、アルスター・フレイヤ社が実在することと、あのオフィスの賃貸契約が法人名義で確かに結ばれている事実のみ。
そこから先は、『わからない』ことがわかったのに過ぎず、いまのドレルからの報告でそれは確定的になった。
公安に脅え、マンションからホテルに寝泊まりしてからGBNにダイブして、この公園を拠点にして調査報告を集計する日々も、そろそろ終わりにせねばならない。ここから先は……とくすぶらせた思考はなにひとつ形にならず、エイジは新たなタバコをくわえてキーボードモードをオンにした。
『A金貨』で検索をかけ、ネットワークの噂話を見て回るのは日課のようなものだ。好き者の素人が情報がまとめたサイトも、更新があれば必ず見るようにしている。同業者の動向や、自分がハメたカモが何か騒いでいないかを知る目安になるし、最新の架空資金ネタは次にまた仕事を踏む時の役にも立つ。
もっとも、この10年、少なくとも『A金貨』に関して新しいネタはなく、好き物のサイトも更新をストップして久しい。言葉そのものもすっかり忘れさられ、40代以下の認知度となると1割いくものかどうか。総合掲示板では時折り思い出したようにスレッドが立つが、書き込んでいるのは年配者か、陰謀マニアの連中くらいだ。
認知度が下がれば下がったで、ネタの鮮度は上がるという逆の効能もあるから、詐欺師の身としてはどうということもない時代の変遷ではあるが、気を紛らわすともなくそんなことを考え、エイジは、システムウインドウの検索エンジンに最初の1文字を入力した。続いて残りの文字を打ち込もうとして、キーボードに載せた指がふと動かなくなるのを感じた。
検索ボックスの中、点滅するカーソルの隣で〝a〟の文字が静止している。
何の変哲もない。
それ自体では意味をなさないアルファベットの〝a〟。
人の頭文字か。
まったく別の意味があるのか。
長らく呼び習わせてきながら、その本当の正体は誰ひとり知らない〝a〟――。
『ぼくと世界を救ってみませんか?』
高層ビルの空きオフィスで、エリア11の中央エリアを背にした男の声が蘇ってくる。その者の顔をそこに重ね合わせ、エイジは"a〟の文字をじっと睨み据えた。
『あなたが騙ってきた「A金貨」の実像は、大筋において本筋に近い。
1900年代終盤、ヤミのルートを通じてガンプラ大会に流れ込んできた巨大な資産。その管理運用は、日米……正確にはGBNの開発にも関わり、選ばれてきた数人の日本人と、今はアメリカに拠点を置くヨーロッパの巨大財閥に託されてきた』
あのあと、2の句が継げなくなったエイジを目前にして、"A〟は事もなげに言ったものだった。資産、ヨーロッパと断言された言葉に肌を粟立てられたエイジは、フェアチャイルド財閥……と我知らず口にしていた。
フェアチャイルド財閥。
200年に渡るヨーロッパの戦乱の歴史を背景に、巨大な富を築いた世界最大級の財閥。
その権勢は傘下のGPデュエルを中心に、鉄鋼、通信、交通といった基幹産業はもちろん、ホテルや百貨店経営、報道から娯楽までカバーするマスコミ産業にも及ぶ。
GBNの開発にも表裏巧みに介在し、アメリカ政府の政策に多大な影響をあたえた。無論、GBNを使った初めてのガンプラをつかった代理戦争、『日米プラモ戦争』も例外ではなく、過去の戦乱においてもその名が取り沙汰されること数多――。
『A金貨』のことを調べれば嫌でも突き当たる推測を口にしたエイジを見て、宿題をやってきた学生にむける微笑を浮かべた"A〟は、『でも、あなたの知らないこともある』と静かに続けた。
『GBNを陰から支えてきたヤミシステムも、アルス到来以来、ゲーム崩壊危機とで存在価値を失いました。いまや、「A金貨」は投機資金と化し、"財団〟が運営する管理人の手で世界中を還流している。金で金を買う、なにも生み出さないマネーゲームと言うやつです』
吐き捨てた声と表情に、内に潜む凶暴な何かの影が微かににじんでいた。思わず目を凝らしたエイジの視線を避け、"A〟はゆったりとした足取りで窓際に歩み寄った。
