「ようこそ、南洋のチュークへ。待ちわびたわよ」
「先輩もお変わりないようで……いえ、お元気そうでなによりです」
変わった、か。
失望したとか、期待外れだとか。最近はそんな台詞ばかり聞いていたから、その言葉は随分と懐かしいように感じる。
司令部庁舎の応接間。普段は州政府との会議等に用いられるそこは、今では私の定位置となっている。提督さん曰わく「ここに置いてあるソファが一番高価だ」とか。
ソファのクッション性と、辛くなったらスグに横になれる利便性もちゃんと最後まで説明してあげれば、もう少し周囲からの好感度があがるのになとは、まあ妻としての余裕、というヤツなのだろう。
「相変わらず硬いわねぇ。ああ、着任の挨拶は私にしたってことで済ませていいわよ。どうせ提督さんはコミュ障だから出てこないだろうし……」
「誰がコミュ障だって?」
と、壁の向こうから男性の声。紺色の制服に身を包んだ佐官が現れる、現れるというよりも、隣の部屋から出てきたという方が適当か。着任の挨拶に来ていた後輩は踵を鳴らして敬礼。
「本日付で着任いたしました。山下ケイコ3等海尉です。特務艇艤装〈加賀〉艇長を拝命しております」
「ご苦労様。第8護衛隊群第3分遣隊を預かる瀬戸月1佐だ。でこっちは……」
「副司令の
「……お前なぁ」
そのやり取りを見て、この世ならざるものを見たかのような顔をする彼女。そりゃそうだろう。彼女から視た私は、真摯に弓道へと打ち込む求道者だったらしい――――というか、実際にそう言われたことがある――――ので、まさか冗談のひとつも言うとは思いもしなかったに違いない。
「……本当に、お変わりになられましたね」
「うん、変わったね。全部提督さんのおかげ」
そう言って彼の方を見れば、恥ずかしいのか露骨に話を逸らしてくる。
「やめろやめろ。まだ将官でもなんでもないのに」
「でも来年度には分遣隊も水上機動団に改編でしょ? そしたら昇格間違いなしだって」
機動団構想が上手くいけばなと前置きして、目の前の後輩を見据える提督さん。
「とにかく、チュークに来てくれて感謝している。これでようやくコイツを休ませられるからな」
その『休ませられる』という言葉に顔を歪める後輩。しまった、話を逸らすどころか私に矛先を変えさせにくる作戦だったか。見事に嵌まってしまった。案の定後輩がキッと睨んでくるので、思わず私は視線を逸らす。
「い、言っておくけど山下3尉。別に艤装をつけて海に出るとかはしてないわよ? あくまで島周辺の制空任務だけだし、そもそも副司令が名誉職過ぎるのが悪い。うんうん」
「そういう問題じゃないでしょう。先輩は身重なんですから……」
「はいストップ! 妊婦にストレスを与えるのは厳禁だって、藤見さんが言ってた!」
実際、航空戦力は足りていないのである。ちなみに空母が1隻増えたところでローテが組めるわけではないので私は今後も
そんなことより、伝えたいことがある。
私は後輩を手招きで呼び寄せる。
「ね、こっち来てさ。ちょっと触ってごらん」
「よろしいのですか?」
「もちろん」
恐る恐るといった様子で彼女は歩み寄り、私にそっと触れる。それは誰の眼にも明らかな膨らみ。経過は五ヶ月。
「この子ね、最近動くんだよ。本当に生きてるんだって分かる、スゴいよね」
そこに宿っているのは、確かな生命の脈動。私の未来を形作ってくれる命の強さ。
「あっ……動いた、動きましたよ! 先輩!」
「うん、うん……動くんだよ。うん」
撫でたり耳を寄せたりしていた後輩が、跳ねるように顔を上げる。驚きと喜びに満ちた彼女の笑顔もまた、私たちが先輩後輩だった頃には決して見せなかったもの。
こうして、何もかもが変わっていくのだと思っていた。祝福するように窓からは柔らかな光が差し込んで、私はまだ見ぬ赤ちゃんへと自慢の後輩を紹介して。
そんな甘い、甘い甘い夢のような情景。
――――――そんな夢を、久しぶりに思い出した。
皆が寝静まった頃合い。
闇夜に乗じて、ありったけのフネ――その第一陣が出航していく。
月光に照らされる中、方位磁針だけを頼りに北上していく……それはどれだけ心細いことだろうか。
