皇紀2680年 平成32年 7月21日 午前10時04分
文京区 根津神社
あの後、ホテル内を調べたが毒の出どころは分らなかった。
「今後は開封してある食べ物や飲み物は口にしないようにしましょう。」
十兵衛の意見を入れホテルを後にした。
知られてしまった以上留まるのは危険が伴う。
昼頃にアーチャーのマスターと会うまで時間があるので自身の陣地の確認をすることになった。
聖杯合戦の本質は朱引陣の取り合いだ。
その要となる石像が設置されている周辺は戦場となる可能性が高い。
あらかじめ戦場になりうる場所を確認するのは、今後の戦いに役に立つだろう。
昨日手に入れた千代田区を除いた荒川区の小塚刑場、台東区の上野公園を回りそして最後に文京区のここ根津神社に来ている。
司は神社の中はあらかた確認したので、境内の石段に座って休憩をとることにした。
午前中とはいえ7月も後半。歩きまわったせいですっかり汗だくになっていた。
蝉の騒ぎしい鳴き声が余計に暑さを誘う。
3人のサーヴァント達はというと、それぞれ思い思いに境内の中を見て回っている。
ふと、司の視界にナナシの姿が写った。
他の陣地を見まわっていた時は一通り辺りをを見たら
司の近くに待機していたが、ここではそんなことはなく興味深そうに辺りを見まわしていた。
その姿が妙に司は印象に残った。
皇紀2680年 平成32年 7月21日 午前10時24分
千代田区 警視庁
「捜査中止ってのはどういうことだ!」
捜査一課の課長室で川道の怒号が飛ぶ。
今朝、川道と折田が課長室に呼び出され、都内連続バラバラ殺人事件の捜査の打ち切りと捜査本部の解散を課長から告げられたのである。
それを聞いた川道が激怒しているのである。
「犯人がまだ捕まっていないのに捜査をやめろってのはどういう了見だ!犯人を野放しにする気か!」
「川道さん落ち着いてください。」
課長に食って掛かる川道を折田は必死に宥める。
「上からの指示だ。従う他無い。」
その言葉に川道はピクリと反応して大人しくなる。
「またかよ。」
「ああそうだ。まただよ。」
川道の言葉に課長が同意する。
その時部屋の外からドアをノックする音が聞こえ、部屋の扉が開く。
憲兵の軍服を着た男達がゾロゾロと部屋の中に入ってきた。
「捜査一課の諸君。今日も勤務ご苦労様。」
先頭にいた男がこちらに声を掛けてくる。
胸元の勲章の数や服装からかなり階級の高い人間であることが伺える。
「これはこれは。神田 中将が直々に御越しでしたか。今お茶をお出ししますね。」
そう言いながら、課長が慌てて立ち上がる
陸軍憲兵隊の長がわざわざ警視庁まで出向くのは只事では無い。
「いやいや、すぐに本部に戻るのでお構いなく。」
にこやかに笑顔を浮かべながら神田大佐はそう言った。
しかしその目は一切笑っていない。
川道はまるで蛇のような男だと印象を持った。
「例の連続殺人事件の捜査を我々で対応することになってね。今日は捜査資料などを受け取りに来たのだよ。」
「わざわざ大佐殿が来られるとは珍しいですな。」
「なにせ今は聖杯合戦中だろう。人手が足りなくてな。お上にも困ったものだよ。」
課長と談笑しながら神田は続ける。
「しかし我ら憲兵隊は臣民の安全を守る義務があるからね。
私自身が動くことでその規範を示せるのではないのかと思ってね。ほら、まずは隗より始めよとも言うからね。」
憲兵の横槍で捜査が中止になるのは一度や二度では無かった。
きっと捜査されると上の人間にとって都合の悪い事実が明るみに出てしまうのであろう。
その度に憲兵達がこうして警視庁まで乗り込んできて、捜査資料や証拠物品など差し押さえてしまう。
川道はそれを毎回苦々しく見送るしかなかった。
「ところで君は川道警部ではないかね?」
神田が川道の方を向き話しかけてくる。
「ええ、そうですが。」
と川道は仏頂面で答える。
