舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第116話 袖振り合うのも鍔迫り合い

「少し、ひとりにしてもらえませんか」

「亡命しないって約束してね? 私が怒られるから」

 

 

 許可が降りる時点で監視はするんでしょう……なんて、軽口を言える気分ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程までの轟音が嘘のように、線路の並んだ陣地は静か。己の靴底で砂利を鳴らし、幻聴のような遠雷に耳をそばだてる。

 

 もちろん、それが何も解決しないことくらい分かっている。現状維持は明らかに悪手で、けれど踏み出そうにも目的地がないのだから仕方がない。

 結局、ひとりになったところで焦燥感が募るばかり。だからこそ片桐は簡単に許可を出したのだろう……生産的でなくとも、私の気を沈め、ある種の諦観を植え付けることは可能だから。

 

 もちろん、それを半ば理解した上で乗っている私にも問題はあるのだろう。

 現在位置は泥沼の底。なんとか足掻いて抜け出したいが、どちらが上なのかも分からない……だいたいそんな感じの状況。

 

 詰みだ。たぶんもうとっくに詰んでる。そもそも産まれたときから詰んでいた。顔も知らない親に売り払われた時点で、私の人生は詰んでいた。

 少年兵として使い潰される未来と、特務神祇官として精々30過ぎまで生き長らえて使い潰される未来、果たしてどっちがマシなのだろうか……その点、小河原3佐が羨ましい。

 

 彼女は歯車が狂っていれば、こんな世界に産まれずに済んだのだから。

 

「……いけない、そんな現実逃避に意味なんてないのよ」

 

 それでも、逃避のひとつでもしなければ耐えられない。息をしていられない。

 なにせ、今の私に誇りと呼ぶべきものは何もないのだ。幸福な家族を手放した、立身出世のために罪のない人々を利用した、戦友を守るために恩義がある筈の組織に楯突いた……せめてと特務神祇官(かんむす)としての矜持を騙っても、もはや駆逐艦として戦うことも赦されてはいない。

 

 

 嗚呼、海が見たい。

 

 

 そう思わせたのは、艦娘としての存立理由(アイデンティティ)を保とうとする故か……はたまた業火に消えたミクロネシアの透き通るような珊瑚の海か。

 

「バカみたい、つい数分前に見たばかりなのに」

 

 電磁投射砲としては珍しい威力重視のそれは、空気抵抗によるエネルギー減衰を最低限にするために直射を行っていた。故にあの小高い砲陣地からは当然、サハリンの東部に横たわるオホーツク海を望むことが出来たのだが……。

 

「……」

 

 自然と、目の前の土塁を睨んでいる自分に気付く。ロケット砲は直射なんてしない。相手方の観測射撃――――そんな高度なことが可能なのに、学会は未だに深海棲艦を動物として扱っている――――を防ぐために視界が通らないようにしているのである。

 もちろん、基本的には射程に入る前に退避するので無意味な用意なのだが、整地の際に出た土砂を廃棄する意味もあったのだろう。土塁は無意味に、そして堂々と積み上げられていた。

 

「まるで防波堤、ね」

 

 目の前の土塁だけではない。このサハリン州自体が防波堤なのだろう。南北におよそ1000キロ。細長くて巨大なこの島は、アムール川(ロシア内陸部)や日本海に化け者共の侵入を拒む天然の要害である。

 そしてそれを維持するために、あらゆる資源を周辺国は投入している。日本の艦娘、中国の砲兵……そしてロシアの核。

 

 土塁に足をかける。コンクリートなどで舗装こそされていないが、流石にキチンと固めてはあるらしい。確かな感触を信じて、滑らないように慎重に斜面を登る。

 それにしても、建設の土砂を流用したというには妙になだらかな土塁だと陽炎は思う。確かに気を抜けば転びそうだが、よほど運動神経が悪くなければどうにかなりそうな……。

 

 と、そこで陽炎の耳に音が届く。

 波の音でもない、風の音でもない。もちろん、爆発音なんかではない――――――それは。

 

「……ヒトの声?」

 

 そう。人の声。

 無人であるはずの、無人でなければならないはずの場所から聞こえる、人の声。

 

「嘘でしょ……」

 

 けれど呟いたところで目の前の光景は変わらない。土塁の向こうに広がっていたのは、まるでスラム。それとも難民キャンプとでも表現した方がいいのだろうか。

 キャンプといっても流石に北国、テントが立ち並んでいることはなく、建てるだけ建てて放置されたような集合住宅というべきか。

 

