「別にな。お前の絵が下手だとか、そういう話はしてないんだ」
私は、都会から遠く離れた場所に住んでいた。
一番近い小学校はバスを使わないと通えないような場所にあって、それでも全学年合わせてやっと二桁の生徒しかいない小さな学校。
だから、がらんどうの職員室に私と担任の先生しかいないというのは、普通の話。
そんな先生は、私に向かってこう言う。
「お前の絵は上手い。これは先生の意見だけれど、間違いなく県、いや全国までいけるはずだ。ただなぁ……なんというかこう、もう少しいい
優しい先生はいつになく困った顔。
私が首を傾げるのを見て、先生は絵を取り出した。
「色使いは素晴らしい。草原と青空のバランスもいい。ただな……」
そこで言葉を濁す先生。
私はとにかく納得いかなかった。その気持ちを真っ直ぐに伝えても、先生は曇らせた表情を変えることはない。
「タイトルだけ変えて欲しいんだ。空を飛ぶ飛行機に手を伸ばす少女。ここまではいい、だかな。『空の艦娘』はマズい。タイトルが変われば文句を言われることもないはずだ」
だから、な? 先生はそう言った。
なにが『マズい』のか。私にはさっぱり分からなかった。
先生は題名を変えなければ県のコンクールにも出さないと言う。
その理由が何だったのか、それは今でも分からない。
マリアナ諸島への駐留。それは当時の日本――――同盟の大転換、さらには
なにせ、北マリアナ諸島は天下のアメリカ、かつては世界の警察と呼ばれ世界各地に軍隊を駐留させていた国の領土である。
深海棲艦に敗北し、太平洋の国々と結んだ自由連合盟約における「防衛の義務」を果たすことができなくなって東アジア防衛を日本に丸投げした米国はしかし、決して自国領を他国軍に守られるという屈辱を認められない。
けれど南太平洋に展開する上で、マリアナ諸島に兵站拠点を置かないという選択肢はなかったわけで。
どんな政治交渉の結果か、日本には最小限の基地敷地が提供された。
それがアプラ港に設けられたグアム日本国防軍基地だったのだけれど……その実態は司令部と通信施設、そして兵舎に武器弾薬庫といった最低限の設備を詰め込むことすらもできないほど小さな土地だった。
つまるところ、日本国防軍グアム基地は米軍の施設にどうしても頼らざるを得ないわけで。
「だからって、面会にアメリカさんの許可が必要っていうのはどうも納得出来ないわよねー」
そんなことを言うのは蒼龍さん。
ここはアメリカ海軍の軍病院。護衛役として
そのせいで全部の荷物を持たされることになってしまった蒼龍さんは、さっきから不満たらたらだった。
「それはまあ……事が事、ですから」
なんて返せばいいか分からない私は、ひとまずそれらしい言葉を言う。
「軍医さんの話じゃ、峠は越えたから大丈夫だって話だけれど」
日本国防軍グアム基地には、病室がない。正確には個室がない。隔離病室を作ることがどうしても出来なかったのだ。
「それにしても……なんかキナ臭いのよね」
アメリカさんもどこから嗅ぎつけたんだか、そう首を傾げる蒼龍さん。
私が連れてきた「あの人」は日本《こちら》の集中治療室で応急手当を受けた。
そしてその後、ほとんど時間を置かずにアメリカの海軍病院に収容された。
そう、《ほとんど間を置かずに》。
確かに、病室不足からアメリカの海軍病院を借りることは珍しくない。
奇襲攻撃を凌いだ後なので基地の医療施設は溢れるほどの負傷者で埋まっていたし、それを予想した病院側が協力を申し出るのは、普通の話とも言える。
でも、それにしたって。
「おかしいですよ。こんなの」
私の口から漏れてしまった呟きを無視して、蒼龍さんは黙って歩みを進める。
案内役のアメリカ軍の人が示したのは、海軍病院の奥。異様なほどに厳重に警備された、まるで
「失礼します」
そこは、何もない部屋だった。
強いて言うならベッドとスツール、小さな机。そして鉄格子の嵌められた窓だけ。
そしてその小さな世界の真ん中に、あの人の姿。
「久しぶりだね。艦娘になったんだって?」
ベッドから起き上がり、食事を載せるのであろう展開式の机に両腕を載せて。
そんなあの人が、私を見据えている。
「聞かせてよ、貴女の新しい
「……風雲です。夕雲型の三番艦から頂きました」
私たちの「艦名」はある程度の推奨艦名が定められているとは言え、希望を出すことが出来る。
私は幸いにも、その第一希望である「風雲」を賜ることが出来た。
「そっか。風雲か」
その声音は、私が知っているのと全く同じ。
