ガンダムビルドダイバーズ 〝A〟   作:ジ ュ ン

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第八十八話

 いち民間企業のものにしては、その会議室はあまりにも広く、装飾も過多にすぎた。

 幅50メートル、奥行き20メートルほどの広さに驚くべき点はないが、2階分をぶち抜いた天井の高さには驚きに値する。 しかもその天井は緩やかなアーチを描く様式で柱と梁にはきらびやかな装飾が施され、王宮の一室といった華美さで彩られているのだ。

 床にはフェアチャイルドの紋章を編み込んだグリーンのカーペットが敷かれ、その上には50人は並べる長机が底辺を欠いた台形状に配置される。 それらと向き合う形で演壇と議長席が設けられ、磨き抜かれた黒檀を薄く光らせるさまは、会議室というより国の舵取りをする議場と言った方がふさわしい。 事実、ここでは国家の、世界の命運を左右する話し合いが何度となく交わされてきた。

 ブレイク・デカールの暴走がネットワークへ介入した時も、宇宙人がGBNへと襲来してきた時にも、そのほか様々な戦争や紛争が起きた時にも、もっとも重要な意思決定はこの会議室で為され、血と資金のネットワークを介して各国政府へ下達された。 国のGBN統制がもたらした2000年代の幸福も、その国への不信が芽吹いた2010年代の放埓も、いくたも続いた有志連合決戦の激情も、この会議室に出入りする一族を揺るがすことはなかった。

 タカ派政策で紛争を乗り切った2080年代。

 GBNがネットワーク経済を花開かせた90年代。

 そのツケが一気に押し寄せてきた2100年代へ。

〝システム〟にまつろわぬ者たちが、アメリカ各地で自爆テロを仕掛けてきた時でさえ、この会議室に集う者たちの権威が弱まることはなく、ここで下される決定と選択を世界に広めていったのだ。

 フェアチャイルドセンターの65階、重役の中でもトップ5パーセントしか立ち入りを許されないハイセキュリティ・エリアの一画。 センターが竣工した時から変わらずここに在る会議室に、いま人の気配はない。 窓ひとつない室内に外の喧騒はいっさい入ってこず、人っ子ひとりいなくとも、この会議室では常に複数の視線が飛び交い、足を踏み入れた者に得体の知れない威圧感を覚えさせずにおかない。

 おまえはなんだ、我ら一族の係累か。 そうでない者は早々に立ち去れ、我らが後ろに立つ資格がいうなら、それに足りるものであるかどうか己に問え――云々。

 視線と共にそんな声を聞いた気になるのも、ここでは外様という以外に自らを語る言葉を持てない身の妄想か。 マイケルは、壁を飾る視線の主たちに倦んだ目を向けた。

 演壇と議長席のある一面を除き、3面の壁すべてに無数の肖像画が飾られている。 どれも一辺が1メートルを下らない大きさでアメリカン・フェアチャイルドの始祖たるアルバートを始め、大半は背広姿の老人を描いた油絵だが、中にはヨーロッパ時代の家祖たち、6本の矢になぞらえられる兄弟らの姿も見受けられる。 まだ中世の香りを残すフロックコートを着て、もっとも天井に近い場所に掲げられているのは財閥の宗主たるニコラス・フェアチャイルド。 それぞれドイツ、イタリア、オーストリア、イギリス、フランス、ハンガリーに散らばった6人の息子たちがその両隣を飾り、彼らの下にはそれぞれに派生した各分家のお歴々たち。 サイバーテロの台頭を予期し、ベルリンからニューヨークに本家を映したアルバート曾祖父は、その子エドモンド祖父ともどもまだ新参の部類だ。

 ドイツで生まれ、しがないユーチューバ―をやっていたニコラスが、宮廷御用造形師に任じられてきたのを機に生来の才能を発揮し、ガンプラファイターとして大成したのは20世紀初頭のこと。 以後、ヨーロッパは革命を皮切りにGPデュエル動乱の時代を迎えるが、ニコラスの命に従って各国に散らばった6人の息子たちは緊密に連携しあい、各々が根付いた国家の動向を知らせ合って、予測される金の調達で巨万の富を築いていった。

 中には絶えた分家もあるものの、ニコラスから始まった家系は増えに増え、各家の表立った血筋を並べたこの肖像画だけで200枚を超える。 彼らこそ動乱を生き抜いたフェアチャイルドの歴史、GPデュエル開始以来の人類史そのものであり、この肖像画群はフェアチャイルドの家系図にしてこの200数年の世界史年表だった。