「なんでこんな所に、難民キャンプが……」

 

 疑問が浮かぶよりも先に耳へと飛び込む喧騒。建物から出てきているらしい住人達は、押しかけるようにある一点に集まっている。

 

 群がる人々の先には、武骨なデザインの軍用トラック。

 バラバラと何かが配られ、受け取った人は口々に何事かを口走る。陽炎にはロシア語も中国語も分からないが、感謝を示しているらしいことは理解できる。

 

「あんなところでなにやって……」

そんなことも知らないんだ、お姉さん

 

 突然割り込んだ知らない声に振り返れば、そこにはアジア系の少年。

 身長は150センチほどだろうか。目深に帽子を被り、切れ長の視線を覗かせる子供がそこにいた。

 

『報酬』だよ。今日も囮になってくれてありがとうってさ

「……は?」

戦闘のあとに配られる物資がなければ、ここで生きていくこともままならないからね

 

 なにを言っているのだろうか。ロシア語らしい発音なのは分かるのだけれど……。

 

「え、えーと……いんイングリッシュぷりーず……?」

 

 普段は統合情報端末の自動翻訳に頼り切りなので正直英語も怪しいが、流石に日本語は高望みだろうと英語での会話を試みる。

 するとその子は、すっと掌を差し出した。

 

お姉さんたち外国のヒトでしょ? 元か円はないの?

 

 ロシア語が分からなくともこれは分かる。ふてぶてしい「おねだり」だ。

 さて困った。国防軍は衣食住の全てを提供する。日本資本が大々的に進出している南部サハリンでは日本円があれば事足りる。

 つまり陽炎は、現地通貨を持っていない。

 

「えーと。悪いわね、これしかないの。日本円……だいたいワンハンドレッドダラーくらいあるわよ! 持ってっていいから、いんイングリッシュぷりーず!」

 

 翻訳料としてはボッタクリだろうが、今持っているお札がこれしかないのだから仕方がない。持ってけドロボーと渡せば、少年はそれを受け取りじっと見つめ……――――。

 

 

「――――――日本の1万円札(渋沢栄一)なんて久しぶりに見たよ」

「いや日本語喋れるんかいッ!!!」

 

 崩れ落ちそうになる陽炎相手に、彼は涼しい顔。

 

「カミは死んだけれど、カネは死なない。ドルなら米語を、ルーブルには露語を、元には北京語を……そういうものだろう?」

 

 いや全く分からないんけど!? 困惑する陽炎に対して少年は悠々との頭からつま先までを流し見すると、それからふむと首を傾げる。

 

「……それにしても同郷、しかも軍人さん? 驚いた、日本軍もこんなところに興味があるなんて」

「同郷……じゃあ、あなた。まさか」

 

 頭の中にすーっと入ってくるそれ。呆れんばかりに流暢な日本語。

 

「そうだよ、一応日本の生まれ。なんでかこんな場所にいるけれど」

 

 昔は北部樺太(サハリン)も日露雑居地だったからねと、そんなよく分からないことをブツブツ呟く彼。

 

「ああそうだ、それで、いんイングリッシュぷりーずだったかな?」

「日本語が出来るなら、日本語でお願いします」

 

 そうかい、と。そして彼は群衆を示す。

 

「『働かざる者食うべからず』と言うだろう。あそこにいるのが彼らの仕事なのさ」

「それって、どういう」

「それはね…………」

 

 そこまで言ってから、少年は陽炎を一瞥。

 

「なんだろう。凄く久しぶりに日本語を喋ったら、喉が乾いてしまったな」

 

 

 

 

 

 

 少年に案内されてたどり着いたのは、スラム化した集合住宅の地階にあるバーであった。

 昼間ということもあり閑散としたそこは密談には都合がいいのだろうが、少年の外見が酒場には()()()()()。せり上がったカウンター席に、もはやしがみ付くようによじ登るのだから尚更だ。

 

いつものを頼む

 

 少年が女主人にロシア語で声をかければ、彼女は無言で辣酒と書かれた手作り感溢れるラベルを棚から取り出して、並々とコップに注ぐ。

 色などは照明の都合もあるのか暖色系、度数は知らないが少なくともそれが単なる水でないことは明らかだ。

 

