舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第101話 虚構世界でツーリズム

 等間隔に音が聴こえる。心の平穏をかき乱すには十分な無遠慮さをもった電子音が耳に刺さる。

 そしてそれは、彼女が生きている証でもあった。

 

「あきぐも?」

 

 部屋に入った私を迎えたのは、困惑の色を浮かべた僚艦、夕雲型の巻雲。彼女の看病をしていた巻雲には、明らかな疲れが見て取れた。

 

「酷い顔ね」

「そっちだって、まるで鏡です」

 

 巻雲が言うには私も似たようなものらしい。そんなハズはないのだけれどなとは思うのだけれど、反論はエネルギーの無駄なのでしない。

 私の無言をどう受け取ったのか、巻雲は静かに首を振った。それから真っ直ぐに私を見る。

 

「……ほんとにやるの?」

「うん、決めた」

 

 私は頷く。何度も反対した彼女なら私の意志の強さは知っていることだろう。予想通り、彼女は疲れ切った顔に一瞬だけ感情を滲ませて、それからため息。

 

「分かりましたよ。準備しますから、そこに」

 

 隣のベッドを袖で指す巻雲。私が横になるのを見て、電極やらなにやらの装置を取り付けていく。

 

「他に、なにかいい方法があればいいんですけどね」

 

 ここは護衛艦『きんもくせい』の医務室。

 兵員30名を収容し、回転翼機や艦娘の運用母艦としても機能するだけに艦内設備、ことさら医務室の設備は水準以上のものが用意されている。

 それでも、普段から無人運用されているために医官が乗り込んでいないこと。そしてなにより、艦内の医療機器ではどうしても出来ることに限界がある。

 

「だから今、やるしかないんだ」

「わかってますって」

 

 私に応じるように巻雲が装置を取り付ける。接続された装置に電流が流れて、電子音が増える。

 私と、もう一人の分。背中に当たる硬いマットレス。医務室に充満した消毒液の匂い。それらが纏わりついてくるのを感じて、私は目を閉じた。

 

 私たちが風雲を喪ってから、今日でもう一週間。

 

 『きんもくせい』は隠れ蓑にするには丁度よく、向こうは風雲を沈めたものと安心していることだろう。

 ただそれでも、風雲がこの硬さと匂いに呑み込まれてしまえばおしまいだ。

 

「ね、秋雲。ちょっちいいかしら?」

 

 急に聞こえたのは聞き慣れた声。私が顔を上げると、そこにはツインテールの駆逐艦娘。

 

「あれ、哨戒はいいんですか?」

「こんくらい外すくらい問題ないって」

 

 それより、いくんだって?

 先輩にあたる駆逐艦。今回の件で応援(たすけ)に来てくれた彼女がそう言う。私は肯首。

 

「いきますよ」

「その様子だと……巻雲は反対なのかな?」

 

 視線を送られた巻雲は俯く。唇を噛むようにして、それから首を振った。

 

「当たり前です。だって危険すぎます。なにが起こるか分からないんですよ?」

「なにが起こるか分からない、だからこそいくんだよ。だって私、なにもしなかったら絶対後悔する」

 

 ううん。もう後悔してるから。

 

「もう、これ以上後悔しないために」

 

 だから、なにがなんでも成し遂げなきゃいけないのだ。先輩は手を叩く。

 

「うんうん。やっぱり若いってのはいいね」

「たいして歳も変わらないでしょうに……」

 

 私の突っ込みを無視して、先輩は続ける。

 

「よし!じゃあそんな若人への手向けをあげよう!」

 

 それから手を差し伸べてくる先輩。私が首を傾げると、満面の笑みを湛えたままに首を傾げた。

 

「ほら。手を出しなさいよ」

 

 言われるがままにその手を受け取る。

 その瞬間――ずしり、と身体が重くなった。

 

「……ッ!」

 

 手とか腕、そういった部位部分が重くなったのではない。手から腕から伝わって、まるで身体全体が重くなっていくかのような……それが乱暴に注がれた水のように身体の中をのたうち回って、それから静かに染みこんでいく。

 

