舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第30話 流転する雲に構図なし

 夏休みが終わっても、夏が終わるわけじゃない。

 溶けたアイスクリームみたいに崩れかけた入道雲を見ながら、私は小さくため息。

 

 先生はタイトルさえ変えればいいと言ったけれど、あれは飛龍さんの絵なのだ。飛龍さんがいるから『空の艦娘』なのであって、名前が変わってしまったら飛龍さんではなくなってしまう。

 だから私は、コンクールを諦めることにした。

 それでいいのだ。そう考えることにした。

 

 それでも、全部納得出来たわけじゃない。私は帰って直ぐに高台に行く。

 そこから見える海は、私の数少ない友達の一つだった。

 

 毎日表情をころころ変える海と空、私はお父さんに買ってもらったクリップボードを取り出す。いつもの違う空が広がっている。

 

 もちろん、学校に友達が居ないわけじゃない。

 だけれど放課後になるといつまでも校庭で遊んでいる友達たちと違って、私はバスで帰らなきゃいけない。だから私の遊び相手は自然(うみとそら)で……でも私は、それを悲しいとか、寂しいなんて思ったことはなかった。

 

 なにせ私の町には『子供』なんてのは私しかいなかったから、一人で遊ぶのは当たり前で。

 

 そしてなにより、この町には飛龍さんが居た。

 

 この町を守るためにやって来たのだという飛龍さんは、一日の殆どの時間をパトロールに費やしている。

 そうでなければ漁協の隣に建った家でゴロゴロしているか、もしくは埠頭で猫と日向ぼっこをしているか。

 

 だからこうして私が町の何処かにいれば、飛龍さんはひょっこり現れるのだ。

 

「お、描いてる描いてる」

 

 その日の飛龍さんは、釣りにでも行っていたのか釣り竿とクーラーボックスを抱えていた。

 いつも通りに何の許可もなく私の隣に座ると、私のクリップボードを覗き込む。

 

「今日はなにを描いてるの?」

 

 飛龍さんは決まってそう聞く。

 何を描いているかなんて見れば分かるはずなのに。だけれど、あの頃の私はそんな疑問を持つことなく答える。

 

「海です。ここからだと、よく見えるので」

「ふぅん。相変わらず上手いねぇ……将来は画家さんにでもなるの?」

 

 

 将来は、そんな言葉を聞くようになったのはこの頃からだっただろうか。

 

 将来の夢、職業。

 それは学校とこの小さな町しか知らなかった私には、あんまりに難しい問題(しつもん)

 

 画家になるのなんて言われても、私は画家がどんな仕事かも知らない。

 漁業しか取り柄のないこの町では、私の知っている「仕事」は少なすぎた。選択肢がなかった。

 

 だからこそ。

 

「私、艦娘になりたいんです」

 

 飛龍さんみたいな、艦娘になりたい。

 私がそう言ったのは、ごく自然な流れだった。

 

 それなのに、飛龍さんは。

 

「ロクなものじゃないよ、艦娘なんて。なるのは止めときな」

「そうなんですか?」

 

 そうだよと頷く飛龍さん。

 そんなはずはない。飛龍さんの仕事は平和を守るお仕事で、とても立派な仕事のはずで。その言葉の意味を私は、理解できていなかったのだと思う。

 

 だからこそ、私の胸に浮かんだのは、純粋な疑問。

 

「じゃあ――――どうして飛龍さんは艦娘になったんですか?」

 

 その問いに、飛龍さんは曖昧に笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……蒼龍は、優しいね」

 

 蒼龍さんが居なくなった病室で、飛龍さんが口を開いて一番に言ったのはそんなこと。

 言いたいことが分からないわけじゃない。

 蒼龍さんは9護群の部隊長で、そして私たち大勢の艦娘(ぶか)を率いていかないといけない立場だ。

 それでも「グアムに居るウチに」なんて言うのだから、蒼龍さんは飛龍さんの側に立ってくれるのかもしれない。

 

 けれどそれでも、飛龍さんの疑いを晴らせるのだろうか。

 

