舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第19話 鶴翼は折れた儘

 チューク州の全島避難は既に完了している。ここに残されたのは私だけ。

 

 最後まで敢闘した空軍の警戒隊、戦闘をこなしつつも秩序の維持という重大任務を全うした警備部隊、僅かに生き残った分遣隊の面々を乗せた最後の輸送船が島を脱出したのは一昨日のこと。

 

 全速力で航行していれば、もうじきマリアナ諸島まで辿り着くことだろう。

 

 

「……思えば、長かったなぁ」

 

 本当にいろんな事があった。

 灰塵に帰したチュークの景色を私は眺める。

 

「提督さん、私。上手くやれたかな?」

 

 その問いに答えはない。

 まあ……少なくとも褒めてはくれないだろう。

 

 

 なにせ、預かった泊地がこれから壊滅するのだから。

 

 

 アメリカの爆撃機――――喉から手が出るほどに求めていた増援戦力――――の到来が内密に約束されたことで、私たちの第3分遣隊はようやく作戦を実行に移すことが出来た。

 全力を振り絞り環礁の周囲に集まってきた敵を殲滅して周り、その僅かな空白を突いて民間人を避難させる。

 もちろん戦力を消耗した分遣隊は機能不全、交換部品も弾薬も尽きて満身創痍。

 

 それでも海に取り残された十万人が深海の餌食となる最悪のシナリオは避けられた。

 

「上手くいくか分かんなかったけれど……まあ、今日まで陥落しなかったし良しとしようか」

 

 私が眺めるのは大型商業施設(シヨツピングモール)

 かつてヒナちゃんとクレープを食べたそこは、大砲の欺瞞模型をそこらかしこに備え付けたことで偽物の要塞と化していた。

 

 もちろん敵の集中攻撃を受けて大破、そこらかしこから鉄筋をむき出し見るも無惨な姿であるが、それでもまだ要塞には見えないこともないといった具合を保っている。

 

 戦力を過大に見せ、敵を散々に撃破して回った第3分遣隊。

 

 その本丸チューク環礁。敵はまだこちらに大量の地上兵力と洋上兵力があると思い込んでいるに違いない。

 

 それなら、次の戦いが()()には最後の戦いとなるだろう。

 

「約束の時間まで、あと少しか」

 

 もうすぐ、私のヒトとしての生命は終わりを告げる。

 

 彼女達の言葉が本当なら、今頃米国の本土からは爆撃機が飛び立っていて、太平洋にぽつりと浮かぶ環礁まで長駆進出してきている頃合いであろう。

 そうして間もなく、この島は爆撃の炎に沈む。

 

「とはいうけれど、間違って私ごと焼いたりしないでしょうね?」

「安心していいよ。合衆国(ステーツ)の科学者たちにとって、貴女のデータは何よりも貴重だから」

 

 合衆国の合理主義だけはなくならない――――――実験動物として興味があるから安心しろだなんて、冗談なのかそうじゃないのか分からない事を()が言う。

 

 もちろんこの場には私以外の人間は存在しない。

 そう、()()()()

 

「でも、爆弾が落とされる順番くらい教えてくれてもいいじゃない。アトランタ」

 

 その言葉に、くるりと米国の艦娘は振り返る。

 

 私が単独でも戦ってこられたのは、言うまでもなく彼女の艤装があったから。

 本当に黎明期の米国艦娘(プロトタイプ)なのかと疑うほどに、彼女の性能は特筆するべきモノがあった。彼女はさも当然というように返す。

 

「深海に取り込まれた時。爆弾の落下位置を読み取られたら、作戦の意味がなくなるよ」

 

 その台詞が、アトランタは別に私の戦友ではないのだと私に思い出させる。

 

 彼女の最期の任務は私の護衛(エスコート)

 これは単なる護衛という意味でもあり、そして文字通りの意味も持っている。

 

情報は識るべき者のみに(Need to Know)。万国共通、軍隊の原則」

 

 これから大挙して環礁に押し寄せてきてくるであろう深海棲艦。

 それと戦うために、私は深海棲艦の力を借りる。

 

 何が起こるかは分からない。

 ただ一つ確実なのは、私が私でなくなるということ。

 

