舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第111話 兎角この世は住みにくい

 さて。時は数時間ほど遡る。

 

 

 サハリン州の州都ユジノ=サハリンスクに降り立った小河原海将補以下軍人3名および民間人1名は、空港でロシア海軍によって出迎えられる手はずになっていた。

 

「一応、真面目な現地部隊同士の調整会議だから。くれぐれも粗相のないようにな」

 

 そう釘を刺した小河原海将補。護衛役として小河原の脇に控えた陽炎は、そっと出迎えの陣容を盗み見る。

 出迎えの中心に立つのは女性。ロシア海軍の艦娘だろうか。その脇には細身の海兵服に身を包んだ儀仗兵が銃剣付きの小銃で捧げ銃をしている。

 

「あれが、ロシアの艦娘……」

 

 それにしても綺麗なヒトだと、陽炎は無責任に思う。ロシア人女性が美女揃いとは聞いていた。しかし透き通るような髪の毛やくりりとした眼は、美女というより西洋人形のような精巧さを感じさせる。

 ずんずんと進む小河原の姿を認めたのだろう。その人形の眼が、ぱちりと瞬いた。

 

「やぁ同志! また会ったね!」

 

 満面の笑みで小河原に敬礼をしたロシア人。いや、ロシア人であることは問題ないのだが、あまりにも流暢な日本語が飛び出してきたのだから驚くほかない。

 しかしそれよりなにより問題なのは、どうやらこのロシア人と小河原が既知の中でありそうなことであった。

 

「……コホン。はじめまして。小河原アツシ、階級は海将補。中島、訳してくれ」

 

 しかし小河原は無視して強行突破を図る。ちなみに中島とは山城の本名、ここで戦艦艤装の使い手と明かすわけにはいかない故の処置である。

 

「おおっと、その必要はないんじゃないかい同志! あんなに夜を通して熱く語り合ったというのに……」

「夜を通して語り合う!?」

 

 そして、あっさり引っかかるのが小河原空佐であった。

 

「ダーリン、ちょっとこれどういうこと⁉」

「なんのことだか分からんな。中島、訳して」

「ひどいじゃないか、私のことを忘れてしまったのかい? でも灼熱の極寒を過ごしたことは覚えているよね?」

「灼熱の極寒!? なにかの隠喩ねッ! このドロボー猫!」

「中島! 訳してくれ! はやくっ!」

「なんですかこれ。何かの馴れ合いですか」

 

 憤る空佐、焦る海将補、煽るロシア女。背後に控えた儀仗兵たちはニヤけ顔。

 

「だから連れてきたくなかったんだ……」

 

 一方、海将補の面子は丸つぶれである。やりきったとばかりにロシア人女性が手を差し出した。

 

「ごめんごめん。まさか本当にキミが来てくれる、それもちゃんと奥さんを連れてきてくれるなんて思わなくてね! 私は教導駆逐艦〈タシュケント〉。よろしくね!」

「二度とこんな茶番には付き合わんからな……さて、行政官代行のところに案内してもらおうか」

「もちろん!」

 

 そこまで言われれば事情を全く知らない陽炎でも分かる。

 

 どうやらこれ、出迎えではなかったらしい。

 

 

 


 

 

 

「でもまぁ、まさか樺太がそんなことになってるなんてね」

 

 知らなかったわと漏らす片桐。どちらかというと政治寄り幹部であるはずの片桐が珍しいと陽炎が口にすると、私は太平洋戦線(しんかいせいかん)専門だからと返される。

 

「軍事支出が民政を圧迫しきっているんですよ。国営企業でもなければロクに操業できないような状況では、どうしても現地軍の発言力が強まります」

 

 燃料とパンを運んでくれるわけですからねと説明する小河原空佐。繰り返しにはなるが、彼女は小河原海将補(だんなさん)さえ関わらなければ政情分析も出来るようである……おそらく。そう願いたいと、散々振り回された陽炎は思う。

