さまざまな紛争を終結させた有志連合を記念してGBNデーだが、一時は日付に関わりなく、10月は第4月曜日に移されたこともあった。連休にして祭りの規模をより大きくし、経済効果を上げようというのがその趣旨だったが、当の有志連合の一部はこれを反発。記念日の意味が失われると言う彼らの言い分に従い、GBNデーは毎年11月11日に差し戻されたものの、その結果は多くの企業は当日を休みとせず、記念日の存在感そのものが薄れることとなってしまった。感謝祭とクリスマスに挟まれた年末のこの時期、そうそう休んでもいられないというのが一般的なダイバーたちの本音だろう。
が、運営部の定めた祝日であるからには、ショッピングエリアなどの行楽エリアは商売に専心しているなのだが、現実世界でもプラモデルの販売に勤しんでいる店舗はシャッターが占められている。だが、世界のGBN支部は止まっておらず、営業運営に関係する部局は平素と変わらずに営業している。が、GBNデーに侵入してきた者たちのおかげで日頃数千人が勤務するGBNアメリカの一大ビルは、平常通りに数千人が勤務している賑やかさはある。その傾向は重役たちのオフィスがある高層階ほど強まっている。呂名英一の身柄をフェアチャイルドセンターに移したのは、マイケル・プログマンのいる高層階の警備が厳重であるからだ。
マイケルのオフィスがある48階も、例に漏れない。今日は秘書を休ませており、同じ重役の誰かが不意に訪ねてくることもなければ、メールや取次ぎの電話に煩わされることもない。くせ者ぞろいのアメリカ系スポンサーが休眠中とあっては、永琳組との戦況グラフも小幅なもので、戦況は少々こちらの優勢。ヲチカタ・コロニーの存在や永琳組との戦いと、このところ戦況更新を続けてきたなかでは微弱な変動といえたが、その数字に一喜一憂する声も今日は聞こえてこなかった。戦況の動きが少ない日は全体静かな気配が漂うのが常とはいえ、人けのなさが生み出す静寂はまた趣が異なる。昨日は月曜。本来ならば、休みをとって4連休にし、GBNのガンプラバトルを楽しんでいる社員も多いだろう。
自分だってそうしていたかもしれない――こんなことさえなかったら。
「あなたには失望しましたよ。呂名理事長」
午後3時52分、GBN運営部の議事堂スピーチ開始まで残り40分足らず。日本はまだ午前6時前という頃合いだが、かまうつもりはなかった。私財までなげうって事を支援してきた男が、いまこの時に寝ていられる心境であろうはずがない。金家たちと示し合わせていなくとも、普通に報道に戸惑う素振りもなく、2コール目を待たずに電話に出た呂名信彦に、マイケルはまずは居丈高なひと声を吹きかけた。呂名は息遣いさえ感じされず、沈黙を返事にする。
「あなたの行為に対してではありませんよ。わたしにも子供はいる。同じ立場に立たされたら、同じことをしないという保証はない。わたしを失望させたのは、あなたの節操のない変わりようだ。なぜです? 25年前にはご長男を見殺しにしたあなたが、いまになってこんなことを? 1人目は堪えられたが、2人目は堪えられなかったとでも? だとしたら、呂名正彦くんは気の毒だ。父親の良心を目覚めさせるために、身を犠牲にしなければならなかったんですからね。それも十何年もかかって」
無言のままでも、じっと堪え忍ぶ呂名の気配がが電話越しに伝わってくる。さすがに口が汚れる思いだったが、この程度の雑言を予測していなかったとは言わせない。これまで雲隠れを決め込んでいたくせに、このタイミングで携帯電話の電源を入れた〝財団〟理事長のことだ。位置を確認されるのを承知でそうしたのは、腹をくくったからではあるまい。もうこちらにはなにもできないと踏んだからこそ、彼は己の所在を明かす気になった。ハンターから探知の一報が入った時には半信半疑だったが、この手強い沈黙はもはや疑いようがなかった。
呂名は、自分をあざ笑うために携帯の電源を入れたのだ。
金家たち――エイジたちの議事堂到着を阻止する試みはことごとく失敗し、アローンも連絡を絶って1時間以上が経つ。マイケルの耳に届くのは、市内各所で暴れるモビルスーツの騒動の対応に追われる警備やら兵士やら。鼻薬が切れて吠えたてる番犬の声ばかりで、この不手際はこのニューヨークエリアを住処とするフェアチャイルド経営陣の耳にもいずれ入る。
