復讐のために戦う。片桐アオイという人物は、そう公言して憚らない。
「軍人になるんでしょう? それであなたも戦おうとしている」
彼女と初めて出会ったのは、私が養親と故郷を喪ってから半年後。2020年の春。
あの時の私にはもう、幼年学校しか居場所がなかった。子供が食べていくには国の支援を受けるしかない。艦娘になるしか道がない。
そんな私に対して「艦娘になりたがっている」と言い切った。
「あなただって、誰かに引き取られる道はあったはず。アイツはその道もちゃんと残してた」
そう、私は――――――。
〈西暦2036年7月12日 ロシア連邦 サハリン州〉
「回せぇー!」
その古めかしい掛け声と共に、掃除機と洗濯機を掛け合わせたような甲高い音が鳴り響く。数珠繋ぎになった発電機から電力を供給されて、地上電源ユニットが稼働したのだ。
「回転数500……1000……」
地上要員がモーターの駆動音に負けぬようにと声を張り上げるなか、戦艦〈山城〉乗り込みの中島キョウコ3等海佐は艤装付整備員とインカムで打ち合わせをしている。
知識として理解はしているが、相変わらず戦艦の優遇され具合には驚くものだ。
「一番フライホイール回転数規定値、続いて二番始動」
もちろん、優遇されるのには理由がある。特務艇艤装は全て一人乗りの小型艦艇、書類上の分類は存在しない。しかし現実に戦艦や空母、駆逐艦という区分が存在するのは、その艤装に搭載される装置が全くことなるからである。
その中でも戦艦は別格――――――特務艇艤装で唯一、視界外砲撃戦能力を付与されている特務艇。
巨大で鈍重な艤装を支えるために当然ながら浮力装置も大型化、その大電力を賄うために燃料電池が主流の特務艇では珍しい内燃機関、しかもガスタービンエンジン方式を採用。
挙げ句の果てに補助・非常用電源としてフライホイール・バッテリーを装備、回転体によるジャイロ効果で砲撃時の姿勢安定化にも寄与する優れものではあるが……いかんせん整備コストが高い。
いや、そもそも
「ぼさっとしない1尉! コンタクト!」
片桐の声が飛んできて、慌てて回線を開く陽炎。戦闘が始まれば役に立たないデータリンクも、戦場に到達するためには必要だ。
統合情報端末起動、ユーザ認証、端末認証……そうして空中に浮かび上がる国防海軍の紋章、続いてデータリンク画面――――言うまでもないが擬似的な投影画像である――――に写し出されるのは、数えきれないほどの赤マーカー。
「……どうしてこんなになるまで放って置いたんですか!?」
ロシア連邦軍からの「メッセージ」は、本当に消極的なものばかりだった。
それは「戦艦」の存在もあるし、強力な中国軍が駐屯しているという安心感もあったのだろう。彼らは
しかし海域の警戒情報が漁業の制限へと変わり、海域及び空域への進入制限へと変わり……そして未確認情報という注釈をつけながらも
そしてついに、正式な出撃要請が届くに至る。
「
片桐の声が意識の外で響くなか、陽炎はこの埋め尽くすような数の敵が沿岸に到達した時の被害を計算し始めていた。
いや、本当のところ。計算するまでもなく分かっている筈だった。
『今年のペースだとロシアは協定枠に余裕があるから、
なにせ
『総員に告ぐ、本日1800時をもって南サハリン緊急展開群が編成された』
「小河原クン、遅いよ。遅すぎる」
無線の向こうから聞こえる声は小河原海将補のもの。すかさず反応した片桐に、彼はこれでも最速だと返す。
『既に護衛艦隊の
「あのねぇ、私たちがいるのはサハリンなのよ? そしてこれから向かうのは北サハリン、数百キロ後ろの友軍なんて当てに出来るわけないじゃない」
『仕方ないだろう。もともと南部サハリンですら我が軍の責任領域ではない。それに
要するに、そこまでロシアは追い詰められたと。呟いた陽炎を知ってか知らず、彼は続ける。
『ロシア側の詳細な情報はないが、絶望的な状況にあるのは疑いようがない。そして私の仕事は自軍を勝利させることだ。打てる手は全て打っている』
データリンクが映し出された陽炎の視界に、新たな情報が飛び込んでくる。
その内容を陽炎より先に咀嚼したらしい片桐の声が踊った。
「あらビックリ、護衛艦隊の