 そんな陽炎の願いも知らず、片桐は遠くを、正確には競馬場のスタンドから向かって奥の直線を走る馬群を見つめる。官給品である双眼鏡をそんなことに使わないでほしい。

 

「ま、日本(こつち)も似たような状況だけどさ。ここまで酷いとはね」

「……」

 

 ロシア連邦軍は、結論から言えば軍閥化の道を辿っていた。

 長らく続いた深海棲艦との戦い。それはあらゆる国家を疲弊させる。しかしロシアは大陸国家であり、影響は最小限に留まるはずであった――――――沿岸部を除いては。

 

「樺太に千島列島を守るために役立つのは、モスクワよりも大湊。それは当然、サハリン州も理解しているというわけです」

 

 そうまとめる小河原。納得げに頷く片桐。納得いかないのは陽炎である。

 

「いやあの、競馬場に来ていることの説明にはなっていませんよね?」

「え、馬が走るのにこちらが賭けねば無作法というものでは……?」

「発想がおっさん!」

「こーら、女の子に歳を感じさせること言わないの……おっ、来た! よし、いけっさせぇッ!!!」

 

 

 ……ひとまず要点を押えると、以下のようになるだろう。

 

 ひとつ、既に日本国国防軍とロシア連邦サハリン州派遣軍は癒着している。

 ふたつ、今回の協議は形式的な、それこそロシア本国(クレムリン)への方便程度である。

 みっつ、もちろん本国はサハリン州の動向に注視しており、国防軍から派遣された将官は厳重監視される。

 

「だから()()()海軍幹部である小河原海将補(ダーリン)と通訳役の中島(やましろ)さんだけが派遣軍司令部に引っ張られることになった……と」

 

 ちなみに小河原空佐は空軍の所属なので会議には参加しない。彼女の任務はあくまで民間支援だ。

 

「それに、さすがに反乱の首謀者(かげろうちやん)一般人(わたし)はお呼びじゃないもんねぇ」

 

 そう言いながら小さな紙キレをポケットに仕舞い、手元に置いた新聞――――もちろん競馬新聞である――――を開く片桐。

 

「にしても、気を抜きすぎでは? それによりにもよって競馬場なんて……」

 

 陽炎は競馬が苦手であった。これは決して片桐に唆されて単勝に一万円をぶち込んだら案の定負けたのがトラウマになっているとかそういう話ではなく、彼女の()()が関係している。

 

「こういう場所は、一種のバロメーターなんだよ。娯楽を楽しめる階級がどのくらい居るのか、居るとしたらどういった階級なのか、労働者は? 軍人は? 売店で売られている商品からも経済水準が分かるものよ?」

 

 知った風で言う片桐だが、競馬新聞とにらめっこしているので説得力はなかった。

 

「でも真面目な話、日本人か中国人(モンゴロイド)しか居ませんよね」

「そりゃそうでしょ。明らかに()()()()()の娯楽だもの」

 

 それは当然、樺太が日中といった外国資本の占領下にあることを意味していた。

 

「さーて。じゃあ勝ち馬投票券買ってくるけど。陽炎ちゃんと3佐はなにか買う?」

「……結構です」

 

 買わないことは分かっていたのだろう。すぐ戻ると言って片桐は立ち去っていく。残されたのは陽炎と小河原空佐。陽炎は小河原を見ないようにした。

 彼女は空軍の所属で陽炎や『子供』たちを処断しようとする小河原海将補の妻。当然ではあるが、彼女に対して良いイメージを陽炎は抱いていない。出来れば話しかけないで欲しい。

 

 しかしそんな陽炎のささやかな祈りを打ち砕いて、小河原は口を開いた。

 

「最近、()()()()()()()には顔を出してないの?」

 

 その言葉に、陽炎はなにも返さない。

 

 瀬戸月ファームは北海道日高にある畜産業者、競走馬(サラブレツド)専門の牧場だ。この戦時に信じがたいことに、穀物も食用肉も産み出さない競走馬の育成を行っている。

 