「ちょっとアンタ、まだ未成年じゃ……!」

 

 陽炎の極めて常識的な指摘を無視して、少年はその液体を一気に喉へと流し込んだ。

 

「このくらい、ここじゃジュースだよ」

 

 その言葉と共に目の前に置かれる陶器のコップ。白かっただろう地は薄汚れてくすんでおり、口は少し欠けていた。

 

「……なによ」

「同郷(にほんじん)と会うのは久しぶりなんだ。商売とは別に、飲み交わしたくもなるさ」

 

 付き合う他ないのだろう。少なくとも毒ではない……はずである。陽炎は席についてコップを手に取る。

 

「それじゃ、同胞との再会を祝して」

 

 次々と料理が並べられていく。

 

 どれも味が濃そうなものばかり。

 

 塗りたくられたマヨネーズを綺麗に焦がした大海老……あれはもはやエビマヨの範疇を超えているのではないだろうか。彼はぺろりと尻尾までたいらげた。

 食べないのでは体裁が悪い。少年は歓待してくれているのだ。それを無碍にするべきではない――――――尤も、支払いは陽炎もちなのだが。

 

「……うへぇ」

 

 いやこれ、本当に口にして大丈夫だろうか。

 まず衛生の面。洗剤で綺麗に洗われているなんて期待できないし、そもそもちゃんとした水で洗い流しているのかさえわからない。食材だって腐っていない保証はない。冷蔵庫なんて上等なものを使っているかどうか。

 

「……ええい、覚悟を決めろ私!」

 

 えいやっと謎の揚げ物を突き刺す。きつね色を通り越して褐色の物体X。火を入れすぎているような気がするけれど、加熱されているだけマシだろう。

 

「う”っ……」

 

 まず口に広がったのは使い古した艤装の潤滑油みたいな油の匂いがするべちゃべちゃの生地。

 生地の中から飛び出してくるのは、ねちゃっと糸を引くようなどろどろの食感とべたべたした甘さ。

 

 たった一口ならいけるだろうと思っていたが、甘い考えだった。もうすでに口から戻しそうだ。

 

「おやおや。あまりお口には合わなかったようだね」

 

 けらけらと愉快そうに笑いながら、少年はフチの欠けたマグカップをひと息に煽り、平然とした顔で他の料理にも手を付けていく。

 

「……くっ、負けて堪るかぁ!」

 

 これでも駆逐艦、それも一番艦(ネームシップ)の名を賜るのが陽炎こと瀬戸月ヒナタ1等海尉である。

 明日の胃腸は後で心配することにして、目の前の難敵に彼女は視線をむけるのであった。

 

 

 

 ――――――それにしても、と少年が言ったのはカウンターの皿がひとしきり空になった頃合いであった。

 

「せっかく観光に来たんだから、ロシアっぽいものは食べてるのかい?」

「ボルシチはもうたらふく頂いてるわよ」

「軍人さんなのに北部によく来られたよね。サハリン軍とは仲がいいんだ? いや、中国軍かな?」

 

 仲がいい、分かりきったことを。

 それどころか中国軍からは亡命のお誘い(ヘッドハンティング)が来るぐらいよと言ってやりたかったが、流石にそれは単なる情報漏洩なので陽炎は無言を貫く。

 そんな陽炎に、少年は肩を竦めた。

 

「それにしても酔狂だよ、このご時世にわざわざ沿岸部にくるなんて」

「そうかしら。サハリン・ナンバーズはみんな海沿いじゃない」

 

 日本のエネルギー事情は逼迫している。差し迫った危機は耐用年数を間もなく迎える原発群だ。

 廃熱の都合上沿岸部に立地する他ない原子力発電所は深海棲艦からすれば格好の「的」で、新規建設おろか原子炉の交換すらも自治体の大反対で頓挫している始末。

 

「エネルギー確保は急務でしょ? 私達は日本から何とか融通して貰えないかって、おねだりしに来てる立場なの」

「いくら地下資源が有望でも、沿岸の国防力の一切を艦娘に頼らざるを得ないってのは辛いよね」

 

 これが超大国って嗤えるでしょと少年は呟いた。追加で給仕された麻婆豆腐を口の端に塗りつけながら話すその様は、まるで他人事。

 