「飛龍さん。本当になにも、覚えていないんですか?」

「うん。覚えてない。それに覚えていたところで査問は避けられないだろうね。北マリアナ諸島は日本の砦であると同時にアメリカの砦でもあるから……」

 

 そこで言葉を濁す飛龍さん。

 私だってグアムに駐留している身だ。二つの国の旗が翻るこの土地の事情が複雑なのは知っている。

 

 だけれどそれは、飛龍さんを断罪する理由にはならないだろう。

 いや、なってはいけないのだ。

 

「私も証言します。だからきっと、大丈夫です」

「『飛龍に撃たれました』って証言は、少なくとも私に有利にはならないよ」

「それはッ……」

 

 飛龍さんは、あの頃みたいな優しい笑顔で、微笑んで言う。

 

「ありがとね。その気持ちだけで十分だから」

 

 そう言えば、私はもう何も言えない。

 そんな私を知って、飛龍さんは言葉を紡ぐ。

 

「いくつになったの?」

 

 それは、あの日の飛龍さんが今の私に聞く台詞。

 もう私だって子供じゃない。あの町に居た子供はいなくなってしまったのだと確かめるだけの儀式。私が答えれば、頷く。

 

「そっか。じゃあもう十年も経つんだ。そりゃ()()()も艦娘になるわけだよ」

 

 飛龍さんは、つい今までの追求を意にも介さない様子。

 それが私への配慮なのは見れば分かる。なにか言わなきゃいけないのに、あんなに言いたいことがあったはずなのに、なにも言葉が出てこない。

 霧散した言葉をどうにかかき集めようとする私を見ながら、飛龍さんは私に座るよう促した。

 

「まさか、本当に艦娘になるなんてね」

 

 飛び出したその言葉。私はその意味を飲み込む。

 なるなんて、なんて。

 

「やっぱり、私は艦娘になるべきじゃなかったんですか」

「うーん、別にダメとは言ってないよ。私が決めることじゃないし」

「でも昔、飛龍さんは言ってましたよ」

 

 そう言えば、そうだっけと飛龍さん。あの時の飛龍さんは、確かに艦娘なんてなるものじゃないと言った。だけれど艦娘は平和を守る仕事で……。

 

「でも、ロクなものじゃなかったでしょ? 艦娘は」

 

 思い出したのか、それとも初めから覚えていたのか。飛龍さんは寂しそうに笑う。

 私はなんて言ったらいいか分からない。だから話を逸らすしかなかった。

 

「あの、査問って……どうなるんですか?」

 

 飛龍さんはベッドの上に視線を戻す。

 

「まあ十中八九、軍事裁判になるだろうねぇ。日米関係とかそういう話になれば誰かしらが処分を受けなきゃいけないし、高度な政治問題(そういうもんだい)を解決するのが軍事裁判だしね」

「……」

 

 深海棲艦との戦争。大陸との連絡を絶たれてもグアムに駐留し続けるアメリカ軍。

 

 ロクなものじゃない。確かにそうなのかもしれない。

 

「むしろ問題なのは、誤射じゃなくて()()()()の方なんじゃないの?」

「敵前逃亡……?」

 

 なんで。なんでそんな話になるというのだろう。飛龍さんは深海棲艦に立ち向かっていった。敵前逃亡とは真逆のことをしたというのに。

 

「私は、アイツを止められなかったからね」

 

 飛龍さんが、そんなことを言う。それは何処かで聞いたような台詞。

 

「ねえ。あの町は、どうなったの?」

 

 思い出したように、飛龍さんは言う。私は嘘が下手だから、それに飛龍さんの前で嘘を吐きたくはなかったから、本当の事を話すしかない。

 

「飛龍さんのお陰で、みんな無事でした……でも。風評が、広まったんです」

 

 深海棲艦との戦闘があった地域の魚は汚染される――――――そんなデタラメを最初に言い出したのは誰だったか。

 本土攻撃なんて数年ぶりのことだったせいで、インターネットだけじゃなくメディアにすら憶測が広まった。漁協が気付いた頃にはもう手遅れだったという。

 

「私の町、漁業だけが取り柄だったのは知っているでしょう?」

「そっか。私のせいだね」

「そんなこと」

 