 その実行を()()()、そして()()のが彼女の仕事。

 爆撃の間隙を知る彼女が、私を死の環礁から連れ出すのだ。その先に待っているのは真っ暗な闇だろう。

 さしずめ、彼女は地獄への水先案内人というわけだ。

 

「もう少しだけ、保ってよね。私の艤装(ずいかく)

 

 どれほど眠っていないだろう。

 

 身体の節々が痛みを訴えている筈なのに、ぼんやりとしか感じない。

 それでも感覚は研ぎ澄まされていて、整備の行き届いていない艤装が悲鳴をあげているのが分かる。もう少しの辛抱と宥めながら、私は司令部のある島にたどり着いた。

 破壊された内火艇を横目にしつつ、かつての面影を失ってしまった司令部庁舎へと足を運ぶ。

 

 世界が真っ赤に染まっていく。

 燃える島の色ではない。太陽が傾いているのだ。

 

「で、ここが脱出ゲームのスタート地点って訳? ずいぶん粋な計らいじゃない」

「爆撃機の到達まで、もう時間がない。ズイカク、Ready?」

「仕込みは……まあ九割方ってとこかな」

 

 人事は尽くした。あとは天命を待つのみといったところ。その天命が人の手で生み出された爆撃機だというのは皮肉な話だが、私の準備は万端だ。

 

 聞こえないだろうけれど、ごめんとだけ謝っておく。

 

 娘達はきっと辛い思いをするだろう。親に先立たれた私が、幼い子を残して逝こうとしている。言い訳程度に準備はしたけれど、きっと怒るに違いない。

 

 でも仕方がない。私はバケモノなのだ。

 バケモノでも構わないのだ。

 

 バケモノの私を提督さんは見てくれた。私にちゃんと向き合ってくれた。

 

 そんな提督さんの存在を許さないこの世界を、私は許さない。

 

 結んで開いて。私の両手に宿る力が疼いている。

 こんな私が、どうして母親面していられるというのだろう――――――(たお)すだけが取り柄の女が、どうしてあなた達の未来を描けるというのだろう。

 

「それじゃ、行ってきます。提督さん」

 

 皆の集合写真は、もう棚の上にはない。

 泣いて撤退に抗議した文月に私を靖国に連れてってと無理やり押し付けた。最後に秘書艦椅子に腰かける。

 そしてその特等席から――――――執務机を見遣る。

 空っぽの席、いつもいた筈の提督さんの姿はない。

 

 それでも。

 

 

 ――――――あぁ、行ってくると良い。瑞鶴。

 

 

 それは瓦礫が作り出した影絵なのかもしれない。けれど私は、夕陽が差し込む中に彼の姿を見た。

 

 彼は本当に呆れていたようだった。

 帽子を被り直すと敬礼。手を振らないのは予想通り。私も亡霊に答礼する。

 

「そろそろ日が暮れるね。準備をしよう」

 

 アトランタの発言を聞き慣れた声が遮ったのは、その時だった。

 

「そちらの客人、艦娘とお見受けするが……何方かな?」

 

 その言葉に、アトランタの艤装が唸る。彼女が砲塔を完全に向けきる前に私の手が伸びたのは幸いだったと言うべきだろう。

 

 ――――――脱出船に押し込んだ筈なのに、どうして。

 

「こんな所で、何をやっているの? 二人とも」

 

 私の視界に収まっているのは、ここには居ないはずの磯風さんと神通さん。

 

「航空母艦という831護衛隊の最大戦力を活かすのに、護衛がないなど恰好がつくまい」

 

 この命、好きに使え。どの道もう長くはないと、ソファがあった跡に背を預けた磯風さん。

 

「神通さん。気のせいかボーっとしてません?」

「可笑しな事を言いますね。どういう意味ですか?」

「いやいや、私は提督さんの席に座ってるんだけど」

 

 そう嘘をかますと、明後日の方向の私と会話しようと身体を捻る神通。

 

「馬鹿っ……両目とも視えてないんでしょ」

「ふふっ。この状況で撤退できないでしょう? 戻ったとて、この身が役に立つ事など二度もありません。ましてや、退避要員をつけて貰ったら作戦が台無しですよ?」

 

 作戦という言葉が引っかかる。もしや神通さんは、知っていたのだろうか。

 

