そこは、白い空間だった。
無機質な白い壁。明かりも最小限に中央に椅子がある。
そこに腰かけているのは提督さん。
ぜんぜん鍛えていないと自嘲していた上半身は痣だらけ。
眠る度に水をかけられたのか、周囲には雫が滴っている。
それでも虚ろな目をこちらに、いつも通りの冷笑をカメラに写す。
「お互いのためにも、手短に済ませましょう……そう我々は申し上げているのですが」
どうやら、カメラを持っている女性が尋ねたらしい。
「自衛隊に特別裁判は存在しないはずだが?」
掠れた提督さんの声。それが、この拷問の無意味さだけを染みつかせていた。
「その通りです。もちろん、お望みであれば内乱罪で警察の方に引き渡しても構いませんが」
「警察? 公安に突き出したら、困るのはそっちだろう? これだけ痛めつけてきて、事情聴取でしたと本気で言い切るつもりかな?」
そんな気はハナからなかろう。彼はそう強がった。
やめてくれ。こんな仕打ちをする連中に論理が通じる筈がない。
答えは暴力だった。苛立ちを含んだ足どりで男性が進み出て、警棒で強く殴る。提督さんは呻きもせず、ひたすら耐えている。いや、反抗する体力すら残されていないのか。
それでも闇に溶け込むなか目を爛々と光らせる。彼はまだ折れていないのだ。
「やめてよ」
叫びは届かない。記録された過去は変えられない。それでも、咆哮せずにはいられない。
「提督さんが悪いことしたの? どうしてこんな事ができるのよ!」
この人でなし。もはやヒトの皮をかなぐり捨てた処刑人は、提督さんの反応を愉しむように暴力を振るってくる。
「貴様らの裏切りのせいで、陛下がお心を痛めているのだ。慈悲など必要あるまい」
男の大声が頭の隅に引っかかる。どこだ。どこで聞いた。間違いなく私が知る相手だ。
「国を尊ばれ、民を愛す陛下がこんな事を命じるとは恐れ入ったね」
「あぁ言えばこう返す。威勢だけは一丁前だ。憎き男よ」
こんな非道な仕打ちをする輩は誰だ。ゴミ箱か何かを蹴り飛ばした男。
それは提督さんの真横を掠めるが、彼は顔色を変えずに軽口を叩き返す。
今度はナイフを持った男が提督さんに迫る。指や耳でも切り落とすつもりか。私が意味もなく端末を握り潰そうしたのを止めたのは女性の声だった。
「提督。これ以上は跡が残ります。御身を汚さずとも、彼は裁かれる人間です」
「お前が言うならば、それが正しいのだろう。いいさ、殺すのだけは待っておく」
舌打ちをして、どかりとソファに腰掛ける音が聞こえる。それを攻撃終了と捉えたのか、提督さんが更なる油を撒き始める。
「まったく……飴と鞭とは。変な芝居はよさないか」
どうして本国がこんなとこまで手を出してくる?
顔が見えなくてもその言葉に男が顔を引き攣らせたのが分かる。図星だと彼は笑って誇り、対する男は苦虫を噛み潰すように続けた。
「貴様が恭順であるのなら部下の命は保証しようと思ったのだがね。ここらが我慢の限界だ。さてどうしようか。一人づつ撃ち殺そうか? 愚かしく助けを求める様を晒しながら、貴様が自分の無力に打ちひしがれるのを見るのも、まあ愉しくはあるがな」
「外道ったらありゃしない。天下の
「貴様は、どうも私が極右の過激派と考えているらしいな。皇国だと? 我が国は立憲民主制。私は民主主義を愛する者だ。民草を軽んじ、国を売る人間には言われたくないものだ……まあいい。証拠は揃っている。あとは動機だ。なぜ貴様らがアメリカに亡命しようとした?」
「アメリカ? 何を言ってるかさっぱりだね。私に何のメリットがあるんだい」
その言葉に耳を疑う。なぜこのタイミングで南洋を見捨てた、彼の宗主国が出てくる。
「恍けるなっ! 証拠は揃っていると言ったろう。8護群に限らず、哨戒艦隊の佐官はどんな餌を撒かれたというのだ。防衛線を売るつもりでいたか?」
「アメリカさんは、こんなちっちゃな島なんて欲しがりませんよ。見当違いも甚だしい」
今度は拳が飛んだ。殴打が続くが、提督さんは一言も発しない。
やめてくれ。やめてくれ。
これ以上は彼が死んでしまう。
届かない言葉は私の部屋の中に木霊する。その願いが届いたのか、男性を諫めるように女性が進み出て力づくで押し留める。
「では、テクノロジーという事ですかね」
先程は制止に入った女性の声。
凛として澄み渡るような意思を感じさせるが、やっている所業は男と変わらない。提督さんを追い込んで、自らの手は汚さない。その分、狡猾で性質が悪い。もし出会ってしまったならば、私はきっと殺してしまうだろう。
「国防に殉ずるべき艦娘。その技術は日本の為だけのものです。アメリカが世界の兵器廠を名乗ったところで、艦娘がなければ東西両海岸の防衛で手一杯のハズ……それがどうです?」
提督さんは何かを見せられたのだろう。拘束されながらも器用に肩をすくめて見せたその姿に、女性の声が張り詰めていく。
「彼の国で内密に進むハワイ方面への攻勢作戦、表向きは潜水艦主体ですが内実は違う」
「艦娘をアメリカが運用し始めたということかい?」
なら、
「ですが、誰かに理論と道具をもらい受けたのなら話は別です」
さも艦娘が、この海が日ノ本の国の物であるかのように豪語する彼女。
「我が国の核心的利益である艦娘のリークないし情報共有。貴方は治療と称して人体実験まがいの事も行っていましたね。チューク諸島はあなたの巨大な人体実験場だったんですか?」
