答えが、そこにはあった。
圧巻というほかに言葉がない。潜水艦は現代の軍事力の象徴だ。
「ヴァージニア級潜水艦……」
今のところ、深海棲艦に水中呼吸器官……魚でいうところのエラに相当する呼吸器は発見されていない。
もちろんそれは研究が全く進んでいないことの証左でもあるのだけれど、ともかく深海に棲むという名前を与えられながらも深海での活動を不得意とするというのが学会の見解だそう。
深海というのは決して彼らのホームグラウンドではないのだ。
だからこそ、深海は潜水艦の活躍する場所であり続けた。
あまりにも戦線が広いから、艦娘が活躍せざるを得ないというだけである。
ビデオに残されていた通りの座標。
それなら、目の前にそびえるこの山こそが姉の寄越したメッセンジャーということになる。アメリカ合衆国と日本は同盟国ではあるが、両国の間には深海棲艦よりも強大な壁がそびえているということだ。
波の音だけの世界に響くのはモーターの駆動音。
一瞬で世界を焼き尽くせるという地獄の釜が開くと、そこから人影が現れた。
「
身構えた私に対して放たれたのは、驚くべき程に流暢な日本語。
月のない闇に浮かびあがるのは亡霊の輪郭。その陰は丸っこい潜水艦の外郭を滑り降りて、海へと
私もまた艤装の補助なしでは浮かぶので精一杯だが、海の上に飛び降りて相対する。
「本当に、合衆国が艦娘を就役させていたなんてね」
「またボスの気まぐれか……
とは言いつつも、彼女が艦娘であることは認めるらしい。
「いろいろ聞きたいことはあるけれど……私は瑞鶴、空母瑞鶴よ。あなたは?」
私は自然と、本名ではなく艦名を告げていた。
今は艦を預かる者として……提督さんが呼んでくれた名を名乗りたい。
沈黙が降りる。波を隠す黒い影は潜水艦で、それを背景に浮かび上がる相手の顔は闇の中。
「名乗りたくないのなら別にいいわよ、それでも」
チューク環礁広しといえど、こんな巨大な潜水艦が通れる場所は限られる。
いくらなんでも人目につかない筈はない。監視所をすり抜けないのなら、秘匿された海底トンネルを通過するくらいしかここまで来る方法はないだろう。それが意味することは至極単純。
提督さんは……いや、この分遣隊はアメリカと通じていたのだ。
妄想の芽に事実という水が与えられていく。なのに提督さんは、そのアメリカの爆撃の中に消えた。
裏切られたのだ。
何もかもにも。
こんな場所まで悠々と潜水艦を回航できる筈の米海軍はこの戦争に不介入、私たちの味方であるはずの日本は私たちに補給を回そうともしない。
この海には、私たちの破滅を望む者しかいなかった。それなら目の前の潜水艦も、同類だ。
「領海への軍艦旗を掲げない進入は国際法に認められた無害航行にはあたりません。日本国とミクロネシア連邦の自由連合に関する協定に基づき、強制臨検を行います!」
その言葉を合図に、待機させておいた上空の艦爆がその翼を翻す。
夜間の爆撃なんて当たるはずもないが、今回に限っては脅しで十分。搭載しているのも派手さ重視の爆雷だ。
「仕方ない……叩き落とせ、Fire!」
閃光。宵闇を照らすそれが彼女の背後から回された砲口が火を吹いた。伸びるように放たれた弾丸は、無駄がなく一射一撃墜の成果。この少女はただ者ではないと直観で分かる。
今の動きに砲撃の精度、威力。
何を取っても日本の艤装を越えていた……もうここまで整っているのか、米国は。
上空待機の艦載機はもう戦闘機しか残っていない。
次の矢を放つべきか、いやこれ以上の敵対行動を見せればその砲口が私に向けられるのは必死であろう。ところが目の前の彼女は、先程までの花火大会を忘れたかのように言うのだ。
「深海棲艦化、自力でそこまでできるんだ」
「それ……どういうことよ」
「貴女、自分の姿を見たら?」
不自然に揺らいだ夜の海。環礁が誇る透明な水面は月明かりを頼りに鏡のように照り返す。
そこには血の色を含んだ双眸があった。
垂れ下がる筈の二房の髪は重力に逆らい始め、末端は白く染まっている。それ以上処置なしで戦えば、貴女は艦娘に戻れなくなると彼女は言う。
「まあ、別に止めはしないけど。それは私たちの本意じゃない」