「まさか、この期に及んで我々にまだ何かを隠している訳ではあるまいな?」

 

 磯風が不敵に笑いながら問いかけてくる。

 

「私は覚悟を決めたぞ、瑞鶴。だからここにいるのだ。お前はどうなんだ?」

 

 私が残って戦おうとしていたことは見透かされていたらしい。

 彼女は布切れで吊った腕を気にせずに進み出てくる。要するに、私にはまだ仲間を信じる覚悟がなかったということだ。

 

「私は」

 

 神通さんや磯風がどうして私の事を信じてくれるのか、正直分からない。

 

 ここに着任してから彼女たちには迷惑をかけてばかりだ。それなのに私と共に死んでくれると?

 本当に、この部隊は揃いも揃って馬鹿ばかりだ。

 

「アトランタ。悪いけど地獄への特急券、もう二枚追加して貰っていい?」

「All right. ズイカク。終電にはまだ間に合うよ」

 

 アトランタがアンプルを放る。それを器用に片手で受け取った磯風は首を傾げる。

 

「この試験管はなんだ? 痛み止めにしては、やたらと気色の悪い色をしている」

「これが賭けよ。人類に仇名す悪となるか、それとも己が正義を翳す英雄になるかのね」

 

 もはや仔細まで説明する必要はあるまい。

 私についてくると決めたのなら、最期までとことん付き合って貰う。提督さんがそうしたように、私は預かった命を最大限有効に活かすだけ。

 そしてこれから始まる作戦、賭金(チツプ)は多いに越したことはない。

 

「今からすることは、相手に指揮官がいればという()()の話だけれど」

 

 もう何ヶ月も戦ったのだ。私たちの環礁を包囲する向こう側の()()()()ぐらいは分かる。

 相手は徹底した航空主義。制空権を奪われた状況では無理に押してこない。今攻撃が止んでいるのだって、私の艦載機が敵を追い払ったからだ。

 ルールが分かれば、主導権はどうにでもなる。

 

「私はこれから制空権を向こうに明け渡す。そしたら相手は必ず環礁内に攻め込んでくるわ」

 

 まあ、手を抜かなくても制空権は取られてしまうだろう。

 なにせ島には防空隊すら残されていない。レーダーなどの各種システムは機能不全、ギリギリで持たせていた空軍も脱出済み。

 

「そして私たちは、中近距離戦でアイツらを引きつけるの」

 

 私の曖昧極まりない作戦要綱に、簡単にいってくれますねと言う神通さん。

 

「三倍や四倍ならまだしも、この環礁を取り囲む敵はそんな数ですまないと思いますが」

「そのためにそのアンプルがあるのよ」

 

 運がよければあなたたちの力は何十倍にもなるはずよ――――――もちろん、命の保証はできないけれど。

 そう嗤ってみせれば、配下の艦娘(もののふ)たちも獰猛な笑みを浮かべた。

 

「つまり司令代理は、我らに弁慶のごとく立往生せよと言うわけだな」

「違う違う。制空権を奪取し完全優位、何十倍の戦力で格闘戦を挑んでいるのに勝てる見込みがない。そしたら相手は、どうすると思う?」

 

 相手が消耗戦を挑んでくればそれでよし――――――それこそが私の狙いだ。

 

 敵を徹底的に引きつける。

 長距離砲撃が効かないのはこれまでの戦いで学んでいるだろうから、戦艦だって大挙して環礁の内側に押し寄せてくることだろう。

 

 そしてそれこそ、私たちが掴むべき唯一の勝機。

 

「いくらなんでも、何百何千倍の敵には勝てないわ。ううん、勝つ必要なんてないの」

 

 なにせ、こっちには天下のアメリカ空軍がついているんだからね。

 それだけ言えば、二人にも意味は十分に伝わることだろう。環礁に押し寄せ、珊瑚礁の中に躍り込んだ深海棲艦は()()()()鹿()だ。

 

「さあ、始めるわよ」

 

 私は潮が引くように航空隊を下げていく。最後の船が脱出した今、制空権を死守する意味はない。元々限界だったのだから、小細工などしなくても自然と空は敵のモノになる。

 

「アトランタ、爆撃開始まであとどのくらい?」

 

