そこは、2日前には何もなかった場所だった。
GBNアメリカ、マンハッタンシティの東エリアに位置する廃ビルの地下室。
呂名英一の幽閉場所であった地下室と同じく、廃材が噴き溜まり、配管から漏れた水が床に染みを作るだけだったその場所に、いまは大量のパソコンとモニターが運び込まれ、排熱ファンの低い唸りを相乗させていた。モニターには全エリアの空港エリアから送られてくる電子戦機、無人モビルスーツを通して映像が映し出されており、10人からの男たちが監視の目を光らせるさまは、さながら大型ビルの警備室か運営の管制室といった風情だった。
モニターの半分は、現在只今の映像を流し、もう半分は過去映像の検証とチェック用。ログインシステムと連動したダイバーのデータを検索も並行して進められ、膨大なデータの中から対象としたアバターと似た特徴を持つデータがピックアップされている。
ブレイク・デカール事件以降、ビザ免除プログラム参加国の旅客にも運営に提出が義務付けられるようになったから、ディメンション安全保障提供の出入国リストには漏れはない。対象が正規のチェックインを試用していれば、半秒で来訪の事実が事実が露見する手はずだが、彼らが通常の手続きで入国しようはずもなかった。顔認証システムによる洗い出しが同時並行で行われている所以だが、それにしても機械任せにはできない面倒さがある。2Dの顔写真なら、画像をほんの少し加工するだけでスキャンから漏れてしまうのだ。入国スタッフが直に見れば同一人物と認識できても、たとえばアバターのパーツのラインを少しいじるだけで、機械は別人と見過ごす愚を犯す。
結果、アメリカの膨大なログインした者の人の目が頼りになる。アローンは30台を下らないモニター群を見渡し、そこで行われている作業をひとつひとつ検分していった。モニター群から離れた場所でデスクトップのディスプレイを凝視する男たちは、アバター認証システムが選り分けたGBNのデータを検証している。
ハンターの訓練プログラムは特殊部隊のそれに準ずるが、機械を扱う手並みと顔つきからして、彼らは本職のハンターではないだろう。
ELバースセンターで正規の教育を受けた後、高額報酬につられてフェアチャイルドの私兵となったELダイバーたち。もしくは、今回の事態のために臨時に貸し出された現役の職員かもしれない。フェアチャイルド財閥の力をもってすれば、その程度の無理は無理のうちにも入らない。客観的に見て、この秘密拠点の索敵能力はGBN防衛機関に匹敵するにも言っていい。
一方、モニターの半数は過去1か月間の全アメリカエリアのモビルスーツ部隊からのカメラ映像を精査しており、行き交う通行人の顔に次々と探査グリットが重ねられては消えている。こちらは3D方式の顔認証ソフトだろう。2D方式より精度が高いが、やはり完全ではない。別のサングラスや付け髭など異なるパーツでアバターを隠されると負いきれないし、ちょっとした表情の変化でも取りこぼしてしまう率が高まる。
「だから、旧式のアルゴリズムと併用して検索対象を拡大してる。ヒット数は跳ね上がるけど、仕方がないわね。これだけの人員と設備を回してきたからには、さぞや重要をお探しなんでしょうから」
この拠点を任された黒人女のELダイバーが言う。いかにも元エージェントらしい、冷たく事務的な目つきだったが、ちらとアローンに向けられた視線に不快と侮蔑の両方があった。
1か月にわたるログインの全チェックを、理由も告げられずに押しつけられた不快。
その結果を督促する正体不明のELダイバーに対する侮蔑。それに甘んじねばならない自分自身に向けられた嘲笑混じりの侮蔑。
なにか問題を起こしたのか、高額報酬につられてのことか。どちらにせよ、運営から落ちてきた人材には自嘲めいた視線がついて回る。そこだけ擦りむけたように色が違う黒人女の手のひらを目に留めながら、アローンは「進捗状況は?」と質問した。
「ログイン記録は当たり無し。カメラの方も同様で、いま1度目のスキャンが終わって2度目の最中。人力でのチェックも始めてる。かなり絞り秘めたから、今日中には終わるでしょう」