桃色の髪を靡かせる少女は、気怠げに名を名乗る。
「合衆国太平洋艦隊所属、巡洋艦アトランタ。あなたのお姉さんの
「
私の認識が正しいのなら、アメリカの太平洋艦隊はとうの昔、それこそ七〇年以上前に第七艦隊へと改編されているはずだった。
そのような名称を用いると言うことは、艦娘を運用する非公式の部隊が存在するということか。深海棲艦に対抗できる力がないと言いながら東アジアから兵を下げたにも関わらず、したたかに力は蓄えていた訳だ。
「あなたの考える通りよ、ズイカク。人体実験はリベラルより保守の抵抗が強いの。だから
政治的な理由で南洋を見捨てたと、あっさり認めるアメリカの艦娘。
日本を護るためとミクロネシア連邦で活動している第8護衛隊群は、時間稼ぎのための
その言葉が映像で喚き散らす肉塊と同じ理論だと気付いて、無意識のうちに爪が掌に食い込む。皮肉なことに、その痛みが私に冷静さを取り戻させてくれた。
「おたくの大統領が認めてくれないせいで、私たちは
「ステーツは
いまさら何を、とは言えなかった。
そんなことが言えるなら私はこんな場所にまでノコノコやってきたりはしない。私に抵抗の意思がないことを理解したのだろう。アトランタと名乗った艦娘は私の方へと近づくと、すっと黒い塊を手渡してくる。
「これ。ボスと繋がってる」
「ボス?」
いいからと押しつけられたそれは衛星電話。
この受話器の向こうに誰がいるというのか。
「御機嫌よう、831部隊のズイカク。ダイレクトメールはいかがだったかしら?」
心地よいソプラノが耳をくすぐる。気持ち悪いくらいにノイズが混じらない声色は、私の焦りを見透かすように奇麗だった。
「本当に悪趣味よね。あいにく、洒落た挨拶なんて持ち合わせがないんだけど」
「そう邪見に扱わないでくれるとありがたいわ。もっと友好的になりましょう?」
そんなことを言われてもこちらは初対面。とりあえずは黙秘を主張し、彼女の声を待つ。
「率直に申し上げますね。日本を抜けて、こちらに加わりませんか?」
「……最近の軍人ってば、そうホイホイ裏切れっていうの?」
「理由は後ほどお話しましょう。こちらからの対価は、貴女方の撤退作戦に米空軍の爆撃機を無償提供するということでいかがでしょうか?」
何とも破格の提案だが眉唾物。
こちらがいかに困窮しているのかを分かっている。喉から手が出る程欲しい航空戦力を、私の身柄一つで手を貸すなど信じられない。
返答に窮したのを聞いて、通話相手はわざとらしい口調で告げる。
「あら、B2爆撃機にB1爆撃機がダース単位では足りませんでしたか?」
「そういう事言ってんじゃないわよ」
口ではそう返しながらも、頭の中では部下が出してきたチューク泊地撤退作戦の要網が思い返される。そこでは誰かが囮を請け負い、集結した深海棲艦を空爆によって殲滅すると書かれていたか。
常識的に考えて大型の爆撃機などは良い的だが、片道切符の無線誘導であれば撃墜されたとて構わない――――――とにかく、そこに敵がいるという状況だけ作りだす。
その為に殿を引き受けて、味方ごと一網打尽にする。誰もがやりたがらない攻撃を引き受けてくれると受話器の向こうは言う。
今すぐ飛びつきたい話ではあるが、ここは一旦堪える。
「……アメリカは南太平洋から手を引いたのではないの?」
「えぇ、仰る通りです。しかし、何も私たちは
そう力強く語る口調に身震い。宗教の勧誘と同じだ。甘美な響きに酔わせて落としむ。
「悪いけれど、乗らないわよ。ウマい話には気をつけろって言うでしょ?」
「
「……その心は?」
「ハワイ奪還作戦です。攻略にはステーツだけでなく、日本の力が必要です」
映像でも言っていた。潜水艦作戦だけでは不可能な筈の攻略が秘密裏に進んでいると。そのトリガーが艦娘であると。であれば、彼女らが欲しいのは
「なぜ今なの? ハワイを手放したのはそっちの都合じゃない!」
「日本と同様に豪州連絡網は、太平洋の生命線なんです。日本とアメリカがいがみ合っていては解決しません。我々と手を結びませんか? ズイカク。ショウカクもそれを望んでいる」