 ここから先は時間との闘い。

 私が制空権を喪って、敵が攻め上がるまでの時間を調整する必要がある。

 

 アトランタは分、秒単位に至るまでの正確な爆撃開始時刻を教えてくれていないが、流石にここからは詳細な情報が必要だ。

 

「……ちょっと。幾らなんでも情報出し惜しみ過ぎない?」

 

 それなのに、彼女は言葉を返さない。

 

「ねぇアトランタ、聞いて……」

「んっ」

 

 私が振り返ったのと、ごぼりと()()()()()()()()()()()()のは同時だった。

 右胸に見事な風穴が空いて、反対側の景色が覗く。信じられないと言った顔のまま崩れ落ちる。

 

 慌てて彼女を支えようと私の足が滑り込んだ時に響く遠雷。

 その銃声で私はようやく彼女が凶弾に倒れたのだと理解する。狙撃? 砲撃? 誰が? どこから?

 

 考えるよりも早く、私は叫んでいた。

 

「神通、磯風! ヘッダウン(ふせなさい)!」

「明らかに艦砲だぞ。どこから撃たれた!」

 

 警戒する磯風さんは電探で索敵を開始する。

 神通さんも待機していた夜間偵察機に指示を送ったよう。遅きに失した感はあるが、出来る手は打った。あとは彼女の介抱だ。

 

「目を開けなさいよっ! あんたに地獄から一抜けされたら、たまったもんじゃないのよ!」

「Battle ship....... 私のレーダーの範囲外からの狙撃。深海棲艦じゃない。これじゃまるで」

 

 その言葉が続けられる前に、空から人影が現れる。

 航空機の揚力を応用とした空中滑走。できるのは空母艦娘の中でもほんの一握りの筈。乱入者は勝ち誇ったような声色だった。

 

「そうよ。艦娘よ」

 

 この閉じ切った空に反響するように聞こえたのは幻聴か。それとも私が艦娘であるが故か。

 しかしこの眼に映る光景だけは現実だろう。そこら中の空を三式弾が埋め尽くし、噴進弾の煙が空を覆う。それから一斉に艦載機が飛び上がって、私たちは制空権を取り返す(うばわれた)

 

「ヒト型に懐まで潜り込まれるなんて、南洋の守護神(グンカンドリ)も墜ちたモノね……でも、もう大丈夫」

 

 そんな言葉が今度は耳にまで届く。

 

 大丈夫? まさかアトランタを深海棲艦と誤認した訳はないだろう。

 私は目の前に現れた艦娘を睨む。それは全身を黒の装束に包んだ艦娘。特殊部隊のゴテゴテの暗視装置とフェイスシールドに覆われて、その表情を窺い知ることは出来ない。

 

 彼女はうやうやしく頭を下げると、大きな声で私たちに告げた。

 

「第8護衛隊群第3分遣隊の皆さん! これまでの奮戦、大変お疲れ様でした!」

 

 白々しい労いの言葉に呼応するように影の数は増えていく。

 10か20か。基地を包囲したらしいソレ達は、お祝いのクラッカーと言わんばかりに各々の得物を私たちに向けていた。

 

「深海棲艦侵攻に伴う通信網遮断のため、口頭でお伝えします」

 

 嘘つけ、記録に残さないためだろう――――――睨んだ私と対称的に、彼女は深い深い笑みを浮かべる。

 

「今から2時間前、第8護衛隊群司令部はミクロネシア連邦からの全面撤退を決定しました。ミクロネシア前方展開群も同時刻をもって解散。第3分遣隊の皆さんも戦闘を直ちに終了、当海域からの撤退作業を開始してください」

 

 その言葉通り、確かに深海の化け物たちはするりと退きつつある。彼女の言葉をそのままに受け取るなら、ここから悠々と撤退することも可能だろう。

 

「今日の今日まで、戦力を出し惜しみしたクセによく言うわね」

「出し惜しみ? 戦略予備はここぞという場所で使うモノですよ。副司令」

 

 しかし、ミクロネシア連邦の全ての海域中が大攻勢を受けているこの状況で、どうしてこれだけの艦載機や艦娘を用意出来ると言うのだろう。

 8護群の他の分遣隊はもちろん、他の哨戒艦隊にだってそんな余裕はない。それなら、答えは分かりきっている。

 

