ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第八十三話

 実際、散々たるありさまだった。

 前日の数値が1120を付けていた永琳組の戦力ゲージが、今日の終値は795。戦争の支援をしていたダイバーたちは、まともに被った影響もあって、ひとりふたりと戦いから手放し、Gチューバーの配信も終え始めて、永琳組とフェアチャイルドとの戦いは着々と終結に向かいつつある。

 昨日までの快進撃が鮮やかだっただけに、余計に痛々しく感じられる。

 しょぼついた目頭をモミ、パソコンのディスプレイから頭を挙げた呂名信彦は、ひとつ息をはいて椅子の背もたれに寄りかかった。すっかり冷めきった紅茶を一口すすり、凝り固まった肩をガウンの生地越しに揉み解す。書斎の壁時計は午前3時を指しており、庭で鳴いていた虫の声も絶えて久しい。音を消したテレビがニュースを流してはいるもの、背中を向けていては賑やかな気配も感じられず、ちらちらと瞬く反射光が帰って静けさを際立たせている。

 今晩も夜更かしをしてしまった。

 これほどGBNに夢中になったのはいつ以来……いや、夢中になったことなどなかったかもしれない。人からは仕事が生き甲斐のように見られてきたが、せざるを得ないからやってきたまでで、プラモデルの戦争に熱狂したことなどついぞない。ひとつの相場、それも自分がいるわけでもない戦況の推移を、寝食も忘れて見守ったのはこれが初めてのことに違いなかった。

 が、これも今晩で終わりと言う事らしい。下降1直線の折れ線グラフをノートパソコンに見つめ、呂名はまたひとつ嘆息を漏らした。巧みな情報操作でダイバーの心理を煽り、反社の戦いを全世界の注目の的に押し上げた金家なにがしの手腕は見事だったが、それを封じたマイケルのやりようも図抜けていた。資金力にものを言わせた力で応じそうなものなのに、戦場に上がることはせず、フェアチャイルド財閥の人脈を駆使して上から下から一気に攻勢をかけたのだ。

 GBNを動かしたついでに永琳組の勢力を大量破壊兵器で一気に削り取る芸当は、フェアチャイルドの係累なら誰にでもできるようなものではない。

 2週間近く、反撃の気配をいっさい見せず、一撃で自体を収拾してみせたマイケル・プログマン。GBNはネットと同様、情報の拡散が早い分、上書き更新されるのもまた早い。これで次のトピックが走りはじめれば、この戦争もヲチカタ・コロニーもたちまちリンク切れのネタに成り下がるだろう。

 福田が遺した音声記録も、その効力を失う。英一も……と考えかけ、すぐに振り払った呂名は、いったいなんだ? と胸中の声を震わせた。

 最初から勝ち目のない戦い。そんなことはわかりきっている。わかっていながらパソコンにかじりつき、社の業務をほったらかしにして事の推移を見守っていながら自分は、なにを期待していたのだろう。最後に英一と会ったあの日から、この身の内で何かが変わり、もう〝ここ〟にはいられないと悟った。〝ここ〟が〝財団〟の理事長を指すのか、この自宅を含むすべて、それまでの人生そのものを指すのかも不明なまま――否、その答と向き合うのを避けるために書斎に引きこもり、戦争に見入っていたのだ。理事長の座を追われ、いっさいの責任から切り離されたのをいいことに。自分の代わりに、彼らがなにがしかの答を出してくれると無根拠に期待して。

 だがそれは水泡に帰し、自分にはまた身の置き場がなくなった。予想はしていたことだから、気落ちはしていない。いよいよか、と胸の奥がでざわめくものがある。

 いよいよ……なんなのだ?

 自分で答を出さねばならないということか?

 この状況で、誰に、何に対して?

 せざるを得ない人生しか送ってこられなかった男が、いまさら何を……?

