ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第八十四話

 ぼうぼうと闇が騒いでいた。風と潮さいがどよもす、この場所特有の間断ないざわめきだ。昼間の熱気は綺麗に消え去り、湿気を含んだ少し肌寒いくらいの空気が肌にまとわりついてくる。金家はウインドパーカーの前を少しかき合わせ、闇の中に一歩を踏み出した。

 数日前に、谷沼を載せたヘリを下ろした場所だった。鳥居のような建造物は夜空にひときわ濃い闇を作り、吹き寄せる風が林立する鉄柱にかけられた策具をかちゃかちゃと鳴らす中、ゆっくりと点滅する注意灯がおぼろな光を床に投げかけている。そんな金家の右肩にひとり立つミカヅキの姿があった。

 東京よりずっと大きく見える月を、見上げている。月明かりの下でそうする姿は、地球に取り残された異星人が故郷を懐かしんでいるかのようで、金家のかける姿がなかった。

 実際、似たようなものなのかもしれない。まだほとんどのELダイバーが、人間たちと交流したことすらない彼女の故国は、GBNの中にあって、月よりも遠い。月を見上げる横顔があまりにも寄る辺なく、ただ立ち尽くしているうちに、ミカヅキがこちらに振り返った、「故郷、気になるのか?」と咄嗟にかけた声に、ん……と声になるかならないかの返事を風音に紛れさせ、ミカヅキは金家の肩の上に座り込んだ。

 それきり座り込んだまま、頭上の夜空に視線を据える。その傍らに歩み寄り、金家も天を覆う巨万の星々を見上げた。東京では拝めないきれいな光の群れを従え、まっすぐ線で区切ったかのごとき半月が黄金色に浮かび上がっている。いつもそうであるように、月はたしかにそこにある。でもそこに行って、裏側も見てこなければ、月を知ったことにならない。

「なんか、おまえとは一緒にあれを見るな」

 GBNの地下をはい回ったあとも。

 世界が変わる、その始まりの瞬間を見たあとも。

 そしてその可能性が潰える予感に胸を塞がれつつあるいまも――。

 月は変わらずそこにある。

「ヲチカタで見た月は、もっと綺麗だった」

 そう言い、ミカヅキも遠くを見る眼差しを月に注いだ。そうだったな、と金家は認めた。ヲチカタで見上げた、ヲチカタのような月。今は無明の中にあっても、これから光に照らし出されるおおらかな伸びしろがそこにはあった。あったはずなのに……。

「帰りたいか?」

 胸苦しさを押し隠し、微笑混じりに聞いてみる。びくりと震えた体が返事をして、ミカヅキはため息をついた。

「帰りたいよな、そりゃ。テロリストの巣窟みたいな言われ方をして、これからどうなるかわからないんだから……」

「もう、勝ち目は……?」

 あらかじめ答を知っている陰を目に忍ばせ、ミカヅキは静かに問いかけてくる。無理に浮かべた笑みが霧散するのを感じつつ、金家はヘリポートを囲む手すりの鎖を握りしめた。

「あれだけ便乗してたダイバーたちが、一斉に逃げ出し始めた。敗ける気配を感じりゃ、撤退するのが普通だからな。俺たちが動かせる金じゃどうにもならない。はっきりとは言わなかったけど、岩戸さんもあがる準備をしていたらしい」

 作戦はパー。

 英一から預かった報酬もない。便乗して自己資金を支援していた永琳組の幹部から、けじめを取られるのも確定。だが、そんなことより、みんなの消沈しきった顔を見るのがつらい。ここまでついてきてくれた者たちの信頼にこたえられきれなかったことが苦しく、言葉にもできないほど悔しい。手すりをつかんだ腕を震わせ、金家は闇より深い海面に目を落とした。

「すまない、お前の国を巻き込んでおきながら……」

 ヲチカタ・コロニー政府の協力をとりつけ、フェアチャイルド財閥を完全に沈黙させる計画も、それでパーに帰すことになる。ミカヅキの名を使って政府に働きかけた彼女としては、先住民の名に泥を塗ることになってしまった。このまま手すりの向こうに身を投げたい衝動を堪え、金家はまた月を見上げた。責めもせず、同じ痛みをわかってそこにいるミカヅキの気配を背に、月に手をのばす。