「そういうお姉さんだって、文字通り対岸の火事だよね。だって日本軍は南洋から締め上げた油がたくさん余ってるじゃないか。それとも何? ロシアが力尽きるまでに手元に置いておきたいの?」

 

 支払いは()()にしちゃえばいいものね。少年が嗤う。

 

「武器はどのくらい持ってきたんだい? 見る限りかなり鍛えてるよね。カラテがあれば素手で制圧することも出来るのかな?」

「しないわよ、そんなこと」

 

 そう言いながら万札を財布からあるだけ出してぶちまける。すっと女主人が半分かっさらっていった。

 

「ロシアの国土を日本が守り、働いているのは中国人。なんとまぁ首の皮一枚で成り立っている経済圏じゃないか。楽しそうなのは深海棲艦でシューティング(ゲーム)をしている軍人さんくらいだね」

「悪いけれど、遊びに来ている訳じゃないの。()()()()()()()が出てくる前に話して貰えるかしら?」

「怖いねぇ」

 

 言葉とは裏腹に怖がる素振りは微塵も見せず、少年は中華スープを呑みほして、グラスの酒を再び流し込む。大袈裟な動きはさも消費という行為を説明するかのよう。

 

「折角だしクイズに付き合ってよ。世界で一番不安定な商品(モノ)ってなんだと思う?」

「不安定?」

 

 高価とか安価ではなく、不安定なもの。

 陽炎の脳裏に浮かんだのは毎朝のニュースでとりあえず報じられる日経平均株価だったが、もちろんそんな話ではないだろう。

 少年は指を指す。それがどこかを考える前に、ピタリと陽炎を一直線に射貫く。

 

「考えたらダメだよ。ここは頭じゃ分からない、君たちの尺度じゃ測れない。その身の丈は特別だけれど、信じることが出来るだけ」

 

 要するに人間だと、彼女は言いたいらしい。

 

「人間に絶対的な価値があると思うかい? 豚ですら食べた分だけ肉になるのに、同じだけ食べている筈の人間が貧乏だったり金持ちだったりする」

 

 だから不安定なのだと彼女は言いたいらしい。

 価値を生む人間に生まない人間、その違いはどこから来るのだろうねと彼女は続ける。

 

「ここはね、中国人の町ではないよ。中国人は南サハリンで吸い取られるからね」

 

 地図を逆さまにして考えてみてよと少年は言う。

 

「アジア経済圏は巨大な()()装置だ。遥かなる南方(グレイトサウス)で難民が産まれる。それはまず艦娘候補として召し上げられる」

「!」

 

 それは「子供」の話……日本が、ひた隠しにしている筈の秘密。

 僅かに頬を強張らせる陽炎に、気付かぬふりで少年は続ける。

 

「まぁ当然の事だよね。霊力はいまや人間由来の希少資源、栽培型の日本と消費型の中国という違いはあれど、利用するにこしたことはない」

「たまげた陰謀論ね」

「隠さなくてもいいんだよ、どうせ皆やっているんだからさ」

 

 嗤う少年は、続けるよと喋り続ける。

 

「そして次に南部穀倉地帯。アジア連合ならタイベトナム、新自由連合盟約(ニューコンパクト)ならフィリピンってところかな? 難民の大半はここで単純労働に従事させられる」

 

 もしかしたらここに引っ掛かるのが一番幸せかもねと、ではここで捕まらなかった人たちは不幸なのかと、少年はひとりで問いかける。

 

「そんなことはない筈だ。なにせその下には、ジャパン・コリア・チャイナの三傑が待っている。基幹産業に重工業を据え独力で怪物たちに抗うことが出来る地域大国、消えない電気、有り余る食料、戦時を忘れた贅沢の数々……でも、そこにたどり着いた難民は彼らに仲間入りできる訳じゃない」

 

 鎖国主義のジャパンは難民を受け入れない、閉塞したコリアは仕事がない、チャイナは高度な技能を持つ人材だけを搾取する。もっと言えばジャパンはその「中国産高度人材」を輸入していると少年は言う。

 

「で、最後に南部サハリン。母国語の優位を生かせず、難民に仕事を奪われ居場所(こきょう)から押し出された人々が行き着く場所」

 

 そうして()()の行程が終わるのだと、少年は北部サハリン(このばしょ)を棚に上げて締める。

 

「じゃあ、ここは?」

 