「どう、びっくりした?」

「……今の、何をしたんですか」

 

 先ほどまでの違和感は消えてなくなり、むしろ何かが身体の芯から湧き上がるようにして全身へと行き渡っていく感覚。

 

「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫よ。私の妖精(あいぼう)を預けたの」

「妖精を……? そんなことが出来るんですか。というか大丈夫なんですかそれ」

「分霊の応用みたいもんだって神祇のヒトが言ってたわよ。まあ大丈夫なんじゃない?」

「そ、そうなんですか」

 

 そう言われてしまえば、そうなのだろう。そう呆気に取られていると、先輩は巻雲を指差す。

 

「えぇ。わたしもですか……?」

 

 困惑したように先輩を見返す巻雲。この反応を見るに、巻雲は先輩が私にしたことを知っているようだった。

 

「当たり前でしょ? アンタがやらないで誰がやるのよ?」

「私はやってもいいわよ?」

 

 後ろから聞こえたその声。振り返った先輩はうえーと声をあげる。

 

「ちょっとぉ夕雲、アンタは外でも見張っていなさいって」

「こんな時間に誰も来やしませんよ」

 

 それに、抜け駆けは許しませんから。そう微笑んだ彼女は、なるほど私を差し置いてリーダー格を発揮するに値すると改めて納得。秋雲型ネープシップというのもなかなかに魅力的な称号だけれど、私は彼女ほど献身的なエゴは持ちあわせていなかった。

 

「ごめんなさいね秋雲さん。貴女にこんな役目を任せてしまって」

「いいってことですよ。これは私の戦いです」

 

 私がそう言えば、夕雲は微笑んだ。

 

「私たちの、ね? だから協力させて頂戴?」

 

 ほら、巻雲さんも。促されて巻雲も私の身体に手を置いた。二人の体温が私に伝わってくる。

 

「正直、巻雲は秋雲のいいなりで動くの勘弁なんですけどぉ……ま、ここは風雲に免じて貸してあげます」

「頼んだわよ。秋雲」

 

 私はもう一度、隣で眠る彼女を見た。今は電子音しか聞こえないけれど、それでも彼女は必死に生きようとしている。私の作戦を後押ししてくれるのはこの事実だけだ。とんでもない作戦だろう。上手くいく保証なんて何一つない。巻雲が言う通り、私も呑み込まれてしまうかもしれない。

 

「じゃあ……繋ぎますよ」

 

 巻雲が私に大仰なヘッドギアを被せる。SF映画みたいな大仕掛けも、やる当人になってみれば意外と心踊らないもの。

 

「いいよ、やって」

 

 その言葉を最後に、私の視界は暗転した。

 

 

 

 




 

 

 

 

 艦番号331『きんもくせい』。そめいよしの級と呼ばれる中型哨戒艦の医務室に、私たちはいる。

 

 理由なんて必要なかった。だってここは私の世界だから、私が『きんもくせい』に居ると思えばそこはもう『きんもくせい』の艦内なのだ。

 

「つまり……現実(ほんとう)風雲(わたし)はここに眠ってる訳ね」

「そ、それで秋雲サンはその隣に」

 

 ポンと堅いベットを叩きながら秋雲が言う。問い詰めた私に答えるべく秋雲がつらつらと述べたのは、まあなんというか、私の考えとだいたい似ていて。

 

「つまんないよ。史上最低につまんない物語(はなし)だ」

 

 悟られたくなくて、私は声を低くしたままに言う。

 

「秋雲には、映画脚本は向いてなさそうだね」

「それなー」

 

 状況が分かってないんじゃないかってくらいの呑気さで答えが返ってきて。

 

「ま、風雲の大根役者も大概だけどね」

 

 次の言葉に……胸が締め付けられた。

 

「分かってるよ、私の性に合わないことくらい」

「じゃあなんで」

 

 なぜ。なぜなのだろう。この世界があまりに都合よくできてことに私は気付いてしまった。それにもう、全部思い出してしまったから。

 

「私がさ、なんで死んじゃったのか。知りたいの」

 

 秋雲は振り返りもせずに言う。

 