「あと少し……あと少しで届いたのになぁ……」

 なにもつかめなかった手を握りしめ、呻くように呟く。こみ上げる熱が目の当たりを熱くし、月の光を滲ませるのが腹立たしかった。辛そうに顔を伏せるミカヅキの気配が伝わる。なんてざまだと思い、眼の縁に滲んだ雫を強引に拭い去った時、「2人で、逃げ出す相談?」と場違いに明るい声が投げかけられた。

 階下に通じる階段口に、屋内からの逆光を背負った深雪が立っていた。戸口みたいで鉄製の扉を閉めるとポニーテールに束ねた髪を風になびかせ、月明かりの下を散策するような足取りで歩いてくる。

「そ。この調子じゃ、谷沼たちに払うギャラもおぼつかないからな」

「こんなところをアジトにしたのは失敗だったわね。逃げようないわよ」

 傍らに立ち、こちらと目を合わせた深雪は、はっと小さく息を呑んだ顔をすぐに背けた。月の明るさを呪いつつ、金家も充血した目を逸らす。気づかない振りで手すりに両手をつき、「でもまぁ、この眺めは悪くないわね」と深雪は澄ました顔で言った。

 その視線の月には、遠く水平線の彼方まで続く夜の海原がある。月明かりが黒い海面に光の粉を散らすばかりで、人工の光はどこにも見当たらない。人が生まれるずっと以前、世界の原初から変わらない手つかずの空と海が、経てきた膨大な時間を呑んで見渡す限り拡がっている。

 ふと、ロシアの空から見下ろした永久凍土の固形が像を結び、金家は倦んだ頭が空白に立ち返ってゆくのを感じた。たかだか数十年の生しか知らない人間には想像もつかない憶万年の積層ならなる長き時間たる空間。わずか数千年で行き詰まってしまった人の世をよそに、そこにはまだ始まってもいない世界が――。

「ありがとう」

 不意にかけられた言葉が、目前の光景に溶け込みかけていた意識を肉体に引き戻した。「え?」と目をしばたたいた金家をちらと見、かすかに笑みを浮かべた深雪は「本当、感謝してる」と続けて遠い水平線に視線を飛ばした。

「あなたがいなかったら、私、なにもせずにうずくまってるだけだった」

「よせよ。そういうセリフは、事がうまく進んでる時に言うもんだぜ」

「そんなの関係ない。あなたが私を穴蔵から引っ張り出してくれたんだから」

 それだけはきっぱりと言い、深雪はこちらを見た。月当たりを宿した瞳が揺れ、ぎりぎり押し隠した失意と絶望の色が浮かび上がってくる。見るのが辛く、金家は目を伏せた。深雪はふっと息をつき、「聞いたわ。谷沼さんから」と穏やかな声を重ねた。

「私たちに内緒で、ずいぶん格好いい真似しようとしてたんじゃない?」

 明るく取り繕った声音に、金家の肩の上にいたミカヅキもうずめていた顔をあげる。

 谷沼、お喋りめ。

 内心に罵り、2人の視線を避けた金家は「保険だよ、保険」と痒くもない頭をかいて言った。

「俺だって、まだ死にたかねぇからな」

「でも、詐欺師の金家栄治にとっては死に等しい行為でしょ? 複雑なのよね、私としては」

「なんでさ」

「フク兄さんも、ミカヅキさんもそうだけど、こういうことってさ……。部外者の出る幕、ないみたいじゃない?  なんか、私が感謝するのもおこがましい感じって言うか」

 少し唇をとがらせ、深雪は呆れたともつかない声で言う。わけがわからないという表情のミカヅキと顔を見合わせて、思わず苦笑した金家は、違いないと胸中に呟いた。相手に見損なわれまいとして、強がりに強がりを重ねてやせ我慢をする。特にこれと見込んだ相手であれば、時に命を投げ出してでも機体に応えられる自分であろうとする。こういうバカな意地の張り合いは、確かに仲間の専売特許だろう。「でも、やっぱり感謝してる」と続いた深雪の声を、金家は苦味の底で受け止めた。