 そして陽炎にとって、そんな情報は問題ではない。問題はその牧場が冠する名前、瀬戸月にこそあった。

 

「線香くらいあげてあげればいいじゃない、父親なんだからさ」

「……あんなところに父はいません、勘当されたんですから」

 

 ご存じでしょう、とは言わない。

 

 こんな踏み込んだ話をするのだから自分のことを調べているに違いないと陽炎は踏んでいたが、皮肉を言えるほど小河原のことを知っている訳ではなかった。

 

「勘当、か……最後の最後で尻尾切りにされたんじゃ、確かに勘当みたいなものか」

 

 そう呟いて陽炎に向き直る小河原空佐。しばし沈黙の後に、彼女は語り出した。

 

「瀬戸月1尉。あなたには権利があると、私は考えているんだ」

「聞き飽きましたよ、それ」

 

 あなたの旦那から何度も聞きましたから、とまでは言わないが。

 

「いや、小河原海将補(かれ)みたいな煽りではなくて――――――《私たち》》は()()()()を守らなければいけなかった」

「は……?」

 

 私の名前知ってるでしょと彼女が言う。小河原ノゾミだというのは聞いているが、陽炎に心当たりはない。

 

「いやそっちじゃなくて、私の旧姓」

「……いえ、知りませんが」

 

 もっと言うと、そんなこと知りたいとも思わない。旧姓がなんだと言うのだ。

 

「あれ、もしかして本当に知らない?」

 

 陽炎が頷けば、小河原は目を丸くした。それから怪訝そうな表情をして言う。

 

「あなたの名前って瀬戸月ヒナタよね? 南洋の英雄、瀬戸月ミナト海将補の娘」

 

 それは事実だ。

 

 陽炎が初等教育を終えるまで住んでいたミクロネシア連邦。その構成州のひとつであるチューク州を守っていた第8護衛隊群第3分遣隊の長、それが瀬戸月ミナト海将補。殉職により昇進したので、当時はまだ1佐だったけれど。

 

 しかし、それがどうしたというのか。

 話の要領を得ない陽炎に、小河原は困惑顔。

 

「もしかしてだけれど、瀬戸月のご親戚に会ったことない感じだったり……?」

「なんなんですか。悪うございましたね親族付き合いが悪くて」

 

 会ったことがない……訳ではない。一応。

 

 しかし陽炎の父というのは、所詮は義父。血のつながりがないとなれば親戚なんてあってないようなものである。

 そもそも、陽炎は後見人を必要としていなかった。義父と義母が死んだ時点で既に幼年学校生、その後は高等幼年学校、国防大学校に国防軍と常に衣食住と給与の発生する組織に所属していたため、親族の不在で困ったことがないのである。

 

 だから考えることはなかった。本音を言えば、赤の他人に家族面されても困る。

 なにせ最初に、お義父さんとお義母さん(たいせつなかぞく)を見放したのは陽炎自身なのだから。

 

「えぇと……これあれか。もしかして最初から説明しないといけない感じか……」

 

 そして小河原はというと何故か頭を抱えている。しかし結局は説明することにしたらしく、ちょっと長くなるわよと前置きして話し始めた。

 

「私たち特務神祇官の技能を用いて深海棲艦と戦うことを『霊力戦』と呼ぶのは知っているわね? そして、その技量は少なからず先天的な才能に左右される」

 

 艦娘なら知らない者はいないであろう基礎的な知識である。艤装は一人乗りの小型艇、そんな小型艇が時に百人乗りの大型護衛艦以上に戦果を挙げるのは質量戦よりも霊力戦の優位があるからこそ。

 そしてその霊力戦は、霊力を扱う神祇官の技量と霊力量に依存するのである。

 

「で、その霊力の才能は日本人に異様に多い。だから日本は諸外国よりも早く、大量の艦娘を配備することが出来たとされている訳だけれど……」

 