「あの! 本当に……飛龍さんなんですか?」
「飛龍は殊勲艦だからねぇ。あやかりたがる
ああ、間違いない。
この声、この喋り方。それは間違いなく飛龍さんのもの。
「そんな減らず口を叩く飛龍なんて、艦娘専科は華の第1期にしかいないわよ」
蒼龍さんが肩を竦めながらに言う。結んだ口の、その端を持ち上げる飛龍さん。
「減らず口、ねぇ……そういう蒼龍はちょっと老けたんじゃない?」
「ご挨拶ね飛龍。アンタも同じだけ老けてるはずなんだけど?」
蒼龍さんが肩を震わせながら言う。部隊長を務める蒼龍さんは、9護群に所属する艦娘の中でも大ベテラン。それはつまり、蒼龍さんが最年長である訳で。
「ねぇ。ちょっと風雲ちゃん。なんでこんなヤツ助けたの?」
「え?」
頭上に低気圧が現れそうな表情で蒼龍さんが私を見る。
「今の私、何の関係ないですよねっ?」
蒼龍さんの地雷を踏んだのは飛龍さんのハズ。
なのに蒼龍さんは指を立てて続ける。
「風雲ちゃん。指揮系統の
「え、えええ……やったのは飛龍さんですよね?」
「でも、その飛龍を助けて欲しいって言ったのは風雲ちゃんだよね」
つまり外患誘致ってことになるよね。蒼龍さんの眼は笑っていない。
9護群の部隊長、蒼龍さんは敵の深海棲艦すらも恐れる歴戦の艦娘。私は蛇に睨まれた蛙。
飛龍さんに助けるよう視線を転がせば、ふいと目線が逸らされる。
それから私を見やると、それから歪んだ堤防みたいに口元を緩ませてくつくつと笑い出した。
「いやいや風雲、流石に真面目に反応しすぎでしょ。蒼龍もマジトーンになりすぎ」
「あはは! 老けたって、老けたってなによ。再会をなんだと思ってるんだか」
振り返れば蒼龍さんまでお腹を抱えて笑っている。どうやら全ては
「べ、別に、冗談なことぐらい分かってましたもん……」
ただ蒼龍さんが只ならぬ雰囲気だったので、言い出せなかっただけなのだ。そう主張する私を
そうしてひとしきり笑った所で、飛龍さんは言った。
「私のこと、風雲が助けてくれたんでしょ? ありがとうね」
「そんな。礼は巻雲と蒼龍さんに言って下さい」
巻雲がいなければ、沈みかけていた飛龍さんを掬うことは出来なかったかもしれない。
蒼龍さんが私の話を信じなければ、衛生隊の手配は間に合わなかったかもしれない。
「そっか。艦名には縁が芽生えると言うけれど、つくづく本当の
そう言った飛龍さん。それから蒼龍さんへと視線を注ぐ。
「これで『めでたしめでたし』になればいいのにね。9護群付の艦娘部隊長サマ?」
さっきまでの空気は何処へやら。その言葉一つで、蒼龍さんは無言で机に荷物を置く。
「結論から言えば、そういうことになるわね」
荷物は決して小さいとは言えないボストンバッグ。机の上に置かれたそこからファイルを取り出して、開く。
「ねぇ飛龍、これまで何処にいたの?」
「そんなこと私に聞かないでよ。第一、ここが何処かも知らない。アメさんが居るってことは横田? それとも座間か嘉手納……いや、普天間だったりして?」
その言葉に、蒼龍さんは眉をひそめてファイルを閉じる。
「グアムよ。信じられない?」
その言葉を飛龍さんは予想していたのだろうか。少しの間を置いて、ため息。
「……蒼龍のいうことなら。信じるよ」
飛龍の言葉に、蒼龍は苦笑を漏らす。
そんな弛緩した空気も束の間。蒼龍さんの横顔、その眼にただならぬ激情が宿るのを感じ取った私は、そっと左手で三角巾を撫でた。
「それじゃ、私を信じて説明して頂戴。なんで飛龍は風雲ちゃんを撃ったの?」
「撃ってないよ。私は」
即答だった。もちろん「はいそうですか」と引き下がる蒼龍さんではない。
「じゃあ、なんでここにいる風雲ちゃんは右腕を怪我しているの?」
そう言いながら私を指差す蒼龍さん。そこには三角巾に吊された私の右腕。
「いいんです蒼龍さん。私は気にしていませんから」
「風雲ちゃんが気にしなくても、私は……いえ、
私は自分の右腕、その左側20センチにある部位。丁度胸のあたりを見る。
艦娘は、妖精さんの加護によって守られている。
だからといってどんな攻撃にも耐えられるわけではないし、ましてや同じ艦娘同士の攻撃となれば加護の力は殆ど働かない。学会の見解によれば、加護が打ち消しあうのだとか……とにかく誤射ほど恐ろしいものはないという話で。
そう考えれば飛龍さんの撃った砲弾が私の胴体に当たらなかったのは奇跡というべきことなのかもしれない。
「あの至近距離で『誤認』はキツいわよ。ましてや風雲ちゃんは救出活動中だった」