 いや、フェアチャイルドの苦難の歴史が彼らにそのような処世を促したという意味では、2000有余年に及ぶ記憶の結実と表現すべきか。

 そうであるなら、外様のプログマン家も歴史の一端に加えてやってもよさそうなものだが、ここにウィリアム祖父の肖像画はない。

 無論、父の姿もない。

 仕方なかろう、とマイケルは内心に自嘲した。

 一族の悲願を背負い、ひとつの世界、もうひとつの空間を実現しつつある一族を前にすれば、外様のプログマン家は塵にも等しい。 アメリカ合衆国でそう、この一族の歴史の重みを背負った一族の前ではハナタレ小僧も同然だ。

 最下段でこちらを見つめるアルバート曾祖父とエドモンド祖父が、200年少々の歴史しか持たぬ新興国家の立場を象徴しているではないか。 まして、そのアメリカに下された極東の島国など…… 裏金で化けた『A金貨』の経緯、そのなかで成り上がっていった呂名家の事情など、ここでは刹那の重みしか――。

「ああ、そうか」

 突然、のどかに間延びした声が会議室のしじまを揺らし、マイケルは物思いをやめた。 壁際に並べられたオブザーバー用の椅子――自分たち外様が収まる席だ――にぽつねんと座り、呂名英一が物珍し気に会議室の天井を見上げていた。

「なにか?」

「どこかで見たことがあると思ったんです。この部屋の雰囲気、教会に似てるんだ。 壁全体に壮麗な壁画が描かれたロシアの教会と」

「ロシアでは、観光をする時間はなかったはずだが?」

「サンクトペテルブルグに行ったのは、あの時が初めてじゃない。勤めをやめてから、世界中のGBNを見て回りましたからね。 あなたたちの〝システム〟がいかに世界を疲れさせているか、自分の目で確かめるために」

「その収穫はあったようだね」

「ええ、仮想空間で見ているだけでは得られなかったものを、たくさん」

 口もとに笑みをたたえながらも、その目は挑みかかる鋭さをもってこちらをにらみ据えている。 アローンの部下から身柄を預かって以来、ずっとこの調子だった。 逃げる隙を探そうというのではなく、こうしていればおのずと事態は解決すると確信し、余裕さえ持ってその時を待っているように見える。 こけた頬に長い幽閉生活の辛苦を忍ばせているくせに、追い詰められつつあるのはお前だ、とでも言いたげにこちらを見据える顔。

数週間ぶりとシャワーと着替えを与え、このフェアチャイルドセンターの威容を見せれば萎縮するかと思ったが、真新しいワイシャツにジャケットを羽織ったその姿は、賓客然とした態度を崩しもしない。 もっとも、そうでなければマイケルもフェアチャイルドセンターを新たな幽閉場所に選んだりしなかったし、一族専用会議室で向き合うとも思わなかった。 いかに余人の立ち入りを許さぬハイセキュリティ・エリアとはいえ、逃げようとわめき散らす者を本社ビルに監禁しておくわけにはいかない。 マイケルは彼をフェアチャイルドの心臓部に招き入れ、手錠のひとつもはめずに自由にさせているのだった――もちろん、扉の外には拳銃を携帯した護衛が控えているが。

「この部屋に入った日本人は、君が初めてだ」

 英一と絡ませた視線をほどき、マイケルは正面の演壇に目をやった。 演壇に登る階段の踊り場に飾られたニコラス宗主の胸像が、瞳のない目でじっと見返してくる。

「君の祖父、呂名哲郎でさえここには入れなかった。しょせん、GBNの窓口を務めてただけの男だ。『 A金貨』の発起人ではあっても、所有者ではない。 我々にとっては小間使いに等しい」

 2000年の歴史を封じ込めたこの会議室に呼び出したのは、それを自覚させて鼻っ柱をへし折るために他ならない。 表情を変えない英一と再び視線を絡ませ、マイケルは続けた。

「その小間使いが、分不相応な夢を見て敗北していった。あのマッカーサーと同じと言いたいことだが、君の祖父の方が始末に負えないな。 その夢を子々孫々にまで託して、一族を破滅に追い込んでしまったのだから」

