議事堂は、世界に点在する有志連合を結成した記念として建立された。現在、GBNの世界でもっとも広範囲かつ、ダイバーとELダイバー間のしがらみを調停し得る最大の権力機関に違いないが、議事堂憲章に記された存在目的を十全に実現しているとは言い難い。
問題の筆頭は、主要機関のひとつであるGBN間における安全保障理事会の在り方だろう。
安保理は、アメリカと日本を含めた6つの常任理事国と10の非常任理事国からなるが、常任理事国の席は、日本、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアという大国に占められ、実質事項はこの5か国の承認なくしては決められない。GBN憲章に抵触する事態する事態――GBNの平和を見出し、人権が蹂躙される事態――を前にしても、この5カ国のうちの一国がノーと言えば、有志連合であってもなにもできないのだ。
現在でも各地の紛争にはこの五大国が、なんらかの形で関与できているのから、事実上、議事堂は国際平和の維持に貢献できていない。
規制でがんじがらめにされた議事堂平和維持軍は張り子の虎に等しく、目の前で起こっているELダイバーの虐殺を看過した事例は枚挙に暇がないし、ミカヅキも故郷でその無力の証明を耳にしたことがあった。
ブレイク・デカール事件終結後まもなく、ヲチカタ・コロニー内で最初に起こったマスダイバーによるELダイバーの虐殺において、議事堂はまず平和維持軍を派遣し、次いで停戦監視団を送りこんできたが、非武装の監視団は、一方のフォースが停戦合意を破棄するや否や、停戦ラインに取り残された住民を見捨てて真っ先に撤退した。
その後、あらためて平和維持軍が派遣されたのは停戦ラインにいたELダイバーたちが女子供も含めて虐殺されたあとだったという。
危なくなったら連中はいち早く逃げ支度するから……。
ヲチカタの村々に伝わる笑えない冗談だ。
派遣が採決されても、平和維持軍を任ぜられても各国のフォースは指揮権を手放そうとせず、しばしば機能不全を起こす。あてがわれる紛争に常任理事国の利権が絡む場合は、拒否権の発動でそもそも派遣することもできない。そういうシステム上への不公平への対策として、議事総務長と総会議場は常任理事国以外から選出されるのが決まりだが、彼らとて大国の思惑と完全には無縁ではいられない。
21人が選出される議事会副議長のうち、5人は安保理常任理事国の選出で埋められ、結局は政治的な駆け引きで採決が左右されるというのがひとつ。
総会自体、議事堂に5つある機関のひとつにすぎず、そこでの議決は勧告に留まり、強制権はないという問題がひとつ。
これらを改善すべく、歴代の事務総長が改革に当たってきたが、平和維持活動の肝である強制執行権の不採択を始め、いまだ抜本的な解決には至っていない。それでも議事堂のGBNにおいて唯一無二の国際組織であり、その加盟国が参加する総会がその代表的機関である事実に変わりはない。そこではフォースの大小に関わりなく、すべての加盟国に平等な一票が付与される。加盟国の代表が等分にその運営を司る、世界規模の仮想国会。
そこには政党も派閥も存在しない。
それゆえに何も決められない無力な寄り合い所帯――そこに行け、とエイジが言い出したのは、〝A〟が連れ去られて3日が過ぎた頃だった。
さすがに開いた口がふさがらなかった。エイジ……金家には驚かされることが多いが、その突拍子もなさはそれまでで最大のものだったろう。ヲチカタで福田から会話記録を受け取ったあと、まる1日行方をくらませていたエイジは、その場で英一救出のプランを練り、議事堂というアイデアを思い付いたらしい。
計画表も紙にびっしり書き込んでいて、そこには深雪を味方につけたのを手始めに、松音を仲介役とする永琳組の取り込み、ヲチカタ・コロニーの保護権の展開と、最終的に議事堂を動かす道筋が汚い字で書きつづられていた。
『今さら議事堂でもねぇだろって気分はわかる。特にヲチカタみたいなコロニーで育ったおまえには、連中の人道的支援ってやつの胡散臭さが肌身でわかっているんだろう。でもな、おまえの言葉には力がある。〝A〟がおまえの中に身出した才能は、優秀な兵隊やビジネスマンになれるなんて程度のものじゃない。もっとでかいもんだ。その言葉と行動で世の中を動かすようななにかなんだ。それを利用しない手はない。本とかブログとかじゃだめだ。お前自身が、お前の言葉で喋らなきゃ意味がねぇんだ。それをするのに、議事堂って舞台は最適だ。心配すんな、そこに行くまでしつらえはなんとかしてやる。おまえの国から世界中に伝えろ。真実を……「アファーマティブ・システム」の理想ってやつを』