「いやあ、噂は聞いているよ。とても優秀な刑事だそうだね。同じ皇都の治安を守る者として誇らしく思うよ。」
「そりゃどうも。」
川道は耳をほじりながら、神田の話を聞き流している。
「しかしだね、同時にこんな噂も聞いているのだよ。
たびたび政府を非難するような言動を繰り返していると。
君がそういったことをするようになったのはそうだな…八年前のあの事故かららしいね。」
八年前という言葉を聞いた時、川道の動きがピタリと止まった。
「あれは確かに痛ましい…とても痛ましい事故であった。しかし国もあの事故を教訓に今までの体制を一新して新たな対策を立てている。
分かるかな?けしてあの事故は無駄にはなっていないのだよ。日々の仕事で不満を持つのは分らんでも無いが、
今後そういった言動は慎みたまえ。何処の誰が聞いているか分らんからね。
もちろん私は君が忠実な臣民だと信じているがね。」
饒舌に喋り続ける神田とは対照的に川道は呻き声一つ立てず黙っていた。
やがて神田の話が一段落すると笑顔を作りながら
「心遣い感謝します。今後気を付けます。」
とだけ言った。
誰が見てもその笑顔は無理やり作っているのが分かるものだった。
「ははは、いや分って貰えて嬉しいよ。それでは課長、我々はこの辺で失礼するよ。今度来る時には菓子折りでも持ってくるよ。」
川道の肩をとんとんと軽く叩き、神田 中将と部下の憲兵達は部屋から出ていった。
「糞ったれが!!」
神田たちが退出した瞬間、川道は近くに置いてあったゴミ箱を蹴り飛ばした。
中に入っていたゴミが部屋に転がる。
川道の軍と英雄嫌いを知っている折田と課長はよく我慢したと褒めたい所であった。
いつもの川道なら間違いなく神田を殴り倒していたからだ。
「課長!どうにかならねぇのか!どうせあいつ等ろくに捜査なんてしないぞ!」
捜査の引継ぎというが憲兵の担当になった事件が解決したという話は聞いたことが無かった。
本当に捜査しているのかどうかも疑わしい。
「無理だ、川道お前もよく知っているだろ。ああなったらどうにもならん。それよりもおまえ達二人には別件を調査して貰いたい。」
「別件だぁ?」
課長が机から書類と一枚の写真を取り出した。
写真には十代後半の少女の姿が映っていた。
「三日ほど娘が帰ってこないと届があってな。お前たちにはこの娘を捜索して欲しい。」
「ふざけんな!十代の家出なんて捜査一課のやることじゃ…」
「川道さん!ちょっと待ってください。」
激高する川道を折田が制して課長に質問する。
「課長、確認ですがこの事件捜査を我々二人だけですか?」
「そうだ、お前たち二人だけだ。途中報告もいらん。」
「もしも、もしもの話ですが捜査中に別の事件の犯人と遭遇したらどうすればよろしいですか?例えば近頃話題のバラバラ殺人犯人とか。」
その言葉に川道はハッとした表情になる。
「警察官としての職務に尽くせ。」
課長はにやりと笑いそう言い放った。
「了解しました。では失礼します。」
折田も微笑み、川道と一緒に課長室を後にした。
2人は廊下を足早に歩きながら今後の方針を話す。
「課長の野郎そういうことなら、そう言えばいいじゃねえか。」
「あくまでも黙認するという形なんでしょうね。発覚した時にかばいきれないでしょうし。
あの写真の子もきっと事件に巻き込まれた可能性が高いということで選んだでしょう。」
「しかし証拠も資料も何も無しってのはキツイな。憲兵どもが持っていっちまったからな。」
「何も無いわけでは有りませんよ。」
「何?」
折田がUSBメモリをポケットから取り出す。
「捜査資料の一部ですがここにあります。念のためバックアップを取っておいて良かった。」
「お前にしちゃ上出来だ。」
川道がUSBメモリを取ろうとすると折田がさっと躱す。
「何やってんだ。早くそれをよこせよ。」
「川道さん一人で捜査するつもりですね。」
折田の言葉に川道の表情が曇る。
「分かってんだろ。今回ばかりはヤバい案件なのは。だから俺1人でやる。」