 霊力――――それは決して日本人に与えられた贈り物(ギフト)ではない。根っからの日本人でない陽炎が今艦娘としてここにいるのがその証左である。

 

「うん。普通に考えればおかしいわけだ。なぜ日本だけが特務神祇官を素早く育成することが出来たのか。日本にだけ艦娘という()()が隠されていたというのか?」

 

 その答えは()であると、小河原は言う。

 

「我が国には古くより、国家の霊的守護を担う血族がいたんだよ。彼らは血統を練り上げ、時代と共に進化する怪異に対抗するべく改良を続けてきた」

 

 ちょうどほら、あそこにいる軽種馬(サラブレツド)みたいにね。そう言いながら小河原は目の前に広がるコースを指さす。庶民の娯楽として提供されている競馬も、かつては軍用馬を育成するための国家事業であったことは有名な話である。

 

「あなたの瀬戸月家は北海道の守護者だった」

 

 あそこは微妙な土地だったと小河原は続ける。

 

「倭人とピースの異なる信仰(言語)体系、北方民族の流入、まして肝心の日本が、鎖国以来の外来文化を受け入れるという大規模外科手術の最中だった」

 

 彼女が放つ言葉の羅列は、ともすればオカルト雑誌でも一笑に付されるような内容。しかし深海棲艦が「科学で観測されたオカルト」と呼ばれるように――――観測されてしまえば、それは科学となる。

 

「とはいえ、ほかの一族と違って北海道に()()()()()()()瀬戸月の分家には経済的な基盤がなかった。だからこそ彼らを支えるパートナーが必要だった」

 

 そこまで言われれば小河原の言わんとすることは明白であろう。霊的な守護がどのような行為なのかは知らないが、特務神祇官と同じようなことをしているのであればそれこそ国家規模のバックアップが必要であるはずだ。

 

「それがあなた方……ええと」

「飯田家」

「……飯田家だったと?」

「歪んだ制度だよ。本当なら神祇院がやんなきゃいけないんだけどね」

 

 そういうの全部、ぶち壊されちゃったから。そう語る小河原の言葉が、どこまで本当かどうかは分からない。

 なにせ陽炎の義父は、親族の話なんて一つもしたことはなかったから。

 

「……そんな話、聞いたこともありませんでした」

 

 思えば陽炎は、義父のことを何も知らない。それどころか知ろうともしなかった。ただ居て当たり前の父親だと思い……それが偽りだと知った後は、近寄りがたい存在として忌避していた。そうしているうちに永遠に逢えなくなってしまった。

 

「話さなかっただろうね。瀬戸月海将補、本家(実家)のこと嫌いだったらしいし」

義父(ちち)のこと、知っているんですか?」

 

 だからだろう、そんな言葉が漏れてしまったのは。

 

「私の親が、直接の知り合いだったよ」

 

 そう言って、小河原は携帯端末を取り出す。幼稚園児らしき制服を着込んだ幼子が映るロック画面を指紋認証でパスすると、手際よく画像を展開した。

 

「ほら、写真を取ったから画質は悪いけれど」

 

 そこには、陽炎の記憶にない養父の姿があった。

 

 上半身と下半身が一体となった作業着……いわゆるツナギに、ゴム製長靴。

 それらは新品からは程遠い使い込まれ具合で、くすんだ色の上に重ね塗りされるのは泥や枯れ草。

 記憶の中の養父よりずっと若いはずなのに、記憶よりも重々しく、老けたように伏せられる(まなこ)

 

 記憶と変わらないのは、刈り揃えられた頭髪くらい。

 けれど間違いなく、養父(おとうさん)だ。

 

「いつの写真ですかっ?」

「端に書いてあるでしょ、えっと……1996年の7月だから、丁度今から40年前かな」

「……40年、前」

 