「さっき言ったじゃない『秋雲(わたし)が殺した』って」

 

 アンタが言ったんだよ、風雲。そう言う秋雲は私を真っ直ぐ見ていて。それが何よりも雄弁に無実を主張しているようで。私は申し訳なく……それ以上に腹立たしくなる。

 

「ごめんね、じゃあ質問を変える。私は邪魔?」

「答え合わせの要らない質問に、答える意味ある? だって風雲にとっての秋雲(わたし)武装蜂起(クーデター)派なんでしょ」

 

 秋雲の言う通りだった。私が邪魔な理由は分かる。燃料と弾薬の横領は武装蜂起(クーデター)の準備だった。その事実に気付いてしまった私が、邪魔でない筈がない。

 仕方がないので質問を変えようとして……気付いた。いや最初から分かっていた。秋雲に聞くべきことは私が全部知っている。

 なにせここは、風雲(わたし)の世界だから。

 

「撃ちなよ。ほら、私は風雲(アンタ)のいう『裏切り者』だ」

 

 秋雲が言う。両手で支えて、後頭部から撃ち抜きなよと言う。いつの間にか、私の手には拳銃が握られていた。ご丁寧に安全装置が外れている。

 

「まって、まだ聞いてないことがある」

「いやないね。アンタの中で『2+2=5』と決まればそれは5なんだよ。秋雲サンに4と言う自由はない訳さぁ……だからもう、撃っちゃえば?」

 

 秋雲はそんなことを言う。それは紛れもない事実なのだろう。というか私だって分かっている。

 だからこそ、聞かなきゃいけないことがある。

 

「この(ふね)が……『きんもくせい』の主砲が私を撃った時、私は死んじゃったんだよね」

「風雲の解釈じゃそうなるね」

 

 私の脚本とは違うけど。その言葉に、秋雲は確かに棘を潜ませていて。

 

「だって、秋雲の言うことを鵜呑みにしたら秋雲(あなた)は私を撃ってそれから助けたことになる。そんなのおかしいでしょ?」

「確かにね。じゃあ秋雲サンが何も知らなかったとしたらどう? あれは本当に誤射で、そのあと必死に助けようとしていたら?」

 

 でも、私にぴったり付いてくるように指示したのは秋雲だった。無人艦艇との協同は国防海軍の金科玉条で、また同時に無人艦艇による誤射は一番恐れられていることでもある。秋雲が知らないはずがない。

 

「だから私は、秋雲が仕組んだようにしか思えない」

 

 そう言えば、秋雲は力なく笑う。ベッドに腰掛けて、膝に手を置いた。

 

「正直さ。ショックだったんだよ?」

 

 何がと聞く暇はなかった。秋雲は矢継ぎ早に言う。

 

「この世界の風雲(あんた)秋雲(わたし)()()()()()()にした。そりゃ確かに秋雲サンは不真面目だしつまらないヤツかもしれないけどさぁ……それでも、私らは一緒に漫画描いた仲じゃんか」

「うん、私たちはそういう関係でしかなかったよ」

「でも、そういう関係だったんだよ」

 

 思い出した今なら知っている。私たちは訓練学校で知り合って、それで意気投合して、それで……多分今日までと同じように過ごしてたんだ。

 

「アンタは秋雲(わたし)のことを信じてないのかもしれないけれどさ。私はアンタにそんなことしない、それはアンタが勝手に作り上げた創作(でつちあげ)だよ」

「違うよ」

 

 多分、多分秋雲は何も分かっていないのだと思う。少なくとも「酷いことをしたことがないから酷いことをする訳がない」というのは理屈が通らない話。

 

「秋雲は私に酷いこと、ずっとしてるよ」

「……」

 

 秋雲は、なにも返しては来なかった。なにも思い浮かばないのだろう。だったらもう言ってしまおうか。

 

「あなたは……あなたは私よりもずっとスゴい。お話は面白いし、まっすぐ前を向いてるし。私はこの世界ですら、あなたに何一つ勝てなかった……ううん。私はあなたと同じ土俵に上がることすら出来なかった」