 誘導されきった質問だった。それでも問わずにはいられない。ろ過されきった難民、ありとあらゆる需要(ネット)にかからなかった人々の行く末。

 

「不安定なんだよ。人間の価値は」

 

 いつ必要とされるか、いつ不要になるか。必要ならどれ程の度合いで必要とされているのか。

 

「その点、北部サハリン(ここ)におけるヒトの価値は()()()()だ。生きているだけで場所を取る、息をするだけで空気を汚す。でも何故か物資の配給はある。電気や燃料も供給されている。なぜかここは維持されている」

 

 いったいどうしてだろうねと、少年は微笑む。それは憐憫の笑み。

 

「そういえば、20年前にも似たようなことがあったよね」

 

 少年の口角が、吊り上がる。

 

「あそこは維持するような場所じゃなかった」

 

 価値がマイナスになるのはヒトに限った話ではないと少年が言う。

 

「米軍の空母打撃群(スーパーキャリア)が負けた時点で、維持できるわけがなかった」

 

 陽炎が少年を睨み付ける。おぉ怖いと流して、少年は続ける。

 

「ミクロネシア戦役。ジャパンとアメリカの威信をかけて行われた太平洋の防衛戦争。考えてみればあそこを5年も持たせたのはスゴかった、うん。すごいよ」

()()()()()()をしないで」

「キミだって知らないだろう? 瀬戸月ヒナタ」

 

 ぴしゃりと少年が言いつける。なぜ私の名前(それ)をと陽炎が動揺したのを見て、少年の独壇場は止まらない。

 

「でも不思議だよね。どうしてジャパンもアメリカも南洋の人々を避難させようとはしなかったんだろう? それどころか移住を促進してすらいた。国際貿易が寸断されたことによって生じた余剰在庫を解放するための市場が欲しかったのかな」

 

 だとしたらそれは南部サハリンと同じだと、少年は言う。

 

「当時はまだASEAN+1連合軍構想が健在だったからね、東南アジアに活路を見いだせなかった日本の気持ちも分かるよ。うん」

 

 それは陽炎にとっては知らない、知ったことではない話。

 ミクロネシア戦役は過去の話でしかなくて、それは自らが犯した罪で。

 

「でも、やっぱり無理だった。深海棲艦相手に艦娘だけで立ち向かうことは現実的ではなかった…………軍艦ナシ護衛隊群、艦娘だけで構成された誇り高き第8護衛隊群の英雄には厳しい現実かな? けれどね、これが現実なんだよ」

 

 人類を守るためだとか、世界のためだとか――――――そんな崇高な理由ではなく、ただただ自国経済のためにミクロネシア戦役は始まったのだと少年は告げる。

 

瀬戸月ミナト(キミのおとうさん)……悲劇の英雄、チューク十万、ミクロネシア全域なら何十万を救った英雄――――――さぞ腹を煮やしたことだろうね、当時の日本政府は。なんせ実態は植民地を失った挙げ句に難民(おにもつ)まで抱える羽目になったんだから、彼のせいで」

 

 そして不幸なことに、民主主義は棄民を許さなかったと。少年は断じる。

 

「だからロシアやチャイナは勉強した。どうすれば棄民を効率的に実施できるか、どうすれば国際社会から後ろ指を指されず、自国民からも文句を言われずに行えるか」

 

 その結果が南北サハリンだと、少年は断罪する。経済特区の名目で安い労働力を押し込める南部、地続きでありながらも足を踏み入れること自体は違法である北部。

 

「ここは価格の調整弁、人間という不安定な価値を持つ商品の『端数』を処理する場所」

「…………で、私に何をして欲しいの?」

 

 

 陽炎は、冷静だった。主観的には。

 

 

 なにせやり口が同じだ、現実を突き付け、様々な感情を煽り、それから何かを要求する。先日、小河原3佐にやられたことと全く同じ。

 

 そこまで感情に流されやすいと思われているとは、少々心外である。

 ……いや、前科(ポートモレスビー)があるのだから当たり前か。

 

「いや、別になにも」

「はい?」

「だから。何もしなければ、それでいい」

「……」

 

 それは要求だろう。

 

「これで『はいそうですか』なんて言うわけないでしょ? 要は私に動かれると困るわけだ、それで釘を刺しにきた」

 

 陽炎は少年を見つめ直す。背後関係は何一つ見えないが、ただの難民でないことだけは分かる。

 けれど、それだけ。いや、ひとつだけ分かることはあるか。

 