「まだ破滅とは限らないんじゃないですか。あなたがぼくをここに呼んだのがその証拠だ」

しれっと返し、英一はまた微笑を浮かべた。 壁という壁に飾られた肖像画を見回し、「確かに豪華な会議室だけど、ただの部屋だ」と肩をすくめる。

「初めて入れてもらえたからって、そんなに感動する気になれないな。それとも、床のカーペットにカバラの呪文でも書いてるんですか?」

 すっとこちらに戻された視線には、一向に衰える気配のない闘志がある。 ヲチカタ・コロニーが招いたオブザーバーが議事堂で口を開くまで、あと4時間足らず。 にもかかわらず、こちらは未だに金家たちの所在を補足できていない。 状況がわかっていても、このあまりにも強気な態度、余裕はいったいなんなのか。 腹を立てるより先に呆れ、額に手を押し当てたマイケルは、「まったく時間にあわないよ、君たちのやることは」と苦笑交じりに呟いた。

「呂名理事長の心変わりはまだわかる。息子の命惜しさに、理性を欠いた行動に出たとしても、驚くには当たらない。 だがあの金家という男はなんだ? なぜ君の救出にこうもこだわる。 雇われただけのダイバーだろう? 『A金貨』に関わる過去がせよ、今までなにもしてこなかった人間だろう? それがどうして君の救出に命をかけるんだ? なんど叩きのめしても、しつこく食らいつくのはなぜだ!?」

 長机を叩きつけた音が広い会議室にこだまし、吸い込まれてゆく。

 外様とはいえ、我らの後継ぎがなんたるざまだ。

 壁の肖像画が口々に言い、マイケルはひとつ吸い、吐いた。 しんと動かずにこちらを直視する英一に背を向け、自分は決して座ることのできない本家重役の椅子に手をかける。

「意図的に捜索の手を緩めている〝対策室〟といい、まったく見ず、まったく無責任な行為だよ。これで日米関係が悪化すれば、国家単位の不幸を招き寄せる結果になるとわかっているはずだ。 個人単位の感情にとらわれている時ではないと――」

「あなたに感情はないんですか?」

 遮り、こちらを見据える英一の視線が背中に突き刺さる。 続くはずの言葉が口の中で溶け、マイケルは押し黙った。

「ないはずはない。むしろ、どちらかといえば感情過多のタイプだ。 少なくとも少年時代の、ガンプラファイターだったあなたはね。 いまは違うと言うなら、それは感情を消し去ったのではなく、感情を隠すのがうまくなったというだけのことだ」

「なにが言いたい?」

「大のためには、小の犠牲もやむなしとする。当然のことだ。 大人なら誰でも呑み込んでいかなかきゃならない。 でも、それは自分の良心を殺せってことじゃない。 なにかを犠牲をしなくちゃいけない、その上に自分の存在があるんだってことを受け止めて、折り合いをつけていかなくちゃならないってことだ」

 一言一句。

 その強い意志。

 その強い意志が、視線とともに背中を打つ。 我知らず拳を握りしめたマイケルは、肩越しの視線を英一に振り向けた。 英一も握り合わせた拳に目を落とし、「だから……」と絞り出すように続ける。

「だから、折り合いがつけられなくなった時には、全力で抵抗する。感じる心を持たされた者には、そうする権利があるんだ。 それが尺に合わないことでも、勝ち目がない戦いであっても。 心を失う前に。 社会が共食いの果てに滅びる前に。 人も、ELダイバーも……」

 そのまま、握り合わせた拳を祈るように口に押しつける。

 殉教者。

 その言葉が自然と脳裏に浮かび上がり、マイケルは言葉に呑まれかけた身を危うく立て直した。 「なるほど。それが君の、彼らの動機か」と応じ、英一の方に向き直る。

「カミカゼ・アタックを仕掛けてくる国の人間らしい考え方だが、西洋にも似たような思想はある。ひとりは全員のために、全員はひとりのために、というやつだ」

「三銃士ですね。子供の頃に読みましたよ。 好きだったな」

「何度も映画になっている。だがこの現代、ファンタジーという以上の価値はない。 バカげたロマンチシズム、懐古主義だ」

「でも、人の心はそれを求めている。だから三銃士の物語は語り継がれてきた。 あなたたちの物語は? あなたが忠誠を誓うフェアチャイルドは、あなたのためになにをしてくれたんです?」

