国防省大臣官房監察課行動係の朝は早い――――ただし、常識的な範囲で。
なにせ当直を置かないこの部署では、国防省ビルの
そして、鼻唄混じりに部屋の掃除をする女性が1人。
「ふふふふーんふんふんふーん、ふふふふんふふっふんふーん……」
彼女が掃除係でないことは、3佐の階級章と胸に輝く
「おはようございます……って、あれ? この扉、立て付けよくなりました?」
そして、するりと開く扉に驚きながら入ってくるのは今日で晴れて退院、復帰することになった瀬戸月1等海尉。特務艇〈陽炎〉の艇長である。
「お! 流石に気付くか瀬戸月1尉、
「……なにやってるんですか」
そして応じるのは公私混同甚だしい3等空佐、小河原ノゾミである。あきれ果てた瀬戸月を余所に、彼女はそのままコーヒーを淹れてデスクへと持ってくる。
「どういう風の吹きまわしです?」
「復帰祝いよ。それと『行動係』本格始動の前祝い」
「……なるほど」
つい数週間前まで、行動係とは形式的な存在に過ぎなかった。監察課は行動でもって不届き者を成敗する用意があるぞという意思表示のためだけの部隊であって、実際に抜かれることはない伝家の宝刀であるはずだった。
しかしサハリンでの「成果」――――ヒト型深海棲艦は取り逃がしたにも関わらず、サハリン州を基幹とした独立勢力「新ソ連」の発足とロシアのプレゼンス低下は成果となるらしい――――を受け、上層部はこれを本格運用する気になったのである。
「……って言えば聞こえはいいけれど、要は今後もグレーゾーンを押し付けられるってことだけどね」
「ここでそれいいます? 祝う気あるんですか?」
呆れる陽炎に、あるよあるよと笑う1等空佐。
「敵は多いわよ~? サハリン・千島列島地域以外の極東ロシアを飲み込んだシベリア合同共和国に、背後の中国。我らが同志国に目を向ければマレーショック以来ボロボロの大陸ASEANに
まさに内憂外患! そう彼女が叫んだタイミングで、もう一人が顔を出す。
「こらこら、扉を開け放ったままにとんでもない話をするんじゃないよ」
入ってきたのは行動係の長を勤める小河原アツシ海将補である。彼はそのまま部屋奥のデスクに腰掛けると、瀬戸月を見て小さくため息。
「瀬戸月1尉、よく戻ってきてくれた」
「いえ。任務ですから」
自ら望んで、飛び込んだ戦場だから。
私は逃げる気は微塵もないのだと、瀬戸月ヒナタは目の前の上官へと告げる。海将補はそうかとだけ溢して、ノートパソコンを開こうとする。そうされては困るとばかりに瀬戸月は一枚の書類をねじ込んだ。
「……これは?」
「判子を押す紙です。そろそろ国防軍の有給取得率に貢献しようかと思いまして」
「……待ってましたよ」
「ごめん、時間かかりすぎた」
窓の外は土色の風景だった。木枯らしに揉まれた葉は茶色く染まり、砂利とセメントにより作り出されたコンクリート打ちっぱなしの建造物を背景に揺れている。
「いいんですよ。今回は、来るって分かってましたから」
「ひどい言い様、私が来なかったことある?」
その言葉に相手は苦笑。信頼され過ぎてて涙が出そう。
ホント、目頭が熱くて仕方がない。
「ただいま、不知火」
「おかえりなさい……ようやく、帰って来られましたね」
本当に、よく帰って来られたものだ。あのポートモレスビーから、珊瑚海から、サハリンから。
なにから話したものか分からないが、分からないならば定型文から始めるのが良いだろう。陽炎はスツールに腰かけると、ありきたりな台詞を探した。
「怪我はどう?」
「お陰様で……と、言いたいところですが。なかなか退院の許可が降りません」
「そっか」
本来、霊力回復は特務神祇官の素早い復帰を目的としている。しかしそれは、人の
現にアンプルを打たれた陽炎は、とっくにピンピンしているのにも関わらず入院させられたのである。経過観察という名の、化け物がヒトに戻るまでの拘束期間。
しかし、不知火は違う。
「……なにか、問題でもあるのでしょうか」
「あー、問題? そりゃあるわよ。聞いてない? 『子供』の件で本格的な調査が行われることになったって話」
表向きには、ロシアで起きたという大規模な子供の連れ去り行為の追跡調査。子供という資源を奪ったロシアにその使い道が問われるのは当然のことであり、要はそれに日本も荷担していないかという調査である。
……残念ながら、本格的な『子供』問題の解決には向かわないだろう。今回はあくまで、ロシアが略奪行為を働いた地域にルーツを持つ子供たちだけが対象なのだから。
「そうですか……それは、よかった」
やっぱりお前は嘘つきだよ、瀬戸月ヒナタ。自嘲したところで現実は変わらない。しかしどうして、目の前の安心しきった彼女の心を折れるというのだろう。
本当の誠実は、嘘を隠しておくこと……ねぇ、義母さん。あなたがなんで嘘をついたのか、私だって分からない訳じゃないんだよ?