笑われて当然の立場に違いなかったが、まだ終わりではない。金家たちにはもちろん、呂名にも想像のつかない次元で事態を収める方策が、まだこの手には残っている。ともすれば気圧されそうな自分に言い聞かせ、マイケルは携帯電話を握りなおした。本革張りの椅子に背中を預け、「これでも、わたしはあなたを尊敬していたんです」と抑制した声を吹きこむ。
「グローバル化の波に、国富目的を終えた『A金貨』を国際資金に育て上げた。正彦くんのことがあれば、動機はひと筋縄ではなかったでしょう。だがあなたは、それをビジネスとしてやり遂げた。憎むべき〝システム〟に屈服したように見せかけて、自らの支配下に置いたんだ。そう、〝ルール〟はそれ単体ではなにもできない。コミットする人間の欲があって初めて機能する。その特性を知っていたあなたは、だから支配する側に立つことで復讐を遂げた。強靭な意思の為せる業だ。〝システム〟は変えられない、人が人である限り変えようがない。その真理がわかっている賢者の選択ですよ。このままではこちらの出る幕がなくなってしまうと、新体制発足の際にはいろいろ口出しさせてもらいましたがね。ともに『A金貨』の在り方を変えてゆくなかで、あなたから学んだことは多い。あなたがどう思おうと、あなたはわたしの導師だった。無為な感情で呂名哲郎の計略を看過した祖父や外様の地位に甘んじ続けた父より、よほど……ある意味で、あなたはわたしの父でもあった」
沈黙に微かなふり幅が入り混じり、小さく息を呑んだ呂名の気配を伝えた。自身、思いも寄らぬ言葉に動揺しながら、マイケルは乱暴に前髪をかきあげた。椅子をめぐらせ、そろそろ夕景に染まりつつあるマンハッタンの街並みを視界にいれる。十分に間を取った甲斐もなく、「いかがです、3人目の息子を谷底に突き落としたご気分は?」と続けた声は、語尾が無様に震えて聞こえた。
「代わりに英一くんが助かると思っているなら、あなたらしからぬ認識の甘さだ。わたしひとり失脚したところで、事態が好転するなどあり得ない。わたし以上に、フェアチャイルド財閥がこの事態を不快に思っているからです。それはアメリカの、西側諸国すべてのGBNが不快に思っているというのと同義です。
今後、GBN日本がどんなハンデを背負いこむことになるか、考えると胸が痛む。海外のスポンサー企業はことごとく不利益を被り、国内を還流する海外資金は一斉に引き揚げられる。この上、このGBNが暴落することになったら、ガンプラというまやかしが露見したあなたのお国はどうなるでしょうね。このゲームの経済だけじゃない。沖縄の基地問題やTPP、GBNでなくとも日米関係を危うくする火種はいくらでも転がっている。アジア外交が最悪のレベルに落ち込んでいるときに、日米同盟に亀裂が入ろうものなら本当に悲劇だ。対中戦略において、日本という前線基地を失うのは合衆国にとっても痛手ですから、日本が引き受けるデメリットはその比じゃない。彼らが調子づいたら、今度はガンプラの高度な技術など取られることなど造作もないですよ。引き揚げられた欧米スポンサー資金のかわりに中国資金が流れ込んで、日本のGBNなんてあっと言う間に骨抜きだ。いたずらに世界大戦を引き起こすほど、彼らも愚かではないでしょうがね。レイプか合意かの危うい境界線を保ったうえでなら、国が国を侵略する事態は起こりうる。ガンプラバトルによる代理戦争ではない、本物の戦争がね」
辛うじて聞き取れる息使いを唯一の反応にして、呂名は沈黙を通し続ける。あるいは、この言葉も録音されて交渉材料に利用されるか? ふと考えたマイケルは、どうでもいいと一笑にした。それが公表される時には、自分はフェアチャイルド財閥との縁は切られたうえにこの世からいなくなっている。精神錯乱に陥った元重役がなにを離したところで、誰の腹も痛みはしない。陰謀マニアのネット住民にネタを提供するだけのことだ。