「今日中では遅い。あと2時間以内で頼む」
ヲチカタ・コロニーに割り当てられた一般討論演説の開始予定時刻は、16時30分。いまは12時37分を過ぎたところだから、2時間でも遅すぎる。確実に網を張ろうと思えば、対象の動向は現時点で把握し出来ていないと厳しい。2時間以内に入国手段と足取りがつかめたとして、対象の移動経路と到着時間を予測し、議事堂周辺での待ち伏せに当たりをつけるのがせいぜい。それを過ぎたら、〝狩り〟はまったくの手探りで行わねばならなくなる。
素早く計算を働かせたアローンはを一瞥だにせずに「無理ね」と黒人女は応じた。
「一方でリアルタイムの監視も行ってるのよ。精度の高い結果を出すには、あと半日はもらわないと」
「2時間だ」
「訪問する日本人ダイバーだけで、1カ月にログインする人間がどれくらいいるか知ってる? 30万人よ。アジア全員となったら、その5倍じゃ6倍じゃすまない。それだけの数をどうやって――」
聞く気はないと目で伝え、アローンは女の顔をじっと見つめた。女の目が微かに見開かれ、怯えの色を露にしたのも一瞬、すぐに視線をそらして正面のモニターに向き直る。「ОK、わかった」と大仰に肩をすくめた姿は、モニターの反射光だけが頼りの薄闇の中で奇妙に浮きだって見えた。
「精度の低い結果ならいますぐ出してあげる。該当なし、それが結果よ。アメリカGBNのログイン記録、モビルスーツを介してのカメラの映像を当たって、得るものは何もなかった」
女の手が苛立たしげにマウスを操り、松音正――タダシのログイン記録がモニターに映り出される。あの金家といっしょにいた男……あいつもここに来ているのか?
なぜ、ここに来ているのか?
その後の行動がない手前、金家たちとなにか関係があるのは間違いない。
だが、そのあとは?
松音が空の便で出た記憶もない。金家たちにいたっては、痕跡すらないのだ。にも拘わらず、松音はこのマンハッタンにログインしてきた。
アメリカの中心地点で。マイケル曰く、真珠湾攻撃にひっかけようとでもいうわけでも――。
「メキシコエリアやカナダエリア経由て゛入国する可能性も考えて、そっちの方もチェックしているけどヒットはなし。この1か月間、対象3名はアメリカにログインしていないと断言できる。少なくとも、与えられた設備と人員と時間で調べる限りはね。それ以上正確さを求めるとなれば――」
「船は?」
遮り、アローンは女の顔を直視した。
そうだ、これは奇襲だ。あの谷沼とかいう男……彼を尾行したハンターの報告にもあったではないか。ホノルルより遊覧ヘリに乗り、ハワイにて消息不明、と。なぜもっと早く気がつかなかったのだ? 遊覧ヘリがまっすぐ空港にむかった証拠はない……と。買収擦れたパイロットらが口裏を合わせていたかもしれない可能性を、なぜマイケルと話した時に見過ごしたのだ? 「船?」とオウム返しにした女の顔色がみるみる変わるのを尻目に、「それだけの時間が奴らにはあった」とアローンは付け加えた。
「ニューヨークを中心に、各港湾管理局の入館記録、それに防犯カメラ映像のチェック。この3日間の記録だけだけでかまわないから、手配を」
「それがどれだけ手間のかかることか、わかって言ってるの? だいたい、日本とニューヨークを結ぶ客船のなんてとっくに廃絶――」
その時だった。カメラをチェックしてきた白人男が「モビルスーツ出現!」と叫んでいた。別の男も、「飛翔体がこちらに接近してきます!」と報告してきた。
モニターを確認するとグフ・タイプの1機、ヒートソードをかかげ、ビルの上に立っていた。そして「やぁやぁ、我こそは……」と歴史の戦国武将だったか? とばかりに名乗りをあげている。その直下のビルの周りには<グレイズ>が5機、周囲を警戒していた。そのどれもが黒いカラーリングで彩られていた。反社勢力における黒服、という印象を受けたアローンはその光景を見ても何も起きる気配はしなかった。