 その時間のスケールを、陽炎は考えたこともない。

 まだ新自由連合盟約(ニューコンパクト)が、深海棲艦が、艦娘が……そして自分自身が、この世に存在していない頃の話。

 

「瀬戸月ファームはいい隠れ蓑だったらしい」

 

 競走馬を買いに金持ちや名士が日高地方を訪れるのは自然なこと。多額の資金が動くのも『よくある話』。

 

「この写真、彼が曳いている馬の背中に乗っている女の子。誰か分かる?」

「?」

 

 それを言われて初めて写真の大部分に目を向ける陽炎。写真は彼女の養父である瀬戸月ミナトを写したものではなく、むしろ彼の曳く馬、その背中に跨がる人物を中心に写していた。

 女性なのは、分かる。発展途上の少女らしい体つきは、フリルを数多備える服飾によって幼女と呼んで差し支えない外見になっている。それはおそらく彼女の顔が幼いからであろう。ぱちりと開いた眼は色付き、三つ編に結われたブロンドの髪は日本人にはあり得ない組み合わせで、まるでオモチャの人形だ。

 

「これ、私の母親なんだよね」

「……は?」

「ほら、瞳の色一緒でしょ? 髪の毛だって」

 

 言われてみれば、なるほど。確かに写真の中心に納められた少女と目の前の小河原は同じ風貌……いや、少しだけ瞳は黒いだろうか。しかし大差あるようには見えない。

 ああ、なるほど。確かに似ている。けれど陽炎は気付きもしなかった。もっと言えば、彼女の髪や目が黒くないことに()()()()()()()()()()()()()()

 

「……カラコンとか、染めているわけではないんですか」

「そ。色染め文化は海軍だけだよ」

 

 もう少し正確には、特務艇部隊だけ――――……

 

「……では、小河原空佐も。ご存じなんですね」

 

 髪の毛を染めたり、カラーコンタクトを仕込むことは特務神祇官の数少ないオシャレだった。

 街をぶらぶら歩き、友と語らう時間を投げ出した少女たちに許された自己の発露を行う領域だった。

 

 けれどそれは、不都合な『子供』の真実――――日本国外から持ち込んだ『子供』を日本人として育てていること――――を覆い隠すための、仕込まれた「文化」だった。

 

「ま、認めるわけにはいかないけれどね。それに今は枝葉の話だ。本筋に戻ろう」

「……」

 

 陽炎の怒りを、果たして小河原は理解できるだろうか。いや出来まい。理解されて堪るものか。

 

「たぶん、瀬戸月海将補も怒り狂っていたんだろうね」

 

 貴女のように、と。小河原が漏らす。

 

「私の母親は()()()()()()()()()()だった。少なくとも、瀬戸月家……いや、瀬戸月ファームはそう認識していた」

 

 日本という国を霊的に守護する血族が、写真の中の彼女を「輸入された血」と表現する。

 それが意味することは、ただひとつ。

 

「この人にも、神祇官としての才能が」

「証拠はこの私で十分、でしょ?」

 

 なるほど。空軍軍人でありながら特務神祇官としての資格を持つ彼女は、確かにそれだけの才能を持っているということなのだろう。

 

「結婚させる気だったんだよ。瀬戸月ミナトと、この子(私の母親)を」

 

 周囲の喧騒が、少し遠退く。

 

「私はそれが、悪いことだとは思わない。瀬戸月海将補も理解はしていたんじゃないかな? 優秀な親を掛け合わせて優秀な子供を作る、何も不思議な話じゃない」

 

 けれどそれに「納得」出来るかは別問題。

 

「だから出奔したってところかな? それ以来、彼は実家には一度も……」

「馬鹿にしないでください」

 

 ぴしゃりと、陽炎は言ってのける。

 

「あなたに何が分かるんです? 養父と会ったことのない貴女に」

「分からない。でも、ボタンを掛け違えれば私の父になるかもしれなかったヒトだ。それに想いを馳せるのは……」

 

 小河原の言葉が最後まで続くことはなかった。

 