 わからなかった。わかるのを避けている自分を責めるのにも疲れ、呂名はデスクトップのディスプレイを消した。

 寝なくては、と思う。アルスター・フレイヤの仕事の溜まっている。この2週間、秘書や役員との電話のやりとりでなんとかしのいできたが、明日はいい加減に出社しなければならない。ともすれば堂々巡りの思考に引き戻されそうに頭に言い聞かせ、ガウンを羽織った体をのそりと立ち上がらせた呂名は、部屋の戸口に足を向けた。

 この時間は常駐の介護士も仮眠室に引っ込んでいるので、広い邸内に人けはない。キッチンで寝酒のブランデーを調達し、書斎に取って返そうとした呂名は、ふとなにかの気配を感じて階段の前で立ち止まった。

 人の気配、というのとは違う。ただ、呼ばれたような錯覚にとらわれて、気がついた時には2階に通じる階段を上っていた。無論、誰がいるはずもなく、2階の廊下はただ闇の中でしんと静まり返っている。疲れているなと自嘲し、階段を下りかけた呂名は、廊下沿いに並ぶドアのひとつから明かりが漏れているのを見た。

 瀬奈の部屋だった。電気を消さずに寝てしまったのかと傍ら、そうではないと確信している自分にも気づき、呂名は恐る恐るの体で部屋のドアを開けた。

 案の定、瀬奈は起きていた。

 電動ベッドを背上げし、備え付けのテーブルに乗せたノートパソコンと向き合っていた顔があら、というふうに呂名を見やった。

「まだ起きてらしたの?」

 言いつつ、ノートパソコンをたたむ。「君こそ……」とくぐもった声で応じながら、呂名は室内に足を踏み入れた。「どこか具合でも――」と言いかけて、「心配しないで」と笑みを浮かべた瀬奈に封じられた。

「寝られない理由は、多分あなたと同じ」

 完全な不意打ちだった。どきりと跳ね上がった心臓の音とともに、呂名はあらためてテーブル上のノートパソコンを見た。長い闘病生活の暇つぶしにと、ネットもSNSも使いこなしてる妻のことだから、昨今の市況をモニターしていたとしても驚くには当たらない。

 いつから――。

 どこまでのことを知っているのだろうか。

 問おうにも言葉が出ず、立ち尽くす間に、「私も一杯いただこうかしら」と涼やかな瀬奈の声が続いた。

 手にしたブランデーを見てから、また少しやつれたと思える妻の顔を見返す。

「先生に叱られるぞ」

 そう言うと、

「少しくらい平気よ」

 と返し、瀬奈は水飲み用のグラスを両手で差し出してきた。話すことがあるでしょう?  

 と言っている目に抗う術はなく、呂名は観念してベッド脇の椅子に腰かけた。

 それぞれのグラスに注ぎ、反射的に乾杯をしようとしてやめた。我が子の命が失われると確定した夜に、両親が乾杯とは笑い話にもならない。おそらくは瀬奈も同じ気分のはずだが、彼女は一方的にグラスを触れ合わせ、なにも言わずにひと口呑んだ。ふうと息をつき、心持ち上気した瀬奈の顔を見続けることができず、呂名は半ば背を向けるようにしてグラスを傾けた。

 それきり、降り積もる空気の音が聞こえてきそうな静寂が降りた。

 当然だ。

 今更、何を話すことがある。

 長男に続いて、次男も見殺しにしようとしている男が妻に面と向かってなんと話す。

 どんな赦しが乞える――。

 そんな言葉が重苦しいしじまに滲み出し、呂名はひたすらグラスを傾け続けた。こんな夜に、なんだってここに来てしまったのか。これも不実な父親に下された罰と自嘲する気力もなく、少しも酔えない酒をあおるうちに、「あなた、覚えてる?」と瀬奈が不意に口を開いていた。

「クラーラが死んだ時のこと、英一、すごく悲しんで、慰めようとしたあなたに食ってかかったのよね」

 クラーラとは昔飼っていた猫の名前だ。

 数日前、英一と向き合った時にも脳裏をよぎった事柄が、今また妻の口について出てくる。英一の名を聞かされる苦痛より、その偶然の一致に対する驚きの方が大きく、呂名は頭をあげて瀬奈を見た。瀬奈は微笑みを崩さず、

「みんなが生き続けたら、世界がパンクしてしまう。だから順番なんだってあなたは言ったんだけど、あの子、納得しないで。じゃあどうして生まれるの、みんな死んじゃうんなら、こんなに哀しい思いをするなら、なぜ生まれてくるのって……。あなた、なんて答えたか覚えてる?」