姉はやはり渡米している。手紙は本物。提督さんが捕らえられ、助からなかった証明。
「翔鶴姉ぇが日本を裏切ったというの?」
「いいえ。あの方は軍人である前に研究者でした。自らが被検体となって、新薬のリリースにまで協力頂きました。ステーツで艦娘計画が進んでいるのは、彼女なくしてはありえません」
深海棲艦化。アトランタは確かにそう言った。
姉が研究していたのは
「同封したリストの信憑性は保証しましょう。貴女の為だけに時間を割いた貴重な資料です」
「そりゃご丁寧にどうも。で、これを使って私が復讐しにいけって事でしょ?」
そう簡単に上手くいくと……そう言いかけて、止める。
手紙に括り付けられたリストの人間がいるならば、第二第三の提督さんの死が待っている。彼女はそう言っているのだろう。
裏付けをとる必要などない。なにせ名簿には
「やはり貴女は聡明です。この泊地で喪うにはあまりに惜しい」
「提督さんは自分が狙われているのを知っていた……それは分かってる。それでも貴女達のいう計画の為だったら、提督さんは死んでも良かったって事?」
「そうは申しません。彼もまた協力者でした。しかし、彼の覚悟はそれ程の物だったのです。であれば、直前になって護衛を
「白々しいわね、貴女たちは提督さんを助けなかった。違う?」
せめてもの贖罪でもいうのだろうか。
提督さんが滅多打ちにされて、心身共に疲弊していた姿が思い起こされる。
やったのは確かに
「結果論です。もちろん我々は彼を奪還しようと全力を尽くしました」
「協力には礼を言うわ。でも、私の隣に提督さんはいないじゃない!」
まだ泣けない。こんな仕打ちをされて、ただ泪を流すなんて許されない。
誇り高く抵抗した彼の妻ならば、私はまだ毅然としなければならない。
「でも、おかげで敵が誰だか分かったわ。
それだけだ。純粋な憎悪。それだけが今の私を支えてくれる。愛する人を喪った私には、彼の意思を継ぐしかもう自我を保てない。
「ズイカク。貴女は託されているんです。日本の未来の礎になるかどうか。それを……」
「勝手な事を言わないでッ! 提督さんが自分が死ぬ事を分かってた? 違うよ! アレは私のせいよ! 私が泊地の情報を流さなければ、こんな事にはならなかったのよ!」
「彼は、最後まで貴女を巻き込みたくないと。だからこそ、自ら死ぬ事を選んだのです」
お国の為なんて大義名分は要らない。官軍である必要もない。復讐だ。幸せにヒナちゃんや娘と過ごすはずだった彼の人生。それを奪っておいてのうのうと横暴を許す? ありえない。
「そうだとしても、私は提督さんが殺されたことは決して赦さないよ」
この身に代えても。後生の平和は絶対に勝ち取ってみせる。その為には奴らが邪魔だ。通話相手は溜息。やがて考えがまとまったのか、ようやく返答をする。
「分かりました。彼の意志に反しますが、仇討ちの手助けは我々にとって貴女との交渉材料に過ぎません。出来る限りの情報は提供しましょう」
こんな手を焼かせる私にどうしてそこまで手を貸してくれるのかと問えば、彼女は受話器の先で困ったように笑った。他ならぬ
「長門隊長が?」
「えぇ、変わらず律儀な女性です。頼られがちなのに、不器用なのは相変わらずですけど」
長門隊長もアメリカと通じていた。
いや。元を辿れば提督さんすら、アメリカに渡ったという姉と懇意だったのだ。
あの映像で提督さんは工廠の人間を口走り、そして潜水艦を見逃した監視所が存在する……第3分遣隊の全てがアメリカと通じていて、彼は最初から日本をひっくり返そうとしていた……そうとすらも読み取れる。
そして、私もその戦いに加わろうとしている。
愚かだと嗤うだろう。嗤えばいい、私は愛するヒトを奪った極悪人共を決して許さない。それだけだ。
「そういえば、名前を聞いてなかったっけ? メッセンジャーさん」
「しがない合衆国の
見えない筈の無線の先で、うやうやしくスカートを摘まんで曲げたのが思い起こされる。ご苦労な事だ。まだ承諾していないというのに、私が同調すると確信して通話を切り上げる。
「では、よろしくお願いいたします。貴女の仲間と銃後の安全は保証いたしましょう」