 

「おやおや。なーんか穏やかじゃなさそう?」

 

 

 なぜなら、そんな声が聞こえたから。

 

「お腹空いたよね? 色々買ってきたから食べよっ」

 

 声の主は香ばしい匂いを振りまきながらひょっこりと顔を出した片桐。匂いの正体はこれでもかと抱えられた焼きそばやらたこ焼きやらの食べ物たち。

 出鼻をくじかれる格好となった陽炎は眉をひそめた。

 

「どうしたんですか、ソレ」

「いやぁ、ひと穴当てちゃった! オッズ十七倍。もー、ウハウハよ」

 

 食べ物の出所を聞いたのだがと呆れる陽炎。大手ファストフード店も出店してたわよと言いながら片桐は陽炎と小河原に食べ物を配っていく。

 

「一応、仕事なんですけど」

「まーまー。硬いこと言わないでよ、陽炎ちゃん。やるときはやって、遊ぶときは遊ぶ。これは人間の鉄則だよ?」

「少なくとも遊んでいていい状況だとは思いませんね」

「え、じゃあ口止め料にガラナあげる」

「いりません」

「いーから、いーから。はい、小河原3佐も」

 

 強引に謎の缶を押し付けられる。どことなく毒々しい色をした缶だけど、果たして本当に飲んでも大丈夫なのだろうか。勝手に開けられたプルタブに口をつけてぐいっと傾けると、甘ったるい粉薬みたいな味が口いっぱいに広がった。

 

「どう? クセが強いけど、意外とイケるでしょ?」

「……まずいですよ、これ」

「ありゃ? 口に合わなかったかぁ。でもまあ、そういう経験も必要だよねぇ」

 

 じゃ、私はこの賞金をまた何倍かに膨らませてくるから! のんきに鼻歌なんかを歌いながら、片桐一佐は馬券を買うためにまた消えていく。

 

「なんというか、嵐のような人ね。ずっとああなの?」

「……まあ、そうですね」

「というかあのパターンは大外しするでしょ。止めなくていいの」

「…………そういうの、昔から聞かないんです」

 

 気軽なものだ。こっちの気も知らないで……

 

 

 

 

 

 ……いや、誰だって。

 

 他人の気を知ってなどいない。知った気になって、知ったフリをしているだけ。

 だからこそ、もう少し。聞いてみようと思った。

 

 例えそれが、どんなに苦い味だったとしても。

 

「もし、私の養父とあなたの母親が結婚していたら。何が起きたと思いますか」

 

 沈黙。そう表現するにはほんの少し短い間を置いて、小河原は口を開く。

 

「わたしも、あなたも。ここには居なかった」

 

 

 ああ、そうだろう。

 

 

「私はそもそも産まれようがない。飯田家は、ハッキリ言って瀬戸月家を財政的に支えていただけ。霊力の血筋としては雑草もいいところ、だから私は産まれない」

 

 そう言いきれる彼女が、少しだけ羨ましい。

 

「そしてあなたは、おそらく」

「いいわよ、皆まで言わなくて」

 

 深海棲艦の出現は2012年。陽炎の戸籍は偽装されているが、歳が大幅に違うということはないだろう。

 そしてその偽装された戸籍によれば、瀬戸月ヒナタ(かげろう)は2012年に小学生になっている。

 

「私は、間違いなく小学生にはなれなかった」

 

 きっと何処かで野垂れ死ぬか、もしくは少年兵にでもなっていたのではないだろうか……国際秩序が生きていた当時のことを思えば、日本が『子供』を集められる場所は限られてくる。自身が紛争国出身であることは容易に想像がついた。

 

「そうよ。私は運が良かった。」

 

 半ば当てつけのように缶をひっくり返して中身を飲み干す。クセのある後味が喉に引っかかる。

 

「幸せだったのよ」

 

 そしてその幸せを、陽炎は自ら手放してしまったのだ。

 

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