『……改つるぎ型は海保の船だ。間違えるな』
「あーはいはい。そういえば
データリンクの
『私は国防海軍の海将補だ。諸君らが私にどんな「誤解」をしようとも、私は常に軍令を遂行する。諸君らも同様に、軍令に忠実であることを期待する』
「ツンデレにしては堅いぞぉ小河原クン」
片桐が茶化すが、彼の言葉は言葉通りに受け取った方がいいのだろう。
小河原海将補――――と、その背後にいる軍上層部――――の目的はサハリンからロシアの影響力を排除すること。そして現状、その試みは上手く行っている。
問題はその次、陥落しつつあるサハリンを救い、ロシアからガス油田の権益を奪い取れるかどうか。
そのために、彼は軍令と軍勢を揃えた。
彼らの政治に、陽炎たちは付き合わされている。
「で、このミサイル艇は好きに使っていいわけ?」
『霊力戦は
「ふーん……ま、いいでしょ。専門家の本領、みせたげようじゃないの」
何がおかしいのか片桐が笑って、自らの浮力装置を起動させる。空母型の比較的小振りな無人機管制ユニットが浮かび上がり、彼女はそのまま海へと足を踏み入れる。
「ヒナタちゃん」
そして、
「
「…………はい」
同じ部隊の構成員として、作戦に参加したことも。
しかし、同じ戦場で、轡を並べて戦うのは、はじめて。
「もしかして気負ってる?」
「まさか。やることはいつも通り、同じです」
なら良かったと前を向く片桐……いや、空母〈蒼龍〉。偽装のためのスーツは今や翡翠のような特務神祇官の装束に代わり、ツインテールに鉢巻という見慣れた上官の姿。
それが今日は、どうにも眩しくみえる。
「……」
それは、そうだろう。
だって
今でも覚えている――――べとりとした、あの感覚。
『ヒナちゃん……大丈夫?』
忘れられるはずがない。あの少しだけ酸っぱい香りを。
それを包み込むような、硝煙と、炎の匂いも。
〈2018年 ミクロネシア連邦 チューク州〉
「は、や、く、げ、ん、き、に……」
はやくげんきになってね、と。そう書いたお手紙のお陰だろうか。お姉さんはとてもとても元気になっていた。
『これじゃ
でもそれは、私の望んでいた「元気」とは程遠いもので。
あの大雨の夜。お姉さんの声が聞こえた時。私は馬鹿なことに、喜びすら感じていた。
……なにせ、私の目の前で繰り広げられる光景は。
とてもじゃないけれど、耐えられないモノだったから。
「意識が戻ってすらいないお前を叩き起こしてまで出撃させてみろ! 間違いなく沈むぞ!」
「そんな言い訳いらない! 提督さんらしくないよ! だって……」
貴方なら
なにせ当時は、空母がなんなのか、お姉さんが何者なのかも、知らなかった。分からないのは当たり前のこと。
ただそれでも、お姉さんが言いたいことは何となく分かった。
殺してくれ、そうお姉さんは叫んでいた。
「図上演習でもそうだったじゃない! 最大限の戦果を上げる、そうすれば皆が幸せになれる!」
どうして。
どうしてそんなことを言うの。
もちろん、あの時の私はそんな言葉すらも紡げていなくて。頭の中は真っ白で、胸の中では感情が渦巻いていて。
そう、怖かったのだ。
ホントはずっと、怖かった。あの日から。
だって。死んじゃったと思ってたから。
『お姉さん……血が、血が……』
『あー。慣れっこ。これ、くら、い……だっ……た、ら……』
ふらりと。バランスを喪った積み木みたいに倒れて。
『お姉さんっ……! お姉さんッ!?』
ドロドロと、血が床の上に広がって。
私を取り囲むように、私に張り付くように。
『瑞鶴さんっ! 大丈夫!?』
『基地に……司令官に電話ッ! お願い繋がって!』
お姉さんの知り合いだっていう人達の声すら、遠い残響のように響いて。
「たかが小娘一人……命令だ死んでくれってッ!」
だから「助かった」って聞いて。
すごく、嬉しかったのに――――――
「――――――生きている意味がないじゃない!」
なんで。
どうして。
そしてようやく、幼くて馬鹿な
「お姉さん
ピタリと、時間が止まったみたいなお姉さんの顔を覚えている。
でもそれは、
このヒトは、晩御飯を作ってくれたお姉さんさんじゃない。
私と遊んでくれた、勉強を教えてくれた、クレープを買ってくれたお姉さんじゃない!