その声を聞いて、無意識に右手を握りしめる。
おれは正常に機能している。
息を呑んだ女の顔は見ず、アローンは素早く身をひるがえし、歩き出した。システムウインドウの通信機能を呼びだし、他のハンターの番号を呼び出した。これ以上ここにすると、衝動にのまれてしまいそうな不安があった。
自由の女神を中心に、半径40キロ圏内の一帯をニュージャージー港と言う。名前の通り、アメリカ東エリアの玄関口で、総面積は3900平方キロメートルに及び、埠頭の数は70、年間の奇行船舶数は現実と変わらず5000を超える。ターミナルは7つあり、そのうち4つをニューヨーク・ニュージャージー港湾会社が管理している。ニューヨークとニュージャージーエリアの両運営がそのトップを務める公社は、それぞれのエリアにあるログインエリアも管理しており、その権限はなまじの運営より大きい。独自の特殊部隊まで擁しており、まさにアメリカGBNの玄関を守る巨大組織と言えた。
<マークス・センチュリー>はというと、予定通り公社の管理下にある海運ターミナルに寄港した。そこが自動車専門ターミナルである以上、永琳組の口利きをもってしても変更はかなわなかったが、エイジは特に危機感を抱いていなかった。
当然、特に東部アメリカで強い影響力を誇示するフェアチャイルド財閥と無関係であるはずはなく、公社の上層部には財閥の人間が送りこまれてもいる。議事堂でのスピーチという爆弾を落とした以上、港が監視下に置かれている可能性は十分にあったが<マークス・センチュリー>は予定通り、公社の管理下にある海運ターミナルに寄港した。そこが自動車の輸出入の専門ターミナルである以上、永琳組の口利きをもってしても変更は叶わなかったからだが、エイジは特に危機感を感じている暇がなかった。
その300メートル地点まで<ガンダム>、<ジェガン>、<モビルドール・ミカヅキ>は背部に装着したブースターをつけて接近していったからだ。
「お前ら、大丈夫か!」
「こちらは大丈夫! 耐G訓練は受けてるから!」
「こちらもだ」
<ガンダム>に乗るエイジは、全身を後ろに押さえつけられそうな感覚に苦しみながら、後ろの2機に通信を吹き込んだ。<ジェガン>に乗るミーユはそう答え、モビルドールに乗るミカヅキは何も答えなかったが、いつもの無表情で答を返してきた。
「っうか、こんなの飛んでるなんて言わないだろ! 空港の警戒に手いっぱいで、連中もブースターで直接来るとは想像してないんって! 仮に目を付けられたとしても7つのターミナルで1日に1万個のコンテナをさばいてるとこだぜ! 船員データでログインしていると思ってんだろうな、奴ら! 現に入国管理局も手が回らなくって、おれたちの審査したのは代理店だろうよ!」
高度1万フィート。
3機が飛ぶ。だが、飛んでいるというより、これは投射に近かった。
圧してくる荷重に耐えながら、エイジはモニター下部に目を飛ばした。
直下の風景は、ニューヨークの中心部、マンハッタンの南側に位置するスタテン・アイランドが拡がっていた。島の外から連絡しておらず、無料のフェリーが島とマンハッタンとを結ぶ。島の中心部に向かえば緑豊かなベットタウンが広がっているらしいが、沿岸の港湾設備は殺風景の一語に尽きた。
ただっ広い荷捌き場に巨大なガントリークレーンが並び、自動車運搬用のトレーラーがずらりと並ぶ。バースと直結する荷捌き場には活気があるが、検疫所の建物を挟んだこちら側は広い駐車場にぽつぽつとトレーラーが停まるばかりで、日中だというのに閑散とした空気が流れていた。
ようは晴海あたりのコンテナ・ターミナルをそのまま引き写した景観でしかなく、面白くないことこの上ない。アメリカGBNへの記念すべき1歩を印すにはありがたみがなさすぎないか?
「そうかもしれないけど、油断は禁物でしょ。ここは敵地も同然なんだから」
通信からミーユの声が吹き込まれる中、<ガンダム>の機体が強く揺れながら上下する。
これは飛んでいるのか? カッコよく落ちているのか?
