「
そして、それで全て説明がつく。
というか、もっと早くこの可能性を考慮するべきだったのだ。
タシュケントは『ロシアの戦艦』が深海棲艦を呼び寄せたと言った。それはロシアを滅ぼすための一手。しかしサハリンは崩壊しなかった。それどころか、国防軍上層部の予想に反して一週間以上も持ちこたえた。
では、どうやって持ちこたえたというのか? 最初は小河原海将補の言葉通り『ロシアの戦艦』が防衛したものと考えていた。しかしそれは、最初から『ロシアの戦艦』を追っていたというタシュケントの言葉で否定される。サハリンは最初から『ロシアの戦艦』抜きで防衛戦を展開していた。
……そんなこと、あってたまるか。
サハリン沖で戦った
千島列島の防衛線をすり抜けた「はぐれ」? まさか、とんでもない。彼らは間違いなく精鋭集団だ。
そしてそんな敵を相手にして、たかだか地上の砲兵戦力しかないサハリンの部隊が戦えるとでも?
「セーブされていたのよ、
その裏で、日本はいつ泣きつかれてもいいよう準備を進めていた……逆に言えば、
そして呼び寄せた深海棲艦。
そう、どうやって深海棲艦を呼び寄せることができたのか。
「深海棲艦の習性は単純明快、強いか弱いか、従うべきか従わないべきか」
どのようにして深海棲艦を統制したのか。
「彼女が
壊れた電子双眼鏡。深海棲艦の発する特殊な波長、それにより生じる特殊な力場……既知の物理法則を超越するそれは、感知することも、防ぐことも出来ない。
しかしそれは、確かに
「片桐1佐」
「もうやってる」
霊力通信にシフトしたらしい端末を叩く片桐。察しのいい彼女のことだ。波長のパターン照合を申請して、国防省のデータベースから類似の存在がいないかどうかを調べていることだろう。
一方のタシュケントは、未だ現実を受け入れられない様子……本当のことを言えば、
「コイツが深海棲艦? ありえない……」
「なら、これはどう説明するのかしら」
困惑するサハリンの人間たちに、片桐が端末の画面を突き出す。そこに映し出されているのは波長の照合結果。
「乙種目標、いわゆる
「彼女が扱っていたのは……血ではなく、水そのもの」
深海棲艦は水を操る。力場を用いた物理的防御とは、水によって行われている。
「水は最強の防壁よ。銃弾や衝撃はもちろん、放射線だって防ぐことができる……最初から封印はもちろん、拘束すらできていなかったわけね」
その猿芝居を辞めなさいと言えば、応じるかのように鉄条網の冠が崩れ落ちる。急速な酸化反応が鉄を燃やし、灰へと変えていく。
「バレテハ、シカタナイワネ……」
「!」
鎮静剤を打たれたばかりのソレから、声が聞こえる。
どろり、溶け落ちる表皮。いや
「はっ、ようやく本性を現したってワケね?」
腰から拳銃を抜きとりつつ、片桐は余裕ぶって笑った。
「流石ロシア人に擬態するだけはある。日本語がお上手なことで」
「ソレハチガウヨ。ワレラオナジ、母ナル黒キ海ヨリ産マレル……言葉が通じないことなどあり得ない」
調律を施された楽器のように、ソレは見事な日本語を奏でる。完璧でこそないが、コミュニケーションを取る上では必要十分なそれ。
深海棲艦が単なる害獣であるという定説を覆すには、十分な……いや。違うか。
「(深海棲艦は、もうここまで
最初は、本当に害獣だったハズだ。
本能で力場を操り、人類の物理的攻撃手段を遮断するという厄介な特性を除けば……あくまで危険な、危険なだけの動物だった。
しかし今、目の前にいるソレは人語を解し、さらにはコミュニケーションを確立させている。ヒト型深海棲艦が人類を模倣したというのはよく耳にする説ではあるが、100万年以上かけて構築された音声コミュニケーションをこうも簡単に模倣してしまうとは。
信号が点滅している。色は赤。目の前のコレは危険だ、あまりにも。
「下がって、陽炎ちゃん」
「ですが」
「分かってるでしょ……貴女じゃ勝てない」
そこには歴然とした差があった。
国防軍が優先攻撃目標として指定する
その堅牢さときたら、数百発の砲弾が全て直撃したとしても突破できない程。もちろん、霊的加護を付与した弾頭であればその限りではないが……駆逐艦に、そんな
「
けれど、敵わずとも立ち向かうのが護衛艦の仕事である。