『しかし、その新しいシステムもアルス襲来以降にも動乱が続いて世界的な経済危機になり、機能不全に陥りました。無論、儲ける連中は今でも儲けているし、フェアチャイルド財閥もとっくに負債を返し切りましたけどね。世界の債権発行率が目に見えて減っている中では、以前のようなわけにはいかない。次の経済好景気に巻き込まれるのを警戒して、ネットワーク市場全体が臆病になっているという状況もあります。そのくせ、ここのところ、資金市場の過熱で、産業そのものは地力を失ってしまっている。モノ作りに支援しようと思っても、多くの企業には新しい発想を実現するマンパワーや組織力がない。不採算部門を切り捨てて、マネーゲームにうつつを抜かしていたツケが、ここに来て自分たちの首を絞めにかかってきたというわけです。
つまり、今の世界には行き場をなくした金が有り余っている。かつての闇金を支援マネーに変えた〝財団〟にしても、例外じゃない。評価損や損失の穴埋めで目減りしたとはいえ、いまだ日本の国家予算を凌駕するほどの金が投資先を失い、各国GBNないしネットワーク機関にプールされたままになっている。これを活かさない手はないでしょう?』
振り向き、また人を食った微笑を浮かべた〝A〟の顔は、悪戯を思いついた子供のそれにしか見えなかった。
持ち腐れになった『A金貨』を騙し取り、自身のベンチャービジネスに役立てる。とりあえず、目先の辻褄はあったものの、それで合点がいく話ではまったくない。
『あなたなら、できるはずです』
そう言い、あらためて計画資料を収めたUSBメモリーを差し出した"A〟に、エイジは今必要なたったひとつの問いを投げかけた。
――あんたはいったい何者だ?
『あなたと同じです。過去に呪縛された者……とでも言いましょうか。遠い昔に紡がれた問いかけを背負わされて、答を探し続けている。それが見つからない限り、こうしていても先には進めない。見えない檻の中で人を呪い、自分を呪い、いつしかなにを呪っていたかのかも思い出せなくなる』
詩でも口ずさむような口調とは裏腹に、"A〟は表情には先刻よりいっそう濃くなった暗い陰りがあった。またぞろ奥底で何かが共振するのを感じ、エイジは逆光を背負った"A〟の顔を凝視した。『そう簡単に見つかる答じゃない。でも差し当たって、あなたに必要な答を提供することができる』と続けて、"A〟もエイジの視線を正面に受け止めた。
『15年前、「A金貨」の本筋に関わって殺された黒須修三さんの死の真相。現金50億円に加えて、それを仕事の報酬に差し上げる事をお約束します』
ごうと空調の音が高まったあと、出し抜けに静寂が訪れた……ような気がした。
『すなわち、あなたは「A金貨」の真実を知る』
そう重ね、"A〟はエイジのとの距離を縮める1歩を踏み出した。
『なぜ生まれ、どう育ち、いかにして現在に至ったか。黒須さんのことも、その歴史の1部に含まれる。あなたが15年間もこだわってきた理由がなんであれ、答はいま目の前にある』
お坊ちゃんの表皮の人に蠢く何かが、獲物を誘う光を黒い瞳を宿す。一瞬、100年も生きたと思える老獪さを漂わせた瞳は、次の一瞬には若者のそれに戻り、人懐っこいと表現できる微笑が"A〟の顔に戻っていた。『これで前提条件はご理解いただけたと思います』と続いた明るい声音に、エイジはめくらましされた
気分で目をしばたたいた。
『この場でご返答なされなくても結構です。まずは我々が作成した計画内容を吟味し、ご検討いただければ』
手だれの営業マンもかくやと思わせる物腰で、再びUSBメモリーを差し出す。1も2もなく取りそうになる手を握りしめたエイジは、なぜ俺に? と問いを重ねた。"A〟は育ちのよさがうかがえる穏やかな笑みを浮かべ、終始変わらぬ静かな口調で答えた。
嘘をついても、人を陥れてもなにも感じない。詐欺師にはそういうサイコパスが多いと聞きますが、あなたは違う。この計画には、心を持つ者が必要なんです――。
「世界を救うために……か」