 唐突に問われ、マイケルは思わず傍らの肖像画を見上げた。 日ごろ口やかましい彼らが、この時に限って何も言わない。 全員が口を閉じ、無言の目をあらぬ方にむけている。 そう、それがあなた達のやり方だ。 強固に結束し合いながら、仲間意識におぼれたりしない。 神も思想も救いにならない。 被虐の歴史を歩んできたがゆえの冷徹さで、常に全体にとって最良の選択を下さんとする。 〝システム〟という人工の神のもとに律せられた結束。 運営資金による富の集中管理。 国境に縛られず、世界を単一化を見なすワン・ワールド構想。 緊密な情報ネットワークで世界の先行きを読み、巧妙に立ち回っては誘導してきた経緯があっても、それはダイバーたちのすべてが望む必然、自由を得るための戦いに他ならなかった。

 現実世界から脱し、富を追い求める自由。

 民族や国境に縛られぬ自由。

 専制君主ではなく、神の見えざる手に金をゆだね、その中で能力に応じた立場を得る自由――。

 それゆえ、〝システム〟は委ねられた。

 ネットワークが広がり、グローバル化した社会のなかで貧富の差を開き、発展し損ねた国々が世界の掃きだめになったとしても、果てなき成長を求める〝システム〟が世界を窒息させつつあるとしても、目下それ以上の〝神〟は世界に見当たらない。

「なにをしてくれたか、ではない。生き延びるために、なにをしてこなければなかったか、だ」

 自分は、世界は、その結果を生きている。 感情に従う生き方をしていたら、人間はとうの昔に滅んでいた。 無言のうちに伝える肖像画を見上げるのをやめ、マイケルは英一と死線を交わらせた。

「我々の民族は常に生存の危機に脅かされてきた。民族離散、迫害、大虐殺。 過去の話ではないよ。 ガンプラバトル主義が台頭する前、民族主義や国家主義がまた台頭するようになれば、また同じようなことがおきる。 自らの正当性を裏付ける贄として、フェアチャイルドの名は利用されつづけるんだ」

微かに口元を歪め、英一は目を伏せた。 壁に掲げられた亡霊たちの緯線を背負い、その英一に歩み寄ったマイケルは、「だから我々は強い」と間を置かず押し被せた。

「ひとりは全員のために、全員はひとりのために。 三銃士より先に実践してきたのが我々だ。 フェアチャイルドの家紋に記された6本の矢、あれの意味は知っているな? 束ねられた6本の矢のごとく…… あれは、フェアチャイルドといういち家族のことを言っているのではない。 民族全体のことを指している。 まぁ、さまざまな裏切り者を出したりはしたが…… いや、それにしたって、民族の宿願から始まったことだった。 平等な社会主義の理想の中でこそ、フェアチャイルド民族の真の解放が実現できると彼らは信じた。 そして最終的には……」

 顔を上げ、再び視線を交わらせた英一の瞳に、反感の色が浮き出ていた。 勝ち負けにこだわるのが間違いのもと、か。 今度は自分から視線を逸らし、マイケルは知らぬ顔を決め込む肖像画たちを見上げた。 やさしい人柄の中でも、他人を寄せつけない冷たさを秘めていたエドモンド祖父の顔を見つめ、「勝者には常に孤独がつきまとう」と重ねる。

「世の理が、誰よりも見えているが故の孤独。 他人同士は決して相容れず、ただ利害によってのみ結びつくという諦念がもたらす孤独だ。 わたしの祖父、ウィリアム・プログマンは、だから呂名哲郎に手を貸した。 GBNという戦いの実験場になることを受け入れた日本は、遠からず自らのアイアンティティを失う。 フェアチャイルドの民はローマ帝国を追われてしまったが、日本の民は〝システム〟にその精神性を蹂躙される。 それぞれ失ったものは違っても、どちらも亡国の民には違いない。 拠って立つものを失った者同士、互いに取り合える手があるのではないか。 心に鍵をかけ、常に外的に備なければ生きられない我々だからこそ、本音で語り合える友人が…… 同じ痛みを分かち合えるともがほしくなることも……」

 見開いた目に驚きを宿し、英一は小さく息を呑んだようだった。 直に聞いた話ではないが、呂名哲郎の本音を聞いて見て見ぬ振りをしていた経緯からして、ウィリアムの本音はそんなところだろう。 彼には、外様としてフェアチャイルドに組み入れられる個人的な孤独もあったのだから。 「結果、その子孫たる君とわたしは敵対している」と続け、マイケルは英一の眼前に立った。