双方動かず。陽炎の手はベルトにまでは伸びているが、
ならば、この均衡を利用するまで。敢えてベルトから手を離すと、陽炎は腰を落とす格闘戦の構えを解く。
「手を出してこない、ってことは……話し合いの余地はあるってことでいいのかしら?」
話し合いの余地がないなら、全員殺される。ここには艤装も、大口径の武器もない。タシュケント達サハリン組もそうだろう。会見場を襲撃するのは人間の筈だった。深海棲艦は想定していない。
「話シアイ?」
「そうよ。あなたの目的は知らないけれど、わざわざ
国防軍のように「斬首」が目的なら、会見中に2人の将官を殺してしまえば良かった。サハリンにダメージを与えることが目的なら、そもそも記者会見が始まるまで待つ必要もなかった。
そして情報収集が目的なら、最後まで人間のフリをしていれば良かった。
「何度モ言ワセルナ。我ノ要求ハ既ニ伝エタ」
「ロシアに宣戦布告しろって話?」
陽炎の確認に否定の言葉は返ってこない。深海棲艦とコミュニケーションが取れているだけでも歴史がひっくり返りそうなのに、話題は世界をひっくり返しかねないもの。
陽炎は慎重に、細心の注意を払いながら言葉を選ぶ。
「宣戦布告をするのは誰なの? 一応、ロシアとサハリン共和国は
「手段ハ問ワナイ、ロシアヲ滅ボス」
要求は宣戦布告よりも酷い。戦争はあくまで外交の手段。目的を達成したら講和を結ぶし、互いの捕虜だって返還される。
そもそも相手を滅ぼすなんて、軍事的には
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
慌てたように口を挟んだのはロシアの艦娘。
「キミは、やはりソビエツカヤなんだろう? どうやって深海に擬態したのかは知らないけれど、」
「黙レ」
黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙レ、ダマれ、ダマレ黙れダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレ――――――
その言葉のひとつひとつが空間を揺らす。骨の髄まで震えさせ、魂へと響かせる。
だが、その言霊の主は
それは黒、光の届かぬ深海の黒。
「……あのですね。深海棲艦さん」
口火を切ったのは、やはりというべきか片桐であった。
「要求には、基本的に対価が伴うものです……我らが得られる
答えはない。拳銃を構えたままに彼女は続ける。
「ロシアを滅ぼす。なるほど魅力的な提案ね。樺太、千島、北方領土、そしてシベリア……無念の死を遂げた同胞への手向けになる」
片桐はスラスラと口上を垂れ流す。そしてそれから「だけどね」と本題へと入る。
「悪いけど、私たちは
そう断言する片桐は、苦虫を噛み潰したような顔だった。
『でも。アイツは還らなかった』
『樺太を日本に取り戻そう~とか言う、時代錯誤な人達を相手にしなきゃいけない』
『くそっ、ドイツもコイツもグルかッ!』
『この国はこんなに残酷になった――――――これが貴女の戦う相手よ』
それは、過去と戦い続けている彼女だからこそ、言える言葉であった。
「ナラ、忘レロト?」
それに対する返答は、怒り。
「我ラノ怒リヲ。我ラノ苦シミヲ。我ラノ悲シミヲ……我ラノ、歴史ヲ」
「深海棲艦に歴史なんてないわよ」
片桐はそれを切り捨てる。彼女だって、目の前のソレが「単なる深海棲艦」でないことには気付いているだろうに。
「あなた達は人類史の1ページになるの。この戦争は、私が……この片桐アオイが終わらせる」
それを踏み潰すと、彼女は宣言してみせた。目の前のソレが何者かは分からない。もしもソレが本当に深海棲艦なら大変なことになるし、深海棲艦でなかったとしたら更に大変なことになる。けれど片桐には、そんな些事よりも大事なことがある。
「ソウカ」
故に、妥結は許されない。
「……従ワヌナラ、滅スルノミ」
次の瞬間、網膜に
頭が高速回転する。目の前の深海棲艦により従来の端末は破壊された。霊力量の余裕から端末にも霊的保護を施していた片桐が国防省のデータベースに問い合わせるために霊力通信による
『砲撃検知』
となれば、この警告……対砲レーダーの砲撃検知報告が意味するものとは?