 言わないで下さい。私の声は飛龍さんに届いただろうか。

 

 もしも飛龍さんがいなければ、私の故郷は焼かれていたはずだ。確かに最後にはなくなってしまった私の町だけれど、それでも家族は無事だったのだ。

 

 それはやっぱり、飛龍さんのお陰で。

 

「でも、いいんです。いろいろありましたけれど、こうしてまた飛龍さんに会えた」

 

 だからそれでいいんです。私がそう言うと、飛龍さんは窓の外を見る。

 

「戦争を、終わらせる」

「え?」

 

 飛龍さんはぽつりと小さく、けれど確かにそう言った。それは国防省が、政府が、それこそ世界中が叫んでいること。深海棲艦との戦争はあまりに多くの不幸を生みすぎた。

 

 なのにそれを飛龍さんが言うと、急に現実味のないことに聞こえてしまって。

 

「あ、ううん。なんでもない……昔ね、そういうことを言っていた子が居たのよ」

 

 しかもその子、現役の艦娘だったんだよ。何処か遠くを見ながら飛龍さんはそう言う。

 

 その子というのは、誰のことなのだろうか。

 知るわけもない相手に思いを馳せる私。飛龍さんは蒼龍さんと同期の国防大学校卒業生。もしもあんなことがなければ、蒼龍さんのように部隊長になっていたのだろうか。

 

「戦争って、終わるんですか」

 

 口を突いて出た疑問。

 国防軍は戦争の仕方をずっと考えている。

 

 国防軍に所属する私たちは戦争の訓練をして、そして戦争を続けている。だけれどこの戦争の終わらせ方なんて誰も考えていないんじゃないだろうか。私が産まれて少し経った頃にはもう始まっていた戦争。私にとっての戦争は、世界の一つ。

 

「時々、分からなくなるんです……戦争がない、平和な世界ってなんだろうって」

 

 だって。

 

 飛龍さんがいた私の故郷。

 飛龍さんがいなくなった故郷。

 親戚を頼って移り住んだ都会。

 

 ――――――それらの景色は全部、戦争の中の景色なのだ。

 

「まあ、そうだろうね。ならそれは私の責任だ。私は戦争を終わらせたかった」

 

 飛龍さんはそんなことを言う。それから手を私に伸ばす。その先には、私の右腕。

 

「ごめんね。こんな傷、作らせちゃって」

「いいえ、飛龍さんが謝ることじゃありません」

 

 例え飛龍さんが撃った傷だとしても、飛龍さんが謝ることじゃない。

 私は、自分の決断で国防軍に入った。飛龍さんにそんなことで謝られたくない。飛龍さんは結局のところ他人に過ぎなくて、私の人生に責任なんて持たなくていいのだ。

 

 だから、私がここにいるのは、全部私の責任。飛龍さんは何も悪くない。

 

 飛龍さんは深呼吸。それを吐いてから、鉄格子のはめられた窓を見る。

 病院の敷地を取り囲む木々の向こうには北マリアナの空。思い出したように飛龍さんは口を開く。

 

「そういえば。絵は、どうしたの」

 

 画家さんにでもなるの? あの頃の飛龍さんの声が蘇る。

 

 芸術家になる。

 そんな淡い夢を抱いたのは一度や二度じゃない。だけれどそれでも、私は結局艦娘になった。だから。

 

「……諦めたんです。田舎じゃ一番でも、都会じゃそうはなれなかったので」

「まさか。あなたが辞めるはずがない」

 

 そんなことはないですよ。飛龍さん。そうは言えなかった。私は艦娘になった今でも絵を描き続けている。

 

 そのために、この右手を庇い続けている。

 

 でも一方で、諦めたのは本当だ。美術の大学に進むという選択肢はあった。それどころか入学試験だって本当は受けた。それなのに、結局私は国防軍(ここ)にいる。

 

 押し黙った私を、飛龍さんは肯定と受け取ったのだろう。

 

「見せてよ、今のあなたの絵」

 

 それは、あの頃の飛龍さんの台詞。私はあの頃と同じように、それを差し出す。

 

「へえ。デジタルで描いてるんだ。ナウいねぇ」

「友人に勧められたんです。営内には画材も持ち込みにくいですし」

 

