空を裂く音ともに、凶器と化した<モビルドール・ミカヅキ>の足が頭の高さにまで蹴り上げられる。人とは思えぬ素早さで上体をねじり、髪1枚の差で顎への直撃をかわした黒い影は、そのまま後方に1回転するとビルの影にかくれた。
空振りに終わった足を地に戻し、猟犬の顔で周囲を見渡す。
それと同時にレバー右側のレーダーを調整し、サーチ感度を上昇させた。
「直前で気づいた。あいつらしくないミスだ」
言いつつ、そのデュアル・アイはビル群に隠れた黒い影を探して休みなく動き続ける。ミーユの<ジェガン>も辺りを見渡してみたが、あの黒い機体を見つけ出すには至らなかった。
(どこ)
するどく問うたミーユの<ジェガン>が傍らに立つ。
「わからない。でも奴だ」
(アローン? なんでこんなところに)
その名は〝対策室〟でも知られている。
ミーユは頬から血の気が引いていくのを感じた。
ロシアからヲチカタ、ついにはこのニューヨークにまで自分たちを追ってきたフェアチャイルドのハンター。
登場は予期できたはずだった。本拠地には本拠地のハンターがいるだろうと勝手に思い込み、その存在をすっかり失念していた。これまでの出会いでエイジたちが死なずに済んだのは、殺すなとの命令が奴に下されていたからでしかない。
(撤退するわよ)
とミーユの早口の声が、通信で吹き込まれた。(エイジはロシアでもやられたって聞いたわ。このビル群は奴にとっちゃ武器ね)
レーダー反応。
剣、槍、鎌、ナイフ。
各々の兵装を所持した<GBN-ガードフレーム>が地上リフトからせり上がってくる。
(ミカヅキ、あいつらはまかせて)
「気を付けろよ」
と付け足し、ミカヅキは前進を開始し、ブースターで突き進む。通りにあるビル群はどれもシャッターが閉じているので、機体を捨てて逃げ込む術はない。このまま次の交差点を突っ切るしかないが、いまは何丁目のあたりだったか? ふと考え、標識を探そうとセンサーと機体の首を左右にめぐらせ、
「いた」
心臓が跳ね上がった。
背後を振り返る。
センサーに反応。
斜め後ろのビルの向こう、黒い影が見え隠れし、目で追った次の瞬間では忽然と姿を消す。距離はせいぜい50メートル、後方を警戒するミーユのすぐ傍らという位置だったが、彼女は肉薄されたことに気づいてもいない。
幻ではないという確証が得られず、ミカヅキはセンサーの範囲を広げて<モビルドール・アローン>の行方を追った。
一瞬、それらしい影がビルの影に移動するさまが見えたものの、センサーに反応した瞬間にはまた消えてしまった。
やはり、このビル群の中では勝ち目がない。敵の裏をかいたつもりが、むしろ術中にはまった我が身を痛感し、ミカヅキはモビルドールを走らせた。
交差点に近づくにつれ、次第に殺気の密度が増し、前進する速度を鈍らせてゆく。『第42丁目』の文字を標的に確かめ、ほとんど針のむしろと言っていい周囲の気配を注意深くセンサーで確認していくミカヅキは、自分の迂闊さに歯噛みした。
目抜き通りである42丁目には無用の長物である砲台が並んでおり、交差する5番街の道をせき止めてしまっている。結果、交差点まであと10メートルというところに複数のガードフレームらがいて、ミカヅキはその真っ只中で立ち往生する羽目となってしまったのだった。
迂闊だ。
引き返して41丁目の交差点を曲がる選択肢もあったものを、追われる者の審理で闇雲に前身してきてしまった。
ミカヅキは口中に舌打ちをした。
もう、進むも退くもできない。
傍らにはカメラ屋や宝石屋が入居するテナントビルがあるが、どの道もシャッターが下りていて閉鎖中。通りを挟んだ向こうはGBN公立図書館の白亜の建物で、歩道を面して公開空地がある分、機体から降りれば、モビルスーツの警備も多少は薄れると思うが、かと言ってまっすぐ突っ切ってガードフレームらに、取り押さえられない。
ここで取り押さえられて、機体を放棄するか?