しかし、彼らの命を繋ぎ留めるのはそれよりもか弱く――――――所謂、運命という抗いようのない奔流には呑まれてしまうかもしれない。人事を尽くして天命を待つとは言うが、人事を尽くすための手札が残されていないのだ。
それでも、私は彼らを放たねばならなかった。例え成功するかも怪しい脱出作戦ではなくとも、これから行われる自分勝手な作戦には巻き込めない。
命あっての物種。そう嗤えればどれだけ良い事か。
帰投して汗を流そうと、いつもの入渠施設に踏み込めば人っ子一人いない。
「そうだよね……」
なんせ、私が帰してしまったのだから。
ボロボロの道着を脱ぎ捨てて放る。穴が空いてない風呂桶の方が珍しく、選り分けて手拭いを片手に湯船を目指す。
浸かった修復液は既に紅く濁っていた。
「それもそっか」
濾過する装置も壊れているし、整備する職人もいない。
だが、効能だけが僅かに残っているだけが救いだった。ざぶんと飛び込んで、仰向けになる。そこには偵察機の視線を遮る雲。南洋の雲はスコールと決まっている。ざばざばと、濁った修復液に空の泪が混ぜ込まれていく。
「そりゃぁそうだよね……。だってここは、もうヒトの住める場所じゃなくなるんだから」
そんな風に穴が空いた天井を見上げていると、近づいてくる足音。液槽の横に拳銃を持ってきておいて正解だった。素早く構えると、両手を軽く上げながら現れたのは見知った顔。
「……女子の湯あみを覗く度胸があるとは思いませんでしたけど」
「人聞きの悪い事を言わんで下さいよ」
そう言いながらも足を止めることはなく、私が身を隠すものがないのを分かっていて踏み込んでくるその男。
「艦娘使用中に立ち入る職員の方が問題では?」
「爆破テロの時に散々お世話させて頂いたんですから、今更恥ずかしがる事ないでしょ」
それに人妻に手を出す気はありませんと豪語する彼、
「怖い顔してますぜ。司令代理。働き詰めで白髪になってちゃ、アイツも浮かばれんでしょうに」
「というか、非戦闘員は今日の便で脱出するって話だったじゃない」
「最終便は明日じゃないですか。それに、
一献どうですかと、一升瓶を抱えて差し出したお相手。こういうのも悪くはないかと私は盃を請求する。
乾杯をしても喉を潤すのは苦い液体。それでも湯あたりよりは酔っ払いたい心境だった。
「瀬戸月司令は良い漢
唐突に彼は言う。
「知ってる。私には勿体ない男よ」
ポツリと自然に言葉が出てきた。「だった」だなんて、過去のものとして語りたくはない。それを察してくれるあたり、藤見3佐もイイヒトではあるのだ。
いや、それよりもどうしてこんな話題を振ってきたのだろうか。
「藤見3佐はなぜ戦うんですか?」
「愛する女が最期まで護りたかったモノは何か……が分からなかったからですかねぇ」
そう言いながら瓶をラッパ飲みにしようとして、逆さまに振っても一滴も残っていやしないと頭を振る藤見3佐。壁に叩きけてストレス解消の素材としないあたり、この期に及んでも職人気質は残っているといった所だろうか。
そうして酒の道に逃げることが出来なくなった彼は、ゆっくりと独白を始めた。
「瑞鶴ちゃんが来る前の話だけど、俺にも相棒がいたんですが……これがまた気が強い女でして」
その娘から工廠は散らかすなとキツく言われたのだという。職人としての心構えを教えて貰いましたよと、懐かしそうに彼は語る。
「戦闘下手な癖に、工作艦の適性があったもんだから。機銃くらいしかマトモに動かないのに、一丁前に『私は艦娘ですからっ!』って」
いつの間に用意したのやら、彼が私に代わりの服を放り投げてくる。どうやらついて来いという意味らしい。
身に纏って追えば、そう遠くない場所で立ち止まる。扉に張られた特定秘密だの許可無き入室は懲役刑が科されるだの、物騒な言葉で埋め尽くされた札が行く手を阻んでいるそこ。
私はもちろん、提督さんですら入ったことがないのではないだろうか。
「艤装は直る。だが、艦娘は治らない。それを証明してくれたのが彼女の功績です。彼女の犠牲が霊力再生の根幹だともいえた」
立ち入り禁止の錠を、彼は腰から取り出した鍵で抉じ開けた。