 

 私はスケッチブックを取り出す。秋雲に押しつけられた、あのスケッチブック。本来なら部屋に置いてあるはずのそれは、何故か私の手元にあった。

 でも整合性なんて(そんなこと)どうでもいい。私はあのページを開く。そして秋雲に見せつける。

 そこには、どこまでもまっさらな白。

 

「みて、これ……私、何にも描けなかった」

「違うでしょ」

「違くない」

 

 だって風雲は努力したでしょ? その言葉と共に秋雲の膝上にばらばらと原稿用紙が現れる。

 

「あっ……それは」

 

 それは秋雲に気付かれないように仕舞っていたモノで、そもそも秋雲は存在自体しらない筈で。

 それなのに、今は()()()()()()にある。

 

「いやー便利だよね。この世界は」

「ちょっと、勝手に読まないでよ!」

 

 私が止めようとするのも聞かずに、しゃらしゃらと原稿用紙を捲っていく秋雲。ああなんで、なんでこんなに都合が悪いのだろう。私の(この)世界は。

 秋雲は原稿から目を離さずに言う。

 

「風雲はさ、読んで欲しかったんでしょ。自分(このはなし)を」

 

 だから、秋雲サンはいまこうして読めてる。

 

「なにそれ、意味分かんない」

「考えてもみてよ」

 

 秋雲は、そういう。何を考えろというのだろう。

 

「まずさ、秋雲が5万人のフォロワーの中から風雲(あんた)を特定するなんて芸当、出来ると思う? そんでもって随分昔に削除されたことになってる風雲(あんた)の過去作品を漁れると思う? そんなのストーカーじゃん」

「それは……」

 

 それは、確かにそう。この世界は整合性のないことばっかりだ。最前線のショートランドに深海棲艦は現れないし、訓練はいつも接舷訓練。カレーは決まって、甘いことに定評がある『やまづき』カレー。

 

「だって風雲、甘いカレー大好きだもんね」

「……うん。大好き」

「接舷訓練、同期の中でトップだったよね」

「そう、だったかな」

 

 そうだよ。秋雲はそう言う。この世界は、そうできているのだと、私も認めざるを得ない。

 そして、秋雲は言うのだ。

 

「ねえ風雲……散々()(らか)ったからもう本気にしてくれないかもしれないけれどさ。帰省の時にアンタが見せてくれた『浜岡原発大決戦』は本当に傑作だったのよ? そうじゃなきゃ私がオータムクラウドで活動してることを明かしたりしなかった」

「知らないよ、今更そんなこと言われても。だって秋雲は、私を利用したかっただけなんでしょ?」

 

 この世界でも、私に都合がいいはずのこの世界で、秋雲は随分と自分勝手に動いていて、それが私は、羨ましくてしょうがなかった。

 そんな秋雲が私に嗤う。

 

「なに言ってるのさ。利用したのはそっちのクセに」

「……」

「風雲の作品、宣伝してあげたじゃん。寄稿イラストだって描かせてあげたじゃん。間宮だって奢った」

「待って、最後のは原稿の手伝い(デスマーチ)のお礼でしょ?」

「まあね。だからこそ、私は気にしてないよ」

 

 でも、私は確かに秋雲の良心につけ込んだ。私のアカウントは精々フォロワー三桁。五桁(ごまん)の秋雲には到底及ばなくて……だから秋雲が「何かお礼がしたい」って言ってくれた時、つい私は。

 

「利用しあっていいじゃん。お互い目指すところも違くていい。それじゃあダメ?」

 

 秋雲はそう言う。そんな秋雲の目指すところは、何処なのだろう。きっとそれは私の知らないところ。スケッチブックの虚像(わたし)が眺める場所にあるのだ。

 

「でも……秋雲は武装蜂起(クーデター)派なんでしょ」

「風雲がそう言うのならね」

 

 秋雲は、否定しない。違うなら違うって言ってよ。違わないならちゃんと認めてよ。

 なんでハッキリ言ってくれないの。

 

「そりゃだって、秋雲サンがなんて言ったって風雲は信じないでしょ?」

信じられないよ(しんじられるよ)