「おわかりですか? あなたたちはその引き金を引く。『A金貨』というシステムを造り、自ら反故にした呂名一族のせいで、日本のGBNはリセットされるんだ。あの貧国のELダイバーの女が議事堂でなにを喋ろうと状況は変わらない。もう我々が手出しする必要すらないんですよ。かつてのあなたがそうしたように、賢者たちは言われずとも最善の判断を下す。いくつもの起こった紛争の顛末を知るあなたにはわかっているはずだ。自国のオンラインゲームの汚れを叩いただけで、我々は日本政府になにをどうしろとはひと言も言わなかった。すべては日本の下した決断、あなたの父親たちが進んでやってみせたハラキリだ。マスダイバーとの戦いも、呂名博司ら関係者の事故死も」
弟の名を聞かされるのは、さすがに予想外であったものか。電話の向こうの気配が凍りつき、しんと空気を冷えさせるのを感じたマイケルは、「あなたは父親とは違う」と一段低くした声を重ねた。
「もっと賢明で、もっと多くの選択肢を持っている。誰にとっても不利益な未来を避けたいなら、今からでもミカヅキというELダイバーの登壇を中止させることです。そうすればお互い交渉の席に着ける。〝システム〟上、英一くんをそのままお返しすることはできなくとも、名を変えて新たな人生を生きてもらうことはできるかもしれない。このままでは、わたしという個人と刺し違えるだけのことだ。誰も救えないし、ましてフェアチャイルドを倒すなど――」
(勘違いなされているようだ)
ばっさり斬って捨てる声音が電話口からあふれ出し、鼓膜に絡みついた。マイケルは我知らず机の方に向き直り、久々に聞く呂名信彦の声を全身で受け止めた。
(わたしにも彼らを止める手立てはない。もう誰にも止められんのです。『A金貨』……『アファーマティブ・システム』そのものが自らの変革を望み、彼らを使って表に出ようとしているのだから)
「なにを言って――」
(息子たちが口にしていることは、実は愚かしい。自らは金に困るという経験したことがない者の、まるで生活実感の伴わない言葉だ)
皆まで言わせず、今度は自らを斬って捨てる声音が電話口からこぼれ出す。振り上げた拳の落としどころを見失い、マイケルはなにも映していない目を左右に泳がせた。
(だが、GBNに、先進国に住むほとんどの者が知っている。世界の富の9割以上が、総人口のわずか1パーセントでしかない富者の手に握られていることを。VRオンラインゲームの利用人口が30億人を突破する一方で、42億人のELダイバーがこの世界を知らない事実を。これも愚かなことだ。〝システム〟が制度化してしまった愚かさ、この十数年で頂点に達した愚かさだ。かつて〝システム〟は、富と領土を武力で奪い合う暗黒時代から、人類の愚かさから抜け出すために制定された。いま、それが新たな愚かさを世界中に押し広げているなら、更新の時だ。〝システム〟が欲望を制度化したように、増殖本能に憑りつかれた資金に手綱をつけてやらねばならん。壊して1から始める必要はない。ただ、時流にあわせて進化させてやればいい。そのきっかけは、きっと愚かな夢から始まる。あの紙切れ1枚に金塊の価値を代替えさせるというような、それまでの常識とは相いれない愚かな夢から……)
厳とした、しかし穏やかな声が耳からしみ通り、寝不足と苛立ちで毛羽立った心身をなだめるように伝播してゆく。迷いのない、しがらみを振り切った者の狡さとしたたかさを感じさせる声音。まるで子に物の道理を説く父親のような……と思い、その感じ方を嫌ったマイケルは「愚かなのは、それが多くの犠牲を強いる夢だからだ」と語気強く返した。
「今度は呂名一族が血を流すだけでは済まない。すべての日本人ダイバーが血を流し、その未来を犠牲にすることになる。あなた方の愚かな夢の代償に、だ。つくづく失望させてくれますね、呂名理事長。結局、あなたも呂名一族の人間でしかなかった。ただ勇気がないから、いままで猫を被っていたというわけだ。それが勝ち目が見えた途端、虎の威を借りて噛みついてくるとは、まったく厚顔無恥としか言いようがない。今更そんな変節が許されると――」
(3週間だ)
議論を断ち切る声が電話口から発せられ、マイケルは先の言葉を呑み込んだ。
(木城深雪は、3週間経ったら金家を〝対策室〟に引き渡すと言った。あなた方の取り決めに従い、〝対策室〟は要請があれば彼の身柄をフェアチャイルドに渡す。無論、正規の法にしたがったものではないが、GBN日本としては、それで当面の責務は果たしたことになる。わたしの記憶が確かなら、今日がその期限ではなかったかな?)