まったく自信がないというのが為らざる心境だった。確かにこの10年間、学んだことはことは多いが、人前で、それも議事堂の演壇で話せるほどの器量が自分にあるとは思えない。
あれから1か月あまり、現実に議事堂の演壇を目前にしても、その思いは変わらず――議事堂職員に先導され、無数の照明光が降り注ぐ総会議場の舞台に歩み出たミカヅキはそのまま踵を返して逃げ出したい衝動に駆られた。
無論、それはできない。
エイジやミーユたちの想い、身を挺して自分をかばってくれた仲間のヲチカタのELダイバーの想いに応えるためにも……いや、それ以前に、自分ひとりに注がれた数百の視線が逃げることを許さない。
普通の劇場と違って、ここでは客席の証明が落とされることなく、聴衆の顔がはっきり見える。国々の国名を印したプレートのうしろで、各国の代表フォースたちが鵜の目鷹の目でこちらを調子しているのがわかる。
彼らのみならず、舞台上の議長席に収まる議事堂総務長も、総議会長も。舞台両袖の壁に穿たれたガラス窓の奥、スピーチを各国語に翻訳する通訳たちまでもが、特別な興味を抱いてヲチカタ代表に注目する空気が感じ取れる。
ここで無様をさらせば、〝A〟を救い出す計画は水泡と帰す。ヲチカタは世界中の笑いものになり、さんざん叩かれた末に誰も見向きもしなくなる。
腹に力をこめ、ミカヅキはひどく遠く感じられる演壇へ歩を進めた。
頭上に設置された2面の巨大スクリーン、
緊迫の壁に掲げられた議事堂の紋章――平和のシンボルであるオリーブのリーフが取り囲む地球のあの紋章。
舞台のしつらえは、ネットで何度となく見た過去のスピーチ画像のものとかわりなく、イメージトレーニングで日々想像してきた光景とも大差ない。違うのは議長席の事務総長と総会議長、副議長代表の3人がそろってこちらに注目していることで、ミカヅキは議長席に差し掛かったところでいったん足を止めると、一礼をした。
ぎりぎりと到着になってしまったので、事務総長たちとはこれが初めての対面になる。向かって右に座る浅黒い肌の男がグエン事務総長、中央に収まるのがスウェーデン出身のバーリストレーム総会議長で、左端の副議長は……くそ、忘れた。
大国出身でないことは確かだが、あれほど入念に調べたことが記憶から抜け落ちてしまうとは。
落ち着け。
そう胸中に念じ、挨拶を解いたミカヅキは、壇上の事務総長らがこちらを見ていないことに気づいた。2人とも聴衆の方に顔を向け戸惑ったような表情を浮かべている。彼らの視線を追い、鈴なりに並ぶ各国ダイバーに並ぶ目を向けたミカヅキは、その時によってようやく議場を包む異様な空気を感じ取った。
拍手の数が極端に少ない。
先刻、ナミビアの代表フォースがスピーチを終えた時には、ほぼ満場の拍手が聞こえてきたのに、いま手を打ち鳴らしている者は、全体の4分の1にも満たない。その中のひとり、最前列に着く僻地フォースの代表も、隣に並ぶホンジュラス代表も、静まり返った周囲の様子に困惑しきりという顔だった。次第に拍手を弱めるホンジュラス代表の隣で、ハンガリーの代表は机に置いた手を動かそうとしない。アイスランドの代表フォースも、インドの代表フォースも、それぞれのダイバーとともに冷たい視線をこちらに注ぐのみだ。
議事堂の席順は、固定側ではない。毎年、加盟国によるくじ引きでその年の序列第1位となる国が抽出され、その国を起点するアルファベット順で座席割で確定される。
今年はハイチ。
インドの隣にはインドネシア、イラン、イラク、アイルランドと続き、2列挟んだ先にはジャマイカとヨルダンに挟まれて日本代表の姿がある。両側の代表が不審げに左右を見回し、いのまにも消え入りそうな拍手をするのをよそに、日本のフォースも彫像のように凝り固まっていた。見渡せば、拍手をしているのはいずれも小国。それも発展途上の代表ばかりで、大国や、大国との関係が深い国々の代表はいずれも押し黙り、それぞれの国名のプレートのうしろでじっと動かずにいるのだった。イギリスも、ドイツも、中国も、フランスも、もちろんアメリカ合衆国も。誰もが少し決まり悪げな様子で唇を引き結び、さも居心地の悪そうに時おり目を泳がせながら。
どだい、まともな経緯でここに立っている身ではない。素性も知らないELダイバーが1匹、議事堂の舞台に立ったからと言って温かく迎えられる道理もないが、それにしても作為手はと思える議場に空気だった。ひやりとしたものを感じつつ、ミカヅキは演壇に立ち、数百の死線を一身に受け止めた。スピーチ原稿を準備した職員がそそくさと立ち去るのを待ってから、今いちど、挨拶をして、天を仰いでいた。