 

 私の言葉に、秋雲は頷く。

 

「じゃ、その言葉を秋雲サンは信じる」

「どっちを?」

 

 秋雲は私の問いに答えない。そのまま私の原稿を置いて、ベッドから降りる。それから一言。

 

「無駄だよ。この問答自体が無駄。だってここは風雲の世界だよ? 風雲は信じたいものを信じればいい、信じたくないものを信じなければいい」

 

 秋雲が私に迫ってくる。ぐいと顔を近づけられて、目の前で彼女のリボンが揺れる。

 

「私は、私はそんなの嫌」

 

 すると秋雲は、私の両肩に手を掛けた。

 

「じゃ、秋雲サンを殺すしかないね」

「やめて」

「私のこと、信じられないんでしょ?」

「やめてよ」

「信じられないのなら、どうする?」

「やめて!」

 

 どん、と突き飛ばして。突き飛ばした私は、此の期に及んで「ごめん」なんて謝ろうとして。

 それで、秋雲が消えたことに気付いた。

 

「え……?」

 

 確かに私は秋雲を突き飛ばしたはず、秋雲は重力に惹かれて落ちて、その証拠にバラバラになった原稿が宙を舞っている。まるで蝶のように。

 

「ここだよ、風雲」

 

 その声は、声ではなくて。私が見下ろしているのは原稿用紙の束で。そこに、秋雲が()()()()()()

 

「いやー原稿用紙(こつちのせかい)って意外と広いのね。びっくり」

 

 呑気な表情で吹き出しを手に持った、秋雲がいた。それは動かない絵で、もしやと思いながら一枚捲ると真っ白な筈の原稿用紙に秋雲が現れる。

 

「あーなるほど。捲ると時間が進む仕組みなのね」

 

 納得顔の秋雲は確かに私のことを見ていた。何枚か捲れば秋雲が次々話しているのが見える。その秋雲は、不思議なことにさっきよりずっと輝いて見えた。

 

「ねぇ。風雲」

 

 そんな秋雲が、言う。

 

「いまなら、消せるよ。私のこと」

 

 消したくなんて、ない筈なのに。嫌がらせみたいに私の手には真っ黒なインクの容器が握られていて。

 

「いいよ。その真っ黒なので、私を染めてごらん」

 

 手のひらに収まるそれが、確かに私の手の中で存在を主張していて。私は気付けば、それを開いていた。

 懐かしい香りが鼻腔まで届く。昔、何本も何本もこのインクで線を引いた。私のペンに補充されたインクが原稿用紙の上に滑り出せばそこに世界が広がった。

 私はそのインクで、世界を塗り潰そうとしている。

 原稿用紙がぺらりと飛び去った。どうやら秋雲は、私が捲らなくても(てをかさなくても)勝手に喋るらしい。

 

「いいんだよ。風雲の苦しみを、私にも分けて?」

 

 私の苦しみ? そんなの、秋雲に解るはずがない。

 私、この世界にいる間()辛かった。なのにあなたは急に現れて、いつもそうやって笑ってる。

 ねぇ秋雲、もし私がインクをぶちまけたら、あなたは消えちゃうんだよ? どうしてそんな風に笑ってるの? なんでそんな余裕そうな顔をしているの。

 

「なんで……なんで?」

「なんでもだよ」

 

 秋雲が答える。表情を事細かに変えながら。原稿用紙が次々と空を舞っていく。

 

「私は、見ていることしか出来なかった」

 

 だからずっと後悔してたんだ。秋雲はそう言う。

 

「何の話……?」

「今ここで、寝ている風雲(げんじつ)の話」

「意味わかんない。なにそれ」

 

 秋雲は、きっと私が知らないことを話している。電子世界のオータムクラウド先生、第七護衛隊群の秋雲、武装蜂起派の(わたしをころした)秋雲……原稿用紙の中の秋雲。

 そのどれもが私の知っていて、知らない秋雲。

 でも、一つだけ共通していることがある。

 私はどんな秋雲にも勝てなかった。勝つどころか同じ土俵にも上がれなかった。多分どの秋雲も私より明るくて、人望があって、余裕があって、それで未来を見ているのだろう。それが羨ましくて悔しくて。