その向こうにはまた扉。いや周囲の構造から見るに、ここが本来の扉だったのだろうか。先程の仰々しい扉は、まるで後付けの「封印」のよう。
なにせ、吊り下げられた看板には可愛い字で「技術課長、仮眠中」と書いてあったのだから。
「……」
「こんなボイラー室もどきで寝れる訳ないだろうと思うでしょう? それでも、これも彼女との大切な思い出なんです」
私の疑問を意にも介さず、彼は寂しげに嗤う。いったい、ここに何が隠されているというのか。
「1尉。今日はお友達を連れてきた」
扉を開いた先、大きな水槽で揺蕩うのは人間だった。
桃色の髪を水流で流しつつ、女性がこちらを見る。
「生きてるんだか、死んでるんだか……だな」
瞳は見開いているが、意識がない。といったところか。
まるで自分が今まで撃ってきた、人型の深海棲艦みたいだ。
「3佐……この人は?」
「適性がない奴が人柱を背伸びした結果……とでも言いますか」
近場のホワイトボードに、彼は日本地図を書き殴る。簡略化された日本列島を、北海道から九州までを五分する丸い円。そして、つらつらと名前が足される。
そしてその一つには、瀬戸月――――――今は私が名乗る苗字も含まれていた。
「呉と蝦夷の瀬戸月家。坂東の新田家。奥羽の藤原家。畿内の秋葉家。出島の久世家。代々、日本の龍脈に近しい血筋というものは存在します」
知ってます? 艦娘に日本人が多い理由と彼は言う。
「所謂、魔払いの家系って奴。欧州にはエクソシストがいるでしょうが、日本にも古来より朝廷に従った者達がいます」
彼らは呪術が科学の台頭により消え失せても、未だに影響力を持つのだと語る。
「陰陽道だったり、言い方は色々とあるんですが……今でいうなら特務神祇官に、霊力戦ですかね。深海棲艦との戦いにも彼らは有用だった。だからこそ、駆り出された」
あなたの旦那もそうですよと、藤見3佐は無表情で告げる。それを知った私はどんな顔をしたのだろう。それを確かめてくれるはずの彼はくるりと背を向けて。
それから彼女が閉じ込められた強化ガラスの表面を、拳で叩きつけた。
「……許嫁だったんだ」
絞り出した声は、必死で苦し気。
「司令代理が知っての通り、ここは巨大な人体実験場。艦娘の治癒能力や深海棲艦との同調――――――そんなことが問題にならないくらいの、壮大な計画が行われていたんです」
その正体が此処で封印された彼女なのだと。そう彼は言って――――――
「
――――――そんな、突拍子もない事を宣う。
「風土は南国。駐留しているのは日本人も多いが、現地民も多い。だが、ここは人為的に日本に書き換えられている。他でもない久世1尉の霊力場によって艦娘は
「いきている?」
「瑞鶴に長門。日本に縁ある艦名が、どうしてこんな僻地でも戦えると思います?」
彼女が創り出しているんだ。艦娘としての価値を、彼女の手が届く範囲でと。
俄には信じがたいことを彼は言う。
「信じられないとは思います。ですが、戦闘に直接の影響を及ぼす程の大きな力を感じたことはないですか? それは貴女も持っている筈だ」
それは空母としての力のことを言っているのだろうか。何十もの艦載機をそれぞれ別々の個体として認識しながら戦う、まるで自分が分裂したかのような感覚にすら陥るあの感覚のことを。
そんな私を知って知らず、彼は続ける。
「深海棲艦にも上位個体が存在する。俗に姫級ともいえる連中だ。彼女らは己の支配域の拡張が役割だ。決して戦闘能力が高い事ではない」
地上型が根付く前に根絶させる――――――提督さんだけじゃない、世界各国が重視しているその方針。
それはつまり、表裏一体である艦娘にとっても同じ。
そして、人でも艦娘でも深海棲艦でもない私にも言えるということ。
「フラッグシップ――――――それは艦隊を導くだけでなく、強大なバッファーとも呼べる存在という訳です」
「チューク諸島を支えてきた
「いえ。彼女の場合は、正確に言えば艤装を鼓舞するという表現が近いかと」
どうやら
「本土よりも腕が良い技師が多いのは事実です。しかし、サポート特化したバフ役がお似合いだったおかげで、この泊地は最凶のゾンビを産み出し続けたんです。その最高傑作が……」