それも飛龍、あなたを救おうとしてたのよ。蒼龍さんは詰め寄る。
「だからこそ、
飛龍さんがそう言って、困ったように微笑む。
「それはこっちの台詞よ飛龍、なんで風雲ちゃんを、私の部下を撃ったの?」
飛龍さんは蒼龍さんと視線を戦わせて、それから目を瞑って居座りを正す。
「だから蒼龍。私は何があったのか。なにも覚えていないんだってば」
「飛龍」
たしなめるように言う蒼龍さん。
飛龍さんは蒼龍さんを見ると、それから私に視線を寄越す。小さく息を吐いたところで、蒼龍さんは声のトーンを落として続ける。
「飛龍。私だってあなたのことを疑いたくない。でも実際に起きていることとして、あなたは風雲ちゃんを撃ったのよ。巻雲ちゃんの目撃証言だってある」
そう問い詰める蒼龍。どうして二人が、こんな警察と容疑者みたいな会話をしなければならないのだろう。私は居ても立ってもいられなくなって、口を開いた。
「待って下さい、蒼龍さん。それなら飛龍さんは、私たちを助けてくれました」
「風雲ちゃん……」
私と巻雲が深海棲艦に取り囲まれたとき、誰かが爆撃で包囲網に穴を開けてくれた。そして同時に始まった味方部隊とは全く関係ない方角での戦闘。つまり飛龍さんは私たちを取り囲んでいた深海棲艦を爆撃したことで、反撃を受けたということ。
あれこそ、飛龍さんが私たちを助けてくれた、飛龍さんが私たちの味方だっていう証拠ではないのか。
蒼龍さんは眼を伏せると、それから私と飛龍さんを見て言った。
「分かった。正直に言うわよ、
「査問って……飛龍さんが何か悪いことでもしたんですか」
査問といえば軍事裁判の準備段階。蒼龍さんは首を振るけれど、私は止まらない。
「蒼龍さん、なんで飛龍さんが査問に掛けられなきゃいけないんですか?」
いくら誤射が大問題としても、敵味方の識別ミスや誤射はそんなに珍しい事故ではないはずだ。飛龍さんは身体の傷が大きくて、注意散漫になっていてもおかしくない。
それに加えて私が撃たれたのは真っ暗闇の中。誤認する余地は十二分にあったはず。
もちろんそれは、私のような経験の浅い艦娘だったらという話。
それでもベテランだから誤射はない、という理屈は成り立たない。蒼龍さんは言い聞かせるように言う。
「風雲ちゃん。査問はね、なにも誤射したから行われるわけじゃないの」
「それじゃあ……」
それなら、何が査問に掛けられるというのか。
思いつかない私を越えて、蒼龍さんは問う。もちろんその相手は飛龍さん。
「飛龍。風雲ちゃんの町で消えてから、今日まで。何処に居たか説明できる?」
その答えは、聞くまでもなく否。
飛龍さんはこの前の戦闘のことすら覚えていない。
蒼龍さんも答えを期待しているわけではないようで、そのまま続ける。
「本土に攻撃を繰り返されていたあの頃とは違う。今の北マリアナ諸島はまさに要塞」
そんな場所に、どうしてあなたが深海棲艦
「蒼龍さん……何を、何を言っているんですか?」
そう聞いても、蒼龍さんは飛龍さんと対峙するように動かない。
なんで深海棲艦と現れたかなんて。
まるで飛龍さんが深海棲艦を連れてきたみたいに……本気でそう思ってる?
「おかしいですよ。蒼龍さん、飛龍さんがそんなことするはずない!」
ねぇ、そうですよね飛龍さん。そう問うても答えはない。
艦娘はまず正直たれ、そんなことを言った飛龍さんだ。自分が覚えていないことを認めも、否定もしないだろう。
それを逆手に取られて飛龍さんは……罪を着せられることになるのではないか。
軍事裁判は特別裁判、疑わしきは罰せずなんて常識は通用しない。
「おかしいよ。それに話が早すぎる。でも今回の件……つまりグアムに対して深海棲艦が奇襲を仕掛けたという事実は、風雲ちゃんが思うよりずっと大きいの」
「それとこれとは関係ないじゃないですか!」
奇襲攻撃と私への誤射、深海棲艦と飛龍さん。なんの関係もない。
「関係ないからこそ、関係あるのよ」
蒼龍さんは、そう呟いた。訳が分からず私は次の言葉を待つ。
だけれど蒼龍さんは、そのまま何も言わずに飛龍さんに、背を向ける。
「机の上の荷物は着替えね。サイズが変わってないといいんだけれど」
「待って下さいよ。蒼龍さん」
「風雲ちゃんは今日は非番でしょ。飛龍の側にいてあげて」
突き放すように言って、蒼龍さんは扉に手を掛ける。それから振り返ると、言った。
「ねぇ飛龍。私だって納得してない。だからグアムに居るうちに、カタをつけないと」