デスクの上には何も広げられていない。
書記官もおらず、必要な手順もおそらく踏まれていない。
録音は流石に録るだろうが、おそらくその存在は抹消される。
何のために必要なのかもすら分からない「査問会」が始められようとしていた。
「瀬戸月ヒナタ。2006年北海道に生まれる。父親の海外赴任に伴いミクロネシア連邦チューク州へ転居……」
「一点修正させてください。私の生まれは北海道ではありません」
出鼻を挫かれた小河原海将補が露骨に嫌そうな顔をする。とはいえここを修正しておかないことには説明が難しいのだ。
「私の生まれは東南アジアです」
「……国名は?」
「そこまでは分かりません」
「訳が分からんな。母親は駐在員だったのか?」
「いえ」
「父親の瀬戸月博士にミクロネシア連邦以前の出国記録はないが」
「当然です。私は彼の子ではありませんから」
「……養子縁組の記録はないはずだが」
それは当然だろう。記録は抹消、改竄されているのだから。
「私は本来、存在しない子供なのです」
小河原海将補は眉を顰める。恐らくは、『子供』というワードが引っ掛かったのだろう。
「つまり、君はポートモレスビーにおける『大規模な通信障害』を引き起こした……」
「訂正を、大規模な通信障害並びに無人哨戒護衛艦制御システムへのクラッキング、基地施設の破壊、第7護衛隊群ポートモレスビー分遣隊の作戦能力喪失……」
「もういい、やめろ瀬戸月1尉」
「別に誰も聞いていません。そのレコーダーだって、どうせ処分するんでしょう?」
瀬戸月は小河原を睨む。睨まれた小河原は肩を竦めた。
「君なぁ……私に八つ当たりなんかしてどうするんだ?」
「八つ当たりなどしておりません閣下。どうやら閣下は今回の件について『不勉強』なようですので、いくつか説明させて頂いているまでですが」
「あのなあ、瀬戸月くん」
つっけんどんな瀬戸月の態度に、小河原は呆れたように肩を竦めた。
「君は勘違いしているようだから言っておくがね、本来ならポートモレスビーの事件は
「それは閣下の個人的なご意見でしょう?」
「いいや。軍全体の意見だ。ことが明るみに出れば『子供』を
その言葉に、瀬戸月はぴたりと動きを止めた。小河原は続ける。
「そもそもなぜポートモレスビーでクーデターが起きたと思う?」
正確にはクーデター「未遂」なのだが、彼はそうは考えていないのだろう。表沙汰になるべきと考えているのなら、尚更。
だが、今となってはそれは幻想だ。クーデターは隠蔽された。他でもない、瀬戸月の手回しによって。
それを無視して、小河原海将補は続ける。
「オセアニア地域の要衝であるポートモレスビーは我が軍の兵站拠点で、特務艇の整備拠点もある。ここで軍事クーデターを起こすのは、なるほど『正しい』。軍事的合理性がある」
しかし政治的にはどうだ? 小河原は机の上に太平洋全域を写した地図を広げる。
「ポートモレスビーはニューギニアの首都、そしてニューギニア政府は人類の最前線国家。ここに駐留する国防軍部隊がクーデター? オセアニア地域が崩壊する」
「もちろんです。だから私はそれを
そう言ってのける瀬戸月。もちろん国防省ビルの一角に平然と勤務している時点で、彼女の経歴は真っ白である――――表向きは。
瀬戸月ヒナタ、国防海軍の1等海尉。
彼女が部隊長を務める第193護衛隊――特務艇4隻で構成――は第7護衛隊群への教導任務のため東南アジアへと派遣された。
「しかし君に課せられた任務はクーデターを防ぐことだったはずだ」
「止められない所まで来ていたんですよ。まして、糸を引いていたのは日本だった」
奇妙な話である。なぜ日本政府が自らの統制下にあるはずの日本国国防軍にクーデターを起こさせるように誘導するというのか。
「それは、君の勝手な思い込みじゃないのかい。瀬戸月1尉」
「思い込みにしては状況証拠が揃っているように見えますが」
そう言いながら瀬戸月は「状況証拠」とやらを列挙していく。