「『A金貨』は、もともと植民地主義に成り代わる新しい支配体制を構築するための金だった。 その国の発展段階時に〝ヤミ〟という形で値を張り、そこで生み出される利益を吸い上げる。 国家を会社に見立てて、その王になっておこうという腹だ。 現地の労働力を安く使い、彼らに還元されるべき配当金をせしめようというのだから、これは形を変えた考え以外になにものでもない。 自由と独立を担保しながら、なお機能する植民地のできあがりだ」

 なにをいまさら、と言いたげに英一は険をやどした目を細める。 マイケルはかまわず、

「無論、相手に悟られればうまくいかない。 しかし現地に協力者を置かずに進めることもではない。 だから大概はその国の王や実力者を抱え込む。 民主主義の国なら、それに与する人材に支援金を送ればいい。 このやり方はうまくいった。 アジアで名をはせる大企業のスポンサーの多くは外国。 つまり我々だ。 日本も例外ではない。 ただひとつ異なるのは祖父は現地協力者に呂名哲郎という未知のファクターを選んだ。 本来、フィリピンで行使されるはずだった『A金貨』を持ち出し、日本で同じことをやろうとも持ちかけてきた君の祖父を、だ」

 ひくと瞼を震わせ、英一は視線を逸らした。 マイケルはその顔を見据えて動かず、「断るべきだった」

「たとえ『A金貨』を人質に取られていても、無視して本来の計画を進めるべきだった。だが祖父は、呂名哲郎の提案を受け入れた。 日本を、自らを憐れんだ祖父の感情が『A金貨』の中に潜む毒の存在を見過ごしにしたんだ。

もう一度言おう。 その結果がこれだ。 『A金貨』にこだわる必要などなかった。 フィリピンや韓国を見てみろ。 『A金貨』の代わりなど用立てて、植民地にすることは可能だったんだ。 それなのに……。 感情に流されれば、判断が鈍るというひとつの事例だよ」

「しかし、感情があるから人は豊かだったはず」

「違うな。感情が人を誤らせる。 ヒューマニズムと表裏一体のエゴを、豊かであろうとする欲をひとのなかに育てるんだ。 君の言う感情は混乱しか生まない。 それを統制するのが理性。 すなわち〝システム〟だ」

 何か言いかけた口を閉じ、英一は同意できないと告げる目だけをこちらに向けた。 自身、感情にとらわれつつある体に息を吹き込み、英一の前から離れたマイケルは、「君たちこそ、それでなにができる?」と低く問うた。

「〝システム〟を変えてどうする。ELダイバーたちに携帯じみたものをばら撒いて、ひとつの平等を。 ELダイバーに偏りのない真実を、か? だったら、こんな面倒臭い真似をするまでもない。 GBNにおけるシステムウインドウの性能はあがりつづけているし、真実もインターネットに山ほど溢れている。 君の兄さんが夢見た全ダイバーの情報武装化はすぐ目の前だ。 だが、それで世界が変わったか? 変わる兆しがひとつでもあるか?」

 ゆっくりと背後に回り込み、耳元にたたきつけるように言う。 膝上に置いた拳をきつく握りしめ、英一は正面を見つめ続けた。

「真実なんてどうだっていい。 それが大衆の本音なんだよ、英一くん。 それよりもわたしを楽しませてくれ。 この理不尽な世界を生き抜くための清涼剤、一時の享楽を与えてくれ。 厳しい現実なんかいらない。 わかりやすい物語、ちっぽけなプライドを満たしてくれる物語、無知なままの自分を肯定してくれる物語があれば、それでいい。 多くの人が支持すれば、物語は真実になる。 どれほど愚劣な内容であっても歴史の仲間入りだ。 それが現代において肯定されるべき唯一の感情、多数決の名の感情だ」

「〝システム〟にねじ曲げられた感情だ、それは。数の論理だけ従えば、世の中は豊かになっても人の心は貧しくなる。 誰もそんなものは求めていない」

「なら、なんだ」

「ぼくが欲しいのは、未来だ」

 言葉と一緒に噴き出した熱が、風になって会議室を吹き抜けたようだった。 笑おうとして笑えず、マイケルはこちらをにらみ上げる英一の視線を無言で受け止めた。

「今より改善された世界、今日よりマシな明日に近づいて行けるという確かな実感。そう願う人々の心をないがしろにしない社会の構築だ。『 アファーマティブ・システム』を預かった呂名家だけの問題じゃない。 ネットワークの基礎を作り、世界のネットワークシステムを支配してきたあなたたちにも、それを示す義務がある」