いや、機体を捨てて生身で走れば物陰に隠れることもできるが、このまま無理に押し通ればそれこそあのモビルドールの手にかかってしまう。どだい、奴の所在はまったくつかめていないのに。
対して、<モビルドール・アローン>はどんなビルでも風のようにかいくぐり、死神のひと突きを加えることができる。
下手に突っ込めば最後。
身動きが取れなくなれば最後。
……近くにいるかもしれない。
どうにかしてこの、局面を乗り切らねばとミカヅキは強く思った。あのガードフレームたちを吹き散らし、この鉄の牢獄を抜け出すには――。
瞬間。
ミカヅキは閃いた。
自分でもすぐにはその思いつきを受け入れられず、ミカヅキは目前に立つビルを見た。
遮蔽物と呼ぶには、ビームライフルも防げないチャチなものだが、この役目なら任せられる。いや、これ以上の適任はいないと言っていい。この都市に建造物が生えているのは、この時のための天の配列だったのだ……多分。そう思い込み、他の考えは無視したミカヅキは、兵装を選択した。
自分でもバカだと思う。
だが、これしかできないんだ。
貧乏くじ……というのはこういうことを言うのか。エイジは、言葉の意味を知れというのはこういうことを言うのか……と感じた。
これから私の、私たちの策をする。
どうでるか、関係ない。
この近代しきった都市でも<GBN-ガードフレーム>が出す足がアスファルトを蹴り、響かせる。その音にいくばくかの理性を取り戻したのか、あの<ジェガン>はビーム・ライフルを取り出し、<GBN-ガードフレーム>に搭乗する部下たちを相手に立ちまわっていった。
ビーム・ライフルが放つ火線は宙に直線を描き、ハルバードを持っていた<GBN-ガードフレーム>へ。パイロットがハルバードの先端の平面で防いでからの展開は、ちょっとした見物だった。
入れ替わるように2番機のパイロットがすかさず前に出てビーム・ライフルで応戦すると、<ジェガン>のライフルは右手ごと溶けて、吹き飛んでいった。
事前に打ち合わせていたような連係プレーはさながら、バスケやバレーを知る選手のような動き、もしくは高い訓練をうけた部隊の動きといったところか。
思う間に別の<GBN-ガードフレーム>らの接近兵装を構え始め、体勢を低くする。
ブレイク・デカール事件以降、そういう講習が行き届いているのか、部下はもとより、治安維持部門のパイロットの対応もなかなか堂に入ったものに見えた。しかし、<ジェガン>・タイプ自体はまだ動けているようだった。
闘う意思。片腕を吹き飛ばされても、そんな感覚が見受けられる。
当然、こちらを倒そうと言う作戦ではない。部下たちをあのELダイバーにむけているだけの作戦だ。
部下たちを相手に奮闘する<ジェガン>を見、アローンは、42丁目の交差点を右折した<モビルドール・ミカヅキ>を追って、レバーを握って、<モビルドール・アローン>を走らせる。
あの<ジェガン>のかく乱策の威力はすさまじく、公立図書館近辺にいる守備隊の<GBN-ガードフレーム>に、全員動かない。彼らの影に隠れて移動するのは、非常に楽なことだった。
交差点に差し掛かるとそうはいかず、少しでも<ジェガン>にトドメをさそうと有象無象をかき分けねばならなかったが、ミカヅキから距離を見失う恐れはなかった。
あの<ジェガン>には、欺瞞しない。
モビルドールの体格、走り方はこの目に焼き付けてある。上空の支援ヘリと戦車の駆動音が次第に大きくなる一方、先に進むにつれ、警備は薄くなっていく。アローンは全力で、機体を走らせた。ブースターやスラスターは使えない。使ったら、センサーに引っかかるからだ。
全力で疾走する。42丁目を駆け抜ける。
こちらの通りは比較的薄い。どこかのビルで待ち構えられては、非情に厄介になる。見た目には日本の首都通りを駆け抜ける、<モビルドール・ミカヅキ>の背中をビル越しに捉え、少しずつ距離を縮めていきながら、
俺は正常に機能している。
呟く声を頭の片隅で聞き続けた。
この機体、<モビルドール・アローン>の調整は完全にこなしている。そのつもりでも体の違和感はまだ襲ってきた。
背中を突き破る手刀を取る動作。
それが身体に残る違和感の正体であり、亡霊は脳内にめぐる聖歌の歌声が引き金になって生み出された粘膜にすぎない。それとて異常と言えば十分に異常だが、
この五感も、
肉体も、
正常に機能している。