「ずっと私のことを見ていたのね?」

「否定はできないかな」

 

 陽炎が単独で行動することはなかった。これは偶然ではなく、リスク回避をする上での基本の行動。

 単独(ひとり)になった途端に接触するなんて、継続的な監視がなければ不可能だ。

 

「私、そんなに危険人物かしら。他にいくらでも『危ないの』はいると思うのだけれど」

 

 それこそ小河原夫妻とか、私を人身売買に関わらせた(ポートモレスビー事件に巻き込んだ)上官とか。

 

「君の『おっかない上司』よりは危険人物かな。彼女はまだ、弁えているからね」

「彼女?」

片桐1等海佐(キャプテン・カタギリ)だよ。君、小河原海将補(アドミラル・オガワラ)のことを上官とは思っていないだろう?」

「……ノーコメントで」

 

 それにしても「弁えている」だなんて、片桐には最も相応しくない言葉のように思える。

 

「彼女はアレで現実主義者(リアリスト)だ。20年も艦娘を、しかも空母なんて高級艤装を扱って()()()()()()()()だけでも、十分『マトモ』なのさ」

「うそでしょ?」

 

 無人艦艇による深海棲艦対処、艦娘の活用を最小限に抑えようとする片桐は中々の夢想家だと思うのだが……いや、そんなことはどうでもいい。

 

「で、私が片桐(アイツ)より危険なら、どうするわけ?」

「別に、どうもしない。けれどそれで十分だよ」

 

 もう全部終わったからね。少年の言葉に答えたのは、陽炎ではなく、陽炎に装着された骨伝導イヤフォンだった。

 

『陽炎ちゃん、悪いけどすぐ戻って来て』

 

 いやな予感がする。陽炎は表情ひとつ変えずに……変えないように努力しながら、送話機を指で叩いて続きを促す。

 

『深海棲艦の大規模集団が出現。それも千島列島の後ろ、オホーツク海……サハリン島(わたしたち)のすぐ近くよ』

 

 ぎょっとして、隠せなかったことに気付いて少年をみやる。少年は、静かな微笑みを湛えていた。

 

 

「変わるしかないんだよ。世界も、ヒトも」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 サハリン島、もう少し正確には南部サハリンの特別経済区に進出した日系民間軍事企業(PMC)は3社存在する。

 

 1つ目は、統合警備保障。金融機関の警備とホームセキュリティでお馴染み、サハリンに展開した日系企業の玄関を守っている。

 2つ目は、幹央警備保障。鉄道駅や大規模公共設備の常駐警備に強みがあり、サハリンでは主要インフラ施設の警備を担う。過去にはミクロネシアで日系資本を標的にしたテロ事件もあったことから、日本国内のそれとは比べ物にならない重装備で固めている。

 

 そして最後にK&Iセキュリティーズ。大手商船のオーシャン・カンザキと老舗警備会社の飯田警備保障を中心に、複数の商船会社が出資する商船専門の警備会社。もちろん装備品は特務艇艤装である。

 

 

 

 そしてなぜか、K&Iはポロナイツクにオペレーションセンターを抱えている。陽炎も頭を抱えている。

 

「いや、流石にこれは無理が……」

 

 

「小河原海将補、入られます」

 

 その言葉にオペレーションセンターの全ての人員が立ち上がる。三十は優に越えるであろう視線に彼は素早く応じ、敬礼を解くことで仕事に戻るよう促す。

 K&Iセキュリティーズは警備会社。しかし特務艇を専門に扱う以上どうしても海軍OGOBが多くなる。

 

「天下りが多ければ、天下りだけで編成された支社があっても……いやいや、おかしいですよね?」

 

 そんな陽炎のぼやきに応じてくれる者はいない。なにせ、ことは急を要するのである。お喋り好きな片桐ですら応じないのだから、余程のことである。

 

「状況は」

幌筵(ぱらむしる)択捉島(ひとかっぷ)はスクランブルをかけましたが、間に合いません」

 

 当たり前である。国防海軍の展開が公式に認められているのは千島列島のみ。その千島列島を飛び越して敵がオホーツク海に現れたのだから、追い付ける筈がない。

 