ねつ造された大規模作戦によりポートモレスビーへと集結させられた第7護衛隊群主力、彼らを
「
「それだけ準備に時間をかけたんだろう。哨戒艦隊のずさんな管理体制はグアムの一件でも明らかになっていた。あり得ない話ではない」
「その『準備』にどれだけの手順が必要かご存じですか? 無人護衛艦制御システムの量子暗号を突破するのはいいとして、大規模作戦の立案には偽装された偵察結果と
「だからこそ、この件は
そうすれば浸透した反政府主義者を一網打尽に出来ると小河原は冷たく言い放つ。
しかし国防軍は「膿出し」を行わなかった――――いや、出来なかった。
小河原は一枚のコピー用紙を持ち上げる。そこには仰々しい「機密」の文字で固められた、表に出すことの許されない声明文が書き記されている。
「それが全部、これで台無しになった」
我々はここに要求する。
一、世界保健機関に報告された、西暦2010年から西暦2034年までの人口について、作為的に操作された実数を修正すること
一、現在まで東南アジア地域で行われている人身売買行為について、国際人権連盟の調査団を派遣し、結果を公表すること
一、全世界において艦娘を運用する五六カ国の政府は、管理下にある艦娘の人権ならびに尊厳が保たれているかの調査を行い、結果を公表すること
一、日本国政府によるインドネシアならびにニューギニアにおける平和維持活動は、内政干渉であるから一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収すること
以上の4項目を顧みない時、我々はソロモン諸島海域において人類のために行っている哨戒活動を放棄し、当該地域の防衛設備を完全に破壊する。
「『人類のために行っている哨戒活動を放棄する』――――なるほど、脅し文句としては上等だったな。キチンと保身を図る強かさもある」
けが人こそあれ犠牲者が出なかったのは、不幸な奇跡だったのだろうが。小河原は口にこそ出さなかったが、その表情には不満がありありと滲み出ていた。
「賭けでした。ですがおかげで、
「そうだな。君が反乱未遂を起こしていなければ、今頃は幕僚課程に進めていただろうに」
「嬉しくないですね。私、これでも現場が大好きなんで」
もどかしい会話だ。肝心な場所に触れずに、遠回しに非難と失望を浴びせられる。
今さら失うものもないので、瀬戸月は踏み込んで聞いてやることにした。
「そろそろハッキリ言って下さいよ。『お前のせいで大迷惑だ』って」
「…………迷惑どころの騒ぎじゃない」
海将補はそこで一呼吸。
『常套手段なのよ』
2年前。無人艦艇が暴走し、
政治的混乱と現地軍の動揺は常にセットだ。まして反乱ともなれば最前線が陥落しても
だからこそ、日本は……国防軍はクーデターを
「君の活躍によって、南方の見知りもしない土地を守るために子供たちが死ぬことになる」
その言葉に、瀬戸月の胸に炎が宿る。それは赤熱した炭のように、長い時間をかけて熟成された大いなる怒りであった。
「その子供すらも南方から『収穫』した我々に、それを言う権利がありますか?」
「知らんな」
そんな筈はないだろう。この「査問会」を担当することが決まった時点で、もしくは既に知っていたからこそ、彼はこの場所にいる。
「人口統計が不正に操作されていることを証明する手段はありません。我が国では一次情報が書き換えられ、南方は地方政府の機能不全から統計自体が存在しませんからね。しかし閣下もご存じでしょう。最前線を担う哨戒艦隊、彼らはあまりに――――日本人らしからぬ顔立ちをしている者が多い」
「君、それは
「
そもそも歴史上で
「そうだとも」
そしてそれを自覚して尚、国防軍は突き進み続けた。進み続けてしまった。
「そして君は瀬戸月博士の子。
小河原は悪びれる様子もなくそう告げる。ドン、とデスクが音を立てた。
「南洋生まれの小娘を担ぎだして
もちろん、音は瀬戸月によるもの。彼女がその両拳をデスクへと叩きつけたのだ。