奴を削除するのは問題はないし、奴を削除すれば不調も回復するに違いない。
繰り返し念じ、念じるごとに上昇する腹の熱に突き上げられ、アローンは疲労を感じることなくビルの狭間をかけた。
と、マディソン街との交差点を抜けて間もなく、白い機体が駆け去る様子が視界に捉えられた。
マディソン街から交通封鎖ががされておらず、42丁目の4車線道路には守備隊の装甲車が走っている。ここまで来ると警備も目に見えて少なくなり始め、戦車から降りて息を整える者、装甲車を背にして電話をかける者がそこここに散見されるようになったが、アローンには関りのある話ではなかった。1ブロック先の変事に気づいたのかアローンは迷いなく左側の道路に入るよう、<モビルドール・アローン>を動かした。
<モビルドール・ミカヅキ>と判別できる背中だけを見据え、行く手にパーク街の高架がかかる42丁目の通りを全力で疾走する。
このまま500メートルも直進すれば議事堂にたどり着くも、機体を捨てて逃げ切るには距離がありすぎるし、わざわざ<GBN-ガードフレーム>らが配備されたところに戻れば身動きが取れなくなる。<ジェガン>と分かれ、左側のハイウェイを走る<モビルドール・ミカヅキ>の目的は明らかだった。彼方に突き立つクラインスラービルの尖塔を始め、10階以下の建物は見当たらない42丁目の通りにあって、それだけ背の低い石造りの建築物を際立たせるグランド・セントラル駅。
一見ではただの列車の駅とは思えないローマ神殿を彷彿とさせる古典主義風の建物こそ、ミカヅキが目指す場所に違いなく、あの<ジェガン>のパイロットが囮役を買って出たことは考えるまでもなかった。
機体を捨てて逃げようなどいう話ではない。
マンハッタンとニューヨーク市郊外を結ぶターミナルとして機能するグランド・セントラル駅は、地上に29のホームと46の発着番線を備える他、無数と言っていい数の店舗やレストランを内包する巨大な迷宮だ。いったん中に入ったら隠れ場所はいくらでもあるし、追跡を振り切って複数ある出入口からまた外に出ようものなら、単独で補足するのは至難の業となる。
幅40メートル近く、奥行きも100メートル近い敷地に5階分の高さの石造建築を構える駅舎は、中がほぼがらんどうにになっており、常識外れに大きい行動と言った体をなしている。
ふと脳裏によみがえったのは、あの男に連れられて見た教会の光景だった。
ステンドグラスごしには差し込む光が天井から降り注ぎ、磔にされた男の像を朧に照らし出す神の家。どうしてこんな天井が高いのかと問うと、〝神〟は我々よりずっと大きいからだとあの男は――。
また頭痛と吐き気がこみ上げてくる。ずきずきと脈動するこめかみを押さえ、アローンは駅の中をモビルドールのセンサーでスキャンを始めた。
日頃は意識の表層にも上がらない事々が、1日に2度も浮かび上がってくる。
これもあの男のもうひとつの故郷に足をつけているからかと考え、また意識を遊離されかけた自分にりつ然としつつ、駅の構内を素早く精査する。
本来この日、ならば、ここにはたくさんのダイバーがひしめきあっている。だが、今回の緊急事態で、警備の兵士ばかり。だが、それが僥倖だった。
これならばこの駅に逃げ込んでも走るミカヅキを見つけられる。
頭のなかの案内図によると、複数の連絡通路が交錯し、多数の店舗が立ち並ぶショッピングモールを形成する東側区画だが、コクピットモニターに呼び出した画像に見るとそれはスーパーの店内と表現したほうがふさわしい、陳列棚ひとつの出店が寄り集まる雑多な空間だった。ことに区画の中央を縦貫するグランド・セントラル・マーケットは、名前の通り生鮮食品や総菜、ケーキ店などが所せましと軒を並べており、日本で言うならデパート地下の食品売り場の印象が強い。本来、野菜や瓶詰の棚がせり出している棚は、がらんどうでおいていて、その周りを歩く兵士が画像をさまたげていて、アローンは腹の底の熱が圧を増すのを感じた。
あいつの移動するルートは、列車のホームに一直線に直線するようで――大回りをする。となれば、1本となりのグレイバー・パッセージから外に出ることも考えられる。確かめるには、機体から降りてミカヅキのあとを直接ついてゆくほかない、とコクピットハッチをあけるレバーに手をかけ、降りた胸部装甲の上に飛びだした瞬間だった。
その時にはもう遅いと感じた。