目を閉じ、星のように降り注ぐ満天の証明をまぶたの向こうに見つめる。
この瞬間のためにすべてがあった。
これからの数分間ですべてが決まる。
ひとつ息を吸い、吐いてからミカヅキは各国フォース代表と向き合った。
まずは総会議長と事務総長に、スピーチの機会を与えてもらったことの謝辞を。
次いでそのために奔走してもらったGBN代表部への感謝を。ろくに見えていない壇上のメモを一瞥し、口を開きかけた刹那、議場の空気がざわと揺れた。
椅子を引く音を大きく響かせて、アメリカのフォース代表が急に席を立つ。メンバーたちもそれに倣い、彼らは足早に出口の方へ歩き去ってゆく。ついで、ロシアの代表が席を蹴り、議場のそこここで代表たちが一斉に立ち上がり始めた。ロシアが、中国が、イギリスやフランスが。最前席に着くインドやアイスランドの代表たちも無言で席を立ち、演壇を一瞥だにせず背を向ける。
出すべき一声が口の中で霧散し、ミカヅキは壇上で棒立ちになった。
席を立った者たちは列をなし、互いに目を合わせることなく出口へと向かう。取り残された後発のフォース代表らが顔を見合わせ、ざわざわと私語を交わすのをよそに、誰もがひと言も喋ることなく、そうするのが事前の取り決めであったのごとく、議場の4分の3を占めていた人々が出口を目指し、無数の足音を高い天井を反響させる――。
満席だった議場が、みるみる空席だらけになってゆく。グエン事務総長はいよいよ戸惑いを露にし、傍らの総会議長になにごとか話しかけたようだが、各国のフォース代表が退場するのを制止する権限は彼らにもない。
否定。拒絶。
冷たく簡素な言葉が無数の背中から滲み出し、その壁のような圧力にミカヅキは体をよろめかせた。演壇に手をつき、なんとかその場に踏みとどまりながら、小刻みに震え始めた手のひらをきつく握りしめた。
やられた。
なにに、とは考えられないまま、腹の底から発した冷気が指先にまで伝播するのをなすすべなく知覚する。退出の列は留まることを知らず、複数のドアが開け放たれる音が議場内に響きわたった。
一斉に席を離れる各国代表者たちと、壇上に取り残される僻地の国のオブザーバー。ブラックなコメディショーのような一幕を最後まで見届けることは叶わなかった。退出が始まって間もなく、不意に中継画面が右上に縮小し、代わりに大写しになったのはスタジオのアナウンサーが喋り始めたからだった。
(中継の途中ですが、ここでたった今入ってきたニュースをお伝えします。さきほど開催されたGBN運営委員会において、支援金融和対策に関する新たなガイドラインを――)
画面の片隅にワイプした中継画像を尻目に、アジア系のダイバーが淡々と告げる。
すべて予定通り。
運営委員会の発表は確かに重大なトピックだが、このタイミングでのリリースになったのは事前の手回しの結果だ。
ニュースはニュースで殺せ。
そう言ったのは、エドモンド祖父だったか。自ずと浮き上がってきた笑みを口もとに刻み、マイケルはスクリーンの反射光を浴びる<ガンダム>の――ダイバーである日本人を見やった。
「なにをした」
(忠告だよ。我々はこの事態を不快に思っている、とね)
エイジのウインドウ越しの視線を受け流し、マイケルは笑みを絶やさず答えた。(無視すれば、国内に滞留する海外のGBN支援金は一気に引き上げられ、国外での企業活動もことごとく不利益を被る。無論、外交でも爪はじきされる……と、そういう種類の忠告だ。ご覧の通り、世界は従ったよ。君とは違って、世界はこの関係をリセットしたくないらしい)
「てめぇ!」
エイジは操縦桿を押し、トリガーを引き続けた。<ガンダム>はステップを踏みながら、ビームライフルから、ビームを放ち続ける。
<ターンX>は身をわずかに浮かし、滑るような足の運びで火線を避け続ける。IFBDならではの滑空機構だ。右手を突き出したまま、<ターンX>はビルからビルへと縫うように移動する。
ビームライフルをかまえたまま、<ガンダム>がスラスターを焚いて、追いかける。
「こんなやり方が通用するか!」
見逃してはいない。アメリカのフォース代表に次いで、2番目に席を蹴ったのはロシアにおいての大型フォースのリーダーだったか。大型クラスが最終日まで居残ること自体が異例なのだから、周囲に与える影響は決して少なくない。態度を決めかねている国々の代表には、いい手本になったことだろう。(悪趣味だな)と、英一が唸る様に言う。