勝手に捜査してるにが軍部にバレれば矯正施設にぶち込まれるのは明白だろう。
いやそれでも生きてる分まだマシかもしれない。その場で殺される事も十分考えられる。
軍部のやり方に納得できず独自に捜査をして行方不明になった同僚を川道は何人も知っている。
自分のような失う物が何も無い人間はいい。
だが未来ある若者を自分の我儘につき合わせることは出来ない。
「危険なのは重々承知ですよ。それでも自分は警察官です。
こんな終わり方は納得できません。被害者の方々のためにも自分も捜査させてください。」
驚いた。
折田が現場に配属されてから今日までコンビを組んで刑事のイロハを教えてきたが。
まさかこんないっちょ前なこと言えるようになっていたとは知らなかった。
「勝手にしろよ。」
「はい、勝手にさせて頂きます。」
お互いにフッと少し笑う。
折田の成長を嬉しく思う反面、死なせたくないという思いも強くなる。
「それで川道さんは何か手がかりはあるんですよね?」
正直な所、普通に捜査していても八方塞がりの状態であったのだ。
今の状況では川道だけが頼りである。
「手がかりって言えるほどのものじゃないが、当てはあるぜ。」
「お前さっきの憲兵の親玉についてどう思う。なんかクサくねえか。」
「神田 中将ですか、そうですね…」
今までも捜査の打ち切りの件で憲兵が警視庁に乗り込んでくることは何度かあった。
「憲兵隊の長が直接乗り込んでくるのは妙ですね。」
皇都の治安を守る憲兵の最高責任者である中将がわざわざ警視庁まで出向くのは些か大げさともいえる。
「これがどういう意味を持ってるかわかるか?」
「…今の状況を考えれば聖杯合戦関係ですかね。」
「もったいぶらずに結論から言うか。この一連の事件にサーヴァントが関わっていると俺は考えている。」
「川道さん流石にそれは…」
川道の英雄嫌いもここまできたかと折田は思った。
「おい、あくまで可能性の話だ。そんな顔すんな。」
「過去の偉人達が殺人事件に関与しているなんて言ったら大バッシングされますよ。」
それに超常的な存在に真相を丸投げするなんて思考停止もいいところだ。
「英雄様つっても所詮使い魔だ。ご主人様の命令には逆らえないだろ。」
「マスターが主導でサーヴァントに殺人をやらせているということですか?」
聖杯合戦におけるマスターは超法規的措置であらゆる犯罪が罪に問われない。
率先して犯罪を行おうとするものは過去にいなかったわけではない。
「マスターがそういった人物の場合ありえないとはいえないですね…」
「そうだろ。」
どちらにしろ手がかりは何も無いのだ。可能性はすべて調べるべきだ。
「でもマスター達は自分の居場所を隠すのが普通ですからね。そう簡単には見つからないと…いや1人いますね。」
「ああ1人いるだろ。」
2人はロビーのテレビに視線を向ける。
画面にはインタビューを受ける青年、高城司の姿が映っていた。
皇紀2680年 平成32年 7月21日 午前12時07分
墨田区 某中華料理店
司達は陣地の確認を終え、アーチャーのマスターとの待ち合わせ場所である店の前に来ていた。
店は昔ながらの町の中華料理屋といった佇まいをしている。
ナナシ達は霊体化した状態で司の近くに控えている。
同盟関係を築いているとはいえ、ここはアーチャーの陣地。
油断禁物、敵地に居るという気持ちを忘れてはいけない。
「それじゃあ、行くよ。」
意を決して司が店のドアを開ける。
昼時ということもあり店はそれなりに繁盛しているようだ。
「いらっしゃいませー!何名様ですか?」
店員がすぐに司に声を掛けてくる。
「予約していた鈴木の連れなんですが。」
「奥の座敷の方になります。どうぞ。」
予め聞いていた予約名をいうと奥の座敷に案内される。
障子を開けると少し広め一室に見覚えのある帽子とマスク姿の青年が座っていた。
「よう。昨日振りだな。」
件のアーチャーのマスターである。