舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第1部「折り鶴はもう飛ばない」
第 1 話 我は南の渡り鳥


 

 彼女は運命だった。

 

 妹は私の宿願だった。

 

 先輩は私の夢だった。

 

 私のお母さんは、英雄だった。

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 どこまでも続く碧に、一筋の白線が引かれていた。

 それは次第に太くなり、この大海を二つに裂くように広がっていく。

 

 まるで世界の全てが己のカンバスと言わんばかりの、傲慢な線が引かれていく。

 

 

「船舶登録の確認が取れました」

 

 監視員の声が割り込んできて、私はその半ば現実逃避のような思考から引き戻される。こちらの視線に答えるように彼は続ける。そういえば、あの船の詳細を尋ねたのは私だったか。

 

「オーシャン・カンザキ・ライナーの〈フタゴ・ブリッジ〉……ミクロネシア行のコンテナ定期便ですね」

「定期便……ずいぶん遅く見えるけれど、大丈夫なの?」

「商船はあんなもんですよ」

 

 ほんの数年前までは、それでも良かったのだろう。

 この惑星(ほし)の七割を占める海は人類のものであったし、また人類に与えられて当然のものであると誰もが無邪気に信じていた。

 

 そんな傲慢な時代の名残が、ちらりと光る。ピカピカと規則正しく、まるで何かの意思を持つかのように点滅する。

 

「ん? なにあれ」

「発光信号です。短波通信でも傍受されたらヤバイですからね」

 

 そう言いながら手帳に素早くモールス信号の羅列を書き込んでいく監視員。トンとツーの二進法が慣れた手つきで文字列に変換されていく。

 それを機長に報告して返信のための投光器を持ち出す監視員。このようにして哨戒機と護衛対象の貨物船は情報交換をしているのだという。

 

「民間の逆探知で捉えたノイズも、バカには出来ない情報ですよ。そこから大物が釣れることだってあるんです」

 

 ここは私の知らない戦場。白い波濤を産み出しながら進むその船は格好の的、空を飛ぶ哨戒機が彼らを守る英雄……決してそんな単純な関係ではないらしい。

 とはいえ、それは深海棲艦が現れるまでの話だろう。鈍足なあの船がもし一度でも深海棲艦に狙いを付けられれば、例え積み荷を棄てたとしても逃げることは叶わないのだから。

 

 と、そこで監視窓から船は消える。変わりに景色は青空に塗り変わり、かと思えばすぐに船が視界に戻ってくる。機体が左右に揺れているのだ。気流が乱れている訳でもないし、まさか操縦不能に陥ったわけではないだろう。怪訝な顔をした私を見て、監視員は笑う。

 

「翼を振って挨拶してるんですよ。日の丸見せろ(シヨウ・ザ・フラツグ)ってね」

 

 敵から逃げる足もなく、かといって身を守る盾もない。

 そんな貨物船にとってこの哨戒機は暗闇に灯された希望そのもの。

 

「……もっとも。旗なんて見せたところでなんの意味にもなりませんがね」

 

 ところが監視員は笑みを消してしまう。

 

 太平洋はあまりに広くて、そこに散らばった海上自衛隊はあまりに戦力が少ない。

 航路の防衛を担う唯一の戦力である哨戒機乗りがそんなことを言ってしまっていいものだろうか。

 

哨戒機(こいつ)金属の鯨(サブマリン)にはよく効くんですが、深海棲艦じゃ両眼を塞がれたようなものです」

 

 黙ったまま聞く私に、残念でなりませんと監視員。それが私が身を預ける航空機の真実であるらしい。

 

 仮初めの平和に私が住んでいた頃から、この航空機は誰かを倒すための牙を研いでいた。

 しかしその牙は深海棲艦を倒すための武器ではなかったから、役に立たないという。

 

「それでも、金属部位にはちゃんと反応するんです。それに洋上に姿を現せば視認できる。接近を探知するだけなら、電波障害で分かります。見えないわけじゃない」

 

 そう言いながら、監視窓へと視線を戻す監視員。私が便乗する哨戒機は、眼下のコンテナ貨物船を追い抜いてずんずんと進んでゆく。海はまだ静かで、平穏そのもの。

 

「見えないわけじゃないから、戦えるんです」

 

 それはきっと、私の目の前で()()()()()監視員の矜恃なのであろう。

 

 深海棲艦と呼ばれる生命体――――――彼らが何処から来たのか、何のために攻めてくるのか。それすらも分かっていない。

 何もかもが手探りの戦争。そもそもこれを戦争と呼んで良いのかすらも分からない。

 

「私も2佐のように、艤装のひとつも背負えれば良いのですが」

 

 冗談交じりに監視員が言う。それが会話の終わりを意味していることは、流石の私でも理解することが出来た。何も返さず黙って外を見る。既にコンテナ貨物船は見えなくなっていた。