「それよりさ、ご飯とか美味しくないんじゃないの?」
「えぇ、まぁ……ですが、そういうものですから」
結論から言うと、不知火が退院できないのは経過観察を越えた隔離措置だ。恐らくこれは、もうしばらく続く。
宗谷海峡で彼女に打ち込んだあの高速修復材。もちろん効果はてきめんだった。だから不知火は生きている。けれども、アレは。
「そーいうと思って、用意してきたわよ! 片桐さん!」
内心は押し隠して私は笑う。信じられないほど底抜けに明るい声に、はいはい元気ねと応じたのは大荷物を抱えた片桐さん。
「はいはい、若い子が好きそうな物みんな持ってきたわよ。どれから食べちゃう?」
「え、いえ……別に私は、そんなに若くは……」
「なにいってんの! こちとら定年が見えてるマダムよ? ……誰がオバサンじゃいっ!!!」
「えぇ……」
ノリツッコミに突っ込む暇も与えられなかった不知火が呆然とする横で、バリンッと大袈裟にスナック菓子の袋を破り去る片桐さん。
ずっと変な人だと思っていた。けれどどうして彼女が道化を演じるのか、少し分かってしまった。
嗚呼、分かりたくなんてなかったな。
「ささ! どんどん食べましょ! 今日は戦勝祝い、私の奢りよ!」
こうやってバカやっていないと辛いのだ。もちろん、バカは楽しいけれど。それよりなにより、辛いことを考えないでいられるから。
「不知火も遠慮しちゃダメよ? 今日は私も、たっくさん食べるからね!」
「――――――私たちは、平和艦隊」
燃える宗谷海峡で、その少年――――海に浮いている以上、実際には少年ではなく艦娘であったようだが――――は名乗った。
「なにそれ、意味分かんない」
「名前そのものに意味はないよ。元々は
しかし名は体を表すという言葉もある。なれば彼らの目的はなんだというのだ。
……答えは、既に陽炎の手の中にあった。目の前の艦娘らしきボーイッシュな少女から手渡されたアンプル。そこに刻まれた高速修復材の文字。
「あなた、国防軍の……」
「国防軍? しらないな、そんな組織は」
そんな訳ないだろう。霊力回復は日本が独占する門外不出の技術。そして高速修復材は、その回復アンプルの旧名称だ。
いや、違うだろう瀬戸月ヒナタ。いまの私がやるべきことは、とにかく不知火を救うことで。
「安心していい、彼女……君たちが乙308号目標と呼ぶ彼女は、私たちが責任を持って回収する。海峡の突破も、核兵器の奪取もさせないよ」
「……礼は、言っておくわ」
だけれど、あまりに不気味だ。突然に現れて、全てを知ったような顔で澄まして……そして、なにより。
『貴女は貴女の仕事をなさい、ヒナちゃん』
私のことをヒナちゃんと呼ぶのは、この世界に一人だけ。
棄てて欲しくなかった。置いていって欲しくなかった。
こんな世界にひとりぼっちにするぐらいなら、いっそ守らないで欲しかった。
わたしは、ただ。またひとりになるのが怖かっただけ。けれど周りにヒトは勝手に増える。来るなって言っても増えてくる。
「私には、無理です。自分のことですら、精一杯で」
「そっか」
小さな祝宴が終わり、不知火の病室を去った後――――瀬戸月ヒナタの言葉に、片桐アオイは小さく息を吐く。
「なら、やめとこっかな」
たった一言。それだけで、片桐は一枚の紙をクシャクシャにした。それからビリビリに破って、紙吹雪にしてしまう。
「……よかったんですか?」
「別にぃ? 政治家とのコネはもうあるし」
それに気にくわないのよね。片桐アオイは紙吹雪になった招待状の送り主を睨む。
「よりにもよってなんで私に送るかな。送るべきは、どう考えてもヒナタちゃん本人であるべきじゃないの?」