「いや……」

「わからないって言ったのよ」

「わからない……」

「だから、それをわかるために生きている。人の数だけある答を見つけるために、人は生きてるんだって。なんだかお義父さんの受け売りみたいだなぁって思いながら聞いてから、あなた、そのあとに言ったのよね。そう言う人もいるけど、父さんにも本当のことはわからない。でも、英一が生まれてきたおかげで、父さんと母さんは英一に答えた。それはとても嬉しいことだし、嬉しいってことに理由はいらないんだって……」

 記憶の端にもなかった。きちんと向きあえなかったら恨みのある英一に、この自分がそんな言葉をかけていたとは。何やら気恥ずかしく、懐かしい。

 そう――。

 あの時はまだ長男が生きていた。

 博司の死が陰を差し込んだとはいえ、世界を今より単純で生きるに値する豊かさにがあった。

 うれしいって事に理由はいらない――思い出すには遠い、まるで前世の記憶だと思い、呂名は床に視線を落とした。瀬奈はこちらに向けた目を動かさず、「たぶん、それは答なのよ」と穏やかに続けた。

「それを聞いた時、思ったわ。この人は本当に強い人だって。お義父さんや博司さんも強い人だったけど、それとは種類の違う強さをこの人は持っている。この人と結婚してよかったって、端で聞いてて思ったりして……」

 凍え切った体に、毛布をかけるような声音には違いなかったが、自分でその温もりを引き寄せる気にはなれなかった。居たたまれない思いを抱き、呂名は無言で床を眺め続けた。「英一も、きっと忘れてないと思う」と重ね、瀬奈もわずかに顔を伏せたようだった。

「でなければ、こんなやり方はしなかったでしょう」

「……なんのことだ」

「協力者が必要でも、フクくんや深雪ちゃんを巻き込んだりはしなかったってこと。最後の一線で、あなたが味方になってくれるって信じていなければ」

 実の息子が、父親にそこまで絶望しているとお考えですか――福田の言葉が瀬奈の声音になって胸を打ち、

「君……」

 呻いた呂名の声をかすれさせた。

 やはり彼女は知っている。

 想像以上に、もしかしたら自分以上に事の真相を知り、瘦せ衰えた体に引き受けている。合わせた視線を逃がさず、ベッドの手すりをぎゅっと握りしめた瀬奈は「あの子はあなたの子よ」と語気強く押し被せた。

「お義父さんの教えを受けてたって、お義父さんの子じゃない。あなたが育てた、あなたの子なの。博司さんがあんなことになって、その生まれ変わりみたいな言われ方をして、あの子もあなたも素直に向き合えないところはあったかもしれない。でもね、それでも、あの子はあなたを見て育ってきたのよ。あなたを頼りにしてるの。あなたはあの子のたったひとりの――」

「正彦もそうだった」

 堪えきれず、呂名は叫ぶように遮った。瀬奈は小さく息を呑み、乾いた唇を引き結んだ。

「でも、守れなかった。救えなかった。あんなにぼろぼろになって、助けを求めていたのに……。救いたかったよ、救ってやりたかった。今だって……今からだって、もし間に合うものなら、なんだってする。必要なら、この体を100回だって引き裂いてやる。正彦を、わたしの正彦を助けられるものなら……!」

 わたしの正彦。

 何年間も、内奥に封じ込めていた言葉が熱になって心身をあぶり、声と体を無様に震わせた。呂名は歯を食いしばり、ベットの手すりを折れんばかりに握りしめた。そのすぐ傍らに細い手を置いて、瀬奈は微かに充血した目をこちらに注ぐ。

「……でも、無理だ。正彦はもう戻ってこない。とっくに父親失格なんだよ、わたしは。あいつが死んでから、父親を……人間であることさえやめていた。いまさら、取り返しはつかない。そんな資格はないんだよ……」

 どうにか言いきって、再び床に視線を落とす。これだ、これがだすのを避けていた答だとようよう気づき、呂名は目から噴きこぼれた雫が床に濡らすのを見た。

 親が子供を助けるのに理屈はいらない……が、それは親であればでこそ、だ。とうに父であることも人であることもやめた男に、今さら何をする資格がある。

 正彦はもういない。呂名信彦もあの時に死んだ。

 ここにあるのは、その皮をかぶった何者かだ。呂名哲郎の理念と対消滅したあとの残り、〝システム〟に従って動くだけの生きる屍だ。今になってその空虚さにうめき声をあげたところで、もうどうにもならない。当然ではないか。死んだ者は⒉度と生き返ったりはしない。時は、決して取り返しがつかないのだから。