受話器をそのまま叩きつけたかった。借り物だと思い留まった自分を手放しで褒めてやりたい。
震える指先で返却すると、アトランタと名乗る少女は哀れみの視線を寄越してくる。
「無理もないよね。貴女のダーリンは手の込んだ自殺をしたって信じられる訳ないだろうし」
「分かるよ。分かっちゃうんだよ。私のせいなんだよ。気づけなかった」
提督さんは苦しんでこんな結論を出したに決まってる。
提督さんは馬鹿だから。泊地を護る為に、どんな手でも使う。
だからって……私のみならず、娘やヒナちゃんを置いていく事ないじゃない。
その言葉を、せめてもの意地で噛み殺して。そんな私に少女が言う。
「泣いてやりなよ、ズイカク。貴女のダーリンはそうされるべき。貴女に讃えて貰わなきゃ、あの人が可愛そうだよ。誰にも理解されないからさ。きっと」
胸なら貸すよという言葉に、咄嗟に拳がでてしまった。
弱々しく。
それでも何かを訴えようと、意味もない軽い殴打が続く。
アトランタはそれに呆れ返ったのか、泣きじゃくって顔を埋める私にそれ以上声をかけなかった。ただただ赤子をあやす様に、髪を撫ぜてくる。
それが
「……落ち着いた?」
「ありがと。ちょっと元気出た」
「私だって濡れ鼠になるのは日常茶飯事だから。気にしないで」
彼女は上衣の白地に染み込んだ涙を諦めたようだった。恥ずかしくなって顔を背ける。
「海に出る事はあるんだ。アトランタ」
話題を逸らすだけの言葉だったけれど、あるよと彼女は応じてくれた。
「ステーツは戦場も広い。あんまりに艤装を酷使しちゃったから、私も次の任務が最後なの」
そうして寂しげに双眸を遠くに向ける。その先には、どこまでも続く
「退役出来るんだ。おめでとう」
「出来ればいいね。
まさしく投了と同義だった。彼女はすでに諦めている。
それでも任務に忠実で軍人足らんとしているのだ。沈むならひっそり逝きたかったんだけどねと彼女は無表情に続ける。
「次の任務は貴女の護衛だよ、ズイカク。死に場所を用意されたら、仕方ないね」
「それで良いとアトランタは思ってるの?」
「アメリカは、ズイカクが思っているより人の良い国じゃなくなったんだよ。この十年でね」
だから、犠牲は私で終わらせる。
それは彼女の願望だろう。
ただ縋りつくしかない希望だろう。
声色は諦観だけを残して海風に攫われていく。それでも、彼女は芯の通った瞳で私を見つめ返していた。
「アメリカは深海棲艦との血戦を望んでいる。それは、弱腰な今の大統領じゃダメ」
だから私
「自分の頭を
「残念だけど、合衆国が生き残るにはこれしかないの。それに日本にとってもグッドニュースよ。アメリカの艦娘が公に出れれば、20年もあれば海を取り戻せる」
その為には、自分で血を流す必要がある。そう彼女は淡々と語っているのだ。
「確証はあるんでしょうね?」
「えぇ、ここ数年間の精密な計画は全てこの時の為。私達にはいう事を聞く『敵』が必要」
本当に欲しいのは敵ではない。有事に国内感情をコントロールできるプロレスの相手が欲しいだけ。それを深海棲艦を新たに作り出すことで可能であると実験しているのか。
結局、最後は政治の話。けれどももう、それでも構いはしなかった。
「深海棲艦のエネルギーはなんだと思う? ズイカク」
「恨みとか、憎しみとか?」
「大体あってる。正確に言えば、海から力を引き出すために感情が重要になってくる」
必要なのは、海に対しての信仰だとアトランタはいう。
「
「増幅した海の念そのものに焼き殺されるんでしょ?」
「
.だから、
「……それで、私に白羽の矢が立ったという訳ね」
「貴方のダーリンが信じていた力。純粋な艦娘の力のみで深海棲艦化を克服する存在」
それが
アトランタはそんなことを言う。
月光のせいか、いよいよ私の肌まで青白く見えてくる。
これではまさしく、今まで屠ってきた深海棲艦と変わりない。文字通り様変わりしてしまった私を見て、アトランタは訊ねてくる。
「じゃあ、改めて聞くよ。ズイカク。日本じゃこう言うんだっけ。ノルの? ソルの?」
「そんなの決まってるわよ」
どうするかって? 答えなんか最初っから出てたじゃないか。