「……何に対して怒っているのか、全く理解しかねる」
「護衛艦隊こそ国家防衛の要と信じる
国防海軍の実戦部隊は、一部を除いて自衛艦隊に集約されている。
その自衛艦隊の中で主力を成すのが護衛艦隊と哨戒艦隊。第1から第4までの護衛隊群により構成される護衛艦隊は、国防海軍が「海上自衛隊」を名乗っていたときからこの国を守ってきた伝統ある部隊である。
「護衛艦隊は本土防衛に温存された。しかし
そして哨戒艦隊とは、第5から第9までの護衛隊群で構成される「第2艦隊」――――とある目的のために新設された専従部隊。
ちなみに第9護衛隊群は不祥事により解散、第8護衛隊群に至っては15年前に
「だが、君。5、6、7は未だ健在だろうに」
「ではクーデターが『予定通りに成功』したら、どうでしたか?」
「7護群は解散だろうな。『鎮圧』という形で」
そうすれば確かに日本政府に仇なそうとする反乱分子はいなくなるだろう。しかしそれがオセアニア地域の失陥を意味することは、誰の目にだって明らかなはず。
瀬戸月は畳み掛けるように続ける。
「では
「その時は護衛艦隊が
小河原はそこで息を吸うと、ゆっくり吐き出すように言葉を紡ぐ。
「だからこそ、君は護衛艦隊に配属されていた。
もっともらしい風に言う小河原の言葉も、戦場を知る瀬戸月には机上の空論にしか聞こえない。彼女たちが立ち向かう敵はそんな容易い存在ではないのだが、小河原にはそれが分かっていないように聞こえるのだ。
「……仮に、
太平洋における戦線は環太平洋造山帯をぐるりと取り囲むように広がっている。保持しなければならない戦線は長く広がっているが、一方で「奴ら」にも太平洋中への
オセアニアを、フィリピンを、台湾を、それぞれ失陥すれば奴らは戦力を分散しなくても済む。奴らは総力を集結して
「その時、私たちは戦えますか? 国防すらも『子供』に委ね、本土での平穏と繁栄を享受していた私たちが戦えますか?」
「だからこそ、表沙汰になるべきだったんだ。
小河原は表情を崩さずに続ける。そこにはもはや、愛妻弁当に舌鼓を打つ一人の男は存在しない。
「国民を目覚めさせるために、ですか?」
「政府を目覚めさせるためだ」
「『子供』を犠牲にしてもですか?」
「日本国民を犠牲にしないためだ」
「……
「
「選択肢なんてなかった。
「そうだ。選択肢はなかった。だから白日の下に晒されねばならなかった」
「そんなことをすれば私たちは迫害されます」
「迫害? 国家と人類を守った君たちがなぜ迫害されなければならない? 迫害されるべきなのはむしろ、道を違えた我が国だよ」
小河原は静かに、淡々と告げる。
政府は反乱分子を鎮めたかった、だからこそ子供たち――戸籍上は日本国籍として登録されている人材たち――を弾圧する大義名分として「蜂起」を望んだ。
子供たちは追い詰められていた。
いくら愛国教育を施された彼らといえ、経済的な事情がなければ軍人を志す者は少ないだろう。支援してくれていた孤児院や里親も、国家的な陰謀による「仕掛け」と分かれば失望してしまうのも仕方ない。
そして国防軍は、その「仕掛け」の遂行者としてシステムの限界を感じていた。
制度疲労や兵站線の限界……口にこそ出さないが、国防軍は今現在の戦線を維持することが出来ないのである。「蜂起」が起これば戦線を放棄できる。だからこそ彼らは蜂起を許容した。
誰も本当のことは口にしないだろう。だからこそ問答に終着点はない。互いの意見をすり合わせたところで平行線を辿るだけ。
それでも、はっきりさせねばならないことはあった。
「仮に、国防軍という組織に意思があるとして――――」
瀬戸月は目の前の将官を見据えて言葉を紡ぐ。
「小河原海将補、
しばし沈黙。彼は深く息を吐いてから、すっくとデスクを立った。
「本日はここまでとする。仮眠室に戻ってよろしい」