「義務だと……?」

「マイケル。ぼくは、数年前でおきたGBNの紛争で2つの〝システム〟が交錯するのを見た」

 昔と同じ呼び方をして、英一は東洋人にしては長身の体をおもむろに立ち上がらせた。 上着のポケットに収めた非情呼び出し装置の所在を無意識に確かめつつ、マイケルは1歩あとずさってその顔を見つめ返した。

「世界中のダイバーたちから送られた義援金…… あれは、通りいっぺんの寄付なんかじゃなかった。 紛争は現実仮想問わず、今はいたるところで変動は起こっている。 次は自分かもしれない…… その不安が、多くの人に行動を促した。 紛争の被害者に手を差し伸べることで、いつか同じ目に遭うかもしれない自分を救おうとしたんだ。 一種の保険、善意の安全保障だよ。 みんなが助け合える世界にいるんだと信じられれば、次はなにが起こるかわからない中でも少しは安心していられる。 これも〝システム〟だ。 マイケル、あなたも銀行とは別に個人名義でGBNに寄付をしてくれたよね」

 頷く気にもなれず、マイケルは決まり悪く視線をそらした。 英一は目を伏せ、「一方で、紛争直後では世界中のスポンサーが金を稼ごうとして、日本はGBNで起きた紛争と不況の二重苦に陥った」と言葉を重ねた。

「GBNの賠償金で、日本での周辺企業は運用していた資産を円に換金するだろうから、当分は円高の局面になる。 バカな話だ。 実際には、日本での賠償金は民間企業と政府とのやりとりで動き回るから、周辺企業は多大な資産を処分しなくちゃいけないなんて話はない。 なのに、勝手な思惑を抱いた連中がGBNの金を買いあさって、あとは差分狙いの機械的な売買だ。 同じ日本人さえ、それが日本を、GBNをさらなる苦境に追い込むとは考えきれずに…… いや、結果がわからないでやったなんて話はない。 ただ、考える必要がないから考えないんだ。 流れを読んで、儲かれそうな局面に金を送り出すのが〝システム〟だから。 紛争で傷ついたGBNに胸を痛めて、義援金を送ってきた誰かが、同じダイバーが紛争をつくり出す。 別のダイバーがいれば、頭の中身も切り替わって、助けようとした被害者の横っ面をはたくんだ。

 それを誰も異常とは思わない。 良心の折り合いをつける必要なんかなく、ほとんど自動的に行動してる。 競え、出し抜け、紛争で儲けろと命じる〝システム〟が回り回って自分たちの首を絞めているんだ。 制御しなくてはならないものがあるとしたら、この古い〝システム〟のほうだ。 感情は殺さなくってもいい。 他者より先に、抜きんでたいという欲も否定しない。 ただ、他者の生存なくして自分の生存はないと気付けばいい。 善意を、善意の安全保障をGBNに組み込む〝システム〟があればいいんだ。 今ならそれができる。 技術的にも精神的にも、それを構築できるだけの蓄積がヒトに、ELダイバーにはある。 あなたにだってわかるはずだ。 欲望を肥え太らせるだけの古い〝システム〟と、人の内に湧き出た共生のための〝システム〟。 本当に従うべきはどちらか――」

「それが新しい、〝システム〟。『アファーマティブ・システム』の真意か」

 最後まで言わせず、マイケルは遮る声を出した。 否定の意思を感じ取ったものか、英一は長広舌を終えた口を堅く引き結ぶ。

「理屈はわかるが、〝システム〟と呼ぶには恣意的だな。君たち一族の感情が紡いだ物語に聞こえる」

「多くの人が支持すれば、物語も真実になる。あなたが言ったことですよ」

 英一は微塵も揺るがずに言い返す。 語るに落ちたというより、その瞳から発する熱にあらためて気圧されたマイケルは、しばし言葉をなくしてその場に立ち尽くした。

 福田と話した時とは異なる、もっと剥き出しの熱。 言葉を尽くしてはいても、これはもう理屈ではない。

 〝システム〟の下にあるひとつの世界、ひとつの自由を目指した一方の思惟に対して、彼は駆逐されてきたもう一方の思惟を代表としてここにいる。 どちらが正しいという次元の問題ではなく、これは作用が生み出した反作用であり、その規模にかかわらず、重みとしては同等なのだ。 どちらも等しく欲求に根差しているという一点において、一方が一方を下せばよいという性質のものではなく、本質的に相身互いの存在なのだ。