 

 私は、一体何をしているのだろう。

 

 目を皿のようにして窓から海を見下ろす監視員は、もしかすると浮上してきた深海棲艦や、潜水艦の呼吸塔(シユノーケル)を見つけることが出来るのかも知れない。

 

 一方の私はどうだ、どんなに眼を凝らしても海は海でしかないし、空も空でしかない。監視員は艤装が欲しいと言うが、私は艤装がなくとも戦える彼を羨んでいる。

 

 考えていると思考が悪い方向へと行きそうで、私は窓から目を逸らしてポシェットへと手を伸ばす。

 取り出したのは数える程しかない私物の一つ、髪を結わない時に使えと持たされた鉢巻。

 

 それを私に押しつけた人物の顔が浮かぶ。それは妹離れできない姉の象徴だった。

 

「別に髪ぐらい結えるわよ、ひとりでも」

 

 姉にとっての私は、手のかかる面倒な妹でしかないのだろう。

 確かに散々ついて回ったものだ。毎朝髪も結って貰った。

 

 でも、それは姉がしたいと言ったからそうさせただけのこと。

 私は、独りでも生きていける。

 

 隠すように鉢巻を仕舞い。行き先に想いを馳せることにする。

 

「第8護衛隊群、第3分遣隊……ね」

 

 ミクロネシア連邦はチューク州に拠点を置く、海上自衛隊の最前線部隊。

 それが哨戒機に便乗した私の赴任先だった。

 

 独り言のつもりだったが、監視員は私が話題を振ったものだと思ったらしい。どこか楽しげな表情で、揶揄うように口を開く。

 

「ご不満ですか? 『軍艦(フネ)ナシ護衛隊群』に配備されるのは」

「そんな訳ないでしょ。国を護るのは私たちの仕事なんだから」

 

 自分の声なのに、その台詞はひどく言い訳がましく聞こえた。

 

 

 哨戒艦隊第8護衛隊群。

 

 

 護衛艦を統括する「護衛隊群」という部隊名にも関わらず、その護衛艦が殆ど所属していない部隊――――――誰が呼んだか軍艦(フネ)ナシ護衛隊群。

 海上自衛隊の主力部隊である自衛艦隊の中でも最も広大な警備範囲――――北マリアナ諸島、パラオ共和国、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦の四つの国と地域――――を担当しながら大型護衛艦が1隻も配備されていないという、奇妙な部隊。

 

 最前線勤務なんて大変ねと同い年の先輩は言う。

 大変だろうが頑張ってくれと上司は言う。

 

 どうも本土にしがみ付く彼らにとって前線送りとは不名誉なことらしい。私にとっての戦闘(いくさ)は任務であり職務だ。前線に赴くことは勤務地に不満を持つ以前の問題であって……それに、姉ならそんなことは言わないだろう。

 

 胸を張れと、常に毅然としていろと。

 それが残されたものの務めなのだと――――――姉はそう、私に言い聞かせてきた。

 

「ねえ。第3分遣隊のあるチューク環礁ってどんな場所か知ってる?」

「広いですよ。チューク環礁と言えば、昔は日本の真珠湾なんて呼ばれた場所ですからね」

 

 今は一隻の護衛艦すらも配備されていませんがと寂しそうに言う監視員。

 

 何年も続く深海棲艦との戦いにより、自衛隊はとっくにその限界を超えている。広々としたチュークの環礁が護衛艦で埋め尽くされる日はもう来ないのかもしれない。

 

 それでも。

 いや、だからこそ。

 私たちは胸を張らなければならないのだ。

 

「大丈夫よ。なにせ一隻、軍艦(フネ)が増えるんだから」

 

 そう。私は世界が喉から手が出るほど欲しがる空母の艦娘。暫定的に特務護衛艦(かんむす)と呼ばれる一人乗りの小型軍艦を操る神祇官であり自衛官。失念していたとばかりに肩を竦める監視員。

 

 機体が急激に傾いたのは、その時だった。

 

「ッ! 状況は?」

 

 先ほどの()()とは全く異なる回転。優に三〇度か四〇度、もしかするとそれ以上に傾いているんじゃないだろうか。遅れて計器類がけたたましく鳴り始めた。

 

「警報……じゃあ深海棲艦がっ」

「警報の方が遅かったので我々が目標という訳ではなさそうですね」

 

 哨戒機(われわれ)が目標ではない、ということはつまり誰かが襲われているということ。

 監視員は緩慢な動作で端末に目を落とすと、戦術リンクの示す情報を伝えてくれた。

 

「相手は戦艦五と巡洋艦クラスが七ほど。駆逐は数えるまでもありません」

 

 あれは台所の害虫のように湧いてきますからと監視員。外の雲がめまぐるしく動く。

 

「救援は?」

「近隣の832が商船保護のために緊急出撃(スクランブル)

 