その時には返せなかった皮肉を口にして、エイジはキーボードの右端にあるバックスペースキーを叩いた。
カーソルの横にあった"a〟の文字が消えるとともに、"A〟の顔も脳裏からかき消え、夕日がさしかかる殺風景な公園の光景が視界に戻ってきた。
空欄になった検索ボックスから目を外し、再びベンチに寄りかかる。地面で燃え尽きたタバコを見て、新しい1本をくわえてから、エイジはズボンのポケットに手を入れた。100円ライターそっくりの感触を握りしめ、取り出したそれを手のひらの中に眺める。
"A〟から受け取ったUSBメモリー。
それは有名メーカー製のノックダウン式で、表面にはパール・コーティングが施されており、容量は標準的な4ギガバイト。
100円ライターほどの大きさも扁平な筒の中に、百科事典1ダース分以上の情報が詰まっている。どれほどの綿密な計画を立てたか知らないが、古典小説並みのテキスト量ということはあるまい。容量を食う画像や映像データが入っていたとしても、"『A金貨』を盗み出す〟計画の概要はまるごと収まっていると見て間違いなかった。
パスワードらしきものは教えられていないから、ウインドウにかざせば、メモリーはテクスチャーになり、中身はすぐに見られる。まだ敵になるか味方になるかもわからない詐欺師1匹に、大事な計画資料を投げ出した"A〟は余程のそこつ者か、どう転んでも処理できる目算があるからそうしたのか。後者であることは疑いはなく、いまだ中身を確かめられずにいる。ウイルスやら位置情報発信やら、トラップに引っかかるのが怖いのではない。見ればあとに退けなくなるとわかっているから、迂闊には見られないのだ。
どだい、これが自分をハメるための仕掛けでないという保証もない。自分が右往左往するさまを眺め、さらなる罠を張って待ち構えている何者かがいるなら、このまま待ちぼうけを食わせ続けてやるのも手だ。気休めともつかないそんな思考は、それこそ現実的ではない訴える理性に退けられ、結局は前進も後退もままならない宙づりの状態に立ち戻らされる。
ドレルさんに言われるまでもない、普段の俺なら1秒未満で撤退を決めている仕事だ。
さっさと見切りをつけて、ミカヅキに断りのダイレクトメッセージを入れれば済むのに、いつまでも決断を引き延ばしているのはなぜか。
『A金貨』の真実。
すべてはそこに帰着する。
"A〟はそれを知り得る立場にあるという。これまでに出そろった情報も、彼が"財団〟と何らかの関わりがある人間だということを示唆している。
そうであるなら、考えるまでもない。
長年のしこりを払拭するまたとない好機だ。例え騙りであっても、確かめてみる価値はある。どのみち、保身に走るほど上等な人生でもないのだから……と、そこまで自明なことであるはずなのに、最初の1歩が踏み出せない。しこりというが、本当にしこりなのか。
別に真実の追求を至上命題にしてきたわけではないし、それで何かが報われるとも思っていない。不実な人生の言い訳にしてきただけのことで、むしろ自分は真実と向き合うのを恐れているのではないか。考えるほどの確証が持てなくなり、同じ場所で足踏みを繰り返している。
"A〟も言っていた。
原因はわかるが、理由はわからない。と。
そう、原因は明白だ。
黒須の死にざまを見た時から、それは始まった。が、15年もそれを引っ張り続けている理由は? 知ったからといってどうにもならない、なにが報われるわけでもないとわかっていながら、『A金貨』にこだわり続けてきた理由は――。
手の中で温まったUSBメモリーをベンチの上に置き、別のUSBメモリーを鞄の中から引っ張り出す。"A〟からもらったのと同様、ノックダウン式のそれをシステムウインドウの上に乗せた。
テクスチャとして消えたそれから、画面が現れ、読み込まれたフォルダの中から、"新聞〟と名付けられたフォルダを選び、新聞社ごとに小分けされた中からひとつ、クリックする。
25年の間に溜め込んだ『A金貨』関連の生地の切り抜き、雑誌のコピーは分厚い紙綴じ5冊分にも及ぶが、今はその全てをUSBメモリーに収めて持ち歩くことができる。