「本土に張り付いた()()()()は、もっと大事な局面で使うべきなんじゃないの? 飛龍――――――それとも」

 

 軍人としての名前(城島アスカ2等海佐)と呼んだ方がいいかしら。

 お前のような卑怯者には艦娘(ひりゅう)を名乗る資格もないと、言霊(ことば)に込めて私はその名を呼ぶ。

 

「おや、私の事を覚えていてくれるなんて光栄ですよ。瑞島……いえ、瀬戸月副司令」

 

 もう5年近く前だというのに、記憶は確かですね。

 その言葉と共に、艦娘は暗視装置と覆面を外す。その中から切れ長の目を覗かせた。

 

 そこに宿っているのは闇そのもの。

 

 あの映像を見れば、提督さんに害をなしたのが自衛隊の一部勢力に過ぎないことは分かる。

 そしてあの場所で尋問に活用されていた艦娘は飛龍と呼ばれていた。飛龍と呼ばれる艦娘を、私は一人しか知らない。

 

 声だけの判断だが、どうやら的中したらしい。

 

防衛大卒(エリートコース)にあぐらを掻いたあなたは、()()()の私なんて覚えていないと思っていましたが」

「あんたら『華の』第1期に対して『出がらし』2期は恨み辛みが積もってるのよ」

 

 防衛大学校に急遽設置された艦娘専科コース、官民問わず高い適性を持つ人間を引っ張った1期生に比べ、とにかく人員不足を埋めるためと強引に()()された2期生はどうしても質が劣る。

 コース修了と同時に最前線に投入され、華々しい戦果を挙げた1期生に対して、後詰めとされた2期生は『出がらし』以外の何物でもなかった。

 

「出がらし? しかし現実は私が3佐であなたが2佐、いや。分遣隊を立派に率いているとなれば海将補くらいにはなっている。防衛大卒の贔屓(ひいき)は酷いモノだと思いませんか?」

 

 だいたい、あなたは大学校(こうほせい)であることを盾に1期生の()()から逃げたのでしょうに。

 つらつらと恨み節を垂れ流す飛龍、そんなの知ったことではない。

 

「御託はいいわ……それで、何が目的ってわけ?」

「端的に申し上げれば、新自由連合盟約(ニューコンパクト)の遵守です」

 

 どうも加盟国の中に、領土防衛の義務を放棄し、あまつさえ自由連合に属するミクロネシア連邦チューク州を焼き払おうとする輩がいるらしい――――――。

 

 彼女がアメリカの爆撃機の事を言っているのは間違いない。それを止めに来たのだと告げた飛龍は、私が支える米国艦娘……アトランタを指さした。

 

「さぁ、そいつをこっちに引き渡しなさい。彼女が爆撃の誘導管制を担うことは知っています。ミクロネシア連邦、ひいては日本の敵であることは明確です……あぁ、安心してください。引き渡してくれれば生かすことも出来る」

 

 致命傷を避けたうちの狙撃手を褒めてあげて欲しいですねと。場違いな茶目っ気を見せる彼女。

 

 致命傷を避けたなんてとんでもない。

 

 アトランタは急激な流血から痙攣し始めている。このままでは命も危ない。

 しかし、目の前で不敵に笑う飛龍に従った所で、保証されるという訳ではない。せめて。高速修復材が使えるよう、入渠だけでもさせなければ……。

 

 それには、私に注意を引き付ける事が最低条件だ。後ろ手にハンドサイン。

 目が見えない神通さんでは無理だ。磯風さんの機転に祈るしかない。

 

「ねえ飛龍、あなたの言う日本の敵ってなに?」

 

 そして私は言葉を転がす。見え透いた時間稼ぎのために。

 

「それはもちろん。我が国の国防体制を揺るがす存在ですよ」

「じゃあ提督さんは、日本の敵だったんだ」

 

 何のことですかと肩を竦める飛龍。

 この期に及んでまだ私を懐柔できると思っているのか。

 

「日本の敵なら――――――伴侶(わたし)の腸を引きずり出して見せしめにする正義があるかって聞いてんのよ」

 