「……そんな理屈が通るとお思いか? 3週間の猶予を逆手にとって、〝対策室〟が金家と木城に加担していた事実は明らかだ」
(確かに。だが、通るか通らぬかを決めるのは君でもわたしでもない。合衆国政府の外交筋だ。あるいは、この期に及んでも姿を見せず、君ひとりに責を被せて知らん顔をしている者たち……フェアチャイルド本家の人々か)
携帯を握る手が不快に汗ばみ、痛烈な一撃を喰らった腹にじわりと胃液が滲んだ。失念とまではいかなくとも、3週間の引き渡し期限は完全に意識の外にしていた。議事堂への登壇が最終目的と判ぜられた以上、もうGBN日本との密約ではないと思っていたからだが、金家たちはそれも計算に入れて今日という日にニューヨークに乗り込んできたのだろう。今日中に金家の身柄が引き渡されれば、少なくとも〝対策室〟としてはGBNアメリカに仁義を通したことになり、日本政府を外交的に締め上げる理由はなくなる。ELダイバーの将来を質に、いや日本の将来を背を質に、ミカヅキの登壇を阻止する手は無効になるというわけだ。3週間の期限を承伏してしまったばかりに――。
この致命的なミスは、遠からずフェアチャイルド本家の面々の知るところになり、彼らの自分に対する評価と処分を決定づけることになる。(彼らが〝システム〟を重んじるように、我々も約束は守る)と続いた呂名の声を、マイケルは血の色を想起させる赤い夕陽の中で聞いた。
(君も一族の一員を自任するなら、私情を慎んで最善の行動を選び取ることだ)
「ありがたい忠告だ……。それを言うために、携帯の電源を入れたのですか? ご自分の命を危険にさらしてまで」
(最後に生き残るのは、強い者でも賢い者でもない。ただ、変わることを恐れぬ者たちだ。我々は頑迷に過ぎた。もう、彼らに任せてみてもいいのではないかな。ひとつの〝システム〟で括れるほど、この世界はちっぽけなものではないのだから)
反論の言葉を見失ったマイケルにかまわず、呂名は静かに続ける。(日本の父からアメリカの息子へ、これが最初で最後の通告です。賢明な対応を為されることを)
電話は切れた。すぐに通話ボタンを切ることを思いつかず、マイケルは携帯をゆっくりと耳から離した。日本の父から……と口中にくり返し、苦笑しようとして果たせずに唇をかむ。と、見計らったかのように机上の電話が鳴り出し、オンフックボタンを押すや否や(位置が割れました)と男の声が流れた。
「……放っておけ」
(は?)
「同じことを言わせるな!」
叩きつけるようにオンフックのボタンを押し、電話を切る。刹那、座っているのも億劫なほどの疲労が肩にのしかかり、マイケルは切ったばかりの電話に再び手を伸ばした。
コーヒーを頼もうとした。だが、秘書が不在だった。ため息をとともに窓の方に椅子をめぐらせる。
夕陽の色は濃い。
マイケルは携帯式のダイバーギアを頭につけ、起動させた。
それぞれ長い影を落とす摩天楼群を亡霊のように際立たせて、これから始まる夜の暗さと深さを想像させた。
ダイブしたマイケルの体は1ドットも間違いのなく、再現されていた。そこにはマイケルが搭乗するモビルスーツのコクピットが主を待つがごとく開かれていた。
……<ターンX>。
ターンタイプと呼ばれた大柄な肢体に武器を積んだバックパックを背負った大型モビルスーツ。胸部につけられたバツ印が特徴的であったが、それがこの機体の傷跡……マイケルにはそうには見えなかった。
『エックス』という単語は反転しても『エックス』、それは不変を意味し、それはフェアチャイルドの歩む道が変わらないということを示しているのではないか? だがこいつは、所詮、造形師に作らせた作品。自分の手で作ったわけではない。ただの作品に過ぎない。
マイケルは考える。いつから、私は自分の手でガンプラを作らなくなったのか……。