言うまでもなく私、という事か。
肩を竦めた私を見てから、藤見3佐は満足げに水槽を撫ぜる。
「これにて千秋楽。生命維持装置に回せる電力も乏しい以上、此処も店仕舞いせざるを得ない。だから、最期に顔を見に来たって訳です」
彼が壁際のスイッチを操作すれば、室内が赤色の警告灯で染まる。音を立てて水槽の継ぎ目が裂ける。満たされた液体が零れ落ち、巻き込まれて中の女性も流れ出てくる。
「お疲れさん……よく頑張ったな」
そう、愛おし気に彼女を抱きかかえる藤見3佐の背。大柄な体格に見合わずにどこか寂しく見えたそれ。
そんな郷愁や哀情とも等しい空間を引き裂いたのは、他でもない彼の反応であった。
「痛痛痛たたた。どこ掴んでるんだよお前はッ!」
「……今生の別れみたいに3佐がおセンチになってるからですよーだ!」
「………………えぇ?」
どうやら、植物状態に近しい状況から簡単に復活するのは彼にも予想外だったらしい。
すっくと彼の拘束から逃れた彼女。そして腰まで伸びた桃色の髪を左右に揺らしながら、グラマラスな彼女は惜しげもなくその身を晒した。
「私が寝てる間に、何時から深海棲艦と共闘してるんですかね?」
久世1尉――――――そう呼ばれていた女性は、じろじろと嘗め回すように私を見る。
「へぇ。貴女が瀬戸月司令の秘蔵っ子ね」
「それどころか、その奥様で在らせられるぞ?」
待って欲しい。おそらく起床したと思われる彼女には、この方一度も会った事がない。ある程度見透かされているのはどうしてだ。
そんな私の内心すら見通して、彼女は満面の笑み。
「艦隊の運用情報や資材の動きまで全部チェックしてる私が、貴女の事を推測するなんて容易いからね。大事にされてるぅー♪」
そう、よしよしされる。なぜ?
藤見3佐を見れば、早くも目が泳いでいた。自分の許嫁ぐらい世話したらどうかとは思わなくもない。
「……それで、ズタボロにされてる
「権限が司令代理に移っただけで、そこまで分かるお前の順応性が羨ましい」
つかつかと進み出た久世1尉は私を見据える。
まるで、自分の主人か相応しいかを見極めるかのように。
「……彼との出会いを後悔してない?」
その男性が誰かを指さずに、チューク諸島の主は言う。
「全部をお見通しではないのですか?」
「私は貴女の気持ちを知りたいの。果たして瀬戸月司令は
彼女の髪から滴る液体が落ちる音の数だけが、この問いから時間が空いてしまった事を示している。
唇を咬んで。息を吸って。絞りだすように吐いた。
「私にはできませんでした」
彼を幸せにする事も。
その意思を継ぐ事も。
「まして、遺された思い出すらも捨てるんです。こんな私は、彼に相応しくない」
落第点だと。そう言われても仕方ない。
呆れたのか沈黙した彼女。しかし、その瞳は真っ直ぐに私を見る……正確には、私の胸元を引っ手繰るように腕が伸びた。
この期に及んでも手放さなかったモノ。特注の塩害に強い素材で作られたロケットペンダントには片側に彼と義娘。
反対側には、本来私が護らなければならない筈の娘が掲げられている。
「……でも、この子だけは。私に彼の妻を名乗る価値があるのなら、まだ戦います」
幼子が写っている。写真を送ってくれたのは皮肉屋気取りの小沢空佐殿の奥方。甲斐甲斐しく毎日のように送られてくるのを、しばらく前まではろくに視ることもしなかったけれど。
でもようやく、直視できるようになった。
姉譲りの
今この子は、本土にいる。
仮初めの、これから崩壊してしまうかもしれない平和の中にいる。
だからこそ私は笑って逝くのだ。
これで良かったのだ、これが良かったのだと。
それが願いなのか言い訳なのかは、もう分からなくなってしまったけれど。
「んっ……よろしい」
彼女は納得したのだろうか、私にその内心は読めなかったけれど。それでも彼女は嗤ってくれた。
「では、そんな正直者な瑞鶴さんに
壁際にあった鍵束を掴めば、無造作に放り投げてくる。
「
きっと何かお役に立てるはずですよ!」
そして彼女は、南国の太陽にも負けないような笑みを見せるのであった。