 私は腕を振り上げた。手の中にはインク瓶が、私のぶつけちゃいけない感情が詰まった瓶が収められている。原稿用紙の秋雲は笑っている。こんな時ぐらい慄いてよ。少しは余裕の無さそうな顔して見せてよ。

 あと、この腕を振り下ろせば。

 それだけで秋雲は、私の目の前から。なのに。

 

「こんッ……のぉ!」

 

 なのにどうしても振り下ろせない。腕だけじゃない、身体が金縛りにあったみたいに動かない。必死にもがこうとしても、一ミリたりとも動いてくれない。

 ふいに原稿用紙が、飛び去った。

 現れた次ページの秋雲は、呆れ顔。

 

「あー……出てきちゃったか」

「だって、流石に見てられないもの」

 

 その声は、私のじゃない。原稿用紙の吹き出しでもない。秋雲の声、()()()()()秋雲が居た。

 

「え?」

 

 そんな、なんで。秋雲は確かに、目の前の原稿用紙に閉じ込められている筈なのに。

 

「あなたは……誰?」

秋雲サン(わたし)風雲(わたし)だよ」

 

 そんなこと言われたって、意味が分からない。分からないけれど、分かることはある。

 

「風雲なら、私の気持ちは分かるでしょ!」

 

 私が言うのに、秋雲……秋雲もどきは首を振る。

 

「分かるよ。だから、余計にダメ」

 

 悔しいとか、羨ましいとか。そんな簡単な気持ちじゃないのだ。秋雲のいいところを一つ見つけると、私の悪いところが一つ見つかって。それで私はずっと滅茶苦茶にされ続けて、だからもう、見たくもない。

 秋雲もどきが私に言う。

 

風雲(わたし)はね。本当は秋雲のことを信じてるんだよ。この秋雲もどき(わたし)は『秋雲を信じてるもう半分の私』」

 

 言葉を返せない私をいいことに、秋雲もどきは続ける。

 

「この世界に逃げ込んだ風雲(わたし)は、秋雲を消そうとした。秋雲に裏切られたのが信じられなくて、だから秋雲をなかったことにしたんだ」

「でも、秋雲サンは風雲の世界(こつち)に来ちゃった」

 

 原稿用紙が言葉を継ぐ。

 

「だから、半分の風雲が秋雲(わたし)を助けてくれたって訳」

 

 意味が分からない。そう言い返したかった。なのにそれも許されなくて、秋雲もどきが私を抱きしめる。

 

「ねえ風雲。ここは貴女(わたし)の世界だよ。こんなに苦しいばっかりの世界にすることなんてなかったのに」

 

 偽物の温もり。秋雲もどきは秋雲じゃない。

 

「無理だよ。私は、現実の私は告発に失敗した。関係ない秋雲を巻き込んで、それで今ここで真っ黒に塗りつぶそうとした。私はこんな人間だから」

「苦しんで当然……確かにそうかもね。でも、秋雲をいじめるのはやめようよ」

 

 分かってる。こんなの八つ当たりだ。そんなことは百も承知で、秋雲が分けてくれなんて言うから。

 

秋雲サン(ほんにん)としては、分けて(いじめて)欲しいんだけどな」

秋雲(あなた)は被虐嗜好じゃないでしょ」

 

 秋雲もどきがばっさり言い捨てて、原稿用紙の秋雲がやれやれと肩を竦める。それから秋雲が現れる。

 

「……今は、()()()?」

「どっちも。だって、秋雲サンは風雲の助けがないとこの世界には存在できないからね」

 

 夕雲さんも巻雲も、みんなそうなのよ? 秋雲がそんなことを言うので、私は苦笑い。

 

「なんでそうまでして、この世界に(わたしをたすけに)来たの?」

 

 私の問いに、秋雲は首を振る。

 

「助けに来た……ちょっと違うかな。私はね」

 

 風雲の世界を見てみたかったんだ。秋雲は笑った。

 

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