だが周囲にミカヅキのモビルドールの気配はない。ここは駅というルートを捨て別ルートへ向かったと見るのが正しい――と思った時だった。
腹の底の熱が臨界点に達し、これまでとまったく別の衝動が頭をもたげる。突き上げる感覚は同じでも、もっと軽やかで、全身の肌を浮きだたせずにはおかない感覚――害はなさそうだという判断のもと、アローンは1部体を委ねた。
ぞわぞわという肌を浮きだたせるものが体の奥から這い上がる。顔面の筋肉に電流を走らせる。唇の端が意志とは無関係に吊り上がる。
なるほど。笑うというのはこういうことか。
この腹の底でくすぶる熱。それはもっと黒々とした感情の萌芽だと思っていたのに。
こんな時に笑いがにじみ出るとは、
心とは。
つくづく複雑怪奇なものであるらしい……。
問題とは思えなかった。
むしろ体が軽くなったような錯覚にとらわれ、アローンはひとつ息を吐いた。
その時、ヘリの音、モビルスーツの駆動音、モニターにさまざまなつづられる報告の数々。それらがかききえ、レバーを握る手が知覚できるすべてのものになった。
邪魔が入ろうと、あのミカヅキを始末してみせる。
命ぜられたものではない。
そうしたいから、そうするのだ。
唇の歪みがより深くなっていく。
心臓が早鐘を打ち続ける。だが、まったく苦痛ではない。
脈動する。
頭を覆っていたもやが晴れ、目覚めてゆく感覚だけがある。
そう、俺は今感じている。
ミカヅキを憎み、憎むよう仕向けた男なる〝神〟を呪い、それでもミカヅキを始末したいと言う欲求が自分をあざ笑っている。
アローンは唐突に思い出した。
池の底に沈んだあいつが貸してくれた本の一冊だ……あれは、でも、たしかこんな一文があった。
修羅。
言葉はわからない。当時も今も感じているところがあるわけではないが、昏い激情に駆られながら表す術を知らず、自らを修羅と呼んだ男の心象は片鱗なりと理解できる気がする。
共感……あるいはそう呼ばれる類いのものかと思い、アローンははふと肌が粟立つのを感じた。
この男はどんな人生を歩んだのだろう。
あの子はなぜこの本を俺に貸してくれたのだろう。池の底に沈められる時、あいつは俺の目を見てなにをおもったのだろう。
体は相変わらず軽い。最高に目覚めている気分にも変わりはないが、粟立ったままの肌が奇妙にうすら寒い。さっき、福田の亡霊を見た時と似た感覚だと思い出した。
止まってはいけない。
振り向いてはいけない。
止まれば、この腹の底に生じたなにかに食い殺される。
振り向けば福田と、水にぬれたあの少女と対面する羽目になる。
どこに向かっているのか、追いかけているのか追われているのかも判然としなくなり、恐怖という言葉ひとつがアローンの胸中に固まった。しかし、すぐに怒りにかわった。
奴だ。
奴さえ始末しさえすればこの奇妙な感覚はなくなる。いまさらこれがなんになるというのだ。
すべてを打ち明け、か?
冗談ではない。
父なる〝神〟がなんの役に立つ。
俺を〝システム〟を守る機械にした男に自らの分身を恐れ、憐れみ、憎み遠ざけた男になにができる。俺は修羅だ、ひとりの修羅だ。
そうだ。
見つけ出して、機体から引きずり出して、喉首をかき切ればすべてが終わる。
どくどくと脈動する心臓が、下半身に猛然と血が送りこむのが感じられる。女は経験済みだし、自慰も知っているが、女の生理同様、溜まったものを排出するという以上の感動を見出したことはなかった。
いまは違う。
あの女をめちゃくちゃにしてやりたい。
未だかつてないという衝動は、かつて感じたことのない、脳天を突き抜けるような抗いがたさだった。
これもひとつの解決法には違いない。あの女を無茶苦茶に壊せば、腹の底の熱も落ち着く。いもしない亡霊に脅びやかされることもなく、元通りの自分に戻ることができる。
あるいは衝動に屈服した体が別の何かに生まれ変わるのかもしれなかったが、もうどうでもよかった。
俺は修羅だ。懺悔を知らないひとりの修羅だ。
脳裏のミカヅキの顔が、池の底にしずめたあいつの顔に重なりあってゆく。正体不明の劣情にかられ、まずはあの足を折ってやろうかと機体から飛び降りた瞬間、全身に衝撃が走った。
なんだ、これは? おれは何をしようとしていた? なんでこうなったのだ?
自問する間にも、後ろで鉄がひしゃげる音がして、宙を舞ったアローンは黒色にそまったアスファルトが近づき、風音が五感を圧倒した。
俺は修羅だ。何もかも手遅れだった、独りの――。