日本人のモビルスーツが大立ち回りをしたらしい5番街の通りは、この地下ハンガーから見えない。まだ詳細がわからないが。日本人を名乗る東洋人のダイバーが引き起こしたとの一報を信じるなら、金家……エイジたちの一味がしでかしたことと考えるのが自然だろう。じきに午後4時、数々の奇策でハンターを出し抜いた彼らは、もう議事堂の控室に入っている頃合いか。
ハンガーの一画では音を消したテレビがニュースを垂れ流し、議事堂の様子を生中継しているはずだが、見て何がわかるというものではない。振り返って画面を目に入れる気にもならず、マイケルは暮色に染まるミッドタウンを見つめ続けた。
最後に生き残るのは、変わることを恐れぬ者――耳にこびりついた言葉を反すうし、ふと泣き出したいような激情に駆られて、噛み合わせた奥歯がぎりと軋む音を聞いた。
言われるまでもない。絶えず変化する環境に適応できなければ、この世界ではあっという間に凋落する。IT革命にグローバリズム、さらにはブレイク・デカール以来の激動を社会の中核で受け止めてきた自分たちの世代は、他の世代以上にそのことを熟知している。
子供の頃に仰ぎ見ていた大人たちの振る舞い、社会理念はなにひとつ通用せず、5分置きにディスプレイをチェックせねば自分たちの知る世界の存続にすら確信が持てない。ブレイク・デカール事件下、GBNでの全面戦争を世界ぐるみで不安視していた頃とは質の異なる、油断すると自分だけが取りこぼされてしまいそうな強迫観念は、単に情報の伝達と拡散が速まった結果ではないだろう。GBNという世界の環境を含め、人類、そしてELダイバーたちの社会は明らかに過渡期に差し掛かっており、自分たちの世代は境界を生きることをあらかじめ宿命づけられてきた。変革の予兆にすら気づかない上の世代と、過渡期を常態にして育った下の世代に挟まれ、効率化に次ぐ効率化で己の食い扶持を、成長によってのみ維持される新世代の社会の〝システム〟に取り繕ってこなければならなかったのだ。
チャンスと捉える向きもあったろう。実際、自分たちの世代には、過渡期を先導して巨万の富を築いた者も多くいる。が、その中核はマイケルたちよりひとつ上の世代であり、彼らにしても先行きのビジョンは持ち合わせていない。続く世代に適用可能な教訓も戦訓もなく、つまるところ過渡期に移り始めの世相にうまく乗った者でしかなかった。その自覚があるがゆえに、彼らは貪欲に資産の拡充を求め、刹那、金を中心とした主義を加速させる。
科学技術への恣意的な支援。
唯一の企業への支援。
この世界から一滴まで残らず、金を搾り取ろうとする。
呂名が金の暴走を招きはしたが、それがなんだというのだ?
なにもしなければ、このGBNはもっと早くに行き詰まっていた。
先はない、恩恵はないと知りながら、数字だけの金を増やし、効率化という名目で人からも企業からも余裕を奪い去った我々がいたからこそ、このGBNは辛うじて回ってきたのだ。だからダイバーとELダイバーとの貧富の差が格差したのだという批判には、それも効率化の結果論だと答えさせてもらおう。
ブレイク・デカール事件のあと、ELダイバーはあまりにも増えすぎた。その全員を養う余裕は、現在の世界には端からない。不要な人種は捨て、全体の収益を向上させる。企業というミクロで実践されたことが、国家や世界というマクロに広がっていくのは当然のことではないか?
その切り捨てられた者たちにチャンスを与え、格差の凹凸をならさんとする共生社会――『アファーマティブ・システム』によって実行される新しい〝システム〟。事がこうなる前に行動を起こし、命を代償にした者たちはいい。英一のような後発世代が挑みかかってくるのはまだ許せる。だが、古い〝システム〟の恩恵を十二分に受けた世代、世界をこうしてしまった呂名信彦の世代が変節するのは許せない。自分と同世代でありながら、家族も責任も持たず、寄生虫のごとき生き方をしてきた金家何某にしても然りだ。
これまでなにもしてこなかった連中が、どの口で他人を批判できる。
過ちに気が付いた?
節操なく変われる者が最後に生き残る?