歯を食いしばりながら、エイジはうなり声で応じた。
今は荷揚げ作業が盛りのこの時刻。作業用のモビルスーツも動く様子はなく、ただっ広い空中に稼働している機体は、<ガンダム>と<ジェガン>、<モビルドール・ミカヅキ>しかいない。
激戦をくぐり抜けてきた〝対策室〟の職員としては、遮蔽物のひとつもない場所に長居は無用と決めているのだろうが、それだけではあるまい。
呂名英一がこのアメリカにいる。
あと少しで手が届くという焦り、そして興奮が彼女を必用以上に逸らせている。
突風を受けてカタカタとかすかに振動する機体の姿が、機体と不安が伯仲する内面の揺らぎを現している。そんな感じに受けて、荷重のつらさに耐えながら、ひとり自重めいた笑みを浮かべた。織り込み済みだったが、とにかくこの引っ張られるような荷重がつらい。織り込み済みとはいえ、これはとんだ道化になっちまいそうだ……と内心にぼやく傍ら、「これだもん……なぁ!」とシステムウインドウで通信をいれた。
「敵地とか、言う事がおっかねぇんだよな。あんまり……素人をびびらせねぇでほしいよ、な。なぁ?」
押さえつけられる痛みに耐えながら、エイジが言う。それまで話しかけられてことにも気づいていなかった様子で、ミカヅキは「え?」とはっとした声をもらす。
こいつもすっかり舞い上がっている
これからなさねばならないこと、その不確実性に鑑みれば無理もない、か。
怖い時は怖いと素直に表した方が冷静でいられるという一方の論理もある。行き過ぎて萎縮するのがよくない。これから議事堂にたどり着くまで、ミカヅキの危機管理センサーにはフル稼働してもらう必要があるのだから。
気をぬけば気絶しそうな意識を律しながら、「心配いらねぇよ」とエイジは苦笑混じりに言った。
あと議事堂まで3キローー。予定通りに事を進めながら、「ちゃんとボディガードも用意してるんだから。それもとびきりな」と付け足す。
「ボディ、ガード?」
呼吸をひとつ置いて、言う。「もしかして、あれ……なの?」
カメラをズーム。守衛室とゲートバーを挟んだ先、黒塗りの<グレイズ>らが姿に見えた。500メートル以上の距離があって詳細はうかがえないが、5機いた<グレイズ>が、容赦なく破壊されているのが見えた。日本GBNではおよそ見かけない永琳組の機体で、永琳組のエンブレムをつけている。いかにも形から入ったと言う出で立ちには不安を覚えないでもなかったが、永琳組が直に手配したダイバーたちが見かけ倒しということもあるまい。だが、<グレイズ>らの機体の装甲は無惨に湾曲し、片腕や首のない機体がちらほらと見受けられる。永琳組のダイバーたちが素人ではあるまいが、まさか?
はかりごとは密なるをもって……などと大げさな話ではなく、航海中は状況次第では誰が敵になるかわからなかったこともあり、護衛の事はミーユにもミカヅキにも伏せておいた。
反社、いわゆるジャパニーズ・マフィアの先兵として、アメリカGBNが永琳組の進出を警戒するようになって久しいが、1度や2度の資産凍結でGBNを手放す彼らではない。身元を巧妙に粉飾したフォースの進出が現在も続いており、この護衛たちもその筋から派遣されたと見て間違いないだろう。
ニューヨーク・エリアに潜り込んで長く、もしかしたら英語も堪能で土地勘も働く連中……あるいは,ELダイバーがいるかもしれない……だろう。
それにして近づくにつれ、<グレイズ>ではない機体を見た。5機ではなく、のこり1機が違う機種が混じっていた。そのモビルスーツには見覚えがある。なんでまた……と血の気がひく思いで、いや、ほとんどの顔に見覚えがある。なんでまた……と血の気が引く思いを味わううちにそのモビルスーツの形状が見えてきた。遠目にもわかるグフ・タイプが横たわっている。
まさか、そのボディガードたちが――。
瞬間。
<ガンダム>のレーダーが警報がうなりをあげた。
「大型の物体を確認。機数3。距離317、包囲086」
<ガンダム>のセンサーなら、これ以上の情報はわかっていなかっただろう。だが、これは黒須修二の<ガンダム>。ほかのモビルスーツとは違う。
「砲台だ!」
針路上に3基の大型のミサイル砲台。どうやら意地でも進ませたくないらしい。
攻撃レーダーらしきものを感知。
砲台からの照準レーザー。ここまで届く兵器はミサイルの類いしかない。ミサイルの類は装備してはしないが、この日のために改造したのだろうか。
だが、現実に対空ミサイルが12発こちらにむかっている。
この事態をどうにかしなければ。
「あの野郎!」
対空ミサイルが、迫ってきて、いる。
「しっかりバレてんじゃねぇか!」
着弾まで。
あと30秒――。