 第832護衛隊。チューク環礁に駐留する部隊。ということは、現場に一番近い艦娘は私。

 幻聴のようなコンテナ貨物船の悲鳴が聞こえる。逃げることの出来ない鈍重な身体、その身に取り付けられた汽笛が助けを求めている。

 

「2佐殿?」

 

 私は拘束具(シートベルト)を外し、機長席へ。哨戒機の内部は様々な観測機器が搭載されているから外から見るよりもずっと手狭だ。機材の合間を縫って前へと進む。

 

「すみません。敵の方に向かって貰うことは出来ませんか?」

「ちょっとちょっと、何言ってるんですか」

 

 監視員が慌てた様子で割って入ると私を睨む。知ったモノかと私は続ける。

 

「迷惑はかけません。近くまで運んでくれれば、後はなんとかします」

「本機は非武装機ですよ。敵の戦闘機に襲われたらひとたまりもありませんって」

「航空戦力が居るんですか? 聞いてないですよ」

「うちの機器じゃ艦種の厳密な探知は出来ません。832が制空機を要請していますから、恐らく巡洋艦クラスのどれかが軽空母です」

 

 そして私が目を通した資料が正しければ、832に空母の艦娘は所属していない。航空劣勢の上に戦艦が複数。本来なら撤退して航空戦力の到着を待つべきなのだろうが、そんな悠長なことをしていてはコンテナ貨物船がやられてしまう。

 私は機長席の背もたれに手を掛ける。

 

「私にいかせてください」

 

 哨戒機の操縦桿を握っている機長は、私のことなどお構いなしに前を見ていた。

 

「聞いてください。この海域にいる空母は私だけです。832だって制空機を要請している。それなら、私が行くしかないじゃないですか」

 

 越権行為なのは百も承知。私は哨戒艦隊の軍艦(かんむす)、相手は航空集団の哨戒機、軍種が違えば指揮系統も違う。それでも、私は為すべき事を為さねばならないのだ。

 

「お願いします機長、責任は私が」

 

 空の向こうよりも遠い機長席に座った彼が口を開いたのは、その時だった。

 

「承服しかねるな2佐。キミの責任で何とかなると思っているのか」

「機長!」

 

 拳を握り締める。またこうだ、ここでも私は戦えない。隊の理屈が分からない訳ではないのだ。正規空母クラスの適性を持つ艦娘は希少だし、温存したい気持ちは分かる。それ以前に戦力の逐次投入が愚策だということも分かっている。

 

 けれどそうやって大切に大切にした結果が「あの戦争」での大和型じゃないのか。肝心な時に使わないで、最期の最期になって使う(ころす)。その轍を再び踏むと言うのか。

 

 真っ赤に染まりそうな私の思考に、機長の声が落ちたのはその時だった。

 

機関(エンジン)、戦闘出力は出せるな? 変針、進路一―六―〇へ」

 

 顔を上げた私に、機長はなんでもないといった様子で口を開く。

 

「832の航空支援要請を受け、本機は只今より対艦誘導弾(ASM)による支援を行う」

 

 その言葉を受けて、今度は私が監視員を睨む番。

 

「この機体、非武装って言ってませんでしたっけ?」

「ASM自体は積載可能です。まあ、今回は()()()()()で攻撃を行うことになりそうですが」

 

 なるほど、そういうことか。

 

 私は機長に一礼して、後ろへと走った。哨戒機は着水できないから、()()()()するなら飛び降りるしかない。

 脱出用の落下傘(パラシユート)を掴んで、背負ってベルトを締める。

 

「推進システム以外の艤装は防水箱に詰めておきます。2佐殿が飛び出したら適当な位置に落としますから、上手いことやってくださいね」

「待って、矢と高角砲だけこっちに寄越してくれない?」

 

 何を言ってるんですと言う監視員から矢を奪う。それは私の翼達。そっと撫でれば、()()()の鼓動が伝わってくる。私との霊力通信(リンク)が確立されている証拠だ。

 

「頼んだわよ」

 

 戦術端末を起動。

 画面に浮かび上がった光点は哨戒機と832護衛隊、この海域に存在する友軍(フレンドリー)の位置を示す。戦術ネットワークに私の存在が紐付けされて、私の預かる軍艦(ぎそう)の名前が浮かび上がった。準備は完了。

 

「ご武運を!」

 

 監視員が扉に備え付けられたレバーを引いて押し込めば、気圧がぐっと下がる。

 哨戒機内の暗闇に慣れていた眼に真っ白な世界が飛び込んできて、それが青色へと変わっていく。

 

 私の返すべき言葉は一つ。祈りを込めて、自分に与えられた名を告げる。

 

 

「空母瑞鶴、抜錨します――――――!」

 

 

 ここは南方、故郷から遠く離れた未知の戦場。

 それでも、私のやるべき事は変わらない。

 

 

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