その一瞬の疑問が、致命的な隙。しかし幸いにもそこには、現役25年のベテラン
「まずっ……
空間が揺れる。反射で伏せた陽炎は建物全体が揺れていることに気づき、間に合わなかったものは容赦なく床に身体を叩きつけられる。
パラパラと聞こえる不気味な音、思わず上を見上げれば、切り出した花崗岩たちの継ぎ目から土煙が漏れ出ている。
揺れる建物、耳に届くのはくぐもった爆発音。
崩れる。そんな直感を肯定するかのように、空間の圧力が一気に高まる。耳が正常な機能を喪い、せめてもの生存本能が
震える柱、走る亀裂。高級ホテルの堅牢な構造を破壊せんと暴れ狂う暴力。
そして頭上から、殺気。
「っ!」
慌てて身体を転がせば、二束に結った髪の毛にナイフが突き刺さる。武装解除されたんじゃなかったのかなんて考える前に、ブチリと髪やら結布やらが千切れる音が毛根へとダイレクトに伝わる。
「このッ!?」
腰から引き抜いた軍用ナイフが空を切る。仰向けでは力が出ないのもあるが、なにより相手が間合いからすぐに離れたのだから届きようがない。
逃げるつもりだ、それはすぐに理解できた。
「陽炎ちゃん!?」
「追いますっ! アイツが本当に深海棲艦なら、
当たり前だ。深海棲艦は「水があってこそ」本領を発揮する。ヒト型深海棲艦、その中でも最上位とされる乙種目標ですら、防御力は力場そのものより力場により操られ形成された高密度の水防壁の方が優る。
「(それに彼女は、
だから、誰かが捕まえてくれるだろう……なんて楽観に頼るわけにはいかない。
廊下に出る、窓が割れる。中庭の煉瓦敷が砲撃に吹き飛ばされ、瓦礫のひとつが目の前を掠める。直撃でもしたら最後、陽炎の弱々しい防壁では衝撃を和らげることも叶わないだろう。
なんて激しい砲撃だろう。というか、サハリン沖の
「こちら陽炎っ!」
ほとんど無意識に耳元を叩いていた。装着された通信機がプリセットの通信先――――――上官たる小河原海将補を呼び出す。返事はない。機器の不調を確認する暇はなかった。
「ポロナイツク市街が砲撃を受けています。混乱に乗じて会見の襲撃者が逃走を図っています。指示を!」
返事くらいしたらどうなんだ。仮にも記者会見が襲撃され、街に砲弾が降り注いでいるというのに……いや、考えてみれば海将補は特務神祇官ではない。つまり彼は専用の機器なしには霊力通信網にアクセス出来ないわけで。
波長で通常の電子機器がダウンしている以上、霊力通信の行えるオペレーションセンターへと移動しなければ彼は通信すらも行えない。
報告が届かずとも陽炎は走る。空気を切り裂く音が何重にも聞こえる。信じられないほどに精度のよい砲撃が、記者会見となっているホテルを抉り、中に隠れるものたちを縮こまらせる。
逃げられる。奴を止められない。足をどんなに早く回しても、奴の背中は遠ざかっていく。
「(クソっ、私はどうして……)」
こんなにも無力なのか。
状況に振り回されるばかり。本当は今の今だって理解できていない。深海棲艦が喋る? ロシアに宣戦布告? クーデター? ハッキリ言って、意味が分からない。
だけれど「このままではいけない」。それだけは火を見るよりも明らか。
……思えば、いつもそうだった。
このままではいけない。そんなことは分かっている。けれど、そこまでしか分からない。
どうしてこうなった? 理由までは突き止められる。しかし理由が分かったところで、解決策はいつも見つからない。
『なぜ君は「復讐」を成し遂げなかったんだ?』
『お前は、父さんの子供じゃない』
『貴女は鍵を持っている』
解決策なんて、本当にあるのだろうか。もしかすると
疑いだしたらキリがない。誰も彼もが怪しくて、世界中が自分勝手。私自身ですら……理解もしたくなかった、こんな
『どう? 「国防軍の真実」を知った感想は』
『この国の罪を清算してみせる』
私を利用しようとしている? こんな無力で、何の価値もない私を?