血を流して、勝手に死んじゃう……人殺しのお姉さんだ。
「やっぱり、お姉さんの事が嫌いだよ。だって、だって。仲良くなったのにいなくなっちゃうんでしょ。私とさよならするんでしょ!」
私はこの人に助けてもらった。
でもそれは、この人が死ぬためにやったことだった。
私のことを、
「違う、違う。そんなつもりじゃ」
「知らないッ!」
『データリンク更新、トラックナンバー248から253が
『あぁッもう、やればいいんでしょやれば! というか蒼龍アンタ、さっきから
無線に飛ぶのは山城の苛立ったような声。とはいえ即座に砲撃音が聞こえてくるあたり、流石は歴戦の戦艦といったところだろうか。
いくらソフトウェアによる演算補助があるとはいえ、上空の観測機からしか見えない敵を撃ち抜くなんてそうそう出来はしない。
『着弾観測……命中2、至近弾3。砲撃やめ、続いて
『……ちぃッ!』
歯噛みするような山城の声。それは矢継ぎ早に出される指示への憤りではなく、次から次へと現れる深海棲艦に対するもの。
『120秒後に第2次攻撃隊が着艦行程に入ります。その後空母〈蒼龍〉は補給を実施予定。陽炎、あと80秒で
問いかけの体を取っているが、要するに制圧命令である。データリンクに目標海域のレイヤーが現れる。
「了解っ!」
推進装置をフルスロットルへ、前傾姿勢も吹き飛びそうな加速度が身体をおそうが、もはや慣れたもの。
本来なら、いかに小規模とはいえ海域の制圧を単艦で行うなんて正気の沙汰ではない。特務艇は
だが、ここに陽炎以外の
せめて指導した子が誰かひとりでも、いや新人でもいいから回してくれたら……。
「(……なんて、願っても仕方ない!)」
余計な思考を振り払う。対水上
「――――――もらった!」
そして引き金を、絞る。
軽い反動。一撃離脱戦法に特化した神崎重工業の駆逐艦主砲は連射性能と引き換えに低反動・高威力をコンセプトとしている。砲弾としては低速の主砲弾は僅かに弧を描きながら虚空へと飛び込み――――――そこに敵が、水平線の向こうから顔を出す。瞬時に爆散。
まずひとつ。
速度を緩めずに火器管制と主砲をリンク。射撃支援ソフトウェアの弾き出す優先目標を視線でロックオン、続いて射撃――――――ふたつ、みっつ、よっつ。
しかしいくら雑魚を倒したところで埒が明かない。倒すべき目標は常に首領。群れる動物である深海棲艦には曖昧か明確かはともかくとして指揮系統が存在する――――――故の斬首戦術。日本国国防海軍の金科玉条。
「(大将首は――――――あそこかッ!)」
波を蹴るようにして急旋回。背面艤装をカウンターウェイトにして横Gをいなし、速度を殺さない最小旋回半径を実現。そのまま第二撃へと移る。
目標は当然、ひときわ目立つ巡洋クラス。駆逐級の備える砲門を無理矢理に束ねたような歪なスタイルは、陽炎のような駆逐艦にとっては紛うことなき脅威となる。
原始的な群れを築く深海棲艦にとって「強さ」はそのまま「偉さ」となる。高脅威度目標と指揮系統の攪乱を同時に行える――――――それが斬首戦術が国防軍に好まれる理由でもあった。
陽炎が針路を向けたのを見て、向こうも己が標的とされたのを勘づいたのだろう。そこらかしこの海が割れ、隠し球のつもりか伏兵たちの弾丸が飛んでくる。
しかし愚直。陽炎の速度と加速度から算出したつもりであろう未来位置に丁寧に撃ち込んでくるだけの弾丸が掠めるはずもない。
「当たるわけないでしょ!? モグラは沈んでろッ!」
むっつ、やっつ。連装式の主砲が唸れば、そのまま伏兵は海に臥せる。
遮蔽物なし、頼れる霊力防壁は適性のなさ故に薄っぺら……そんな駆逐艦娘が生き残る方法となれば、擬似的な
海を
主砲斉射。空中で逃げ場のない
無論、多用は出来ない。霊力が尽きれば艦娘は海に沈むのだから。
「(けどッ……
伏兵の群れを抜け、
無論、ヒト型でないからといって気を抜いたりはしない。牽制程度の射撃、火器管制装置を用いた