結構なことだ。だが誰もが自分の望む生き方をしていたら、この世界は収拾がつかなくなる。そういう無責任な感情、エゴを規制するために〝システム〟はある。
それは2000年以上も前に紡がれた人類の知恵であり、〝神〟なき世界を統べるたったひとつの法だった。呂名の暴走も、格差の拡大も、増えすぎたELダイバーの人口に対する調整局面であって、〝システム〟自体の欠陥を示すものではない。変わるべきは、その中で生きるしかないダイバーたちの性だ。苛酷な調整局面において、旧来のヒューマニズムは必要な行動をためらわせる枷にしかならない。
生きることは終わりなき適応の連続だ。
この四半世紀で、我々は少しずつ変わってきた。社会的責任を終わらせた一個人として、〝システム〟の番人となることを宿命づけられた者として、変わってこざるを得なかった。
同じ立場にあったはずのあなたが、なぜ今更反旗を翻す?
これまでの自分は自分ではなかった。
目が醒めたからそうするのだと言うのであれば、頑固に変わろうとしないのはあなたの方だ。古いヒューマニズムに縛られ、変わりゆく世界の中で頑迷に感情を叫び、我が望む我であろうとする。変化に対応できず、淘汰されつつあるのはあなたたちの方だ。
あるいは……これが20年前に起こっていたことなら、〝日本の父〟が正彦の死を契機に行動を起こしていたのなら、自分にもいまとは異なる変化があったのだろうか。その問いかけが思考の奔流の中に突きたち、マイケルは己の弱さを嗤った。
なんであれ、あと数時間で失われるかもしれない椅子に替わり、コクピットシートに深々と見を沈め、モニターを起動する。不気味なほど赤い夕焼けが光っていた。
これまで数えきれないほど見てきた光景なのに、この赤さと昏さはどうしたことか。まるで世界が燃えているようではないか。
それもいい、とマイケルは思った。
もっと燃えろ。
何もかも燃えてしまえばいい。
焼き尽くされた灰になればその魂もその存在もなくし――。
出し抜けに鳴り響いた通信機のブザーが、先の言葉を霧散させた。ディスプレイを表示させ、番号の表示を見て、【A】の一文字を確かめたマイケルは、一にも二にもなく、それを耳に当てた。
いっさいの連絡を途絶えてから、1時間以上になる。GPS搭載の無線機も捨て去ってしまったらしく、行動を共にしていたハンターたちも消息はつかみようがないと言っていた。単独でターゲットを追ったのだろう彼が、いまこのタイミングで連絡をしてくる。期待と不安が半々の心境で「アローン、どこにいる」とマイケルは語気荒く吹き込んだ。すぐに応答が返ってきて、その応答が返ってきて、その思いも寄らぬ声音につかのま頭が真っ白になった。
おまえは……と出しかけた声が口の中で溶け、敗北の苦みに転じてゆく。事がそのように動いたと理解するまでに、電話の相手は一方的に喋り続け、マイケルは無意識に目を閉じた。
瞼の裏に馴染みのハンターの面影がゆらりと浮かび上がり、彼らしからぬ何か言いたげな視線をこちらに向ける。
いまさらなんだ、もう遅い。
変調の兆しはあったマシーンの目にそう言い、予想外の喪失感に蓋をしてから、瞼を押し開けて現実の光景に入れる。その間に電話の相手はひと通りの要求を伝え終え、「……いいだろう」というひと声がマイケルの口についで出ていた。
「部隊は引き下がらせる。私は単独で出迎えよう」
了承の言葉を告げて、電話は切れた。ひとつ息を吐き出し、マイケルは通信機を切った。コクピットシートから立ち上がり、モニターに映る夕焼けに染まったミッドタウンを今一度見つめる。燃えるような赤はだんだんと鳴りを潜め、群青色の薄闇が東の空から張り出しつつあった。
世界は燃えてなくなりはしない。去るべきは去り、来るべきは来るのみだと教えるがごとく。
時刻は午後4時12分。
今、通信してきた相手が無事であるからには、ミカヅキの議事堂到着はもはや疑いようはない。
これから壮大な茶番が始まるというわけだ。彼らの試みの顛末を世界中に知らしめる、陳腐で胸くその悪い茶番が――。
マイケルは、コクピットのレバーに手をかけ、「<ターンX>を起動させる。マイケル・プログマン、出るぞ」と外部スピーカーのスイッチを押して、呟いた。
これから始まるのも、茶番でしかない。
そう、ガンプラバトルという名の茶番なのだ。