 端末にデータとして収められた私の絵。持ち運びに便利なそれはあまりに小さくて、私が絵に詰め込んだ全部は伝わらないだろう。

 それでも目をこらして私の絵を眺める飛龍さん。もしも私が芸術の道を進んだなら、私はもっと大きくて真っ白なカンバスを相手にしていたのかもしれない。

 飛龍さんが眼を向いて倒れるような、そんなスゴい絵が完成したのかもしれない。

 

 でもそうだったのなら、多分この、今という瞬間は存在しなくて。

 

「驚いた。すごい上達したね」

 

 そのハズなのに、飛龍さんの言葉はどうしてもお世辞に聞こえてしまって。

 

「ありがとう、ございます」

「どうしたの? この私が褒めてるんだから、もっと喜びなさいよ」

 

 飛龍さんは変わらない。この人は私が知っている飛龍さんだ。

 それなのに、私ときたら。

 

「飛龍さん。あの夏の絵、覚えてますか?」

 

 覚えてるよと飛龍さん。

 

 自由研究が決まらなくて、飛龍さんに相談したあの夏。

 空戦機動を研究すればなんてとんでもない提案をしてきた飛龍さん。

 

 そんな飛龍さんを見ながら、私は自由研究に飛龍さんの空を描いたのだ。

 

「あれ、飛龍さん以外には見て貰えなかったんです」

 

 その絵のタイトルは『空の艦娘』。飛龍さんが居た夏を切り取った、私の絵。

 

「多分私は、飛龍さんが思うほど上手くはないんですよ」

 

 高校でもそうだった。

 私の絵は、漫画は、結局誰かに見て貰えたわけじゃなかった。もしかすると誰かが気に掛けてくれたのかもしれない。でも感想だって貰ったこともない。

 

「そうかな。私は素敵だと思うけれど。私以外もそう言ってるヒト居るんじゃない?」

 

 そこで脳裏に浮かぶのは、訓練学校で意気投合した秋雲の顔。

 

 そう言えば秋雲、私の作品が面白いって言ってくれたっけ。でもそんな秋雲は同人作家として大活躍している。

 

 

『プロの編集さんが要らないっていった程度の作品で、勝った気にならないでよね』

 

 

 いつかのクラスメイトはそう言った。

 それなのに私は、結局今日までダラダラと書き続けている。

 

 秋雲は私のことを必要としてくれているのかもしれないけれど、それは結局お互いの利益が一致しているからこその協力関係でしかなくて。

 

「私が絵を描いていたのは……きっと、飛龍さんと繋がっていたいからだったんです」

 

 私の告白に、返ってくる言葉はない。

 絵は、飛龍さんと出会う前からずっと描いていた。だけれど飛龍さんと出会ってから、私はもっと絵を沢山描きたいと思ってきた。見て貰いたかったのだ。

 

 飛龍さんに、私の憧れのヒトに、褒めて貰いたかったのだ。

 

「だから、飛龍さんにとってのステキな絵は描けても、それ以上は無理なんです」

「それは違うでしょ。あなたの絵はあなただけのものだよ」

 

 飛龍さんは、私を真っ直ぐ見て言う。私は眼を合わせられなくて、視線を逸らす。

 

「もし私に見て貰うためだけに絵を描いていたんなら、どうしてこんなに上達したの?」

 

 分かっている。飛龍さんに言われなくなって分かっている。

 昔は、もっと全力で絵に取り組んでいたはずなのだ。

 

 本気で漫画家になろうと思ったこともある。

 芸術の大学に入って、全力で画家を目指そうと思ったこともある。

 

 軍隊生活だって、空母艦娘になるためと決意してやって来たはずなのだ。

 そして今、蒼龍さんと訓練を再開しようとしている。

 

 それなのに、私はそれをやり抜けない。

 

 私は、画家になることもせず、空母になることもせず、こうして小さな端末(せかい)に自分の世界(もうそう)を詰め込んでいる。

 昔の私は違ったのに、もっと輝いていたハズなのに。

 

 

 それとも――――――私はずっと昔から、こんなのだろうか。

 

 

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