「それは、片桐さんに利用価値があるからでしょう」
「あなたにこそ利用価値があるから、私をダシにしようとしているのよ、彼らは」
私
「アナタは、いつまで戦うつもりなの?」
片桐がそんなことを言う。決まっているでしょうと陽炎は返す。
「最後までです。だって
戦い続けるしかないのだ。生き続けるしかないのだ。世界から放り出されて、ミクロネシアのあの家に救ってもらった私は、彼らの優しさを、生きた証を証明しなくちゃいけないのだ。
「私は、彼らのことをロクに知らないけれどさ」
片桐は珍しく言葉を選んでいるように見えた。いや、決して珍しいという訳じゃない。今はおどける
「……子供に傷付いて欲しい親は、いないと思うよ」
「それ、片桐さんにだけは言われたくないと思いますよ」
返せば、それもそうねと溜め息。
「ま。助けが必要だったら、いつでも言いなさいな」
ねぇ。
片桐の独り言が虚空に溶ける。
「……殴ってやるって、約束。覚えてるわよね?」
それは彼女が押しつけた誓い。戦争に負けてしまった彼女の代わりに戦い抜いてやる、だから
「そこに居たのよね? 瑞島ハルカ、あんたは」
作戦の経過は聞いている。陽炎も不知火も報告はしなかったが、あの場所に第三者の存在があったのは明らか。
――――そしてそれの仔細を調べようとした瞬間に、この招待状が届いた。しかも厄介なオマケ付で。
「知りたければパーティーに来いって?
それは高速修復材、そのパッケージ。ミクロネシア戦役の汚点、前線部隊で不正に使用されたヒトを化け物に変える薬。腕が飛んでも、足が折れても、一瞬で元通りになるという魔法の薬。
だがそれには、あまりにも。あまりにも多くの代償が付きまとった。不受胎問題だけじゃない、生えてきた手足への嫌悪や
そしてその研究に関わっていたのが――――――当時最前線に居た『誰か』。
「ミクロネシアは終わらない……か」
彼女の呟きは誰にも聞き取られない。聞き取られることは許されない。
招待状はどこにでもある政治資金集め目的のパーティ。アレはチケットを売ることが目的で、パーティーそのものに価値はない。問題は差出人だ。
「立憲友民党、飯田ケイスケ……ね」
この戦争以前の国防族、国防軍不祥事を境に新田派に下ったとされる政治家。
そして飯田家……蝦夷の瀬戸月を支えたとされる一族の、当主。
彼がなにを考えているのかは分からない。彼がなにを知っていて、なにを知らないかは分からない。
――――――けれどそれでも、新田と繋がりのある片桐にこそ分かることはある。
「このタイミングで私に接触するってのが、もう答えみたいなものよね」
ミクロネシア疑獄。飯田ケイスケをはじめとする旧国防族議員を壊滅させ、特務神祇官偏重の国防軍が作り上げられるに至った政治変動。彼がここで片桐に、無人艦戦略を提唱し、ある種の
「さーてと。とりあえずまぁ、ミコトに相談かなぁこれは……」
ぼやくように頭を叩き、秋の夜へと消えていく片桐。ゴミ箱に無造作に放られる高速修復材のパッケージ。消える前に、一言。
「どうやらまだ、私はぶん殴ってやらないといけないみたいね。ハルカ」
お疲れ様でした。加筆文字数を数えるのは止めました。同人誌版だともっとスマートな展開なんですけれどね……ドロドロになってしまった……。
ともあれこれにて第6部完結です。次は少し書き下ろしで幕間を書こうと思っていたのですが、夏コミ原稿をしていたらストックを書き溜める時間がなくなってしまいました。なので、次回更新まではしばらくお時間を頂きたいと思います。
お休みの間お茶を濁す……というわけではありませんが、別の同人誌の再掲も行っていこうかなと思います。こちらもよろしくお願いしますー!