――――――違う、
自らを鉄砲玉と嗤った小河原海将補は南サハリン
多くのヒトはそうじゃない。御してきた駆逐艦たちがそうであったように、拳銃を突きつけてきた不知火がそうであったように。力がないから力を求めてしまう。その過程で利用される。誰もが誰かの
それなら、私はどうしたらいい?
『どうしたい?』
そんな簡単な筈のことすら、私は分からない。決められない。
『いいのよ、分からなくて。貴女はまだ、何も知らないのだから』
どうしたらいいのか、分からない。
『そういえば、20年前にも似たようなことがあったよね』
『常套手段なのよ』
世界がどんなに残酷かは知った。理解したくないほど、理解した。
けれど、
『
……いや。違う。
私は、きっと辿り着こうとしていない。
正解に。
『でも、
正義に。
『あなたはもう――――――』
「山城」
無意識のうちに、霊力通信を繋いでいた。
「ファイルC88を展開して下さい」
ハッキリと意識して、その数字を呼び出した。
目の前でヒト型が警備兵を押し退ける。銃を構えた瞬間に機関部が爆発、最小限の
歴戦の
砲撃が始まったとき、片桐は周囲に呼び掛けることで被害を減らそうとしていた。ではもうひとりの艦娘は何をしていたのか?
「――――――砲撃支援要請」
ハッキリと意識して、その言葉をひねり出す。逃げるだけの的なら未来位置の予測は容易い。なにより、ここには
座標を読み上げる。データリンクに戦艦艤装が表示される。外敵の襲来に備えて屋外に固定砲台としてマウントされていた艤装が、ある意味では正しい使われ方をされようとしている。
思えば。
私はずっと、決断を避けてきた。
そのクセに、喪われる命にだけは敏感で。それだけは譲れなくて。
けれど決断しないから、命はどんどん溢れていく。
幸せになりたかった。
たぶん皆も、幸せになりたかった。
だから噛み合わない。誰かの平和を願うことで、誰かの平和を奪うことになる。
強くなりたい。無力な自分が嫌いだ。
『射撃準備完了』
戦艦艤装と協働するための砲撃支援ソフトがデータリンクの結果を伝える。奴の背中は見失っていない。市街地の中だけれど、着弾までの誤差はほとんど無し、砲撃騒ぎで路上に留まっている人間はいない。
今なら、撃てる。
「撃て」
弱さが罪というなら、私も
「劇場版PSYCHO-PASS PROVIDENC」観賞後に書いた原稿です。陽炎の所属部隊に「行動係」なんて名称をつけていることからも分かる通り、作者はPSYCHO-PASSシリーズのファンです。
ちなみに、この話の最後の一文を「当事者(オトナ)」としようか迷ったのですが、瀬戸月ヒナタはそこまで覚悟を極められてないのでやめました。ヒナタの保護者たちは当事者なんですけれどね。