「誰が決めたの?」

 怒気をはらんだ声音を投げつけられ、出口のない物言いを噴き散らした。呂名はかすかに目を見開き、こわ張った首を妻の方にめぐらせた。

「あなたのことでしょう? あなた以外の誰にそんなことが決められるの。資格がないだなんて……あなたは立派に私たちを養ってきたじゃない。自分の気持ちを殺して、好きでもない〝財団〟の仕事に打ち込んで――」

「度胸がなかっただけだ。博司や親父……正彦や英一のような度胸があったら、戦っていたよ。刺し違えたって……なにを犠牲にしたって、雅彦の仇を――」

「あなたがそうしていたなら、私も英一も生きてはいけなかった。日本だってどうなっていたかわからない。みんながお義父さんのような生き方をしていたら、この世は成り立っていかないわ。それはお義父さん自身がよくわかっていた。だから……」

 先を言い淀む素振りを見せ、瀬奈は押し黙った。だから、なんだと言うのだ? 呂名は続く言葉を待ったが、瀬奈はひとつ息をつき、「こんな言い方は間違いね」と別のことを言った。

「私はあなたに感謝してる。正彦のことで自棄にならずに、ちゃんと私と英一を養ってくれたあなたに。でもね、私はもうおばあちゃんよ。英一も大人になって、あなたに養ってもらう必要はなくなった。〝財団〟のことも、英一のせいであなたの手からは離れたんでしょう? 自由なのよ、あなたは。もう我慢しなくていい。したいようにしていいの」

 あの薄暗い地下室で向き合った英一の声、英一の中に溶かし込まれたもうひとりの自分の声が妻のそれに重なり、思考をせき止める胸のつかえをまた削り取ってゆく。もう自分を押し殺してまで守らなければならないものなどない……そうではない。守るべきもの、人生への信頼を失った時から、人は自分で自分を殺し始める。死んだ人間に守れるものなどない。

 これは死人を呼び覚ます声だ。

 それが罪に対する罰だと信じ込み、生きながら死んでいた男に守るべき者はまだそこにあると教えた声だ。

 聞いていいのだろうか、と呂名は恐れのなかで自問した。受け止め、応える資格が自分にあるのだろうか。どれほど悔い改めようと、死んだ者は生き返りはしない。すべてが手遅れになろうとしている時に、今さら――。

「今さら、なんて言わないで」

 ベッドの手すりにかけた呂名の手に、別の手のひらが重ねられる。奥底まで見通す目に力を込め、「こんな言葉はないの」と瀬奈はきっぱりと言い切った。

「人生に、今さら遅いなんて言葉はない。気づいたところから、いつだってやり直せる。ひとりひとりがそうなら、人間全部……人類にしたって同じこと。英一は、それを私たちに教えてくれようとしている。自分の命を使って……」

 つっとひと筋の雫がその頬を伝い、もう何年触れていなかった手のひらがいっそうの熱を帯びた。共振する内奥の熱に胸を炙られる傍ら、やはり彼女はわかっていたのだと呂名は確信した。せざるを得ないと言いながら、なんのためにという観点が抜け落ちていた夫の不実を。我慢に慣れすぎて、我慢の理由を忘れていた男の愚を。向き合うのを避けてきただけで、答はあらかじめそこにある。英一の中に溶かし込まれてきた自分にいわれた時から……いや、ずっと前からわかっていた。その我慢はもう限界だし、まったくもって無益だということを。

「……いいのか?」

 やり方はある。この2週間の間に無意識に組み上げてきた戦略は今からでも実行に移せる。右手を包む瀬奈の手のひらにもう一方の手のひらを重ね合わせ、呂名は正面から妻の顔を見返した。

「きっと、すべてを失うことになる。それでも……」

「言ったでしょう? 私はもうおばあちゃんよ。失うものなんてない。それに……」

「濡れた目と目をあわせ、瀬奈は笑顔で応えた。「今でも思ってる。あなたと一緒になって、本当によかったって」

 人肌の温もりを忘れて久しい手のひらに、新たな熱が流れ込んでくる。共振する自らの熱も惑うことなく受けとめ、呂名はしっかりと瀬奈の手をしっかりと握り返した。

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