「初動は我々だけか。お隣さんはどうだ」

「北部サハリンに駐屯する中露連合軍は既に迎撃体制を整え、カムチャッカからは航空軍の戦略爆撃機があがったようです」

「デコイだな? 進路は変わるか?」

「ネクスト25にナンバーズが攻撃圏に入ります」

 

 つまり進路が変わる気配はない、と。「今のところは」なんて枕詞で誤魔化すには、サハリンに接近され過ぎている。

 

「それにしても、よりにもよってナンバーズとは…………」

 

 そう言いながら、空席のひとつに腰かける小河原海将補。

 サハリンには艦娘がいない。いや、民間警備会社の体である程度はいるのだろうが、少なくともここには3隻しかいない。

 即ち陽炎(瀬戸月1尉)と、蒼龍(片桐1佐)と、山城(中島3佐)である。護衛だとか顧問だとか通訳だとか、そういう名目はもはやどうでもいい。

 

 腰かけて数秒ほど静止した小河原海将補の眼が、その3隻の艦娘に向けられた。

 

「この際だからハッキリ言っておく。私は霊力戦は()()()()だ」

 

 全くの門外漢であると。唐突に宣言する海将補。

 

「だからこそ。こうして君ら幹部艦娘だけが集められた、そう私は考えている」

 

 故に、些事は専門家に任せると、そう言わんばかりに。そして……

 

 

「勝てるな?」

 

 

「いやー、きついでしょ」

「ちょっ、片桐1佐(そうりゅう)なにいってんの!?」

 

 狼狽したのは戦艦〈山城〉を預かる中島3佐である。いや、ほんと。おっしゃる通りですよと陽炎はため息。

 そんな僚艦たちにお構いなしに、彼女は続ける。

 

「勘違いしてもらっちゃ困るよ小河原クン、艦娘は万能薬じゃない」

「しかし他に手段がない」

「その割に『艦娘以外は使いたくない』って顔してるけどね。このオペレーションセンターはなに?」

 

 単なる艦娘部隊(哨戒艦隊)じゃこんな豪勢な指揮所は使わないわよと、片桐は周囲を見回す。

 

「それに艦娘を突っ込ませる前にやることはいくらでもあるでしょ。空中ミサイル(ラピッドドラゴン)とか、長距離射撃(ヴォルカノ)とか」

 

 しかし小河原は厳しい表情を崩さない。

 

「通常ならば、そうだ。しかしナンバーズとなると話は違う。あれはサハリン権益の中心だ」

 

 サハリン・ナンバーズ。オホーツク海の海底資源を掘削する海上プラットフォーム群の総称。

 現在はサハリンIからサハリンIVまで、大きく4群のプラットフォームが設置されているそれは、ロシアにとって対日外交のカードでもある。

 

「ロシアはナンバーズだけは自力で守ってきた。日本や中国に守らせるなんて、海底資源を奪われたも同然だからな」

 

 もしも日本国国防軍が採掘プラットフォームを直接防衛することになれば、有事の際(もしものとき)には必ず接収されてしまう……そんな恐怖が、ロシア側にはあるのだろう。

 

「つまり小河原クンが言いたいのはこういうことね?」

 

 片桐が簡潔にまとめる。

 

「日本によるナンバーズ防衛はロシアが許さない。でも日本がナンバーズの破壊を座して待っていたとなれば外聞が悪い……だから特務艇(かんむす)だけを死地に突っ込ませる」

 

「否定はしないな」

 

「そして、蒼龍(わたし)山城(こっちの彼女)は貴重な主力艦。喪失させるわけにはいかない」

 

 小河原がなにやら反論するために口を開こうとするが、片桐の方が早かった。

 

「そして小河原海将補(アンタ)が直接指揮出来る特務神祇官(かんむす)はひとりだけ。もう分かるわよね?」

 

 ぐい、と。片桐が小河原のネクタイに手を掛ける。

 

「やり方が明け透け過ぎるのよ、アンタらは……そんなに陽炎(あの娘)が邪魔なの?」

「なにか誤解があるようだな」

「『誤解』ですって?!」

 

 ぎり、と片桐が小河原のネクタイを握る。

 

「そうだ、誤解だ。まずは落ち着いて話をしよう。おい誰か、片桐顧問殿にお茶を淹れてやってくれ」

 

 小河原の一言に、しんと静まり返るオペレーションセンター。

 誰も動かない。まさか聞こえなかった訳ではないだろう。

 