「英一を助けるために、そこまで……」

「こうなっちまったら、なんの意味もねぇよ。結局、何もできなかった。あんたも〝対策室〟を裏切らせちまって……」

「それでも」

 やんわりと遮り、深雪は月夜の海原に視線を転じた。「それでも、私、この景色を一生忘れないと思う。これからどういうことになっても……」

 その背中が、泣いているように見えた。なにか言おうとして果たせず、金家はやり場のない目を床に落とした。吹き付ける風が勢いを増し、ウインドパーカーの裾をばたばたと騒がせる。「私も……」と発せられたミカヅキの声は、その音に紛れて金家の耳朶を打った。

「私も、金家さんがいなかったらヲチカタで手も足も出なくなってたと思う」

 だから……と続くはずの言葉を瞳に込め、ミカヅキはまっすぐな視線をこちらに据えた。後悔はしていない、そう言っている視線に胸を炙られ、熱の塊が喉までこみ上げるのを感じた金家は、堪えきれずに星空を見上げた。

 鼻から吸い込み、先刻以上に滲んで見える星々を睨み据える。

 すべては失敗だった。

 失ったものはあまりにも大きくもう他人はおろか自分を救う手立ても残ってはいないが、手前勝手な感傷を承知で言うなら、俺だって後悔はしていない。こいつらに出会わなかったら、俺もこの風景は見られなかった。益体のない詐欺師稼業で心身をすり減らし、そうと気づかぬうちに根腐れしていくだけのことだった。不快の波に現れながら、なにもしない、できない自分を呪い続け、いつしかなにを呪っていたのかも思い出せなくなる。GBNの飲み屋でひとり呪詛を垂れ流していた酔っ払いと同様、遠からず病んだ精神を破綻させていただけのことだった。

「似たようなバカが、3人も集まって……」

 断頭台に首をかけていても、いまこの場所に不快の波が押し寄せてくる気配はない。現在の潮さいと風音、思いは同じと確信できる他者の体温が、独りならとうに崩れていただろう体を支えてくれるのがわかる。行き詰まった人の世をよそに、まだ始まってもいない世界――自分と言う人間の中でも、まだ手付かずの領域は残っているということか。まったく柄にもないと思い、金家は苦笑を浮かべた。深雪も目の縁を拭い、やわらかな微笑をその口もとに浮かべたが、それも、「もうひとりいたら、完璧なのに」とミカヅキが呟くまでの事だった。

 手すりを握りしめ、ミカヅキは誰とも合わせない視線を闇の海面に注いでいる。

 異論はない。

 あいつがここにいる3人も引き合わせた。

 それぞれの中にある手つかずの領域を教え、眠っていたなにかを共振させた〝神〟――あいつがいなければ、なにも始まらない。救えなかった、その悔恨を全身から滲み出させるミカヅキから顔を背け、金家もきつく手すりを握りしめた。こんなところで自分を慰めている場合じゃない。なにか手はないかと無理と承知で考え、ぎりと奥歯を噛み鳴らした時だった。「あ、こんなところにいた」と別の声が風音に混じり、3人は一斉に背後を振り返った。

 階段口の扉に手をつき、息せききった顔をこちらに向ける谷沼の姿がそこにあった。歩みよる間も惜しいというふうに、「ちょっと、来てください!」と叫ぶと、返事を待たずに踵を返す。

「戦況が動き出したんです。あり得ない展開なんで、早く!」

 振り向きざまに言うや、薄汚れたワイシャツの背中が階段口の奥に駆け戻ってゆく。あり得ない展開という言葉が耳に突き立ち、金家はやはり棒立ちになっている深雪とミカヅキを交互に見た。

 この上、さらに状況を悪化させるような事態が起こったとは考えられないし、谷沼が寸暇を惜しんでそれを伝えに来るとも思えない。まさか、の一語を各々の目に確かめ合ったのも一瞬、3人はほとんど同時に床を蹴っていた。

 

 

 

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