 マイケルは、自分がなぜここに英一を呼び出した理由がわかったような気がした。

 独りでは立ち向かえない〝システム〟の守護者として、それでも一方の思惟を降ろさねばならぬ者として、先祖たちの後ろ盾がなければ立ち向かえないと思った。 たとえこの肖像画の列には加われない外様の身であっても。 失敗すれば切り捨てられ、存在自体が忘れ去られる立場であっても――否、そうであるからこそ。

「君の仲間たちは、いまGBN議事堂に向かっている」

ひどく長い数秒を挟んで、マイケルはようやく切り出した。

「だが、彼らはなにも話せない。どこにもたどり着けない。 我々が全力をもって阻止するからだ」

同じ高さに立った目をそよと動かさず、英一はこちらを見つめている。 無言で見下ろす肖像画たちの視線も背中に浴びながら、マイケルは彼らにも聞こえる声で続けた。

「『アファーマティブ・システム』の理念は了承した。 言葉としては美しいし、やりようによっては実現もしようが、やはり我々には受け入れられない。 君が君の一族の歴史を背負っているように、わたしにも2000年に及ぶ一族の歴史を背負っている。 その歴史が言うんだ。 生きている限り、人は独りだと。 一族も独りなら、人そのものもそうだと。 善意のルール化などあり得ない。 それは無用の混乱をもたらし、既存の秩序を弱体化させる。 一度壊れた秩序は元には戻らない。 君たちの作ったルールが予定通りに働かさず、世界全体が混乱に陥ったあとでは遅いのだ」

 まっすぐ見据える瞳に失望の色を覗かせ、英一は目を伏せた。 そのまま椅子に腰を下ろし、こちらを視界の外にして両肘を膝につく。 最後の機会を失ったのは彼か、自分か。 我知らず考え、すぐに打ち消したマイケルは、

「だから潰す。どんな手を使っても、徹底的に」

 1歩を踏み出し、語気強く言い放つ。

 英一は無言だった。

 もう話すことはないと言っている顔を見下ろし、やはり最後の機会を失ったと感じている自分に辟易したマイケルは、かすかに震える手でネクタイを緩めた。

 それでも治まらない息苦しさを覚えつつ、微動だにしない英一に背を向ける。 その戸口のほうに向かおうとして、「もう1度、訊きます」と発せられた声に影を縫い付けられた。

「その〝システム〟は…… 〝システム〟を作ったあなたの父祖たちは、あなたを救ってくれますか? 自らの意思を引き継ぐ後継、未来そのものであるあなたを」

 考えをつかなかった言葉が耳から全員を突き通り、マイケルは背後を振り返った。

 英一は椅子に納まったまま、静かに返事を待っている。 憐れむような視線に戸惑い、怒り、世迷言を言い返そうとしたマイケルは、結局は何も言えずに壁の肖像画たちを振り仰いだ。

ニコラス宗主もエドモンド祖父も、それぞれに静止した時間の中で身じろぎしない。 こちらを見つめる目はひとつとてなく、閉ざされた空間を複数の視線が虚しく飛び交っている。 彼らに未来という言葉はなかったのかもしれない、とマイケルは咄嗟に思いついた。 一族の宿命に縛られた過去と、いまを生きるために行使される知恵があるのみで、未来を思い描く余裕はついに持てなかった。 ひとつの世界、ひとつの未来…… それは目標出会って、絵空事でしかない。 生存に最適なモデルを模索し、実践はしてきても、どう生きるかという命題についての答はなく、それを子孫に託すことすらしなかったのが彼らだった。

わかっていたことだ。

 彼らは自分を救いはしない。 その必要もないと思っていたのに、英一をここに連れてきた自分はなにを求めてそうしたのだろう。 未来も理想もこの肖像画たちが体現する権威に託し、ただ命じられるままに生きてきた我が身を肯定するためか。 〝システム〟を作り、守護しながら、実は誰よりもその支配下に置かれている同病を相哀れむだけか――。 考えてもわからず、マイケルは英一に背を向け直した。

 萎えそうな足を律し、年代物の木製の扉が閉ざす部屋の戸口へと向かう。 それまで無関心を装っていた肖像画たちが、急に咎めるような目を注いでくるのかうっとうしかった。

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