(そうなら、最初から今日の議事堂総会に出席させなければ済むことだ。それを、わざわざ目の前で……。中継を見ていた世界中のダイバーたちが騒ぎ出すぞ。こんなことをしたら、世界はますますヲチカタに興味を持つ。余計な詮索をされて、困るのは自分たちだとわからないあなたでは――)
(だが、大きく取り上げる必要はない。GBNで有象無象が騒ぎ立てても、続報がなければ1週間で終いだ。真の権力者たち、GBNの世界で一線に立つ実力者たちは、この光景を見て悟る。ヲチカタは〝システム〟に触れたのだ、と)
ビルを追った先に、<ターンX>の左脚が飛びだす。回し蹴り。エイジは反射的に操縦桿を引き、急制動をかける。間に合わない。<ガンダム>の胸部に<ターンX>の脚がぶつかり、<ガンダム>は吹き飛んだ。ごろごろと転がり、アスファルトの上に大の字になって倒れてしまった。
英一は何か叫んでいる。
頭がぐらぐらしてわけがわからない。エイジは平常を保とうと息を何回もしたが、意識はそうさせてくれず、意識がブラックアウトした。
悪趣味。
ミカヅキが議事堂に登壇するのを阻止できればそれに越したことはなかったが、仕方がない。綱紀粛正の意味合いもあったことだと主張すれば、フェアチャイルド本家の連中も自分を削除まではすまい。世界的にスポンサーからの資金問題が取り沙汰される中、〝システム〟の絶対性を示したという一点を鑑みて、なんとか相殺の線に持っていくことはできるだろう。
各国支部に口を聞いたのは義兄さんであっても、それぞれの国の弱みを具体的に教え、交渉の仕方を支持してまわったのはマイケル自身だ。『A金貨』という裏金を運用する過程で蓄えられたプログマン家の知見は、フェアチャイルド本家といえども簡単に切り捨てられない。そのことを証明するいい機会だったと思えば、個人的にも今回の事件の収支は取れたと言えなくもなかった。無論、100パーセント相殺というわけにいかず、少なくはない〝罪〟を負わされて責任をとることにはなるだろうが。
(勝負あったな、エイジさん)
ともあれ、〝システム〟は揺らがない。その象徴たるフェアチャイルドも、自分という人間も、以前と変わらず存在し続ける。空中のスクリーンが中継映像を流し続けるなか、マイケルは嗤った。
(もうあなたのカードを見るまでもない。GBNの中継もサーバーがパンクして中断しているよ。あなたたちの声はどこにも届かない。福田と話している私の声も、だ)
あの<ガンダム>のダイバーは何も言わなくなった。
まったく、勝負にもならない戦いだった。
過去にあれだけの犠牲を払いながらも、呂名理事長も、その息子も、なにひとつ学んではいなかったというだけのことだ。マイケルは前面のモニターに手をつき、
(壇上の彼と連絡を取る手段は確保しているんだろう? さっさと引き揚げるように言って、彼がこれ以上恥をかくのをやめてやりたまえ。そして、この〝茶番〟も終えようではないか)
(マイケル、彼を甘く見ない方がいい)
応えないエイジに代わって、英一が言う。(その人は常に次善の策を考えている。あなたと福田さんの会話記録は、彼の手中にあるのだということを忘れるな)
この〝茶番〟が終わったが直後、エイジ――金家の命はなくなる。そう理解しているがゆえの張り詰めた声音だったが、鼓膜を騒がせる以上の効果はなかった。(だからだよ)と返し、マイケルは英一の目を通信ウインドウ越しに正面を見つめた。
(そういう抜け目のない相手だからこそ、この上もう取引はしない。GBNを巻き込んで準備したお披露目の舞台は、これでご破算になった。会話記録は選別にくれてやる。好きに使って、ネットの陰謀論者にネタを提供してやるがいい。なんならもう1度言ってやろうか?)
ぐっと唇を噛んだ英一に、それを事態の収束宣言にして、マイケルは囁くように言った。
(そんなところに、誰も協力しない)
エイジは何の反応も示さなかった。間違いなく、気絶しているというのに。外部スピーカーから言葉が漏れ、ひとつ、ふたつの言葉をスクリーンの向こうに投げかけて、マイケルは少しぞっとした思いになった。
日本の言葉――だが、これは知っている。日本ではビジネスの場でも慣習的に使われる言葉だと、かつて呂名理事長から教わったことがあった。〝頑張る〟という言葉と並んで、欧米のビジネスパーソンには真意が捉えにくい。当の日本人も慣習以上の意味合いでは使っていないと思える言葉。
それをエイジはしわぶきのように口にしたのだった。
いまだ闘志の衰えぬ、もうミカヅキも映っていないスクリーンに向かって、腹の底かに絞り出すように。
あきらめるな。
信じろ――と。