瀬戸月が息を呑んだ。もし彼女の表情を形容するならば、それは絶望――――もしくは、言葉で言い表しようのないほどの義憤と憐憫、そして諦観だろうか。
「国が滅びますよ」
小河原は答えない。まるで知ったことではないと言わんばかりに。
「閣下、私は――――」
「もういい。結構だ瀬戸月1等海尉」
手で遮って、小河原海将補は立て付けの悪い扉に手をかける。ガタガタと動かない扉にため息をついて、ぼやくように漏らす。
「君たちには
国防省ビルに設けられた瀬戸月1尉の「仮眠室」は厳重な監視と引き換えに安全を保証してくれる。あらゆる通信は監視され盗聴は当然のこと赤外線カメラすらも設置されたその部屋で、瀬戸月は通信端末を開いた。
「まったく、こうも平行線だと嫌になっちゃうわね」
ぼやいて解決するなら、そもそも自分はこのように囚われの身にはなっていないことであろう。そんなことはもちろん瀬戸月とて理解している。
それでもぼやかずには居られないものだ。通信端末を開き、わずかに許可された通信先を選択。警務隊による傍受は承知の上で、回線を開く。
『……どうも』
「お疲れ! 愛しの不知火ちゃん! 今ひま?」
『暇でなければ応じませんよ。今日は艤装の整備でオフなんです』
あくまで素っ気ない調子の相手。しかし呼び出し音が一回も鳴り終わらないうちに応答があったあたり、尻尾があったらブンブン振られているのではないかと瀬戸月は考えている。もちろん彼女の勝手な想像なので証拠はないが。
『それにしても、今日は遅かったですね。どうされたんですか?』
「あー今日はね、新しい収監先に護送されたのよ」
『そうですか』
「安心して? けっこう気さくなヒトだし、話は通じそうだから」
まるでパン屋の新作を食べた感想を述べるかのように瀬戸月は言う。護送やら収監やら物騒な言葉が並ぶあたり扱いはまるで政治犯のそれであるが、瀬戸月ヒナタは事実として政治犯――国防海軍による
存在しない事件、存在してはならない不祥事。存在しないのだから処分すら出来ない。国防軍は瀬戸月ヒナタという人物を飼い殺しにするほかなかったのである。
「そういえばね、いよいよ始まったわよ。私の取り調べ」
『……それは、私に伝えてもよろしいのですか?』
「さぁ? だめなら通信が遮断されているんじゃない?」
その言葉を放っても遮断されないのだから、おそらく問題はないのであろう。瀬戸月は雑談を続ける。芸能スキャンダルや人気アニメの展開予想、健康の話題。
そんな言葉をころころと転がしながら、瀬戸月は先ほど小河原と交わした最後の会話を思い返していた。
――――なぜ君は「復讐」を成し遂げなかったんだ?
それをするだけの権利があった、というのは果たしてどういう意味なのだろうか。それは瀬戸月のあずかり知るところではない。
ただ、これだけは言える。
「でも。新司令について一つだけ不安な点があるのよ」
『なんです?』
「あのヒト、たぶん
特務神祇官。
霊力と呼ばれる「科学により観測されたオカルト」により戦う特殊な技能を用いる職業。その異能をもってして、敵対的な害獣ともエイリアンとも神の審判とも呼ばれる正体不明の生物――――深海棲艦と戦う職業。
「私たちが戦場で何を頼りにするか、誰を守ろうと思って戦うのか」
たとえ嘘に塗れたとしても、虚構の祖国を守り抜くことになったとしても。
守るべき対象がある限り、戦うことをやめるわけにはいかない。だからこそ瀬戸月は、遠い戦場に彼女のかつての相方は、戦い続けることが出来る。
その思いは電話先の相棒にはキチンと伝わったようである。わずかに嘆息するような息づかい――まるでやれやれと、女房が旦那に漏らすような――が聞こえた後に、短く言の葉が続く。
『ご帰還をお待ちしております、陽炎』
「――――ったりまえよ! いつまでも本土で
特務艇〈陽炎〉艇長、瀬戸月ヒナタ。監視下に置かれた携帯端末を閉じた彼女は、盗聴器に聞こえるようにひとつ呟く。
それは宣戦布告であり――――今の彼女を支える、最後の矜持。
「