 私の口から放たれたその言葉は勝手に耳へと回り、忌まわしい映像の記憶が呼び起こされる。

 仮に彼女が私の臓物を引きずり出すことに成功したとして、私が許しを請うとでも思っているのか。

 それで提督さんを御すことが出来ると思っているのか。

 怒りと憎しみが混ぜ交ぜになって、私の中を駆け巡る。

 

 飛龍は小さくため息を吐くだけ。

 

「瀬戸月副司令……いやここは瑞鶴と呼ぶべきですかね? 誰に何を吹き込まれたかは知りませんが、少し冷静になればそれが米国(ヤツ)の仕組んだ小芝居だと分かるはずですよ?」

「なんですって?」

 

 私は静かに、身体を駆け巡る怒りを抑えるようにゆっくりと立ち上がる。

 アトランタに一言謝ると、彼女の身体は床に滑り落ちていく。残るのは血溜まりだけ。

 

「想像はつきますよ。愛しの夫が殺された、殺したのは本土でのうのうと暮らしている護衛艦隊の艦娘。あなたは今、彼女へと憎しみを燃やしている。それこそヤツの思う壺です」

 

 磯風さんは上手くやってくれるだろうか。視界に映らぬ部下を待ちながら、私は前だけを睨む。幸い相手は私の沈黙を怒りと受け取ったらしく、調子よく話を続ける。

 

「艦娘は、特務神祇官とは怨念を浄化する存在です。憎しみに囚われては深海棲艦(バケモノ)共と何の変わりもない。バケモノに勝つためにバケモノになることは護国の精神に反しますよ?」

「そのご立派な精神を持ちながらヒトを殺すアンタ達の方がよほどバケモノだと思うけど?」

 

 その言葉にフンと鼻だけ鳴らして、飛龍は私の後ろにいるであろう二人へと視線をやる。

 

「残念ですが真実をお話ししましょう。第3分遣隊の司令官は皆さんを裏切っていた。米国政府と結託し、あなた方を実験動物(モルモツト)として扱っていたのです。ここへ赴任してから身体能力が異常に向上しませんでしたか? 何日も飲まず食わずで戦わされた経験はありませんか? 記憶が欠落している期間が存在しませんか?」

 

 あなたたちは利用されていたんですよ。

 その言葉に、二人は黙ったまま。飛龍は続ける。

 

「本当なら、副司令も説得したかったのですが……彼女は伴侶を喪った哀しみで我を忘れておられるようです。副司令を拘束しなさい。非人道的な行為を、ここで終わらせましょう」

 

 非人道的と、彼女は言う。

 確かに、提督さんは艦娘(わたしたち)のことをヒトとして扱かいはしなかったかもしれない。

 

 数字でしか評価を下さない。

 必要であれば大を取り小を切り捨てる。

 

 でも、それは違う。

 提督さんの悪い場所だけを切り取った、偏見に満ち満ちた人物像(ポートレート)。提督さんは私たちを数字としてしか見なかったけれど、数字としては見てくれていた。

 

 そしてなにより、信じてくれた。

 

 

 

 

 

『瑞鶴、      』

 

 

 

 

 

 あの言葉、最期に提督さんがなんと言ったのか。

 私、本当は気付いていた。知っていた。

 

「ねぇ。磯風、神通さん」

 

 私は二人の部下に、提督さんの部下に問いかける。

 

「私は、提督さんのことを信じてるよ」

 

 提督さんは何十手先まで予想しきって手を打つ。だから、この地獄の先にある希望を私たちがつかみ取ってくれると信じていたに決まってる。

 

「提督さんが信じられなくても、私の事を信じて欲しい」

 

 提督さんが用意してくれるのは、棋譜ではなく作りかけの詰将棋。

 未来が確定したものではなく、手札は用意するから必ず生き残れという事。

 

 そのいつかを先延ばしにできるように手筈は整えてくれていたはず。だから、私達は()()()()()()のだ。

 

 この言葉は、果たして届くだろうか。提督さんの遺志は伝わるだろうか。

 彼女たちはあの映像を見たわけではない。今の状況だって、私と同じ視界を共有できているとは限らない。

 

「愚問だな」

「愚問ですね」

 

 

 

 そして、答え合わせが始まる。

 

 

 後ろから近づいてきたであろう磯風さんが――――――私を()()()()()()()()()

 

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