人の列が、議場後方の出口を目指してとめどもなく流れ出してゆく。氾濫した川の水が畑を押し流すように、それはもう誰も止めようがない。すべてが流し尽くされるまで待つしかないようにミカヅキには思えた。
「待ってください!」
演壇に手をつき、声を限りに叫ぶ。壇上に設えられた2本のマイクがその声を拾い、議場全体に響き渡されたが、退出する人の列に変化はなかった。何人かこちらを振り向いたものの、目を合わせる者も足を止める者もいない。そうせよと命じる〝システム〟に従い、誰もが寡黙に足を動かし、議場の外へ逃れようとする。互いに言葉を交わすことなく、顔を見合わせることすらなく。全GBN支部の4分の1を占める最貧国の人々、〝システム〟が規定する『失敗したGBN』の人々をあとに残して。
なんてことだ。こんなにたくさん人がいるのに。誰もこの異常を異常だと訴えようともしない。〝システム〟の埒外に置かれた者たちがなにごとかと左右を見回し、隣の席の者と話し合う一方で〝システム〟に従う者たちは舌を抜かれたように押し黙っている。
まるで囚人だ。
大勢で同じ行動を取っていても、それぞれが〝システム〟と1対1の関係を結び、規定された枠から外れようとしない囚人。
外れればひどい目にあう。取り返しのつかない不利益を被ると囁く看守に押さえつけられ、自らの内に生じた思考や感情まで知らず知らずのうちに圧殺してしまう。
自国の将来のため?
課せられた責任のため?
実は自分以外の他者はすべて敵だと教え込まれてもいる。
団結。
友情。
それが〝システム〟によって規制され、他者と隔絶された孤独な囚人――。
「そうしなければならないあなた方の事情はわかる。でも1分でいい、私に時間をいただきたいのです!」
だから誰も話そうとしない。互いに目を合わせようともしない。そこにいるのは自分と同じ、望まぬことでもせざるを得ない囚人だから。相手の目の奥に映るのは、自分が自分に向けた非難と軽蔑でしかないと知っているから。
叫んだ勢いで懐に手をやり、ミカヅキはわしづかみにした携帯機器を天に掲げた。事前に施した設定内容を確かめる間もなく、その発信ボタンに親指を触れようとして、不意に指先がこわ張るのを感じた。
準備はすべて整えた。
このボタンを押しすれば、事は起こる。
退出する各国代表らを立ち止まらせ、振り返らせる出来事が起こるはずだ。
事前確認は許さない、1度限りのチャンス。
だが先刻、ヲチカタのELダイバーと出会ったことで、最初の一手はクリアしていたことが期せずして明らかになった。
――あなたが故国に発信したメッセージは、我々の耳にも届いています。
そう、自分の声は確かにヲチカタに届いている。
あとはこのボタンを押すだけでいい。ヲチカタの国民たちが応じてくれたら、流れは変わる。信じるしかない。それまで何もなかった彼らを。ヲチカタの外に世界があることも知らない彼らを――。
恐ろしかった。これでなにも起こらなければ、すべてが終わる。いっそ、なにもせずに退散した方がいいかもしれない。
そうすればまだ次の機会が残る。ここで失敗したら、もう再起の道はなくなる。携帯機器を握りしめた指を凍りつかせ、ミカヅキは退出する人々の背中を見つめた。何人かが足を止め、怪訝な目をこちらに振り向けたようだが、大方は立ち止まりもせずに出口を目指している。
今ならまだ間に合う。
この携帯機器を引っ込めて、壇上から降りればいい。どだい、あまりにも不確実性に拠った話だ。これ以上、ヲチカタに恥をかかせないためにも……と矢継ぎ早に思考をめぐらせて、ふと合わせた人の視線に先の言葉を封じられた。
最前列に座る日本のフォース代表だった。白い肌に穿たれた目を注ぎ、敗けるなと訴えていた。何が起こっているのかはわからない。おまえがなにをしようとしているのかもわからない。が、去る者と残る者の顔を見比べれば、我々にとってなにか情報なことが起きつつあるのだろうことはわかる。なんであれ、ためらうな。どうやら事はおまえの国の問題だけではないらしい。
彼の斜め後方にはまた別の代表がおり、やはりなにかを求める目をこちらに注いでいる。
あなたは独りじゃない。
我々は独りではない。
その気になれば、〝システム〟に囚われた人々とだって通じ合える。〝A〟と出会って以来の10年はそれを体で学ぶためにこそあった。どうして逃げられるだろう。ここに自分を送りこんでくれた人たち、なにがしかの予感を抱いて自分を見つめる人たちのためにも、自分は逃げるわけにはいかない。どんな状況であれ、そんな選択肢は端からないのだ。
「せめて……」
目を閉じ、乾ききった喉から絞り出す。暗闇に〝A〟の顔が浮かび、深雪の顔が重なり、福田の顔が現れては消える。そして金家……いまこの瞬間も別の場所で戦っている。
飛び入りの新参者。あんたが教えてくれた、人が通り一遍の生き物でないことを。いつでも、どこからでも変わっていける、その無限の可能性を。
俺も独りじゃない。あんたと、みんなとここに立っている――。
目を見開き、広大な議事堂会議場を一望したミカヅキは、全身を声にして叫んだ。
「せめてこれを見ていってください!」
携帯機器を高く掲げ、発信ボタンを押す。瞬間、頭上のスクリーンに投映されていた紋章がかき消え、議場の空気がざわと揺れた。