「――――――魚雷管1番、解放!」
安全装置の限界まで接近しての魚雷発射。霊力関連技術をふんだんに詰め込んだ小型高威力弾頭を搭載するマイクロ誘導魚雷が巡洋クラスへと突撃する。
刹那、爆裂。異形を水面下からの爆圧で押し上げれば、足下を支える水はそのまま凶器へと変わる。
ヒト型ならともかく、あの程度なら一撃のハズ――――――確信に近い感触を得た陽炎は、そのまま戦域をかき乱すように突進しようとして……。
違和感。
指揮系統をかき乱したはずなのに、圧力が減らない。飛んでくる砲弾の数、針路を塞ごうと乱打される魚雷群。
本来なら薄れるどころか霧散してしまうはずの火網が消えない。
まさか。
「(指揮系統が引き継がれた――――――!?)」
あり得ない。早すぎる。
そんな疑問は脇に置き、陽炎は直ちに次の
魚雷発射、撃破。
しかし深海棲艦の連携が崩れる気配はない。
このまま捻じ伏せるか――――――一瞬浮かんだ選択肢を、陽炎は即座に却下した。
「(でも……ッ!)」
どんなに主機が焼け付こうとも、感情の熱が脳漿を沸騰させようとも。陽炎の理性という名の思考回路は冷えている。その回路が安易な作戦放棄を許さない。
戦況は圧倒的に不利、辛うじて耐えられているのは山城の火力と、全方位を薄くカバーする蒼龍の航空隊によるもの…………そして陽炎の任務は、その蒼龍が補給を受ける安全域を確保すること。
任務失敗?
冗談じゃない。
陽炎は駆逐艦である。駆逐艦娘の価値観はただひとつ――――――克つか
それでずっとやってきた。高等幼年学校を座学で駆け抜け、国防大で意地の強さを見せつけ、魔窟と呼ばれる水雷戦隊勤務をこなした。これでも首都防衛の第1護衛隊群――――よしんばそこに、実力以外の要素が加味されていようとも――――第163護衛隊を預かった
「いざ尋常に――――――勝負ッ!」
波を蹴る。浮力装置に頼らない短跳躍、斬首が上手くいかないなら全てを滅すればいい。懐に入らずとも、表皮を割き肉を削り骨を折れば、いずれ巨人も力尽きるのだから。
肌を焼く感覚は掠めた砲弾の衝撃波。大振りな機動を止めることは、即ち砲弾を振り切るのではなく火網を縫う
残り時間と殲滅ペースを確かめる。弾倉交換の時間すらも加味しないといけないほどの綱渡り。取り回しが悪くなることを嫌ってベルト給弾を選ばなかったのはやはり失敗だっただろうか。
それでも、数字はいつも残酷だ。
「違うッ!」
間に合わせる。間に合わせてみせる。
もう北サハリンの防衛は崩壊しつつある。私たちが抜かれたら最後、沿岸部にも奴らは押し寄せる。
そうなればどうなる?
アンカレジ協定を遵守するなら、ロシアの核は無人地帯にしか落ちない。それは逆説的には、ロシアが無人地帯と、世界が無人地帯と認めた場所に核が落ちるということ。
『その点、
許せない。
『ここは価格の調整弁、人間という不安定な価値を持つ商品の『端数』を処理する場所』
認められない。
『そういえば、20年前にも似たようなことがあったよね――――――』
――――――ミクロネシア戦役。
それが、いま。喪われようとしている。
であるならば、私は………………
「……――――チェストォッッ!!」
次の瞬間、目の前の駆逐級が
「は?」
「こぉんの、化け物風情がッッ!」
続いて暴風。乱打されるのは高角砲だろうか、霊力比率が高いのか、弾頭炸薬より激しく爆発して異形の軍勢を引き裂いていく。
まるで嵐のよう。硝煙の渦巻を引き起こした中心には、ツインテールの空母艦娘。
「
「……ぃゃ、
「なにって、霊力防壁最大出力・最大戦速でラムアタックしただけだけど!? 主力艦舐めんな!」
「ぇぇ……」
突入するなら突入すると、報連相がなっていないのはどちらだと。
言いたいことを言おうとするのに、言葉が出ない。舌の感覚はあるのに、肺から空気が出てこない。
「
……でも。今回は間に合って、よかった。
そんな彼女の言葉を聞く前に、陽炎の意識は重力に引かれるように沈んでしまった。