そんな理由で、私の提督さんを殺したのか? 彼女の言葉は独断と偏見に満ちている。愛国精神か陶酔かの分別はつかないが、彼女が提督さんを害したに違いないと思い知らされる。
「さぁね。そんなに気になるんなら、うちの泊地の
もう同じ手は
その言葉に女性は頬を紅潮させる。同じ手は
それは提督さんが打てる精一杯の牽制。残してきた部下ならきっと乗り切れる。その信頼だ。
それなのに、後は任されてしまった私がこんな体たらくでは示しがつかない。
背筋を伸ばすだけでも、せめて彼に応えようとした。そんな私を蚊帳の外にして、映像は進む。
「そうですか。では、こうしましょう。あの泊地の最後の砦は航空母艦瑞鶴。彼女には何の罪もありませんが……
「……」
「女性としての尊厳を徹底的に蹂躙し、泣いて許しを請う様でも見せつければ貴方の気も変わりますか?」
「……やれるものならやってみればいい。お前如きがアイツに敵うと思わんがね」
「2期生に1期生が遅れをとるとでも? 所詮、国防から逃げた
「君は大分、自分の実力をひけらかすのが癖のようだ。それが過信でないことを祈ろう。しかし、君らが瑞鶴に勝つ事は一生ないだろうね。布石はもう打ってある。なぜなら……」
提督さんの声が遮るように、壁面には大量の孔が空く。
間違いなく戦闘機の機銃掃射だ。
唐突な開戦。例え
「ヘルキャットッ! 提督、ここでは分が悪いですっ、退去を!」
「貴様ァ、只ではおかんぞッ! やはり米軍と!」
その言葉は落ちてきた屋根で遮られた。揺れで倒れた三脚から覗くのは彼の姿。
瓦礫から這い出る様子も見せずに、彼の瞳はこちらだけを見ていた。
「瑞鶴、 」
彼は最期に何と言ったのだろう。
紅蓮に呑まれる拷問部屋。カメラにも火の手がうつり、一面が黒い雲に覆われる。映像が途切れるまで、私は齧りついたままだった。あと少し待てば、提督さんが聞こえなかった部分を紡いでくれると。本気で信じていたのだ。
それが叶わないと知った今、ひたすら動画の視聴を繰り返す。その度に端末が力任せに軋む音だけが、他に誰もいない部屋に響き続ける。引っかかっていた脳裏の錠前が外れた。あぁそういう事だったのかと一人で納得する。鍵はもう私が持っていたのだ。
――――――分かった。奴らの正体。
病室でオンライン見舞いだと笑って胡麻化していたのは、ただの偵察だ。提督さんを貶めたのは貴方だったのか。私は競争相手を蹴落とすための手段に過ぎないという訳か。
そうまでして、私の元上司は覇道を進みたいのか。
そして、同伴していた女性。彼女もまた航空母艦だった筈。
学生時代を思い起こせば確かにいた。白い肌を見せつけていた緋色の衣装。構える弓の腕は当時の空母艦娘でトップクラスだった。天津飛翔する龍神の名を冠し、名前負けだけはしないと豪語していた1期の先輩。
繋がった。繋がってしまった。
事があるごとに私との連絡を欲しがっていた本国の元上司。彼はしきりに情報交換といって、チューク諸島の細部まで手を伸ばしてきていた。
私は提督さんの許可を得ていたとはいえ、情報を
当然、提督さんの乗った輸送機の通るルートも
そして――――――録画の会話を聞く限り、提督さんは気付いていた。
私の裏切りを見逃してくれていた?
それが情けないと同時に、提督さんはその情報網を逆に利用していたに違いない。
だからこそ、泊地に死人が出る前に自らが囮になることを選んだ。
ウミハナミダデミチタカ ニクシミヲソソゲバカワクコトハナイ
姉の筆跡が思い起こされる。
提督さんを救えなかった悔しさと敵への怒りが込み上げる。それは紛うことなく憎しみだ。そのエネルギーはまさしく艤装と一体である艦娘にとって、渇望するほどの闘志そのものだ。
指先に光が灯されたと思うと、形作られたのは鏃型の艦載機。それは、破壊を体現した機体だった。深海棲艦のモノと同一。暴力を行使するためだけの存在。
「ああ、そういうことなんだ」
それは、バケモノ。
私が産み出した最後の化け物。
その牙が今すぐに剥かれる事はない。ただ拍動し、仇敵を撃つべき時を待っているようだった。
拳を軽く握ると機体は霧散する。コントロールは出来ている。
これでは、艦娘とはなんだ。まるで深海棲艦と表裏一体ではないか。
コインのように面は天地をひっくり返さなければ出会うことはない。しかしあまりにもその
動画の最後に分かり難く残されていた数字の羅列。
それがフラッシュバックし続ける。穴が開くほど見た。暗記するまでもない。
家の扉を蹴破るように飛び出し、自転車に跨った。体力はもう限界だが、それでもカタをつけなければならなかった。その
情報提供者は、ここからそう遠くない波止場を指定してきた。
島の周囲としては珍しく水深があるが、勾配の劣悪さから補給港が整備されずに無人となっている区画。自衛隊の人間も立ち寄る必要がなく、現地の人間も海水浴に偶に訪れる秘境。そこが目的地。
悪路で自転車での進軍を諦め、両手すら使い坂を駆け上がる。林の枝を掴む度に、ささくれに手が傷ついていくだけ。それでも行かねばならなかった。
ここを逃せば、蜘蛛の糸すら喪ってしまう。そして私は辿り着いた。
暗闇を抜けた先の光景は――――――