「……言っておくけど、私だって肩書きだけの顧問じゃないのよ? ここはあくまでK&Iの施設。そして私はK&Iの顧問」

 

 ()()()くらいするわよと片桐。いつの間にそんなことをと陽炎は感心。

 

「てっきり遊んでばかり(競馬とか麻雀とか宴会とかして)いるものと……」

「おおーう陽炎(ヒナタ)ちゃん後でお話ね? なんにせよ、アンタらの事情で可愛い部下を死なされちゃ困るの」

「手駒の間違いだろう」

「この期に及んで挑発とは良い度胸ね?」

「挑発ではない。説明だよ片桐1佐」

 

 ネクタイを掴まれ、首を絞められる一歩手前だというのに小河原は異様なほど冷静だった。

 

「まず、()()()1等海尉のために千島列島の防衛線を抜かせる訳がないだろう。1佐の君なら、部下の殺し方……とまでは言わずとも、殉職しやすい配置なんていくらでも知っている筈だ」

 

 それから小河原は片桐の腕を掴んだ。露骨に嫌そうな顔をする片桐に、先にやったのはそちらだろうと小河原の皮肉が飛ぶ。

 

「手駒を大事にするアピールはいいが、わざわざサハリンくんだりまで来てやるのは『やりすぎ』だな。そこまで瀬戸月の名前が大事か?」

陽炎(ヒナタ)ちゃんのためならいくらでも……と言いたいところだけれど、それはそう。彼女ひとりのためなら、私はここまで来ていない。でもね」

 

 これは皆のためなの、と片桐は続ける。

 

「特務神祇官は確かに強力な『個』の力を持っている、けどそれを発揮するには連携が欠かせない。ちょうど、海軍(わたしたち)軍艦(ふね)を艦隊で運用するように……特務艇の連携、信頼ってのは命の預け合いなの」

 

 だから私は絶対に見捨てない。そう語る彼女の眼は本気だった。

 …………そう、本気になってしまうのだ。この人は。

 

 今こうしてサハリンに、日本のエネルギー源に危機が迫っている、こんな状況でも。本気になれてしまう。なんなら私なんかのために貴重なエネルギーも捨ててしまえる。

 それが夢想家、片桐アオイなのだ。

 

 

「やめて下さい。片桐1佐」

 

 肩に手を乗せれば、振り返った顔は予想通りの驚き顔。

 

「でも陽炎ちゃん」

「『出撃しろ』とはまだ一言も言っていません、彼は」

「いや、命じるつもりだが?」

「……ちょっと海将補は黙ってもらえます?」

「黙らんよ。これが私の仕事だからな」

 

 場をかき乱すことしか考えていないのかと内心憤る陽炎に、そこも含めて誤解だと小河原は続ける。

 

「そもそもの話。我々がサハリン(ここ)へ来た理由はなんだ? わざわざ主力艦を引き連れてまで来たんだぞ?」

「……それは」

 

 

『ロシアが戦艦級艤装を持ち込んだとの情報がある。対抗するための戦力が欲しい』

 

 

「そして今日、君らは間引きの様子を見たんだろう? なら、オホーツク海に深海棲艦がいること自体は知っている筈だ。それをまとめあげる上位個体の存在だって」

「なにが言いたいんです?」

「ここまで言って分からないのか」

 

 驚いたなと、心底バカにした調子で小河原は続ける。

 

「あぶり出すんだよ、ロシアの『戦艦』を。サハリン・ナンバーズが狙われれば、連中も切り札を切るしかない」

「ちょっと、それはおかしいでしょ」

 

 口を挟んだのは沈黙を守っていた山城(中島3佐)。彼女の指摘は、深海棲艦に採掘プラットフォームを破壊されては困るというもの。

 

「確かに日本(わたしたち)に防衛義務はない、けれどそこで生産される天然ガスの恩恵を受けるのは日本(わたしたち)なのよ?」

「再建すればいい。備蓄もあるから、再稼働するまでくらいなら問題はない」

 

 平然と言ってのける小河原に、呆れたとばかりに口を閉ざす山城(中島3佐)

 

「そもそも、事ここに至ってもロシアからの救援要請はない。どうなろうと、こちらに責任はない」

 

 自分勝手が過ぎる。

 

 

「(ううん、違う。そうじゃなくて……)」

 

 

 全員が、自分勝手なのだ。

 

 

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