年月日順に並んだ大量のファイルに目を走らせ、89年9月7日のファイルを開いたエイジは、ディスプレイ上に表示された新聞紙面の画像データにしばし見入った。
『議員元秘書 呂名正彦氏が自殺』
『「A金貨詐欺」疑惑の最中 自宅で首をつる』。
1面に5段ぶち抜きで割りつけられた見出しの横に、当該人物である呂名正彦の顔写真が並び、以下の生地が続く。
――議員元秘書、呂名正彦氏(27)が、6日午前、T京都S谷区の自宅で自殺を図り死亡した。同署の調べでは、首をつったものと見られる。同氏は8月25日に議員事務所を退職したばかり。イツビシ電機に架空の支援を持ちかけ、手数料を騙し取ろうとした「A金貨詐欺」事件では、ブローカーに指示を出した直接の主犯と目され、警視庁の事情聴取をうけていた。この事件では、某議員も責任を取る形で電子生命体保護委員会の委員長職を退いており、呂名氏は一連の事件に責任を感じて自殺したものと見られている――。
続いて新しくタブウインドを開き、8月31日のファイルを表示させる。
こちらは社会面のベタ記事で、写真もない一段記事に『都内でひき逃げ 男性死亡』の見出しが辛うじて読み取れる。
――8月30日深夜、T京都の路上で男性が倒れているのが通りがかりの人が発見。U野病院に搬送されたが、まもなく死亡が確認された。U野警察署の発表によると、男性はT京都在住の黒須修三さん(47)で、全身を強く打つなどしていることから、同署は車にひき逃げされたものと見て調べている――。
当時、それなりに騒がれた事件の関係者の自殺と、その日の紙面構成によってはボツになっていたであろうありふれたベタ記事。この2つの事件を、繋げて考える者は少ない。
だがエイジは、この両者が不可分の慣例にあることを知っていた。
やっぱり、あれは本当の話だった、ついに『A金貨』の本筋に接触できた。そう言い、子供のように喜んでいた顔と、次第に追い詰められ、憔悴してパラノイアになっていた時の顔。死の直前、坂道を転げ落ちるように変転した黒須の顔を、今でも思い返すことができた。
この記事には記されておらず、大手新聞ではその後の追記もいっさい為されていなかったが、黒須はその頃、1部のマスコミですでに有名人だった。議員秘書の架空資金詐欺に関与した関係者A、もしくはブローカーAとして。
週刊誌やスポーツ紙のみならず、顔にモザイクをかけられた上でワイドショーにも出ていた。
あれはまずい、黒須のとっつぁんはついにいかれちまった。
同業のブローカーたちがひそひそと囁き合い、冷たい目を向けて距離を置く中、憑かれてたかのようにひとつの主張をくり返した黒須は、あの時、いったい何を見たのだろう。
『A金貨』は存在する。俺もあいつも"システム〟に触れちまったんだと訴え続けた男が、自らの寿命を縮めてまで手に入れようとしたものは――。
『長ぇモノには巻かれろ? 言われるまでもねぇ、そいつは俺の人生哲学だよ。でもよ、悔しいじゃねぇか。顔もねぇ、正体もわからねぇモノが世界中を支配してて、俺たちの知らねぇとこで世の中を動かしてる。自分で決めたと思ってることも、みんなそいつらの手のひらの中だ。もう金の問題じゃねぇ。いったいどこのどいつだ? こんな紙っきれに価値があるって"システム〟を作って、俺たちを煙に巻いてる野郎は……』
もうやめた方がいい。生活も信用もかなぐり捨てて奮闘する姿を見るに絶えず、そう訴えたエイジ―ー金家に対して、黒須はしわくちゃの1万円札を手にそんな言葉を返した。
今なら、その言葉の意味は朧げにわかる。
ノイローゼではあっても、あんたはパラノイアではなかった。
日本中がガンプラ景気を謳歌していたあの時代にあって、むしろ誰よりもよくものが見えていたのみえていたのかかもしれないな。
当時は言えなかったあの思い、今や誰にも届かない思いを抱いて、エイジはパソコンの中の新聞記事を見据えた。
俺がこだわる原因、そして理由。
"A〟の声を遠くに聞きながら、つかのま過去の時間に身を浸していった。